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Gazing At " Promised Land "

2003年度 11月第五週


11月24日

付属中学の2学期期末が始まる。この試験で竜太の内申の趨勢が決定する。

2年前、俺は竜太の兄貴を津高に落としている。落とした理由は内申・・・。絶対評価以前の付属中学ということもあり、内申がきつかった。到底その内申では津西や津東での勝負の目はない。つまるところ、ここは津高勝負しか選択肢はなかった。昔から延々と続くウチの男子の系譜・・・内申はきついが津高ならなんとかなる。こんなお題目を唱えながら幾多の生徒が津高を受ける。受けた数だけ合格発表会場に修羅場を生み出す。連綿と続くれいめい塾・修羅の系譜・・・。

私立の進学クラスに進学した兄貴はしばらく塾を続けるものの居心地は悪そうだった。その年にウチの塾から津高に進学した者は過半数の7名。その7名に囲まれ、自分が夢焦がれた高校の話が飛び交うなかで深夜0時を越えても宿題をしていた姿が今でも忘れられない。その兄貴もいつしか塾に姿を見せなくなった。津高に合格した7名もまた、合格したくともできなかった無数の生徒たちの心の痛みに痛痒も感じないまま、どこにでもいる馬鹿に成り下がっていった。弟の竜太を津高に合格させることだけが、あの頃の俺の憤怒への落とし前・・・。この一点において、俺の娘のれいやめいの合否よりもウチの塾としてのプライドがかかっている。

兄貴への反省から竜太には常々、内申に対する重要性を説いてきた。俺の度々に及ぶ皮肉も少しは心に響いたのだろうか、それに加えて兄貴にはなかった愛嬌も手伝って、3年1学期の内申は45段階40・・・やっと約束の地が見える場所まで来た。しかしまだまだ旅の途中・・・。
寺沢が近畿大学推薦に落ちる。成績の得点換算がもっとも少なかった近畿に落ちたことはきつい。「やっとヒリヒリし始めただろ」と冗談めかしに言うものの、俺のほうが結果にヒリヒリし始めている。

大西君と節ちゃんが結婚式出席の挨拶にやって来る。大西君は京都の家で療養生活に入っている。美容師をしている節ちゃんに代わって主夫同然の生活。といっても、この主夫とんと働きが悪いらしいが・・・。

大西君たちが挨拶に来ることもあって久しぶりに家に戻る。さっそく体重計に乗る自分が悲しい。あげく酒を食らい鍋を啜った過酷な週末が今までのダイエットを台無しにしちまう。68.8kg!

11月25日

今日から南郊中と久居東が試験に突入。津東を狙うウチのめいと那理の正念場となる。

新潟大学の美穂から電話。「怜美ちゃんの調子はどう」 先週、怜美がいろいろと話を聞きたいから美穂の携帯番号を教えてほしいと言ってきた。彼女が美穂に何を話したかは興味もない。怜美に対するスタンスは今も昔も変わっていない。小論文を書くだけの器量がない。しかし怜美は全てを投げ打って医科大の小論文に賭けてきた。その熱意は買う、しかしあまりにも危険な賭けだった。大西君を頼った。森下を頼った、征希を頼った。たまに塾に姿を見せる甚ちゃんも頼った。自分にとって心地よい批判を語ってくれるアドバイザーがいない時には、仕方なく俺にすりよりおずおずと小論文を見せた。ひどい出来だった。何度も泣かせた。涙を流す怜美を無表情に眺めながら俺は言い放った。「女の子はいいな・・・泣けば全てが許される。その点、男は辛いよ」

「別に理想論を書いても構わないじゃないの」と美穂が言った。「理想論? どの理想論や、怜美の場合、根拠を持たない理想論のオンパレードや」「患者に接する時間をもっと増やしたいって」「あれか、あれは理想論じゃねえよ。看護士が不足している現状すら知らない非常識な認識から怜美が書いたネタや、理想じゃなくして夢想だよ」「きついね」「それしか方法はないさ。力のない生徒を堕落させるのは優しい教師だよ」「・・・」「でもさ、アンタまで悪役レスラーになる必要もないしさ。試験直前にでも遠く新潟からエールを送る優しい先輩でいてやってよ。俺はあと1週間、このスタイルを貫くよ」
 
古市(三重大教育学部3年)からもう一人雇って!と強硬な申し入れ。懸念になっていた高1の理系数学&化学は山岸(三重大医学部3年)を充てることでひと段落ついたのに・・・。結局、押し切られて、三重大女子テニス部キャプテンは火曜日午後9時までは中1、9時以降は高校生の質問を受けることで一件落着。はてさて、奥さんに何と言おうか・・・。

試験ともなると塾頭が暇になるというのがウチの塾の変わったところか。勉強の苦手な生徒の様子を眺めながら時を過ごす。前回の中間試験では思うように点数が伸びなかった中1、今回は早めに進めてきたがこの早仕掛けが裏目?試験前日に緊迫感を欠く生徒が垣間見られることに・・・。とりあえずはドツく。そして今回、恒例の試験休みは取らず、試験終了後も続けて授業に入ることを通達。急遽決定の冬の陣、メニューは中2前半までの基本文型の暗記。

ブーちゃんが全国統一模試の成績表を持ってくる。政治経済の偏差値が68.7! これでなんとか総合偏差値が50弱に。逆に言うと、それだけ英語と国語の成績は悲惨なのだが・・・。

プログレスの問題作成に区切りをつけ明け方に帰宅。足音をしのばせそっと乗る体重計・・・68.3kg・・・。ため息が部屋の中にころがる。

11月26日

悩める17歳、試験最中の中学生たちの狭間に自分のベースキャンプを設営、関係詞の問題と格闘している。

今日で付属中学の試験が終了。最終日だけは休んでもいいと言ってあったが、竜太が姿を見せる。「どないした、休むんじゃなかったんか」「いやあ、入試も近いしさ・・・」「ふ〜ん、オマエって変わってるよな」と言いながら俺はほくそ笑みを噛み殺す。 

寺沢の京都産業大学の推薦入試の発表。寺沢の表情がどんどん受験生になっていく・・・。

今日もプログレスの問題を作っているうちに徹夜、午前8時にあわてて可燃ゴミ4袋を持って走る。

11月27日

古市のエスコートでウチの塾では11人目となる講師の登場である。彼女は来週の火曜日から中1&高校数学&化学&生物の質問担当となる。今日は言わば顔見世のはずが試験が近いこともあり一転、愛や沙耶加(津高1年)などの質問攻勢に晒される。

今日で南郊中と久居東の試験が終わり、塾の中は火の消えたよう・・・。嬉野中と久居中だけが取り残される。

中学生とは一転、高校生は熱い。試験の真っ最中である。先週から高1理系数学と化学を教えることになった山岸(三重大医学部3年)が深夜1時を越えても教えている。聞けば質問が途切れないとか。今年の1年の評価は高い。試験に対する、あるいは入試に対する微熱めいたものが、依然として身体のなかに宿っている。この微熱、下げることがないようにと願う。

11月28日

ここ最近徹夜まがいの日々を続けながらプログレスの問題が一応できあがる。A4で50枚あまりのプリント、それを持って慶子さんのところに走るが、着いて驚愕!その問題は塾に置きっぱなし。エネルギーの消耗甚だしく、健忘症だと笑い飛ばす余裕もなく、落ち込み激しく塾へと車を走らせる。「わたしとドライブしたと思えばいいじゃないの」と奥さん。

夜となり慶子さんが姿を見せる。たまたま征希の漢文の授業の日。カイロ整体士の征希、目下慶子さんのお父さんの世話をしている。ボランティアだと言っては漢文のバイト料を受け取らない征希に、津でも指折りの優良企業の代表取締役、顔の広い慶子さんを紹介したのは2週間ほど前。さっそく慶子さん、お父さんとお母さんを紹介してくれて征希が出張治療。最初の日はお父さん、これが「今までで一番調子が良くなった」とのコメントを引き出す。次にはお母さんも参入、これがたった一度の治療で治ってしまう。いつしか慶子さんの家の常連となった征希が、今夜は装い新たに講師然としての授業に汗を出す。そんな征希の授業を物珍しげに眺める慶子さん。

「学校って作れないものかしら・・・。中山君、学校をやってみたら。私、真剣に考えてるの。私だけじゃなくて、私の知り合いもいるわ。協力できることがあったら何でも協力するわよ」 慶子さんからの口から思いがけない提案が飛び出す。思いがけない?いや、今までに俺が何度も何度も反芻した言葉だ。学校をつくる・・・心が揺れている。

「雨が降ってたから今日は電車で帰ってきたわい!」と古西(名古屋大学2年)登場。「ちょっと聞いてよ」「なんや」「弟がさ、なんや高1の三重イレブンに選ばれたとかでフランス遠征に行くんやって」「フランス!」「高校生風情でなめてるやん! それも費用が35万、俺の仕送り出やんやん」 

3階にいる古西と1回にいる古西では別人格?試験中で沸く高校生の悲嘆や悲鳴に耳貸さず、今夜も粛々と授業開始。

克典(東京学芸大学4年)が明日東京へ戻るとかで挨拶に。「村瀬ジュニア(横浜市立大学2年)のことが気がかりですけどね」と克典。夏休み以降、レコード業界への就職を考える村瀬と会おうとコンタクトを試みるものの1回会ったきりだという。「やっぱり大学生活が楽しいんでしょうね」「まあ、そんなアホウな理由をぬかすんならやったら相手にせんでええよ。なにしろオマエは来年の4月からは就職やん。時間的余裕のないのはどっちやって!」

怜美が面接での注意事項を聞いてきた。怜美の場合、志望動機に海外での看護体験に興味を持っているとの一文を書いていた。当然、面接官がここを突いて来ることは明らかだった。彼女は高2の時にオーストラリアに2週間のショートステイを経験していた。予想される質問、「どうして海外での看護に興味を持つようになったんですか」に対しては、この貧弱な体験をうまく料理するしかなかった。「国境無き医師団って知っているか」「・・・いえ」 予想された答えだった。「じゃあ、アフガン在住の中村先生のことは?」「・・・いえ」 祐臣の競艇もこのくらいにオッズが下がりゃあな・・・心の中で一人ごちた。「とりあえずネットで調べてみろって」

古西と二人で過ごす深夜、こんな夜はいつ以来だろう。高3の時は古い塾に篭城している。となると、こ奴が中3の時以来・・・、「6年ぶりか・・・」「何が?」と古西が尋ねる。「何でもねえよ」「ところでさ、塾を始めてから一番かわいかった女の子って誰よ」 久しぶりに心を突き上げた感傷も木っ端微塵に吹っ飛んじまうような質問。「そりゃあオマエ、××××に決まってるだろ」 悲しいことに、軽薄子の路線にちゃっかり乗っかってる俺がいた。

11月29日

「今日は美穂先輩から電話があったんです」 嬉しそうに報告する怜美の顔。「出来が悪い生徒ほどかわいいんだろ。明日は何時からだ」「午前9時15分から小論文の試験です。そして試験後に面接があって、午前と午後に分かれているんですけど、私は午後のほうです」「そりゃ大変やな」「美穂先輩が面接官は将来自分の先生になるはずだから、親しみを持って接すればうまくいくんじゃないかって」「・・・それって、受かったらの話だろ」 怜美の表情が曇った。

森下が京都から帰省。午後9時から高2の英語の授業。

宮口(近畿大学4年)が姿を見せる。「先生、これからは自宅から大学へ通うことになりまして」 折りよく塾で同期の大森がいて、就職が決まった者同士で盛り上がっている。そこへ授業が終わった森下が合流。最近塾でブームになっている二人鍋をつつくことに・・・。

閉会は今夜も午前5時をまわっていた。あと1時間もすれば怜美が久居駅のプラットフォームに立っているはずだった。たった一人だけの送り出し・・・やめとこう、スタンスは最後まで貫くべきだ。このひと月、どうのこうの言っても何度も泣いた代償は大きい。中3の作文以下のレベルからそこそこ見栄えがする、大学を受かってもおかしくないようなレベルの文章を書けるようにはなっていた。あとは虚構の夢想論さえ打(ぶ)ちさえしなければ勝負できるはず。土壇場に来た途端に優しい先生に変貌するなんて似合わない。長州力は最後まで長州力なのだ。残るは面接、面接官は歯が浮くような会話のなかでいつだって心地よく騙されたがっている。怜美が騙されてみたくなるような嘘を吐けるかどうか、勝負の趨勢はその一瞬にかかっている。

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