Gazing At " Promised Land "

2003年度 6月第三週


6月15日

父の日である。母の日に比べると子供にとっての重さが甚だ違うような・・・。
デンちゃんがやって来る月イチを除けば俺が日本史の授業をしている。メンバーは高3が中心だが、早々と国公立文系を標榜した愛も受講している。その愛、昼前に姿を見せた。俺は尋ねた。「今日は父の日や。何かプレゼントしたんか?」「ウワッ!」 奇声を発したきり沈黙。「どないしたん、さてはケンカでもしたか」「・・・ええ、朝に言い争いしちゃった」

今日の日本史は浪人の允(あたる)のリクエスト、江戸前期政治史。私大模試の範囲が7代将軍家継までとかで一気呵成に進む。
允は中学の3年間をウチの塾で過ごした。高校入試では津西を受けるものの内申が足りずに落ちた。高田U類に進学後もウチの塾を続けるものの高2の夏休み前に塾をやめた。大学受験に対するモチベーションが下がっていた。シビアに言えばウチの塾に対する疑念もあったと想う。説得しようにも高校入試で実績を出せなかった俺の口調もしめりがちだった。しかし・・・と思った。允はウチの塾の匂いがする生徒だった。いつかは戻ってくる・・・なぜか、それには確信があった。
浪人が決まり久しぶりに会った。髪の毛の色も今風、体格もひとまわり大きくなっていた。予備校に通う上での注意を懇々と話した。端的に言えば、浪人するなら携帯電話を捨てる覚悟が必要だということ。楽しい時や辛い時、携帯さえあれば自分の感情を共有してくれるダチにいとも簡単に連絡できる。浪人にとってこれほどやっかいなツールはない。昼休み、予備校の授業が終わった頃に携帯が鳴る。「パチンコ勝ったから奢ってやるよ」「今、ゲーセンにいるけど来ない」 自分の気分おかまいなしで享楽のお誘いがかかる。本当に志望大学を目指すのなら携帯は捨てる、あるいは必要最低限使わない覚悟がいる。
今年、一浪して高田T類から早稲田に合格した生徒がいる。彼は名古屋の予備校に通う友達に背を向けて、ただひとり大阪の予備校へ通ったとか・・・。
アキちゃんが早稲田に合格してさっそくしたことがウチから浪人する面々への説教だった。つまりは自分の体験を紐解き、これからの1年間が充実した生活になるようにとのアドバイス。そのなかで、ついつい誘惑に流されそうになる允には河合塾が終わった後ウチの塾で勉強することを勧めた。ともに立命館を目指す大森や、現役といえども地力のある菊山など、塾の1歳後輩となる現役の姿を眺めながら自己を鼓舞できる空間・・・。
そして先輩後輩がシノギを削る一年間が始まったわけだ。

竜神がぼそっと言った。「俺のクラブに津高400人中400番で合格した奴おるねん」「えっ、その子何点取ったんや!」 隣りで甚ちゃんも聞き耳を立てる。俺達の商売にとっては喉から手が出る情報だ。「174点やって」「ホンマか!」 先日もウチの生徒から津西に163点で合格した子がいると聞いたばかりだ。最近の津西の成績、全国模試で全国平均を下回っている現状を考えれば163点も納得できた。しかし津高が174点なんて・・・。竜神が続ける。「そりゃ確実、だって高校の先生が本人に言ったんやから」「じゃあ内申は?」「内申はすごいよ。5段階評価9教科で44もある」「やっぱ内申か」「津高も内申で取り始めたからには将来しれてますよね」と甚ちゃん。「だって35以下は落としたって先生言ってたよ。まあ、最後の調整で何人かは35以下からも取ったらしいけど」 確かに津高の最低内申が上がっている気配はあった。去年の入試で津高に落ちたウチの生徒の内申が32あたり。かつてはオール3でも受かった面々がたくさんいたことを思えば、ここ数年でかなり上昇している。となると来年、36は欲しいところだ。ウチの中3、果たして36以上を叩いてこれるのか・・・。

6月17日

叔母の様態が悪くなったという知らせ。俺はオフクロを車に乗せ名古屋へ走った。お腹に水が溜まり、それを抜くとのこと。オフクロは知人の名前を次から次へと出し、お腹の水を抜くということは体力の消耗も激しく一歩一歩死に近づいていくことだと言う。

抗癌剤治療のため一旦は脳梗塞になった叔母だったが、会話能力や試行能力はリハビリを積極的にこなしたことで、言語療法師のスタッフの面々が驚くほどの長足の進歩を示していた。再び柔らかい抗癌剤治療が始まり、担当医のほうからは余命について、なんとか1年間ほどは・・・と告げられ、家族ともどもホッとした束の間、ここにきて事態は急変。

思えば入院当初の「ここ2、3日」から「ここ10日間」となり小康、4月に自宅で倒れた時には「2か月もてば・・・」との担当医のコメント。

そして俺は友人のつてでアガリスクよりよく効くと評判の、北海道で採れるキノコの存在を知る。叔母の次男に知らせると「後悔するのはいやなので、この際何でもやってみたい」とさっそく取り寄せた。それが5月初旬のことで、6月に入った頃に担当医から「このままの状態が続けば、1年間ほどならもつかもしれません」との発言、遂に出た。思わず出たガッツポーズ! それなのに・・・。

病院にかけつけた俺達に分かったこと。患者には水とは言ってあるが、それは安心させるための嘘で本当は癌細胞・・・。担当医は言ったという、「ご自宅で治療されても結構です。また、ホスピスという施設でも・・・」

怒りの古市の数学T・Aが今日からスタート。
怒りの矛先は高3のお嬢ちゃん達二人に向けられている。受験生としての自覚がない数学、つまりはチャランポランなままに過ごしてきた数学。「あんなん、大学受験の前にもう一つあるやろ、高校受験、今からもう一度高校受験受けやなアカンわ!」
今日の内容は二次関数、受講者は古市の発案で高3に高1を加える。高1のメンバーは選別制、国公立を狙う愛・沙耶加・ゆかり・竜神の津高カルテットに今春から3年ぶりに復帰の岡(三重6年制)。「こんなん分からんかったら数学なんてやめてしまい!」 高1の教室に威勢の言い檄が飛ぶ。

今イチだらだらと勉強している中1を4人ほどどつく。ここ数年、女の子達の園を化していたウチの塾にも中2と中1、待望久しい男の復権。さっそくといっては何だが、昔のリズムで一発かましてしまった。
しかし「教師は殴ったら負けや」という親父のセリフ、やはり心のどこかで一個の生き物のように俺を見ているような気がする。

深夜、菊山が青天霹靂の志望大学変更? 「実は・・・京都大学を視野に入れて勉強しようかなと・・・」

6月19日

午前10時に久居を出発。西名阪を西へ向かう。針インターで降り北上。県道369号、通称“柳生街道”である。対抗車が来たらどないしょ、カーブごとに視界を遮るものがないことに安堵しつつ柳生へと向かう。なにしろ針〜柳生間20kmで信号が一箇所だけ。奥さんの感想、久居と同じ、「このあたりに住んでる人達、どこまで買い物に行くのかしら」

宮本武蔵の助けもあってか木曜日というのに予想以上の観光客。パンフにも「宮本武蔵も訪れた剣豪の里」とある。小学生の団体までいるのにはまいった。しかし正長の土一揆の徳政碑文目当ての客はいないようだ。なにしろ柳生村のパンフに載ってない! 人づてに聞きつつ旧柳生街道を汗をかきながら歩く。やっと見つけた高さ2mはゆうにある巨大な石。解説には右下に教科書掲載の文字があるとのことだがほとんど分からない。「やっぱ教科書掲載の写真のようにはいかへんか・・・あれって国立博物館のパプリカの写真やからな」とつぶやくと奥さん、「パプリカは西洋野菜、あなたが言いたいのはレプリカでしょ」

大安寺は奈良時代の国の筆頭寺院というわりには貧相な寺だった。ここで桓武天皇の親父さん、世の天皇は文武・元明・元正・聖武・孝謙と天武系。天皇の系統からはずれた天智系の己を愁いながら酒でも飲んでたんだろうねえ。予想外は林邑学という音楽を日本へ伝えた菩提僊那や東大寺大仏の開眼供養の時に仏教音楽を演奏した仏哲がここに寄宿していたこと。渡来人が愛したという飛鳥寺からの風景とは違い、大安寺は退屈なほど平坦な盆地のなかにある。遠景として穏やかな奈良の山々に囲まれて建つ大安寺のなかで何を想う・・・。

凍れる音楽と称される薬師寺東塔、やはりここには凍える冬に来るべきなのだろう。復興の過程でもあり“龍宮造り”の色彩、鮮やかすぎる。

横田の高3英語の授業、緊急のカンファが入ったとかで中止。俺が代わりに名古屋大学2000年度理系の長文でお茶を濁す。

静岡学園の知樹の携帯に連絡・・・話し中。金曜日の深夜に静岡へ出発する。朝方に到着予定、サウナででも休みながら午後1時の開会式を待つつもり。しかし大森ネタで静岡へ行くもののそれだけではもったいない。この4月から去年の全国高校サッカー静岡代表高の静岡学園に入学した知樹にも会いたい。下宿している知樹に一夜なりとも栄養補給してやろう。そして静岡市民病院勤務の黒田君、元気でやってるんだろうか? 一年目のペーペー、調練の毎日だろうがうまくいけば酒の一献なりとも・・・。黒田君の携帯に連絡・・・呼び出してはいるものの応答なし。
ままよ、行けばなんとかなるだろう。

明日、東海大会で静岡入りする大森が挨拶にやって来る。午前中の授業終了後に出発とか。「僕の個人戦は開会式早々に始まります。やっかいなことに全国大会個人戦優勝者と同じリーグに入ってしまいました」「そりゃ良かったやん!いい思いでになるで。その子、なんてちゅう名前?」「確か・・・安田」「分かった・・・大森・安田戦、楽しみにしてるよ。とこでな」「はい」「さっきの名古屋大学の長文、なんやあれ!全然できてへんやん」「はあ・・・」「終わったら毎日調練や」

やっと知樹につながる。「俺さ、明日静岡へ行くんやけどさ、土日のオマエさんの予定は?」「あっ、土曜日に父さんと母さんが来るんやけど・・・」「そりゃ残念!まあサッカー王国静岡代表校の練習でもとくと見せてもらうよ。やっぱすごい?」「うん、すごいよ」「どこで練習してるねん。高校か?」「いや、高校から車で10分ほどのグラウンド、谷田グラウンドっていうんやけど」「分かった、じゃあ隅っこから見学する。別に声なんてかけへんでもええで」

週に一度の奈良県散策もそうだが、こんな時にネットがあると便利だ。ちょこちょこと検索して浜松郊外の24時間営業サウナ「健康ランド・ハッピー」に泊まることに決める。といっても授業が終わってからの出発だから到着は午前4時頃だろうけどね。もう少し早ければ紀平を叩き起こすところだが・・・。朝は700円で食い放題のモーニング食って東名高速で藤枝の静岡県武道館までぶっ飛ばす。

当日の更新は静岡のネットカフェからでも・・・。

6月20日

深夜0時過ぎに塾を出発、さすがにこの時間帯、かなりの車にはさまれながら23号線を北上する。午前4時にでも浜松のサウナに着けばいいとこか。途中に点在する横綱ラーメンを横目で見ながら愛知県を走る。今日は何も食べていない。空腹感が身を焦がすがサウナに着いてからビールを飲みたい!その一心で静岡県に入る。サウナは浜松の繁華街からかなり離れたところにある。浜松市内に入ってから探すのに手間取り到着時間はやはり午前4時。
入湯料金600円を払ってさっそく風呂に。この時間帯ゆえ貸しきりの風情で湯につかる。湯上りにビールを1本飲んでレストルームで仮眠。

午前9時半に目覚める。このサウナの売りのひとつ、700円で朝食バイキングは次回のお楽しみとなった。国道1号線は予想通りの混雑。1号線からはずれて細い道を曲がり曲がりして磐田のヤマハ発動機の本社へと。紀平がここで働いている・・・こんな瞬間のために俺は塾を続けてきたような気がする。
今年のセンター試験前夜、古い塾での恒例の送りだし。深夜10時を過ぎて突然ドアが開く。紀平だった。どっかとイスに座り、いつものように机の上に足を投げ出す。無礼な行為には違いないが、なぜか紀平だけは特別だった。似合わないスーツ姿でこヤツは言ったっけ。「昨日の夜、今日のために残業してたらいつのまにか朝になってさ、守衛のオッチャンが言うんや。『早くから大変ですね』って、ハハ」
こヤツはケーキ投げ大会未経験、ある意味でウチの塾らしさに背を向けて今まで俺と、ウチの塾と付き合ってきた。いわば外様、しかし限りなく頼りになる外様だった。家康にとっての伊達正宗・・・って言い過ぎやな。こんなこと書くとすぐにつけ上がるからな。
紀平の会社を瞳に焼き付けて再び東海大会の試合場の藤枝を目指す。

混雑はいっそう激しく、根負けした俺は高速道路へと迂回。吉田インターで降り、幹線道を避けて大井川沿いに北上、藤枝市に入る。細い町をかき分けるように辿りついたのが昼過ぎ。藤枝駅前のイタリアンレストランで昼食バイキングを食べて会場へ。
1回戦は各県から一人ずつ、静岡・愛知・岐阜・三重の計4人で総当りのリーグ戦。それぞれのリーグから一人ずつが2回戦へと進む。
大森のリーグに個人全国制覇を成し遂げた静岡県吉原工業の安井君がいる。つまり全国一位を倒さねば大森の次はない。

ざわついた場内で大森を探すのは簡単だ。ほとんどの選手が坊主頭。ゆえに長髪の奴を探し、あとは笑っている奴を探せばいい。大森や卓の試合を見にいって思うことは、この二人緊張感がまったく感じられないってこと。卓の高田高校と大森の津西が対戦、お互いが大将戦でぶつかる時など、先鋒から副将までの試合の間、コートごしに二人でにらめっこしている始末。今日も今日とて、大森はダチと戯れていた。
午後1時から役員挨拶・優勝旗返還と続き、それなりに武道館内に静寂が支配する。選手宣誓は安田君、何を言っているか分からないがともかく元気のある声が響く。
大森のリーグは安田君、彼は静岡県の一位。そして岐阜の4位の後藤君、愛知7位の田幡君。大森は三重県6位とある。これはホンマの6位ではない。1位から4位までは試合ではっきり結果を出しているが、5位から8位まではクジ引きで決めたという。その意味で安田君のいるリーグに入った大森、ついてなかった。
さっそく大森が登場。相手は後藤君。試合は一進一退、というか大森のいつもの試合が続く。大森の試合は相手に得意の間合いを取らせない、悪くいえばダラダラしている、退屈な試合となるのが常。竹刀がビシッとぶつかり合うような試合ではなく、タイミングがずれてお互いの竹刀が擦れ合うような展開が続く。不協和音、かみあわない展開に終始し試合終了。引き分けである。
向こうのコートでは、三重県を制覇したいなべ総合の市川君が静岡7位の藤原君に一本負けしている。「三重県の剣道のレベルってどない」と大森・兄に聞いたことを思い出す。大森は顔をしかめて「低いですねえ」と答えてたっけ。
こちらのコートでは地元一位の安田君登場、会場内が心なしかざわつく。相手は田幡君。安田君、自信からか相手の面を竹刀ではなく頭をかたむけてかわしていく。そして一挙に踏み込み一本勝ち。受けて立つ・・・横綱相撲というかプロレスというか、見事な勝ちである。
そして試合が過ぎていき、再び大森が登場。相手は安田君・・・。俺はこの試合を見るためだけにここにやって来た。

安田君がずんと前に出る。大森は距離をちらしながら不規則に動く。また安田君がずんと出る。安田君の竹刀に動きはない。ちゃちゃを入れるような大森の竹刀。お互いがお互いのスタンスで立ち向かう。不協和音の交錯が少ないのは安田君が手数を出さないからだ。何度かの協議で試合は中断されながらも時間が過ぎていく。ファイター対アウトボクサーの対戦・・・ボクシングならこう表現すべきだろう。しかし剣道は経験者でないと分からない要素が多い。何度かの打ち合い、そのたびに沸きあがる拍手。応援は拍手だけ、声援は厳禁なだけに素人には物足りない。竹刀の交錯、しかしどちらが有効打を打ったのか分からない。ただ安田君、てこずっている・・・。その刹那、大森がふところに飛び込む。安田君すかさず大きく下がる。瞬時、再び踏み込み前へ。その瞬間、大森の出頭小手! 3人の審判の手にした白が一斉に上がる。どっちだ! このあたりが俺の素人たる所以。それを確認する前に体育館内に響いた異常などよめき・・・大森が一本取った! 試合開始までの間もどよめきはやまない。俺の隣りに席を占めていた浜松北高校の男子生徒が思わず叫ぶ。「ブラボー!」 こいつ何人?と思いつつも、そこかしこから「うまいよ、今の」「負けちゃったよ、おい!」「相手誰や!」「組み合わせ表をかせ!」 今大会一の大番狂わせは決まったようだ。

さすがの安田君、今までと一転、前へ前へと出ていく。引く大森。大森独特の噛み合わない展開が続く。ついに試合終了・・・再び場内に渦巻くどよめき。礼を終えた大森、一目散で走ってくる。防具では表情が読めない。しかし笑っているんだろう。俺は席を立った。時刻は2時55分・・・これから静岡学園の練習、知樹の練習を見なければ。

大森のその後は気にはなった。しかし大森にとって、全国を制覇した安田君との対戦が高校剣道の最後にふさわしい試合だったはず。静岡に旅立つ前夜に話したとき、今回が最後だと言い放ってはいた。最後の最後に、安田君といういいお膳立てが揃った。クジ運のなさを呪ってはいたが、気持ち良く高校剣道の幕を引ける相手だった。大森にとっての安田戦は高校剣道最後の戦い、そして安田君にとってはこれからインター杯・国体へと続く幾多の試合のなかの一つ。結局はこの試合に対するお互いの想いの深さが試合の明暗を分けたんじゃないか。

しかし大森はいつだってこうだった。なにがしかの大仕事をすると、その後には帳消しにするようなボーンヘッドをやらかす。1回戦リーグからは出れるだろうが、大森が優勝するとは思えなかった。高速で静岡まですっ飛ばしながら、今度大森と顔を合わせたときの慰め方を考えた。「だからな、安田君に勝ってもさ、あとの試合に負けたらアカンやろ。受験でいえばセンター試験で高得点叩いてニヤニヤしてて本番の立命館入試で落とすようなもんやで。ええ経験したな。今回の経験を入試でいかすんやで」・・・こんなところでいいだろう。

静岡学園の谷田グラウンドは草薙運動場の奥、県立美術館からさらに細い道をくねくねと山に登っていったところにある。車を止めて敷地に入っていくとすれ違う高校生たちから「ちわっす」と挨拶がかかる。見学者にはきちんと挨拶をするようにと常々言われているんだろう。高校生の練習場に隣接するかたちでフットサル用の敷地があり、そこでは中学生や小学生が思い思いの練習に励んでいた。サッカー王国静岡の面目躍如、小学生離れした動きに驚嘆する。

高校生の練習場では試合をやっている。黄緑と赤のジャージ姿の選手がボールを追っている。試合が終わりジャージを脱ぐと白いTシャツにマジックで名前を書き込んでいる。これが高1か。なにしろ1年だけで50名という。メンバーチェンジして再び1年の試合が始まる。試合が終わったメンバーのなかに智樹の姿はなかった。始まった試合のなか、俺は知樹の姿を探した。1m70cmのタッパでヒョロリとした智樹が到底サッカーで生きていけるとは思わなかった。静岡学園のセレクションを受けたいと言ってきた時、俺は考え直すように言った。しかし知樹の決意は固かった。地元静岡のセレクションで落ちたものの、再度滋賀でのセレクションに応募。合格した。

やはり高1といえども舌を巻くようなプレーの連続、質の高さにうならされた。あの選手たちの中に智樹はいるんだろうか? ヒョロリとした・・・身長が・・・それらしい選手は見当たらなかった。その前の試合に出ていたのか? 時間が迫っていた。義母が緊急入院、奥さんが急遽大阪に出向いていた。明日までゆっくりする予定が崩れた。静岡を5時に出て高速を飛ばして夜の中1の授業に間に合わせなければならなかった。知樹と最後に会ったのは翌日に静岡学園に行くからと母親ともども挨拶に訪れた時、あれから3か月経っていた。俺の覚えているとも知樹はいつしかガタイも大きくなって身長も伸びたやもしれぬ。俺は挨拶をして練習場を後にした。途中、フットサルの練習場で立ち止まった。さきほどの試合を終えた選手が中学生や小学生相手にサッカーを教えていた。それも楽しそうに・・・。練習の合間に下級生を指導している。サッカーの合間にサッカーを・・・これこそが静岡を制した静岡学園の真骨頂か。

渋滞の時間が始まっていた。TAMIYA本社前から静岡インターまで遅々として進まず、やっとインターのゲートをくぐった時には午後5時30分。追い越し車線に入りアクセルを踏み込んだ。

午後8時に塾に到着。東中の中1社会は日本全国を駆け足で進んでいる。なにしろ九州に1限、中国四国に1限と1限で一地方を終わらせるスピード! 今までは半年かけて日本全国を終わっていたのを2週間で終わらせるという強行軍。かたや南郊中は三重県の地誌に入っている。今回の中1期末試験もまた社会が台風の目である。

高1に数学を教えている古市に、大森が全国優勝者を倒した話を伝え、俺の唯一の懸念を話す。「もしかしたらさ、大森の奴、味をしめて国体まで剣道続けたいて言うかもしれんよな」 古市が微笑みながら応じる。「そりゃ可能性大やわ。卓ももうこれで終わりやて言うて東海大会へ行ったけど、結局は国体まで剣道してたもん」 確かにそうだった。今度が最後、今度が最後と言いながらも卓は国体まで剣道を続けた。「それってホンマまいるよ、なんや大森に会うのが怖くなってきた」 本音だった。

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