2003年4月第四週 4月20日 今日から市議会議員の選挙運動がスタート。メインストリートの四つ角に建つビルに間借りしているウチの塾にとっては、引っ切り無しでウグイス嬢の声が交錯する。思えばウチの奥さんもある議員さんから頼まれ一旦はすることになっていた。しかし叔母の病状次第では迷惑をかけることになるとの判断から断った。しかしウグイス嬢って年齢制限ないんだっけ。 4月21日 午前8時過ぎにオフクロを迎えにいって久居インターから高速を飛ばす。しかしリフレッシュ舗装とかで桑名から延々10km渋滞が続く。走るほうがなんぼか速いわい!と文句を言っても仕方ない。オフクロの話す叔母の昔話に引きずり込まれる。今もなおオフクロと話す作業は忍耐を強いられる。しかし、叔母の話のなか、今まで俺が知らなかった話もあってさほど渋滞は気にならなかった。 午前10時過ぎに名古屋大学病院に到着する。車を駐車場に入れるのに手戻り、病室に入ると叔母とオフクロ、にこやかに話している。時間がゆったりと流れていく。やはり病院食には手をつけないようで、朝食はそのままで残されていた。オフクロがバッグからビスコを取り出し叔母にすすめた。俺が先に手を出しほおばった。叔母は俺をチラリと見やりビスコを手に取った。前回来た時に叔母は病院の水差しでよくむせた。しゃべれないということは麻痺が残っているはず。となると喉も麻痺しているからむせるんじゃないかと考えた。ストローならばと考え、俺は1階の自販機で紙パックの紅茶を買ってきた。叔母はむせることなく喉に流し込んだ。オフクロは午後5時頃までそばに付いているとのことだった。 昼前になり俺は病室を出た。車に乗り込み環状高速に入る。行き先は星城大学。あすかと佳子に昼飯を奢ってやるつもりだった。 星城大学は明徳女子短大が前身、2年前から作業療法と理学療法をメインにすえて発足した。ゆえに小さい、しかし小奇麗な大学だった。門番のオッチャンはいなかった。俺は喫煙所でタバコを吸いながら待っていた。午前の授業が終わり見覚えある二人が笑いながらやって来た。「社会人学生に見えへんか?」「めちゃくちゃ浮いてる」 帰りは東海インターから伊勢湾岸道路へ入った。去年、そして一昨年とこの道を深夜、東京目指して車を走らせた。アキちゃん、村瀬に古西の早稲田&慶応の発表。果たして来年、俺はまたこの道を夜を徹して走るのだろうか。 |