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Gazing At " Promised Land "

2003年度 10月第1週


9月28日

中3の陵とデニーズへ。いつもなら『イジリンマ』で進路相談となるはずが、あいにくこの日は貸切。陵が立命館宇治に進学したいとのネタは以前から聞いてはいた。悠々津高なら合格するはずだった。立命館宇治高は90%以上の生徒が立命館大学に進学する。高校3年間と大学4年間の計7年間でカリキュラムが組まれている異色の高校。つまり今回の高校選択で陵の大学入試は終了することになる。違和感があった。

陵はよく出来る。津高合格はほぼ約束されている。しかし問題はそれからだった。まず数学のアプローチがオーソドックスではない。バランスが悪い、ゴツゴツしている、しかし回り道を厭わない。つまりは理系の腕力があった。今の段階では去年の山本愛ほどの完成度はないにしろ、男の子にすれば国語にも秀で異様にバランスが良かった。高校でも数学や物理・化学あたりでは伸びる雰囲気もあり素材としてはいたく面白い。陵は立命館レベルじゃもったいない・・・俺の本音だった。うまく育てりゃ津高から京都大学。しかし肝心なのは高校生活のありようだった。果たして今と同じような生活を送ることができるのか・・・。いくら才能に恵まれていても高校入学後に失速する生徒が無数にいる。津高に入ったことで満足するようでは伸びない。高校進学は単なる通過点、マラソンでなら折り返し地点を過ぎただけの話。陵が津高進学を大学までの一里塚と捉えることができるのなら、京都大学攻略は十分に可能性があった。

12杯目のチューハイが運ばれてきたころ、陵が言った。「津高へ入っても、それからも勉強していけるかどうか不安なんや」 本音が出た・・・。俺は12杯目に口をつけた。そろそろ酒がまわりそうな気配だった。

9月29日

花衣(三重看護大学1年)がおしゃれな袋持参でドアを開ける。顔色が悪い、疲れているようだ。「顔色悪いぞ」「そう? やっぱレポート疲れかしら」「そりゃ大変ですな。で、なんやこれ」と袋に視線を投げる。「これお土産」「どこの」「ディズニーランド」「おまえ、遊びに行ってたん! そりゃレポート疲れじゃなくて遊び疲れだろ!」

10月1日

祐臣が襲来、「先生、帰ってきたよ! これ土産」 いつものようにカステラと明太子。明太子はともかく、いつになったら俺がカステラが嫌いなのを覚えるんだろう。

祐臣はウチの塾の12期生。中1から塾に入り横綱相撲で津西に進学した。かつて津西野球部でピッチャーでならした兄貴のあとを追うように野球部に入部。野球センスに関しては憧れの兄貴を凌駕し、キャプテンに抜擢されてからの1年間に春の大会準優勝、東海大会出場と、津西を県内の野球名門校の一つに数えられるまでにした功労者。しかし中3の受験期、深夜にウチの塾から家に帰って何気なくつけたテレビ番組がこ奴の進路に多大なる影響を与えることに・・・競艇中継。そして夏の大会で準決勝で三重高に敗れ、一旦は大学受験を目指すものの、再び競艇中継を見ながら心を焦がすことになる。結局、高校卒業後にやまと競艇学校を受験。三重県からは唯一の合格者となった。

「惜しかったな、卒業競艇・・・3位やったやろ」「なんで知ってるの」「今じゃネットって便利なものがある。ネットの競艇ニュースをチェックしたんや」「そうか、あれは悔しかったよ。スタートでミスったんや、それで一挙にまくられてしまった」「デビューは11月11日から津競艇やったな」「うん、最後の日曜日には紹介されるみたいや」「そりゃ行かなあかん。でさ、それまではどないするねん」「毎日津の競艇場で練習かな、あとは先輩にいろいろと話を聞くことになるやろな」
 
千客万来?お次は前田(早稲田大学院)が顔を見せる。「なんやオマエ!」「いやちょっと親父が入院したらしくって」

今日は斎藤(北海道大学4年)の内定式。姿は見せへんし連絡もないなと思っていたら、忘れかけていた深夜12時前になって電話。「今さ、伊勢若松におるんやけどな。久居までの最終がないんや」「高いぞ!」「ははは、出世払いでどう」「津新町止まりやな、12時6分着の」「そうそう・・・お願いしま〜す」

「内定式は昼過ぎには終わったんやけどな、何人かでカラオケへ行くことになって、それから飲み初めて・・・」「それで内定式の日からさっそく午前様かい! 久居へ戻る車のなか、さすがの斎藤もテンションが高い。塾に戻ると甚ちゃんが祝いに駆けつけている。とりあえずはビールで乾杯、斎藤にとっての何次会目かが始まる。たぶん俺はこんな日のために塾を続けてきたんだと一人ごちる。

斎藤はお父さんを知らない。かつて斎藤のお母さんに言われたことがある。「あの子はずっと先生がお父さんでしたよ」 中2でウチの塾に入ってきたときは無口で誰ともしゃべろうとしなかった。塾が楽しいのか、そうでないのか・・・とにもかくにも、あ奴は波瀬の室の口から自転車をこいで塾にやって来た。中2の10月27日、俺の誕生日のパーティ、その頃の名称は「ケーキ投げ大会」で斎藤ははじけた。そしていつしか10期生の顔とも言える存在になっていく。

塾に戻ると甚ちゃんが待っていた。甚ちゃんもまた斎藤の一番上の兄貴のような存在だった。それほどしゃべるネタもなく、粛々と俺たちは酒を飲み始めた。

10月2日

津高の前期期末なんてムカフ〜ンの古西(そういや古西って一世を風靡した片山まさゆきの豊臣君に似てるよな)が勇躍参上。

前田と俺が生徒となり総勢11名のギャラリーを集めて開始。文法問題を解説しては前田に向かって「前田君、分かったかな?」「いやあ古西先生、今の説明少し分かりづらかったんでもう一度お願いします」と前田。「仕方がないなあ、前田君。じゃあもう一回いっちゃおうか」と古西。

10月3日

全県模試がやっと返却される。締め切りに遅れた俺が悪いんやけど、他の塾に比べると返却1週間以上も遅れている。して、結果は・・・塾平均偏差値56.3という惨憺たる成績。

悲惨な中3のなかでたった一人、陵が222点を叩き、三重県順位2位にランクされていた。悪くともヒトケタに入るとは思っていたが、上出来と言えた。甚ちゃんが陵の成績表を見てうなった。「たしかに先生が言っていたようにシンプルな意味でできますね。しかし・・・」「ああ、山本愛のように血眼になってのた打ち回っていない・・・」「かといって静かに燃える菊山(津高3年)ともタイプが違う」「ええ・・・」 後の面々、ほぼ全員の成績が俺のイメージより偏差値にして5ほど低かった。愛が言った、「今年の中3、もっと成績がいいと思っていたわ」 気が滅入った。仕事放棄・・・俺は家に帰り酒を飲み始めた。ここ最近胃が荒れているようだった。焼酎が胃のなかで断末魔の叫び声をあげた。それでも飲み続けた。

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