れいめい塾
Gazing At " Promised Land "
2003年度 9月第3週
9月14日
大森(津西3年)が気になる。過保護といわれるかもしれないが、京都に、それも衣笠の立命館大学まで無事に着いたかどうか。正午過ぎ、携帯に連絡を入れる。「今、京都に着きました。これからバスに乗るところなんですけど・・・」
綾奈(高田6年)が古い塾のほうへ自転車で走っていく。すでに佑輔、準備万端ってか。
午後2時を過ぎた頃、「お、立派! 起きてるやん」と、古西が似合わない縫いぐるみを持って登場。ユーホーキャッチャーで2千円注ぎ込んだ戦果だとか。「ゲーセンへ行ってたんか」「それからバッティングセンター、最後は隊長(森下のこと)と卓球。5回やって全勝、隊長の機嫌がだんだん悪くなりねん」「負けることを覚えるべきやな」「ハハ・・・これから家に戻って寝てくるよ。授業が始まる9時までには来るから」
福井からの帰途、鳥羽のオッサンと中里先生が姿を見せる。長浜ラーメンを滋賀の長浜のラーメンだと勘違い、わざわざ北陸道から下りて長浜市内でラーメン食べたとか。旅行にありがちな笑い話を土産にしばし飲んだ。塾に戻ると古西の授業の真っ最中。酔っ払い3人が入っていくと「こらこら!70年代!」と古西の挨拶。塾の先生3人の前でヘタな発音を駆使して授業続行。この精神力は買えるか・・・。
俺が綾奈と佑輔を送って塾に舞い戻ったのが午前3時。綾奈は両親から遅くとも午前1時30分には帰るようにと厳命を受けている。しかし待望の佑輔が東京から戻った今夜だけはと両親に頼み込み、一夜だけの深夜2時半のシンデレラ。塾に戻ると、初めての授業が終わって緊張から解き放たれたのか、俺のベッドを占領しているのは古西。久しぶりに甚ちゃんも姿を見せ、森下と3人で話していると古西、「先生ゴメン、ヨダレでベッド汚したわ」なんぞとありがたくない挨拶をしながら冬眠から目覚める。ギシギシ揺れるベッドの上で「じゃあ、マージャンしましょうか」と俺たちを一喝。「半荘1回ならな」と森下。かくして深夜も深夜、午前4時から闘牌が始まる。
久しぶりのマージャン、珍しく三色が匂う配牌が続く。華があるマージャンなんていつ以来や。オーラス古西、渾身の倍満ツモでも俺の点数には届かない。古西、点棒を配りなおしていると森下が牌を片付けだす。意外そうな顔の古西、「隊長、ほんとに1回ですか」「ああ、始発で京都へ戻らなあかん」
午前5時40分、突如として京都に出発することに。翌日試験を控える古西、長考のすえにマジェスティに乗り込み名古屋の下宿へと。意外とマジメなんや・・・。そして残された俺と甚ちゃん、ええ歳こいてフットワークの軽さを発揮、森下の露払いを務めて仲良く京都へ向かうことに。
9月15日
今日は祝日、通勤の車がないことに加えてこの時間帯、トラックが少ない。3連休の最終日ゆえに京都は観光客で膨れ上がるだろうが、こんな時間から京都に入る家族連れもいないだろう。こんなに快適に疾走できる1号線の思い出は墓の中にまで持って行こうか。午前7時を過ぎた頃にはおんぼろエスティマ、今出川通りを走っている。
森下の下宿の前でエスティマを止める。京都での生活2日目の大森、あくびをしながらドアを開ける。「おはようございます」 おんぼろエスティマ、朝飯を食べれる場所を探して右往左往。『さと』や『マクド』はまだ開いてない。俺は昔よく行った嵐山へと車を向ける。
僥倖にも嵐山の重さを感じさせないようなファミレスが見つかる。ドリンクバーが付いた朝定食がなんと700円前後という『ガスト』顔負け。窓からは渡月橋が見渡せるロケーションでこの値段、安い。
大西君の家に行き、森下は懸念となっていた用事を済ませる。これで俺たちは晴れて自由人、せっかく京都にいる大森に俺は言う。「大森、万が一の場合に備えて京都産業大学を見に行こや!」「えっ!」と大森、絶句。委細かまわずおんぼろエスティマ、北大路から堀川通りを左折。上賀茂神社を目指す。
堀川通りを北上していると、左折すると鷹峰とある。「おい大森、鷹峰や! なんで有名や」「・・・」「アホ、本阿弥光悦が徳川家康から許された芸術村やんか。おい、今度は右に曲がったら修学院離宮や。誰の屋敷や」「・・・」「後水尾天皇やろ! おまえ、やっぱり今回の関西学院のOAで決めれんかったら京都産業あたりで終わるな」 助手席からは何の応答もない。
京都産業大学構内に入るのは25年ぶりのこと。山の丘陵を利用した綺麗な大学だったが、ちっぽけな印象があった。確か俺のいくつか上に笑福亭鶴瓶や清水国明がいたっけ。25年ぶりに見た京都産業大学はひと山を全部飲み込んだような迫力! そこへニコニコした警備員のオッチャンが近づいて来る。「オープンキャンパスに来られた方ですか」 今日がオープンキャンパスなのは初耳。「ええ、俺の息子が受けたいというので・・・」 後ろには場違いな森下と甚ちゃん。「あっちにいるのは立命館に通っている兄と、今度ここを受ける息子の塾の先生なんやけど」「どうぞどうぞ、皆さんでゆっくりと見学していってください」
午前10時半頃に森下の下宿で3人を降ろし、今出川通りから白川通りを南下。南禅寺横から1号に入る。今日は響平が塾に来る。全国統一模試第二回記述の出来が気がかりだった。
今日は阪神が18年ぶりに優勝する日になるかもしれない。さっき甚っちゃんは「先生、じゃあ夜にでも」と言って車を降りた。今日中に三重に戻るつもりでいるんだろうが、阪神優勝となったらそうはいくまい。仁和寺近くの行きつけの飲み屋で六甲下ろしを声がかれるまで歌うことになるだろう。
連休ということもあってか中2の集まりは悪かった。一次関数は終了、角度と多角形に突入している。授業の合間に大森の携帯に連絡。繋がったものの割れんばかりの騒音と嬌声が渦巻く。「先生、大変ですよ! 飲み屋のみんなが六甲下ろしを歌って、店の大将が僕たちに飲め飲めって」「飲みゃいいじゃん。こんな日はこれから20年くらいねえぞ」「いや、僕は飲めませんから」「卓は」「います、だいぶん飲まされてます」「森下は」「めちゃくちゃ飲んでます」「甚ちゃんは」「たぶん、めちゃくちゃ飲んでます」「そうか・・・まあ滅多にない日や。後から思い出すよ、阪神が優勝した夜は、塾の先輩たちと飲み屋のお客さんたちと六甲下ろしを歌いながら飲んでたなって・・・。それに比べて俺は、遠く三重県にいてさ、塾で教えてさ・・・」「先生、聞こえませんが」「聞こえんでええわい、たんなるグチや!」
9月16日
中1は3単現付近の徹底的な英作文をほどこす。仕上がりはまだまだ、徐々にリズムに慣れてきている奴が数人。いつになれば全員が余裕しゃくしゃくで英文を書けるようになるのか、まだまだ調練の時間がかかる。
杉本(三重大医学部看護学科4年)が姿を見せる。なにやら機嫌良さそうな、どうってことない俺を見やって「今日の先生は機嫌良さそうやね」とのたまうなんざ、よっぽど機嫌がいいんだろう。昔の彼と別れ、今また新しい彼と過ごす日々の話が延々と続く。4回生ゆえに就職ネタを振ってみると、スピードにかげりが見える。看護という仕事には誇りをもっているけれど、昼夜3交代の生活には不安を抱いているそうな。「だってそんな生活になったら一人の患者さんにじっくりと腰をすえて看護できないような気がするの。時間に追われて、一人一人をじっくり診る暇もなく毎日が過ぎていくのかなって・・・」 杉本は大学の4年間を通して家庭教師をしてきている。こと教えることに関しては特別な想い入れがあるようで、勉強だけで留まらずに性格にまで踏み込む。頼りない高校生に業を煮やし、熊野の親戚の家まで初めて一人旅をさせる意義を延々と両親に説いたりするスタイル。そして優秀な子よりは勉強が苦手な生徒に俄然燃えるタイプであった。それもあるのだろう、言葉は悪いが「薄く広く」という看護のあり方に不満を抱いていた。
南勢の知り合いから頼まれた言伝・・・「特殊学級の生徒一人一人に付く看護補助師に心当たりはないか」 ふと、目の前の杉本ではどうかなと閃いた。
今夜も佑輔のお通りだ。午前3時に佑輔と菊山と直嗣を送る。津は片田団地にヨットハーバー、それに嬉野が加わる最悪のトライアングル。三雲のネットカフェで「爽天航路」の7〜10巻を読む。
9月17日
大西君の携帯に連絡すると着信4回で出る。今までの最短記録やな。「大森の調子はどう」「今、横でやってますけどね。まあ、要約はなんとか及第点かな。でも意見がね・・・」「あいつの場合、批判精神とは無縁やから、課題の論文読んでも、仰せごもっとも!なんてノリで書き始めるからな」「ハハハ、そうそう・・・ともかく試験まで後1週間ですからね」
森下の話では卓がいち早くダウンし、卓を送っていった時には森下も酩酊状態。森下の帰りを飲み屋で待っていた甚ちゃんが孤軍奮闘。そして大森を連れて森下の下宿に戻った甚ちゃん、翌朝はすっきり目覚めて京都駅から特急で三重に舞い戻ったとのこと。やっぱ、若いわ。
その甚ちゃん、仕事帰りに塾に寄る。「いやあ、六甲おろしを何度も何度も歌っちゃいましたねえ」とご満悦。
9月18日
大西君から定期連絡。株式会社などの理解が不徹底ゆえに、塾に戻ったら政治経済の会社組織の周辺を基礎から教えてほしいとのこと。ブーちゃんでいってみるか。
ブーちゃんか・・・待てよ。今いち、大森の今回の関西学院のAO入試に賭ける意気込みにひずみがあった。確かに熱心に小論文対策を練ってはいるのだが、たとえ今回こけても一般受験があるさ・・・そんな気配なきにしもあらず。俺としては大森のチャンスは今回しかないと踏んでいる。明日、大森は帰省する。明日の夜をいれて試験まで5日を残すのみ。大森のテンションをさらに上げるには・・・仁志を呼ぼう! 大森に経済の知識を詰め込むだけならブーちゃんで十分、しかし万全で臨むために、同時に俺の今回の試験にかける意気込みを大森に伝えるために、ここは無理を言っても仁志を呼び戻そう。俺はさっそく仁志の携帯を鳴らした。
中1の授業中に中井が姿を見せる。「中井やん!」「先生、ただいま。これ、お土産ね」と定番のチョコレートと地図を差し出す。俺は一次方程式で悩んでいる千帆に「考えても分からへんやろ。この包みを破いて全員に配ってや」 いつもなら先輩連中が旅行で買ってきたお菓子を配るのは中3。戸惑いながら包装紙をやぶる千帆。「生徒に対する失礼な言いかた、全然変わってへんな」と中井。「ところで大森の件は知ってるか」「ああ、おおよそは・・・シンガーポールでホームページ見てきたから」「なんて生意気な言い方なんや」「だってフライトの時間待ちで暇やったんやもん」「オマエこそ失礼な言い草だな」
中井が高校時代のダチに土産を渡しに行くからと姿を消したのと入れ替わりに佑輔が姿を現す。「先生、明日帰ります」 そして差し出されるバイト料の請求用紙。「直嗣はどや」「直嗣、かなり数列解けるようになりましたよ」「菊山と綾奈は?」「今日は東京理科大の化学させたんですよ。正答率はキクが80%で綾奈が60%」「この時期だろ、そりゃすごいやん」「ええ、今でも理科大だったら受かるんじゃないですか」
大森の携帯に連絡。「明日の夜に帰ってきたって自宅でゆっくりはできへんで。仁志に無理を言って来てもらうことになった」「えっ!」「明日の夜と土曜日一日、仁志とランデブーや。これを落としたら良くて京都産業大学や」「・・・分かりました」
杉本が姿を見せて勉強している。看護補助師の件だろう・・・。その杉本、「先生、どうして今の奥さんと結婚しようと思ったの」 ややこしいネタふり、今夜も長くなりそうだった。
9月19日
午後4時30分、久居インターを入り、滋賀県の栗東の向かう。仁志をかっさらうのが目的。携帯で連絡を取りながらの移動、ところが先日とは違い1号線の平日のラッシュ時の凄みを見せ付けられる。土山の1車線になるあたりから込み出し、水口から完全に渋滞。南草津の吉野家で待ち合わせ、1時間ほど遅刻。仁志を車に乗せ、大森の最後の4日間にすることを指示する。大西君からも連絡が入る。ダイヤモンド社の経済ハウトゥー本の、ゴローバル化が進む経済と業界標準についての項目に関して仁志が教えること、また筑摩新書の『経済学を学ぶ』の第一章を俺が教えること。以上が大森の最後の4日間のメインデッシュ。さらに高校入試レベルからの漢字の復習が加わる。これは中3といっしょに試験をさせようか。
大森を連れて戻った森下、オーストラリアから舞い戻った中井、そして仁志と飲む。
9月20日
あいの運動会。目覚ましの音で起きる、時刻は午前8時、場所はバスマットの上。なんで目覚ましなんか?と思いきや、森下が携帯用の目覚ましをセットしておいてくれたらしい。なんとか遅刻をせずに小学校へ着く。
運動会は折からの雨のため午前中で中止。午後からの行事は水曜日にするとのこと。
塾に戻ると古西がいる。「やっと試験が終わったからな」
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