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Gazing At " Promised Land "

2003年度 12月第3週


12月15日

身体に力が入らない。使い古しの雑巾のように横たわっている。

体重計に乗った。先週の金曜日には64kgまで下がっていた。素直に喜べなかった、マラソンどころか牌すら動かしていない。何もしていないのだ。それなのに体重だけは下がっていく。この土日、禁を破って夜中に意識的に食べてみた。日曜日はオヤジとお袋、娘たちを連れて金婚式の祝いと称して回転寿司で気迫を込めて食った。

あまり派手にしたくないというのがオヤジの希望だった。できれば晴れて大西君の奥さんとなった節ちゃんの実家の伊勢の坂口苑ででも祝いの席を設けようと考えていた。しかしオヤジのオヤジ、俺にとっては父方の祖父が金婚式の祝いを盛大にやった後しばらくして倒れ、そのまま他界した。「お父さんはそのことを気にしているようね」とお袋は言った。回転寿司には似合わない写真のフラッシュが何度も光った。

久しぶりに乗った体重計は67kgを指していた。「とりあえずは癌じゃなかったみたいやな」 横で奥さん、「考えすぎよ」とのたまう。

深夜に斎藤(北海道大学就職夜明け前)から電話。「北大に留学していた奴がいてさ、うん、アメリカ人なんやけど、去年アメリカに帰国して久しぶりに電話があって、これがさ、オハイオの住友なんとかで働いているていうねん。よく聞けば本社が三重県やって、となると・・・そうやんな、住友電装やな。本社は四日市、そいつは生産管理やってるんやけど、宮口、そうそう、あいつも生産管理って? へえ、俺のダチは文系も文系、よりによって専攻は日本古典文学や。そんな奴でも生産管理ができるんかな。ともかく世界って狭いよな」

12月16日

あら珍らしや!松下、ことマッツンが姿を見せる。7期生、高校卒業後に美容師の専門学校へ。そして大阪の美容室に勤務して7年目。塾は高2の父兄がみえてバタバタしていた。「今から大阪へ帰るんやけど、ちょっと先生に話したいことがあってさ」「じゃあ、ちょっと待っててくれるか」「ああ」 マッツンにすりゃ珍しいことだった。待ってでも俺と話したいことって・・・。

聞けばマッツン、来春4月に帰省して美容師として独立することを考えているとか。独立、つまりこの辺りのどっかに店舗を構えるわけだ。休みがあるとこっちに戻り、それに見合う貸し店舗を探しているそうな。そこで目を付けたのがウチの塾の1階である。ネックはトイレ、一旦外に出なければいけない。女性客相手では改装して店内にトイレを設けるのがベター。しかし資金的な問題がからむ。「一度、大家に声をかけたろか。ウチの生徒やからまけたってって」「お願いします」 そういや近くの和食屋が店じまいしてたよな。「あそこどないや」「どこ?」「昔、モッキンポットあったとこ。あそこの和食屋つぶれたんちゃうか」「あそこは場所はいいんやけど、高いわ」「あそこの大家、ウチの父兄や」「えっ!」「そやそや、ウチの古い塾の隣の獣医さん、今度近場に立派な病院建ててはる。となると近々塾の隣、空くやろ」「先生、あそこの大家さんは?」「何言うてるんや!竹中んとこや」「うわっ!それってステキやな」

今年の中1の生徒の試験答案を眺めていると顕著な特徴ひとつ・・・イージーミスが滅法多い。それで一計を案じた次第。割合と簡単な試験をしながらミス0の場合に得点5、ミス1で得点2と加点していって最高得点者にはCDをプレゼント! 塾の先生が景品で生徒を釣る?決して自慢できる戦略とも思えないが、あまりのイージーミスの多さに手を焼き、苦し紛れの打牌。先週から始まったこの苦肉の策、これが困ったことに功を奏している。中1のテンションの高いこと高いこと。一気呵成に中2の1学期までの文型をやっつけてしまった。英語ばかりでは退屈するだろうと合間を縫うように実施した数学の計算問題。これが中間や期末と同一人物かと見まがうほどの出来の良さ。指導する側としては少々寒い気もするが、毒を食らわざ皿まで攻撃。今夜は社会の歴史の試験。あげく一蓮托生とばかりに次回木曜日は理科の気体の性質・・・。

嬉野中で成績表が返却される。絵梨香は45段階中42、計画通りに内申通過。あとは志望高校目指して実力を磨くだけの最終直線コースに突入したわけだ。

12月17日

2004年度春の甲子園大会の21世紀出場枠に津西がノミネートされた。今回のノミネートは全国で9校。この9校から晴れの甲子園出場の2校が1月10日に決定する。

津西ノミネートの知らせはネット上で知った。すかさず祐臣と亮太の岡兄弟の携帯を鳴らす。呼び出し音が響く。一刻もこ奴ら兄弟と今回の僥倖の感動を分かち合いたかった。いらいらしながら相手が出るのを待つ。

深夜、いつもならセンター対策の英語となるわけだが、今日は急遽中止となった。その代わり?間隙を突くタイミングで甚ちゃん登場。ついつい甚ちゃんに甘えてしまう俺がいる。「明日さ、ウチの娘たちの三者懇談や」「今度も先生が行くんですか」「いや、死刑宣告は奥さんに頼もうかなと」

試験の問題が配られると頭の中が真っ白になる、そうめいが言う。確かに、試験前日にさせる他の中学の問題の出来に比べると当日の出来はひどすぎる。点数にして20点ほどのギャップがある。緊張するのか、あがるのか・・・しかし、それもまた実力。その弱点を克服することなく、今回の期末も平均点を割った。この状況で内申が上がる目はなかった。死刑宣告・・・冗談で言ったわけではない。

「塾でさ、こんなふうに授業もなく深夜に一人でいるとさ、ついつい塾の先生じゃなくて・・・父親に戻っちまうんだ」 甚ちゃんが懐かしいものを見るような表情で微笑んでくれた。

めいの内申は32、期末のあの点数ではこの内申、それほどの動きはないはず・・・つまり、その場合はめいの津東、藻屑と消える。

れいの内申は35。しかしこの2学期、今までの努力が試験の点数に反映するようになった。なんとか内申が37を越えれば・・・絵梨香と同じく最終の直線コースに突入となるのだが。

12月18日

電話の音で起こされる・・・誰か分かっている、奥さんだ。「今日の三者懇談、あと30分ほどで始まるんやけど」「分かった、すぐ行くから」 教室の中には那理がたった一人で勉強している。「おはよう」「おはようございます」「おまえの三者懇談は今日だっけ?」「いえ、明日です」「そうか・・・今からウチの娘たちや」「先生が行くんですか」「行くかい! 俺って怖がりなんや」

午後12時40分・・・東中の正門前で奥さんと娘を降ろし、俺は中学校近くのサークルKに逃げ込む。久しぶりに週間ゴングを貪り読む。

グラビアは長州力の老いさらばえた姿。WJを旗揚げしたものの、主要選手に去られ、生え抜きの若手選手数名を引き連れ、死に場所を求めて蔵前国技館に乗り込んできた長州力が写っている。経営危機が囁かれるなかで依然として「俺がプロレスの真ん中を走ってるんだ!」と見得を切り続ける長州の姿。過去の栄光を考えると痛々しかった。しかし受験生の屈折した心理、E判定が続くものの自分の実力を信じるしか道がない受験生と今の長州の姿、ダブって映る。

れいの内申は38・・・なんとか踏みとどまった。これで直線、津高で勝負させてもらえる。そして、めいは予想通りだった。動かない内申、32・・・。ほぼ勝負は決した。津東からの撤収、じゃあ公立はどこを受けるのか。それは本人が決めるしかないのだ。

8年越しにどうしてもはまらないままで置いておいたジグゾーパズルがはまった。今となっては昔の話・・・しかし喉に刺さった骨がやっと抜けた。

理恵(7期生)が姿を見せた。マッツンと同じ学年、そこそこに昔話を披露し合い、俺は核心に入った。「高2に小林って奴がおってさ、こ奴の現代文の講師を引き受けてくれへんか」

小林の目の前にはいつも卓がいた。中学に入学した時、卓の剣道の試合を見て剣道部入部を決めた。そして高校も卓がいるからと高田高校を目指した。しかし女神は微笑んでくれず久居高校に進学した。今度の目標は中井だった。高校入試の当日の朝、塾から試験会場に出発する小林を励ましてくれたのは中井だった。その中井はアジア太平洋立命館に合格していた。そして翌年、卓も立命館に進学。当然のように小林の目標はアジア太平洋立命館か立命館に向けられた。志望大学を旗色鮮明にした以上、講師の要求はきつい。実力が伴わないということはウチの塾では理由にならない。英語担当の森下は執拗な叱咤や非難を浴びせた。大森もまた同様だった。そんな状況で小林はじっと頭を垂れているのが常だった。何をするにしても人より遅かった、何をするにしても人より精度が鈍った。毎日のように塾に来てうつむき加減で勉強している小林を眺めるにつけ、何かが足らないと感じていた。

小林が話し好きだと聞いたのはお母さんからだ。付近のおばちゃんなんかと十分タイマンはれる闊達さがあるらしい。しかし俺が知っている小林はいつだって伏せ目がちのイメージしかない。平身低頭、俺たち講師の話に耳を傾けている・・・そんな小林のいつもと違った世界を作ってみたかった。

理恵からはメールがあった。「過去のセンター試験でもさせてみてください」 センタアー試験・・・かつて理恵は高1の夏にセンター試験の現代文で満点を叩いた。現代文で苦しむ高3の先輩連中を眺めながら不思議そうな顔をしていたっけ。

12月19日

2週間ぶりに古西が凱旋? いつものように騒がしい授業が1階で始まった。今日のテーマはターゲット1900の動詞1〜300の試験。これが千尋がミス0、続いて竜神のミス4、そして最近やたらテンションが高い由子が7、愛のミスが10。ちなみに100を越えたのが、高2の小林に高1の岡・沙耶加・千紗・有加里。この辺りの面々の底上げを図らなければ高1英語は瓦解する。今夜も古西の嘆き節・・・「なんで覚えるだけの試験ができへんねん!」

中3と中2の合同歴史の試験。中2は履修範囲中心で裏表ありの5枚。中3は10枚。5枚と10枚、そこはハンデということで・・・。中3は絵梨香と田中がミス3がトップ、あとは漢字のミスが多すぎる。これは中2にも言えることだが、はやりハンデでひらがなで書いてあればマル。中2は加央里がミス0、彩加と曜子がミス3。しかし中2の一部に膨大なるミスを食らっても平和な奴がいる。このあたりにこの学年のチームとしての弱さが露呈する。

森下も京都から戻り、マージャンがやりたい古西は第四の男・征希の携帯へ連絡するが、あいにく征希はサンクスで夜勤のバイトを入れていてアウト。仕方なく3人で鍋をつつきながら飲み始める。話題は晴れて古西が免許を取ったこと。路上運転であまりに華麗な自分の運転に感動し、助手席に乗っている自動車学校のセンセに叫んだとか、「俺って運転うまいですよね!」 ともかくこれで外へ飲みに行ける。
12月20日

ブーちゃんの最後のセンターマークの成績表が返却される。英語は残念ながら偏差値50をわずかに切った、49.3.しかし国語が偏差値58。6と急上昇。今までは政治経済で大きく点を稼いでいたスタイルが一変。今回は政治経済が偏差値51.8とこけものの、今までの苦手教科でしのいだ。攻撃パターンの多様化、偏差値上昇の一里塚である。なんとかここまで来た。近畿大学の判定では初めてCが点灯した。近畿が本命ではない、あわよくば関西大学を攻略しようと目論んではいた。しかし今年の3月にウチの塾に密航して半年少々、やっと対戦相手と対峙するリングをまたいだ・・・。

祐臣が塾にやって来る。新聞では津市長と会見したなど一躍有名になっちまったが、依然変わらず上下関係に厳しく、先輩に対する敬語の使い方もなめらかだ。古西と祐臣を連れて塾の前の飲み屋に繰り出す。昨日は至る所で一斉取締りだったとか。今夜も師走の土曜の晩とあっては寒さ同様、厳しさが予想される。祐臣を送っていかなければならないから慎重に・・・なにしろ俺ってゴールドやからな・・・そんなことを考えつつ酒を控えることに、といってもそこそこには飲むんだが・・・。

「29日から津競艇が始まりますから酒を飲むのは今日が最後かな」と祐臣、チューハイのぶどうに口を付けゴクリ。29日の開幕まであと10日を切った。聞けば今の体重は56kg、これを1週間で3kgほど落とすとか。29日から1月4日まで津で走り、すぐさま桐生へと旅立つ。初めてのツアーだ。成人式は桐生で迎えることになる。「フライングすると1か月くらい出場停止なんですよ。先輩のなかにはどうしても休みたい事情があればわざとフライングをする人もいるようですけど。まだまだ僕なんてひたすらに走るだけ。成人式にはでたい気もするけど今は少しでも走るチャンスが欲しい」

なんとかマージャンを!という古西の念願叶い、深夜0時過ぎから闘牌開始。メンバーは祐臣・古西・森下・征希・俺。しかし今日のゲストは祐臣。古西は鍋奉行を買って出て麻雀卓には座らず。このあたりに古西の成長が窺える。今までのこ奴だったら、俺が俺がとなったはず。そこはゲストの祐臣を立て、年長者を立てている。そんな古西の今夜のメニューはキムチ鍋。調理しながら古西、「中井か村瀬、早く帰って来い。せいぜいこき使ってやる」

祐臣の帰る時間を考慮に入れ、ルールは8.000点持ちの10.000点返し、東風戦。マージャンは久しぶりとかで祐臣、いいところなく終了。試合はなかっても午前中は練習、午後からはペラ叩きの毎日が続く。深夜1時30分、祐臣を送る。こ奴が高校入試に臨んだ中3の冬も、俺は同じような時間に送っていったっけ。あれから5年・・・。

別れ際、祐臣は俺に向かって深々とおじぎをして言った。「先生、今日はありがとうございました。正月の試合、またよろしくお願いします」 律儀さは5年前と同じだった。今日は初雪が降った。祐臣の家は高台にある。俺はかすかに積もった雪に気をつけて急な坂道をゆっくりとゆっくりと下っていった。

12月21日

森下・古西・甚ちゃんと飲み明かしベッドイン。「こら!起きろ」との大音響で二日酔いから覚醒しないまま起き上がるとデンちゃん登場。時間は正午を過ぎている。今日は45分の試験を6回実施する、この時期恒例のイヴェント。中3も着席してスタンバイしている。

「おまえらな、数学の問題を親の敵(かたき)かなんかのように思てるやろ。一問解いたら計算した紙をつぶしてゴミ箱に投げ捨てる。おまえらな、数学の問題に対して愛がないんや。この問題はええ問題やな、この問題は厳しいなとか考えへんやろ。ケンカごしで数学の問題を解いてる。そんなおまえらには数学なんて解けへんよ」

午後7時過ぎには計6回の試験の成績が出揃う。点数は前の黒板に書いてあるが過去に例がないほど悲惨な数字が並ぶ。なんとか陵と紗沙耶と田中が気を吐いている程度、しかしこの3人とて過去の愛や祐輔や橋本と比べると雲泥の差。

急遽リベンジが決定。『中3リベンジ大会 1月7日(水)午後1時より』と黒板に大書きしてデンちゃんは大阪に帰っていった。

明日から中2に今日の6枚のテストを順次させながら鍛えていくつもり。平方根・二次方程式・三平方の基本を習得した中2、このままじゃ中3が喰われるんじゃねえか。

圭亮(立教大学院1年)から連絡。「冬休みに允(あたる・浪人)に古典の授業をつけられる状況ですかね」「最近手抜きが目立ってからな、でも英語も毎晩センター対策やって復調の兆しは見えとる。結局は国語勝負になるはずや、冬休みの古典やったってや」「わかりやした」

さすがに鍋の三連荘は自粛したのか、森下が買ってきたのはおでん。例年ならば毎晩のようにおでんが続いたが、今年は鍋の出現もあって封印されたままだった。今年初めてのコンビニのおでん、からしに咳き込みながら夜が明ける。

 次の日記に続く

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