Gazing
At " Promised Land "
2003年度 9月第4週
9月21日
午前6時半、森下に起こされる。時間だ。森下を中川駅まで送る。「気をつけていけよ」「じゃあ、また来週」 森下は京都の下宿に戻り、荷物を持って伊丹空港へ。午後3時の沖縄行きの飛行機に乗り込む。
今日は桐原2章の第2ラウンド。夏に何らかの事情で受けなかった生徒、あるいは惨憺たる成績で再び受けることになった生徒で行われる。俺も参加する予定だったのが突然、中3のご父兄と飲むことになり、午後6時から桐原一人旅。結局は前夜の徹マンが痛かった!ミス4。
久しぶりに同輩と飲む。子供さんのことが主題ではあったが同年輩と飲むのは久しぶりで楽しかった。いつしかやたら忙しい塾になってしまった。昔は頻繁に塾を空けては飲みに出た。生徒たちは俺が帰ってきて騒ぐのを期待しながら勉強していた。あの日々はいったいどこへ行っちまったんだろう。若かったから・・・いいや、それだけでもない。
桐原の試験ではブーちゃんがミス13、松原がミス1、慎太郎がミス7、小林がミス446だった。
1階のバスマットで古西が寝ている。その横で仁志と甚ちゃんと飲む。
9月22日
1階の教室では高3が南山大学の英語を解いている。感心やね・・・と思いつつ、聞けば仕掛け人はあたるだとか。あたるが高3を率先して英文読解をやっている。ほんの半年前までには想像できなかった風景・・・。この風景を心に焼き付けておこう。
9月24日
午前10時から大森の推薦入試。この試験の発表は明日! ほんまに審査してるんかいな。ともあれ、結果は速達で届くとのこと。つまり合否は26日に大森のもとに届くことになる。せっかちの俺は当日の発表を松原・姉(関西学院大学2年)に見てもらおうと考えた。ところが、その肝心の松原がつかまらない。
あすかちゃんが今日の授業で終了。明日から大学の近くで一人暮らしが始まる。思えば、俺の考えを一番よく理解していてくれた生徒だった。あすかちゃんはかわいい。普通なら容姿を鼻にかけ性格の悪い女になりそうなのだが、そうじゃない。やはりアトピーがひどかったという負の遺産が、他人の痛みがよく分かる人間にさせたのだろうか。塾内で起こるいろんなことを俺はあすかに話した。考えを聞きたかったのではない。ただ、話していたかったのだ。しかしあすかはいつも自分なりの意見を紡ぎ出してくれた。その言葉は、悩んだり落ち込んだりしてポツリと佇んでいる俺の肩を、いつだって優しく押してくれた。先生の思うようにやればいいよ、みんな分かってくれるから・・・。
深夜2時、大所帯でおんぼろエスティマが発進。乗客は怜美、あすか、直嗣、寺沢、古西、そして大森だった。嬉野から一志、そして津市内へのツアー。小1時間はかかる50kmコース。「受験生優先でいいよ」と古西。怜美から直嗣、寺沢、そして再び久居市内に取って返し、あすかの家に。「先生、おやすみなさい」「ああ、お休み」 いつもと同じ挨拶でドアは閉まった。押し寄せる感情を振り払うように怒鳴った。「大森、関西学院落ちたら承知せんぞ!」
塾に戻ったところで電話が鳴る。「先生、ごめん。携帯を置いておいたんで・・・」 今日の昼から何度電話しても応答のなかった松原・姉、時刻は午前4時前。「どないした、こんな時刻に」「実は今、網干というとこで合宿なんですよ」「今まで飲み会か」「ええ、それからカラオケなんかもあって、今になっちゃいました。ゴメンなさい」「よろしおまんな、大学生。用件やけどな、明日さ、大森の論文試験の発表があるねん。すまんけど見てくれへんか」「大学で発表ですか」「ああ、商学部の学生課あたりでこじんまりと発表となるやろ」「分かりました。明日は朝食を食べたら大学に戻って解散ですから、それからでもいいですか」「かまへん、助かる」
9月25日
午後3時過ぎ、松原から電話。「先生」「どやった!」「・・・ありません」「番号は87028や」「ええ、8702・・・8ですよね」「ないか」「ええ・・・」
松原からの携帯を切り、まわりを眺める。教室のなかにはブーちゃんが一人。「大森が落ちたよ・・・」 ブーちゃんが笑う。笑うのだ・・・。何がおかしい。ブーちゃん特有の意味のない笑いだ。それは問題の間違いをなじられても漏れる笑い。余裕とも取れる笑い。しかし、大森が落とされた知らせを聞いても笑う・・・理解できなかった。
俺の携帯が鳴る、森下だ。「先生、どう」「どうって、オマエ沖縄か」「いや、昨日帰ってきたよ」「そうか、・・・アカンかったわ」「大森?」「ああ」「・・・」「でな、あいつは明日の速達を待っているんやけど、俺はどないしたらいい」「やっぱり今日のうちに言ったほうがいいと思うよ。早く気分の切り替えをしなくっちゃ」「そりゃ分かっとるわい、でもな・・・」
花衣が大学の試験とかで休み。事前に報告が欲しいところだが・・・。久しぶりに俺が高1の数学を担当することに。ネタはコンビネーション(C)を使った最短距離の問題。いろんなバリエーションの問題を並べてみる。「最短距離? Cを使えば簡単じゃん」とほざく公式馬鹿には解きにくい問題ばかり。場所は1階、大森が片隅で耳栓をして勉強している。のぞくと英単語・・・。落ちたことを言うべきかどうか・・・。
斎藤が北海道から戻る。10月1日の内定式への出席が目的。あとは無事に卒業できるかどうか、これが微妙・・・。
斎藤とともに久しぶりの征希も姿を見せた。いつもならどこぞで飲む算段をするはずが・・・大森が落ちたことでそんな気分には到底なれない。これで大森は一般入試で勝負となる。本命は立命館、しかしこのOA入試で振り回されたひと月の代償は大きい、あまりにも大きい。明日からの段取りに頭をひねりながらも、気分の切り替えができない俺がいた。
9月26日
斎藤の実家に親戚から電話。北海道で起きた地震を心配してのこと。受話器を取ったのが心配されている当の本人の斎藤。「アンタ、地震のほうどうやったん」「いや、昨日のうちに帰ってきたから」 親戚いわく「悪運強いんやね」
己の悪運を握りしめ、斎藤が3階で勉強している。卒業はどうなる?
この日、やまと競艇学校では佑臣の卒業試合が挙行されているはず。夏休みからこっち、行くつもりで準備をしてきた。しかし体調が今いち、血便に悩まされる毎日。さらに斎藤の北海道からの帰省もあった。どうしてもこ奴の内定式の一瞬を脳裏に焼き付けておきたかった。動けない、どうにも動けない。フットワークが重い。こんな時にでもネットは便利だ。結果は3着、詳細はやまと情報に掲載されている。また佑臣のデビュー戦も記されていて、11月11日から16日まで。場所は津競艇! 場所が場所だけに次回は見逃さない!
古西の2回目の英語の授業。来週の授業は津高の前期中間試験とぶつかる。当然中止と思いきや、「このなかで推薦で大学に行く人おる?」 誰も手をあげない。「じゃあ、決まりやね。来週も予定通り授業をするから」
「やっぱり暗いな、大森」と古西。「あんなノー天気な奴でもな」と俺。
伊勢界隈から酔っ払いが二人、電話をかけてくる。山田日赤病院勤務の村田君と高橋君。「先生、たまに実家へ帰るんですよ。その時に塾に寄って先生の顔を見ようと思うんですよ。きっと先生は授業をそっちのけにして飲みに行こうと誘ってくれると思うんですよ。それが何か申し訳なくって・・・すんません」と酔っ払い1号は村田君。携帯をむしり取って高橋君、「先生、近いうちに襲撃しますからたくさんたくさんビールを買っておいてください。僕たちの分は僕たちで調達します。いいですか、分かりましたね」 俺の方が襲撃したるわい!と言いかけて躊躇する自分がいた。
深夜12時から日本史の授業。1960年の池田内閣から55年体制が崩壊した細川内閣誕生まで。出席者は大森と寺沢と拓也、それにあたるが加わる。ここは何も考えさせないように過酷なカリキュラムを強いるべきだろう。
9月27日
今日はシゲと赤井と慶子さんと飲むことになっていた。「飲もや!」と相変わらずのテンションで誘ってきたのはシゲだった。
シゲは亜矢歌の親父さんだから父兄とも言えるが、付き合いは娘が産まれる前からだ。三重に舞い戻って頃、暇にまかせてライブハウスを回っていた。三雲のライブハウス『マクサ』、そこのステージで今だに現役のロッカーを張っているシゲに出会った。そして印刷会社で鬱々と社会人生活を送っていた赤井も塾に顔を出すようになった。そして大学の頃、俺の最も良き理解者だった滋子の姉ちゃんだった慶子さんが津にレストランを開いた。店の名前はアメリカ人の旦那さんの故郷の名前から採った。赤井は印刷会社を辞め、一人で企画・広告の営業を始めた。そして日本初のギターのNPOを立ち上げた。シゲは40歳を過ぎても日本各地でライブをこなしていた。慶子さんはパートナーを亡くした後に、店を友人に任せ、親父さんの後を継いで社長となった。津市内では優良な企業のひとつだった。そのような変化のなか、俺たち4人はたまに会っては痛飲した。いつだって俺たちのキーワードは“孤高”だった。
いつしか4人から始まった飲み会は徐々に膨れ上がり、回数も頻繁になっていった。楽しいことは楽しかった。中学時代の思い出話が主なネタとなった。確かに楽しい、しかしそれだけだった。塾を大学生に任せて、ただ楽しいだけで飲むことに抵抗を感じ始めた。適当に言い訳を作っては飲み会の誘いを断るようになった。そんな俺の変化に気づいたのか、いつしか誘いも減っていった。
シゲからの久しぶりの誘いに気分が揺れた。依然としてかつてのテンションを取り戻せない俺がいた。「昔のようにさ、最初の4人で飲んでみやんか!」 これが駄目押しだった。俺は2年振りに懐かしい面々と見(まみ)えることに決めた。
高2の英語は森下、中1は古市、高1古典が大森、中3はいつものように自己裁量に任せて塾を出た。集合場所は松阪駅、時間は午後8時。
4人それぞれが何がしかを抱えていた。かつて俺たちが抱えていたものはもっと軽かったし、勢い次第ではどうにでもなるようなシロモノだった。しかし今の4人はそこそこ身体を張ったリスクめいたものを抱えていた。「これからの10年が勝負やな」 シゲの言葉に頷く俺たちがいた。
最終電車に乗り込み、久居駅から千鳥足でなんとか塾にたどり着いた。1階のバスマットで寝ていると携帯が鳴る。「古西ですが、先生まだ松阪で飲んでんの? 最終電車がなくなったやろから森下先輩が迎えに行こうかって」「心配ご無用! 今1階で寝とるわ」「そうなん、じゃあ準備してお待ちしてますから」 俺はよたよたと階段を上がった。3階のドアを開けると、斎藤と古西と森下がスタンバイ。場所決めが始まった。
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