No.107〜No.126

打ち出し太鼓
落語会を迎えるたびに必ず血が滾る。
終えたあと、満足感、反省(?)、そして次への熱き思いがある。
そんな栄歌の独り言、裏話などをおもしろくお伝え出来たらエエなあと思います。


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 第3回 プロ・アマ落語フェスティバル その2        
「とにかく会場を暖めて。お客さんを落語モードにして。」ワタシが砂九さんに出した注文。この人は声がエエ。間がエエ。最近「勉強会」と称し落語のネタ「軒付け」を地でいくような個人落語会を開いているため、落語にフレキシブルさを持たせている。もともとお客さんの反応はよかったから、マクラで手のひらの上で転がすようなお客さんの掴み方をして会場の雰囲気を一つにしてくれた。ただ落語としては不十分やった様に思う。ちょっと勿体なかった。
2席目はこの会では初めての江戸落語。プロ・アマで江戸落語を演って貰うなら最初は「この人」とはじめから決めていた。決して押しつけがましくない語りは心地よく耳に入ってくる。流れるような展開の中で笑いを攫っていく。この日のマクラは阪神優勝に因んだネタ。えびす橋から道頓堀にダイブする阪神ファンを揶揄し、溺れて死んだヒトへの悔やみから「家見舞い」。かなり時間をかけて作ったマクラとお見受けした。本当に努力家やと常々思う。アンケートでもお客さんの評判はよかった。初めての江戸落語でこれだけお客さんの心を掴んだ、この人を選んで間違いなかったと思った。
3席目はワタシ。昇太さんをお迎えするということで、自分の中でかなりの「気負い」があったと思う。今までは「餅屋問答」「ちりとてちん」など比較的軽くて笑いの多いネタ選び。今回はアマの主役を圓九さんから譲って貰って自分がやらして貰おうと選んだネタ。しかし仲トリにしては少々大きすぎた。真ん中を削っても41分。会の構成としては失敗か!? でも、エエ落語が出来たと思う。最近、滑舌に悩んでいたけど立て弁も上手くいったしリズムも全体的によかったと思う。マクラも旬でいてネタまでの流れを持たせ、急場でこしらえたマクラにしては上出来やったと思う。このネタを卸して21年目になるけど、これまでで一番エエ「口入屋」が出来たンとちゃうやろか。
No.126   2003年10月19日 (日) 09時21分


 プロ・アマ落語フェスティバル in 三重 10/12(日)        
ホンマ、ご報告が遅くなってしもた。それにはワケが。。。
今回の公演で、楽しかったことや感動したこと、反省や後悔したこと、それらが交錯して気持ちの整理がつかへんかった。ホンマ、此処へ読みに訪れてくれたヒトには申し訳ない。
準備は結構イッパイいっぱいやった。高座が出来上がり、下座の打ち合わせが終わったら、もう開場の数分前。ゆとりのないのは去年とイッショや。去年の反省が生かされていないなと思うた。スタッフは去年よりたくさん志願して貰うたケド、その人たちを使いこなせていなかった。まだまだ未熟。
さていよいよ開演!今年は京都の三味線の土森さんだけでなく、大阪の藤本遊丸さん(元・関大亭茂八さん、通称「茂やん」)が太鼓として参戦してくれた。もちろん笛・太鼓の圓九さんも強力な助っ人として居てくれて、下座は充分ハイ・レベル!これだけでも落語会に箔が付くハズ。
そして弟子の南遊亭萬年クン。今までは開口一番として力になってくれていたが、今回は高座返し(お茶子)として参加してくれた。いつも頼りになるオトコ。
会場の入りは、予想に反して少し空席が目立つ。前売りでチケットが135枚捌けたから170人(?)、いやもしかしたら満席になって椅子席を追加せなアカンかと心配していたが、残念ながら140人くらい。やはりF−1と津まつりとのバッティングが効いたと思われる。次回があるなら、この日だけは外さなアカンなあ。
いよいよ出囃子「石段」に乗って砂九さんが。。。

No.125   2003年10月18日 (土) 02時51分


 船場 上方噺の会 10/10(金)        
仕事を昼からサボって、見に行って来ました。
プロ・アマ2日前やのにええかいな、と自分自身にツッコミながら…。
近鉄難波駅で衆朝さんと待ち合わせをして、まだ時間があるというので「ワッハ上方」で時間を潰し、その後ちょっと奮発してえびす橋の近くの「串の坊」という串カツ屋さんに入った。お値段の方はチョット高めやけど凄く美味しいの、此処。お任せで次から次へと一品ずつ変えて出してくれるの。二人で腹一杯食べて一人4千円ちょっと。衆朝さんは高いとボヤくかと思いきや、「美味かったな〜」とえらく感動してくれた。帰りの近鉄の中でまで「美味かった」の連発、今度は家族で来ようとのコト。気に入って貰ってよかった♪
さて、いよいよ会場の御堂会館に到着。風庵でお会いした石田さん(この人も首謀者の一人)が向こうから見つけてご挨拶して下さって、「是非打ち上げにも出て下さい」と誘われた。そんなん事前に判っていたら、仕事の都合つけてくるのに。。。最終に間に合わへんからとご遠慮した。(勿体ない!)
今日の出し物はもの凄く豪華!まず文華の「八五郎坊主」。こんな噺家知らんし、あんまり期待してへんかったけど、最初から笑いまくった。特に寺の和尚さんのキャラにあたらしい工夫があった。ワタシもこのネタを持っているけどマンネリでしばらく封印していた。コレを聴いてまた演ってみたいなと思うた。
2席目は小染さんの「猫の災難」。退屈。マクラも面白ない。アルコールが回ったのもあったケド、しっかり寝てしもた。先代の小染さんはよかったのに、退屈な芸人さんや。
中トリは、三代目。春団治の「親子茶屋」。正直云うて、今日の出し物の中で一番期待していなかったネタ。高座まで辿り着くのもやっとの歩調で、ひと頃のシュッとした出で立ちはあれへんし、こんな大ネタは無理やろと思うてた。ところがどうしてどうして。今日の出し物の中で一番の出来やった。高座に上がった途端、シュッとしたあの三代目に変わり、途中一回噛んだくらいでアトはもう笑いの連続。会場と一体化したあの語りは夕飯の「串の坊」に匹敵するくらいの感動やった。
仲入りのアト、福笑さんの新作「葬儀屋さん」。もう笑うた、わろうた。マクラからぶっ飛びの喋り、ちょっと「代書屋」を彷彿とさせるネタ運び、上下が曖昧で口調もモノトーンなため暫く聴かんとどっちが喋っているのかワカランのが玉に瑕やけど。兎に角本日イチの大爆笑ネタやった。トリは文枝師匠の「愛宕山」。これは正直云うてイマイチ。枝雀の「愛宕山」を聴いているし、圓九さんもワタシもこれは持ちネタにあってしかも自信作。せやからそれと比べてもうて、悪いトコばっかりが目に付いた。状況表現もリズムももう一つやし、最後は不完全燃焼やったなぁ。
さあ、プロ・アマを前にして見に行って、今日が当日やのにこんなん書いている。そんな暇はあれへんのやけど、せっかくやからなんぞ肥やしにせな。
No.124   2003年10月12日 (日) 10時30分


 月下一群 その2        
ワタシとの打ち合わせはワリと簡単に済まされ(もっと煮詰めて欲しかったナ。結構、他を犠牲にして打ち込んできたのに…)、出番まで控え室で一生懸命に覚え切れていない「犬の目」の『ネタ繰り』をしていた。さて開演直前になって、ワタシの前のパフォーマンスがちょっと押すので落語の持ち時間を10分程短くしてくれ、とのこと。そこらへんから「ちょっと待ってくれよ!」てな気持ちになってきた。今回の会での落語のウェイトはどれくらいなの??…まぁまぁ、押さえて、押さえて。。。
さていよいよ出番。お客さんは主にお芝居関係の方達。ワタシの落語がどれくらい通用するかムッチャ不安。兎に角とっておきのワタシのマクラを連発した。芸名由来のネタ・職業の自己紹介・医者のマクラ・・・。本当なら大爆笑のはずのワタシの自信作が半分くらい「スカを喰らう」。オシマイの医者のマクラに至っては、(お馴染みの)88歳のおばあちゃんが死んでしまうネタなんやけど空気が深刻になっていくのが手に取るように判る。アカン、落語は『シャレ』やがな。イチイチまともに受け止められたら笑いが出ぇへん。お芝居関係のお客さんたちにはシリアスな噺に聞こえたのネ。それともワタシの技量のなさ?ワタシの医者としての腕のなさも、おばあちゃんが死んでしまうハナシも、ワタシが楽に死なせてあげたと家族が云うたことも、みぃんな『シャレ』!!マクラの最大のオチでしぃ〜んとしたまま、ネタに入ってしもた。
あとは…ウロな「犬の目」の落語。結果は押してはかってネ。(いえ、コレはちょっと謙遜かな。ネタ「犬の目」の方は心配していた程悪い出来ではなかったの。ホッ…)
打ち上げは楽しかった。唯一来てよかったと思えたひととき。みんな一芸あるものが集まってワイワイと騒ぐ。こんな楽しい時間はない。左隣には憧れのかなさん(前述)が座ってくれたし、反対側には無眠さんが最後までお付き合いしてくれたし。(ほとんど左を向いて話していたけど。。。) ゞ( ̄∇ ̄ ヲイヲイ
終わってみたら、エエ経験やったかなって思えた。いろんな環境・条件の中で自分の落語を最大限に演じる努力・柔軟性、こんなコト普段は考えてなかったもんな。落語は本当に温室育ち、ちょっと環境の違う空間に持ち出されると簡単に壊れてしまうと云うことも、充分に分かっているつもりで忘れかけていたもんな。
そんな意味で「肥やし」にはなったワ。さあ!これで何もかも忘れて、プロ・アマに向けての最終段階や!
No.123   2003年10月09日 (木) 05時08分


 月下一群 10/5(日)        
7月頃やったやろか…ある知人から電話を貰った。「落語とお芝居のジョイントをやりたい、3日間通しで、落語の方は3日とも演者・お題を変えて」。。。
こんな経験ないし、芸風を深める「肥やし」にしたいし、お芝居を見に来るヒトにももっと落語をスキになって欲しいし…、てんで一応OKした。「コンセプト・細部に渡ってはまた後日、日程は10月頃」とのこと。10月はプロ・アマがあるから第3週以降と云う条件で一応受けた。
いざフタを開けたら、10月の4・5・6日。あれ?約束が違うやん…とは思うたケド、「プロ・アマのチラシの挟み込みをしてあげるから」との言葉に絆されて受けてしもた。。。
さて、コンセプトはお芝居「春琴抄」(谷崎潤一郎原作)にリンクした「お題」で落語やパフォーマンスその他とコラボレイトするとのこと。・・・あれま、芝居−落語のジョイントやないのね。。。なにしろ「春琴抄」をまず読め、との要請で…焦った。えっと、リンク?「眼」「自傷」「愛」「献身」・・・そんなモノかな、ネタにあれへんがな。とりあえず「犬の目」が短いし覚えやすいかな…と大阪・圓九氏、名古屋・夢さん、伊勢・欠多利さんに無理を言って音源を調達した。わざわざ大阪へもCDを買いだしに出かけた。これが9月20〜22日あたりの出来事。JARA出演が終わった24日から、プロ・アマを横目に意識しながら本格的に「犬の目」との格闘。大丈夫やろか、プロ・アマ…!?(汗) 10/4の「寝床の会」も結果的には犠牲にした。(涙)
さて、忙しさにかまけて十分な打ち合わせもしないままで当日を迎え、場所も分からないまま会場へ向かった。会場にはお芝居の関係者がいっぱい居てて、ちょっと圧倒され気味。わんわん軍団のかなさんのエスコートがあったお陰で、建物の中にも無事忍び込むことが出来た。
いざリハーサルをして、これは大変やなぁと改めて感じた。会場は旧家のひと間、13畳ちょっとの空間。薄暗く、照明はあるものの暗く影ができ、高座は無く、屏風も衝立も無く、その13畳のど真ん中に座布団を敷いて座らされた。お客さんは隣の間。(これは落語をする空間やないでぇ。。。)依頼してきたヒトは落語に精通してはるからと信頼し全面的に任せてきたけど、落語の創り出す空間・世界に必要な条件を完全に無視してはる。いくつか改善を提案したけどすべて却下された。
No.122   2003年10月09日 (木) 04時38分


 第86回 寝床の会 10/4(土)        
アツイ会やった。会場の熱気も空調も。。。
みんなかなりテンションが高かったンやろな〜。ほぼ予定の3時過ぎに集まって会場準備を終えたら、お囃子の練習に全員参加。チロッと砂切り(二番太鼓)の練習をした会長が、今日はデビューしょうかいな、とポロッと漏らす。『ええぇぇぇ〜〜〜っっっ!!』これにはさすがのワタシも驚いた。太鼓はハナからリズム感がないからと見向きもしてくれなかった会長のこの意外な発言に、一気にみんな色めき立つ。ワタシの笛の調子もエエし、衆朝さんの締め太鼓のエスコートもあって、まずまずの仕上がり。ほな出囃子の方は欠多利さんも参加して貰おうと云うコトに相成った。
ワタシの患者さんでビデオの編集がプロ並みの方がいらっしゃる。その方も記録に来て下さって、GENさんには無理をお願いしてデジカメ係り。さながらプロ・アマ落語の予行練習みたいになった。
この日はお客さんの入りが最高で、椅子席の追加も2回にわたり、ピークでは90人を上回った。(敬和公民館2F会議室にはこれ以上入りきらん!)演者の熱気とお客さんの犇めく笑いで会場がアツイ!時折廊下へ涼みにでる人も居てはった。
さて、落語はというと、ハイテンションの「くやみ」、前より洗練された「豪州奮戦記」、きっちりと演じられたトリネタ「禁酒関所」。例によって欠多利さんが会場をほぐしてくれて、ワタシにバトンタッチ。しっかり入っていたハズのワタシの「くやみ」は、学生の時のリズムのまま。そのスピードに付いていけず、どうにも滑舌の悪い歯切れの悪い落語になってしもた。もう年やなぁ、と感じた。会長の「…奮戦記」は、英語落語「犬の目」を織り込んだ完全創作モノ。以前はテンでアカンかった会長の英語が、この時アベレージ以上に上達しているのには驚いた。やっぱり1ヶ月間のオーストラリア研修は無駄ではなかったんやと改めて感心した。衆朝さんの落語は元々キッチリと覚えるタイプの芸風やないのに、ワタシのプレッシャーも効いたンやろか、この日は驚くほどキッチリと演じており、かなり回数を重ねて練習を積んだンやろなぁと思わせる出来映えやった。
砂切りは、「大太鼓−琢磨/締め太鼓−衆朝/笛(能管)−栄歌/拍子木−欠多利」で雰囲気が上がり、トリの衆朝さんの出囃子「本調子鞨鼓」は、「三味線−沢山/太鼓−欠多利/篠笛−栄歌」で締めるいう新しい展開。
ワタシの落語は老化しているが、下座「寝床の会」は確実に成長していると思うた。

「江戸荒物」欠多利/「くやみ」栄歌/「オーストラリア奮戦記」琢磨/「禁酒関所」衆朝/〜大喜利〜(やりくり川柳「マニフェスト」、謎掛け「秋祭り」「日本シリーズ」)
No.121   2003年10月08日 (水) 12時07分


 第25回 『楽』で落語を聴く会 9/21(日)        
話はちょっと前に戻るけど、21日の「楽」の会。いや〜、不覚やったなぁ!
昼頃会場に着いたら、ワタシが一番乗り。そのあとゾロゾロとみんながやって来て、言い訳するわ、自信はなさそうやわ。なんかこっちはどんどん落ち着いてくるの。砂九さんは珍しく5割程度の出来上がりやというし、笑天さんは「最初は出るつもりじゃなかったから」との前置き、のんきさんに至っては初めての「楽」出演とあってカチンコチン。…悪いけど、結構笑えた。
ワタシの「ちしゃ医者」はこの間のサウスロードで演ろうかと7割程度仕上げていたし、学生の時に覚えたネタやから「てにをは」まで結構しっかり入っているのよね〜。念のため着いてから2回ほどネタ繰りもしたしね・・・
受付の前でHPにアップするための写真を撮っていたら、お客さんがみんな「あれ、栄歌さん、今日は出演はしないの?」と聞いてくれる。「いえ、出番はありますよ」と云うと「ほう、なかなかの余裕ですな」と冷やかされた。
さていよいよ開演。笑天・砂九から夢さんに受け継がれ、やはり少々会場はカタイ。夢さんはワタシから見て今日もなかなかの出来映えやった。安定してはる。ただちょっといつものようなパワーは影をひそめていたし、降りてきてから夢さんも「ちょっと噛みすぎたネ」と云うてはった。
仲入り後の食い付きはのんきさん。すこしハプニングもあったけど、笑いを取って降りて来た。ええ空気を作って貰うた。
さてワタシはというと、出番直前に用意していたマクラが一度楽で演ったコトのあるモノと気がついた。夢さんに相談。「お客さんも替わってると思うし覚えてないでしょう」と夢さんは云うケド、やっぱり拘ってしまう。直前にマクラを入れ替えた。
これが裏目に出て、のっけに空気を掴み損ねた。リズムが少しずつ狂ったまま本題に入り、修復出来ずに終わってもうた。もうボロボロ。。。
夢さんが「珍しいねぇ。今日は随分粗かったねぇ。」…返す言葉がござんせん。。。自分でもワケが判らぬままの敗退。こんなはずやなかったのに・・・

「マサコ」若鯱亭笑天/「道具屋」浪漫亭砂九/「岸柳島」若鯱亭夢輔/〜仲入り〜/「道灌」気まま家のんき/「ちしゃ医者」南遊亭栄歌
No.120   2003年10月02日 (木) 18時08分


 さあ、いよいよ「プロ・アマ」や!        
今日、昼にあんなこと書いといて何云うてんねんなと叱られそう。

今までの準備を振り返って見た。
会場のスタッフと打ち合わせを終えた。絶対的にスタッフ不足と嘆いていたがかなり強力な助っ人が得られそう。
まず、無眠さん。云わずと知れた楽語の会のリーダー。ヒタイだけでも存在感のあるひと。色々と忙しい人やし翌日には「やせがえるの会・大須顔見世興行」を控えているから多分無理やろうと諦めていた。ところが、もしかしたら来てくれるかも!去年は名ビラ立てを楽語の会さんからお借りした。無眠さんが宅急便で送ってくれて、帰りは女坊さんが運んでくれた。今年はどうしたモンかと途方に暮れていたが、もし来てくれるなら名ビラ立てもクリアーや!
圓九さんの同級生の茂ヤン(関大亭茂八改め現・藤本遊丸クン)が下座として来てくれるかも。。。お囃子が膨らむ♪圓九さんの出囃子にはワタシが笛を吹けるかな♪♪
欠多利さんがスタッフとして、去年開口一番で頑張ってくれた南遊亭萬年クン(ワタシのただひとりの弟子)が、高座返しとして来てくれる。うれしい。いつもイッショにやっている仲間が居てると心強い!
もちろん三味線は京都から土森強旨さんが参加して下さる。レベルの高い下座になる。
なんか、ちょっと恐いモノなしになってきたって感じやろ?
一番嬉しいのンは、前売り券。今までの時点ですでに100枚捌けた!これからまだ10日もあるし、当日券も含めると去年を大きく上回る予想。

秋のちょっとしたビッグ・イベントになるんとちゃう〜♪
No.119   2003年10月01日 (水) 16時52分


 プロ・アマ、寝床、月下一群、中日まで…!?        
今ムッチャ焦っている。
プロ・アマの準備が停滞したまま。それと云うのも、それまでに落語会をいくつこなさなアカンことやら…。
今週の土曜日に寝床の会。プロ・アマの前やからしっかり演りきらなアカン。せやけど、その翌日の名古屋での「芝居−落語ジョイント」である『月下一群』、これがプレッシャーや。一部ネタを明かすと、芝居とのリンク(キーワード)を持たせたネタ選びを要求されている。先週大阪へ行って圓九さんと会い、楽では夢さんに無理を云い、欠多利さんにも迷惑をかけてかき集めた落語のテープ。今それを聴きながら一生懸命に創っている最中。途中で挫折しそうになるんやケド、みんなに迷惑を掛けたからにはネタを変更せずに成し遂げなアカン。そない思うて頑張ってる。
わずか2週間(いや、もっと短いか…)で、落語を仕上げて高座に掛けるのはこれまでに経験したことがない。細部まで言葉や言い回しを吟味した上で、リズムを持たせ作り上げるワールド。あまりにも時間がなさ過ぎる。モチロンそれだけに時間を割くワケにはいかん。プロ・アマの「口入屋」も寝床の会の「くやみ」も練習せなあかん。ヤバイ!焦る!!
昨日、無眠さんからメールが来た。どうせ日曜日に名古屋に来るのなら、中日寄席に出てはどうか…とのお誘いの言葉。有り難い、出たいのは山々、せやけど心のゆとりも時間的余裕もない。
現在、全体のカタチが出来上がり、言葉・細部の言い回しを吟味しているところ。さて、どないなることやら。。。

寝床の会:10月4日午後6時30分開演、津市敬和公民館
月下一群:10月4〜6日(栄歌出演は5日)午後6時30分開演、名古屋市旧豊田佐助邸
中日寄席:10月5日午後2時開演、名古屋市栄・中日ビル2F
プロ・アマ:10月12日午後2時開演、津市アストプラザ4Fアストホール
ついでに
やせがえるの会大須顔見世興行:10月13日午後5時開演、名古屋市大須演芸場
No.118   2003年10月01日 (水) 13時12分


 春風亭昇太さん        
今日初めて春風亭昇太さんに電話をした。ドキドキしながら打ち合わせをした。今回プロ・アマで昇太さんをお招きする。
第1回・2回は桂三歩さん。ワタシの憧れであり目標でもある人。今でもそれは変わりない。ただお客さんのアンケートは結構キビシイ。マンネリ・もうちょっと有名な人を・飽きた…etc.
去年の今頃、これもワタシの友人で一目置いている芸人さん『料亭彦柳』というオトコが浅草の木馬亭で「元翁・彦柳の会」なる会を開いた。応援に出かけていってその時初めて春風亭昇太さんをナマで見た。元・彦の後輩にあたると云うことでゲスト出演されていた。
アタマを殴られたような衝撃を覚えた。これでもかと言うくらいに笑いをとる芸。笑いに上も下もないけど、上方と江戸を比べた時、どうしても上方の方が笑いに貪欲やと思うてた。えげつない笑いの取り方も時としてすると思う。それに比べて江戸はもっと知的な、粋な、心地よい笑い…そんなワタシの中の既成概念を一瞬にして吹き飛ばした。えげつない程の笑いへの執着、それでいて心地よい。こんな落語をする人が江戸にも居ったんや!(打ち出し・過去ログNo.9参照)
その日の打ち上げに参加させて貰うた時、真っ先に一年後のプロ・アマのコトをお願いした。「いいですよ」と軽い返事。単なる挨拶やと思うてたケド、それが現実となった。

電話の目的は往復の電車の時間のコト。何時出発?帰りは最終の1本前?…そんな(そんだけの)打ち合わせ。非常に紳士的に応対してくれはった。ナマ昇太の声や!(…ナマとちゃうて。電話越しやん!)
急にテンションが上がって、仕事しながらネタを繰っている自分があった。
・・・単純やな〜、ワタシって。。。
No.117   2003年09月26日 (金) 03時48分


 引き続き…JARA…その2        
緊張はせぇへんかった。第一声も上手く出たし、マクラ・ネタともちょっとリズムや滑舌が悪いトコもあったけど、自己採点では85点くらいで演れたと思う。
マクラでもネタでも、ツボでは『ドカ〜ン』と来たし、それまで寝てはった何人かも起きてくれて、客席と一体化したと云うか、今までの5席とは確実に空気を変えられたと思う。
アトの4席もみんなさすがに上手かったけど、ひょっとしたらイケるんとちゃう?と思うてた。去年のような「ブッちぎり」ではないにせよ、客席の反応からも手応え見たいなのンを感じてた。

生意気とお叱りを受けるかも知れへんけど、正直に白状する。
「優勝の時の挨拶はやっぱり笑いを取らなアカンな〜。染丸師匠(KARA)の時はムチャクチャアガってもうたし…」てなコトを考えながら壇上に立った。
次々に賞の発表が進んでいく間もひたすら優勝の挨拶なんかを考えていた。
せやから「技能賞」で名前を呼ばれた時はビックリした。「なんや、自分の落語はこの程度やったんか」と思うと情けなかった。ただもう落胆の表情を隠すのに必死やった。おそらく笑顔が引きつっていたと思う。

公の場でこんなコト書いてエエんやろか?きっとアトで色んな人からお叱りを受けるねんやろな。。。(まあ、今ムッチャ熱いんで止めずに書くわな。)
打ち上げで、ある人(この人も審査員の一人なんやろな)にこんなコトを云われた。JARAの審査は「上手い」とか「ウケる」意外に「会への貢献度」も加算されるんですよ…と。
何やろ、この「貢献度」と云うのは?(何回この会に参加したかという実績らしい。)そんなんが選手権に必要なん?みんなそれを承知で参加してるの?一生懸命に練習して、一人でも多くの人を笑わせようと今日までみんなが努力して来たんとちゃうのン?みんなそれで納得して帰れるの?第一、審査員は誰でどこで聞いていたの?「貢献度」やったら選手権が始まる前から決定してるやん。JARA30年の歴史はそんなんやったん?…今日まで必至で練習してきた自分がバカらしく思えた。

ゴメン。止まらへんかったワ。お叱りは受けます。みんなからのメール、真摯に受け止めます。
No.116   2003年09月26日 (金) 02時57分


 JARA(全日本社会人落語選手権大会)9/23(火)        
筆が進まへんかった。順を追って書こうとしてたら、最初からどうも躓いて。。。
9/20大阪行き・9/21「楽」で落語を聴く会・9/23JARA…この順で書くつもりやったけど、やっぱり「打ち出し太鼓」は熱い思いを書くサイト。今一番ホットなJARAからスタートや!

テンションが中途半端な状態で迎えた今回のJARA。参加の可否の通知も封書が一通。中には案内状(ハガキ)が5枚だけ入っていて、他にはなんにも。。。集合時間も制限時間も会費のタカもその他事務連絡もなぁんもなし。せやから、ハガキを持参したらそのお客さんは入場料が無料になるシステムも知らされてなかったし、誰が何処出身の何某天狗連所属かもわからへんかった。なんとも不親切な通知。
KARA(全日本社会人上方落語選手権)と同じようにやればエエんやとは思っていても去年のこともあるし、…てなワケで練習&マクラ作りをするために奮発してグリーン車で東京へ向かった。
一度行ったことがあったので場所も迷うことなく、楽屋でも小さくなることもなく、比較的落ち着いて会場の雰囲気や他の演者の仕上がり具合を確認しながら自分の出番を迎えることが出来た。
ワタシは6席目で仲トリ。前の5人は語りもしっかりしてて手慣れた様子。ケド会場はカタイ。楽屋までは客席の笑いは聞こえて来ぃひんし、演者との空気のズレなんかも感じる。「よ〜し、ここは去年と同じく『どか〜ん』とやってやれ」てなコトで、いよいよ「鞍馬」に乗っていざ高座へ!

りゅっきん「桃太郎」/六ツ家千艘「勘定板」/鹿鳴家さし美「道灌」/空巣家小どろ「天災」/暫亭市桜「厩火事」/南遊亭栄歌「代脈」/〜仲入り〜/にぎり家弥助「あぶらあげ」/新宮亭当り目「鷺とり」/湯好家三助「八五郎出世」/柳花楼扇生「雑俳」
No.115   2003年09月26日 (金) 02時16分


 「『楽』で落語を聴く会」はどうなの?        
今回はぜんぜん見えて来ぃひんの、夢さんの思いが…。
前回、勘朝さんとの三人会であんなに燃えたのに、今回は打診がない。…ひょっとしたらワタシの出番はないのかしら。。。(^^;
と心配していたらメールが来た。「今回は何をしますか?」簡潔な文章や。一応「いま演りたい」若しくは「いま演れる」ネタをいくつか書いて送った。
…数日……返事が…ない。。。「いったい何を演ればエエのぉ〜っっ!?」
今回はぜんぜん伝わって来ぃひんの、夢さんの熱い思いが…。
先日電話してみた。「何を演ればよろしい?」夢さんは「あと一人、○○さんが煮詰まってないので、とりあえず『◇◇◇』を演って貰えますか?」「OK!わっかりましたぁ〜っ!」とは返事したものの…「まだプログラムが出来てないのぉ〜!?」
今回はぜんぜん伝わって来ぃひんの、夢さんのコンセプトが…。
でも、でもでも、前にも何回かこんなコトはあったモン。その度にちょっと不安になったけど、いつも終わってみるとエエ会が出来てたもんなぁ〜。演者がエエからやろか…なんちゃって。。。
せやから今回も夢さんを信じて自分のネタ作りに励むだけ。
ネタは明かさへんけど、楽しみにしててやぁ〜!!
No.114   2003年09月19日 (金) 17時47分


 パソコン危うし!プロ・アマ危うし!!9/7(日)        
「打ち出し太鼓」の更新が滞ってました。その間もカウンターがどんどん上がっていくのは、嬉しくもプレッシャーです。
今日は9月7日(日)です、いえ、誰が何と云おうとっ!(キッパリ)

プロ・アマまであと1ヶ月ちょっとと迫り、ボチボチ案内状発送をと一昨日パソコンで住所録を開こうとしたら……何と、ウンともスンとも云わないではないか!!そればかりではなく、去年のハガキデザインやパンフレットの原稿までが読み込めへん。 (>o<)--!!! あ、あせるぅ〜っ!!! 明日は当直。と云うことは今日中に直さなければ、プロ・アマ当日の客入りはかなりヤバイことに。。。
で、ワタシ電話してもうた、パソコンの師匠に…。以前近所に住んではって今は隣町に引っ越しをしたパソコン博士。去年ウイルスにやられたときも、中身を入れ替えてメンテしてくれはった。今月いっぱいでY口県(…て伏せ字にしてもまる判りやん!)に転勤が決まって現在てんてこ舞いらしい。悪いとは思うたけどSOSの電話を入れたら(ホンマにパソコン好きやネンな〜)、二つ返事でやって来てくれた。
結局、朝の10時から夜の11時まで、ナント13時間もかかって、とりあえず応急処置はしてくれた。その後、無事ハガキも出来あがって発送出来た。(やっつけ仕事やったんでミスもかなり多かったらしい。案内面が真っ白やと連絡くれた人も居てたし、宛名不詳で数枚返ってきたし…)
原因は判らず仕舞い。動作も遅いし、別のドライブで立ち上げたら筆王は読み込めるから現在使用のドライブのどこかにウイルスが入っている可能性ありとのこと。ちゃんとワクチンソフト入れてるのに〜。で、次回11月2日にまたWindowsの入れ替えをして貰うの、Win2000に。そのためにY口県(せやから伏せ字は無駄っ!)からワザワザ返ってきてくれるらしい。ホンマお世話になりっぱなしで。。。
それにしても、どうも今年は落語の始動に手間取ってカラダのフットワークも遅い。やり残した仕事が山積み。無事プロ・アマが終えられるのかどうか今からとても心配。
No.113   2003年09月19日 (金) 17時23分


 腹をくくった、第98回 サウスロード落語ライブ        
迷いに迷った。このまま「くやみ」で大入り満員の中を大爆発したい衝動にもかられた。ケド先日名古屋までわざわざ出てきて下さった伊勢のご夫婦は中日寄席でワタシの「くやみ」を聞いて下さっている。名古屋からの2人のおネエさんたちも待って下さっている。
腹をくくった!もともと最初は「九日目」を演りたかったんや。行けるトコまで行ったれぇ〜!!
会の次第を観察することは100%あきらめて、駐車場や道路をウロウロ徘徊しながら
「九日目」のネタ繰りに専念した。7割を少しでも上にあげるんや!
こんな時の会の進行はムッチャ早い!もう自分の出番がすぐそこ。マクラまでは手が回らんかったケドとにかく気持ちだけは高めて高座に上がった。
間はあれでよかったやろか。死神のキャラ設定はあれでOKやろか。全体のリズムは?マクラはボロボロ(ま、いちおう『笑い』は取れたけど…)、それだけはハッキリわかっている。なんや、よう判らんまま終わってしもた。お客さんには満足して貰えたンやろか。おネエさんたちには?
反省会の最中にメールが届いた。「とても満足しました」と。よかった!
会場でリクエストを貰うなんて「リクエスト寄席」という企画以外には本当に久しぶり。エエ経験をさせて貰った。またひとつ勉強になった。

「つる」衆朝/「遊山船」欠多利/「オーストラリア奮戦記」琢磨/「九日目」栄歌/〜大喜利〜(色作文、謎掛け「自由研究」「回転寿司」)
No.112   2003年09月08日 (月) 23時20分


 何を演ろうか、第98回 サウスロード落語ライブ 9/6(土)        
ネタがはっきり決まらないまま当日となった。着物をたたんで荷物をクルマに詰め込んで、「さあ何を演ろうか」とまだウロウロしている。
ネタだけやなくマクラも考えなアカン。ハンドルを握ってようやくメンバーからのリクエストである「くやみ」を演ろうと思い立った。
「くやみ」も「九日目」も「ちしゃ医者」も7割程度仕上がっているからアトは「くやみ」に的を絞ってそれを仕上げてマクラを考えて。。。伊勢に着くまでに2回通しでやれた。タイムリーな『くすぐり』も2つほど織り込んで、特に滑舌のあやしいところは念入りにチェックして9割以上に仕上げた。マクラもしっかり仕込んだ。もうこれで大丈夫♪
10分遅れでサウスロード入り。会場にはすでに名古屋からのお客さん達が食事をしていらっしゃって「栄歌さん、ちょっと」と手招きしてはる。すりすりと寄っていくと公開日記「栄歌のひとりごと」にも書いた「パチンコ玉入りの金招き猫」をお土産に下さって、そこで「九日目」のリクエスト。
これには正直ちょっと焦った。もう気持ちは「九日目」にはあれへん。「くやみ」の裏っ側で小さく萎びている状態。第一用意したマクラは全部無駄になる。「楽屋で今からネタを繰ってみますが、アカンかったらごめんなさいネ」とお断りをして、会が始まったら即裏へ引っ込んだ。とにかくひと通りネタを繰ってみる。…アカン!7割のままや!!戻って会場を覗くと立ち見も出て大入り大盛況の状態。
どないしょう。。。
No.111   2003年09月08日 (月) 22時47分


 東京JARA 於:お江戸日本橋亭        
正直云うてもう諦めてた。「出番はないのンとちゃうか!?」 7月の二十日過ぎに案内が来て「いの一番」でエントリーした。去年は初参加と言うことで特別賞を貰って帰ってきた。真に納得のいかん不満足な結果やった。今年はなんとしても入賞を果たして帰りたい。
今年は「30周年記念大会」と言う一大イベントらしい。もしかしたら出して貰えへんかも知れへん。そんな不安は初めから過ぎっていた。事務局からは何の連絡もないまま、どんどん日が経ってあと当日まで3週間を切ってしもた。アカンのやったらアカンて連絡くれてもエエやん!
シビレを切らして問い合わせしようかと考えているちょうどその今日に封筒が届いた。なんのメッセージもない封筒の中身はハガキが5枚だけ。裏面に会の案内が書いてあって、知人に切手を貼って発送しろというモノらしい。その会次第をみると……あった!
6番目南遊亭栄歌の名前!確かに書いてある!事務局からなんのメッセージもない素っ気ない封筒やったけど、ムッチャ嬉しかった。
今月来月とスケジュールは死ぬ程ハードやけど、さあ気ぃ抜いている暇ないでぇ。練習、練習。。。と言いながら、暖まってきたカラダでもうPCに向かっている。
いつになったら落語の練習に真正面から向き合えるコトやら。。。
No.110   2003年09月05日 (金) 01時42分


 サウスロード間近!        
あと2日。ワタシのネタが宙に浮いていた。
7月に九日目をエントリーした。他にもいくつかの候補を出したけど、ある方のご好意で故・枝雀師匠の懐かしい音源が復活したため是非演って見たかった。
ところが残りの3人の演者のネタが出そろったところでワタシがトリと決まった。しかもネタは「九日目」。あとの3人のネタはもっと軽い。「九日目」は本当に聴いていて面白い噺。せやけど新作やし短いしトリネタには絶対不向きな噺やと思う。ウチは大喜利が最後にあるからそれをメインに持っていってもエエけど、大喜利の詳細も煮詰めへんまま日だけが過ぎていった。ワタシは何度かメンバーに打診した。「九日目」はトリには相応しくないと思うから別の出し物に変更したい。。。メンバーからはなんののレスもないままハガキ案内が出来上がり、ワタシの「九日目」がトリのまま発送された。
正直テンションが全然あがらへんかった。まあその所為だけでなく長いブランクもあったし、仕事が忙しかったこともあって。。。
今週にはいり「九日目」を練習しながら、同時進行で「くやみ」と「ちしゃ医者」のネタ繰りもした。まあ充分とは言えへんけど、どれもそこそこに仕上げてから再度メンバーに打診した。そうしたらワタシの開き直ったカキコを読んで衆朝さんから「くやみ」でどうかと発言があった。残りのメンバーも右に習えで賛成してくれた。それが今週の水曜日の夜の話……(早うから言うてんのに、頼むでぇ〜)
「くやみ」はオチまで行けへんからやっぱりトリネタとしてはイマイチやけど、まあそれでも少しは開き直れた。気が少しは楽になった。会長に電話をしたら「サウスロードは会場の雰囲気やお客さんの層から考えて、一般の寄席形式に拘らんかてエエのんとちゃうか。九日目がトリでもエエのんと…」その言葉でもっと楽になれた。
もうあと2日しかない。ここまでいったら3つとも持って行ってその時の気分で好きなヤツをやったれ!(と、やや無責任な発想!)あと2人、急病で休んでもビクともせぇへんで、今回のワタシは。
せやけどホンマ、今回は気ぃ揉ます打ち合わせやったワ。。。
No.109   2003年09月05日 (金) 01時13分


 寝床の会 伊賀の陣 in 風庵 打ち上げの章        
風庵の囲炉裏のある部屋で、我々演者だけご馳走になった。
打ち合わせの時、打ち上げは「持ち寄り散財」と云うコトになったので、みんなで1,500円ずつ出し合ってスーパーで買い出しをして持っていった。チーズやポテトチップス・スルメ・ソーセージ・・・。そんな食いモンはいっぺんに吹っ飛んだ。
畠で採れ立ての野菜を目の前で揚げて頂いた天ぷら、打ちたての蕎麦、馬刺、きーさん手作りの寿司・・・。
我々はこれでもかと云うくらい腹に詰め込んで、河太朗さんと衆朝さんは先に寝室へ。ワタシだけはちゃっかりお風呂(備長炭入り)を頂戴してまるで民宿に泊まった気分で床についた。
最後まで台所仕事をしてはったきーさんは朝一番に起きて我々のためにコーヒーを入れて下さった。皆が起きてコーヒーを頂くと朝御飯の準備をして下さった。
ここでも畠でとれたてのお野菜中心の料理。ナスの漬け物やきーさん自家製の味噌を使ったみそ汁。帰りはお客さんのひとり、滋賀の野田さんから頂いた「もったい農園」のこだわり卵をお裾分けして頂いて、近くのさるびの温泉に寄ってから帰路についた。
なんか落語をしに行ったというより大山田村へ避暑を兼ねて遊びにいった気分。最高のお盆休みやった。
No.108   2003年08月23日 (土) 08時04分


 寝床の会 伊賀の陣 in 風庵 大成功! 8/16(土)         
落語会を終えて、ホンマに良かったなと思える会は数えるくらいしかない。
落語の出来だけではなく、会場の雰囲気も、お客様の反応も、そして終演後の集いもすべてが最高!今回の伊賀での初公演はこんな素晴らしい会やった。
風庵へ向かう道中はちょっと不安。初めての地、山や小川や田園風景が広がる民家。そんなところで我々の落語が受け入れられるやろか。我々が注文をつけた高座や会場作りはちゃんと出来ているやろか。お客さんはちゃんと入るやろか。
そんな心配は風庵に着いたら一掃された。会場作りは専らご主人がやってくれたンやけど、日曜大工が趣味と云うご主人さん、高座へ上がる階段の数cmまで拘って作ってはる。高座は広さも高さも丈夫さも充分。後ろの衝立も感じが出ていて素敵っ!
お客さん集めは席亭「きーさん」の仕事。相手は近所のお年寄りやおばちゃんたちかと思ったら、大阪や堺・京都・奈良・滋賀といった遠方から、カメラマン・画家・作庭師等々、その道に才ある人たちの集まり。40人以上も集まって来てくれて、きーさんの顔の広さ・人間の大きさに驚かされた。
いよいよ開場。最初は少々堅かったが、次第に解れて最後は大爆笑に!落語4席と大喜利をやったンやけど、なるべく多岐に渡ってネタを選んだつもり。大爆笑あり、バレあり、怪談モノあり・・・大喜利は寝床の会オリジナルのビジュアル重視のネタと即興モノの謎掛け。
手応えバッチリ、打ち上げの時の反響もまずまずやった。「また、来てな」「モチロン、また是非呼んで下さいっ!」お客さんと一緒に歓談しながら頂いたスイカは絶品やった!

「動物園」欠多利/「代脈」栄歌/「時計屋」衆朝/「仔猫」河太朗/〜大喜利〜(珍・漢和辞典「草かんむり」、謎掛け「さるびの」「送り火」「風庵」)
No.107   2003年08月18日 (月) 22時42分