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Gazing At " Promised Land "

2004年度10月第5週




今年度のケーキ投げ大会は中止となった。この件については鼻っ柱の強い娘のれい(高田U類)なんぞ、呪詛しきりだ。今年の中3の不甲斐なさに憤り、あげく遠足で買ってきたお土産も中3には渡したくない!なんぞと啖呵(たんか)を切り高2の愛(津高)に渡す始末。いやはや、いったい誰に似たのやら・・・。
やる気のない学年・・・遠景を見るならば確かにそうなるのだろうが、生徒一人一人を見ていけば、そこそこウチの塾特有の臭いがする生徒もいるのだが・・・、しかしそれが大きなうねりとなって教室全体を覆い尽くすまではいかないのことが歯がゆい。まあ、突き詰めれば俺の指導力不足と烙印を押されることに落ち着くのだろうが・・・。

それでも当日はバースディパーティの趣はあるわけで、森下(立命館大学院1年)は京都から、古西(名古屋大学3年)は名古屋から戻ってきてくれた。里恵(社会人・7期生)からは奥田英郎『空中ブランコ』と馳星周『ダーク・ムーン』に加え、近視用眼鏡のプレゼント。古市からは凝ったケーキを頂戴した。征希(社会人)も風邪をおして姿を見せてくれたし、横山(社会人)も自社(花王販売)の売り物のはずのヘルシア、1ケースを差し入れしてくれた。感謝する。

いつしか眠っちまった俺に再三の電話、マッツンとユタカ(共に7期生)には感謝する。午前1時から、越知の姉ちゃんが始めたばっかのスナック『MM』へ。ネクタイを頭にまいたユタカがカウンターの中から迎えてくれる。「スナックは行ったことがないから先生、いっしょに行ってよ」と、しおらしさ満面で嘆願したマッツン、慣れた手つきでかわいい女の子の肩を抱いている。
今日はどこまで行くのやら・・・俺はつぶやいた。俺の心を見透かしたように「今夜はとことん行くよ!」とユタカが叫んだ。ケーキがないか・・・カウンターに視線を這わせる俺がいた。

森下の運転する俺のエスティマに全員が収監され、塾に辿り着いたのはああ午前4時半。甚ちゃん、俺の後姿を見て不安になったそうだが、それは的中・・・俺は家に戻る途中で道路で寝ちまう!と暴挙に出たらしい。「こんなところで寝たら風邪ひきますよ」と、早朝に体育館を散歩する老夫婦に俺は起こされる。

少しばかりの現状逃避・・・1992年度の『25時』増刊号 『歌いながら夜を征け』にワープ。

29日には古市の親父さんにご足労願い、三重県内の広告代理店の現状について話を伺った。
頭にあったのは松原・姉(関西学院大学3年)のUターン就職である。松原の思惑、できればテレビCMなんぞを三重県でやりたいと・・・。テレビCMとなると広告代理店となるわけだが、こと三重県ともなるとシェアからしても広告代理店があっても内容はチラシや新聞広告の類なんじゃないか。そんな偏見から松原には「やっぱ広告やるんなら東京やで」などと、否定的な意見を述べたものの、やはり一縷の可能性を託し、昔友人と共同経営で広告代理店を経営されていたという古市の親父さんに質問をぶつけることにした。

「県内にも広告代理店はあるにはあるが、やはりチラシや雑誌や新聞広告が主流になりますね。以前は電通が津市内に営業所を持ってはいたんですがね、あれは電通の社長、松阪肉が大好物で、出張にかこつけては和田金に通っていたという、いわば松阪へ行く口実のダミー会社みたいなもんでした。その電通も撤退したしね、あとはお酒の宮の雪のテレビCMを担当している会社が津にある程度。まあテレビCMともなれば名古屋や東京になるでしょうね。三重テレビなんかで流れている静止画像のテレビCMあたりは県内の製作会社が担当しているわけですが、お話を伺っていると松原さんはCM製作を専門的に勉強されてはいないですからね。やはり県内でのテレビCMというのはちょっと・・・。かといって、地場の広告代理店に運良く入社しても1ページなんぼで広告を取りに走りまわされて、取れなかったら怒鳴られて、ノルマノルマでプレッシャーかけられて・・・経験がない新卒のお嬢さんだったら1年ももたないんじゃないかな」

予想通りのシビアな話となった。「白ヌキで雑誌を出すつもりか! 広告取ってくるまで会社に帰ってくるな!」との上司の叱咤を背に受け、会社から走り出ていく松原・・・想像できなかった。

30日にはその松原の親父さんの登場。
松原の親父さんは市役所勤務。広告代理店に色目を使ってはいるが、依然として公務員の線も残っている古西に話をしてもらおうというのが俺の目論見だった。しかし古西の都合が悪くなったことから、急遽大西君の授業枠で高校生に親父さんの話を聞かせ、その内容を要約して文章にまとめることに・・・。まあ要約はともかく、「公務員は楽な商売」とのイメージ、高校生たちにも十分に蔓延している。果たしてそれは事実なのかどうか。
新潟の地震では、市町村や県職の人たちが地元地域の復旧作業に勤しんでいる。自分の家庭はさておき、役所に泊り込みで己の仕事に没頭する公務員の人々・・・子供たちにとり、お医者さんや学校の先生ほどに存在がリアルではなかった公務員。それが今、新潟では普段見られなかった公務員の生の姿がテレビや新聞を通じて鮮明に映し出されている。
タイミングとしては絶好だった。
やっかみ半分で「公務員の仕事は楽だ」という大人たちも多い。そんな大人たちのつぶやきが子供たちに伝染しないはずがない。子供たちの先入観は大人たちによって形成されている。少なくともウチの高校生たちだけには、公務員の現職から直接話を伺い、自分の目で、自分の皮膚で、自分の心で公務員という仕事を検証してほしかった。

ウチの塾恒例『大人が仕事を語る!』は、30日午後8時に始まった。

午後11時頃に終了。生徒たちの反応は上々、今までどこでも聞いたことがないような公務員の仕事の内容の数々、ウチの高校生一人一人が驚いていた。当然にして全ての公務員の人々が松原の親父さんのように公務員の仕事を愛しているとは限らない。いいかげんな仕事、手抜きの仕事で満足している公務員もいるはず。しかし、それはどんな仕事にだって同じことがいえる。少なくとも、こんな公務員がいる・・・それが分かっただけでもいい。情報が垂れ流す先入観、その先入観に蝕まれた大人たちの言動に踊らされず、高校生たちには自分自身の地図を描くための羅針盤を磨いてほしい。

この日、俺が一番心に残ったこと。講演終了後に俺と話していたときの親父さんのセリフだ。
「自分の仕事について、人にこんなにたくさん話したことは今までありませんよ。うん、市役所へ就職してからずっと・・・。でも、できれば僕の子供たちにもいてほしかったな。え? 家では子供たちにこんな話はしませんよ。子供たちにすりゃ、親父の仕事の話なんか聞きたくないでしょ? でもね、娘は今、就職で悩んでいる。僕が就職したときは、娘みたいに悩まなかった。もっともっといいかげんでしたよ。その意味では娘を褒めてやりたいんですよ。僕なんかより遥かに自分の人生というものについて考えている。だから、だから今の娘には今日の話、聞かせたかったなと・・・」

松原・姉へ。
早く帰ってこいよ。
今夜の親父さんの話、さすがに全てまではHPに掲載できなかった。しかし公務員の仕事を語る熱さはHPでも伝わっているだろ。
仕事というX軸に、熱さというY軸、このXY座標平面でなら、アンタと親父さん、親子という枠を取っぱらって同等の熱を帯びた言葉が歩き出す。地平線には同じ風景が見れるはず。
早く帰ってこいよ。
ちなみに次回の「大人が仕事を語る!」は、11月13日の土曜日実施の予定。看護士・保育士・社会福祉士という3つの肩書きを持つ強者が襲来する手はずになっている。相手にとって不足はないだろ? 
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2004年10月30日松原氏講演要旨
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