2003年度 6月第一週 6月1日 れいとめいが口を揃えて言った。「あそこの座敷から庭を見ていた覚えがあるよ」 こんなところは親子だった。 小学校6年でウチの塾に密航してきた大森、入塾当初より勉強ならぬ剣道の目標が一つ先輩となる卓だった。ともに小学校の頃から中勢地区では名を馳せてきている。大森が中学に進学して以来、大森と卓は5年間にわたり名勝負を繰り広げてきた。一度は大森に敗れた卓が、大森に勝つまではと塾を休んだこともあった。去年、三重県大会個人戦で準優勝を果たしインター杯・国体へと出場した卓の後を追いかけるように、大森もまた今年、高校最後の夏にインター杯を目指す。そしてその向こう側、大学入試もまた、卓を追いかけるように西日本大学剣道の覇者・立命館大学を目指す。 深夜3時、久しぶりに家に帰る。奥さんが起きてくれては夕飯?をつくってくれる。平身低頭の俺に奥さん、ひょいと言った。「征希君が来てくれてね」「えっ、あいつよく来るの?」「ええ、週に1.2回は」 河合塾出版から新しい英単語帳が出版された。今までの地味な「2001」と比べると装丁が今流。価格も850円とターゲット1900など売れ筋商品に比べてリーズナブルに設定されている。タイトルが舐めてる。「英単語の王道」と来たもんだ。当然、単語の配列も変わっているはず。パソコンに打ち直す労苦を考えると気が滅入るが、何はともあれ1冊購入。とりあえず600単語あたりまで打ち込み、さっそく高3と高2、あとはミッシングボーイのブーチャン相手に試験を開始する。 大森が試験を受けに古い塾からやって来る。「来やがったな、この野郎! 東海大会個人戦出場おめでとう。でもな、まさかインター杯までは考えてへんやろな」「いや・・・できれば」「できれば英語の勉強してくれや。このままじゃ来年、衣笠で酒飲まれへん」「いや・・・英語も頑張って」「うん!頑張るんは英語と日本史と国語だけでええわ。祝い事でもある、静岡には見に行ってやるよ。だからそこで打ち止めや」「いや・・・」「ハイハイハイ、試験や試験」 その大森の成績、300までの基本単語で正答率5割を切る。やはり剣道の練習に忙殺されている。これならと、ブーチャンに海外帰りならぬ一週間の家出レスラーの輝きを期待したが、それでも大森の牙城を崩せない。やはり英語はキャリアがものをいう・・・。 中間試験が終わったばかりの中3に一挙に後置修飾を説明する。中1の前置詞句から始まり、不定詞の形容詞的用法後置修飾、現在分詞&過去分詞の後置修飾から関係代名詞節へと進む。時間にして2時間30分の一気呵成。俺としては久しぶりの授業、教える側としての快感は十分感じたものの、こちらが思うほどに生徒達は理解してないって永年の勘がささやいている。第一外科同様、明日から這いつくばるような調練を繰り返すべきだろう。 6月4日 昨夜は允(あたる)を送ってからガストで日本史の仏教史の勉強をしてた。週末ではないはず、と見まがうほどに店内は込んでいた。これからはデニーズに河岸を代えようか・・・。 午前4時、塾に戻るとブーチャンが粗末な折りたたみベッドで眠り込んでいる。パソコンを立ち上げるとBBSに仁志(立命館大学2年)からの書き込み。以下・・・ ********************** 日記を読んで、卓も大森も幸せものだと思いました。 ********************** 俺の日記を読んでさっそくの書き込み、ありがたい。なかなか熱い文章だが、よく読めば「自分の試合を見に来てくれる人がいる」とある。仁志もまた津西のソフトボール部キャプテンとして全国大会へ出場したっけ。ところが何故か?ソフトボールの全国大会は九州地区で持ちまわりですることになっている。夏季講習の真っ只中、俺は九州ツアーを断念した。仁志、そのことまだ根に持ってんの? 今度、卓が森下んちに泊まる夜にいっしょに飲もや。それでチャラってことにせん? 深夜1時、北海道の斉藤太郎から電話。いつものようにくぐもった声、そして聞くことは「森下先輩どうなった」「まだまだ最前線で出張ってるよ」「そうか・・・ちょっと前に叔父に会ったんやけどな、例の・・・」「三菱商事の偉いさんやな」「ああ・・・やっぱ言うてたわ。年齢が3歳上やと考えるなって」 森下は5年間留学してからの大学3年編入、現役に比べると都合3歳上となる。「やっぱ三菱商事あたりは依然として年齢制限ありか・・・」と俺。「それとな、英語だけでは弱いらしいわ。英語ともう一つオプションが必要やって言ってたな」 征希に言わせりゃ精神年齢子供だそうだが、どうしてどうして・・・。森下を心配して頻繁に連絡してきやがる。こんな性根が面接官に愛されたんだろう。 森下が日産自動車の面接で上京した折、塾で4年先輩となる越知(4期生)と飲んだ。越知は言ったそうな、「この状況になっても志望を下げへんていうのは心意気として買えるな。頑張れ」 クラブではなく就職試験というフィールドで、森下もまた先輩や後輩連中から見られているわけだ。 6月5日 高3の直嗣と大森(ともに津西3年)と菊山(津高3年)が全国統一模試第1回マークの成績表を持って姿を見せる。やはり大森の成績がきびしい。英語で全国偏差50を大幅に切っている。直嗣もまた理系のはずが理系教科がパッとしない。菊山はそこそこか…去年の祐輔に比べると、数学は偏差値70でほぼ互角、物理や化学では秀でているようだが、英語が偏差値60では祐輔に遠く及ばない。塚崎(三重大学医学部5年)が覗きこむ。「菊山はできることはできるんですけど、苦手な場所はとことんひどい」 河合塾で浪人している允(あたる)も成績表が返ってきたとかで見せに来る。理系講師の塚崎に見せても仕方ないのだが、塚崎やむなく「文系やのにこの国語は悪すぎるやろ」とのコメント。その允、英単語のあまりの貧困さに苦言を呈していたが、さすが浪人?偏差値60弱に持ち込んでいる。まずは安心。最近誕生したi−mode掲示板にも、俺が允の近況を書かないからだろう、後輩の現況を案じたと思われる以下のような書き込みがあった。 ************************ 名古屋の予備校行った二人、ちゃんとやってるん? 阪神タイガースとちゃうけど6月は大事やと思うで!そろそろ早起きと電車がウザくなってきたはず。「まぁ夏にめっちゃやればなんとかなるやろ」「ま、まだ冬もあるし・・」「元旦に伊勢神宮行けば受かるって!ハァハァ・・」とか思っちゃダメね。あとは「友達からメールこやんかなー」とか言って携帯の液晶奴隷になってちゃダメね。今日頑張った奴にだけ明日が来るってカイジも言ってるでしょ! ************************ 投稿者は「新大学生」とある。まあ、誰だか察しはつくが、元気でやっているようで安心したよ。 仁志が、自分の試合を見てくれる、自分を見守ってくれる人達がいることに感謝し、その暖かさを糧に実力以上のものを出してほしいと書いていた。しかし、それってクラブをやってる連中だけの特権じゃない。勉強もしかり。ウチの塾はずっと昔から受験とプロレスが同義だった。どうすれば観客=先輩や後輩、最近では不特定多数の人々をうならせるような試合=受験ができるのか? そして俺は、どうすればそれが可能となる環境を構築することができるのか? 今春、アキちゃんが久居高校から早稲田に合格したとき、アキちゃんの顔も知らない人達が祝杯をあげた。アキちゃんとの関係はこのホームページ上を通して。俺がホームページで描き続けたアキちゃんの軌跡を読み、いつしか感情輸入してくれた人達が祝杯をあげてくれたわけだ。してやったり!山本明徳。 この日記を塾内で配るにあたり、冒頭のバレエの発表会の感想を愛とゆかりに聞いてみた。「感想ですか・・・」と愛はしばらく考え込んだ。「まあ、いろいろと感じたことはありますが、私は那理ちゃんが出るから行ったんです。どうしても津東で新体操をしたいという那理ちゃん。新体操での硬い動きを是正するために、柔らかい動きを会得するためにバレエを習い始めたんでしょ? 那理ちゃんにとって新体操が全てですよね。その新体操を高校でもするために優秀な指導者がいる津東へ行きたい。私やゆかりちゃんが津高へ来たかったのとは違った意味で那理ちゃんの高校入試はある。今の中3で一番努力しているのは那理ちゃんだと思います。まあ、れいちゃんもめいちゃんも遅くまで頑張っていますけど」「別に俺に気を使わなくっていいよ。確かに那理の勉強は切ったら血が出るような勉強や。オマエの言いたいことは分かるよ」「だから那理ちゃん以外の子だったら行ってなかったと思います」 高校入試であれ、大学入試であれ、ウチの受験生は人から見られているという意識を持つべきなのだ。漆黒の闇に向って「まかせなさい!」と吼えてみろ。そして自分を応援したくなるような、大向こうをうならせるような勉強の大海原へ飛び込んでいけ。 現役の大森も直嗣も、高六の綾奈も、伊勢女の怜美も、大検から大学入試に臨む響平も、浪人の允も、そして21歳にして大学入試を志したブーちゃんも見得を切れ! 名前も顔も知らない不特定多数に向かって見得を切れ! 6月6日 中2の授業中、携帯が鳴る。仁志からだ。「先生、どこ?」「すまん。まだ塾や!」「やっぱり」「心配するなって、今から1時間15分後には京都に辿りついてやるよ!」 6月7日 卓がドア越しに挨拶したような・・・。軟弱な俺は再びフローリングにへたり込んだ? ふと目覚め時計を見れば午前11時・・・えらいこっちゃ! 久居農林では剣道の団体戦が始まっている。「森下、じゃあな・・・ああ、今夜塾で授業があったよな。じゃあ今夜!」 大西君の下宿まで駆け足、あわててエスティマに乗り込み。ウナギの寝床のような駐車場からうなりながら脱出。すかさず右折して再び右折、すると前に止まっていた車がクラクションひとつ。近寄ってきた車の運ちゃん、笑いながら言った。「兄ちゃん、ここ一方通行や」 頭を下げながらあわててバック。エスティマ、チャリンチャリンと不協和音を響かせながら狭い狭い路地を走る。 久居農林に辿り着いたのは午後2時。さっそく鈴鹿高専との準決勝が始まる。先鋒が1年生だと大森・兄が教えてくれる。「じゃあ、しばらくは津西も安泰か」「いえ、今の2年生の層が薄い。来年からは今年のようにはいかんでしょう」 引き分けが多く、1−0で大将の大森登場。しかし勝っていることもあり無難に逃げ切りを図る魂胆見え見えだったんだろう、大森に注意が宣告される。結局は1−0のまま決勝戦へ。相手は言わずとしれた三重高。先鋒の1年生、今までの相手と違って守勢一方。あげく一本負け。そして引き分けが続いて、今度は0−1で大森登場。インターハイに出場するには攻めるしかない。果敢に攻め込むものの、引き面を取られる。この一瞬にインターハイ出場が消えた。そして大森が転倒したところへ面が決まる。0−2で三重高の優勝が決まった。 夜、いつのまにか前田(早稲田大学院)がパソコンの前に座っている。「どないした」「選挙ですよ。叔父が嬉野町議会の選挙に出てるんで帰ってこい!って。まあ400票あたりが勝負ですから俺の一票も大きいらしい」 そこへ大森が悄然として姿を見せた。「ごくろうさん」「はあ」 テンションが低い・・・無理もないか。あと2週間で東海大会、それが終わると大学受験に突入する。大森の希望大学が立命館と聞いた途端、前田の説教が始まっている。早稲田には合格したが立命館に落ちるという失態を犯している。「英語や英語、とにかく私立文系やったら英語が勝負や。国語は模試の実力があっても本番がどうなるか分からない。その点、英語は実力があればその実力を裏切らない。これは日本史も同じや。英語と日本史、これを徹底的にやって確実な得点を稼ぐ。あとは国語の出来に賭ける、これが私立の合格のしかたや」 俺の言いたいことを前田がしゃべっていた。そうなのだ・・・いつだってこうだったのだ。ウチの塾生をそだててきたのは俺だけじゃない。いつだって先輩がいた。こと受験に関しては口の悪い、シビアな先輩がいつだっていた。先輩の語りかけるセリフには毒もあったが、経験に裏づけされた重さがあった。自分にとって耳の痛い話であっても、それは愛情の裏返し。いつだって合格を報告する時の誇らしい笑顔を希求していた。 かつての受験生・前田に説教をぶっこいていたのは越知だった。そして今、前田は年齢が9歳も下の大森に熱っぽく話している。 その大森、何年か後に今の前田と同じように説教をしているはずなのだ。 |