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Gazing At " Promised Land "

2003年度 9月第2週

9月8日

中2に夏休みの復習第一弾・一次関数の総合問題。当然にして中3も付き合うことに・・・。中2の仕上がり、まだまだ不十分。これは予想範囲内ではあったが、やっかいなのは中3の完成度もまだまだ程遠いということ。俺の頭の中ではとっくに終わったはずなのに、現場サイドでは調練不足に悩まされる。俺の実感と生徒たちの実感の隔たり、まだまだ大きい。とにかく日進月歩、この狭間を早急に埋めねば・・・。

森下が京都に帰るという。あわてて奥さんに電話、森下のバイト料の支払いをお願いする。

午後10時、「じゃあそろそろ行くわ」と言いつつ森下が立ち上がる。駐車場からのっそりと車が動き出すのを眺めながら、本当に今夜こそ今年の夏が逝っちまったことを痛感する。こんな気分の日は酒でも飲んで早く寝ちまうに限る。そう思っていたら、深夜1時に中3の絵梨香、2時には怜美を送る羽目に。さらには寺沢と直嗣に英語の授業をすることになり、終わったらすぐに直嗣を自宅まで宅急便。久しぶりに家のリビングに横になり、テレビをつけると朝一のニュースをやっている。すでに新しい一日が始まっている。

9月9日

久しぶりの港町、かといってヘビースモーカーの俺に潮の香りが分かるはずもない。ただ、時間に急かされることもなく、始めての道を好んで走り初遭遇に胸をときめかせたり、初めて入る喫茶店のランクを付けたりして楽しんでいる。今日の目的は生徒とのランデブー、相手は2年前に少しだけウチの塾に密航した生徒。今日はその子に謝りたかったのだ。

午前11時頃から何度もその子の家に電話するものの外出中。ついてない・・・昔、女の子の住む下宿の近くでぶらぶら時間をつぶし、偶然の出会いを運命の出会いに仕組んでやろうと目論んでいたことを思い出す。おんぼろエスティマ、今日は勝手気ままに港町界隈をひた走る。

その男の子の行きそうな場所、といっても図書館くらいか。ささやかな可能性を祈って図書館の扉を開ける。静寂のなか、本を膝に置いて居眠りしている社会人風情。営業マンにとれば安くつく暇つぶし? そしてさすがは過疎化の進む港町、ソファで高いびきのジイサン達が存在感を示してる。どうやら俺のお目当て、屈折した二浪風情は見当たらない。

「こんな日もあるさ」、今までの人生で幾度となくつぶやいたはずの台詞を口にしてみる。俺は授業に間に合わせようとアクセルを踏み込む。

中1は一次方程式の距離算で苦戦している。先週から距離算のいくつかのパターンを教えるが、なかなか理解できないでいる生徒がほとんど。

9月10日

大西君から結婚式の招待状が届く。10月7日の火曜日、場所は東洋軒。東洋軒といえば、公則(8期生)の結婚式の会場。あの時の俺は、新郎の貸衣装目がけ新婦が出席者のために選んだというケーキを投げまくった。果たして東洋軒、あの時のことをまだ覚えているのか、いささか不安。入店拒否でもされたらどないしょ・・・。

授業もないのに松原と慎太郎(ともに津高2年)が顔を出す。姿勢としては買える。こんな日を積み重ねていけば志望大学も夢ではなくなるはず。今年の腹筋が、来年に疾走するための不可欠な要因となるはず。今はただひたすら身体をいじめてほしい。

中2に一次関数の試験、当然のように中3も参加。これがやっかいなことに中2の彩加がミス1でトップ。中3はミス2からぞろぞろやってくる。ウチの塾のルールにのっとり中3の英語の書き写しが決定する。範囲は2学期中間試験の範囲と予想されるところ。それを訳しながら、SVOCを用い英文を分解していく。夏期講習では関係代名詞や分詞の形容詞的用法なども履修済み、いうならば高校英語の擬似的な色合いを持つ勉強となる。彩加に負けたことは恥ずべきことだが、中3にとってはこの夏に習得したはずの英語理論を自分で実践できるのかどうかが問われる時間となる。期日は1週間、修練されたし。

9月11日

中1にはしつこく一次方程式の距離算で攻めたてる。確か今日で4回目のはずだ。今日は距離の時間差の問題ばかり。なんとか慣れてはきたようだが、解けてうれしそうな顔をする生徒は少ない。解けてやれやれ・・・てな表情が教室のあちらこちらで花開く。いつになったら喜色満面となるのやら・・・。

8月10日実施の全国統一模試が返却される。ブーちゃんの偏差値、英語は39、国語は43、政治経済は65。政治経済は及第点、仁志の奮闘がちったあ実ったか。しかし英語はまったくダメ、即効性のある政治経済に集中して、地道な努力の積み重ねの英語をないがしろにしている。つまりは性格なのだ、受験勉強にも安易な道はある。中学レベルから始まった大学受験への巡礼、半年で3教科総合は48.7はそこそこなれど、偏差値の取り方が悪すぎる。このまま政治経済が偏差値80にまでいくわけでもなく所詮は偏差値70止まり。結局はどこかの時点で偏差値39の英語と対峙しなければならない。今のブーちゃんの勉強スタイル、その日を一日でも先送りにして今のささやかな栄華を満喫しようとしている。

斎藤(北海道大学)から深夜のミッドナイトコール、不運なことに受けたのはブーちゃん。斎藤から「広辞苑で調べてくれ!」と仰せつかった言葉を必死で探したそうな。「斎藤先輩が25日くらいに帰って来るそうです」 M銀行がらみか・・・、となると宮口(近畿大学)も帰って来るな、そう一人ごちる。

開口一番、「先生、東京へ帰ってきちゃいました」と今井。「どこまでまわれた」「16番札所、観音寺です」 四国八十八他所巡礼は徳島県鳴門市の霊山寺からスタート、鳴門から徳島県北西部をまわって再び徳島市に戻る。観音寺は香川ではなく徳島市の観音寺。徳島県内で23箇所、観音寺からは徳島県南部へと移行し、紀伊水道沿いに足摺岬へと向かう。今井の今回の旅は徳島一県で留まったことになる。     
「先生、一日に40kmはいけるやろと思てたけどありゃ無理ですよ。25kmか、頑張って30km。一番の問題は水分、自販機あるやろとタカくくってたら、徳島県をなめてました。徳島は十分に田舎でした。とにかく暑かった、それに手足が痺れてくるんです。マメもつぶれてくるし・・・、バイトで立ちっぱなしには自信あったんですけどね、マジまいった。それに僕の場合荷物が多かった。歩いている人では僕が一番重い荷物を担いでましたね、どうも僕は荷物をまとめるのがヘタみたいです。泊まったのは結局民宿が一泊だけで、あとは寺の駐車場の小屋や、歩く人専用の宿泊施設です。結局は4泊5日かな。でも歩いている人は想像以上に少なかったです。ほとんどが車かバスでの移動、たまに歩いる人に話しかけても話題が続かない。僕もですけど、歩いてるといろいろ考えるんですよ。これはみんなも同じようで、やはり何かを考えながら歩いている。だから就職の話や仕事の話までできる雰囲気じゃないんです。でもどこへ行っても褒められました。若いのに感心やな、なんて言って・・・。次に行くときは覚悟がいりますよ。とにかく想像していたのとは全然比べ物にならなかった」

9月12日

再び港町へのランデブーに繰り出す。午前10時にかけた電話では歯医者に行ってるとか・・・。今日こそ会えるかもしれない。それまでの時間潰しにと、今や常連となった図書館の扉を開ける。イスラム関連の本を読み飛ばしながら、ソファに沈みジンサン達に負けじと船をこぐ。そこに携帯! 大西君だ。

他人の視線をかいくぐるように外へ出る。「先生、今いいんですか」「ああ、そういや結婚式の招待状来てたで」「そうですか、その折は宜しくお願いします。ところでね、やっと日時が決まりましたよ」「大森の件か!」

ウチの生徒を大学の教室で勉強させてもいいとの許可を大学当局から取り付けたと、大西君から連絡があったのは先週のこと。じゃあ誰を・・・真っ先に頭に浮かんだのは大森、こ奴の拙守な小論文を大西君に鍛えてもらいたかった。なにしろ小論文試験が迫っている。一日でも早いほうがありがたかった。「いつから!」「とりあえずは明後日の14日からでどうです」「俺のほうはぜひともお願いしたい」「大森にもメール打っときましたから」「じゃあ、宿泊場所となる森下にも連絡せなあかん」「森下からは昨日連絡あって、あいつはいつでもかまへんって」 待ち人到来!風向きが変わった・・・。

「実はさ、今Tに来てるんや」「えっ! なんで・・・Kのことでですか」「ああ、遣り残した仕事や」

2年ぶりに会うKは長い浪人暮らしからだろう、真っ白な肌をしていた。「久しぶりやな」「ええ」 ぎくしゃくした挨拶は、俺の突然の来訪の目的を図りかねてのことだろう。助手席にKを乗せ、ゆっくり話せるような喫茶店を求めエスティマは動き出した。

勉強が苦手だと思い込んでいる生徒にはまず、どんなきっかけでもいいから、自信をつけさせてやりたいと思う。そういった状況を意識的に作り出す環境を設営する、それが俺の仕事だと言えないこともない。もしかしたらそれが全てなのかもしれない。生徒が変わるかもしれないきっかけを意識的にだけでなく、意図的になるとしても環境の設営に着手する。しかし、それが悪手となる恐れも当然ある。Kはこの2年、俺の心の片隅に刺さっていた骨のような存在。俺が悪かったのか!との忸怩たる思い、何度も一人噛み潰した。
Kの弟に自信をつけさせるため、という大義名分はあった。自信のかけらもなかった弟をどこから活性化させるか、自信を持たせるか。俺は兄貴に目を付けた。そして弟が兄貴に勝つという展開を心に描いた。
2年前、兄は高3。大学受験を半年後に控え、ひと夏をウチの塾に密航してきた、そして弟も・・・。ふつうなら兄貴の方が大切な時期でテンパッている、弟は後回しになるはずだった。しかし俺は、志望高校に合格、クラブ活動でもチームの中心選手として活躍していた、言うならば恵まれた高校生活を送っていた兄貴を見捨て、途方に暮れていた弟をなんとか生かす道を模索した。
きっかけは見つかった・・・センター入試の国語・現代文。英語や社会ならともかく現代文なら学年差はないに等しい。高1の弟と高3の弟が同じセンター試験で勝負する。そして俺の描いた展開、弟が現代文で兄貴に勝つ・・・。その頃の弟にはどうしても自分に対しての自信を持って欲しかった、きっかけが欲しかった。そしてもし弟が兄に勝ちでもしたら、弟にとって最も分かりやすい達成感を手に入れることができるんじゃないか。俺は高3現代文担当していた大西君に頼んだ。「Kの弟も入れて全員で試験をしてくれへんか」「えっ! だって先生、弟はまだ高1ですよ」 俺が無理強いするかたちで試験は始まった。     
そして結果は、・・・俺の思惑とおりの展開。センター1番&2番の計100点満点で兄は46点、弟は63点・・・弟は兄に勝った。兄だけではなく、その当時のウチの高3の文系の中井(立命館アジア太平洋)にも勝っっちまった。それからも2回、兄弟対決は続いた。そしていずれも弟が勝った。弟にとってこの三連荘は大きな岐路となったような気がする。しかしプライドを潰された兄貴は・・・ウチの塾に姿を見せることはなくなった。

「あの時の俺はな、恵まれた高校生活を送る兄、そして恵まれない弟。その枢軸でオマエさんたち兄弟を眺めていた。ゆえに弟に自信を持たせるには、アンタに勝つという事実が一番手っ取り早かった。自画自賛するつもりはないが、確かにあの三連荘で弟は少し変わったと思う。それ以後の変化はまあオマエさんも知っているところや。でも、弟かわいさに兄貴をほうり出したのも事実・・・だから謝りたかったんや」
 
私立中学を受けるかすみが「正八角形のひとつの内角の角度を求めよ」という問題でつまずく。一次関数の調練が続く中2、今夜は小休止。かすみに八角形を教えるついでに中2も参加、中2履修範囲の角度と多角形の授業を始めることに・・・。今日の中2、ほんまは一次関数の応用だったんだが、まあいいか。

智早(津東2年)が真っ赤に日焼けして塾に姿を見せる。この焼け方は高3とは思えない。今日会ったKの皮膚の色を思い出す。「どないしたん」「文化祭の出し物を外で作っていたらこんなに・・・」 文化祭の完成度から言えばこの辺りの高校では津東の文化祭が一番。生徒たちのそれまでの日々に思いをはせるような努力の逸品。また津東の在校生も文化祭に関しては有無を言わさぬプライドを持っているような。津東に入学して良かったことは・という俺の質問に智早も答えている、「文化祭に対する熱心な取り組みで、それまではバラバラだったとしてもいつしかクラスが一致団結していく・・・。これが一番誇りに思ってるとこですね」 そんな津東の文化祭、明日から始まる。

大森が姿を見せる。「京都ツアーの許可は両親からもろたんか」「ええ、母さんですけど、かまへんよって。それと先生、卓先輩(立命館大学1年)にメール送ったら、卓先輩もこの3連休は剣道の練習で森下先輩の下宿に泊まることになってるそうです」「そりゃ先輩後輩で楽しそうやな、俺も行きたくなったよ。でもな大森、オマエ何をしに京都へ行くんか分かってるんやろな」「分かってます、小論文の勉強に・・・」「それとな、食事代だけは持っていけよ。大西君や森下、「後輩やから奢ったるわ!」なんてカッコええとこ見せたがりやけどな、あいつらも結構苦しい生活やってんねん。そこはわかってやれや」「はい」「まあ、ともかくオマエは日曜日から原因不明の熱が出て、行きたいけど高校へ行けずに1週間ほど寝込むことになるわけやな」 大森が笑って言った、「それもなかなか起きれないほどの・・・」

深夜1時、中3の絵梨香と高3の直嗣と大森を送る。嬉野の島田から津の西郊へとおんぼろエスティマを走らせる。3年前、こ奴らが高校入試に臨んだ日々は毎日のようにこの道を走った。週に2回のガソリン交換も珍しくはなく、一日の走行距離は100kmを越えたっけ・・・。センター試験まで4か月を切った。

9月13日

津東の文化祭が始まる。ウチの娘のめいと那理が見学に行ったはず。

日本海側ではフェーン現象で今年一番の気温だとか・・・37.4度。中村と小瀬古を想った、ざまあみろ(笑)。

午後7時、「いよっ!元気! また帰ってきたんか!って言われるかもしれんから最初に言うとくけど、古西帰ってまいりました」と古西(名古屋大学2年)登場。最もウチの匂いを具現化しているこ奴が、今まで授業をすることはなかった。いわば、遅れてきた真打。明日から古西の高1英語の授業が始まる。

古西だけでも騒がしくなった塾内に佑輔(早稲田大学1年)が登場。「先生、微分の問題集を2冊買ってきたんで支払いのほうをお願いします」

今夜が寂しい塾だったら、深夜にでも大森を京都まで送っていこうかと考えていた。佳子(星城大学1年)も免許取ったことだし、疲れたら代わってもらえるなと気楽に構えていた。それが古西、佑輔、さらに京都から帰ってきた森下と、俄然喧騒の度合いを高めていく。大森もそんな気配を察したようで「先生、僕は朝一で京都へ入りますから」

古市が中1に原価・定価・売価がらみの一次方程式を、森下が高2に英語を、1階では大森・兄が高1と高3に古典を教えている。古い塾では佳子が高3に現代文を教えているはず。佳子が終われば、佑輔が理系相手に深夜にまで及ぶマラソンを敢行しよう。そしてマンツーマンで花衣(三重県立看護1年)とあすかが怜美を・・・。古西は暇をもてあましてバッスマットに横になり、俺はといえばこれを打っている。生徒に相手されないというのも辛いものだ。

今日は鳥羽のオッサンと鵜方の中里先生が福井まで押しかけていき、ブーちゃんの親父とよろしくやっているはず。うらやましいとは思うものの仕方がない。誘われたものの断っちまった。大森の京都留学の件もあれば、古西の初授業もあった。今回の福井行を断ったことでは鳥羽の先生から絶交を言い渡された。ところが福井からの帰りにウチの塾に寄るとのこと、このあたりがいいかげんなんだが・・・。

深夜3時、古い塾から佑輔が戻る。森下と俺はビールを、古西はチューハイを吐きそうな顔をしながら飲んでいた。なんとか帰りたそうな佑輔をビールで誘い、4人して塾を出たのが午後4時過ぎ。佑輔をヨットハーバー近くの実家に送り、残る3人で三雲のネットカフェへ。3時間780円でフリードリンク&マンガのコースを選ぶ。高そうなチェアだったが、寝れそうにない。仕方なく『モンスター』を手に取り個室にこもる。

午前8時にネットカフェを出る。今日も暑くなりそうだ。まずは腹ごしらえをと吉野家へ。森下と古西は、それからバッティングセンターへ行くかゲーセンへ行くかでもめている。その結論は持ち越され、塾に戻ると那理が勉強している。新しい一日がノンストップで始まった。

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