2003年2月 第二週 2月9日 午前8時に塾にやって来た愛と午前9時にやって来た橋本を連れて城山の「すし保」へ。あすかの面接が気になる。そして恵からの連絡もない。毎年のことだが待つ身は辛い。 この日、古西・弟の予言通り、三重県高校サッカー新人戦決勝で三重高が日生第二を下して優勝した。果たして今年は三重高サッカー部が三重県サッカー界の台風の目になるのか、興味深い。 2月10日 昨日の試験で英語快調、生物快調、面接なんとか、しかし数学で一発食らったあすかとカトレアで昼食。あすかはオムライス、俺はミソカツ定食。やっと試験から解放されたあすかとの食事だ、話題は千差万別。 三重高の合格発表。しかし久居地区は通知が来るものの、三重高が本命の古西・弟、肝心の津地区にはまだ届かない。三重高は試験の点数に関し情報公開してくれる点は買えるが、通知配布については例年のように地区によってずれる。このずさんな点をいいかげん払拭してほしい。 2月11日 卓が東京遠征を終えて再び塾に復帰。 担任から三重高の合否連絡があったとかで、古西・弟がお母さんと挨拶に。とりあえずは合格したとのこと。 メキシコへの新婚旅行から戻った田丸夫妻、塾へ姿を見せる。塾に来る前に俺の家に寄ってきたそうな。で、奥さんからの伝言ひとつ。「先生、いいかげんに家に帰ってきなさい!と命令口調でしたよ」と田丸君。「あんたも明日はわが身やで」 斉藤から電話。「卒業無理かもしれんけど赤福にエントリーしたぞ」 2月12日 古西にやっと三重高からの通知が届く。「先生、324点でBでした」 早稲田大学から立教大学院への転出を決めた海津圭亮が姿を見せる。さっそく明日から響平の漢文にぶつける。「さあて、彼は宿題やってくれてるでしょうかね」 大輔が全ての受験が終了したとかで挨拶にやって来る。 2月13日 佑輔、二度目の東京遠征に旅立った。明日の14日が慶応、16日が早稲田。慶応はいらない、ウチの塾には似合わない。早稲田を一発当ててくれればいい。 2月14日 あすかの浪人が決定する。看護なら国公立を受ける目はあった。しかし彼女は最後まで理学療法にこだわった。長沼のお母さんからの作業療法士に関するレクチャーに興味を持ち、理学と作業を両天秤で来年にかけることに決定した。 浪人は難しい。充実した浪人生活を送りたいのなら携帯電話は捨てるべきだ。勉強空間へ違空間からの介入。電源を切っておけばおいたで、返信がないとの不義理、どこまでも追いかけてくる。百害あって一理なし。 かつて医学部を目指した女の子がいた。予備校の寮で浪人生活を送ることを決めた時、最後のお節介を口にした。「携帯は持っていくな」 しかし彼女は孤独の防壁よりも他者との連帯を求めた。 |