2003年度2月 第四週 2月23日 越知の姉ちゃんの結婚式。俺は二次会参加のみ。姉ちゃんの中学時代の友達が迎えに来てくれるはいいが、風呂に入っていたため少々遅刻。車に駆けこむや3人の女性が迎えてくれる。しかし笑顔はなし。遅刻したことネタに、初対面もかまうことなくボロクソに罵られる。「もっと早く来なあかんわ!ベートーベン!」 ベートーベンって俺のこと? 「私は受け付けやることになってるんやから、遅刻したらベートーベンのせいやから! 塾の前の飲み屋で奢ってや!」 越知の姉ちゃんは中学の時に番を張っていたとかで、そのすさまじさたるや弟の超知が中学に入学するに際し、あいつの弟が入学してくるとかでケンケンガクガク。誰が弟の担任をするかで職員会議が開かれたとか。ゆえに今日の結婚式も出席者も、姉ちゃんのダチで一杯。もとヤンキー&ヤンネー、今もヤンキー・ヤンネー?風の同窓会もどき。 新郎さん、社会福祉施設に勤めるネ明の青年。なんと4歳下とのこと。越知が言うには「泰と似てますよ」 この新郎さんの上司、それも新郎さんが尊敬している課長さんが、なんと古西兄弟の親父。いやあ世間は狭い。結婚式だけで引き上げようとしていたらしいが、越知が「塾頭も来ますから」のアシストで二次会にも出席。ひとしきり兄貴(名古屋大学1年)の悪口を語り尽くした(笑)。 結婚式と二次会、ともに姉ちゃんが荒れた三年間を過ごした中学時代に担任を務めた先生が出席。今は教職から足を洗い津駅西口で花屋さんを経営しているとか。花嫁に向かって「オマエのせいで中学を辞めたんやぞ」と本気ともつかぬジョークも飛び交う。かつての悪たれ達を前にしてたれたコメントには笑ってしまった。「ヤンキーの子供の親に限ってな、昔は素直でイイ子だったんですよって言うんや」 しこたま酔っ払い、越知のお母さんの運転する車で、越知ともども古い塾へ。午後9時30分、国公立受験生の送り出しが始まる。 佑輔へ・・・。ちょうど1年前、オマエは東京工業大学で写真を撮った。その記念写真は最近になって出てきた。できればこの写真を机の前に貼って・・・との目論みはウチの塾の汚さの前にあえなく費える。ビハインドがあろうと、1年前心に決めた大学で勝負できる。これに勝る幸運はない。確かにウチの塾がここ2年間叩きのめされた大学だ。しかし憧れの大学で勝負できる。受験に華がある。頑張ってほしい。 花衣へ・・・。1年前にウチに塾に戻ってきたものの、高校受験とは段違いの違和感に戸惑ったはず。獣医学科を1年で攻略できるとは夢のまた夢。ただ、高1と高2、津西特有の和みの季節のアカを取るのに費やされた半年。土壇場となって徐々に大学受験が分かってきたところへセンター。結局は最も避けたい看護で勝負する羽目となった。しかし獣医学科に固執するならここは合格すべき局面。県立看護程度でこけていては来年が見えてくるはずがない。頑張ってほしい。 橋本へ・・・。三重大学にビハインド82を挽回して合格したとしても、したいことがないと言ってたっけ。じゃあ浪人すればいい。かつて岡田さんがやったような浪人。大学に行きながらの仮面浪人。人と群れるのが嫌いなオマエの性格なら可能性がある。物理と数学はほぼ完成している。あとは化学と英語をみっちりすりゃ勝負できる。そのためには三重大学で決めてくるのが条件。頑張ってほしい。 佳子へ・・・。ウチの塾の生き字引として12年。越知が大学受験を目指して勉強していた頃、古い塾の1階で俺の親父の授業を嫌そうな顔で聞いていた。三重大学医学部看護学科は国語が勝負だが、大西君の授業を最も長く聞いてきたはず。少なくともつけ刃的な実力で受験に臨む連中よりは実力があるはず。頑張ってほしい。 健太へ・・・。後期日程にどこを受けるか?と携帯越しに聞こえてきたアンタの焦燥、痛いほど分かった。高校受験でいい目をしている以上、落ちることに免疫ができてない以上、これもまた人生。自分が否定されるという事実と真正面から向かい合ってほしい。ともに勉強してきた橋本や卓にとっては既に3年前に経験した道。二次試験の直前に近畿にこけて戸惑うのも愛嬌とはいえ、やはりここは本命の岐阜に勝負をかけるしかない。頑張ってほしい。 卓へ・・・。三重大学の結果がどうであろうと後期の名古屋大学で勝負するとは言うけれど、ここは合格してこその名古屋だろう。いっしょに化学を受けているN先生からも激励のメールをもらった。人の視線を肌に感じて勝負に行ける、人の期待を背負って勝負に行ける・・・僥倖としか言い様がない。剣道漬けの生活から足を洗って半年、よくここまで来た。名古屋大学後期日程・・・華がある。頑張ってほしい。 2月24日 佑輔から塾に連絡、慶応に落ちたとか。受話器を取ったのは卓。佑輔の雰囲気は分からない。ただ、あ奴が三田の慶応大学にまで足を運んで自分の目で合格発表を見たことが嬉しい。去年の古西といい佑輔といい、慶応大学には相性が悪い。俺が慶応を嫌っているから? 仁志がやって来た。「いつ帰ってきたんや」「今日」「いつまでおるねん」「明日帰ります」「なんやそれ」「ボランティアみたいな大学の執行委員に立候補して、その会合があるんですよ」「そりゃいいね、オマエさんシニカルやから性格を根本的に変えなくっちゃ」 そこへ黒田君が加わる。「いやあ、今日が送りだしかと思ったんですけど昨日だったとかで」「うん、佑輔や健太が今日試験地に出発やったからね。どうでっか、国家試験の展望は」「よくないですよね。覚えても覚えても次から次へと抜けていく感じがして・・・」「高橋君もスランプみたいやしな」「直樹さんは昨日?」「うん、来てくれたけどね。今までのような強気のコメントが影を潜めてた。今の気分かな」 昨夜の送り出し、高橋君は言った。「僕も3月15日に医師国家試験を控えた受験生でもあります。今夜は受験生の諸君の心意気、熱さ、気迫といった受験生としての”何か”に触れたくてやって来ました」 「直樹さん、今夜は弟さんの激励にいってくるって・・・」「やっぱ、受験生の弟に”元気”をもらいにいったんかな」 深夜、直嗣と菊山を送って午前4時前。酔っぱらい運転のおんぼろエスティマは県立看護大学に・・・。立て看板や受験番号の掲示など、明日の準備は整ったよう。今度は三重大学を目指して東へ車を走らせる。卓の親父さんが経営するサンクスに車を止める。姉ちゃんの舞がいたらからかってやろうと車を降りる。ガラス越しに小田君、マンガ本の立ち読み。ええんかいな・・・国家試験まであと17日。 午前5時、立て看板・受験番号掲示・・・受験の匂いがプンプンする三重大学構内を千鳥足で歩く。数時間後には、これからの4年間を賭け、佳子が、橋本が、卓が、そして幾多の受験生の勝負が始まる。 2月25日 試験が終わり三重大学構内で落ち合った卓に、橋本がささやいたとか・・・「明日から遊ぼう〜っと」 卓が塾で試験の見直し。憤然とした表情で吐き捨てる。「この三重大学の物理の問題は絶対に変ですよ!」 3番の単位の証明・・・しかし文句を言っても始まらない。 午後5時頃に健太に電話。「どやった?」「物理は簡単だったんですが数学が・・・」「三重大と逆やな」「卓や橋本はどうでした?」「なんやメチャクチャな問題が出たとかで怒り狂っとるわ」 高橋君が言う。「三重大学の物理の問題は難しいですよ。見たこともない問題がニ問ありましたね。それに対して化学は簡単でした。きちんと勉強している奴ならほぼ全問うめれますよ。生物は知らないんですが・・・」「生物も簡単やったらしいわ。これで橋本が窮地に立つよな」「なんでですか」「生物資源やから物理で受けた生徒よりは生物や化学で受けた生徒が多いやん」「なるほど・・・」「点数調整するかな」「どうでしょうかねえ」 晴れて受験生終了の橋本、明日から卓と名古屋大学の数学の問題を解くとか・・・。 東京では佑輔の東京工業大学の二次試験の一日目が終了しているはず。しかし明日がある以上、連絡しにくい。 今日は中井が九州から帰ってきているはず。噂によれば3月7日からオーストラリア1年間の留学だとか。 2月26日 健太との話し合い。ポイントは後期日程をどうすべきか? 3月2日に関西大学を受けることは決定済み。あとは鈴鹿医療化学が6日、岐阜大の発表が7日、そして近畿大学が8日と9日いずれか一日。最後に岐阜に落ちた場合は三重大学の後期試験が12日。関西は受けるとして鈴鹿は厳しい。今年の鈴鹿はあすか・佳子・健太と軒並みやられた。時代が時代、男女ともに専門職志行が急激に鈴鹿のレベルを押し上げた。ここの後期はきつい。ここはピンポイントで攻略しやすい大学を狙うほうが賢明じゃないか・・・近畿大学。塾の傾向があるのかないのか・・・ウチの塾は慶応に関してはからっきし、しかし早稲田は結構いる。今年なら近畿大学に橋本と大輔が合格を決めている。健太も橋本と大輔と切磋琢磨しながら今までを過ごしてきた。近畿に絞ろう・・・。 舞の担当教官である植村助教授から電話をいただく。舞たち教育学部の学生がこれから2年間かけて製作する予定の教育ソフトをウチの塾の生徒たちで試したいとのこと。三重大学なら付属中学で実施となるところだが、手続きが猥雑だとか。さっそく植村教授、舞の運転で塾に姿を見せる。舞の他に男子学生2名、計3名が塾の本棚で参考書を吟味。これをベースに中2の数学・理科1分野・理科2分野の教育ソフトをつくり、ウチの生徒達が実際にそのソフトで学習し感想をまとめるらしい。 ただでさえ大学生がたむろするウチの塾に、さらに2名追加となる次第。 佑輔から連絡、「先生、早稲田受かりました」「そうか、これで残ったんは東工大やな。どや?」「なかなかいい調子でしたよ」「そりゃ良かった、早稲田の数学が60点中12点と聞いたときは早稲田アカンと思たけど、それよりは良かったわけや」「ハハハ、ほんとうになぜ合格したんでしょうね」「多分、英語やろ」「・・・僕もそう思います」「やっと終わったな・・・佑輔」「ええ・・・先生」「なんや」「・・・本当に今までお世話になりました」 佑輔が大輔に誘なわれ、ウチの塾のドアを開けた日から4年が経つ。今日、ひとつの仕事が終わった。 昨日で受験が終了した橋本、昨日の今日なのにあてどなく塾の内外をさまよっているそうな。古い塾に電話すると卓が出る。「橋本は?」「今、GIGA(ブックオフ)に行ってます」「暇そうやなくてホンマに暇なんやな! 帰ってきたら新しい塾で後輩を教えろって言っといてや」 来週から高校の期末試験が始まる。国語と英語はともかく、橋本の数学と物理は一級品。期末対策レベルなら十分いける。 橋本が香(三重高B)を教えているところへ大輔登場。「暇そうやな」 俺の皮肉を「いやいや、毎日ゲーム三昧で」と柔和な笑みでかわす。「下宿は」「発表の次の日に決めてきたよ」「なんぼや」「8.6畳で光熱費やら全て含めて5万円」「やっぱ田舎や、安いで」 近畿大学理工学部は和歌山市の東の郊外にある。「築5年で新しいし・・・」「もういいもういい、近いうちに遊びに行くから付近の飲み屋だけリサーチしとけや」 平成15年度・公立高校倍率がテレビでオンエア。 津高 定員400人に507人が応募。 津西 定員400人に590人が応募。 津東 定員360人に496人が応募。 高田U類と鈴鹿V類が大盤振る舞い。その結果、津西に受験生が集中している。津東と津西の狭間で佇んでいる生徒にとり、高田U類合格は津西勝負での錦の御旗となってきた。今年もまた多くの生徒が落ちる・・・。 2月27日 橋本と健太を呼び出し、”与太話”でメシを食らう。全てを終え結果を待つ橋本、後期日程にもつれ込んだ健太、俺の話が噛み合わない。 斉藤から電話、「早稲田に合格させたわりにはテンション低い声やな」 聞けば赤福にエントリーシートを出したとか・・・卒業できるんかいな? 佑輔が姿を見せる。「先生、連絡が遅れてすいませんでした」「まいったよ、オマエの早稲田合格のネタは健太からや。後期日程で受ける大学を選別している時にヒョコッと出た。嬉しいけど健太の手前、素直に感情は出せねえしな」「あれはね、東工大の二日目の朝にホテルで朝食食べてたんですよ。東工大のことを考えて集中してたんですよ。そこへ母親から電話があって早稲田受かったよって。集中力が途切れるって怒ったんですけど・・・それで昼の休み時間、これから最難関の化学や!って集中してたんですよ。すると健太から早稲田どうだった?って。先生には東工大の試験が全て終わってから報告しようと思ってたんですけどね」 そこへ直嗣が「佑輔君、数学教えてよ」とやって来る。 直嗣は一応理科系。しかし最近弱気が目立つ。物理と化学に自信が持てない。高3のカリキュラムは理系で出したらしいが、やっぱり文系に変えたいと担任に泣きついたが今からでは無理だとのこと。しかし文系にしても高校受験で最大のネックだった国語が控えている。理系で物理&化学、文系で国語。どちらに転ぼうが直嗣にとっちゃ、どっちも地獄。 佑輔の初めて見る神妙な顔つき。「僕が真剣に勉強しようと思ったのは山本先輩が早稲田に落ちた時ですよ」「ララ森永か?」「ええ、あの東京ツアーは僕にとって・・・」 言葉が途切れた。「身体を張って・・・」 佑輔の言葉はいつもと違う。吸い込まれていきそうな声。「山本先輩は僕達といっしょに東京まで来て、僕達の前で落ちた・・・僕達に身体を張って受験の怖さを教えてくれました・・・」 ちょうど1年前の今日、俺はおんぼろエスティマに高2の佑輔・橋本・卓、そしてアキちゃんを乗せて東京を目指した。JR田町の”ララ森永”の2階、ソファー左の窓から東京の雑踏が見えた。早稲田大学第一文学部発表・・・携帯を耳にあてていたアキちゃんの身体が崩れた。 「あの一瞬、僕は大学受験の怖さ、自分の甘さを知りました。あの日からです・・・僕が本格的に勉強を始めたのは」「それ聞いたらアキちゃん、きっと喜んでくれる」「先生、山本先輩は・・・」「去年と同じく第一文学部と理工の同時発表や・・・どうなったんやろな」 深夜2時を過ぎて甚ちゃん登場。ひとしきり高校受験の倍率の話で盛上がる。しかしいつしか寝逃げの俺。「先生、お休みなさい」と甚ちゃん退場、俺はさっそくベッドにもぐり込む。直嗣に起こされたのは5時頃か。田舎道を走るエスティマの中は酒くさい。やっとの思いで塾に到着、今度こそと思うところへ沙耶加が姿を見せる。午前5時30分、今日からウチの塾の中3は朝型へシフトするらしい。つまりは一日と一日の境目の消失・・・これから3月12日まで長い長い一日が始まる。 |