2003年度 7月第ニ週 7月7日 オフクロの妹、すなわち俺の叔母からオフクロへの連絡。入院している叔母の様態が急変したとか、俺に連絡をしてきたオフクロの声が震えている。「じゃあ小学生が帰ったらいっしょに行こう」「塾はええの? 明日でもなんとか話せるだろうとお医者サンが言ってるらしいけど」「それで明日行って話せんようになってたら後悔するやろ!」 京都に戻る予定で顔を見せていた森下に無理を言って塾に居残ってもらう。さきほど大森・兄から連絡が入り、今夜の古典の授業が休講となっていた。ならばと俺が代打ち、そのつもりがオフクロからの連絡で二転三転。結局は森下が英語をすることで一軒落着。 れいとめいに行くかどうか尋ねると絶対に行きたいとのこと。一瞬躊躇したが連れて行くことに・・・。 病院にはオフクロの方の親族があらかた顔をそろえていた。叔母は酸素マスクをしてベッドに横たわっていた。歩けるような状態ではなくなっていた。しかし突如として増えた見舞い客の多さに目を見張っていた。幸いなことに、想像していた最悪な事態は回避したとかで一種安穏とした空気が部屋を満たしていた。枕もとには先月産まれたばかりの孫の写真が飾ってあった。安堵した親族が叔母を励ましながら、一人二人と帰っていった。その間壁にもたれてれいとめいはずっと叔母を眺めていた。前に見舞いに出向いたのは5月の連休。あの頃とは別人のような叔母がいた。それでも叔母はまだ踏みとどまっていた。俺たちも挨拶を交わし病室から出る時になって笹の葉に気づいた・・・そして短冊にも。「お母さん、早く良くなって」・・・短冊には旦那さんの筆跡でそう書かれてあった。 7月9日 先日、塾を久しぶりに訪れた克典、「そういえば今日塾に来たのは就職の報告ともう一つ目的がありましてね・・・」と言って微笑んだ。「なんや、それ」と俺。「愛ちゃんですよ。ずっと日記を書いてた愛ちゃんを拝見しようかなと・・・」 同時にコンピューターの部屋で愛の嬌声が響いた。「克典、どうやら聞き耳たててたらしいで」「どの子ですか?」 狭い部屋の中で3人ほどの女の子たちが勉強していた。おずおずと愛が手をあげた。「どや? 違和感あった?」「いえ、らしいっすね。愛ちゃん、日記の続き、書かないんですか」「えっ、書いてもいいんですか」「もちろん!」「でも・・・なかなかネタがないんです」 7月11日 突然金髪の長髪、さらには黒いひげ満面という異端な顔つきの大輔(近畿大学1年)がのそっと入っている。俺は花衣と話していた。高3女子の数学が計画通りに進まないというというネタだった。そこへ登山帰り風情、大きなナップサックを机の上に置く。「大輔!」と花衣。悲鳴を聞きつけ隣りで教えていたあすかが駆けつける。「なんなん大輔、そのヒゲ! 同じ年齢やて見えへん! みっともないから切ったり!」 7月12日 中1の授業。しかし出席率は今ひとつ。来週の土日には郡市大会や市大会がある。今日は明日は最後の調整、あるいは最後の練習試合なんだろう。身体ができていない中1にとってはさぞかし疲れていることだろう・・・という希望的楽観のもとに少ない人数で英作文を進める。 |