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Gazing At " Promised Land "

2004年度9月第5週



9月27日

津高バスケ部の龍神と荒井ともども見事な坊主頭で勉強している。「どんな不祥事や」と聞くと、「次の大会のために気を引き締める意味で」と凡な返答。

古西がコンビニに行くというのでタバコを頼む。
俺のタバコはハイライトマイルド、しかしすでに製造中止に追い込まれている。あとは在庫分をはくだけで、それがなくなればハイライトマイルドはこの世から消滅してしまう。大げさやな。しかしこのハイライトマイルド、俺が酔っ払って2階から落ちて脳挫傷と硬膜下骨折で入院。医師を拝み倒し退院してからの付き合い。入院の前後で俺の好みは多少変わった。たとえば馬鹿みたいに食っていたトマトをそれほどおいしいとは思えなくなった。半谷にそれまで居間イチだったおでんがやたらと好きになった。そんな変化のひとつにタバコがあった。それまでのキャスターに甘さを感じ、鳥羽のオッサンの吸っていたハイライトマイルドが気に入った。そのタバコが今、日本中から無くなろうとしている。はは、やっぱ大げさかな。
ハイライトマイルドはマイルドと謳うものの、まったく売れ筋からは逸脱。久居では塾の近くの薬屋と一本松のタバコ屋にしか置いてない。薬屋なんか、俺のために仕入れてくれているだけという。パシリの古西もそこんとこの事情十分承知。しかしファミマの袋から取り出したのはマルボロライト。怪訝そうな俺に「薬屋の人に言われたよ。『塾の先生とこの生徒さん? もうハイライトマイルドは終了したよ』って。だからこんな感じにしといたんやけど」 ついに来るべき時が来た・・・。あとは一本松のタバコ屋か、でもそれも・・・。

松原から連絡がある。
「どないでっか、ジタバタしてる?」「ええ、本屋に行って業界本を買い込んではきたんですけどね。そうそう先生、塾のHPを見たんですけど、先生、私は電通に行きたいんじゃなくて、電通なんかの広告業界もいいなと思っただけですよ」「同じようなもんやろ」「私は文章を書くのが好きだから、コピーなんかに興味があるんですよ」「そりゃ分かる、アンタのだって私はこう思うもん!っていう駄々っ子みたいな文章、それはそれで魅力もあるしな」「コピーやキャッチですか、そんな仕事ができればいいなあって。でも東京は抵抗があって、大阪で調べてみたんですけどね」「少ないやろ」「ええ」「でも自分で調べたってのが一歩前進やな」「広告も興味あるんですけど、私ね、接客なんかも好きなんですよ。だから受付なんかも考えてるんですけど」「受付ってアンタ、一般事務で入って容姿端麗に少々の知性を振りかけて一丁あがりや。面接がしたいからという志望動機ではアカンやろ」「そうですか。でもですね、その一方で三重県に帰りたいという気持ちもあるんですよ。仲のいい友達が三重県に帰っているんで」「やっかいやな、地元に帰っての希望職種は?」「やっぱり広告代理店かな」「アンタね、三重県に広告代理店あるかもしれへんけど、規模的にいって小さいやろ。となるとなんでもせなアカンで。営業も経理も企画もや、そしてついでにコピーがある。何でも屋で到底専門職とは言えんやろ。でもな、舞(三重大学教育学部4年)の親父さん、昔に広告代理店を友人と共同経営してたらしい。その件については一度調べてくよ」「すいません、いろいろとお世話をかけて」「かまへん、アンタの世話をする代わりにアンタの親父さんに公務員の仕事についてウチの生徒に話をしてもらう予定や」「そうなんですか」「少し前にお願いして、9月は議会が忙しいから10月になったらかまへんてさ。つまりな、持ちつ持たれつや。とにかくいろんな人脈を通して情報を集められるだけ集めへんとな。でもな、キャッチコピーなんかに興味があって三重県に帰ってきたいんだったら、地元の情報誌はどや? 『Simple』とか『伊勢人』とか『クジラ』なんて雑誌あるだろ?」「そうか、そいういのもありますよね」「ただ、情報雑誌もご多分に漏れず採用はないか、あっても若干名やと思うんやけどな。まあアンタの話を聞いてるぶんじゃ、コピーやら受け付けやらとまだまだ絞りきれてないねん。ここひと月くらいで絞り込む作業をするこっちゃ。とにかく大学の就職課へ行って在阪の広告代理店に受かった人をチェックしてみたら。そして連絡してみて取れるようならアポを取る」

また一人、ウチの生徒が不器用にステップを踏み始めた。今は見るも無残、だがそのうちにそのステップ、少しは軽快になるはず。今は何も考えるな、ただひたすら音楽に合わせて踊れ。

9月28日

亜矢歌(松阪高校3年)が制服姿で塾に寄る。「お父さんにFM三重のこと聞いてきました」「さすが生きる化石! で、どうやって?」「知り合いの人に聞いたら、毎年3月か4月に1名採用するということです」「やっぱ1名くらいしか取らんか」「また新しく分かったことは知らせるそうです」「ありがたい」

福井の刀称ことダーティからメール。
大学の後輩、雀荘で俺達のマージャンを後ろから見ていた男、有馬が数年前に福井でFM放送局を立ち上げたことについて記してあった。
仁志のラジオ局への就職活動にあたり、ラジオ局に詳しい人物急募に応じてくれたのだろう。ありがたい。しかし冒頭の『メールを送ったところでほんまに読むんかいな』とは失礼な・・・。

有馬は学生時代、物静かな男だった。塾でバイトをやり、文系ゆえにそれまで未知の物理と格闘、いつしか会得、物理の講師をやるような器用な男だった。そんな有馬が福井に帰省し、40歳過ぎてFM局の立ち上げに参画するとは昔の雰囲気からは想像できなかった。確かにダーティからそのネタを聞いた覚えがある。しかしすっかり忘れていた。
有馬に連絡をとり、近々仁志を連れて福井へ出向くことにしよう。

圭亮(立教大学院2年)から久しぶりの電話。「どうなった、就職は!」「Wセミナーという資格試験の専門学校の事務に内定を頂きました」「そりゃよかった!」「いやあ、そう言ってもらえるとうれしいです。実はHPを見たんですが、古西が電通なり博報堂で勝負するってありましたよね」「ハハハ、圭亮も今井と同じやな。今井が昨日電話してきてな、やっぱりHPのあんな就職のドロッとしたネタ振られたら連絡しないではいられないってさ」「確かに・・・それで僕も酒の勢いを借りて電話したんですが」「なんや、酒を飲んでるんか。ここにおったら祝杯あげるのにな」

圭亮はてっきり学士畑を歩いていくものだと思っていた。雰囲気が学士様なのだ。それが一転、就職を考えていると聞いたのは1年前の夏。允(京都産業大学1年)や大森・弟(皇學館史学1年)に古典を教えに来てくれた折のこと。意外な感は否めなかった。三浪して悠々と早稲田に入った。モード学に興味を抱き、さらなる研鑚の場を院に求めた。院の選択にあたり、ことモード学に関しては早稲田より立教のほうがいい教授がいるからと立教大学院に進学した。それなのに・・・。

ふと大西君の教え子を思い出した。
仁志の立命館大学合格発表をみんなで見にいった日、大西君はその彼を喫茶店に呼び、俺達4人はしばし話しこんだ。その彼は立命館に合格しながら、快楽追求に精を出す大学生活に落胆し大学を退学。しばらく日雇いなんかをやって鬱々とした日々を過ごした。しかし彼の才能を惜しむ大西君や担当教官の後押しもあって1年後に大学に復帰。それからは見違えるように大学生活を謳歌。しかしコンパや飲み会というノリではない。
「僕個人では誰も僕に会おうとはしてくれません。でもね、大学でそれなりのサークルをつくり名刺をつくり大学の名前を利用してアポを取ると、これが意外にうまくいく」 聞けば、いろんなテーマで講演会や会議を主催し、幾多の有名人を大学に呼んでは相手と意見を戦わせていた。彼はその日の合格発表で経済学部に落ち悄然としていた仁志に言った、「立命館に合格しようと落ちようと、大学なんてどこでもいいよ。要は自分の入った大学をいかに自分の将来のために利用できるか、それが大切なんや」 優しい子やな、同時に頭の切れる子やなと思った。志望大学に落ちて落ち込んでいる仁志を慰める一方で、たとえ意に沿わない大学に入っても腐ることなく大学を利用すればいいと、大学での過ごし方も示唆している。こんな学生がいるんやな・・・新鮮な驚きだった。その後、彼は就職の悩みを口にした。出版志望だが、採用が少なく不安なんだと・・・。「君なら絶対にうまくいく」 俺は断じた。自分の主張を押し通す熱さは、喫茶店のほかの客が振り向くような大西君とのディベイトで証明済みだった。それと同時に仁志を思いやり、一方で落ちたときのフォローにも及ぶ気配り。申し分なかった。

彼は講談社を受け、順風満風で未来永劫講談社は潰れないという平和なディベイトの場の雰囲気に苛立ち、ネットを始めとする新メディアの登場で足元をすくわれかけている文字文化の危機感を延々と述べ、面接官の静止を振り切り新幹線に乗って京都に帰ってきたという。その顛末を情けなさそうに俺に報告する大西君に俺は再び断じた、「心配せんでいいよ。あの子は絶対に合格する、満場の面接官相手にケンカを売ったにしてもあの子の性格。どっかで融和材的なネタ振りしてるよ。それが意識・無意識かかわらずにね」 
そして数日後、大西君から連絡。「先生、あいつ講談社から内定出たって!」「そりゃ良かった」「アカンねん、あいつ講談社蹴りよった」「それでどないした」「みすず書房に決めよった」「それもまたええやん」「でもな、あいつは絶対に大学に戻ってくる」「大学を中退した時のように」「そうそう、一度社会に出てみて、いろいろなことを考えると思いますねん。でもね、絶対にあいつは戻ってくる」「その意見には俺も賛成やな」

当世の大学生に嫌気がさし大学を中退、日雇いを経験してみて大学の本質を知り大学に復帰。大西君がその才能を嘱望する学士への道に魅力を感じられなくなり、みすず書房へ就職。しかしこれもまた同様に、社会に入ることで彼が真の学士へと脱皮する通過点ではないか、そう思う。

圭亮の場合にも俺は立命館の彼と同じように感じていた。確かに三浪しているギャップは痛い、それも文系の院である。年齢は当年とって27歳、たとえ第二新卒などという言葉が流行りになっていようと、硬直化した日本を代表する企業はやはり新卒、年齢制限を要求する。圭亮が受けた企業は日本を具現化するような会社ばっかり。これは厳しい。たとえ十分な意欲と知識があろうと厳しい。酒の勢いにまかせての電話・・・圭亮の胸の内、凍てつくような胸の内、よく分かる。祝杯、といえば気分を悪くするやもしれぬ。しかし今回のことは圭亮が今までの殻を破るきっかけ・・・俺はやはり祝杯をあげたい。

「それでですね先生、実は古西が受けようとしている広告代理店を、僕は落ちました。やはり凄いですよ、あのクラスになると。僕が面接で興味を持つテーマの話をすると、面接官は大学院で得た僕の知識を遥かに凌駕する膨大な知識量で攻めてくる。これには驚き以外の何者でもない。彼らは化け物ですよ」「六法全書の知識をサブカルチャーに入れ替えたような連中か」「そうなんです、これで気圧されてしまう。とりあえずは一次面接は受かったんですが」「そりゃすごい、俺の親戚は筆記で振り落とされてるよ」「特定の係累を持っているとはいえ、とてつもなくレベルが高いようでした。二次面接でやられたんですが、自分が会社の中で一体どのようなことができるのか?との問いに自信を持って答えられなかった。これが敗因だったと思います。だから古西に伝えたいんです。もしも広告代理店を受けるのなら、今年度の試験を受けた僕が一番情報を持っています。難関ですけどできることなら古西には受かってほしいんです」「圭亮、ありがとう。本当にありがとう」「れいめい塾の体質は体育会系だと僕は思っています」「確かにね」「その意味では就職に志向しています。広告代理店、筋金入りで体育会系なんです。だけど僕が思うに古西はれいめい塾生でありながら、体育会系ではないと思います」「確かに昔はな」

古西の学年は12期生、主だった面々には友美(津高から皇學館)や弘(津高から名古屋工業大学)や彩(高田から近畿大学)などがいるが、存在感としては古西がダントツ。ゆえに俺はこの学年を「古西の一人旅」と揶揄(やゆ)した。上智大学に合格後、再び浪人生活を始めるにあたりウチのHPに「僕は浪人します」と見得を切ったところから古西は古い殻を脱ぎ捨て始める。数学の講師には、傷つくことが嫌な古西のために優しい田丸・弟を抜擢する俺の配慮を古西は断り、傷つけることが大好きな小田講師を指名。このあたりにも脱皮しようという意欲が認められる。そして名古屋大学に入学以来、俺のダチや社会人の征希や院生の前田などとの交流のなか、いつしか飲み会ともなればさりげなく箸や皿を配り、野菜を切り、鍋の準備をし、後片付けも進んでするニューリアル・古西に変貌した。根性の腐った俺のダチもいつしか古西をこよなくかわいがるようになり、今回の福井行でも「古西には広告代理店より商社のほうが・・・」といった話題が話のなかで頻繁に出てくるようになった。

「圭亮の知っている古西と今の古西は別人とまでは言わないが、やはり変わったと思う。しかしその変わり方が果たして就職面接に耐えうるだけの変わり方なのかどうか・・・それは分からんな」「先生がそうおっしゃるなら、僕の心配も杞憂なのかもしれません。それともう一つ、僕は変に古西をいじくりまわす必要はないと思います。広告の知識やコピーやキャッチなどの知識、今更古西に教えても心底広告代理店を志望してくる奴にはかなわない。なんや、HPを見ていると、今の古西の状況、耳年増になるような気がして・・・」「それはある。その点では俺に非があるな」「古西はもっと今までの自分に自信を持てばいいんです。この3年間、古西の生活は塾とともにあったと僕は思います。海外留学やボランティアをしなくとも、古西のそれはそれで十分に異端なんです。3年間塾で生徒達を教えてきた。勉強が苦手な生徒や勉強したくない生徒と話し合い、これからを、日々の生活を、勉強方法をどうすればいいかを話し続けてきた時間の蓄積があるはずです。これこそが古西を他の志望者に比べて異端にしている所以。胸を張って、自信を持って、そんな自分の過去を述べればいいんです。今の時期からつけ刃的な知識を植え付けるよりは今までの自分が歩いてきた時間を大切にしてほしいんです」「圭亮、よく分かった。その旨は古西にしっかりと伝える」「先生、僕は10月上旬に久居に戻ります。その時におじゃましてもいいですか」「ああ、大歓迎さ、祝杯をあげよう」「ありがとうございます」

本当にありがたかった。どちらかと言えば、かつての圭亮と古西、水と油だった。圭亮も成長した。古西も成長した、と思う。そんな二人が古い衣を脱ぎ捨て、新しい顔で、新しい衣で邂逅する。今夜だけは俺は俺の生業(なりわい)に対し、たった一人で祝杯をあげたい。

9月29日

久しぶりに家の布団で目覚める。居間に行くと、なぜか高校へ行ったはずのれいが立っている。聞けば津駅で高校に着いた友達からメール、今日は休校になったことを知り戻ってきたという。外を見れば激しい雨。古西を眼科に連れて行く約束をしていたことを思い出す。そのうち小降りになったら塾に戻って古西を起こして・・・と考えていたが、これが一向に小降りになるどころか、寝ていられないほどの激しさで家を叩く。
昼過ぎにめいから電話があり、休校となったが噂では近鉄が動いてないという。つまり久居へ戻る手立てがない。おっとり刀でめいを迎えに出むいたのは12時30分、その時はまだ事の重大さを認識していなかったね。ところが外は一面バケツをぶちまけた雨、165号からの水が体育館のほうへ流れ込んできている。道というよりは小川、そんななかを準備万端、いやいつものいでたち、サンダル履きで足首まで水に浸かっている。1階の美容室『シックス・ディグリーズ』も開店休業。マスター、ソファに横たわって雑誌を読んでいる。予想通りスラム街で寝ていた古西を起こし眼科経由津東行きを提案。しかし窓の外の土砂降りの様子を見るや、即今日の診察を中止。
古西ともども家に戻り奥さんを乗せると新しい情報が満載。近鉄は中川と塩浜間で止まり、津市内の循環バスも運行してないとか。恐いもの見たさのれいは留守番にプンプン。しかし小学5年のあいがまだ小学校から戻っていない。状況次第ではあいを小学校まで迎えに行くことになるやもしれぬ。れいと同様、駆け巡るニュースに興味深々の古西、津市内の偵察に胸を躍らせる。

新しい塾の前の165号は完全に渋滞、車がピクリとも動かない。ならばと古い塾の前の野村街道へ。ところがここからして50cmほどの川に変貌、水しぶきをあげて疾走する俺の車を抜かしていく車! その車の上げる水しぶき、高い塀や垣根を飛び越えて直接家の窓にかかる。東桜ヶ丘の手前で道が封鎖! 城山へ迂回して回りこむ。最近できた23号に抜ける道では、ボトムラインの相川が溢れそうな勢いで流れ、側道は川のように流れている。しかしやっかいなのは23号に入る垂水あたりから始まった渋滞。この頃には携帯がかからない。イライラしていると里恵から連絡が入る。「嬉野から大正橋へは封鎖されてる。中川に迂回したんやけど冠水が激しくて渋滞。先生、他の道で久居に出る道ある?」「一志から迂回したら」 後部座席の奥さん、「一志も避難勧告が出てるくらいやから」「一志もなんやアカンみたいやぞ!」「どうしよう。今日製薬会社の人が来ることになってるん。その人の電話で今日起きたんやけど。東京からそっちに向かってますが、なんやえらいことになってるようですけど絶対に行きますからって。それで私はそのえらいことが分からなくって、車を走らせてみて、今十分すぎるほどえらいこと分かったんやけど。その人がさ、冨吉駅まで来ましたけど、電車が止まっててタクシーに乗りましたって。先生、冨吉ってどこの駅?」「確か名古屋と桑名の間や、弥富の近くやっとと思う」「それでさ、その人どうやって来るんやろ、久居まで」「そりゃ営業マン、なんとかしてでも来るやろ。そんな営業マンに支えられて今の日本はあるんや」「じゃあ、私はどうやって三重中央まで行けばいいの」「そんなん知るかい!」 
依然として俺や奥さんのAuは役立たず、ところが古西のドコモは立派に生き残っている、クソッ。今しがたも愛(津高2年)に連絡、愛は今日は自主休校にしたとか。愛の住む白山町も「ここ数年来で最も土砂崩れが起こりやすい」とアナウンサーが叫んでたっけ。続けて関西空港から修学旅行先の沖縄に向けて飛び立つ予定の千尋(松阪高校2年)に連絡。「たぶん中止や、からかってやろう」とルンルンの古西。遅々として動かぬ状況に苛立ち、生徒をいたぶってウサを晴らそうという目論み。落ち込んだときは自分より下の奴を探せか。「何! 快晴! 今どこや! え、沖縄! 分かった! じゃあな」 助手席に不機嫌の固まりがマグロのように横たわっている。しかし小1時間たっても垂水の23号へ出られない。
なんとかバイパスから狭い道をうねうねと掻き分けて23号へ。古西の携帯が鳴る。相手は弟の翔(三重高校2年)、しゃべっている古西がゲラゲラ笑い出す。「なんやて」「俺に送ってってとさ」「どこにおるねん」「これが傑作でさ、中川からこっち近鉄止まってるやん。だから中川駅で足止めされてたら、どこかのオッサンがさ、タクシーに乗せてくれて津駅まで走ったらしいわ」「社会人、どうしても名古屋方面へ行かなアカンだんやろな」「そやろな、津駅までタクシー代1万円ちょっと。それを奢ってくれたらしいわ。でも気のきかない弟のことや、オッサンの名前や連絡先聞いてへんやろな」
苦労して進入したバイパス、至る所で冠水。車は鎮座してるだけ。23号への右折に時間がかかり過ぎる。すわ!阿漕の駅へとのアイディア、即座に却下。冗談でなく阿漕駅は池のなかに浮かぶ駅。これでは刑務所方面に向かうとなると潜水艦でなくては無理なようだ。かといってバイパス方面にの横道には封鎖策が設置されていく。噂では消防署前で冠水しやはり通行不可に陥っているとのこと。打つ手がなくなり、「津しんきん」隣の水浸しのファミマでトイレを借りしばし休憩。めいから古西の携帯に電話がある。とりあえず津東を出て津駅に向かうように指示する。しかし俺のおんぼろエスティマが津駅に着くのは何時になることやら、塾を出てからすでに2時間経過。結局は大渋滞の23号を北上するしかなさそうだ。しかし分速1m、バッタ程度の足並みで進む。業を煮やした古西が傘をさして岩田橋の向こうに広がる世界へ斥候へ。しばらくして戻った古西、「橋の向こうは水浸しや。それ以上進むのにビビった車が左折しているんや」 なるほど橋に近付くにつれ左のウインカーが点滅していく。久居を出てからゆうに3時間は経過している。「こんなん始めてや。これで、何かあると伊勢湾台風の時は・・・なんぞと誇らしげに言ってたじいさん・ばあさん連中に勝てる! 俺達は歴史的な日に現場となった津市内にいるんや。これからは特権意識を持たせねえぞ!」 勇躍して口にしてみても状況はなんら変わらない。バッタの行列が続く。

4時間弱で津駅に到着。めいと友達を車に乗せ一路久居へ。
小雨のなか、帰りの早いこと早いこと。30分弱で到着。雨や風雨は収まったものの、台風21号はこれからだ。車のラジオで台風は四国に再上陸したと言っている。今のうちにと、ハイライトマイルドを求めて一本松のタバコ屋にひた走る。
あった!あった!あった!
これで非常食?の準備は整った。台風21号、どこからでもかかって来んかい!

今日、家に帰ることができずに高校で過ごした高校生は600名にものぼるとテレビがアナウンスしている。なんとうらやましい・・・。

9月30日

台風の影響を一番受けたのは昨夜の10時前後か。目覚めれば快晴、台風一過というやつだ。家に電話をするとれいがいる。「なんやオマエ」「JRがどこかで動かないから高校が休みになったん」「そりゃよかった。でお母さんは」「テニス、体育館のテニス場が使えないとかで一志のテニス場へ行ったよ」「なんとたくましい」「どうしたん?」「お金がないんや。それに大学生に払うバイト料も銀行に行かんと」「お父さんが銀行へ行ったら」「アホ、自慢じゃないが俺はキャッシュカードを一度も持ったことがない。おばあちゃんも、お母さんとと俺が結婚した時に通帳は全てお母さんに渡したよ」

HPのBBSに久保のお母さんからの投稿。雨が降りしきる津市内で右往左往した俺のダイアリーに対して「リアルでした」って書いてあるけど、お母さんの文章のほうが遥かにリアルで恐い。俺の文章なんて「臨場感溢れるオチャラケ」でしかない。

嬉野中の中間試験まであと1週間。
ここ最近、就職ネタで空中戦ばっかりやっている。塾の風景、そろそろ書けるか・・・。

次の日記に続く
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