れいめい塾
Gazing
At " Promised Land "
2003年度 7月第四週
7月20日
デンちゃんが大阪から持参した中3のテスト、今回は二次方程式。灘や洛南、東大寺など関西の難関私立の問題が並ぶ。
規則性の問題はなんとかしのぐものの、媒介変数のからんだ一次関数で中3総崩れ。いつもならむかつくセリフを吐くデンちゃん、今年の中3の貧困な実力に優しい先生に変身してるよ。
7月21日
津高野球部の初陣。朝方まで飲んでいた森下、伸びをしながら「じゃあ先生、行ってくるよ」「ああ、今日は野球部連中の予想では楽勝らしいから俺は行かへん。まあ小学生もおるしな。万が一試合がやばそうなときには連絡してくれや」
小学生を教える合間に森下の携帯に連絡。声援でよく聞き取れない会話ながら、津高は1回裏にあっさりと3点取って先制。しかし中盤に2点差につめよられ、流れが四日市西に傾いているという。
以下、森下からのメール・・・。
10時56分「八回表、依然3対2.四日市西攻撃中」 11時22分「9回ノーアウト・ランナー1・3塁」 11時24分「9回ノーアウト満塁」 11時26分「九回ツーアウト・2塁3塁」 11時36分「九回ツーアウト・1塁3塁 四日市西一点追加 4対3」 そして耳をつんざく嬌声のなか森下が叫ぶ。「先生、なんとか逃げ切ったよ」
高2の直矢と慎太郎がベンチ入りしたが出番なし。一人はずれた松原は応援団長を任されていた。相手高とのエール合戦の感想を森下にたずねると「立命館の応援を見てるからね、点数は辛くなるよ」と言って思い出し笑い。
中3の英語は過去の公立入試の読解にどっぷり浸かっている。千葉から愛知、そして今やってる兵庫。レベル的には平易、関係代名詞を極力避けるような英文、それでいて分詞の後置修飾・不定詞・複文構造の文で溢れかえっている文を探しあぐねた結果、以上のようなラインナップになった。ことに兵庫県入試問題は、読解主流で三重県の対策にはちょうどいい試合相手となる。
夏休みだけお願いしますとのリクエストで数人の小中学生が密航してくる。この日もまた初遭遇の小6に中1が各1名ずつ。高3英語と天秤かけながら教えるものの齟齬が見え隠れ・・・結局、高3の英語を今日の昼食を奢る約束をして後まわし。経営者はニューカマーの対応に追われる。
「メシ食いに行くぞ」と高3に声をかける。大森と允がニコニコしてやって来る。「忘れ物!」と俺。怪訝そうな顔つきの二人。「英語のプリント! さっきの続きをメシ屋でするんや」 勝手知ったるブーちゃんはともかく、大森と允の二人の顔がしぼんだ。メシ屋で授業・・・俺は精神を浮き立たせ、生徒達は雨で遠足が流れたような顔つきをしていた。
夜に杉本理恵(三重大学医学部看護学科4年)襲来。ほんま襲来、正鵠を入てるわ。まだ夏季講習に身体が慣れていない。疲れがつまっているところへマシンガン口撃である。森下はいつのまにかうつらうつら、夏季講習直前の準備に追われる甚ちゃんも深夜に姿を見せるが閉口している。
結局、理恵台風は明け方5時にやんだ。家にとんずらかますと、奥さんが「今日はダンボールのゴミ出しだから手伝って」 言い訳する暇もなく、たまりにたまったダンボールに紐をかける作業に勤しむ俺。結局はノンストップで夏季講習が続く・・・。
7月22日
中3の悠志と陵が朝の9時から姿を見せる。そういや昨日も朝から午後11時までほとんどいたっけ。一日だけなら気にも留めないが二日続くと三日目も期待しちまう・・・屈折した愛憎? 生徒のやる気が疲れが淀んだ俺へのカンフル剤となる。生徒達が過酷な状況を望めば望むほど、俺は嬉々としてその先頭を走りたがる・・・因果な性格だ。
高3の大森も午後9時過ぎに姿を見せる。そして允があとに続く。「実は先生、昨日は塾に泊まったんですよ」「どこに寝てたんや」「1階です」「初体験の寝心地はどやった?」「思ったより・・・」「ハハハ、そやったらバスマットの意外な効用ってテーマで論文でも書いてみたら」
中3に三重県統一の過去問をさせてみる。意外と出来がいいのに頭をひねる。こんなはずじゃねえんだけどな・・・明日も違う年度の問題でさぐりを入れよう.
しかし予想通り、一次関数の媒介変数では皆の戸惑いが鎮座している。やはり媒介変数を解かせることを想定して中1の文字式はみっちり教える必要性を感じる。その数学もまた塾内平均がこの段階で70以上、・・・奇妙やな。
朝9時には机に座って勉強していた一番乗りの那理。俺が「切れば血が出る勉強」と形容する那理の勉強。どん臭いが黙々と這いずりながら進む。志望は津東、ここには那理の憧れの新体操の先生がいる。そんな那理が帰ったのは深夜12時過ぎ・・・。
7月23日
今日から私立中学を目指すかすみが中3に合流する。中3との授業、一発目は地球の自転から。やはりスピードに着いてこれない。フォローは絵梨香にでも任せよう。
絵梨香はよくできる。三重県統一のこのまま5教科終われば400以上は叩くはず。確かによくできる、しかし指導性に欠ける。ちょこちょこと教えている姿を見るが、相手を自分の目線で教えている。相手の目線に立つという思考が働かないようだ。かすみは数をこなして覚えていくタイプだ。性格もおっとりしている。その点、絵梨香は達者でチャキチャキしている。好対照のこの二人、何度も歯軋りをする絵梨香の姿が目に見えるよう。しかしその過程で絵梨香がかすみから学ぶもの、とてつもなく大きいような気がするのだが・・・。
中3の夏期講習、ふと後ろを見るとヒゲづらの杉野、俺の授業を聞いてやがる。「帰ってきたんかい」「ただ今もどりました」「ちゃんと単位取ってる?」「取ってますよ。でね、先生お願いがあるんですけど」「なんや」「教室のどこでもいいから場所を貸してくれますか、どうも家だと落ち着かなくって」
7月24日
睡眠時間が3時間を切る日が続く。まだまだ夏期講習のリズムに身体が合わないんだろう。疲労がピークに達している、冷房が俺の身体をゼンマイ仕掛けのオモチャのようにする。身体がだるい、血液が淀んでいる、鈍い痺れ、そしてやはり眠い。しかし横になっても精神は醒めている。疲れが取れないまま新しい一日を迎える。
身体中がきしみ、痺れが走る俺に待望の援軍、征希登場。「先生、昨日から徹夜で働いてる勤勉社会人ですわ。すんません、集中力が途切れがちでこのままでは治療に没頭できないっすわ。ちょっとベッドをお借りしてよろしいですか」「かまへんよ」 横になるや瞬時に熟睡モード。俺は遅々として征希の目覚めるのを待つ・・・。
塚崎(三重大医学部5年)に佑輔(早稲田大学1年)から連絡があったとのこと。「8月に帰ってきて塾で菊山に数学を教えたいけどいいですか?って」「京都大学を受ける菊山人気沸騰かいな。菊以外にも高3おるしな。橋本と連携とってバランスよくやってほしいんやけどな」「そうですね。そうそう笑っちゃいましたよ!」「なにが」「佑輔にね、津高が勝ったことを教えてやったんですよ。じゃあねアイツ、『どこの高校の3軍とやったんですか』って」
7月25日
13期生の祐臣が姿を見せる。「先生、帰ってきたよ」と笑いながら土産袋を差し出す。カステラと辛し明太子だ。俺がカステラを嫌いなのも承知のうえ、また大好物の明太子も・・・。「先生、僕さ同期のなかで一番の戦績になってさ」「そりゃすごいやん!」「僕もビックリしてる。9月26日の卒業競艇で一番いい位置を確保できたんや」「ポールポジションみたいなやつ?」「そうそう」「やっとデビューか」「うん」
祐臣は去年の9月に競艇選手の試験に三重県からただ一人合格。以後、九州のやまと競艇学校で競艇選手になるべく修練を積んできた。津西では野球部キャプテンを務め、3年の春には県大会で準優勝(優勝は菰野)、東海大会へも出場した。夏の大会では春の大会で勝った三重高と準決勝でぶつかり、三重高のリベンジで幕を閉じた。そして進学校ゆえに、受験生の日々が始まったわけだが・・・鬱々としたなか、小さいころからの憧れ、競艇選手への夢が突如膨らんできた。そして9月、祐臣は蒲郡競艇場で実施された試験に臨んだ。
祐臣に野球ネタを振ってみた。「今年の津西はどう?」「いやあ、ぜんぜん分からへん。今年はどうなんやろな、今日は勝ったみたいやけど・・・明日は三重高や。でも今年の三重高はそんなに強くないと言ってるけど、こればっかはフタを開けてみやんと分からへん」「さすが経験者やな、去年の苦い経験が生きてるってか? でも、今年の三重はホンマ弱いって言うてたな」「野球もええけど、でも僕は今、自分のことで精一杯やな」
いつしか津西を公立高校の野球名門校にした立役者の祐臣。野球少年の影は潜め、競艇選手という新しい世界の住人となることへの期待と恐れを抱く青年がいた。そんな青年、やはり同期のことは気になるようで「みんなどうしてるんかな?」「まあ今、試験の真っ最中やろ。来週明けから暑苦しい連中が帰ってくるよ」「僕さ、来週は月曜日から金曜日までヒマなんや。また塾に来ていい?」「当たり前だろ、エニィタイムオーケーだよ」
この日、津高は川越高校に2−0で勝ちベスト16に駒を進めた。明日の相可戦に勝つと昨年の優勝高・久居農林とぶつかることになる。ベンチ入りしている、つやつやした坊主頭の慎太郎にたずねる。「明日勝ったら久しぶりにベスト8やな」「ええ、10年ぶりです」
夜になって森下が京都からもどる。最近ネットに接続しても10分程度で「サーバーが見つかりません」と丁重に失礼こきやがる。それを聞いた森下、さっそくパソコンの分解に取りかかる。埃の飛び交うなか、俺は中3相手に電流電圧の授業に入る。
深夜、北海道の齋藤から電話。「なんや津高、まだ勝ってるらしいやん」「ああ、今日勝って3回戦に進んだよ」「次はどこや」「相可や」「強いやん」「まあな、でもエースピッチャーが肩を痛めたって噂があったんやけどな。まあこの噂、津高野球部内部からの情報で信憑性に欠けるかもしれんけどな」 齋藤の笑い声が響く。「最後の大学生活、せいぜい楽しんでくれや。来年から社会人としてせいぜいおきばりやす!」「うっせいな!」
7月26日
奥さんと3人の娘たちを連れて高速を飛ばす。昨夜のオフクロからの電話。「今日、病院へ行ってきたんやけど、たまたま担当の先生から説明を聞くことになって・・・ここまで生きているのは奇跡なんやって。でも今では歩けなくなってずっと寝たきり・・・食事もほとんど摂らない。それでカルシウムか何かの数値が高くって、その数値を超えたら心臓が止まるんやって・・・それで心臓マッサージや電気ショックを与える許可を求められたんやけど、息子さん、今までよく頑張ったって言って断ったんや・・・まあ、仕方ないやろな・・・」
病室に入ると叔母は俺を見て微笑んだ。傍らで横になっている叔父に声にならない声をあげ、手を振って知らせる。「こりゃどうも遠いところから・・・」と、ソファーからしんどそうに180cmをゆうに超える巨躯をあげる叔父。
1階の喫茶店で叔父と話す。病状の話が一息つき、ふと俺がトヨタシートに就職した祥宜の話をすると叔父が相好を崩して話し始める。名城大学の学長にトヨタの役員が就任した話や今度ツインタワーより高いビルを建設するのがトヨタで受注が竹中工務店てな話を披露してくれる。生き生きして仕事の話をしている叔父、親族が来れば病状の話に終始する毎日だったんだろう・・・。
興味深い話・・・。今、トヨタでは今時の携帯電話で大いにモメているとか。今時の携帯電話、写真機内臓の携帯である。トヨタだけではないだろうが、日々最新技術を研鑚している企業では写真機内臓の携帯はご法度。情報流出の可能性があるからだ。トヨタは一般の製作工場でも携帯の持込みを禁止しているとか。ところが最近では写真機を内蔵していない、つまりは昔の機種は販売中止になってきている。じゃあ、全面的に携帯を持ち込み禁止にすると、それはそれで携帯がないため仕事に支障が出る。「じゃあ、トヨタが携帯市場に参入して写真機能のついてない携帯を業務用携帯として売り出せばいいのに」と俺。「ハハ、それはいいねえ」 久しぶりの見る叔父の笑顔だった。
午後になり塾に戻る。中3に昭和64年度の三進連の理科と英語を配る。陵が「昭和64年・・・」といって呆れ顔。しかし浮力の問題に面食らっている。「ああ浮力の問題はやらんでええで。こうみると昔の理科に比べると今の理科ってほんま簡単やな」 ウチの娘たちが露骨に嫌な顔をしている。
昨夜より延々と続いてきた森下とパソコンの一騎打ちも佳境を迎える。ついに森下、断腸の思い?で「三重ZTVに電話するわ」
今日、津高・津西ともども地区予選から姿を消した。
深夜、甚ちゃんが姿を見せるものの先ほどまでいた森下の姿がない。なにしろ森下、ほぼ徹夜でパソコンの相手をしていた。疲れたので実家に帰ったんだろう。仕方なく二人で飲み始める。甚ちゃん、初めて津の花火を見たそうな。永らく久居の花火で慣らされていた上下の動きに対し、今日の津の花火は視界全体に広がる空間的な花火でいたく感動の面持ち。「津の花火、あなどれないと思いました」
午前2時、大森がバスマットを1枚持って古い塾へ退散。そして2時半には允が自転車で帰っていく。
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