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2003年3月19日

れいめい塾17期生・公立高校合格発表


 9期生の斎藤太郎(北海道大学)が赤福の就職試験を20日に控え、公立高校合格発表に参加のため18日に帰省。その斎藤を名古屋空港まで迎えにいったのが斎藤より5歳上の4期生・上野征希(カイロプラクター見習)、斎藤を車に乗せてから一路名古屋の市街を走りぬけ、12期生の古西(名古屋大学)を粗大ゴミよろしく車に詰め込み塾に戻る。
 発表前日、合否のことを考えつつ血便が出ちまう俺。最近は体験入学の生徒さんが目立つ。いつもの調子でブラッと出て行くわけにはいかない。森下と斎藤に「コーラ買わなアカンな」とネタを振るとすかさず斎藤、「それは俺達に買いに行け!ってことか」「さすが就職試験を受けようって奴だよな。まあ強制的じゃないが消極的な強制ってとこで」 俺から1万円をむしり取り姿を消す。まがい物コーラ1ケース24本を6ケース、計144本が姿を現す。さらにビールを買い込んで戻ってきやがる。おつりは小銭、集めても百円にも満たない。俺は去年の津高合格発表のビデオを引っ張り出しちらほらいる塾生に見せながら内心の怯えを隠そうとしている。
  夜になり、前日で医学部国家試験を終了した小田・黒田がさっぱりした顔で挨拶に。「先生、やっと終わりました」「出来は?」「いやあ、今年は難しかったですよ・・・分からないなあ」 小田はビールを4本飲み干し、黒田は運転があるからと固辞しながら夜がふけていく。深夜となり征希・古西・森下・古市舞(三重大学)とでトランプの最高峰と呼ばれるナポレオンが始まる。「早く眠りてえ!」と連呼する斎藤をなだめるようにマージャンが始まる。寝逃げや!と叱咤されようとも翌日のことを考えベッドに潜り込む俺、午前5時。
 同時刻の午前5時、村瀬(横浜市立大学)は久居から遠く離れた横浜の下宿で目覚める。始発の新幹線に乗り込み、目指すは津高合格発表会場・・・。
 午前8時、奥さんからの電話で起こされる。教室内では依然としてマージャンが続いている。午後9時となり行動開始。コーラ2ケースは津東。征希の車に積み込まれる。東高校へは那里が志望している。新体操三重県3位の那里にとって東高校は有名な新体操の先生がいるとかで憧れの高校。今日の合格発表の風景がこれからの那里の1年間を決定するやもしれぬ。いや、絶対にそうであってほしい。
征希の車に那里とめいが乗り込み出発。津東への高校生の応援は、津西2年の直嗣と大森が駆けつける予定。そして津高には津高OBの太郎が俺の助手席に、そしてお騒がせ女子の花衣(津西国際3年・県立看護)と小西(立命館アジア太平洋=塾内隠語ではアジ平)と佳子(津西3年・未定)とあすか(津西国際3年・浪人決定)が後部座席に乗り込む。森下の車へは古西と近畿大学に合格した大輔(津高3年)が乗り込む。そして俺達の出発と同時に古市舞(三重大学)の車がやっとこさ登場。この車にれいと絵梨香が乗り込む。
 津高一番乗りは裏道をうまく使った俺の車、と思いきや近畿大学最難関・遺伝子工学に合格を決めた橋本(高田U類3年)が自転車で到着している。そこへ森下、古市の車が到着。古市の車からは弟の卓(高田U類3年)が降りてくる。卓は3年前、この会場で津高に落ちて男泣きをした。横に寄り添い、これまた泣いていたのは紀平(9期生・当時南山大学、現在ヤマハ発動機勤務)だった。「卓、あれから3年やな」「ええ、そうですね!」 卓は晴れやかな顔で応じた。あの時の自信が喪失した卓はどこにもいなかった。立命館を攻略、この22日に名古屋大学後期試験の発表を控えた卓がそこにいた。憧れの高校に落ちながらも3年間、剣道と勉強を両立しながら努力してきた。あげく剣道ではインターハイと国体に出場。そして大学入試でも思い残すことはないと俺に言い切った。志望高校に合格し楽しい高校生活に埋没していく生徒もいる。逆に卓のように2人分もの3年間を疾走してきた生徒もいる。高校の3年間、そしてウチの塾で過ごした3年間で卓は大人になった。
さらに早稲田大学合格を決めた佑輔(津高3年)、なんとその横には横浜からジャスト・イン・タイム!で来襲の村瀬。「よく間に合ったな」「先生、お久しぶりです。津高は全員受かると聞いてるんですけどね」「まあな、でも勝負は分からない。アンタの去年のセンターといっしょや」 苦笑しきりの村瀬、唐突に背後から「先生!」 振り向けばアキちゃんこと山本明徳。久居高校初の快挙!早稲田合格を決めた13期生のアキが笑っている。「なんや、妹心配で来やがったか」「ははは、まあ・・・」「オマエんとこの愛は大丈夫さ。なにせ全県模試と三進連で県順位1位や」 喧騒が一挙に舞い上がる。合格発表のボードを持った津高の先生方が登場、一斉に走り寄る中3の制服の人だかり。ウチの受験生の姿は見えない。この人ごみのどこかにいる。発表場所の最前列にいる面々、よく見ればウチの生徒ばかり。古西や大輔、いつのまにか健太(津高3年未定)もいる。そして古市に斎藤、森下など。カメラやビデオを手にしたマスコミの記者たちが最前列にフォーカスを向けるものの躊躇して他の方向へと・・・。そりゃそうだ、全然中3らしくない。これじゃ絵にならねえ。あげく古西が最前列のぽっかり開いた空間を指差し「先生、ここにロイヤルシートがございます」
 午前10時2分、合格者の番号が書かれたボードが1本1本と掲げられていく。叫び声があがる。歓喜の咆哮、悲鳴、絶叫。223・・・沙耶加だ。古西が叫ぶ、「あった!」 そして舞が指差す、まだ掲げられてないボードだ。「先生、ある!317番!」 俺は人ごみを掻き分けて輪の外へ出る。古西と目が合う。「やったな!」と俺。「全員合格や!」と古西。「ところでオマエ、愛の番号見た?」「見てないよ」「なんや」「先生もやろ」「ああ。愛が落ちるはずねえよな」
 沙耶加はこの1年間、何度も何度も泣いた。一人っ子特有の依存性が気になっていた。もっともっとタフになってほしかった。俺は愛情ある無視を決め込んだ。
 有加里は芯が強い女の子だった。泣くのをこらえてじっと俺を見る。社会の暗記に壊滅的なダメージを負っていた。試験直前1週間で全国入試問題の社会を北海道から沖縄までするように指示した。試験2日前、沖縄まで辿り着いた。

 森下が車からコーラ4ケースを降ろしている。運んでいるのは佑輔と大輔。俺は1本だけ受け取る。携帯片手に親御さんにだろ、合格を報告している制服姿の男の子。合格発表の風景もここ数年激変した。報告が終わった少年と目が合う。「おめでとう」と俺。「ありがとうございます」と見知らぬ少年。合格すると皆が神様になる。背後で叫び声があがる。沙耶加が先輩連中からコーラをかけられている。俺は車のエンジンをかけた。外に出て沙耶加に近づき抱きしめる。「よかったな」 頷いた沙耶加の頭をヘッドロックにかかえ、なけなしのコーラを頭からかける。絶叫! それをBGMに俺は車に乗り込み津インターに急ぐ。携帯が鳴る、征希だ! 「先生、Yちゃんだけ・・・」「落ちたか」「・・・うん。先生はこれから?」「俺は今から松阪や。美紀の松阪商業までぶっ飛ばす」 嬉野を過ぎたあたりで携帯が鳴る。森下だ! 「どうした」「あのさ、コーラが開明学院のチラシ配りのバイト学生さんの車にかかってさ」「バカ野郎、あれほど他に迷惑かけるなと言ってあったのに」「皆で謝って一応は収まったんやけど」「分かった、後で俺からも電話入れるよ」

 ケーキ投げ大会やコーラかけなど、普通の人から見れば突拍子もないことをウチの塾はしでかしてきた。そこには当然眉をひそめる人々がいる。ゆえにルールがある。それは絶対に人に迷惑をかけないこと。このルールを堅持することで他者から暖かいとまでは言わないけれど、愛情ある無視を引き出す。2年前、津高の校内でコーラかけを始めたことから苦情が寄せられた、津高の副校長からである。「校内では辞めていただきたい」 俺はこんな時は必死になって謝る、ひたすら謝る。根競べだと考えている。「まあコーラをかけたいという気持ちは分かります。・・・だから校内では困るが校外なら目をつぶります」 こうして譲歩を引き出す。悪気はない、必死になって謝る俺にウソはない。そんな俺の態度が結果的に譲歩を引き出したんだと解釈している。俺は今までこんなふうに生きてきた。そんな俺が率いるウチの生徒たち、まだまだ自分たちの主観と客観を識別できない。これこそが俺の指導者としての落ち度である。 

 去年の津東合格発表、コーラかけ聖歌隊の責任者は中井(立命館アジア太平洋)だった。その中井、今やオーストラリア留学中。中井に代わる今年の責任者は社会人の征希。合格した由子と千沙と亜美を迷惑のかからない、コーラのかからない場所まで移動してコーラをかけまくる。サポートはあすかチャンと津西から駆けつけた大森。絶叫!そして歓喜!

 やっと辿り着いた松阪商業、時刻は午前10時32分。しかし静寂が支配している。受験生が誰一人いない合格掲示板に駆け寄る。1001番・・・探すまでもない、最初の番号だ。何度も何度も見る。高校の先生が近づく。「娘さん合格されてましたら手続きをお願いします」「いや、娘には内緒で来たもので」 先生の顔がほころぶ。俺は車の戻り乗り込むものの、もう一度不安にかられて掲示板に舞い戻る。確かに1001番・・・確かに1001番。

 美紀は2月の推薦入試で落ちていた。ゆえにどうしても通したかった。美紀がウチの塾に入った時は5教科で200点にも満たない点数だった。それが1年間よく頑張り436点を取るようにまでなった。しかし内申に変化はなかった。美紀はおとなしい。積極的に授業に参加するタイプじゃなかった。たぶん原因はそのあたりだろう。推薦入試直前は作文と漢字、あとは面接の練習を徹底的にやった。推薦に落ちて自暴自棄になり家に引きこもりがちな日々を過ごした後、塾に復帰した時は試験までひと月を切っていた。去年の問題では100点取るのが精一杯、それから全国の理科と社会の入試問題を徹底的にさせた。記述問題が勝負の趨勢を握るはずだった。試験直前には4年前の三重県の入試問題で145点を取った。土壇場でなんとか以前の状態に戻った。

 大学進学の意思のない美紀にとって高校入試は人生最初で最後の試験である。いつの日にか、母親になる。そして子供に勉強しろと言うだろう。その時に子供に自信を持って「勉強しろ」と言えるような大人になってほしかった。自分ができなかったことを子供に押し付けるバカな親にはなってほしくなかった。普通科を受ける生徒以上に必死に勉強してほしかった。美紀にとってのこの1年間は、高校を決めるうえだけでなく、将来母親として子供と対峙する自覚を築くうえで重要であった。正直、津高で沙耶加と有加里が合格したら、一番手こずった二人が合格したら、俺は泣くだろうなという予感はあった。しかし泣かなかった。美紀の受験番号を卓の携帯に連絡して確認、1001番を確認した後で松阪商業横の建設途中の道に車を止めた。視界がぼやけた。目頭が熱くなった。嬉し涙だった。

 午後7時半開始がウチの塾のルーズさを十分発揮して今回も午後8時から合格発表恒例のカラオケ大会が始まった。予算は5万円、部屋代がパラダイスの5号、30人部屋だ。時間5千円、3時間頼んだが今年も1時間延長となる。これで2万円。やっかいなのはジュース代だ。一人350円で50人くらいが参加している。大学生は当然酒を飲む。俺も飲む。これも大きい。結局飲み代で3万円をめぐる攻防だ。さらに5号だけでは人は溢れ、もうひと部屋借りることになる。
 大輔のあまりの歌のうまさに驚嘆、そして嫉妬。すかさず古西に合図を送って潰しに行く。ステージから引きずり下ろし関節技に。しかしさすが高3、力だけはある。俺のチキンウィングフェースロックを腕力ではずし脱出。立ち技へと移行。蹴りがくる。さばきは直嗣(寛水流空手の全国大会優勝者)との戦いでそこそこ会得しているつもりが、骨と骨が交錯。俺の左足の親指が動かない、踏ん張れない。曲が終われば1Rが終了、ボロボロになって横たわる。俺が「ジュリアは傷心」を歌うと大学生と新大学生が大乱闘。古西に立ち向かう村瀬とアキちゃん、そこへ佑輔と大輔が背後から急襲。さらに卓と橋本が混戦に拍車をかける。残念ながら踏んばれない。俺は指を加えて、いやマイクを持って見ているだけ。あげく細身の森下、よせばいいのに巨漢の橋本とサシで勝負。無謀! もっと悲惨なのはアキちゃん、早稲田合格もあって皆から祝福の熱い熱いキックの嵐でボコボコにされ、粗大ゴミのようにほおり出されている。そのマグニチュードたるや、ポケットの携帯電話が真っ二つに破壊されたほど!

 今日の津高の一件でかわいそうなのは甚ちゃん、上司からウチの塾生の態度に雷を落とされたそうな。その甚ちゃんがカラオケ大会の終盤に来襲。甚ちゃんの露払いを勤める俺は定番の尾崎豊の「卒業」。そしてトリの甚ちゃんには俺からのリクエスト、「バッド・コミュニケーション」で絞め。

 カラオケ大会は深夜0時30分に撤収。俺は飲みなおそうとコンビニで酒を買い込んで塾に戻ると所在なさげにたたずむ高橋君。「どないしたん」「いやあ、甚ちゃんがコーラかけの件で大学生に説教モードです」

 医師国家試験終了までご法度だったマージャンが遂に解禁。高橋君、一生の頼みだと言わんばかりに「実は今日中に実家に帰ると母親には約束したんですが、朝食までに着けばいいですから・・・」 全てまで言わさず、森下と古西がマージャン卓の設営にとりかかる。 

 翌日、俺と森下は整形外科へ。1年前のことを覚えているのか、ドクターは「今回は何をやってこんなになったんですか」 1年前のカラオケ大会、大輔と佑輔のダブルインパクトを受けて骨折。その時の手術で手首に埋め込まれたボルトは今も俺の身体のなかにある。
 左足の親指周辺の腫れがひどい。それでも昨夜、高橋君にファミマの袋に氷を詰め込み応急処置をしてくれたのに・・・。「レントゲンを撮りましょう」 そのレントゲンを見ながら「腫れを見たときは骨までいってるかなと思ったんですがね・・・なんとか無事なようですね」
 さて森下の方はというと、俺同様になんとか骨までいかれてなかったものの、診察室から松葉杖をつけての登場!

 今年も大学生が大挙して合格発表会場に駆けつけてくれた。別に俺が強制しているわけでもない。高校受験、大学受験、就職試験数々あれど、ウチの塾生は老いも若きも高校入試を特別視している。神聖化といってもいいかもしれない。やはり生まれて初めて受けた試験だけに感慨深いのかもしれぬ。また、何度も何度も受けられる私立大学入試とは違い、みんなで受ける公立入試はこの日一日だけのもの。この一瞬のためにウチで過ごした中3の1年間がある。ゆえにウチの塾生はどこで生活していようと公立入試には全国から集まってくる。かつて自分の身体を渦巻いた興奮・不安・高揚・恐怖を擬似体験しようとして・・・。

そんなウチの生徒が、俺はとてもいとおしい。俺達は家族だ。

追伸
 今日の中日新聞の三重版に津高の合格発表の写真があり、そこに佳子、その向こうにおでこが目立つ娘のれい、その向こうに俺が写っています。

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