No.66〜No.86

打ち出し太鼓
落語会を迎えるたびに必ず血が滾る。
終えたあと、満足感、反省(?)、そして次への熱き思いがある。
そんな栄歌の独り言、裏話などをおもしろくお伝え出来たらエエなあと思います。


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 第97回 サウスロード落語ライブ 5/17(土)        
週明けの月曜の当直から体調(バイオリズム)を壊し長らくご無沙汰でした。その間延べ60人以上のアクセスを頂いたのに更新できてなくてごめんなさい&ありがとう! m(_ _)m

当直の後遺症とかなり旬をはずしたのとで今回のサウスロードの思い出はかなり辛いモンになった。落語3席と大喜利、いずれも練習不足・打ち合わせ不足やったと思う。せっかく会場は満席、補助席も出して椅子は飽和状態やったのにこれではお客さんに申し訳ない。次回につなげるためにはもっと我々個々が自覚を持たなアカンと思う。
会がはねて、ワタシのゲストブックによく遊びに来て下さるkotamaさんが篠笛を持ってきてくれた。ワタシも自慢(?)の能管と篠笛を出してきてお互いに品評会♪
kotamaさんはフルート歴20年、和笛にも精通してはって上手に吹かはる。なかなかシャキシャキとした話し方で、なるほど衆朝さんや会長の後輩というだけある。(・・・って、どんなんや!?)
お陰で1年ほど影を潜めていたワタシの笛への情熱がまた外へ溢れてきた。ここんとこ毎日ヒマをみてはCD聴きながら笛を握りしめている始末。お囃子の楽譜がないから遅々としてるのがイライラする。(あっても楽譜読めへんねんけど。。。)
晴れて本チャンの落語会で披露出来るのはいつのことやら。
選手権が終わったら、また能管作りに通おうかな。師匠、許してくれはるやろか?

・・・なんの話や。サウスロードの話は何処へいった!?ま、今回はイッパイのお客様に盛り上げて助けて貰うた、てなことや。

「権兵衛狸」欠多利/「青菜」栄歌/「悋気の独楽」琢磨/大喜利「たぬきの浦島太郎」「一から十(会場からのお代『自動車』)」

No.86   2003年05月24日 (土) 11時34分


 桂文我さんとワタシ その2 「しくじった!」        
それだけ仲良くして貰っていた文我さんを、ある日しくじってしまった!
ちょうど医者になって6〜7年目くらい。どんな重症が来てもそこそこ診られるようになり、業界では「中堅」と呼ばれる働き盛り。研修医は手に負えなくなると何時であってもワタシをコール。上司にはことごとく学会・研究会発表を命ぜられ、心身ともに落語から遠のいた時期があった。
「尾鷲」という三重では南端に近い職場に赴任していた時のコト、そこの近く「紀伊長島」という所で「雀司の会」があった。「チケット、例によってお願いします」とポンと渡された30枚のチケット。なんと津市での研究会発表を命ぜられた日とバッティング!!ルチンの仕事が終わってから毎晩2時過ぎまでデータ整理に追われとてもチケットを売り歩く時間がとれへんかった。
今なら若い医師に患者さんを任せて、名古屋でも大阪でも飛んでいく身分。ケドその時は口が裂けても「落語があるから」・・・なんて言われへんかった。仕事がイチ番、かっこよく言えば患者さんの命がイチ番であった。(あ、今でも・・・デス。)
津市での発表が終わって死に物狂いで長島へ向かった。「死に号線」と呼ばれる事故多発の国道42号線、そこを時速100キロ近くで飛ばして帰って会場に飛び込んだ。雀司さんたちは落語を終えて控え室でくつろいではった。「スンマセン。遅れました。チケットも売れませんでした」と、30枚まるまるポンと返した。言葉が足りんかったンやろな。
その後、文我さんとの交流は途絶えた。
今は奥様と全国を走り回って精力的に落語活動してはる。本もCDもたくさん出版され有名になられ今では雲の上のヒト。それでも地元・三重で活動される時は、下座でも受付でもお手伝いしたい。鳴り物、特に能管の吹き方を教えて貰いたい。
ケド一旦失った信用を回復させるすべは見あたらへん。
No.85   2003年05月14日 (水) 12時10分


 桂文我さんとワタシ その1 「出会い・お宝・想い出」         
文我さんとの出会いは、ワタシがまだ大学生の頃。三落会(三重大・落語研究会)とは別に「寿下無の会」を作って松阪を拠点に活動していた時のこと。
いつものようにワタシの実家・松阪市内の公民館で落語会を開催。と、入口のすぐねきで正座して笑顔で聞き入ってはる若い青年がいた。会がはねてからその青年が「桂雀司です」とおっしゃった。我々一同は飛び上がった!内弟子があけて文我さん(当時は雀司さん)の実家松阪へ帰省してきた時、駅のポスターで寿下無の会のコトを知りはったとのこと。当時、ワタシは「桂枝雀」さんを師と仰いでいたから、そのお弟子さんである雀司さんの登場は天にも昇る思いであった。
そのあとイッショに落語会を開いたり、ご自宅へお邪魔して鳴り物や落語の稽古をつけて貰うたり、雀司さんの会のお手伝いをさせて貰うたり・・・楽しかった。今叩いている「2番太鼓(砂切り)」と「石段」はこの当時に稽古をつけて貰うたモノ。
当時雀司さん経由で買わせて貰うた落語の本・能管・鳴り物一式などは大切に今でも保管している、て言うか、使っている。(アトで「お宝紹介」でアップするね)
松阪に勤務している時などは、2度ほど職場で落語会を開いた。親睦委員会の委員長をしていた時、残っていた親睦会の予算を落語会に突っ込んだ。1年目は「枝雀独演会」、もちろん前座は雀司さん♪ 2年目は好評やったので初めから予算を貰った。この時は「米朝・枝雀親子会」。間に雀司さんが入って下さって、出演料交渉から会場つくりノウハウまで色々と力になって下さった。職員・職員家族は無料の会なので、当時の落語仲間全員に声をかけた。(これナイショやけど)
都合が付くと営業にもご一緒させて貰うたから、当時の仲間の米平・三発・む雀さんたちともお話させて貰うたし、梅田の「雀三郎独演会」に行った時などは楽屋で打ち上げに参加させて貰って、雀さんやべかこさんともお話させて貰うた。
落語が学生時代だけの想い出に終わらず、人生の一部としてこうして今も続いているのは、文我さんのお陰なの。
No.84   2003年05月14日 (水) 11時27分


 「第8回上方落語会」(鈴鹿市・南龍寺) 5/10(土)        
桂文我さんの会に行ってきた。
鈴鹿市の南龍寺という小さなお寺の本堂で、前売り2,000円・当日2,500円。
ご近所のおばあちゃん達やろか、なんと80人以上も容れて、若いお客は我々だけみたい。
5分押しで2番太鼓。文我さんと奥さんと米平さんの3人らしい。太鼓2人と拍子木だけで笛がない。文我さんの笛が聴きたかったのに。弟子のまん我さんが内弟子があけたため、人手不足の感がある。ああ、下座を手伝いたいなあ。
1番手米平さん「つる」。15年ほど前、文我さんが雀司の頃よく営業をお手伝いさせて貰っていた。米平さんはその頃からのお付き合い。15年経って貫禄は出たけど、此処っちゅう時に噛む癖は全然変わってない。今日も噛みまくり。悪いけどちょっと寝てしもたワ。
2番手文我さん「花筏」。前半のギャグが少ない。親方の貫禄もないし提灯屋の徳さんのキャラが一定していない。後半は盛り返したケドかなり不満が残った。素人が何云うねんと言われそうやが、去年暮れの『楽』でのワタシの方がよかったのでは!?
ここで仲入り。ちょっと2,000円は高いゾ!そう思って迎えた後半戦。
食い付きは米平さんの立体落語。これは色モンとしてはグーやねぇ。見ていてなかなか面白い。このくらいの大きさの会場で見るにはOK!下準備も自分でしたとの事。感心した。
トリは文我さんの「寝床」。こいつは凄かった!ベースは師匠の枝雀さんと思う。それを自分風に上手く消化して、新しいギャグも入れてはる。ワタシもこのネタを演るケド文我さんの方が遥かに面白かった!
最後に此処の住職がこの寺を去ると言う、記念に文我さんと対談。これもオモロかった。当然打ち合わせなどないハズが、文我さんの感性が弾けて爆笑に次ぐ爆笑。ここらはさすがや!ワタシの理想とする大喜利の先生の型に近い。勉強になった。
「寝床」と「対談」で2,000円のモトは取った。満足!

「つる」米平/「花筏」文我/〜仲入り〜/立体落語「西遊記」米平/「寝床」文我/「対談」=住職vs文我=
No.83   2003年05月12日 (月) 01時52分


 今1人で反省会をやっています!        
ワタシには大切な友人がいる。いつも落語で迷子になると的確なアドバイスをくれる。以前「時うどん」で落ち込んだ時なども支えてくれた。
落語会はよく競演会てなこと言うけど、どうも最近ワタシは落語で誰かと競っているらしい。「最近『持っていかれる』という言葉が多くなって心配」と、競っている姿勢を指摘された。確かに過去ログを見ても「惨敗」「迎え撃つ」「敗因」「雪辱」「負け惜しみ」などの言葉が至る所に。
楽語の会や大阪の天狗連、実力者がひしめく中でお互いが刺激をしあい競い合って芸を磨いてきたつもり。しかしそれは演者間の問題であって、たしかにお客様にはなんの関係もない。誰が上手かろうが誰が劣っていようが、会全体としてよかったのなら成功ではないか。けっして反省はしても競う必要はなかったんや。
勘朝さんトコの日記を拝見した。『楽』でのことが書いてある。「共同制作の落語会」そう表現してくれている。暖かいお言葉や。以前からワタシがよく言うて来た言葉、「落語は個人芸なれど、落語会は個人芸の集合にあらず、団体芸である」。そのことに改めて気付かされた。勘朝さんと友人に感謝!!
No.82   2003年05月06日 (火) 07時04分


 『楽』で落語・・・SP 勘朝・夢輔・栄歌三人会 その2        
勘朝さんは懐が深い。前日名古屋入りしてから当日出番前まで、楽屋でも「いや〜、素晴らしいですよ」を連発しながらも、顔色一つ変えてへんやないの。ホンマそない思うてくれてるの?こっちが聞きたくなる。
この人の高座は既にストリーミングで予習済み。それでも驚かされた。まず、「真面目な生徒高倉君」これはあの三枝師匠に通じるものがある。語り・口調・技術は勿論であるけど、その完成度の高い落語を創作したと言う事。『楽』のお客さんには知らされていないこの事実。くやしいからナイショにしといたろ。
2席目の「火焔太鼓」。実は前で「くいつき/もたれ」であれだけのネタ(幾代餅)をされたらその後のトリはほとんどの人が押しつぶされてしまうやろ。そう言う意味ではこのプログラムはミスやと思う(ワタシが背中を押したのも責任やけど)。それを跳ね返すだけの勘朝さんの腕。お客が疲れることもなく最後まで聞き入ったあの勘朝さんの語りは、楽語の会の歴史でも語り次がれるであろう。
最後にワタシ。いや〜、ふがいない。みんな得意ネタで勝負を掛けてきたンや。素直に受ければエエところを、やはりお客さんに媚びっててんやろな〜。妙な意地で初めてのネタを聞いて貰おうと出した「桜の宮」。惨敗やった。ゆとりを持たず高座に上がって、自分で楽しむことなく降りてきた。ワタシの落語の身上は「自分が楽しむコト」、これや!それが達成出来なかったところに敗因があった。
これ、ストリーミングで配信されるの?やめてっ!ワタシのトコロだけ差し替えて。去年の「花筏」くらいに。
そんな負け惜しみは惨めやから、近いウチに必ず「内浜」まで雪辱に行くワ。勘朝さんと「秋ぐらいに」と打ち合わせしてたけど、秋まで待てへん。なるべく早いウチに。本物の栄歌を見て貰いに行ってくるワ。
No.81   2003年05月05日 (月) 12時31分


 『楽』で落語・・スペシャル!勘朝・夢輔・栄歌三人会 5/5(日)        
惨敗やった。誰に負けた?もちろん自分に。
とにかく凄い熱気。夢輔さんの体調不良。そこに現れた救世主・砂九さん。みごと開口一番の任を果たした。出番前ムチャクチャ緊張してはった。あんな脆(もろ)い砂九さんは久しぶり。お客さん曰く「いつもの臭さがなく良かった」と。アンタこれからもず〜っと緊張してなはれ!
夢さんは満身創痍。足が曲がらへん。顔を歪めながら歩いている。そんなんで落語出来るの?当日朝までプログラムが出来上がらへんかった。2席演るのか、1席なのか、全然高座に上がられへんのか・・・。ようやく足を伸ばしたままで1席、もたれを演ると決まった。出番から行けば「宗論」やろう。ケド夢さんは「幾代餅」を演りたそう。そら、せやろな。あの勘朝さんを迎え撃つンやもん。自分の一番の武器で挑戦したいやろ。下座で悩んでいる夢さんに「幾代餅演ってよ。お客さんも待ってるでぇ」と背中を押した。
で、夢さんの出来は・・素晴らしい。足が悪い?そんなこと感じさせへん、素晴らしい出来。以前、短歌会館で聴いたのとはまた構成が違っている。この人はひとつの落語をいくつも演じるコトが出来る人なんや。
またひとつ、夢さんの大きさを発見した。会場では大阪から来てくれた歴代チャンピオンの千里家圓九氏が絶賛。この「幾代餅」を聴いて泣いたと白状した。プロを泣かすプロ、そんな感じがした。   (続く)

開口一番「つる」浪漫亭砂九/「真面目な生徒高倉君」粗忽家勘朝/「桜の宮」南遊亭栄歌/〜仲入り〜/「幾代餅」若鯱亭夢輔/「火焔太鼓」粗忽家勘朝

No.80   2003年05月05日 (月) 12時04分


 飲んだ!笑った!はじけた!・・粗忽家勘朝さんを囲んで        
いやぁ〜、実に楽しかった!
とにかく懐が深い!我々(砂九・栄歌)がどれだけほたえようが、ジュニア(彰クン3歳)がグズグズ言おうが、綺麗な奥様(美人・若い・名前はナイショ)がヤキモチを焼こうが、常に笑顔を絶やさず言葉のトーンも変えない。タチのエエ政治家みたい(註:腹は黒くない)。猫が5匹出てくるデカパンのパンツよりも懐が深いかも知れへん。
砂九さんは例によってセクハラすれすれのトークを奥様に向けて連射中。ワタシはハラハラ、勘朝さんはニコニコ。笑ってる場合とちゃいまっせ。このオトコはホンマにやりまっせ!
夢さんは、この日はいつになくお客さんが多くて、痛い足を引きずりながら走り回っている。我々の話に参加出来へん。可哀想に。いやお店繁盛でよかったネ。いや、やっぱり可哀想に。。。
気が付いたら、いつもならビール1杯でラリってしまう栄歌も、すでに3杯目の焼酎お湯割りを空けて、お陰でトイレに行く間に2回もコケた。
さあ、明日や!今日のところはボチボチお開きにして、帰ったら風呂へ入って、明日の練習を・・・むにゃ・・・落語・・のれん・・しゅうを・・・。(~O~)ふぁ〜(~O~)(-.-)(_ _)〜zzzZZZ・・・で、気が付いたら今や(朝の5時前)。(・・ )( ・・)−!
まあエエわ、勢いで行ったれー。で、噛んだりトチったりしたらごめんね〜。先に言い訳だけして、もう一度布団で寝直しや!
No.79   2003年05月04日 (日) 04時53分


 いよいよ明日! 「楽」で落語・・スペシャル!!        
粗忽家勘朝、1956年8月6日生まれ。内浜落語会(福岡)会長で甘棠館笑劇場落語会席亭をつとめ、30人以上のお弟子さんを抱えてはる。天狗連(素人)でありながら「真打ち制度」を導入、きちんとお出しさんにも稽古を付け、真打ち披露・公演なども開催。プロの落語会もプロデュース・・・。
見てきたようなコトを書いてるケド、みんなネット情報。いつも遠くから活躍を拝見してきたが、明日「楽」でその勘朝さんが夢さんとバトルを繰り広げる。その間にワタシもちょこっと入らせて貰って厚かましくも「三人会」と銘打っての会。なんと、これを聞いて大阪の実力者「千里家圓九」氏もわざわざ遊びに来ると言うほど。ますます凄いことに!これは見逃す手はない。一生に一回あるかないかやで〜!
実はその勘朝さん、明日会がはねるととんぼ返りで福岡へ帰られるという。え〜っ!それやったら話をする時間がないやん!!てなことで、急遽前日の今日、その「楽」で集結ということになった。もちろん鼻の効く砂九さんがそれを見逃すハズもなく、夢輔・勘朝・栄歌・砂九の4名が今晩『楽』ではじけます!
今頃なんやっ!?とのお叱りもごもっともですが、出来れば4人で盛り上がりたいな、と。ケドもしこれを読んで乱入したいという方があれば飛び入り大歓迎。落語一色の話題で我慢出来るなら是非声かけてチョーダイ!!

お食事処『楽』
第1日赤病院南、中村郵便局北/名古屋市中村区名楽町/052-482-2464
http://homepage2.nifty.com/fred/raku/raku.htm
No.78   2003年05月03日 (土) 12時59分


 春日井市『ソフィアン寄席』(仮称) 4/26(土)        
終わっても「仮称」かいっ!・・・突っ込みたくなる。
とにかく初めての地へ進出。砂九さん曰く「お客さんは99%初めての人」らしい、もちろんマスターも色んなライブはこなしてはるみたいやけど、こと落語に関しては全く素人。落語会をやるにはちょっとキビシイお店のレイアウト。控え室はない。着替えは駐車場。等々。。。
始まるまではムッチャ不安やった。ネタは、モチ全然おさらいしていない。これ落語をやるテンションやないやん。心の中で呟いていると、マスターがコーヒーやらサンドウィッチをせっせと運んで来てくれた。・・・っ!美味しい!!ウチの近くなら毎日帰りに寄るかな・・・考えながら7時前。
なんと、津島・あかね寄席や短歌会館へ来てくれた常連さんが春日井まで駆けつけてくれた。(おいおい・・・マジかよ!?)お陰でテンションだけは上がってきた。
いよいよ会が始まる。砂九さんが1番手。案の定、少々会場が堅い。仕方ないわな、初めてなんやモン。せやけど常連さんの一角だけは笑ってくれている。助かりぃ〜♪ 次、無眠さん。マクラで会場が揺れた。ここらはこの人の上手いトコ。どうやら雰囲気が解れてきたみたいや。のんきさん、笑天さん・・・もう爆笑の連続。ワタシはネタ繰り不足で噛み噛みの不甲斐ない出来ではあったケド、前の4人が作ってくれた空気でなんとか爆笑も頂戴し高座を降りた。
終わったー! 気持ちエエ。テキパキとスタッフがお店を元通りに戻してくれている。マスターが「ご苦労さん」とばかりに、またあの美味しいコーヒーを運んできてくれた。満足〜♪ エエ会やったやないの!とても初めてとは思えへん、そこそこレベルの高い会。上出来、上出来!
あ〜あ、練習せぇへんかったのが悔やまれる。ケド、帰りの電車は気持ちよく揺れた。

「看板の一」砂九/「時うどん」無眠/「バールのようなもの」のんき/〜仲入り〜/「目薬」笑天/「餅屋問答」栄歌
No.77   2003年04月27日 (日) 21時40分


 プチ「プロ・アマ」=第84回「寝床の会」 4/19(土)        
さるやん(猿之助)は、普段はおとなしくはにかみや、礼儀正しく至って常識人。砂九さんとは好対照や。ところが高座では途端に変貌する。声は大きく強烈な突っ込み。圓九さんも高座の上と降りてきてからのテンションは違うし・・・。そう言えば、伝説の我風さんも高座以外ではおとなしく極めて普通の人。
そう云うたら、我ら素人噺家は落語を離れたら地位も信用もある一般社会人なんや。(・・・一部には違う人も居るケド・・・汗)それが普通なんかなあ。
けど、ワタシの理想は違うなあ。職場ではそれでエエねんけど、いったんメンバーが集まったら、そこは芸人の溜まり場。ウチのメンバーや砂九さんのようにシャレやボケで行動している方が好きや!
話は逸れたけど、会の方は盛り上がった。下座も圓九さんや砂九さんが来てくれている分助かった。
ワタシの「宿替え」は学生当時に覚えて、この23年間で5回くらいしか演ってへんネタ。しかも、この15年間封印してたため、掘り起こすのもひと苦労。マクラ7分、ネタ23分、予定より5分もオーバーしてしもた。
客を精一杯疲れさせて圓九さんの天神山(予定30分)にバトンタッチ。しかし、さすが圓九さんや。あれだけのネタを最後まで疲れさせるコトなくキッチリやってのけた。これが実力No.1たる所以やな!
大喜利はもう支離滅裂。「一から十」をやったンやけど、誰がボケやら突っ込みやら。会長の独特の超ボケは何処(いずこ)へ。。。ケドこのお祭り感覚の大喜利も「あり」かな、と。毎回なら疲れるけど、今回はこれで良かったんや。
打ち上げはいつもの『車力』さんで、またまたはじけて、超楽しい一日でした。

「太田道灌」噴駄理亭欠多利/「テレスコ」にうぎに家衆朝/「宿替え」南遊亭栄歌/「天神山」千里家圓九/「大喜利」(大阪vs三重の一から十)衆朝・琢磨・欠多利・栄歌・立の家猿之助・圓九・砂九
No.76   2003年04月23日 (水) 12時25分


 お待たせしました! 第84回「寝床の会」 4/19(土)        
豪華メンバーで盛り上がった第84回「寝床の会」。
今まで4ヶ月間、会長抜きの会を運営してきた。その穴を埋めるべく、また各地の様々な芸人さんと交流し刺激して貰うべく、ゲスト出演の形式をとってきた。今回会長の気持ちにも整理が付き次回から復帰という区切りの会にあたり、ゲスト出演のラストを飾るスターマインにふさわしい『千里家圓九』氏をお招きした。
彼は(何遍も書いてると思うケド)大阪では今や実力No.1!全日本社会人落語選手権での5年連続優勝の実績を持っている。さらには、寄席文字、笛、太鼓にも精通し今三味線を勉強中という、混じりっ気なしの落語バカ。津市での公演はプロ・アマに続いて3回目となる。
何と今回は思わぬオマケ付き。同じく大阪の実力者(と、圓九氏の太鼓判)で、各落語関係HPで名を連ねている『立の家猿之助』氏が、一緒に遊びにみえた。
ここは彼(猿之助)の実力を探る意味でも大喜利に出て貰うっきゃない!
ついでと云うたらなんやけど、この話を聞きつけて名古屋からおなじみ『浪漫亭砂九』氏が乱入。大阪の猿之助、三重の栄歌、名古屋の砂九。この喧しトリオで大喜利は大波乱必至。
4月19日午後3時、いよいよ津駅西口に集結した!
No.75   2003年04月23日 (水) 11時36分


 見た!雪駄にまぼろしの職人芸を!!        
今日は待ちに待った短歌会館(やせがえるの会)。
落語の出番はない。大喜利の先生だけ。それでも心ウキウキとやって来られたのは、あの「国宝級職人の雪駄」とご対面出来るから。
短歌会館につくと早速砂九さんが紙袋を持って来てくれた。その中の紙の箱に重厚感のある雪駄が収まっていた。「箱のフタを取って、掛かってる紙を一回めくって見ただけやで〜」と大切に届けてくれたコトを力説してはる。いちおう気にしてはったんや。ワタシが掲示板や打ち出し太鼓であんな(「心配や」なんて)描き方をしたからやね。砂九さんゴメンね〜!
話題の雪駄は足が当たる部分が丁寧に編み込まれたうえ平らにならされている。その編み込みが強いためにちょっと反っくり返っているのは笑える。「何とかの雪駄の陰干しや・・・」ちゅうクダリを思い出した。(値打ちはとんでもないケド。)踏みしめるとギュッギュッと音がして歩くと踵に埋め込んである金属部分(何っちゅうんやろ?)でチャカチャカと特有の音が鳴る。ん〜、ご機嫌〜♪
下におろすのンは勿体ない気もするけど、それでは返って国宝級に失礼にあたる!履けば履くほど味が出てくるハズ。そんな超レア物のお宝、大切に使わせて頂きます!木村さん、有り難うございました。
No.73   2003年04月16日 (水) 01時34分


 西教寺落語会 4/6(日)        
今日はちょっとした区切りの日。平成15年度の最初の落語会でもあるケド、ウチの会長が大喜利だけではあるが再デビューする日。
予定の12時半に集まって高座を組み上げたらこぢんまりした本堂がちょっとした寄席小屋になった。その奥の和室で大喜利の打ち合わせ。大喜利の次第はいつものごとく衆朝さんが組み立てて、その中でお互いのギャグを確認し合う。なつかしい空気や。会長が加わっただけでこんなに雰囲気が変わるなんて(男泣)。
せっかく4人揃ったンなら「たぬきの桃太郎」をやろう、ということになった。ウチが十何年間かかって作り上げた傑作やから。落語会の方は落語が初めてというお客さんばかりやったけど、よう笑って貰った。ワタシのマクラ以外は。。。
会場に紛れて写真を撮ってると横でお客さんが「いや〜、なかなか大したモンやな〜」という声が聞こえてきた。「せやろ?たいしたモンやろ?」と云いたくなる。いよいよ「たぬきの桃太郎」。ワタシと欠多利さんがせんど叩かれたあと会長の番。とたんに羽織を脱ぎだした。十分溜めて「タマのような男の子が・・・」第一声から「た」でハリセン!会長独特の間、得意の強烈なボケ。ホンマ久しぶりに笑うたワ。
いやぁ〜、会長あっての寝床の会やね♪
No.72   2003年04月15日 (火) 18時57分


 国宝級『雪駄職人』!        
愛知県津島市に今や全国でも数人しか残っていないという、ひと頃の「朱鷺」のように存続の危ぶまれている『雪駄職人』が住んではるということは前から聞き及んでいた。
と云うのは、去年の「あかね寄席」のあとウチのメンバーの浪漫亭砂九さんがその「Mr.国宝級」から手作りの雪駄をプレゼントされ、去年ひとしきり自慢して回っていたから。まぁ、雪駄をさながら水戸黄門の印籠の様に突き出して見せびらかせている姿は、そばで見ていて羨ましかった。
今年の「あかね寄席」の時『はてなの茶碗』のマクラでこれを使った。米朝師匠の「10万円の桐の下駄」の下りで「砂九さんが、国宝級の雪駄職人さんからのプレゼントして貰うた雪駄、この値ぇの付けられへん雪駄をあの臭い汚いアシで踏みつけてホンマに値ぇが付かへんようにしてもうた」というのンがくすぐり。
その中で、「18年間で履きつぶした雪駄の替わりを買いに行った」と前置きした。(これはホンマの話。18年間でボロボロになってもうた。)
そしたら5日目の21日に砂九さんから電話あり。その「雪駄職人」が聴いてくれていてワタシの為に新しい雪駄を作ってくれはった、とのこと。うそやっ!夢みたい!!
今度の「やせがえるの会」で受け取ることになった。何が幸いするかわからへん。笑いを取りにいってとんでもない「お宝」が手に入った。まだちゃんとお礼は云えてないけど、砂九さんがイタズラをせずに無事に手元に届いたらちゃんと挨拶に行かな!
雲の上を歩いているような幸福感・・・ただひとつ・・・「砂九さんとお揃い」と云うのンがひっかかるケド。。。
No.71   2003年03月23日 (日) 15時18分


 しつこく行きます! 『あかね寄席』        
2番手「砂九さ〜ん」♪ 出し物は「崇徳院」。サウスロードでの衆朝さんのアドバイスが効いたのか、マクラはあっさり目。その分ネタに入ったらお客さんは食いつくコト!40分以上の長い噺になったけど、疲れることもなく古典的なギャグまで爆笑が取れる。以前から目線や喋りは上手いと思うてたケド、今回また1つ砂九さんのエエとこ発見。小さい動作や表現まで丁寧に演じてはる。後で指摘したら本人はあまり意識してないとのこと。基本は十分入ってるっちゅうことやな、ウン。
3番手「無眠さ〜ん」♪ サウスロードでも大爆笑を取った「マキシム・ド・ゼンザイ」。場所が喫茶店・お客さんに女性が多い・会場がコンサート化。色んな相乗効果もあろうが、この人の一番安心して聴けるネタのひとつやと思う。このネタの出来ならKARAでもイケルとワタシは確信した。一言ずつ笑いが来るので、無眠さん、返って間が取りにくかったんとちゃうやろか。エエ「食いつき/もたれ」でした!
トリの「はてな・・」は崇徳院に続く長いネタ。でもって笑いは少ない噺。「・・・さよか・・・」と「えっ、千両で!?」くらいしか笑いはとれへんやろ。(←落語に疎いヒトには何のこっちゃ解らんがな。ごめんな〜)マクラは短い目、しかし此処で笑いをしっかり取っておかな、後が辛い。ところが、ところが・・「えっ、こんなトコで?」と云うくらい反応がある。関白さんの喋り方や御天子さんの顔までウケる。もちろん(帝の声は)「・・どんな声やわからんケド」、(鴻池さんが)「千両で売ってぇな」「質に置いて、はよ流せ」などは言わずもがな!(←せやから何のこっちゃわからんて!)間が取りにくい、取りにくい。結構噛んで、寝床の会の時より出来は悪かったケド、エエ気持ちで降りて来られたワ。
ホンマ「あかね寄席」はエコーのかかったマイクの様なモン。下手な落語もプロみたいに聞こえる。その会に4年連続で出させて貰うてシアワセや。砂九さん、おおきに!

No.70   2003年03月18日 (火) 01時48分


 まだまだ書くよ! 『あかね寄席』 3/16(日)        
今回は2席。何年ぶりやろ〜?・・あ、これは2つ前に書いたっけ ぐ(´▽`)ノ
いつも会当日はネタ繰りは終えて、マクラの制作だけに費やすことにしている。その日思いついたギャグをネタの題材に矛盾のないように組み込んでいく。アタマの挨拶からネタまで一連の流れを壊さへんよう構成していく。着物を着替えながら最終チェック。ところが今回はこれを2つ作らなアカン。
このハナシはどっちに入れよ、このギャグは流れを壊すからカット・・・と結構出番直前まであたふたした。前説で「茜屋」常連の常川さん(この人も落研出身で話は達者)が、KARAで優勝したコトを紹介してくれた。おおっ、ほなあのギャグを前に入れよ。砂九さん自慢の雪駄の件は後の「はてな・・」の前に「値打ち」に絡めて云うたろ。色々と直前まで目まぐるしい。
他の会なら、開口は演者も会場も雰囲気が堅く、それを解すのにひと苦労すろモンやが、この会だけは出囃子がなるなり「しっしょおぉ〜(師匠)」コール。もうすでに雰囲気はグニャグニャや。
軽いジャブでもドッカンどっかん来る。開口は「二人癖」やったけど、今までで一番ウケたんとちゃうやろか。ホンマ此処のお客さんは演者を乗せるンがウマいんやから。。。
No.69   2003年03月18日 (火) 01時14分


 終わりました! 『あかね寄席』 3/16(日)        
この感動はとても文字では表せへんワ!最高やね、「あかね寄席」!
まあ一種コンサートの様なモノかな?お客さんの興奮が演者を乗せ、客席と演者が一緒になって盛り上げ創っていく会、それが「あかね寄席」。素人だけで木戸銭2,500円もとり、それでも会の1ヶ月前にはチケットが完売し、しかもただの1人も義理で来てくれるヒトはあれへん。開場の10分後には既に満席(雨が降って足下が悪いのに)。会が終わったら翌日には来年のチケットの予約が入る。素人の会でこんな会は他にあるやろか?
会のしくみはこう。楽語の会のメンバー「浪漫亭砂九」さんが、近くの行きつけの喫茶店「茜屋」のマスターとつるんで会を企画。演者は砂九氏が選び、お客さんはマスターと常連さんが集める。1年に1回、3月に開催。木戸銭2,500円、お昼御飯(お寿司)とマスター自慢のコーヒーが振る舞われ、その後落語会。会がハネたら、演者と関係者は向かいのスーパー銭湯で疲れを癒し、中で反省会を兼ねた食事会。
我々演者は「アゴ・アシ+α」を貰い、会の余韻とアルコールとお湯に浸りながら、心・身・神ともに癒される。
帰るときワタシは、「あ〜、また来年までお預けか。1年は長いな〜!」を連発しながら近鉄特急に乗った。

「二人癖」南遊亭栄歌/「崇徳院」浪漫亭砂九/〜仲入り〜/「マキシム・ド・ゼンザイ」竜宮亭無眠/「はてなの茶碗」南遊亭栄歌
No.68   2003年03月18日 (火) 00時34分


 これから行ってきます!『あかね寄席』 3/16(日)        
もう何回目になるのでしょう。砂九さんが席亭をつとめる津島の「あかね寄席」。ワタシは今回で4年連続に出させて頂いている。その上今回は2席つとめさせて頂くことに!
喫茶「茜屋」のマスターは、名古屋弁のきつい、言葉のぞんざいな、それでいて誠に情のあるエエ人。その人のご指名らしい(ご指名受けたからエエ人云うてるのとちゃうで)。有り難いコトや。前回は「お忘れ物承り所」を演った。「質屋蔵」や「お見立て」など結構大きなネタが並んだため、17〜8分で降りてきた。そしたらマスターに「どえりゃ〜短かったな」と云われたのを覚えている。砂九さんによると「今回は50分以上演るコト」これがマスターの出した条件らしい。ほんにエエ人や〜♪(あ、やっぱり云うてるワ)
今日はなるべく笑えるヤツと聞かせるヤツ・・・と言うことで「二人癖」と「はてなの茶碗」でエントリー。何年ぶりやろ、1つの会で2席演るのは?若い頃は独演会や二人会でやったけど、屁でもなかった(・・・まあ、はしたない)。寝床の会ではリクエスト落語(5席用意して行って、お客さんに選んで貰うの)で2席連続っちゅうのンがある。降りてきたと思うたらスグ出番!あの時は、汗拭く時間もなかったなあ。ケド、おもろかった♪
落語の方は何とかなるやろケド、マクラが心配。いつも結構1席でもマクラいっぱいイッパイやから、2席も笑うて貰えるやろか。さて今日の落語会の首尾は・・・?打ち出し太鼓は会が終わってから書く事にしてたけど、あんまり気ぃが入って来たから我慢出来ずに書いてもうたワ。
ほな、行ってきます。(あ、いっぺん寝て、起きてからやけど。。。)
No.67   2003年03月16日 (日) 03時21分


 もったいない!  第96回 サウスロード落語ライブ 3/8(土)        
寒風吹き荒む1日やった。客足の遠のく「にっぱち」とはよく云うたもので(あ、もう3月になったんか・・)、この日の客入りは8人。そう大きくない会場やけどそれでもちょっと寂しい。いつもなら仕事を終えてそそくさと帰って行かはる従業員たちも、椅子を引き寄せて観てくれている。欠多利さんちのジュニアも加わって、ギャラリーは13人と云うところ。
少ないけどお客さんの反応はそう悪くない。よく来てくれはる常連のオバサンも、最前列かぶりつきのおじさんも、声を出してよう笑うてくれはる。笑いを押し殺す気まずい空気はない。こんな時こそ大事にして行かなアカン。
出だしは良かった空気がだんだん重たくなって行く。もったいない!歯がゆい!3番手の砂九さんに託した。相変わらず会場の大きさにそぐわない大きな声や。お客さん、ちょっと置いていかれ気味やったけどまあ『砂九』色はそこそこ伝わったやろ。
さて問題のワタシの落語やけど、付き物の「売り声」のマクラは全部カットして得意の「風邪クスリ」のマクラを演った。空気を笑いでかき混ぜたかった。12分もマクラを振って、ネタに入った時みんな疲れている様子やった。相変わらず時間配分を考えず独りよがりの落語やった。むずかしいなあ〜、会を創るのは。大喜利ではお客さんも全員参加の賑やかなモノになった。今回の落語会はひたすらお客さんに感謝、やな。

「江戸荒物」欠多利/「テレスコ」衆朝/「延陽伯」砂九/「風邪うどん」栄歌 〜大喜利(珍・漢和辞典「春」、謎掛け「サウスロード・春一番・ブッシュ大統領・卒業式」〜
No.66   2003年03月10日 (月) 01時10分