れいめい塾 2003年2月 第三週 2月16日 佑輔が東京で早稲田理工相手に大立ち回りを演じているはず。その佑輔を4年前にウチの塾に密航させた張本人の大輔。こヤツ、京都産業大学が合格するや、早々と受験生から撤退。昨日来、俺と森下相手にマージャンデビュー。今日からさっそく大阪の従兄弟の剛(11期生・関西大3年)の下宿に居候を決め込む。今日から一週間、高村薫の小説で頻繁に登場する大阪吹田の片山町の町並みを眺めながら、21日の本命・近畿大学の発表を待つ。 結婚を23日に控えた越知の姉ちゃんから電話。「先生!23日の結婚式の二次会、絶対に来てよ!」「おめでとう!絶対に行くよ」 電話を切ってふっと気づく・・・ニ次会の場所ってどこや? 2月17日 今日は早稲田の一文の試験、果たして・・・。 懇意にしている塾の先生から廃業するとの連絡。なんで塾辞めるねん! 俺なんて、やせ我慢だけでやりたい塾を続けているのに・・・「なんで生徒に惚れられへんねん!」 そんな俺の叫び声、携帯電話という魔法の箱に吸い込まれていく。 深夜2時、なぜか金曜日の物理担当の中塚(三重大医学部2年)が1階で菊山(津高2年)に物理を教えている。聞けば菊山に呼び出しをくったとか・・・。津高の平均20点とかの物理の実力テストの難問相手に格闘中。その問題をのぞきき込んではブツブツ言いながら解いているのは東京帰りの佑輔。ベースキャンプは古い塾、さらには東京遠征もあいまって、会うのは久しぶり。「どやった、東京ツアー?」「吹っ飛びましたよ」と言ってはニヤッと笑う。 2月18日 昨夜の今日、雪でも降るんじゃねえか? 佑輔が二日続けて新しい塾にやって来るなんて。東京工業大学対策の参考書を買ったとかで本代の請求。成る程ね。「慶応の発表はいつやった?」と俺。「24日です」「国公立二次試験の前日か」「去年の古西先輩の合格発表、覚えてますよ。今年は僕が自分の番号を探しにあそこへ行くつもりです」 佑輔らしくなく、声に高揚感がある。「古西といえば、JR田町のそばの喫茶店”ララ森永”・・・」 俺はアキちゃんが机につっぷした光景を一生忘れない。机から床にしたたり落ちた涙・・・。それを眺めながらアメリカからの森下の電話を受けた。「先生、アキちゃんどやった!」 ”ララ森永”・・・佑輔が反応する。「山本先輩が早稲田の発表を聞いたところですね? あの喫茶店、行ってきましたよ」「行ってきた!」「ええ・・・」 意外だった、いつもはクールが売りの佑輔、妙に感傷的だ。俺の浪花節の情緒に擦り寄ってきやがる。しっしっ! これも受験の成せる技か・・・。 あの日、俺は佑輔や橋本をおんぼろエスティマに乗せて東京の町並みを右往左往。慶応大学の三田から上智大学横をすり抜け、飯田橋から早稲田へと。そして前田(早稲田大学院2年)と落ち合い、再び首都高速から東京工業大学を目指した。世田谷の閑寂な住宅街のなかに殺風景なビルが立ち並ぶ。これが寺田(12期・横浜国立大学2年)、砂山(13期生・青山学院大学1年)と2年続けでウチの生徒を返り討ちにした、憎っくき大学・・・。 「あの帰りに東京工業大学に寄ったよなあ」「・・・ええ」 徹夜での東京行につかれた俺は色気のない大学横に止めた車で仮眠。その間、佑輔や橋本は理系の憧れの地、東京工業大学の敷地を散策していた。そして佑輔は写真を取った。 「オマエは津高入学後すぐに、なぜか東京工業大学を志望したっけ。生意気な1年生、解けもしねえ赤本を眺めてた」「さっぱり分かりませんでしたね・・・」「当たりめえさ・・・高1から高2への春休みにも橋本と二人、なんとか解こうとしてたっけ。そして高2から高3への春休みも・・・」「それでも解けなかったですね」「どや、今は少しは解けるようにはなったか?」「・・・ええ、なんとか東工大までの距離は掴めたような気がします」 田丸ドクターの結婚式、ドクター生活1年目の村田君に会った。村田君は佑輔に物理を高2の冬まで教えた。「佑輔の調子はどうですか?」「東工大の過去問解いては、解説読んでも理解できない!”ってご機嫌斜めの毎日やな」「佑輔に伝えてください。そんな問題解く必要はないって! 受験はそんなとこじゃ差はつかない」 「村田君言ってたで、難しい問題で勝負する必要ないってさ。他人も解ける気がする問題で勝負しろってね」「ハハハ、それはそうですけど、なにしろセンターの得点がビハインドでは辛いっすよ」 佑輔が津のヨットハーバー界隈からウチの塾に密航してきて4年、東工大の赤本を手に取って3年、そして生まれて初めて大学受験の怖さを心底知ったJR田町駅前の”ララ森永”から1年・・・。佑輔は25日、憧れ続けた”約束の地”・東京工業大学で勝負をかける。 2月19日 今日は卓と晶子の受けた立命館の発表。 二日続けての発表は勘弁してくれと、卓はネットでの合格発表を見ようとしない。明日の東京理科大の発表ともども一挙に私立のカタをつける気でいるらしい。 明日、立命館と東京理科大の全てに落ちた場合にのみ25日に迫った三重大学二次試験の勉強を始める、というのが卓の目論み。そしてそのいずれかに合格した場合、三重大学の勉強は一切せずに名古屋大学の後期受験に全てを叩き込む。センター試験でまさかの国語50点という失態を演じた卓、しかし明日の結果次第では卓の受験に華が出る・・・。 かたや小西からの連絡はない・・・。 長州力のテーマ”パワーホール”が鳴り響く。京都の大西くんからだ、「先生、今日の立命館は合格発表で大賑わいなんやけど、どないです」「立命館受けた卓は結果がネット上で出てるはずやけど怖くて見てへんわ。明日の東京理科といっしょくたで見るそうや」「ハハハ、で晶子は?」「やっかいなんや、まだ連絡ねえよ」「そうか・・・」「去年の仁志の合格発表の光景が今、繰り広げられてるんや」「そうそう、みんな重そうに書類持って並んではるわ」 明日、高田短大受験に望む恵に連絡。そのなかで飛び出した晶子ネタ。「先生、晶ちゃんに当然受かってると思ってメールしたら”全落ち”ってメールが返ってきたの・・・悪いことしちゃった」「全落ち!」 2月20日 恵の高田短大受験。 午前11時過ぎ、長州力のパワーホールが鳴り響く。俺の携帯だ、来やがった! さて明日はどっちだ。「もしもし」「先生、立命館受かった!」 卓が叫んでいる。 正午過ぎ、再び長州力の登場だ! 表示は小西・・・「えっ」「先生、アジア太平洋立命館に合格しました」「なんで! 恵から”全落ち”って・・・」「それは昨日の立命館ですよ。今日のアジア太平洋立命館は全部合格しました!」 卓が俺に携帯を手渡す。「なんや、これ」 卓はニヤニヤ笑っている。画像をよく見ると合格証明書が映っている。遠近両用メガネをかけ始めた俺の目に立命館の文字が浮かび上がる。「これ、オマエの合格証明書!」「うん、姉ちゃんが送ってきた」 2月21日 午前11時前に目覚める。11時を過ぎても近畿大学を受けた連中からの連絡がない。悶々とプリント作りにいそしむ。 午後1時過ぎ、パワーホールが誰もいない教室に響く。大輔だ。「先生、生物理工に合格しました!」 大輔の声はまわりの雑音に途切れがち。「オマエ、今合格発表会場か?」「ええ」「じゃあ、なんでもっと早く連絡せんねん。俺はずっと待ってたで」「先生、発表は午後1時。今さっき始まったばかりやで」「そうなん、で大学は近畿で決まりか」「うん」「これで完全休養やな」 近畿大学はこんな時代にあってネット上での発表はなし。学内掲示と受験者への速達だけ。となると後の橋本と健太は・・・。隣りの部屋へ行くと橋本がサンクス直送の賞味期限ぎりぎりの弁当をほおばっているところ。「橋本、近畿は?」「速達は明日でしょ」「でも大学で今日発表してるやろ」「ええ」「じゃあ、大輔に受験番号言って聞けばいい。今しがた連絡してきたからまだ大学周辺におるやろ」「いや・・・いいです」 友人から自分の合否を聞く気持ち、複雑なんだろうが今は時間が勝負。なにしろ国公立二次が迫っている。気にしながら知らせを待つ時間が惜しい。橋本、俺といっしょにいることが居づらいのか、弁当食べると早々と古い塾に撤収。 午後3時、長州力の登場! アレ、橋本・・・「先生、速達来て・・・受かった」「受かったって・・・よかったな。バカ野郎!明日じゃねえのか!」「僕もそう思ってたんやけど・・・」「俺だって気持ちの準備できてへんわ!」 午後9時、今日3度目の長州登場。健太! 「どやった!」「・・・だめでした」「暗いか?」「はあ・・・まあ」「じゃあ酒でも飲みに行くか」「えっ」「あのな、これが女の子やったら慰めの一つも言うわい。でもな、男やろ。結果がどうあれ近畿大学ガラミは今日で納めたいねん。酒飲んで明日から気分を戻せるんやったら酒でも飲もや。チョコパフェでもええで。とにかく明日から25日の岐阜大学の二次までの限られた時間に集中しろや。もし近畿に合格して、そして岐阜大学に合格したらどっち選ぶ?」「岐阜大学です」「そやったら近畿が受かろうが落ちようが関係ない」「・・・」「今夜は落ち込んでもらって結構。しかし明日からは違う、岐阜大学に合格する勉強しろよ」「わかりました」 深夜0時、越知が姿を見せる。あさってが姉ちゃんの結婚式だったことを思い出す。これ、と言いつつ受験生たちに土産を・・・「受験生向けに”さくらパイ”、名前がいいでしょ? 桜咲くってね。でも桜のはずがなんで葉の形しとるねん!っていうツッコミはなしね」 いつの間にか、明日は開明学院さんとのラウンド3。今日は先週のラウンド2の成績をもらってきたけど惨憺たる成績だった。このHPでは情報面で差し障りがあるから結果は書きません・・・なんてエラソウなこと言ったけど、ウチの塾が負けるんなら気楽に書けるよな。ホンマ惨憺たる成績・・・くどいか。でもいいさ、途中でいくらでも負けてもウチの生徒達は最後まで勝負を捨てない。それだけには自信がある。 |