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Gazing At " Promised Land "

2003年度 6月第ニ週


6月10日

鳥羽のオッサンが言うところの「伝説の蕎麦」を求めて松阪から166号線を飯南方面に向かってひた走っていた。

「松阪から山へ山へと走ったとこにその蕎麦屋はあるんや。坂内ていうとこにやったかな。とにかく山また山や、そんな場所にな、つなぎを入れへん蕎麦粉100%の蕎麦を食べさせてくれる店がある。あれを食ったらな、今まで俺が食ってた蕎麦は何やったんやろと思うで」

住んでいるのが相差、刺身の鮮度にはうるさいオッサンだが、蕎麦やうどん、スパゲティなどの麺類にこだわりを一切持たない人だったはず。そんなオッサンがこれほどまで鼓舞する蕎麦屋って・・・。

「でも混んでるやろ」「アホ!そんなふらっと行けるような場所やないわい。山また山・・・」「わかったって」

しかし坂内をうろうろするものの、それらしき店はなし。洗濯物を干す手をとめて相手してくれたおばちゃんも「ここらへんには食堂なんてあらへん」 宅急便のおっちゃんも「ここにある店は豆腐屋が一軒だけや」 ただおっちゃん、この道を登って峠を下りたところにうきさと村というのがあって、そこやったら食堂あるなって。そのヒントに希望を託しおんぼろエスティマ、細野峠を越える。しかし、期待満面で入ったうきさと村にある食堂は蕎麦ではなくうどん。モロヘイヤ入り細雪うどんという、薄緑色をした細麺だった。これはこれで絶品といっても過言ではない。口あたりのいい腰の入った麺だった。結局、幻の蕎麦とやらは断念して、帰途は嬉野へと続く心細い道を走る。

山また山をうねるようにして対面不可能な道を走っていくと道の傍らに粗末な「そば屋→」という家の標識ほどの看板。あっ!と思って横道に入る。伊勢山上・・・修験道の始祖と呼ばれる役小角がつくった修験道場という知識が蘇った。山頂へと続く階段の麓、粗末な看板の標す蕎麦屋はあった。しかし人の気配はない。定休日?いや潰れたのか・・・。再び車のエンジンをかけた。再び両脇に迫り来るうっそうと茂った森林が視界から昼の光を奪う。やがて自動販売機がポツリポツリ・・・それで安堵を感じる俺もどうかと思うが、人家が点在する場所へと下りてこれた。嬉野の中郷地区・・・下界に舞い戻った気が心底した。

携帯を忘れたことが悔やまれたが、遅まきながらオッサンに連絡すると、伊勢山上の麓の店が幻の蕎麦屋とか・・・。しかし味はどうあれ、果たしてあんな場所まで出向く客が何人いるのやら。

6月11日

宮口の携帯に連絡、正午前に「都寿司」に到着。駐車場にはたくさんの車。新装の店内に足を踏み入れると中井の親父さんが笑顔で迎えてくれる。
宮口は俺に気を使ったのか、一番安い1000円の寿司を頼む。聞けば天巻きが好きだとか、天巻き追加。キングコングのような宮口、意外なことにワサビが苦手。3年前に大阪の天満で寿司を食ったときも恥ずかしそうに「わさび抜きで」を枕詞に注文してたっけ。
「フランクフルトもケチャップだけ、マクドナルドもマスタードがきついと友達に食べてもらってますよ」 そんな宮口、天巻きを一口ほおばるなり顔をゆがめる。珍しいことに天巻きにワサビ、少々ではあるが侵入している。俺なんて気もつかなかったが。結局、天巻きをもう一人前を頼むことに・・・。
「昨日も90人からのお客さんに来てもらったんやけど、注文に全然追いつかない。厨房の仕組みに慣れてないこともあるけど、無駄が多い設計、業者にさっそく変更を頼んだんや。昨日なんて注文が遅いからって帰ったお客さんもいるけど、こればっかしは仕方がない」
開店して間がないこともあって店内はスムーズに回っていないようだ。中井、早くオーストラリアから帰って来て手伝えよ。
やっと寿司が到着、俺はビールを1本だけ頼んだ。さすがビールは早い? 満を持して宮口のコップにビールをに注いだ。「宮口、内定おめでとう!」

宮口とこ奴の第一志望だった龍谷大学の合格発表に出向いたのは4年前。三重高だったこ奴にとって、自分の番号を見に行くというのはこの時が生涯唯一の経験。しかし自分の番号はなかった。俺達は無口で龍谷大学を後にした。どこへ行く予定もなく、来た1号線を戻った。おんぼろエスティマ、来る時のスピードは姿もなく無気力な運転に終始した。車の中の会話も、これからの大学生活に沸いた行きしなと違い、二人投げやりな視線を外に向けていた。土山にあるうどん屋でエスティマを止めた。あの時の二人、何を注文したのか忘れてしまった。ただただ痛恨の念だけを噛み締めていた気がする。

宮口に言った。「龍谷の合格発表の帰りにうどん食べたよな」「ええ、覚えていますよ・・・あの時は、あの時の経験は・・・いい経験だったと思います」「そうか・・・」

志望高校に合格させることができなかった生徒に対し、俺は臆病になる。その生徒が高校でもウチの塾を続けてもらうことになると泣きそうになる。その感情を押し包んで厳しくなる、性格が悪くなる。
宮口は高校に入ってからウチの塾に密航してきた。中学生に理科の1分野の計算をしつこく教えている俺を見て、宮口は妹を半強制的のようにウチの塾に引っ張って来た。それがあすかだった。口の悪い向きは、このことを宮口最大の功績と言っている。その急先鋒は俺だが。
そんな宮口の大学入試は俺にとっては緒戦。そして敗れた。後は就職試験しか残っていなかった。ことあるごとに俺は宮口に就職活動を早く始めるようにと説いた。ただでさえクラブ大好き人間、久居中・三重高とバスケット部キャプテンを務め、大学ではラクロスにはまっていた。しかし今の就職を眺めていても、一昔前のように体育会系だから決まったなんてノリは皆無。今のご時世、企業側にそれだけの体力が残っていない。こんな状況にクラブのことしかしゃべれない宮口、分が悪過ぎた。近畿大学工学部、卒業研究が4年からというのも不利だった。理系の場合、面接で卒業研究について聞かれるのは常識。「これからです」なんてシャレにもならなかった。
俺は宮口に業界常識を知ってもらうために中学・高校の同級生を紹介した。通称ベンちゃん、ベンちゃんはかつて宮口の第一志望、住友Dに勤務していた。エリート中のエリートだったという。12年の在職のなか13の外国工場を作った。しかしその海外勤務の長さゆえ、仕事より家族を選んだ。
この4月、宮口とベンちゃん、そして何故か杉野(共立薬科大学3年)も連れて「おかめ」で飲んだ。品質管理に興味を持っていた宮口にとり、ベンちゃんの話は渡りに船。業界内のネタが車関連にまで広がったことから急遽森下も参入、大いに盛りあがった。言わばウチの塾の看板、「大人が仕事を語る」番外編。ベンちゃんの人間的魅力も大きかった。宮口なんぞ、住友Dで鍛えてからベンちゃんの会社に入りたいとまで言いきった。
5月8日、宮口に内定が出た。大学受験には失敗した。第一志望を合格させることはできなかった俺にとり、宮口の内定は胸のつかえが取れた一瞬だった。

この場を借り、宮口内定に有形無形のサジェスチョンを与えてくれた諸氏に感謝する。

小雨が降りしきるなか、娘のれいとめいを車に乗せ白山へと走る。さきほど愛から連絡。「先生、ほたるがそこそこ出ています」

車を止めて3人で田んぼ道をそろそろと歩く。「あれ!」とめい。「いた!」とれい。月曜日ほどではなかったが、そこにははかない光がかなりの数、空を舞っていた。

6月12日

忘れ去られたようにある山田寺。無実を訴えながら山田寺の金堂の前で自殺した蘇我倉山田石川麻呂を想った。その回廊が復元され、飛鳥資料館に展示されている。そして小学校の社会見学以来の石舞台。昔の記憶をまさぐっても、田んぼのなかにポツンと石舞台だけがあったような気がする。箱庭みたいに整地されている石舞台に違和感を感じた。ここの駐車場に車を止めて奥さんと明日香を散策する。
藤原京の四大寺と謳われた川原寺(日本史では「かわらでら」、地元では「かわはらでら」)では建物は建ってはいなかったが伽藍配置がよく分かった。門を入ると右に仏舎利塔で左が金堂。法隆寺と逆の配置だ。大学受験頻出の伽藍配置、なんでこんなんが試験で問われるんやろね。そして飛鳥寺、ここは仏舎利塔を3つもある金堂が取り囲む伽藍配置のはずが本堂ひとつ・・・。まあ、その堂内に教科書でやたら有名な復元図は掲げられてたけどね。これまた教科書で超有名な鞍作鳥仏師の作になる釈迦如来像(飛鳥大仏)は傷だらけの顔が時代の流れを感じさせてくれて感動ものだった。606年完成だから奈良の大仏より150年も古いと住職、力説していた。境内から南の方角を見るとなだらかな丘陵が続いている。この風景が百済や高句麗の地形に酷似していることから渡来人が多く住んでいたという。
大化の改新で中大兄皇子と中臣鎌足が皇極天皇の目の前で蘇我入鹿を殺した場所は飛鳥板葺宮。そして壬申の乱に勝利した大海人皇子が大津宮から遷都し、天智天皇として即位したのが飛鳥浄御原宮。同じ明日香ゆえに近くにあるだろうと探し歩いたら、同じ場所にあるとのこと。つまり板葺宮の跡へ浄御原宮を建てたことが最近の調査から分かったとか。

最近太りぎみの俺に奥さん、「歩きなさい」と事あるごとにのたまう。久居周辺では興味をそそられないと、俺が提案した明日香散策。これからも週一程度で奈良を歩く。次回は唐古・鍵遺跡と薬師寺あたりか。
しかしダイエットの目的も、通称「天理ラーメン」で有名となった彩華ラーメンをたらふく食うたらご利益もないわ。

6月15日

森下が高2の授業を休講。依然として就職戦線異常ありか・・・。

しかし頭に来るのは高2である。あれだけ森下が休む時には事前に知らせるようにと伝えてあるのに連絡がない。森下が授業できないのなら俺がする。ほぼ全員の英語は朽ちかけている。しかしその危機感はない。なまじ高校入試でいい目をした奴が多い。ゆえに土壇場で頑張りゃなんとかなるだろうとタカをくくっているんだろう。大森のようにクラブにどっぷり浸かっている奴が多い。津高野球部の面々だ。「努力すれば君だって甲子園に行ける!」なんていう線香臭いお題目、いいかげんやめてもらいたい。練習時間で生徒達の時間をあそこまで束縛する以上は責任を持って目標を設定してほしい。それがベスト8でもいいし、2回戦突破でもいい。現実性のある目標が肝心なのだ。さしたる実績もなく「今年は絶対に甲子園行けますよ」なんて、健康印の瞳でのたまう生徒を育てているクラブ。まさしく宗教・・・。卓や大森がそれまでさしたる実績もなかった高校に進学後、地道に一歩一歩実績を積み上げてきた軌跡とは比べ物にならない。クラブをしていることが成績の悪い免罪符となっている。卓にしろ大森にしろ、クラブをしていることを成績の悪い言い訳にはしなかった。クラブをしていない生徒より真面目に塾に来ていた。だから、どんなことに対しても決して手を抜かない性格だから、クラブでも実績を残せたんだろう。クラブに入っていることを隠れ蓑にして怠惰な生活を送っている奴が、えらっそうに有名な大学をあげるんじゃねえよ。もっと足元を見ろって!

大森・兄(皇學館大学4年)が三重県警の一次試験に落っちまった。かなり前から準備をしてたんだけどな・・・クソッ。あとは一次試験に受かっている大阪府警の二次試験。こっちのほうも就職戦線異常あり・・・。

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