れいめい塾
Gazing At " Promised Land "
2003年度 9月第1週
9月1日
2学期が始まる。といっても実力試験があるからだろう、昼過ぎからポツポツ机が埋まりだす。まだまだ夏休みの幻影を引きずっている。
9月2日
大森が関西学院大学の推薦入試に臨む。第一ラウンドは志望動機と自己評価からなるAO入試の応募書類の作成。応募する上での内申の条件は3.3以上。大森はなんと3.31。果たしてコンマ1勝負で課題をクリアできるかどうか。一次選抜となるこの応募書類からビュンビュン勝負! そんな大森に京都から代打の切り札・八木ならぬ大西君登場。時刻は午後10時をまわっている。「大森、どや。はかどってるか!」
大森の小論文にへばりつき1階の教室に篭城。3階では中学生が明日に控えた実力試験の勉強にいそしんでいる。質問を聞かなくっちゃと思うものの、今の状況じゃ大森のほうがテンパッてる。そこへ大西君、さらに授業を終えた森下が参入。大森の書いた意味不明の文章を3人がかりで解読作業?
大森の志望大学は立命館。これは高1から現代文の授業を受けている大西君の存在がひとえに大きい。しかし剣道を続けるなかで成績は下がっていき、今では主要3教科全てが偏差値50をめぐる攻防になっちまった。こんな惨状で偏差値60の立命館に臨む。きつい勝負、しかし俺は立命館で十分勝負できると踏んでいた。そこへ降って沸いたような関西学院への推薦。この話は剣道部の顧問を通して伝えられた。だからと言って絶対受かるという保証、どこにもない。俺としたらこの大切な時期に小論文の勉強なんてしてほしくはなかった。しかし大森は顧問の強力なバックアップもあり、この推薦試験を受けることに決めた。
やっかいなのは大森が社会学部志望であり、将来は社会科の教師になろうかと考えていたことだった。気楽な大森、志望動機に「僕は将来は社会科、できれば日本史の先生になりたい。そして剣道部の顧問をして〜」と書き出した。大西君が叫ぶ。「おまえ、なに考えてるねん! おまえが受けるんは商学部やろ。こんなこと書いたら教育学部へ行け!て言われるのがオチやろ」 そうなのだ、今回の推薦は商学部からのもの。教育学部や社会学部では評定平均が足らないのだ。あわてて書き直す大森・・・、長い夜になりそうだ。
この日、三重6年制4年の岡が進研模試の成績を持ってきた。これで松阪高校の千尋や津東・津高の面々の成績表ともども、各高校の平均点から高1の序列が判断する。
英語 数学 国語
津高 60.0 56.4 59.5
三重6 55.6 51.5 46.5
松阪 43.7 45.1 48.1
これらの成績を見ると三重6年制の落ち込みが激しいことがわかる。6年制に行く必然性が問われる。
9月3日
大森を車に乗せて渋滞の道を自宅に送り届ける。助手席には森下。大西君は今ごろバスマットで熟睡しているはず。タイムリミットの8時15分、なんとか到着。「大森、今日は授業中に清書しとけよ」「先生、・・・実は今日から実力試験なんです」
中2の彩加がやって来て俺に一枚の紙を見せた。実力試験だった・・・100点。「よかったよな、俺が大森の小論文にかかずらわって面倒みれへんかったのに100点! 俺の存在て何や! アホらし」 八つ当たりに違いなかった。
津高2年の野球部のNが久しぶりに姿を見せ自分の机を片付けている。塾を辞める覚悟なんだろう・・・。
Nと最後の話し合い・・・。俺の聞きたかったことはただ一点だけ。「おまえは津高野球部に入ってから今までで、いったい何を得たのか」
先輩に対する敬意などと言おうものならドツくつもりだった。じゃあ森下は先輩じゃないのか、自分たちから望んだはずの数学の塚崎、化学の横田。彼らの授業に出ることもなく、それに対する一切の理由もなかった。この夏、塚崎と横田は誰もいない教室を見渡しては姿を消したことが何度あったことか。失礼極まりない態度・・・あげく桐原2章の試験にも一切の報告もなく無断欠席。最後の最後に無残に腐った実力を後輩の前で披露してくれたら、腐っても鯛!と絶賛しただろうに・・・。
Nと過ごすどんよりとした空気をものとせず竜神(津高1年)が姿を見せる。「先生、すいません。実力試験の勉強してて塾をしばらく休みました」 そういえばここ1週間ほどこの賑やかなツラを拝んでいなかった。「進研模試返ってきてるだろ」と俺。「うん、英語がアカンかったな。でも国語と数学はまあまあ」「国語の学年順位は」「27」「数学は」「53」「そこそこいいな、で英語は」「言えへんわ、勘弁して。でもさ、全国統一模試はバッチシ!」と言って親指を突き上げた。「クラブはどやった」 竜神は付属から名プレーヤーでそこそこ名をはせている。津高の合格発表の翌日からバスケの練習に駆り出されたほどの腕前だとか。ただ、こ奴のおもしろさは将来の夢とクラブがあれば将来の夢を取ると断言しているところ。夢は歯科医。「夢の実現にクラブが障害になるんやったらクラブなんか辞めるよ」と言ったのは、津高野球部の面々が塾へ来ないのを俺が嘆いていた時だった。慰めるつもりだったのかもしれない。ただ、最近になってウチの塾に密航してきた奴からウチの生え抜き以上のテンションを見せ付けられて複雑な気持ちになったのを覚えている。「前の大会は妹連れて行くつもりだったけどな、今度こそ津高のバスケ部のお手並み拝見としゃれこむよ。成績はどやった」「ベスト8」「次の大会は」「目標はベスト4かな」
「いったい何を得た」 何度もしつこくたずねるこの質問に、唇はかすかに震えるものの、結局Nは視線を四方八方に漂わせながら無言のままで時間が過ぎた。うやむやなまま、最後の話し合いは終わった。自分の荷物、自分の出したゴミは完璧に処理するように伝え、最後に言った。「一生会うつもりはない。金輪際塾には顔を見せるな」
俺はNを振り向かずに階段を下りた。1階では大森のヘタクソな小論文が待っているはずだ。
大森が津西に入学した当初、こと剣道では無名高といってよかった。ただ「いい先生が赴任してくるので・・・」とだけ大森は言った。新入生で小学校から剣道をやっていたのは大森を除けば一人しかいなかった。選手層の薄いこともあり、大森はさっそくレギュラーに抜擢。そして迎えた初めての県大会、津西剣道部はからくもベスト16に滑り込んだ。しかし以後、着実に実績を伸ばし、大森が高2の秋にはクジ運に恵まれていたとはいえ県大会で準優勝に輝いた。そして今年は前評判も高く名実ともに優勝を狙えるチームとなって大会に出場、惜しくも三重高に敗れ、大森の最後の年は準優勝で幕を閉じた。団体戦である以上、大森一人の力では準優勝になれるはずがない。皆が切磋琢磨しここまで来たはずなのだ。大森もまた西郊中のキャプテン時代は自分には厳しいものの、こと指導者としては同輩や後輩には甘かった。たぶんいい先輩を気取っていたんだろう。そんな大森が津西では副キャプテンとして自分以外に対しても厳しく接したはずなのだ。大森は高校剣道でとてつもなく大きなものを得た。進学校でクラブ活動を続けること・・・勉強以上に大切なものを手につかむことで成就する、そうでなければやる価値はない。
1階では苦渋をなめるような表情で大森の原稿を眺める大西君と森下がいた。昨日からの残骸、缶ビールとツマミの散乱した机に座った。再びくさび形文字の解読作業が始まった。
深夜に大森の携帯が鳴る。関西学院の松原・姉からだ。商学部の友達からいろいろと情報を聞き込んでくれているはずだった。想像上で大学への夢を語るのでは説得力に欠ける。ここは是がひにでも学内の真摯な声に耳を傾けてみたかった。大森が情報を受け取り、大森と大西君と森下と俺の話し合いのなかで新しい疑念が生じるや再び松原の携帯を鳴らす。松原は再び友達に連絡、そして得た情報を大森へと繋ぐ。こんな携帯でのやり取りがゆうに1時間を越えていく。松原にとれば大森は塾の後輩であるというだけで直接的なつながりはない。それでも彼女は奮闘してくれる。ウチの塾特有の暑苦しい上下関係・・・。今年もまた先輩が後輩のために走り回る総力戦が始まった。その実感がNのことで傷ついた俺の心を癒してくれそうだった。
9月4日
いつしか眠っていた。大森に揺り動かされた、バスマットから身を起こす。時刻は午前7時。大西君が言った。「先生、最後の添削お願いします」
午後7時30分、中3の全県模試が始まった。例年なら、これがウチの夏期講習のフィナーレとなるはずだった。しかし突如参入の大森の小論文が延長戦のゴングを打ち鳴らす! まだまだ一日と一日の境がない毎日が続いていく。
9月5日
大森の小論文は高校の先生方のチェックを通過、無事明日発送にまでこぎつけた。あとは今月末に控えた小論文試験に向けて対策を練ることになる。大森の日本史の知識はほとんど役に立たない。とりあえずは政治経済の参考書で経済分野の勉強を始める。そして行きがかり上アナリストを目指すことになった大森のため、森下がビデオを借りてくる。NHKで放映されたプロジェクト・エックスからの2本。ひとつはソニーのベータに勝ち日本人初の世界標準を成し遂げたビクターのVHS事業部の話、もうひとつが本田総一郎。深夜1時からビデオ鑑賞会の開催。大森のアナリストへの道が始まった。
中2は夏休み明けの試験休みと思い込んだのか塾に来たのはたった二人だけ。そのなかの一人、彩加相手に英語の接続詞と中3の乗法公式の確認テスト。できれば9月中に因数分解と平方根は終わりたい。なんで来んねん!
中3はブーちゃんの地方自治の授業。これで政治分野で残すところは裁判所だけ。来週あたりから政治分野に入り、そのときには大森を中3の授業に組み入れよう。
大森がビデオを見ている時間、隣の教室では直嗣(津西3年)が中塚(三重大学医学部3年)に物理を教えてもらっている。パソコンの部屋には怜美(伊勢女子3年)が、そして階段の踊り場では智早(津東3年)が勉強している。時刻は2時をゆうに過ぎている。中3の絵梨香を送っていくときに1階の教室をのぞく。そこには寺沢(三重高3年)と拓也(高田U類3年)が勉強している。たぶん古い塾では菊山(津高3年)も・・・。そういえば今日の昼に綾奈(高田6年制)が言ってたっけ。「どういうふうに言えば両親に午前3時頃まで勉強することを許してもらえるんでしょうか」 俺の返答はすげないもの。「どこの家にも家訓めいたものがある。それをおしても午前3時まで勉強やらかしたいんなら誠意を込めて親父さんを説得するしかないな」 風向きが変わった・・・ウチの高3、そこそこ受験生らしい風貌になってきたやん。
今井(立教大学3年)が見事な坊主頭で颯爽と登場。「じゃあ先生、明日から行ってきます」 今井の四国巡礼の旅は近鉄・JRを乗り継ぎ、神戸の舞子ビラから高速バスで四国に入るコースだとか。舞子ビラからだと所要時間1時間半ほどで鳴門市到着。JR鳴門線で板東へ。第一札所の霊山寺から今井の精神的な就職活動がスタートする。
9月6日
朝起きると中3の遥香が勉強している。何をやっているのかの覗き込むと歴史の昭和史を覚えている。これは中3の9月の課題ではあるが、遥香の場合は内申をあげるのが急務。すかさず因数分解と公民の内閣の確認テストめいたものを行う。今は何も考えずに10月中旬の中間試験をひたすらに見据え勉強すべきなのだ。
中3の出席率が悪い。全県模試が終わったんで安堵しちまったのか。アキちゃんがウチの掲示板に書いていた。「受験生は夏が天王山? 毎日が天王山やろ!」 中3であれ高3であれ、受験生に変わりはない。1日24時間もまた同じ、今の中3に欲しいのはこの感覚・・・毎日が天王山なのだ。
トップページに戻る
|