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DEAD END

2003年2月 第1週


2月1日

今日から高校入試が本格的にスタート。まずは鈴鹿高校。今年の鈴鹿は鼻息が荒い。初の上野地区での試験開催、果たして何人のお客さんが集まったのやら・・・。ただ、全ての試験会場で条件を同じくしようとウイングメッセ三重では暖房をかけなかった。このあたりの姿勢、好感が持てる。これが高田高校ともなると、6年制の教室で試験を受けた生徒は決まって「暑くて気持ちが悪くなった」なんぞとほざき、西橋内中学で受験した生徒は「寒くて死にそうやった」というセリフを例年吐いてくれる。試験会場でここまで極端だとまずいんじゃねえの?

大輔が京都産業大学、健太が関西大学の試験。ともに名古屋会場、昔に比べれば便利になった。大輔は試験終了次第、大阪へ飛ぶ。3日に再び京都産業大学で勝負だ。大阪でのベースキャンプは従兄弟の剛(関西大学工学部3年)のマンション。

翌日に立命館大学受験を控えた卓にたずねる。「卓、明日の試験会場は?」「名古屋の同朋高校なんすよ」「場所は?」「名古屋から地下鉄でひとつめ、確か中村なんとか・・・」 この中村なんとかで不安になりインターネットで調べる。同朋高校は同朋大学に隣接している。となると中村公園か・・・。卓に訂正・・・「あのな、同朋高校の最寄の駅は中村公園前、これは名古屋駅から東山線で4つ目の駅や。そして駅から歩いて約1km。オマエは明日、試験会場まで時間内に着ければ半分合格したようなもんやで!」

かつて10期生の信藤(現在同志社大学5年)は「試験会場、分からへん」なんぞという情けない電話を1年先輩となる祥宜(名古屋大学院2年)にかけやがった。斉藤(北海道大学学年未定)は受験票を間違えて昼には塾に戻っていた。そんな考えられないようなボーンヘッドが最近顕著になった。卓なんてこんな信藤や斉藤相手に横綱相撲を取っちまうような大物。俺がネットから検索した同朋高校までの地図を眺めながらつぶやく。「一番やっかいなのは近鉄を降りてから地下鉄に乗るまでやな」

そして明日は高田高校受験。ウチの生徒全員が勝負に出る。

2月2日

昨夜来、甚ちゃんと飲み続けている。朝も6時を過ぎた頃、そろそろ起きているだろうと卓に電話を入れてみる。しかし音沙汰なし。この時間から受験モードに入っているのか、まだ寝ているのか・・・。当然寝ているに決まっている。

この日は小西の本命・アジア太平洋立命館大学の受験。また、恵のすべり止めのはずの名古屋女子大学受験。

高田高校の問題は簡単すぎる。今年から6年制編入も同じ試験になったわけだが、津高を受ける面々では英語と数学で50点満点中45点以下の点数を取った奴がいない。これで理科・社会にもつれ込む展開となったわけだが、果たして今年の6年制編入、受験生の何を測りたいのか?はなはだ理解に苦しむ。

夕刻、千尋が学生服姿で勉強している。「どやった、高田」「数学は簡単だったけど計算間違いしてしまいました」「・・・良かったな、明日でなくて」

千尋は明日、本命の松阪高校の理数科の特色化選抜入試に臨む。そして姿はないが美季も松阪商業の推薦を受ける。美季はインフルエンザにかかって自宅待機だ。果たして・・・。

2月3日

三月の公立高校真っ向勝負!が売りだった?ウチの塾にも推薦試験の荒波が押し寄せてきた。今日、千尋が松阪高校理数の特色化選抜、美季が松阪商業情報システムを受験する。

千尋は中間期末はいいが実力テストになると今イチというタイプだった。志望高校を松阪理数に決め、再び塾に戻ってからは過去の三重県の数学、去年の特色化選抜の傾向に見合う他府県の数学、関数と初歩数列と平面図形に絞って取り組んできた。当初は媒介変数に手が出なかったレベルがそこそこ見れるようになったと感じたのは冬休みの頃か。あとは私立高校の英文読解で押しきった。ラスト1週間は都立日比谷高校周辺の問題を漁った。試験に関してはやるべきことはやった。やっかいなのが面接だった。

「なぜウチの高校を志願しましたか?」という、当然予想される質問に「大学進学が希望ですが、一日見学の時の説明では進路指導を丁寧にしてもらえると思いました」 これじゃ他の高校が進路指導やってないみたいだし、松阪のそれも理数という理系に特化した高校に進学しようという意気込みも全く感じられない。
ラスト1週間、何度も話し合いを持った。どんな立派なことを言おうと、ぶっちゃけた話、自分の実力を天秤にかけて受験生はやって来ている。受験生側のお寒い背景、先生方は先刻お見通し。ならばリアルな虚構、限りなく本当に近い虚構を築けばいい。先生方が信じたいと思うような虚構をだ。
何度かの逡巡、その過程でお父さんが松阪高校の卒業生だと知る。あげく千尋が初めて知った事実・・・お母さんも松阪高校出身。「アホか、オマエ。今まで母親の出身高校知らんかったんかい!」 これで小さな頃から松阪高校の話をされながら過ごしてきたというバックボーンができた。さっそくその夜、千尋は松阪高校の思い出を両親にたずねたそうな。自由の気風にあふれ、文化祭活動などに積極的に取り組む高校。骨子が固まってくる。そしてふいに顔を出した両親の職業・・・高校の英語の先生。「えっ!千尋のお父さんて先生なん?」「ええ」「お母さんも?」「ええ、中学の先生・・・」「じゃあ、おまえ、将来の夢は先生というのはどう? 理系の数学か理科の先生、どや? 完璧なストーリーやで」「私は先生になりたくないんですが」「先生の子供は誰だってそう言うよ。俺もしょっちゅう言ってたな、でも先生の子供って嘘つき多いねん。嫌や嫌やて言う奴に限って先生やっとるよ。その点じゃ俺は正直者やで、先生は先生でも塾の先生や」
今年に入って、予定では5分間だった面接時間が突如10分間に延長された。長い・・・なにしろ135人が受けるはず。15のグループで面接しても一人10分だから、135÷15×10で90分かかる。そこへ面接官最低2人として計30人の先生が出張ることになる。試験日は平日、高3は大学受験で出払っているものの高1と高2の授業はある。こんな状況をおしてまで面接時間を増やした理由は何か・・・去年の反省からではないか? 面接段階での生徒への思惑・思い入れが入学以降、期待に添うものではなかった。ゆえに面接の見直しが検討され、今回の突然の変更となった。となると面接の持つ比重は増すはず・・・。
となるともうひとつネタが欲しい。クラブは吹奏楽部だっけ・・・個人の技能と全体の完成度、どちらが欠けても完璧ではない。一人はみんな、みんなは一人・・・。

千尋のしゃべる話のスジを俺が組み立ててはいない。千尋が俺との架空面接で話すなか、内容に”熱さ”や”つや”のないコメントがあるとしつこく指摘し罵るだけのこと。面接に秘めやかな闘志なんぞいらない。闘志があれば見得を切ればいい。俺がしたこと、思いつくまま幾多の必然、千尋が松阪理数を受けるに至った必然めいたネタをかき集めてきてはオモチャ箱よろしくひっくり返しただけのこと。後はその食材、千尋がどう料理するかにかかっている。どんな立派なお題目を唱えようと”どうしても入学したいという熱さ”が千尋になければ、今回は仕切り直し。勝負は3月12日にもつれ込む。

美季もまた千尋同様にウチの塾への密航者。こっちはお寿司屋さんの娘だ。今からちょうど1年前にウチの塾にやって来た美季は200点にすら手の届かないやっかいな生徒だった。初めから松阪商業を志望していた。理解するまでの時間は少々かかるものの毎日来てくれれば津東あたりで勝負できると言ってはみたが気乗り薄。ままよと「中学の思い出に一度400点以上取ってみたら?」との誘い掛けには関心を示した。
おおまかな計画を組んだ。2学期の中間試験で400点以上取ると目標を立てて徐々に受験生に仕立て上げていった。数学や社会・理科などは意外とスムーズに上昇した。しかし英語がネックだった。夏休みは英語と心中すると心を決めた。
そして2学期の中間試験の返却、俺は初めてあんなに嬉しそうにテストを見せる美季を見た。408点! そして中間で高得点を挙げて安心しては期末で沈む幾多の先輩達の例を挙げ、期末試験はさらなる飛躍を目指すようにと言った。別段、美季に勉強を教えたかというとそうでもない。おおまかな指示を出すには出したが、それ以外は美季の裁量に任せた。ただ毎日のように「頑張ってまっか?」という問いかけを呪文のようにつぶやいてはいた。
3学期に学年末試験がない白山中にとっては最後のメジャーな試験、2学期期末で美季は432点を取った。ところが今年から実施の絶対評価のあおりを受けたのか、内申が思ったほど伸びない。これが唯一の不安材料として残ることに・・・。

期末以降は作文を徹底的に書かせた。以前から気になっていた絵文字めいた字を改めさせるため、ゆっくりと時間をかけてしっかりした文章を写させた。

面接のネタは千尋に比べて食材豊富。お寿司屋さんで過ごした思い出、中学入学と同時に兄から教わったパソコンにかける情熱も買えた。しかしネットサーフィンが好きなだけでは説得力がない。「エクセルの表計算できるか?」「少しなら・・・」「じゃあ、入試までに得意にしろ。そのネタで一挙に押し込む」

美季の冬休みは、作文と写文、さらに漢字の演習で明け暮れた。そして時事問題を簡単に解説したガイドを読んだのが良かったのか、話の内容もじっくりと煮詰められていった。

時刻は正午をまわった。美季の面接が終わった頃か、そしてこれから千尋の面接が始まる。

今日の名古屋女子大学の試験で、恵の大学受験の日程が全て終了した。後期日程にもつれ込まないことを切に祈る。また、大輔の京都産業大学、健太の関西大学受験が始まっている。

2月4日

明日の三重高入試で古西・弟が終了する。

去年の三重高は、一般入試が500点中310点から372点がBコース、373点以上がCコースだった。そして推薦入試は300点以上がCコース合格という面妖な選抜。その基準で行くなら古西の去年の試験結果は307点、Cコースということになる。

去年の12月からウチの塾に密航。「津か津西を狙うんなられいめいさんでお世話になるつもりだったんですけど、サッカー中心で高校を考えていたようですから普通の塾に行かせたんですよ」とはお母さん。その普通の塾で受けた全県模試の偏差値51が、このひと月で59にまで上昇した。なにしろ怖い兄貴が元旦の日に家にいると「オマエ、なんで塾行かへんねん!」とすごむような環境。兄貴怖さも手伝っての偏差値59.津西なら合格が見えるが、サッカーで高校大学を駆けぬけていく野望がある以上は大きなお世話? 高校のサッカーの新人戦では三重高、優勝候補の四日市中央工業を破った暁を破って決勝戦に進出を決めている。相手は去年の三重県代表校・日生第二。しかし古西に言わせれば三重高の優勝は動かないとのこと。つまりは今まで南低北高だったサッカー界で三重高が台風の目になりつつあるという。古西は四月以降、その渦の中に入っていくことになるわけだ。

この日、佑輔が上京。相手は前菜、東京理科。試験後に帰省し2月中旬、再び上京。慶応・早稲田が待っている。

佑輔はJR水道橋東口で村瀬(横浜市立大学1年)と待ち合わせ。慣れなかったのは佑輔じゃなくて村瀬、地下鉄でやってきたのがアダとなり小一時間の遅刻。

2月5日

三重中央病院へ出向く。日比均(8期生)が入院していると聞いたからだ。なにしろ病名がすごい・・・腰椎破裂骨折。仕事でやったんだろうと顔をひきつらせてドアをノックしたら、なんとスノーボードで空中に飛び過ぎて尻から落下したとのこと。「アホらし、心配して損したわ」「でもな先生、もう少しずれてたら下半身動かんかったって言うてたわ。もうちょっと同情してよ」「アホ!今日は俺、忙しいねん。もう遊んだらへんわ」 悪態をついて早々と退散。しかしラッキーだった。さあ、今日はどんな一日になることやら。

三重高入試。

セーラー服姿で愛が姿を見せる。「どやった」「簡単でした」「あんたは?」「いえ、過去問に比べたら数段。高田みたいに英語と数学は簡単だけど社会が難しいとかじゃなくて、5教科全てが簡単でした」「えらい言い方やな」

今日から一挙に公立高校モードに突入する。津と津西受験者には記述問題集を渡す。「開明学院さんでの試験日までにこの理科と社会の記述問題集を終わらせといてや」「試験って今週の土曜日ですよね」「ああ、俺にとっちゃ私立高校よりも開明さんとの試験のほうが悠かに大切や」 残された期日は今日を含めて3日・・・沈黙が広がる。

過去2回負けていたM塾の先生が来られた。「完敗です」「何がですか?」「全県模試ですよ。うちは58.9でした」 このホームページでウチの平均を見たんだろう。「どうも冬休みあたりから雰囲気がゆるくなっちゃって、ここ最近やばいんですよ。明日の結果がどうなるのか・・・」「明日って何かありましたっけ」 M塾の先生、呆れた顔で「先生、明日は高田高校の合格発表ですよ!」

勉強しているゆかりにたずねる。「明日って高田の発表なんか?」 キョトンとした顔でゆかり、うなずく。「先生、知らなかったんですか」と沙耶加。「ああ・・・まいっちゃったよな。心の準備してねえよ」

2月6日

高田高校合格発表。

ほぼ全員がU類に合格する。愛は6年制編入で合格している。ゆう子から電話、「先生!U類に受かった!」「よかったな、あんたが受かったらそこいらの猫でも合格するわ」 ちさも嬉しそうに合格通知を見せる。「U類に合格しました!」 これもこの上ない笑顔で。優秀だった兄貴がU類にいる、これで同じ土俵に立てたわけだ。「オマエがU類に受かるなんて犬でも合格するよ」と言って、しかし・・・と一人ごちる。高田U類、今年は異常にゆるい・・・。

紆余曲折の末に三重大学生物資源を受けることにした橋本(高田U類)、唯一の私立大学に臨む。遠山プランの一環である「21世紀COE(センター・オブ・エクセレンス)プログラムに選定されて鼻息の荒い近畿大学だ。さて感想は・・・「数学がこんなに簡単でいいんかなと」「スゲエな、じゃあ英語は?」 じっと頭を垂れる橋本であった。

夜になって古西から電話。「先生、高田U類に合格しました」「オマエなんかがね、U類に合格したら片田団地のタヌキでも合格するわい!」 古西までが合格。このゆるさ、底無し沼かい。

卓がやって来る。「先生、明日から東京です」「そうか・・・頑張っておいで」 卓は東京で立命館と東京理科の三連荘。この時期、東京のホテルは大賑わい。大学受験生で満杯になる。これは関西の私立系が全国に試験会場を設置しているのに対し、東京の早稲田・慶応などの有名大学が地方受験を実施していないことに原因がある。卓は3日の泊まりのうち、明日だけはホテルが取れなかった。ゆえに塾の2年先輩、今井(立教大学2年)の下宿にやっかいになる。

2月7日

卓は我々の期待通り?1本早い新幹線に乗ってしまったという。それに気づかず車両の中をうろうろ、「ボクの席がない、指定席のはずやのに」

鈴鹿高校合格発表。

鈴鹿高校を受けたのはゆかとちさ。ゆかは高田に落ちていたので心配しきりだったが、なんとかU類に合格させてもらった。電話がなかったので心底肝を冷やしていたのだが、・・・安堵、そして突然もたげる怒り。「合格しとったんならなんで電話せえへんねん!」 ちさはまたもや俺の目の前に合格通知の入った封筒をつきつけ「V類に合格しました」「まぐれやな」 ムッとするかなと思いきや「お母さんもそう言ってました」と笑顔でかわす。

あすかと健太が藤田保健衛生(愛知県)を受けている。午前中の学科試験終了後、午後から面接が始まる。あすかと健太は別のグループ、しかし健太のほうが順番が早い。あすかの面接が終わったのは午後5時30分。帰りの道を聞こうと健太の携帯に電話すると「えっ!今面接終わったん。僕、今久居駅に着いたとこやで」

明日は開明学院さんでの試験。試験会場となる津新町校に挨拶に出向く。今年から各校舎実施になったとかで、場合によってはウチの塾で開催しても構わないとのこと。しかし開明学院さんの試験を受けさせてもらう目的は、ウチの塾内でのぬるい雰囲気を払拭したいがため。初めての会場で、初めて会う生徒達の中で試験してほしい。無理を言って津新町校でお願いした。余計な雑務が増えるのに快諾していただいた。感謝する。

津新町校の牧野先生との会話のなか、俺が塾内に掲示されている優秀者名簿を指差したずねた。「このT君ですね、よくできるって評判の子は」「ええ、全県模試でずっと一番だったんですけどね、今回は一番逃しちゃったんですよ。ところで今年のれいめいの生徒さんはどうですか」「はあ・・・実は一番取ったんがウチの生徒なんです」「こりゃあ・・・」「ええ、今年は大変なことになりますよね」

全県模試でシノギを削った両者が同じ教室で対峙する・・・。

ウチの塾生が先輩の下宿に泊まる時の宿泊代は、その夜の飯代。それも下宿生にとって普段は手が出ない食事。毎日前を通っているちょっと豪華な店のショーウィンドー、「バイト料が入ったらここの定食食べたる!」なんていう飯代。予算的には1500円程度、それを宿泊代代わりに塾生が払う。当然、このことは卓には伝えた。一方今井は、せっかく三重県から出てきたからには先輩の自覚?奢ってやろうと決心していたそうな。しかしそこは下宿生、懐具合と相談。結局はうまいと評判のラーメン屋へ。食べ終わって今井がお勘定を払おうと立ちあがると、おずおずと卓のたまう「僕が払います。塾頭からも言われてますから」 遅いわ!

2月8日

目覚めれば朝、沙耶加と香織とちさが勉強している。時刻は8時30分過ぎ。そろそろ開明学院へ出向く時間だ。3年前の学年から始まった2月の4R(ラウンド)。今年はどうな勝負を見せてくれるのだろうか。

私立高校が終わると合格した生徒は和み、落ちた生徒はショックからなかなか立ち直れない。どこの塾でもそうだろうが、ウチの塾にとって2月も鬼門だった。

今から9年前、8期生の受験。中学の先生から到底無理だと言われた高田U類に森下は合格した。森下、そう5年間の留学の後に立命館大学国際関係学部に入学、ウチで英語を教えている森下だ。有頂天になっていた森下を俺は何度かたしなめた。「勝負は2群や、私立の合格に沸き立ってんじゃないよ」 森下も頭では分かっていたはずなのだ。そんな森下が俺のワープロに打ち込んだ文章。

僕は一体どうしてしまったんだろうか。決して高田が本命じゃなかったはずなのに。勉強に集中できない。まずい。まずい。まずい。

メモリー装置があるゆえに電源を入れると上の文章が立ちあがった。俺は何度も読み返した。俺もまたうめいていた。どうすればいい・・・。森下とは何度も話し合った。頭では分かっていたはずなのだ。過去の入試問題でも苦戦を強いられていた。しかし状況は変わらなかった。

森下は2群に落ち、高田U類に進学した。それ以後、2月のこの時期、安堵と落胆のなすがままの難破船のなか、俺は幾度も森下が残したメッセージを思い出しては唇をかんだ。

4年前のこと、公立入試直前のひと月をどう過ごすかで頭を痛めている話を永橋学長にしたついでに、ダメもとで開明学院さんの日曜講習(当時)に参加できればなあと口にしてみた。意外なことに永橋学長、「いいよ、いっしょにやろうよ。ウチの生徒達もその点じゃ同じだろ。優劣を競うんじゃなく、お互いの塾生の刺激になってくれたらどちらの塾にもメリットがあるじゃないか」 度量がでかい。ウチも開明さんも同地区で競合する(規模は天地ほど違って勝負にならないが)塾である以上、このような試験をすること事態、いろんな雑音を招きがち。それを塾生のテンションの維持と志望高校への合格を最優先しての大英断。

一年目は今年の高3の面々だった。あれから3年が経つ。いつしか開明学院との4R(ラウンド)が、この時期のウチの塾の風物詩となった。私立受験終了とともにその週末から毎週試験が続く。それも塾の看板を背負っての勝負だ。2年前、そんな過酷な4Rをくぐり抜け、全県模試偏差値40からからスタート、ほとんど目がなかった大森と直嗣が津西に合格していった。去年では良太と慎太郎とゆいがラストスパート!見事津高に合格した。

かつてウチの勝ちパターンは先行逃げ切りだった。1学期から積み重ねた貯金で勝負にいっていた。それがここ最近はマクリ勝負が主流となった。

4年目の第1Rにあたる今日、開明学院の先生が教室を見渡して言ったそうな。「今回の全県模試で一番だった生徒はだれかな?」 躊躇しつつも山本愛が手をあげた。「君の名前は?」「山本愛です」 教室内の幾多の視線が注がれた。それまでずっと一番をキープしていたのはT君も同じ教室内にいる! エグイことするわ。それまで一番だった生徒を他の生徒がちゃかして叫んだそうな。「おい〇〇(名前)!にらむなよ!」 場が和んだ。

この話を聞いたのは甚ちゃんからだ。今年の開明学院津新町校の中3は明るい。そんなギャグを許すような雰囲気がある。こんなチームが強い、こんなチームが怖いのだ。山本愛が県順位一位を取ったといっても、この生徒とはたった3点差。そして今日の教室での感情の流れ、開明学院の先生があえて踏み込んだT君の心の襞・・・今年は厳しい勝負になる。

なお、結果についてはこのホームページ上では公表しません。塾の優劣を競うものでないものの、情報として差し障りがあります。ご了承下さい。         

開明学院津新町校へ娘のれいを連れて出向いた。ただでさえ人数が多いのに、ウチの生徒の採点処理で迷惑をかける。ささやかながら陣中見舞い、シュークリムの差し入れ。永橋学長のご子息、永橋教室長が怪訝そうな芳情でれいを眺める。「来年の土曜講習でお世話になると思います。娘のれいです」 れいが頭を下げた。永橋教室長、間を置いてひと言。「似てませんね」

塾に戻ると千尋が一人で勉強してた。「よお」「あっ先生、松阪理数合格しました」 さっそく高校数学の二次関数と因数分解対象式に入った。

卓から橋本へメール・・・「数学が・・・」のわずか三文字。

明日の9日は、あすかの最後の入試。星城大学である。「先生、面接どうしよう?」とあすか。「なんで? 今まで面接受けてるんやろ」「明日は理学療法やないの。作業療法なん」「!!! アホ!はよ言えよ」 てっきり理学療法かと思ってたら作業療法科だって! 俺には鈴鹿中央病院で見学したさいの調理場と裁縫道具が置かれた机くらいの記憶しかない。あすかの知識もまた、理学療法が「歩く」「立つ」「座る」などの基本動作の次のプロセス、料理をしたり裁縫したりのレベル。こんなレベルだと面接で勝負にならない。俺は理学療法士の紗耶加のお父さんへぶしつけの電話。さらにソーシャルワーカーの花衣のお母さんにも・・・。

作業療法は元来精神科での治療方法だったという。陶芸や木工細工など、あるいは箱庭療法などで精神の安定を図るのが主な目的だった。これはポイント! 辞書的な知識で面接にやってくる生徒にはこれは効く。あすかは心理学に興味を持っている。そこからアプローチすれば内容的に斬新なはず。そして現在は作業療法士が不足し、在宅でリハビリを希望している人達には作業療法士に代わって看護士さんがサービスをしているとのこと。つまり大学の理学療法科を卒業、後の展開に関しては受験生のほとんどが病院勤務を当然視しているはず。これを逆手にとって、病院の外に出て在宅でリハビリを受けたい人達に作業療法科で学んだ知識を実践したい・・・これで行くか。        

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