No.25〜No.45

打ち出し太鼓
落語会を迎えるたびに必ず血が滾る。
終えたあと、満足感、反省(?)、そして次への熱き思いがある。
そんな栄歌の独り言、裏話などをおもしろくお伝え出来たらエエなあと思います。


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 落語パワーと身体能力のディスクレパンシー        
平成14年が終わった。
去年1年を振り返ると、我が人生で最高の落語パワーやったと思う。
平成13年暮れに楽語の会に入会させて貰い、寝床の会との2足のワラジ。定期公演の回数だけでも2.5倍に膨れ上がった。
高槻にもよく遊びに行かせて貰った。ウチなんと冬と夏(2月と8月)で2回も出演させて頂いた。
社会人落語選手権は大阪と東京と両方に出場した。
「プロ・アマ」、「三歩・三象」、「大須顔見せ」の3連荘もこなした。
秋にはマイHPも立ち上げた。
今そう言うパワーの出し切れる年齢かというと、自分の中ではもうすでにピークは過ぎている。35才〜40才過ぎまでが絶頂期やったと自分では思っている。ただそのときに環境が整っていなかった、チャンスがなかっただけやと思う。
物覚えも悪くなり、て云うか物忘れがひどくなり、体力もなくなり、ひとつの落語に対し色んな作品を聞き込んで研究するコトすら億劫になってきている。はっきり云うて「もう年や!」と思う。それでもこれだけやって来られたのは、周りで暖かく支えて、或いは刺激して下さった人達のお陰やと思うてる。皆さんに感謝しながら今年もう1年だけ、さらに飛躍したいと思っている。

No.45   2003年01月01日 (水) 00時51分


 パワーのかぎり 〜第22回『楽』で落語を聴く会〜 12/23(月)        
今年最後で最大の落語会やった。
鼻水をすすりながら声は嗄れ(しゃがれ)ての状態ではあったけど、早くからテンションはあがり心は思い焦がれて迎えたこの会やった。最初みんなに会うた時から「長いネタやけどマクラはじっくり演らせてネ」と頼んでおいた。板へ上がった時は舞台の隅でいつもより長く礼をしている自分があった。そんな思いで上がった「楽」の会やった。高座に座る自分に感無量!
普段はあんまり自分の落語については誉めてあげへんの。高座降りてきた時は、いつも満足より反省・後悔の方が先に立つ。ケド今日の落語は誉めてあげたい。たしかにマクラの出だしでちょっとしくじって空回りしたり、ネタ後半はコピもんに近い出来上がりやったけど(ほらネ、やっぱり反省してる〜笑〜)、自分の気持ちと落語の波長、それにお客さんの笑いまでがこんなにぴったりマッチした会は久しぶりやった。
「楽」が今年の締めくくりでよかった。来年も大暴れするでぇ!

「目薬」笑天/「一人酒盛」砂九/「大工調べ」夢輔/お仲入り/「しゃっくりとまらん」かもめ/「花筏」栄歌
No.44   2002年12月25日 (水) 08時09分


 この期におよんで・・・        
アカン!風邪引いてもうた。
2日くらい前から鼻の裏あたり(上咽頭、という。)が痛くて、「こらヤバイ!」と云うんで抗生剤と消炎鎮痛剤を頬張ってきたけど、間に合わず。今朝起きたら声が変わっている。(「嗄声」と書いて「させい」と読む。)「医者の無養生」と云われそうやけど、何が「無養生」なもんか。風邪引いたりインフルエンザにかかったりしたヒトがわんさと来るねんでぇ。その前で向き合って話したり、クチを開かせたりするねんでぇ・・・かからん方がおかしいワ!
- - - なんか「オマケページ」の「Take Care!」みたいな書き出しになってしもた。- - -
最近体調悪くって、練習も発声もサボっている。。。(ここらあたりは、勘朝さんの日記と同じや。ワタシも読んでるでぇ、勘朝さぁ〜ん!)ま、格好つけて書いてはみたがワタシはあんまり発声練習っちゅうのンやれへんの。砂九さんには「アンタ発声が悪いわ」とよく云われる。声質がエエことないのはわかっている。もしかしたら発声方法も正しくないかも知れへん。せやけどウチのメンバー(これは「寝床の会」「楽語の会」両方ネ)の中では声の通りは悪くない方やと思うている。(え?ただ声が大きいだけ?さよか!?)落語大学(砂九さんの出身)では最初の練習は徹底した発声練習らしい。そう云えば、夢さんも圓九さんも公演の当日には、開場前に高座で「あ〜、え〜・・・」と発声して自分の声の会場での響き具合や、今日の自分の声の調子を確認してる。(ヒトに云う割には砂九さんは自分ではやれへんなぁ。)
こないして体調を崩した時こそ、初心に立ち返り基本の大切さに気が付くネン。今頃何をしみじみ考えて書いてるねや。もう遅いわ!とりあえず今は体調を戻すことが先決や。
もしかしたら23日に来てくれるヒトには心配かけたかも知れへんね。(別に心配してない?あ、そっ!)大丈夫!当日までにはちゃんと治して落語も仕上げておくからね。
No.43   2002年12月18日 (水) 09時59分


 お食事処『楽』園        
お酒が好きで落語が好きでお話が好きなヒトなら、こんなエエ所はない。落語にハマッて以来上方にあこがれ一度は住んでみたいと思うこのワタシやけど、名古屋の近くでよかったなと感じる数少ない理由のひとつがこの『楽』やね〜♪
正直云うてお酒は苦手やけど、仕事で嫌なこと続きやったり、落語に行き詰まったり、まあ別に何にもなかったかて名古屋に買い物に出た時にはなるだけ此処へ寄ることにしてんねん。落語のことでは誰よりも一番多くの時間語り合ってきた砂九さんが同席してくれたりもするしね。
今度「楽」で落語をする時の着物が出来上がった。先日それを取りに行きがてら突然寄って見た。いつもはカウンターの向こうで忙しそうにしている夢さんも、最近飲酒運転の罰則が厳しくなってからサッパリだねぇと云いながら、結構横に立って相手をしてくれた。夢さんには悪いケド、ラッキ〜♪
今度の会のコト、来年の大きな会のコト(あ、これ、勘朝さんとの会のコトね)、只々落語のコト。。。色んな話をした。此処んトコ、仕事でクチャクチャやったから落語のテンションも下がりっぱなしやったけど、久しぶりにリフレッシュ出来た。本場・大阪や江戸にはこんなトコないやろ。どや、うらやましいか?
さあ、あと一週間ちょっとや!今度の落語会は今年最後の会(しかもトリ)や。気合い入れな、な!
No.42   2002年12月15日 (日) 02時02分


 「花筏」制作中!        
今度の「楽で落語を聴く会」が今年最後の高座になる。ワタシにとって此処が一番の修行の場のひとつであり、一番やりがいのある会でもある。
夢さんのはからいで第7回からずっと出演させて貰っていたケド、前回(9月)初めて欠席を余儀なくされた。東京で行われる「社会人落語選手権大会」とバッティングしてしまったから。三賞入賞は叶わへんかったケド、それなりに得るものがあったと思うてる。
「楽のお客さんは難しいよ〜。ミスをすると厳しくその反応が返ってくるから」夢さんは云うけど、ワタシは此処の雰囲気が大好き。お客さんとの周波数も合うてる感じ。ホームグランドの「寝床の会」とこの「楽」がワタシを育ててくれたと言うても過言ではない。
「ホンマ久しぶりや」いつもより少し早くからワタシのエンジンが始動した。今度は「花筏」でトリ。ベースは枝雀師匠。カンコピでも完成度は高いネタやけど、今回は「楽」仕様にバージョンを上げてやろうと、前半部分を作り直しているところ。
「笑い」は少ないネタやけど(そして「楽」で笑いの少ないネタをするのは初めてやけど)「今回の噺はよかったなぁ」と久しぶりのお客さんをうならせて見たい。
No.41   2002年12月08日 (日) 22時21分


 小素人連 『社☆落☆祭’02』 12/1(日)        
天狗連の公演会を聴くため、よく大阪へ足を運ぶ。プロの噺家さんの会ならこれほど行かへんやろう。
これまで、パンセの会・小素人連・噺の会「じゅげむ」・やる気とこん気の会・・・等々(敬称略)にお邪魔した。「じゅげむ」さんと「やる・こん」には出演までさせて貰うたし・・・。来春には福岡まで足を伸ばそうかと企てている。
マメに素人の会に足を運ぶのは、それぞれの天狗連にはそれぞれのコンセプトがあって、ウチの会に無いトコ、ウチの会がまさっているトコ、色々と参考になり肥やしになるから。
今回の小素人連さんの会ではいくつか(正確には4つ)目的があった。小林げん馬さんの「親の顔」もその中のひとつ。以前、平成紅梅亭という番組でワタシの贔屓のひとり「立川志の輔」さんの「親の顔」を聴いて、ムッチャ感動してこれをいつか上方落語に直して演ってやろうと考えていたの。それが彼に先を越されたんで(ワタシがグズグズしてただけやけど)、是非聴いてみたいと思うた。たしかに上手いコト大阪弁に直してはる。喋りも達者や。せやけど志の輔さんのを聴いた時ほど感動はない。2度目やからか?それともこのネタは大阪弁ではアカンのか。いつか演りたいケドここらが課題やな〜。
帰りは、当日会場で会った「近江家八景」クンと「古印亭勝丸」さんとで食事に行った。勝丸さんはパンセで会うた時とはイメージが違うてた。酒の所為?八景効果?小素人連さん達と合流して、先輩の二八さんや我風さんとも話をしたかったが、これはこれでムッチャ楽しかった。
さあ、次は「楽」や〜っ!!
No.40   2002年12月07日 (土) 00時59分


 サウスロード落語ライブ 開演っ!!        
何年か前までは2ヶ月に1回、年6回のライブをこなしてた。もちろん最初の頃は同じネタを繰り返して演らないルール。このペースはしんどかった。この会のためにネタを覚え、此処を練習台に寝床の会にのぞんだ頃もあった。
お客さんにもばらつきがあって、一見さんが結構多かった。最近は客層も固定してきて、寝床の会とは明らかに違う雰囲気で固まってきている。此処のお客さんも大切にせな・・・そない思う。
トップバッターは衆朝さん。相変わらず空気を掴むのは上手い。型を決めずそのときの客に合わせて落語を変化させている。(ただ、キチッと覚えてないだけなのかも。。。汗)上手に雰囲気を和ませワタシにバトンタッチしてくれた。
ワタシはというと、ネタを変えたのでマクラが真っ白。とりあえず演者をいじりお客さんをいじった。ワタシの不安とは裏腹に結構ウケた。ネタに入っても、練習不足ですこし噛んだケド楽しく演れた。自分が楽しく演れたと云うことは面白いモンが創れたと云うこと(?)。出番が二番目と云うこともあって時間には気を配った。ウグイスの下りも、『にわか』のトコも、お囃子も全部省略した。練習に気合いが入らんかったのには、こんなトコにも原因があったのかも。本音はトリでお囃子も入れて(『にわか』のトコも)キッチリ演りたかった。
サウスロードの会も寝床の会とはまた違ったエエ雰囲気があると思う。ご意見・板にもあるように、此処だけに来てくれるヒトかていてるねん。大切にして行こ、な、みんな。
No.39   2002年12月04日 (水) 11時55分


 第95回 サウスロード落語ライブ 11/30(土)        
さあ、このテンションで夜に備えよう!
思い切って「鷺とり」の練習に入った。(・・・付け焼き刃・・・)やっぱりおもろないワと途中で止めてしまう。
思えばこの1週間最悪のコンディションやった。寝床の会のアトからや。落語の出来はそう悪くなかった。理由は分かってるねん。せやけどそれを書き始めると明後日までかかる。(と言うワケで省略。)
最近のサウスロードは明らかに以前の雰囲気と違っていると思う。客層も以前は近所のヒトやお店の常連さんたち。最近はHPを見て来てくれたり、他の会で落語を気に入って頂いた方達。この日も名古屋から例の親子連れ(いつもスンマセン)が来て下さり、おまけに(て云うたら失礼やけど)ワタシの職場のヒトが四日市からお越しになった。
人間関係っちゅうたら、おもろいモンやね〜。この四日市のヒトとは、職場では「先生、先生」と呼んで貰ってワタシが「あ〜・・・」とふんぞり返っている間柄。ところが今日は手揉みしている自分があった。上下関係が入れ替わる。おもろい人間模様や。
話は戻すケド、この人、先週の寝床の会にも来てくれた。ワタシが「鷺とり」をやめて「矢橋船」にしたら、先週とまったく同じネタ並びになってしまう。ワタシの芸人根性が許さん!・・・てなワケで、半分以上諦めていた「鷺とり」をすることにした。
・・・と云うところで「字数制限」や。
No.38   2002年12月03日 (火) 16時56分


 河芸町民の森総合センター 11/30(土)        
「リアクションのエエ老人会もあるのや!」
この日、衆朝さんと二人で行った落語会での感想。
この日は会長が急きょ桂○発さんの結婚式に参列のため欠席、衆朝さんは前日からの急性副鼻腔炎で顔半分を腫らし、ワタシは1週間前の寝床の会以来テンションがエラ下がりの脱・落語モードで、我ら寝床の会メンバーは満身創痍。
向こうへ付くと担当の方が出迎えてくらはった。「1時15分から2時までですね」確認をとると「いえ、ひとり45分でお二人と聞いていますが・・・」とエライ話が違う。「くわぃちょぉ〜っ!!」と言うて見ても始まらへん。
ひとり20分少々と思い、衆朝さんは「相撲場風景」ワタシは「お忘れ物承り所」を用意していた。あわてて相談!衆朝さんはマクラを膨らまし、ワタシは「ちりとてちん30分バージョン&マクラたっぷり」に変更する。
まあとにかく「客いじり」からと軽いジャブをかますと、えらい反応が返ってくる。老人会と聞いていたし、確かに客席の大半はお年寄りに見えるケド。会場の約3分の2を入れるキャパ500人の町民会館大ホールが揺れた。
終わってみると衆朝さんもワタシもエラうけで気分良く高座を降りた。
帰るとき、ワタシ達のアトの出番である大阪からの演歌プロとすれ違った。「おはようございます。お疲れさまでした」と言葉を貰った。おおっ!さすが、プロ!雰囲気が違う。
プロと同じ板に上がったという思いと彼女の笑顔・・・う〜ん、ちょっとはテンションが戻って来たかな。
No.37   2002年12月03日 (火) 00時44分


 第82回 寝床の会 終了〜 11/23(土)        
満足感と焦燥の交錯!
落語と言うモノは個人芸にあって、落語会は個人プレーにあらず。今の寝床の会はネタ並びも大喜利も下座も受け付けもすべてチームプレーであるべきなはず。
今回の会はどのネタも、どの演者も自己の表現は十分、レベルも申し分なかった。
ところが全体のバランスはどうであったか。なんか気持ちも呼吸もバラバラやった様な気がする。
最近、ウチの会ではナマのお囃子を導入している。沢山さんという方が三味線を弾いてくれて、それに併せて太鼓を叩いたり、笛を吹いたりしている。モチロン一番太鼓、二番太鼓(砂切り)も入れている。
受け付けもしながら、お囃子をやって、その上出演も今の4人(プラス三味線)でこなしている。自ずとチームプレー、呼吸が必要。今回はそれがキチンとやれていたのか!?
お客さんの反応はまずまずやった。よく笑ってもらった。ケド、それに比例しての満足はワタシとしては得られなかった。今の状態なら、お囃子の導入はもっと先送りした方がエエのかも。
愚痴ばっかりで、笑いのないコラム。こんな日記もたまにはあってもエエやろ。許して!
No.36   2002年11月27日 (水) 00時52分


 エエ後輩に恵まれると・・・        
三落会という集まりがあった。三重大学落語研究会のことである。「あった」と過去形なのは、いまは休部に追い込まれているからである。毎年、毎年落語好きの青年は入学してくるやろうけど、隠れキリシタンみたいに誰にも言わずそっと卒業して行かはんねんやろ。自分から再び落研を興そうというパワーのある「アホ」はそう出て来ぃひんやろ。
そない思うて、滋賀県の「近江家八景クン」(当時の落語仲間)達と先日三重大学で大学祭寄席を開いた。そこへ集まってくれた後輩達、その中で「大願亭大魔神」という男は津市内の近所に住んでいて気持ちの上では落語をまだ完全には捨ててないらしい。その彼が寝床の会に来てくれた。なかなか礼儀が正しく、好青年。ちょっと「ドンドコドンの山口」に似ていてオモロイものを持っている。
寝床の会も今やスタッフ不足、パワー不足。彼が一枚加わってくれたら心丈夫なんやけど、それは今の所ワタシだけの思い。メンバーの中には4人でずっとやって行きたいと願うヒトもいてるし。ケド、昨日はちょっと楽しい気分で落語会を終えられた。
いつか寝床の会のお客さんの前に、彼をご披露させて頂けるそんな日が来る事を願いながら彼と別れた。
No.35   2002年11月24日 (日) 09時40分


 作家の気分♪        
落語を覚える時も体調とか忙しさとかで覚え具合に波があるように此処のコラムや「Take Care!」を書く時も波がある。楽しい事がいっぱいあると、「もっともっと」と筆がガンガン進むけど、落語会が遠のくと何を書いてよいやらさっぱりワヤや。
「Take Care!」は医療関係、「打ち出し太鼓」は落語関係といちおう振り分けているけど、なんか波は同じ周期でやってくる。先日の短歌会館から今回の寝床の会までの2週間、落語がないと気分も落語モードにならずコラムも進まへんかった。
それでもカウンターはドンドン上がっていく。此処へ覗きに来てくれているヒト居てんねんなぁ。クリックして覗いて動きがないとがっかりして別のトコへ行かはんねんやろなぁ。そない考えながらドンドン日付とカウンターが過ぎていきとうとう落語会を迎えてしまった。
締め切りもないし誰からもせっつかれへんけど、なんか創作意欲を掻き立てようと苦労している自分に作家のイメージがダブってくる。作家や漫画家の人達は、切迫感は違うンやろけどこれと同系統の苦しみを背負ってはんねんなあ、そない思うたらなんかくすぐったいような気分になった。ごく僅かのこのページファンの皆様、お待っとさんでした。m(_ _)m
No.34   2002年11月24日 (日) 09時23分


 さすがにビビッた!        
さらにもう一段!
そのお金にしっかりしてはる町会議員のプロの方。
つい先日、ワタシの携帯に電話が掛かってきた。(こんなこと初めてや。なんで番号わかったンやろ・・・あ、この前コンビニで名詞渡したっけ)
いつもの早口で捲し立てる。「アンタなぁ、ボクの結婚式の司会してくれへん?」し、司会ぃ〜?結婚式の司会なんてあんまり経験あれへん(弟子の萬年クンの時以来や)し、ましてアマチュアがプロの司会やなんて・・・。ちょっとビビリながらも、もしかしたらあの師匠も見えるかもしれへんし、プロも仰山くるネンやろなぁ。。。あわてて手帳を繰った・・・アカンわ!「すんません。その日は河芸と伊勢市で落語会が二つも入ってますネン。」無念半分、安堵半分で丁重にお断りした。「アカンか〜。困ったな〜、あと3週間しかあれへんがな」「そんな、アマチュアに頼まんかて、司会の出来るプロは仰山居たはりまっしゃろ?そっちが本職やねんから」「それが居てないねや、タダで引き受けてくれるヒトは。。。」・・・この人、こんなんばっかりや。。。
No.33   2002年11月17日 (日) 10時09分


 色んなプロが居てはりますワ。。。        
三重県にはワタシの知ってる限り2人のプロが居てはる。
ひとりは落語博士。100席以上のネタを持ってはって北海道から九州まで落語会で飛び回っておられる。東京にも大阪にも支援団体さんが居てはってHPも2つそれぞれの団体さんが管理してはる。ワタシがカタギやった頃(つまり落語≦仕事やった頃)に、しくじって今は殆ど付き合いがない。
かたや、殆ど落語はやらず今地方の町会議員さんをしてはる。この人強烈なキャラで、芸人さんにしてはお金にも結構しっかりしてはる。
いつやったか、近所のコンビニでばったりと出会った。「ああ、久しぶり!」向こうから話し掛けて来てくれた。「アンタ、○曜日か△曜日××で落語せぇへん?やりたいやろ?タダで。」そんな頼み方はないやろ。。。「そら演りたいですケド、その曜日は仕事で抜けられませんワ」「ほな、今度の日曜日は?」「すんません、高槻で落語会ですネン」「アンタ、高槻まで行ってるの?」「エエ、その日はたまたまですケド名古屋や岡崎にも定席がありますネンでぇ」「アンタなぁ、そんなプロみたいなことしてるから我々プロに仕事が回って来ぃへんねんで〜」ま、そんな事はないやろうケド、そない言う前にアンタもっと落語しぃやぁ〜・・・心の中で呟いてその場は別れました。
No.31   2002年11月17日 (日) 09時52分


 【元】キウイさん、はじけました〜♪ 11/10夜        
さて、「やせがえるの会」の帰りにワタシと砂九さん、女坊さんで「楽」を覗いて見た。もう勉強会は終わってたが、カウンターで【元】キウイさんが飲んではった。
何でアタマに【元】がつくんか・・・そんなことはこの際関係ない。知っている人は知っている。詮索ご無用!(と云うワタシは実は詳しく知らんのデス。)
三歩さん・三象さん・文我さん・小三治さん・文枝さん・・・いろんなプロと飲まして貰うたケド、キウイさんほどプロを意識させへんプロは居てへんかった。なんかよく喋る「えなりかずき」を前にしてるみたい。(あ、「えなり」も素人とはちゃうか!?)
第一我々のコトを「栄歌センセイ」「砂九師匠」と呼んでくれる。プロがアマチュアに対してこの呼び方はないでしょ。まあ「センセイ」はわかる(ホンマに先生やモン)けど、なんで砂九さんが師匠やネン!?この人を「師匠」と呼ぶのンはペリーさんだけで十分や。
それでも会話の端々に「小三治師匠」「家元」「鶴瓶師匠」「サンマさん」(この人だけ「さん」やったな。。。)などと出てくるところは、「ああ、やっぱりこの人もプロやねんな〜」と感じるのであった。
帰り際、クルマに乗ろうとするワタシを掴まえて「乳もみ」をかませてきた。ここらのノリは、そこらに居てる兄ちゃんとイッショやったな〜♪
また会いたいナ。。。
No.30   2002年11月12日 (火) 17時04分


 「やせがえるの会」11/10・・・大いに反省の巻        
浅草へ「元・彦の会」にお邪魔した時、笑天さんから「今度の『やせがえる』に栄歌さんトリで出て頂きません?」とオファーがあった。後で聞いたンやけど、短歌会館でトリを取らせて貰うのは初めてやったらしい。二つ返事でOK!『寝床』でエントリーした。
案内状が届いた。「南遊亭栄歌・他」となっている。ワタシメインの会?プレッシャーや!「寝床」と云うネタは結構思い入れがある。
@落語を始めて二つ目に覚えたネタ。A枝雀師匠の凄さを痛感したネタ。Bワタシが入っている「寝床の会」のネーミング由来のネタ。C若い頃、爆笑を取れる数少ないワタシの切り札やったネタ。
今年最後の短歌会館としては、ふさわしいネタ選びやったはず・・・。

年には勝てん!・・・痛感した。30才台では何と言うことなく爆笑が取れた。ところが今日はネタのスピ−ド・抑揚・ギャグのパンチ力・・・しんどくてどれにもついて行けなかった。
アンケートやメンバーの感想は「よかった」「トリらしいエエ噺やった」などと勿体ないお言葉を頂いたけど、ワタシ的には、45才というキャンバスはとても小さく、寝床という大きな絵は描き切れずアッチコチに絵の具をボトボト落としたって感じやった。たしかに練習不足ではあったけれど、しっかり練習したとしても、今後この噺はねじ伏せることが出来ないネタになってしまったンやろか。。。
No.29   2002年11月11日 (月) 01時19分


 三落会「大学祭寄席」・・・11/3        
昨日と同じ会場に着いた。いるわ、居るワ!20年前のまんまのヤツ、こんなん誰や!?っちゅうヤツ。懐かしいやら恥ずかしいやら。。。
テーブルを組んで毛氈掛けたら、立派な高座の出来上がり!
さて、時間まで法被着てビラ配り・客引きや。恥ずかしがってる他のメンバー後目に、ここぞとばかりビラを配りまくる。ここらは現役の強みやねぇ〜。大きな声で「落語、どないです〜?無料(タダ)でっせ〜!」コテコテの関西弁が三重大キャンバスにこだまする!子供と手をつないだお母ちゃんや年輩の夫婦は入れ食いや!!!
いよいよ開演。客入りはそこそこや。学生時代の学祭寄席でもこんなに入らへんかった。笑いも手応え十分やった。OBらも会場に入り、客と一緒に大声で笑った。もともとみんな落語が好きで入部したんや。笑う目が生き生きしてた。
帰り際に、寝床の会の住所を訪ねて帰らはるヒトも居てた。現役生で、落研が復活したら聴きに来てくれると約束してくれる子もいた。
うん!今回の目的「三落会の復活・落研の復興」の兆しは十分や。
打ち上げの席でも、みんな程良く酔うて盛り上がり、我らの二度目の青春は夜遅くまで続いた。
No.28   2002年11月05日 (火) 00時50分


 三落会「大学祭寄席」・・・準備編        
久しぶりに母校・三重大学のキャンパスを踏みしめる。20年ぶりや!考えたら今ここではしゃいでいる連中の倍生きてるネンな〜。
会場となる生物資源学部教室に着いた。近江家八景(河邑クン)、名古屋小鯱(苅田クン)、じぁいあん亭マンモス・・・字ぃ忘れた(楠滝クン)、そして寝床の会の欠多利さん。懐かしい顔が待ってくれていた。
苅田クンは「国立と云うトコロは電球一個でも管理されていて融通効かんのですワ」。あるだけの物資で高座や会場を作らなアカンと云うコト。学生の時は教壇二つ合わせて高座を作ったものやけど、社会に出てから我々も融通効かん様になったらしい。ちゃんとした高座が欲しい。
苅田クンの職場・実験室からちょっと大き目の実験台を断って借りてきた。・・・まだ、高さが足りん。家からブロックを持ってきて下駄履かすことにした。高座へ上がる階段は、知り合いの酒屋さん(ご存じ、『寒紅梅酒造』さん!)からビールケースを6個借りてきた。たった5人での会場作りはしんどかったけど、あの頃に戻れて結構楽しんだ。
その晩はいつもの「民芸味処『車力』」で、前夜祭として騒いだ。もちろん、思いで話に花が咲いた。さあ〜、明日やっ!!
No.27   2002年11月04日 (月) 21時47分


 神戸出張奮闘記・・・後編        
追い打ちをかけるように、ワタシとその「マサイ族ボーイ」の間に3人の50才台のオバサン達が立ちはだかった。「マサイ族ボーイ」に負けず劣らず大きな声。
「アンタ達何しに行くの?」「えっ、あの〜、ポートピアに住もうと思いまして」・・・(っっっしょ〜うもないギャグや!)
「何処から来たの?神戸市内?」「ううん、大阪市浪速区○◇△×番地、向かいは八百屋」・・・(ケッ、まだまだやのぉ〜)
隣のマサイ族仲間は向かい合わせでお互いを傘で突っつき合っている。・・・(マナーのなってないやっちゃ)
ふっと見るとマサイ族ボーイの近くに70才手前のおば(あ)さんが立ってはる。・・・(おい、オマエら、世間のマナーは知ってるやろな!)
「本当は何しに行くの?修学旅行?」「あの〜、課外研修」・・・(勉強かいっ!ほな、社会のマナーを勉強せんかいっ!!)
いっこうに席を立つ気配はない。しゃあないワ。ワタシが声をかけた。「おばあちゃん、何処まで行くの」「いえ、あの、すぐ近くやから」「エエがな。ほな、その近くまで座って行きぃ」マサイ族たちに「聞けっ」とばかりに大きな声で言ってやった。立ち上がるとチェックアウトしたままの荷物が肩にずっしりと食い込んだ。「近くまで」と言うてたおばあちゃんは、ワタシの学会会場のひとつ手前の駅で降りていった・・・トホホ・・・
No.26   2002年11月03日 (日) 02時21分


 神戸出張奮闘記・・・前編        
3日目になるとさすがに疲れが出てきた。
起きたら9時!?寝坊や!ケド別に遅れて行っても、行かなくても誰にも何にも言われない。全ては自分のやる気に委ねられている。
ホテルをチェックアウトして三ノ宮からポートアイランドに向かうモノレールを待っていた。荷物も多いし座りたいので、ひとつ見送って一番先頭で並んで次発を待っていた。
と、後ろで騒がしい声・音。振り向くとなんと30人くらいの中学生と見られる団体(これが全てオトコ!!)がどっと押し寄せてきた。オイオイ、勘弁してくれよ〜。なるだけ端っこの車両に移動した。
ドアが開いて一番端っこの座席に滑り込んだ。ふーっ・・・ため息つく間もなく例の団体さんがワタシの車両にっ!たちまち「すし詰め」状態になり大声で怒鳴り合っている。真正面の男の子、ちょっと髪を染めて耳や鼻にはピアスがイッパイ。本人はカッコエエつもりやろうが、さながら「牛」か「マサイ族」のよう。。。
「お〜い、俺のおごりや。好きなだけ座ってくれ」(ちなみに自由席)。しょうもないギャグをかましてくれる。何処にでもおるんや、こんな目立ちたがりやのひょうきんな生徒が。
学生時代の自分のコトを棚に上げて、ため息をついたりしていた。
No.25   2002年11月03日 (日) 01時40分