No.46〜No.65

打ち出し太鼓
落語会を迎えるたびに必ず血が滾る。
終えたあと、満足感、反省(?)、そして次への熱き思いがある。
そんな栄歌の独り言、裏話などをおもしろくお伝え出来たらエエなあと思います。


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 裏を返す 〜高麗広落語会〜 3/2(日)        
伊勢の内宮さんからさらに五十鈴川を上流に上り林道を走って行くと小さな集落がある。「高麗広」といわれるこの地域から去年落語の依頼があった。
三十数世帯70数人が住む小さな集落、そこで地域の交流に力を入れている人達とは村のお年寄りではなくワタシ達より遙かに若い青年たちであった。公民館に木で組んだ高座を作り、照明が欲しいといえば近所の作業場から借りてきてくれて、足の弱ったお年寄り達のために車で迎えに行き、落語会作りに一生懸命してくれた。
ワタシ達が彼らくらいの年代にこれほどまでに地域のため、よそのお年寄りのために尽くしたやろか!?感動して帰ってきたのを覚えている。
その高麗広の方達から今年も落語のリクエストを貰うた。うれしかった。またあの人達のあつい人情に触れられる。
会場につくとみんな覚えていてくれた。「南遊亭栄歌さん」ワタシの名前を真っ先に云うてくれはった。やりぃ〜♪(会長と間違えてはったケド・・・今日は栄歌さんは来られへんの、やて・・・)
得意の「ちりとてちん」を演った。相変わらずようウケる。このネタは安心出来るワ。お待ちかねの大喜利では、会場からどんどん声が飛んでくる。反応が無茶苦茶エエ。『珍・漢和辞典』ではほとんどのネタを言い当てられてしもた。盛り上がりに盛り上がった。
後かたづけの後みんなでお弁当を食べた。「夏に泊まり込みで来たいな〜」去年と同じような会話が弾み、「また来年」の合い言葉で別れた。去年が「初回」で今年「裏が返り」来年はいよいよ「馴染み」や。予定表には定期公演として記録しとこ♪
「つる」衆朝/「佐々木裁き」欠多利 〜休憩〜 「ちりとてちん」栄歌/大喜利(珍・漢和辞典『春』、現代いろはカルタ、謎掛け『松井選手』)
No.65   2003年03月04日 (火) 00時07分


 会がハネて 〜『楽』で落語を聴く会〜        
「楽」の会が終わると恒例のお客さんのお食事タイム。演者は急いで着物を着替えるとコンパニオンに早変わり。お客さんの前でお酒を注ぎながら会の余韻を楽しむ。気前のエエお客さんからはガンガンお酒を振る舞われるコトも・・・
いつもならこの時間がとても楽しい。出来のエエ日は酒にも賛辞にも酔いしれるひととき。今日はこの時間が辛かった。いつもより低姿勢の自分がいた。ところが案外お客さんの反応はエエ。これには驚いた。みんな「面白かった」「うどんが美味そうやった」と笑顔で語ってくれた。此処のお客さんはそんなに寛大な人達では無いハズ。滑舌や間の悪さはそんなに気にならなかったと云うことか。「時うどん」というのネタの面白さと「栄歌」という商標効果に誤魔化されてくれはったと云うことか。
程なく友人から携帯へメールが届いた。「いつものようなキメの細かさはなかったけれど、仲入り後に丁度いい落語だった。疲れ始めたお客さんを引っ張って行き、トリへ気持ちよく繋がっていたと思う。『食い付き/もたれ』の役は果たせたと思う」と書いてくれてあった。救われた!!落語のリズムを壊してまでも時間を短縮した甲斐はあったと気持ちがス〜ッと楽になった。
その後の身内での打ち上げはとても楽しかった。ウン、今日はよう寝られるワ。
No.64   2003年02月26日 (水) 04時47分


 さらに反省! 〜『楽』で落語を聴く会〜        
湿っぽい話やけど、もうちょっと続けさせて貰うてエエ?
無さんがスタッフとして頑張ってはった。出番がないのに岐阜・各務ヶ原から出てきて会を支えてくれた。お客さんは帰り際に無さんに挨拶してはった。無さんが出てないコトを非常に残念がっていた。彼も人気者のヒトリやから。
初めて名古屋へ出てきてビックリしたのは、出番が無いにもかかわらず集まってスタッフとしてみんな動いてはること。そこにあるのは学生時代のクラブ活動の様に上級生や顧問の先生に強制的に出席させられるのとは違うて、みんなで会を創ってみんなで楽しんでいるという姿。素晴らしい仲間や。
「楽」というところは、メンバー誰もがあこがれ、一度は出たいと思っている華やかな舞台。演者5〜6人の枠では当然どうしてもはみ出すヒトが出てくる。それでも悪びれることなく会を支える側にまわってくれる。せやからその人達のためにも、やはり演者はベストを尽くすべきであると痛切に感じた。
夢さんのため、楽のお客さんのために頑張ってきた自分やったけど、やはり他のメンバーのためにも頑張るべきやと今回改めて気付かされた。
開口「手紙無筆」夢輔/「町内の若い衆」笑天/「悋気の独楽」砂九/「錦の袈裟」彦柳 〜仲入り〜 「時うどん」栄歌/「崇徳院」圓九
No.63   2003年02月25日 (火) 03時42分


 反省! 〜第23回 『楽』で落語を聴く会〜 2/23(日)        
う〜ん、アタマの中、真っ白。。。取り返しのつかへん高座やった。
いつも「楽」へはその時のベストを持って来てたつもり。テンションとか体調とかで出来・不出来のばらつきは多少あったケド、それでも今回のような悲惨な高座は一度もなかった。て云うか、地元・三重のマイナーな会でもこんな不出来な落語はちょっと記憶にない。
夢さんも出番終わって落ち込んでた。相当不満な出来やったンやろう。ずっと舞台袖で頭を抱えてた。その夢さんが、高座を終えた直後のワタシに「今日はいったいどうしたの」と袖で聞いてきた。返す言葉が見つからへんかった。「ごめんな、夢さん」としか云えへんかった。
今、冷静になって考えたら原因らしいモノは説明できる。ケド、今ここで書いたら単なる言い訳になってしまう。そんなんミジメやから、もうちょっと待ってネ。
予想通り、彦柳さんと圓九さんは素晴らしかった!仲トリとトリの大役を見事に果たしたと思う。全体をみたら、会としてはよかったのではあるまいか。
落語は個人芸でありながら、落語会はチーム・プレイである、そんな言葉を痛切に感じさせられた。今回はみんなに助けて貰うた。
No.62   2003年02月25日 (火) 03時14分


 第83回 寝床の会 2/8(土)        
あのオトコに持って行かれた!・・・会が終わっての正直な感想。
ワタシの「打ち出し太鼓」に何度か登場して来た「料亭彦柳」という芸人。今度の寝床の会には会長の代わりがつとまるのはこのヒトやと、自信を持って引っ張ってきた。ウチのお客さんには絶対ウケる。確信はあった。その思惑が的中した嬉しさと、チカラを入れて仕上げてきた「はてなの茶碗」の印象が薄れた悔しさで複雑な気分。
いつもはビデオの記録係は会長の仕事。その会長が休みなので、代わりに記録・編集はワタシがした。ゆっくり通して見るのンは久しぶり。いつもは預かったテープの自分のトコだけ端折って見るだけ。今回は全体の流れがよく解る。(なんや、自分の「はてな・・・」そんなにワルイことあれへんがな!?)ネタ並びもエエ。みんなマクラも程良いバランス。大喜利も息が合うている。ホンマよかった!
打ち上げは恒例の「車力」。飯も美味いし、久しぶりに大勢集まって楽しく反省会。わんわんさん達も加わって貰って精一杯盛り上がった。此処でも彦柳さんの落語の話で持ちきり。「はてな・・・」の「は」の字も出ぇへんかった。う〜ん、またまた複雑な気分。。。
「正月丁稚」噴駄理亭欠多利/「錦の袈裟」料亭彦柳/「お血脈」にうぎに家衆朝/「はてなの茶碗」南遊亭栄歌/『大喜利』(現代いろはカルタ・一から十「春・冬」・謎掛け「節分」)
No.61   2003年02月15日 (土) 02時39分


 これからは『大阪落語』や!        
KARAの連盟に入会した。
以前から我風さん達に入るよう言われてきたケド、正直云うて入会する必要性もメリットも感じられへんかった。地理的に遠いから大阪でやってる落語会を見には行けても参加はするワケもなく、連盟に名を連ねて会費収めてもそっちの費用の足しになってしまうだけや、そない思うてた。
我風さんからはKARAに優勝したんならメンバーにならな・・的に言われて半ば義務的に入会費を持って大阪へ行った。
新年総会の議題は@3月9日第2回ばんから寄席についてA5月3・4・5日中之島祭りについてB6月22日KARA選手権について、であった。
「誰かばんから寄席に出る?」いきなり聞かれた。手帳を見たら丁度仕事出番の日
。名乗りは上げへんかったケド出られるンや!?「第1回ばんから・・」を見に行った時から出てみたいと思うてた会や。「第3回・・」は出たろ♪
議題が進むにつれて自分も大阪の落語会を動かしてるンや・・っちゅう気分になってきた。意見を述べたら正面から聞いてくれる。それに対する返答も返ってくる。自分も大阪落語のメンバーなんや!ワッハ上方で40歳代の連中で落語会『四十生(よそいき)の会』をやろうとか、次回プロ・アマの時は連盟に連絡してKARA後援にしたろとか、夢は広がってきた。
上方落語はずっとやってきたケド、これからは大阪落語や!!
No.60   2003年02月09日 (日) 11時01分


 ああ、大阪!        
今なにやら大阪が楽しそう。
ワタシと大阪をつなぐ橋渡しの1人「千里家圓九」という男の周りで何やら楽しいことが次々に起こっているらしい。直接聞いたわけではないねんけど、ネットなどで拝見する限り、そうらしい。
大阪は天狗連が圧倒的に多い。それにこちらと違うて落語のコトになると仕事をそっちのけにするアホがぎょうさん居てる。こちらの人間は高座を離れると途端に常識人。普段落語のコトで連絡を取ってもテンション下がりっぱなしや。唯一の落語アホのテンション高は砂九さんぐらいかな。(ちょっと訛ってるケド)
かく言うワタシめも、こと仕事に関しては極めて常識人でいよう(人の命を預かってンねやから)とは思うケド、心の中はいつもアホになっていたい。
今度、2月7日(金)に大阪・ミナミでKARAの新年総会がある。大阪のアホがぎょうさん集まってくる。平日やから仕事があってちょっとキツイねやケドそんなこと云うてたらアホになりきれへん。半休でも取って少し覗いて来ようかと思う。
いっぺん大阪の町をベロベロに酔うて千鳥足で歩いてみたいなぁ。名も知らん居酒屋で大阪の兄ちゃんと大きな声で言い合いでもしてみたいなぁ。酒飲まれへんから、生涯無理な夢やろうケド。
ああ、大阪か・・・
No.59   2003年02月03日 (月) 02時51分


 おそるべし、BBS!        
ま、「栄歌の部屋」の常連さんならもうお気づきとは思うけど、昨日いくつかのイベントがあった。自分のBBSでちょっと漏らした「ため息」を鷲掴みにされた。
自分のHPを管理する立場になってからは、以前と比べてあまりムチャなことは書かへんようになったと思う。以前は歯に衣着せぬ勢いで思うコト書いたり、ギャグを云いたいがために誰かを傷つけたり。返って来ても自分の責任やから自分が受け止めればエエと思った。
今は個人サイトを持つことである意味「公人」となった(誰かの言葉や)ワケやから、やはり自分の言動には慎みを持たさなアカンと、ほんのちょびっとだけやけど自覚しているつもり。
せやけど昨日は失敗したな〜。落語人としては「もう年やなあ」でも常識人としては「まだまだ青いなあ」や。
よその落語関係のチャットを覗いていたら、圓九さんに誘いをかけられた。挑発に乗って飛び込んだンはエエけど、メンバーの人が入って来はった。挨拶から3人チャットへ。慎みは持たさなアカンけど、ギャグも云いたい。連絡事項はあるけど、ただ意味もなく遊びたい。
翌日冷静になって覗いたら、なんと不躾なカキコ。早う消えてくれ〜!BBSは人を弱気にさせたり、酔わせたり。それを世界中(は云い過ぎやろ)の人達が冷静に見てんねや。あな、恐ろしや、BBS!
No.58   2003年01月29日 (水) 10時04分


 さぁ〜て、来来週の『寝床の会』は!?・・・うぐ、んぐぐ。        
寝床の会にはこれまでいろんな方がゲストとして出てくらはった。
故・源伍郎さん、当り目さん、達磨さん、砂九さんに萬年君と、上方の人は結構多い。我々正規のメンバーもみぃんな上方。一方江戸の応援と云うたら、申志さんと笑天さん(なんと7年前にすでに笑天さんがっ・・・!)だけ。
そこで、なんと今回の寝床の会に「楽語の会」から本場江戸落語の「料亭彦柳」さんがゲストとして駆け付けて下さることに!
この人の落語はほんに素敵っ!(打ち出し太鼓No.7を参照されたし!)きっと寝床の会の常連さんをも魅了することでしょう。けど、この人の魅力が本当に見てとれるのは大喜利。頭のてっぺんから膝頭まで(ま、座ってるからしゃあないわネ)ほんに『粋』なトコロをトクと観て頂きたい。
・・・彦さんは妙に「緊張しぃ」やから、もしこのコラム読んだらプレッシャー感じてあわてて練習するんとちゃうやろか。ムフフ、光景が目に浮かぶよう。。。
久々の栄歌の「はてなの茶碗」もお忘れなく!トリでキチッと締めてご覧にいれましょう!
No.57   2003年01月28日 (火) 00時26分


 第13回 『萬徳寺寄席』 1/26(日)        
以前のこの会は、「お客さんの入りの少ない会」・「笑いの少ない重たい会」と聞いていた。3年前、第7回に初めて出させて貰ぅた時も最初は確かに反応が重たいと思った。それでも当時の自分としては、もっともっと誰よりも会場を沸かせたいと感じ、終わってみればそこそこ笑って貰ったのではと満足して帰ってきた。
今回の萬徳寺寄席は今までにない客入りで、本当によく聴いてよく笑ってくらはった。確実にリピーターは増えてきているし、アンケートでも「この前と比べて・・・」などと会の雰囲気・演者の出来具合をよく覚えて下さってはる。
お客さんは演者を育て、演者はまた会を育む。この3年間お互いが成長している様をずっと見てきた。もう大丈夫や。会の構成さえしくじらへんかったら、確実にこれからもこの会は成長し続けるやろ。
自分のネタを振り返ったら「二人癖」「時うどん」「幽霊の辻」「ちしゃ医者」やて・・・なんや!此処ではいっこも「勝負ネタ」を出してへんやないの。もっと暴れられるっちゅうことか。ほな、次回からガンガン行ったるでぇ!
「相撲場風景」無眠/「風邪うどん」砂九/「転宅」のんき/「ちしゃ医者」栄歌/『仲入り』/「初天神」笑天/「除夜の雪」金葉

P.S.次回の第14回萬徳寺寄席は6月22日。この日は大阪のKARAとバッティングで萬徳寺に出る事が出来へん!!残念っ!
No.56   2003年01月27日 (月) 23時56分


 『伊勢・がんばろう会』 1/18(土)        
伊勢民主診療所に糖尿病患者さん達で結成した「がんばろう会」。そこの会長さんの「堀崎幹生」さんの発声で、2年前に落語の会が発足した。今年で3年目。
診療所の一室をその日だけ寄席小屋に作り替え、お客さんは「がんばろう会」の皆さん、その他の患者さん、近所の人達や診療所の関係者達。診療所の院長先生もいらっしゃる。
落語はリクエストもあり「代脈」「犬の目」のようなお医者さんのネタやら、「時うどん」「ちりとてちん」のように食べ物のネタが多い。大喜利の謎掛けでも「インフルエンザ」「糖尿病」など病気関係の題材が出て、ちょっと変わった雰囲気で盛り上がる。お客さんのインテリジェンシーも高く、逆に演者側から問題(珍・漢和辞典など)を出しても即座に回答が次から次へと返ってくる。なかなか手強い!
上手に演じると笑いだけでなく、拍手や歓声まで頂戴する。此処の会は演者もスタッフも客席もひとつになれて非常に演っていて楽しい。今回もいい気分で会を終えられた。
着物のままでお客さんを見送ると、笑顔で「楽しかったよ」「また来年もお願いね」などと声をかけられ、中には握手を求められる一場面も♪
ちょっとした芸(能)人気分、悪い気はせぇへんかった。また来年も来ます!!

「つる」衆朝/「動物園」欠多利/「ちりとてちん」栄歌/大喜利
No.55   2003年01月21日 (火) 01時58分


 ・・・で、『第7回 河崎蔵々寄席』!        
外観も中の会場の雰囲気も寝床の会の公演の中では一番寄席小屋らしい。さらには多少重たいネタを掛けてもここのお客さんはしっかりついてきて下さる。そんなワケで、ここは年2回ではあるが一番落語会らしい落語会を開ける。
会の様子は、写真に撮って寝床の会のHPトップにリンクしてあるので参照されたい。
「新春」と言うコトで「けんげしゃ茶屋」を出来れば演るように、とのリクエストがメンバーから起こった。結構しんどいネタ。重たいというだけなら、質屋蔵・住吉駕籠・口入屋・船弁慶・・・などたくさんあるが、これらは演っていて結構楽しい。「けんげしゃ・・・」は米朝師匠のしか聞いた事が無く前半を除いてあんまりバカ笑いするところはない。
今回で3回目の覚え直しとなるけど何回やっても満足いく出来上がりはない。それどころか今回の「けんげしゃ・・・」は今までで一番ひどい出来やったと思う。落語は年を重ねるほど良くなると聞いた事がありけど、そんなんウソや。だんだん覚えるのンしんどくなる。それに演ってる最中に足が吊ったり、滑舌が悪くなっていたり、何遍も書くケドもう年やな〜と感じる。もう下り坂やと思う。
会のムードは砂九さんが盛り上げてくれたけど、これからどないなって行くンやろ。ぼちぼちメンバーを増やして若手の育成に専念するか。。。

「初天神」欠多利/「看板の一」浪漫亭砂九/「お血脈」衆朝/「けんげしゃ茶屋」栄歌/大喜利

No.54   2003年01月18日 (土) 01時51分


 さあ、『第7回 河崎蔵々寄席』!1/13(月)        
伊勢市河崎の古い街並み。車で行くとすれ違うのにひと苦労の道路。そこにこの街並み・文化・蔵を保存して行こうと河崎街並み衆が立ち上がった。
河崎寄席は寝床の会発足間もなくから定席のひとつとして長く続いている歴史のある落語会。「河崎商人館」が出来て観光スポットとして動き出してから、会場をこの中の『角吾座』という蔵を改造した所に移し、今回で2回目となる。
会長が都合で欠席のため、名古屋の楽語の会から浪漫亭砂九さんを呼び寄せ、助っ人として出演してもらう事に。彼のキャラに河崎のお客さんがどう反応するかが楽しみ♪
いつもの様に街並み衆のスタッフが総出で会場創りをしてくれた。砂九さんは「落語会プロデュースのプロ」やから(ま、自称やけど・・・)、そのサマを見て「こんなんでエエんか!?」を連発している。会場創りを他人任せにしている我々をみて叱咤しているワケである。「ホンマ、こんなんでエエんか!?」
ま、もっともな話やと最初は殊勝にご意見を承っていた。会場が出来上がると照明や高座創りは我々の仕事。「こんなんでエエんか!?」・・・少々ウザくなってきた。
こんなんでエエんや。河崎寄席は十数年来これでやって来たんや。主催はあくまで河崎街並み衆で我々は演者としてここにいるワケ。他の寝床の会や楽語の会で主催する会とは違うの。主催者側に色々と手や口を出したら返って失礼になるの。任せたからあんな立派な会場が出来上がったやろ。
帰りの車の中で「段取りが悪いワ。あんなんでよう十数年間も続いてきたな」とまた叱咤。またかいな!続いて来たンやもん。もうエエやんか。
せやけど、こんなことハッキリと言うてくれる彼のそこがまたエエねんな。ようわからんワ、ワタシも砂九さんも。。。

No.53   2003年01月16日 (木) 07時34分


 ・・・で、わんわん軍団公演『No Drama No Life』! 1/11(土)        
よく言われる!お芝居と落語の共通点・相違点。
人物を演じる・ないものをあるようにみせる・ストーリーを伝える・云々。。。
高座で上半身と舞台で全身・一人芝居と数人の掛け合い・扇子に手ぬぐいだけと大小道具、衣装、音響、照明付き・云々。。。
そんなコトは観る前から分かっていた。今回気が付いた相違点(やっとかよ!←サマーズ風に)は、ひとつ(ひとつだけかよ!←しつこい?)
落語は小道具2つと上半身で全てを表現しなければならない。時代考証も言語・生活の文化も当時の考え方も全て現代の人に伝えなければ。考えたらこのコトはとても難解。せやからなるべく分かりやすく、噛んで含めるように。落語ではいかに分かりやすいかがテクニックのひとつ。
お芝居は平面的で分かりやすいモノはむしろつまらない。時間的・空間的に交錯させ、音響や照明を駆使し、今回のように黒子(黒男)を登場人物と重ね合わせるなど(これは気に入った手法のひとつ♪)、より複雑にデコレートした方が作品としてボリュームがでる。解釈のボリュームは将棋で言うたら『含み』。厚ければ厚いほど作品としての価値は高いのかも。
そんなとりとめも無い事を考えながら『楽』へ行って衆朝さんと飲んだ。喋った。笑った。エエ一日やった。
No.52   2003年01月16日 (木) 01時50分


 いざ!わんわん軍団公演『No Drama No Life』へ!        
後片づけを終えると急いで着物を置きに家に帰り、すぐさま衆朝さんと名古屋へ!衆朝さんの希望で急遽、車での移動となった。運転手は衆朝さん。(車掌はワタシ・・・♪〜)
衆朝さんとはナゴヤドーム以来のドライブや。久しぶりに落語のコト、HPのコト、会の運営のコト、彼女のコト(それはない。。。汗)、色々と話が出来た。
ひまわりホールへ着いたのは開演直前の6時前・・・やっべ〜っ!なるべく後ろの方が見やすいと言い張る衆朝さんに、「とんがらしの粉をくすべなアカン」となるべく前の方を主張したワタシ(くっしゃみ講釈かっ!?)。
会場には既に喜楽さん夫婦、とこママさん、くろさん達が来ていた。なんか落語の会とそう変わらへん。突然会場が真っ暗になり間もなくしてかなさんの姿が浮かび上がった。「不倫・・・」うぉわぁっ!!いきなり爆弾発言!
ドラマは、彼氏居ない歴32年間の女性がいきなり不倫をしている小説を書いているという小説を書く劇中劇。。。や、ややこしい。ジロンさんや高さんも出演(彼らの舞台を見るのはこれが初めて♪)。ひとり何役もこなし、ただ同じ次元に登場するのではなく、別の次元(空想の世界、小説の中の世界、現実の世界)で全くキャラの違う役を演じ分けている実力は凄い!これは落語にも通じるな、ウン、などと自問自答しながら鑑賞。
ボチボチ字数制限にて。。。
No.51   2003年01月16日 (木) 01時20分


 県の近代化遺産『川口公民館』 1/11(土)        
山に囲まれた白山町の川口駅の西に、三重県の近代化遺産に指定された川口公民館がある。先日、そこへ落語の依頼を受けてお邪魔した。
外観は年数を経ているがそれでいてモダンなつくりの建物、そこの2階になんとも見事な高座を創って頂いてあった。なんでも一週間かけて創り上げたモノと云う。
正直、お邪魔するまでは初めての落語会に初めてのスタッフ、電話での打ち合わせとあって、失礼やけどそこまで期待はしていなかった。2階へ上がって高座を拝見してビックリ。ちゃんと後ろには襖まで立ててある。なんでも金屏風は間に合わなかったらしい。いえいえ、十分!プロの高座としても使えまっせ〜。
お客さんは半分以上が落語を生で聴くのは初めてとのこと。最後まで付いてきてくれるか心配やった。仕事を大急ぎで終えて会場に駆けつけ着物を着替えて高座。十分練習やマクラを練る時間もなくて中途半端な出来上がりやったにも関わらず、しっかり笑って貰うて、大喜利では声の参加も頂戴した。
スタッフの人たちも一生懸命して頂いたし、「名誉挽回の意味でもまた来たい」と思った。ハネてからのスタッフとの会話でも、つい「次回は・・・」「今度こそ・・・」という言葉を強調してしもた。またいつか呼んでくれるやろか。。。
No.50   2003年01月15日 (水) 12時15分


 再々度「愛宕山」考!完結編!        
ところが、「愛宕山」は小判を拾ったあと幇間は裸になる。そして全身と笹のしなりを利用して崖を上ってくる。この手に汗握るアクションの中には小判を携帯することは不可能である。(裸で両手はふさがっているのやから・・・)しかしその理屈も鬼気迫るアクションで打ち消され、観客も一瞬小判の事を忘れる。そして最後に「で、小判は?」で客も一八も我に返るのである。「あ、忘れてきた!」
この笑いは「客も一八も一瞬忘れていた」という同化が拍車をかけるため起こるので、せやからワタシのこだわった「忘れてきた!」は一八の顔の変化と一瞬の間、これを客の心と同化させる必要があるねん。
枝雀寄席で「忘れてきた」が無くても客が笑ったのは、あの場面で小判を携帯出来るはずがないという理屈がサブリミナルに働いており、最後のサゲの時「ああ、そういえば忘れてきた(忘れるハズや!)」と振り返り気付くからで、一八と客が同化したからコトバはいらないのである。
この「同化」や「サブリミナル」は近目の煮売り屋ではおこらない。もしサゲが無言なら、「えっ?もしかして忘れてきたの?ふ〜ん、あの時とらへんかったんか」で笑いは起こらない。せやから「忘れてきた」は「近目・・・」では必須であると・・・この解釈はワタシだけ?
No.49   2003年01月10日 (金) 16時14分


 再度「愛宕山」考!もう一段!        
で、「愛宕山」と云う噺について、落語に詳しい人に問うてみたい。
「愛宕山」は「近目の煮売り屋」とオチがよく似ている。どちらも「・・・は?」「あ、忘れてきた!」で笑い。
ワタシはこの「忘れてきた」に結構『こだわり』を持っている。『命』とも言える大事なコトバ。色んな「忘れてきた」を試して一番エエ「忘れてきた」を見つけたような気がしてる。
この「忘れてきた」を枝雀寄席で枝雀師匠は云わずに「う、うう〜・・・」と口ごもり倒れるという演出をとった。勿論笑いもとった。ワタシのこだわった「忘れてきた」はオチとして不要なのか?
で、さっきの「近目の煮売り屋」の場合になるが、この噺は煮売り屋の親父を突き飛ばし逃げてくる。この中に品物を取るという動作は表現されていない。されていない限りは取ったか取らなかったは最後まで隠されているワケで、オチの「忘れてきた」で種明かしとなる。そう言う意味で「忘れてきた」は必須なのである。(なくても良いかも知れないが『大爆』をとるために、である。)
ああ、エエとこで字数制限や。。。
No.48   2003年01月10日 (金) 15時56分


 究極のネタ「愛宕山」考!        
愛宕山。3年前にやっと手中にしたネタ。
10年以上前から憧れ、しかしオーラを感じてなかなか手が出なかった。3年前にちょっと環境的にテンションが上がったのと、自分で体力や能力の衰えを自覚し(つまりは「年を感じ」)て、「やるなら今しかない!」と覚えたネタ。
寝床の会でネタ卸しをしたが、この時の出来は素晴らしかったと自分でも思っている(し、砂九さんも絶賛してくれている)。
ま、それだけにこの噺に関しては他の人よりも思い入れは強いワケで、このネタのことになると我が子の事のようにムキになってしまう。
中日寄席の帰りに「楽」で一部の人達と、この「愛宕山」のオチについて語り合った。ワタシは以前何処かで書いたように思うケド、落語の事に関して意見をぶつけ合い、時には喧嘩になるぐらいホットに言い合いするのが結構好き。大抵は落語を一生懸命に演っている人ほど自分の考えを譲らず、結局は平行線で終わるネンけど、それはそれでエエ。自分の思いを相手に熱くぶつけるコトで自分の落語に対する気持ちを再認識出来るから。
ケド、この時は違うた。熱く平行線・・・此処まではエエ。「もうやめよ!」と語っている途中にぶち切られ、挙げ句は「エエ格好しぃや」とか「いらんお世話」などと議論に対する批判・中傷に終わった。
後味が悪かった。「落語で喧嘩」は好きやけど、「ホンマに喧嘩」はしとうない。
議論するのも相手を選べっちゅうことか。。。
No.47   2003年01月10日 (金) 15時36分


 新春・中日寄席        
今年最初の落語会。
出演する予定は全然なかった。ただ、ちょっと遊びに行って大喜利が面白そうなら出てみようか・・・的に、着物を持って名古屋に向かった。
道中、近鉄特急の中で無眠さんから時間制限付きで出演許可のメールが!・・・何をしよう。マクラ込みで20分のネタ・・・そうあれへん。とにかく2年前の大須で演った「始末の極意」(半ばオチ)で行こうと決めた。ネタ繰りなしのぶっつけ本番や。
中日という会場を掌握するのは難しい。半分くらいはしっかり聴いてくらはる常連さん。残りは買い物に見えた一見(いちげん)さん。あのオープンスペースで空気を掴み、客の笑いをコントロールし、しかも「まっとうな落語」をやり遂げるのは至難のワザ。
それを見事にやってのけた夢さんの実力はスゴイ!ワタシはと云うと、マイクの音量が小さく自分の声が外に逃げるため声を張り上げ喉がカラカラ。場内には出囃子よりも大きな音で「春の海」が正月らしく鳴り響いている。空気を変えることも、笑いをコントロールする事も出来ず玉砕した。
大喜利は急造メンバーで打ち合わせ無し。謎掛けだけでお開き。司会と回答者や回答者同士のコミュニケーションも、山場も締めもなくダラダラと終わった。
毎月続けていくことはスゴイが質的に向上させていくコトは、この会場・この企画では難しいかな・・・と反省しながらの帰路であった。
No.46   2003年01月09日 (木) 15時49分