れいめい塾 
    Gaze At " Promised Land." 
        2003年4月第四週 
         
        4月20日 
         
        今日から市議会議員の選挙運動がスタート。メインストリートの四つ角に建つビルに間借りしているウチの塾にとっては、引っ切り無しでウグイス嬢の声が交錯する。思えばウチの奥さんもある議員さんから頼まれ一旦はすることになっていた。しかし叔母の病状次第では迷惑をかけることになるとの判断から断った。しかしウグイス嬢って年齢制限ないんだっけ。 
         
        昼を過ぎてもウチの娘たちは塾に姿を見せず。業を煮やして俺は家に電話。奥さん曰く、「友達とジャスコに行ったみたい」 俺の娘ながら鈍さに呆れちまう。先日、叔母の見舞いに行きたいと言ったばかり。それに対し俺は、覚悟さえできているのならかまわないと伝えた。オフクロが明日の月曜日に行くという。なにしろ遠山病院をベースキャンプに数十年、入退院を繰り返してきたというキャリアを持つ兵なれど、はや70を過ぎた身体には満員電車はきつかろうとタクシー役を買って出た。そのことも娘たちには伝えてあった。その時に娘たちも連れていこうとの思いがあった。娘たちもその気で奥さんに許可をもらってはいた。なにしろ中学を休むことになる。となれば今日の日曜日の過ごし方が問題。明日1日を名古屋でつぶす以上は今日、勉強しておこうとならないのか。このあたりが甘い。ポーズすら取ることも考えない。気配が読めない・・・俺の娘もしれたものだ。 
         
        疲れてバスマットに横になっていたところに斉藤が登場。あまりに早い帰省なので感動も何もない。「よお」「ああ」 単なる挨拶でいつもと変わらぬ一日が過ぎていく。明日は竹中の勤務するM銀行の面接だとか。 
         
        奥さんから電話、「明日はどうするの、娘たち。お見舞いに連れていくの?」「アカンアカン、俺もその気になったけど、行く以上は今日は塾で勉強すべきやったさ。物見遊山じゃ連れてかねえよ」 
         
        斉藤は明日が早いとかでそそくさと家に帰って行く。斉藤が姿を消したと思いきや、森下の登場。そこへ甚ちゃんもやって来て3人して飲み始める。やる気の感じられない高2の話に終始、あげく唯一やる気のある松原だけで授業をしようかとなる。こんなことはウチの塾ではしょっちゅうある。今年の高2もまた勉強しないわりには志望が高い。大阪大学・神戸大学・横浜国大と華々しい大学が並ぶ。この時期に英語をやらない奴に、そんな豪華絢爛の大学が微笑んでくれるはずがないのだ。明日から全ての授業を停止して英語で押しきるつもり。 
         
        「次の面接は?」と森下に尋ねる。「明日」「明日? どこ?」「リクルートとスズキ」「何時や」「午前10時」「場所は?」「新大阪」「何やって! 今、午前1時30分やで」「睡眠時間減るなあ・・・なんてね」と笑っていやがる。「バカ野郎!こんなとこで何やってんだ、京都に帰れ」 
         
        4月21日 
        午前8時過ぎにオフクロを迎えにいって久居インターから高速を飛ばす。しかしリフレッシュ舗装とかで桑名から延々10km渋滞が続く。走るほうがなんぼか速いわい!と文句を言っても仕方ない。オフクロの話す叔母の昔話に引きずり込まれる。今もなおオフクロと話す作業は忍耐を強いられる。しかし、叔母の話のなか、今まで俺が知らなかった話もあってさほど渋滞は気にならなかった。 
        午前10時過ぎに名古屋大学病院に到着する。車を駐車場に入れるのに手戻り、病室に入ると叔母とオフクロ、にこやかに話している。時間がゆったりと流れていく。やはり病院食には手をつけないようで、朝食はそのままで残されていた。オフクロがバッグからビスコを取り出し叔母にすすめた。俺が先に手を出しほおばった。叔母は俺をチラリと見やりビスコを手に取った。前回来た時に叔母は病院の水差しでよくむせた。しゃべれないということは麻痺が残っているはず。となると喉も麻痺しているからむせるんじゃないかと考えた。ストローならばと考え、俺は1階の自販機で紙パックの紅茶を買ってきた。叔母はむせることなく喉に流し込んだ。オフクロは午後5時頃までそばに付いているとのことだった。 
        昼前になり俺は病室を出た。車に乗り込み環状高速に入る。行き先は星城大学。あすかと佳子に昼飯を奢ってやるつもりだった。 
        星城大学は明徳女子短大が前身、2年前から作業療法と理学療法をメインにすえて発足した。ゆえに小さい、しかし小奇麗な大学だった。門番のオッチャンはいなかった。俺は喫煙所でタバコを吸いながら待っていた。午前の授業が終わり見覚えある二人が笑いながらやって来た。「社会人学生に見えへんか?」「めちゃくちゃ浮いてる」 
        帰りは東海インターから伊勢湾岸道路へ入った。去年、そして一昨年とこの道を深夜、東京目指して車を走らせた。アキちゃん、村瀬に古西の早稲田&慶応の発表。果たして来年、俺はまたこの道を夜を徹して走るのだろうか。 
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