No.150〜No.169

打ち出し太鼓
落語会を迎えるたびに必ず血が滾る。
終えたあと、満足感、反省(?)、そして次への熱き思いがある。
そんな栄歌の独り言、裏話などをおもしろくお伝え出来たらエエなあと思います。


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 第7回 あかね寄席 3/28(日)        
まあ普通はネタが決まってそれがそこそこ仕上がってからマクラをついでに考えるワなぁ。
今回の「あかね寄席」では、例の「乗りのエエお客」様達から栄歌に求められているのはやっぱり「波状攻撃型のマクラ」やろと思う。取りあえず「宿替え」でエントリーさせて貰うてたけど、出来上がったマクラからはどう考えても「代脈」にしか繋がらへん。そんなワケで2日前やったけど砂九さんに頼んで変更して貰うた。
さて当日、近鉄弥富駅で名鉄に乗り継ぎ「日比野」で降りて約1kmの道のりを歩いて会場の「茜屋」へ。弥富を過ぎると長閑な田園風景が続き気分が落ち着く。駅へ降りてもポカポカと春の陽気でとても気持ちエエ。ネタを繰るのも忘れてしばし心の休息。
さて12時過ぎに茜屋さんに着くとまだ開演1時間前やと言うのに、会場は8割方入っていて異様な熱気。忘年会会場へ紛れ込んだかと錯覚するくらいにお客さんはハイ・テンションになっている。「これや!この雰囲気が『あかね寄席』なんや」
出囃子「鞍馬」に乗っていざ出馬。拍手と奇声とも取れる声援。この日のためにマクラを作ってよかった。ホンマに堪能して貰うた。プチギャグの度にイチイチ掛け声や返事や拍手があるため、10分のマクラが13分にまで延びてしもた。ネタに入ってからも笑いは切れず、トリの無眠さんからはやり難いヒザやと言われながらバトンタッチ。
砂九さんの掴みもさることながら会長の「竹の水仙」も無眠さんの「片棒」も最近では秀逸の出来。ホンマ、此処のお客さんは毎度のコトやけど演者を乗せるのンが上手なんやから。

「鉄砲勇助」浪漫亭砂九/「竹の水仙」切磋亭琢磨/〜仲入り〜/「代脈」南遊亭栄歌/「片棒」竜宮亭無眠
No.169   2004年03月28日 (日) 23時26分


 第27回 『楽』で落語を聴く会 3/21(日)        
前回出番が無かったため、今回半年ぶりの出演となる。気合いの入るはずのこの『楽』の会、花粉症と風邪のためにフラフラ状態。無念!
それでも高座に上がったらそんなことも吹っ飛ぶようなテンション。「高座を降りて喋るまで風邪引いていたことは気が付かなかった」とお客さんに言うて貰うた。
マクラはこの日のために作ったネタ。「半年ぶりの出演」と「娘のオーストラリア短期留学」の2つ。今回の『楽』でしか、今この時期でしか、このネタのマクラとしてでしか、使えへんネタ。せやから次回よその会での「使い回し」はない永久保存版。聴けなかったヒト、残念でしたね。(そんなタイソウなモンでもないが。。。)
本題の「矢橋船」は出来としては80点くらいかな。「 could be better しかし not bad 」分かるかな。でも楽しかった。お客さんの笑いも心地よかった。「このネタ初めて聴いた」とたいそう喜んでくれるお客さんも居てはって演ってよかった。
このネタは本当によく出来ていると思う。前半、船に乗り込む時に出てきた登場人物、その乗り込み方でヒト笑いあってそれらの人物が後半密接に絡み合いながらまた笑いを形成していく。一人としてムダがない。歌もまたエエ。誰が作ったのか3者3様、色が変わってもずっと3人の個性が統一されている。ただ闇雲に大勢の人物を登場させているのとは違う、このネタがワタシは大好き。

「味噌豆」若鯱亭笑天/「無精床」若鯱亭夢輔/「矢橋船」南遊亭栄歌/〜仲入り〜/「雑俳」お好味家喜楽/「らくだ」竜宮亭無眠
No.168   2004年03月22日 (月) 07時55分


 第10回 ことほぎ寄席 3/20(土)        
今回初めてお邪魔するこの会、今までの「ことほぎ」がどんなのか知らんから比較は出来へんけど、10回記念と言うことで結構気合いは感じられた。
前半3席は「東の旅(お伊勢参りの噺)」の導入部分。そして後半2席は「高津宮」に因んだネタ。落語通にはたまらん企画やった。ワタシ自身、学生時代にこの「東の旅特集」で出演したコトがある。
発端〜野辺〜煮売り屋〜七度狐〜伊勢参宮神の賑わい〜軽業〜三人旅〜こぶ弁慶〜百人坊主〜矢橋船〜京名所〜三十石〜宿屋仇、等々
遠い記憶なんで思いっきり不確かやけど、新聞社やテレビ局まで来て大騒ぎになったような記憶がある。それを思い出しながら楽しく聴かせて貰うた。
今回のお客さんは沢山入って居たけど、落語は初めてと言う雰囲気のヒトが多かったような様子。この企画の良さをどれだけのヒトが分かってくれるかな…とよけいな心配をしたりして。。。
仲入り後の宮司さんのお話はハッキリ言うて「いらん」かった。エエ落語の雰囲気が此処でブチ壊れた。そして無駄に長かった。企画上どうしても避けて通れへん出し物なら最初にやって貰うたら良かったのに。(しかも「二番太鼓の前」…なんちゃって)
仲喜利は「謎掛け」と「四文字作文」。会場からお題を貰って「全て即興」の仕込みなし。4人の多彩なキャラもよかったけど何と言うても司会のいちまつクンのツッコミのセンス。即興でも十分笑いをとれる実力の持ち主と見た!
ガラッと雰囲気を変えての後半の2席は「高津宮」に因んだ噺。特にトリの圓九氏はほぼ完璧。隙のない落語っちゅうのかな、勢い・リズム・抑揚どれをとってもOK。これだけ長くなった落語会、素人の多い客席をよく最後まで引っ張ってくれました。
記念公演と言うことで企画にチカラが入っていて、3時間を超える長い落語会になってしもた。しかしレベルも勢いも悪くない。客席との距離もそこそこ近い。(←わかっていると思うケド、実際の距離とちゃうで。2メートル半…て測りなや!)一度普段の「ことほぎ」にも邪魔してみようかな、そんな気持ちにもなった今回の「ことほぎ寄席」やった。
  
「口上」いちまつ・桜夢/「発端」追手家綾乃/「煮売屋」銀杏亭真心丸/「七度狐」立の家猿之助/〜仲入り〜/「仲喜利」/「延陽伯」立の家文弥/「高津の富」千里家圓九
No.167   2004年03月21日 (日) 00時38分


 第3回 高麗広落語会 2/28(土)        
演者が主催者に乗せられる、そんな会って結構あるよね。
この「高麗広落語会」は我ら演者は皆どうしてもチカラを入れざるを得ない。何故なら此処の地域の住人のほぼ全員が歓迎してくれるから。
去年も「打ち出し…」でも書いたけど(過去ログNo.65参照)、約三十数世帯70人余りの住人の役半数が参加してくれる。(第1回は8割程…)若い衆が足の悪いお年寄りの送り迎えをして下さる。来場して下さったお客さんは、大人も子供もお年寄りも、全員で大喜利に参加してくれる。落語も大きな声で笑って下さる。立派な高座や照明を半日がかりでセッティングして下さる。ええかげんな落語が出来ようハズがない。(していたらごめんなさい!)
世話人の一人から「寿限無」のリクエストがあった。実はその娘さんがどうしても聴きたがっていると聞いた。ご当地でもやはり流行っているのやろ。嬉しい限りや。衆朝さんが担当した。残念ながらその娘さんは会直前に大きな怪我
をされて参加出来へんとのこと。お父さんは世話人をしながらビデオカメラを回してはった。ちゃんと撮れてたやろか。喜んでくれたらエエけど。
ワタシの方も今回の「二人癖」もマクラからえらい受けた。しっかりと作って行った甲斐があった。ネタに入っても手応えあり。気持ちよかった。
袖が狭いのでCDラジカセしか使えへんけど、チャンスがあったらウチのメンバーのつたないお囃子も聴いて貰いたい!


「寿限無」にうぎに家衆朝/「動物園」噴駄理亭欠多利/「二人癖」南遊亭栄歌/「悋気の独楽」切磋亭琢磨/〜大喜利〜一から十「健康」、謎掛け「引っ越し、オウム、自衛隊、卒業式」
No.166   2004年03月16日 (火) 03時07分


 第89回 高槻駅前寄席 2/22(日)        
これで3回目になる高槻訪問。何度お邪魔しても此処の会は緊張してしまう。
ことに今回は昨日のサウスロードと同じ理由で全く自信がない。納得いくマクラが全然出来てない。12時にお邪魔してみんなと挨拶を交わした時も、自分にこれまでのような余裕が全然ないのが判った。司之助さんが冗談を言うて来はんねんけどワタシの方に全然突っ込みを入れるテンションがない。出番直前まで高座での第一声の言葉が思いつかへんかった。焦るぅ〜!!
とにかく今話題の「白い巨塔」から医者のマクラ、ワタシのオリジナルの風邪のマクラから「風邪うどん」という流れで行くコトにした。
高座に上がると相変わらずの凄い客数。天気が悪いというのに今日も145名の大入り。高槻の会はホンに集客力がケタはずれ。案の定「のっけ」の挨拶からスベった。ここらがまだまだ勉強不足や。
「白い巨塔」からだんだん笑いが出だしてきてオリジナルの下りではもういつものテンションに戻った。よかった〜!自分を取り戻して来たワ。それでも後ろの方では「落語天狗の会」からやん愚さん・桜夢クン・玄やんが来てくれていてそれも少しプレッシャーになった。
いつも思うことやけど、寝床の会が平均7〜80人で此処がその倍、せやから笑いも倍になって欲しいネンけど、そない計算通りにいかへんのが難しいトコ。つまり145人居てたら常にギャグは最大7〜8割のウケ。100人笑うてくれても残りの3〜40人はノー・リアクションか含み笑い程度。年齢層やら感性やら皆違うからそうなんやろけど、まだまだ勉強の余地ありやな〜と感じた。

「淀川」寿亭司之助/「田楽喰い」文々亭小輔/「世帯念仏」仁六家拾八/「風邪うどん」南遊亭栄歌/〜仲入り〜/「にぎやか寿司」讃岐家かずのこ/「一文笛」潮吹亭くじら
No.165   2004年03月16日 (火) 03時06分


 第99回 サウスロード落語ライブ 2/21(土)        
正直に白状すると今年に入ってからまともに落語の練習をしたことがない。これでもか、これでもかと練習しまくったことはない。テンションも下がりっぱなし。今年に入っての落語会はずっと今までの貯金で何とかこなしてきた。
今回の「犬の目」も練習不足。短いネタやからなんとか最後まで演りきれるやろ。せやけどこれ以上の間やセリフはないと云うまで消化出来てない。マクラも決まっていない。
重たい気持ちのままクルマに乗り込んだ。とりあえず向こうに着くまでの50分間でマクラを作ろうとハンドルを握った。
走りながらマクラを考えていると、自分でも結構吹き出してしまう様なマクラが出来上がってきた。なんか今までの重たい気持ちが嘘のように泉の様に湧き出てくる。結局サウスロードに到着するまでに「よし、これで行こう」と思えるようなマクラがカタチとなって出来上がった。
ええマクラが出来るとネタも盛り上がってくる。いよいよ開演という時には早く自分の出番が来ないかと思えるようなテンションになった。家を出る時の心境とはエライ違いや。
今日の客入りは過去最高。サウスロードの椅子を全部かき集めても足らないくらいのお客さん。結局高座へ上がる為の踏み台としての椅子も客席として提供した。
道中で作ったマクラがバカウケ。本当に気持ちエエ。幾つか永久保存版のマクラを作ってきたけど、今回のもいろんなトコで使い回しが出来そうな出来栄えやった。ネタもそこそこ受けて気持ちよい高座。
帰りの道中はナビに今日撮ったビデオをつなげてそれを見て笑いながら帰った。「明石家さんま」やないけど自分の高座をみて笑ってしまう、落語に関しては結構ナルシストかも知れへん。

「寿限無」にうぎに家衆朝/「羽織」噴駄理亭欠多利/「犬の目」南遊亭栄歌/「金の大黒」切磋亭琢磨/〜大喜利〜謎掛け(白い巨塔・毒入り饅頭・誕生日)、替え歌:「落ち葉焚き」
No.164   2004年03月16日 (火) 03時03分


 第87回 寝床の会 いよいよ開演! 1/31(土)        
70脚ほど用意していた椅子席が開演前には全部満席となってしまい、あわてて増設するなど大盛況!主催者側としては嬉しい悲鳴。
今回の寝床の会はワタシにとって記念すべき落語会となった。
まず5分前の二番太鼓はメンバー4人全員でした。拍子木が欠多利さん、会長が大太鼓、衆朝さんが締太鼓で能管がワタシ。4人一緒と言うのが嬉しいやん。気持ちよく能管が吹けて、ワタシとしては今までで最高のシャギリやったのとちゃうやろか。
いよいよ開演。出囃子の「石段」は衆朝さんが初めて太鼓に挑戦、ワタシが篠笛。欠多利さんが上がった時には会場は既に十分に暖まっており開口一番は不要。「上方見物」という珍しい噺で演者もお客さんも楽しめた。
二番手衆朝さんの出囃子は「本調子鞨鼓」ワタシが太鼓を叩けばそれでよかったのやろけど、あえて篠笛に回った。衆朝さんと欠多利さんの叩き替わりでなんとかこなした。
三席目の会長の出囃子はお馴染み「野崎」。これは笛なしやからワタシが大太鼓、欠多利さんが拍子木。
ワタシのネタは今回はあえて「鷺とり」にした。「ニワカ」の部分をどうしてもウチのメンバーのナマのお囃子でやってみたかったから。栄歌抜きの初めての三味入り下座。案の定きっかけをはずしたり、強弱が出来てなかったり、ホンマこけそうな羽目モノやったけど、寝床の会としては記念すべき第1歩!
反省会で「鷺とりのニワカは要らなかった」と言う意見も出たけど、チッチッチッ!「ニワカ」のない「鷺とり」なら今回演る意味はなかったのよ。「ごめんなさいね、価値観の違いで。」
大喜利ではみんな楽器を持っての登場。舞台袖のネタバラシに結構喜んで貰い、お囃子で始まりお囃子で終わる落語会やった。
No.163   2004年02月16日 (月) 08時36分


 第87回 寝床の会・準備編 1/31(土)        
めずらしく3時過ぎには全員集合。
いつものように会場を組み、今日はさらにアイテムが増えている。先週の久居市図書館から参入したハロゲンランプの照明がふたつ。もう少し明るいほうがよかったかも知れへんけど、これでも前に較べたら格段の違い。前はデジカメでとっても粒子が粗くなってちゃんと映らへんかった。今回これでええ画像が記録出来るやろし、何しろ高座が浮き彫りになって『落語』〜ってカンジになった。
さて、会場設営が完了すると今度は控え室へ移ってお囃子の稽古。今回はこれまでもっぱら太鼓担当やった栄歌が笛に専念し、太鼓は衆朝さんと欠多利さんの叩き分け。ハナから全員でシュミレーション。まずシャギリ、そして石段・本調子鞨鼓・野崎・ひるまま・たぬき…と進めていく。本番さながらに、これまでお囃子に全員が真剣に取り組んだのは初めてとちゃうやろか。そして今回の最大のテーマは『ハメモノ』。トリでワタシが演る「鷺とり」には1ヶ所三味線・太鼓・当たり鉦(出来たら「笛」も…)の入る「にわか」のくだりがある。これをワタシ抜きでやって貰おうというもの。普段はこの「にわか」はカットして演っているが、今回はあえてノーカット版で…と言うよりあえてこれをやるためにこのネタを今回選んだと言う方が正しいかも。。。短くて簡単な曲の繰り返しなので、我らビギナーにはちょうどエエ教材となる。きっかけ・強弱・リズムさえしっかりしてればそれらしく聞こえる。ここらを中心に何遍も何遍も繰り返し練習した。
さて、いよいよ本番の時間が…。その首尾は次回に。乞うご期待!!
No.162   2004年02月04日 (水) 10時05分


 第1回 初笑い鷹跡(たかと)寄席 1/25(日)        
久居市図書館が10周年を迎える。その記念にと寝床の会に公演依頼があった。
久居市東鷹跡(ひがしたかと)町に位置することからこの名前になった。
当日会場へ行ってみると、高座が小さすぎる・高座へ上る階段(踏み台)がない・控え室が狭く寒い・会場が暗い…など問題点が山積み。はっきり言うて打ち合わせ不足。開場までになんとかせな・・・かなり焦った。
高座になる会議机を増やし、控え室は着替え用の別室を用意して貰ってあったのでそこから出ることにした。踏み台も少々ぐらつくケドあり合わせの物で間に合わせ、後は照明。どんなに工夫しても暗い。とても落語会には耐えられへん。グズグズするより行動に移せとばかり、衆朝さんと近くのMr.Johnへ買いに行った。ハロゲンの丁度ええライトが二つ手に入り、これは寝床の会やサウスロードで使えるなと、最終的には怪我の功名、結果オーライか。。。開場を過ぎても準備をモソモソやっていたのは反省点やけど、お客さんもアットホームな感じで寛大に受け止めて下さった。
さて、いよいよ開演。お客さんの入りは充分、椅子席の8割は埋まったやろうか、落語は初めての方も多かったろうに結構笑って頂いた。大喜利は下準備を充分にした甲斐あって、大爆笑モノやった。
初めての所での公演立ち上げには、向こうさんも不慣れなため十分な打ち合わせ・注文をしっかりしておくことの大切さを痛感した会やった。

「動物園」欠多利/「代脈」栄歌/「正月丁稚」衆朝/「竹の水仙」琢磨/大喜利〜(たぬきの桃太郎、謎掛け、久居市の1〜10)
No.161   2004年02月04日 (水) 02時00分


 第50回 松坂屋寄席 1/18(日)        
会長と迷いながら一生懸命走った。気管支が攣縮(レンシュク…ケイレンして細くなること)して、息苦しさと咳が激しくなった。それでも走った。もう年やな…6つ年上会長と体力あんまり変われへんやん。。。
到着したら開口のまん我さんがマクラを終えてネタに入っていた。
今日は第50回記念で「立川談志」家元がでる。ナマ談志は初めて。ドキドキする。…あ、走りすぎて心臓がおどっているだけかな。
2番手のたい平さんが素晴らしかった。滑舌の素晴らしさ、マクラのキレの良さ、粋な仕草・・・夢さんとイメージがダブる。3つ隣の席で夢さんもうっとりとしている。波長が合うてんねんなぁ〜。
志らくは師匠が来るとあって緊張気味。いつものような自由奔放な芸はナリをひそめてた。雀々は相変わらずハチャメチャな芸。大ざっぱで繊細さに欠けてはいるが理屈抜きで面白い。汗まみれの大熱演やった。
仲入りを挟んでいよいよ家元登場。出る直前まで、ホンマに楽屋入りしているかどうか心配やった…マジで!!まあ、それも含めて家元のエエところやけど。乗せればトコトン演ってくれるし、ファンを本当に大切にしてくれる。
ところがこの「松坂屋寄席」のお客さんは家元の乗せ方を知らへんらしい。何遍も家元が「今日はダメかな。」「やめた!」などサインを送っているが観客は引くばかり。途中から家元のテンションが下がっていくのが手に取る様に解った。適当にマクラを幾つか演ってから簡単なネタで終わった。(とても珍しいネタなんで、それはそれで大満足したケド。。。)
次回チャンスがあったら、乗りまくった家元をナマで見てみたい。

「平林」桂まん我/「紙屑屋」林家たい平/「三十石」桂文我/「たいこ腹」立川志らく/「夢八」桂雀々/〜仲入り〜/「金玉医者」立川談志
No.160   2004年02月04日 (水) 01時18分


 第4回 伊勢・がんばろう会 1/17(土)        
この日掛け持ち落語会のもう一つは、もうお馴染みになった「伊勢・がんばろう会」。
首謀者は堀崎さん。伊勢民主診療所の糖尿病の患者さんで、糖尿病患者さんでつくった「がんばろう会」。これに年一回新春に落語会をしようと発足してもう4年目。
今年からオープンとなって一般のお客さんも入れる様になったケド、それまでは病院関係者か病院に通院中の糖尿病の患者さん。そこへワタシは「代脈」「時うどん」「ちりとてちん」と食い物の出てくるネタばかりを並べて来た。今年もその期待(?)に応えて「風邪うどん」をエントリー。終わった後の皆さんの一言がとても楽しみ。
今年は今までの伊勢民主診療所から会場を移して「在宅総合センター宮川さくら苑」で行われた。片側がオープンになっていてちょっと「気が逃げる」けど、きれいなところで高座もしっかりしている。
会長のマクラは馬鹿ウケ、ワタシのうどんを食べるところでは手(拍手)も来て、これまた気持ちよく落語が演れた。
幸先のエエ出だしで寒さも吹き飛ぶ一日やった。

「正月丁稚」衆朝/「犬の目」欠多利/「昭和任侠伝」琢磨/「風邪うどん」栄歌/〜大喜利〜(たぬきの桃太郎、謎掛け、健康・長生きの1〜10)
No.159   2004年01月29日 (木) 02時57分


 第2回 新春栗真寄席 1/17(土)        
裏が帰った第2回津老人福祉新春落語会。
今年初めて知った。『新春栗真(くりま)寄席』と言うんやそうな。
中心となって進めて下さっているのが津市の名士「栗真和尚」、一昨年の夏の「寒紅梅亭」からのお付き合い。で、場所が津市栗真。偶然の「W栗真」。
栗真寄席…ピッタリの名前や。
さて今年の『新春栗真寄席』は、去年の津市北部市民センターが使えず、急遽「栗真小学校視聴覚室」に変更になった。これで「トリプル栗真」や!
雪が降った朝、栗真和尚に電話で確認、本日決行とのこと。伊勢から来る連中の道中が心配やったが、仕事が終わった昼ごろには雨に変わって路面の雪は溶けて走行しやすくなっていた。
会長の予定していた「夢」が仕上がらず「寿限無」に変更。トリネタがなくなってしまい、この日ワタシは「お忘れ物承り所」から「代脈」に変更し急遽トリをつとめることになった。
寒く冷え込む小学校の校舎の視聴覚室はカーペットが敷いてあってストーブも幾つかが唸っている。本当に暖かく快適に仕上げてあって、気持ちよく落語が演れた。お客さんは30人ちょっと。人数は少なかったけど良く笑って貰えて、時間を掛けてこの日のために作った『健康・長生きの1〜10』はムチャクチャ受けた。
今年最初の落語会としてはまずまずのスタート。さあ今年1年も頑張るぞ〜!!

「つる」衆朝/「正月丁稚」欠多利/「寿限無」琢磨/「代脈」栄歌/〜大喜利〜(狸の桃太郎、謎掛け、健康・長生きの1〜10)
No.158   2004年01月29日 (木) 02時36分


 林家染丸一門会 1/11(日)        
去年の暮れからこの会を凄く楽しみにしていた。目玉は3つ。
1つ目は、染丸師匠を筆頭にお囃子に力を入れてはる一門さんのコト、一人は絶対にハメモノ入りの落語をされるやろうと言うコト。下座が充実していないとプロでもそうしょっちゅう何処ででも出来ることではあれへん。
2つ目は、第2部で師匠自らが手がけたと言われる映画「踊るうさぎ大捜査線 噺家殺人事件」が上映される。キャストはもちろん染丸一門総出演。会場から見事真犯人を言い当てた方には抽選で師匠から素敵なプレゼントがあるというイベント付き。
3つ目、これはワタシだけに与えられたスペシャルな特典ではあるけど、下座の様子をすぐ側で見学させて頂くことを許されたと言うこと。最近「笛」に凝ってるワタシが「お囃子を勉強したい」と強く師匠に申し出てようやくお許しが出たんよ♪
会場入りを済ませるとすぐさま席だけ確保して楽屋に飛んでいった。真ん中で師匠が座ってはった。師匠に挨拶とお礼を述べると早速下座へ。そこには「染二さん」や「花丸さん」、そのほか大勢のお弟子さんが居てはった。
花丸さんや染二さんに親切に声を掛けて頂いたが、ガチガチにアガってしもていてロクに挨拶も出来へんかった。なんせ回りは皆お弟子さんばっか、こんなにたくさんのプロの中に居てるんやもん、緊張せん方がおかしいで!
シャギリ・出囃子・ハメモノをすぐ横で食い入るように拝見し、演者さんの落語は袖から横顔とモニターで見せて頂いて本当に貴重な体験をした。
第2部の前に師匠に挨拶をさせて頂き、会場へ戻って圓九さんと映画を楽しんだ。
落研時代から、しょっちゅう楽屋には押し掛けさせて頂いたケド、公演中ずっと楽屋や舞台の袖でプロに混じって見せて頂いていたと言う経験は初めて。そしてもちろん3つほどヒントも貰ってきた。早速ウチの会で試してみよう。
この日のワタシは帰って風呂に入るまでずっと興奮気味やった。

「阿弥陀池」染左/「質屋芝居」染雀/「宿替え」染二/「千早ふる」染丸/〜仲入り〜/映画「踊るうさぎ大捜査線 噺家殺人事件」
No.157   2004年01月22日 (木) 16時50分


 カウントダウン@おかげ横町 12/31〜1/1        
大晦日寄席の後、楽屋へちょっとお邪魔。年末のご挨拶をして、砂九さんはそのまま第2部へ。ワタシと衆朝さんと創太くんはこれまた恒例の焼き鳥屋の「にかわ」に向かった。楽しみにしていたプライドとK−1をカウンター越しに見せて貰いながら尾っぽの唐揚げと焼酎を堪能。K−1の最後を飾る「曙−ボブサップ戦」がなかなか始まらず、コレを最後まで見届けてから帰ったのがアカンかった。伊勢駅へ送って貰うたら帰りの電車が1時間以上もあれへん。このまま味気ないホームで新年を迎えるにはあまりにも寂しすぎる…。迷ったあげくにおかげ横町にタクシーで引き返し、そこで文我さんたちのカウントダウンに参加することにした。
カウントダウンのイベントはワタシにとっては騒がしすぎたけど、その後でお囃子の紹介があった。文我さんが三味線でまん我さんが笛、米平さんが太鼓であとは・・・まあエエ。まん我さんの笛は2年前に聴いた時より遙かに上手くなっており、コレをナマで聴けたコトには大満足。往復3,600円もタクシー代を払ったのは正直痛いと思うたケド、まあその甲斐はあった。
もう少し待っていたらこのイベントは終わる予定やったケド、このまま文我さん達と同席するのは(以前にも書いたケド、しくじったこともあって)少々居づらい。かと言うて砂九さんは間に入ってくれることはせぇへん人や。(以前も放ったらかしやったし…今回もその意志ナシと見た)挨拶もせずに帰ってきた。おかげ横町訪問はわずか35分で終わった。
帰りはなかなかタクシーが捕まらずかなり歩かされたし、駅に着いたらまた電車がなくて40分以上も待たされたし、落語もカウントダウンもワタシ的には何か中途半端で、それでもまあそこそこ得るものもあったし。。。ワタシの今年1年の運勢は幕開けからまあこんなもんかな……と考えながら家に向かった。
No.156   2004年01月06日 (火) 03時39分


 桂文我さんの『大晦日寄席』 12/31        
文我さんと年を越した。…と言うてもワタシから見て一方的にやけど。。。
ここ4年間の恒例の行事、大晦日の落語会に行ってきた。同行してくれたのはこれまた恒例の砂九さん・衆朝さん・衆朝さんのご長男の創太クン。
落語のメンバーは文我さんの他、宗助・米平・三象・まん我(敬称略)の面々。米平さんはお馴染みの「立体紙芝居」。新ネタの「シンデレラ姫」はまだこなれてはないけど、そこそこ工夫もあって彼の落語を聞くよりは楽しめたと思う。毎回思うことやけどコレぐらいの大きさの会場にはピッタリの色物やと思う。宗助さんの「くっしゃみ講釈」は師匠米朝の流れを汲みしっかりとした語り口。しかし教科書的な展開で意外性も少なく、失礼やけど砂九さんの「くっしゃみ…」の方がはるかに面白いと思うた。三象さんは珍しく古典の「八五郎坊主」。これもちょっと退屈で技術的にもイマイチ。この人は三枝師匠の新作をやるとムッチャ面白いネンけど古典はアカンなぁ。。。(プロに対して失礼かな。まあ客として行ったンやし・・・これぐらいは言わせて貰お)
正直このままやと「金返せ!」と言いたいところやったけど、最後の文我さんの「土橋万歳」は素晴らしかった!アレだけ長い噺をダレ場もなく迫力のある展開で十分満足出来た。奥さんの三味線や唄も素敵やった。
最後の抽選会は手際が悪く(まあこれは主催者側の企画ミスや)ずいぶんと間延びしたものになってしもたケド、その間演者さん達は高座でトークの連発。しかも面白い!この間を持たせるテクニックは勉強になった。さすがプロや。うなってしもたワ。

「寿限無」桂まん我/「くっしゃみ講釈」桂宗助/「八五郎坊主」桂三象/立体紙芝居「シンデレラ姫」桂米平/「土橋万歳」桂文我/お楽しみ抽選会

No.155   2004年01月06日 (火) 03時16分


 落語御用納め、『楽』で落語を聴く会 12/23(火)        
寝床の会・楽語の会を通じて、今日が最後の落語活動となる。
当直明けの睡眠不足でしかも出番はないので出かけるのは少々ツライけど、1年間お世話になったお客様にご挨拶もしたいし、会長の応援もしたいし、今まで支えて貰ってきたから今度は支える方に回られたらエエなあと思い切って電車に乗った。
楽に着くと開場したばかり。20人ほどお客さんは入っているのに受け付けが全然出来ていないとのこと。よかった!早速役に立てた。
開演前のお客さんの入りは会場の8割程度。そこそこ暖まっていて既にエエ雰囲気。今日の目玉は2つ。楽語の会のリーダーこと無眠さんの仲トリと寝床の会の会長こと琢磨さんの大トリ。
ところがハプニングが2つ。喜楽さんが来られないとのことで急遽砂九さんの開口。突然回ってきた出番とはいえのっけに「鷺とり」は少々キツイのんとちゃう?それと無眠さんのコンディション。楽屋で動かへん、喋らへん、まるで爬虫類みたいや。高座にあがった無眠さんは本当にハラハラもんやった。途中2度ほど呂律が回らず酒でも飲んでるのかと言うような喋り。焦った!意識ないのとちゃうやろか。河太朗さんと二人で引きずり降ろそうかとオロオロした。病人は見慣れているケド、高座に飛び出す勇気があれへんかった。いっそぶっ倒れてくれた方がエエのにとマジでドキドキした。
夢さんの高座は相変わらず素晴らしかった。マクラも斬新で切れ味もよく、ネタも短いものながら盛り上がりもあり、うんさすが夢さんやった。
会長の「竹の水仙」はワタシのとはまた違う出来に仕上がっていて、お客さんのウケはホンマによかった。

「鷺とり」砂九/「鯉舟」河太朗/「マキシム・ド・ゼンザイ」無眠/〜仲入り〜/「短命」夢輔/「竹の水仙」琢磨
No.154   2004年01月02日 (金) 12時54分


 今年最後の落語会 12/21(日)        
楽や中日によくいらっしゃる常連さんからの依頼での落語会が第2富士ホテルで行われた。
なんでも歴史研究会とおっしゃる団体でこの日忘年会ということらしい。63脚用意された椅子席は満席になった。
途中気が付くとどうも砂九さんのテンションが低い。砂九さんは落語をプロデュースするのが得意。或いは完全にお呼ばれ状態のおんぶにだっこの招待落語会かどっちか。こう云う呼ばれての接客落語会は、主催者があって我々はゲスト、一方お客さんに対してはこっちが接客側でお客さんがゲスト。この中途半端な状態がどうもテンションを下げるらしい。
いずれにしても半分近くが「楽語の会」の馴染みの常連さん。軽い気持ちで演らせて貰えばエエやん。
ワタシはまずはずすことの少ない「お忘れ物承り所」をエントリー。案の定結構笑って貰って高座を降りかけると、常連さんの一人が着物の帯をプレゼントしてくれはった。KARA優勝祝いのプレゼント兼年末のご祝儀ということらしい。他のメンバーさんには済まなかったケド有り難く頂戴した。
会がハネてからの忘年会に我々も参加させて貰うた。メンバーそれぞれがバラバラに座ったため回りが知らない人達ばかりで多少「おいど」が落ち着かへんかったケド、たくさん飲み食いさせて頂いてカラオケ大会が始まったのをきっかけに宴会半ばで失礼した。
この落語会に対する気持ちは4人4様。最後まで一生懸命に会作りをしてはった無眠さんはさすがリーダー。気持ちよく落語を演ったあとはしっかり飲んで酔うたマイペースな河太朗さん。なんか中途半端にもがいていた自称芸人の砂九さん。その3人を観察しながらも兎に角自分が受けるコトだけを考えていた身勝手なワタシ。
ホンマ、楽語の会は色んなメンバーを抱えているワ。

「鉄砲勇助」浪漫亭砂九/「時うどん」竜宮亭無眠/「お忘れ物承り所」南遊亭栄歌/「一文笛」川の家河太朗
No.153   2003年12月29日 (月) 11時37分


 榊原温泉病院・落語会 12/6(土)        
ワタシが医者になって間もなく、内科になろうか外科になろうか、消化器を専攻しようか循環器医になろうかと迷っていた時、自分の進むべき道を標して下さった先輩が居てる。その時から20年経った今でも、先輩はだいたい2〜3ヶ月に一度、欠かすことなく食事会に誘って下さる。本当の意味での恩師。今ある医者としての自分はこの先輩が作り上げて下さったと云うても過言ではない。
その先輩から、初めて職場での落語の依頼を受けた。同業者が同席する中で、しかも医者が病院で患者さんの前で落語をするコトに少し抵抗を感じながら、「寝床の会としてこの依頼を受ける」コトにした。
当日はワタシは仕事があるため、他のメンバーに先に行って貰い会場創りや打ち合わせを済ませて貰うた。遅れて到着すると控え室は当直室。お弁当とお茶が用意して頂いてあって、そこで着替えると会場である会議室まで病棟の廊下とナースステーションの前を着物姿で歩いて行くのが少々恥ずかしい。(←いや、思いっきり恥ずかしい!)
会場は入口がひとつ。演者もお客さんも同じ所から入り、照明も暗いし高座は会議用の机やからギシギシと揺れるし落語には決して最適とは云えへん。しかし担当の看護師長さんは色々とこまめにやってくれて本当に気持ちよく演れた。
お客さんはほとんどが車椅子の患者さん。耳が遠いのか、高齢で半分活力がないのか、脳梗塞で意識レベルが少々低いのか、反応を示してくれる方はホンの少し。そのかわりPT(リハビリの先生)や看護師さんたち、そしてワタシの先輩が思いっきり笑うてくれて、そう言う意味では盛り上がった。(誰のために演りに行ったのか解れへん。。。)
ワタシは最後まで医者であることを隠して落語を演ったのに、先輩が最後の挨拶で、「南遊亭栄歌さんは、実は僕の後輩でお医者さんなんです。現在○○病院に勤務しています。心臓のスペシャリストでウチの心筋梗塞の患者さんは全て彼が受けて下さってます。」とバラしてしもた。何ちゅうことや…。仕方ないので「スペシャリストかどうかは解りませんが、死にそうになったらまた来て下さい」と挨拶した。
まぁ、最後に呆けたような車椅子のおばあちゃんまで大笑いしてくれたから結果オーライということにしようか。。。
No.152   2003年12月25日 (木) 08時28分


 で、第9回 河崎蔵々寄席 11/30(日)        
最近みんなのテンションを疑うワ。(自分のことは棚に上げて…)我々4人の演者はもとよりスタッフの皆さんや主催者の姿勢も。
たった年2回の定例会やないの。そんなにやる気がないんやったらもういっそのコトつぶそ。
やっぱり大勢が動いてンねや。誰か責任者を立てて指揮系統をしっかりしよぅや。みんな誰か任せ或いはめいめいでバラバラに動いてでまとまりがないような気がする。宣伝もあんまりしてへんかったように思うし。客が入るワケあれへんがな。
演者はちゃんと練習してるの?当直明けとか寝不足とか妙な言い訳してへんか?(…スンマセン…)技術不足とか活舌悪いとかテクニックの問題ならしゃあないけど、覚えて来ンかったら話になれへんやないの。噛みまくりの落語、落研の合宿の一風景やあるまいし。。。お囃子もぶっつけ本番ではお客さんに失礼やろ。日頃からテープ聴いてよう練習やシュミレーションせな。
まあ、一言で云うたらそんな会やったワ。
第8回と同じでレポートの必要なし!その気も起これへんし。。。

「延陽伯」衆朝/「昭和任侠伝」琢磨/「田楽食い」欠多利/「軒付け」栄歌/〜大喜利〜(一から十;「年末の〜」「サカナの〜」)
No.151   2003年12月24日 (水) 14時44分


 いざっ!『河崎蔵々寄席』へ        
初っぱなからゲンが悪かったワ、今回は。
まず当直明けの睡眠不足でフラフラ。一晩ゆっくりネタを繰るつもりが、救急ラッシュでその時間も無し。朝帰宅してすぐさまシャワーだけ浴びると身支度してすぐまた伊勢へ向かわなアカン。お囃子の道具一式はワタシの担当やったからそれを積み込んで、そう言えば今回は落語道具一式もワタシが預かっているからそれも積み込まな。あ、せや、今回はCDラジカセもビデオカメラもデジカメも要るんや・・・・・。此処までしていたら息が切れて、危うく着物を積み込むのを忘れるトコやった。(プロ・アマの時の二の舞や)
今日演る予定の『軒付け』を練習しながら伊勢自動車道を飛ばしていたら、突然後ろで赤色灯が光った!「ワッチャ〜!覆面パトかぁ。捕まってもうた!」アクセルむらで流れに乗ってなかったンやろな。普段なら速度の出しすぎや後続の車の追従にも充分気を配るワタシとしたことが……不覚!寝不足と落語の練習に気が行ってたのとで全くの油断やった。
降りてきた交機さんはとても丁寧な物腰。こう言う時は向こうさんは完全に検挙の体勢。疲れていたのと早く会場に着きたいのとで、全面降伏を決め込んだ。
向こうさんの言うコトを全て「ハイ。ハイ。」質問にはハキハキと答え、拇印はテキパキと押して、最短の10分の手続きで反則切符を頂戴した。24キロオーバーで2点減点、1万5千円の罰金。く〜っ、高い高速料金やったワ。
体力だけでなく気力も根こそぎ削げ落ちて、本当に申し訳ない高座。今日を楽しみに来てくれはったお客さんにはホンマ申し訳ないこってした。
No.150   2003年12月24日 (水) 12時44分