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Gazing At " Promised Land "

2004年度5月第3週


5月15日

祥宜が姿を見せる。今夜は森下とランデブーとか・・・。

祥宜と森下もともにウチの塾の8期生。そしてともに塾に入った当初は、タイプはあ異なるものの俺の苦手なタイプだった。祥宜は典型的な分かりやすい優等生タイプ、かたや森下はサブカルチャーに精通し、それがゆえに学校での勉強を軽視するタイプだった。さらに征希が2群に落ち横須賀工科学校に進学するに際してウチの塾に預けていってくれた妹の千有紀が加わる。こんな公立中学3人組にウチの塾から特待生で海星6年制に進学、それに伴い一身田に引越しをした和司と、同様に高田6年制に進学した美香が大学受験に向けて複雑にからみ合うことになる。

その後、公立入試に臨んだ森下は2群に落ち高田U類へ、合格した祥宜は津西へと進学。そして4年前に2群に落とした征希のリベンジ、妹の千有紀も合格し津高へ進学することになる。しかし高校入試は大学受験の一里塚、悲喜こもごものドラマは終焉し新しいステージに突入。私立6年制に進んだ和司と美香とともに大学受験を目指す後半3年間がスタートすることに・・・。

ところが途中で森下が塾を辞めることになる。理由は高校の内容とは別の次元で動くウチの塾の英語の授業に嫌気がさしたからだと思われる。この森下、現在週末には京都からウチの塾に戻り、なんやかやとウチのHPの充実に励んでくれている森下なのだが、ウチの塾を辞めた理由をまともに聞いたことはない。千有紀もまたウチの塾からいつしか姿を消すものの、小6でウチの塾に入った折の「2群に落とした征希のリベンジ」と位置付けた高校入試でもあり、高校生特有の享楽追求ゆえの離脱と認識していた。それとは逆に返す返すも後ろ髪を引かれるようだったのは森下、俺にとってリベンジの機会が永遠になくなってしまったのだから・・・。

横綱相撲のごとくセンター試験の点数をたたき出したのは祥宜、「この点数やったら楽勝で三重大医学部に合格するよ」との、怖い怖い橋本講師からのお誘いに頑なに背を向けて当初の志望大学・名古屋大に進学する。美香はE判定から担任が驚愕する大逆転を演じて神戸大学に合格。そして和司は己の理系の才能の限界を悟り順当に大阪大学・経済に進学。ところが残り二人の消息は聞こえてこなかった。やっと千有紀が三重短大に合格したらしいという噂を耳にした頃、森下は単身アメリカへ留学していた。

森下がワシントン州立大学に入学し2年ぶりに日本に帰省した夏、俺は森下と二人で飲んだ。かつての剣呑さは影を潜め、森下はよく話し、またよく笑った。俺に今イチ分からないジョーク?を言っては自分で笑うのだけはやめて欲しかったが・・・。ちなみにこの癖、今も健在なのだが。豹変した森下に、ウチの塾で教科書を離れて自由に英語を教えてみないかと俺は誘った。一瞬怪訝そうな表情で森下は俺のリクエストを受諾する。生徒は当時の中1、今年大学に進学した15期生達だった。

当初は眉をひそめていた祥宜の性格、上級生達の薫陶(いじめ?)の成果もあってか、いつしか最もウチの塾らしくアバウトな性格に変貌していく。そして姿を見せなくなった森下の代わりに、ひょいと姿を見せては現状を事細かに説明してくれる和司、文系に進んだ以上は就職を見越して真面目一徹のこ奴の性格を変える必要に迫られていた。そして俺は和司を当時5名くらいしかいなかった11期生達にぶつける。教科は高校数学・・・。森下の性格を変えるきっかけとなったものはアメリカという大地、そして和司を変えるきっかけ、それはウチの3階の高1相手の授業からだった。

就職シーズンをいち早くしのいだのは千有紀、県下の和菓子の老舗Aに就職を決める。そして中部電力に1年先に就職を決めていた章貴のアドバイスを受けつつ、第一志望を中部電力からM銀行に変更した和司が千有紀に続いた。祥宜は名古屋大学の院に進んだ。

翌年アメリカから帰省した森下、いつものようにウチの塾で教えることになるのだが、講師の大西君(立命館大学研究員)と知り合ったことから突如立命館大学の編入試験を受けることに・・・。永遠にやってこないと思っていたリベンジが急転直下決定する。と言っても留学生活の永い森下に、たかだか塾の先生たる俺が教えてやれることといえば、これが皮肉なことに英文法。日本の大学入試や編入試験に出題される英文法は世界文化負の遺産? 自由自在に英語を操る森下にとってからが理解不能な英文、使われていない表現など多数・・・俺の8年越しのリベンジが、世界中を恐怖の渦に巻き込んだ同時テロの直前に始まる。

ここまで書いてきて、このうねりの様子じゃDIARYで収まりがつかない。とりあえずはそこそこで撤収すべきか。8期生についてはまた書く機会もあるだろうしね。つまり5月15日、祥宜がひと月ぶりに姿を見せたってこと。実はこの頻度、祥宜にすればかなりのものなのだが、祥宜ここ最近いたって暇になったとか。BGMは吉田拓郎の『春だったね』 今年の春はこればっかやな。そして今日も今日とて寂しい男達はあてどなく酒を飲むことになる。征希の『痩せ部』に対抗して『肥え部』でも結成してみるかの勢いで飲む、飲む、飲む・・・。

『肥え部』はともかく、塾内に『源氏物語クラブ』を作る予定。高校生を対象に大学受験最大難関の源氏物語を攻略する!とコンセプトは威勢いいのだが、なかなか登場人物が覚えられない俺が苦肉の策でひねり出した計画。

文学性を味わうという奥ゆかしい動機ではない。古典の品詞分解、クイズみたいでなかなか楽しい。通常なら俺が古典に出しゃばることはないのだが、今年の高3古典に2日取られた大森に高1を教える時間がない。そこで俺が高1の教科書中心に品詞分解なんぞを行うことになった。しかし竹取や宇治捨遺では今イチ乗らない。そこで無謀にも源氏物語となった次第。

ところが登場人物がやたら多い。遠い遠い昔に読んだ記憶があるにはあるが、所詮受験しのぎの現代語訳で粗筋だけは暗記した程度。そこんとこ反省して真面目に読み始めたが、登場人物の多さであえなく挫折寸前、そこで思いついた妙案! 登場人物がイメージしやすいように、ウチの塾生に登場人物の名前をあてがい、それで呼んでいく。

あっさり決まったのは愛(津高2年)の六条御息所。嫉妬に狂った怨霊が夕顔と葵の君の命を奪う・・・この迫力、あ奴にピッタリやねとひとり悦に居っていたら森下と甚ちゃん、「六条御息所は源氏物語を代表する貴婦人、愛にはもったいない!」とバッサリ。そういや愛の奴、ちょっと前に甚ちゃんのことを「パパ!パパ!」って言ってたっけな。

ところでこの日、輝(あきら)の姿はない。忽然と消えた・・・のではなく「今から大阪へ行って来ます」との挨拶されりゃ、しゃああんめい、久居駅まで送っていくわい。これで日刊AKIRAはしばらく休載となる予定。
 
5月16日

結局朝方まで俺達は飲み明かし、午前6時頃に俺の実家に。奥さんにお願いして三人揃っての朝食をねだる・・・。

この日は日曜日、末娘のあいの日曜参観日だったが当然パス。「来年こそ行ってやるよ」という俺に、あいはひと言・・・「けっこうです!」

今日から里恵の現代文の授業が始まる。対象は一応高1、しかし自由参加。

いつしか高1の授業日程が過密化している。火曜日が数学T・A(古市)、水曜日が数学U(花衣)、そして木曜日が化学(健太)、金曜日が俺の古典&英文法&漢文というワケの分からん授業、そして土曜日にはペーパーバックスを読み解く森下の英文法。全ての授業に出たら休みは月曜日だけ! めちゃくちゃやな・・・。

5月17日

今日から南郊中で中間試験がスタート。これから6月初旬の付属中まで中間試験が続く。塾の授業もまた停止、俺は真ん中のコンピューターの部屋に潜り込み、質問を中心に個別対応に入る。暇なようでやたら忙しい半月が始まった。

やたら古市(三重大学教育学部4年)のテンションが高い。高1に出している数学の宿題のレベルがやたら高い。
古市にすれば今年がウチの塾で教える最後、それに加えて高1は古市が始めて大学に入ってウチで初めて担当した学年。愛着はあろう、また全員が志望高校に合格できなかったことへの痛恨も重なる・・・。俺もまた古市に「最後やから高校の進路状況や範囲に関係なく、『実力を付ける』という一点に専念してオマエの好きなようにやってみろ」とハッパはかけた。しかし俺の予想を遥かに上回レベル。高1数学の優先順位として二次関数を選んだのは分かるが、まだまだ高校で履修してはなく俺が春休みにチョロッと教えた程度。後から入ってきた津高の二人には荷が重い。それに加えて二次関数の平方完成や決定ならまだしも、文字の場合分けを駆使する『チャート』でなら最後のほうに載せてある重要例題をこれでもかこれでもかと出している。ここ数日、俺はこの宿題ばかり解かされている。生徒にしてもグロッギーぎみで、田中(津高1年)なんぞ昨日までは泣きそうな顔で俺の説明を聞いていた。あの陵(津高1年)までが高校の帰りに塾に寄って俺に質問するという異常事態、こんな陵は中3の受験期にもとんとお目にかかれなかった。
「舞(古市)の高1に対する吸引力が問われますね」とは甚ちゃんのコメント、さすがプロッぽい発言やね。

今日から高校でも試験開始、高田高校で中間試験が始まる。そして明日から津東と松阪高校がスタート。こんな状況で古市のあの難解な二次関数の宿題をやるってのは厳しい。なにしろ前期後期でこの時期に試験がない津高の連中にしてからが、到底明日の古市の授業までには終わらない状況。二日ほど前には問題の意味が分からないと言っては泣きそうだった田中(津高1年)が早くから塾に姿を見せる。ちょっと解けないとすぐに泣きが入るのが田中の欠点、しかしその反面しつこく粘るのが長所。何度か泣きが入ったものの、俺を毎晩午前1時頃まで付き合わせることでなんとかクリア。今度は全く分からない?と叫びまくる絵梨香(津高1年)の質問責めにあっている。やっとこさ落ち着いた頃には深夜2時を越えている。俺は久しぶりに二人を送った。
 
5月18日

教室長になった甚ちゃん、火曜日が休み。しからば二人で散策・・・じゃなく、嬉野の山奥にある『幻の蕎麦屋』に出向く。豊地から中村川沿いに中郷地区へ、さらに奥へ奥へとおんぼろエスティマを走らせる。何度か道に迷い、やっと辿り着いた“約束の地”・・・しかし定休日。休みは月・火だという。しかたなく宇喜郷の蕎麦屋で我慢しようと、再び巡礼。しかし、ここも定休日とかで結局は166号線沿いにある前島食堂に落ち着く。久居にある藤が丘食堂のような佇まい、この辺りは過疎化が進む地域、ゆえに客層にその匂いがプンプン。50代に70代の二人連れがなんと3組。それに店員までも(笑)。奇妙な感動に心奪われちまったよ。

中3が一人もいない塾なんていつ以来か・・・。南郊中は中間テスト終了ゆえに今日だけ休養日。他の中学は修学旅行か、旅行の準備か・・・。台風が発生したとかで竜神(津高2年)がネットに首ったけ! 妹思いの兄貴だったのかと首を捻る俺に、「こりゃ付属の修学旅行中止やな」とどこか嬉しそう、やっぱりね。付属中学は沖縄、果たして飛行機が飛ぶかどうか。

一部で熱狂的な反響を呼んでいる征希のサイト『飢え部』。「身体を動かすことを一切せずに日々のカロリー管理だけを武器にただひたすら痩せる!」ことを標榜。毎日の食事内容を詳細に書き込みそれぞれのカロリーまで掲載、80kgはゆうにあった体重を目標を67kgあたりに設定、67kgってのが俺の体重ってとこがあ奴の嫌らしいとこなんやけどな、その“約束の地”までの日々を現在進行形で綴っているサイトだ。俺は極秘裏に反体制運動『肥え部』を結成、近々HPでのUPを目論んでいる。その征希、「塾に来るといつもカテキン式が置いてあるな。先生が飲んどるんやろうけど微笑ましいな。かわいいとこあるやん」と来やがった、クソッ! 

征希は六条御息所(=愛)にマンツーマンで漢文を仕込んでいる。愛の志望大学・東大の国語の二次試験の漢文は半端ではないとのこと。六条御息所の切磋琢磨の日々が始まった。

アキラ、突如福井に登場。風雲急を告げる展開!・・・やったらどないやって。

六条御息所に稽古を付けた征希に俺は確認と安心する意味もあって尋ねる。「お〜い、目標体重67kgやったな?」「何を言うてるねん! そんな中途なとこで手を打つかい! 目標は63kg!」 征希、今日は伊勢まで遠征、6人のお客さんの治療をしたそうだが、お土産にと頂いた和菓子をどっさり持参! 「ごめん! 俺は食わんけど、先生どう」「征希先輩、先生はアンコはあかんで」と横から甚ちゃんアシスト。「そやったらシュークリームありまっせ」と征希。ついつい手を伸ばす俺。「よっしゃ!」 征希、誇らしげに、まさしく役満を上がったかのような大音響で叫ぶ。どうせ俺は軟弱が売りだよ・・・。

深夜4時前に竜神登場、「あれ、先生まだいたんですか?」 挨拶やね。「さっき見たら、荒井寝てたぞ」と俺。「よく寝ますからね」と竜神。「オマエさんが言えるかいな」と俺。竜神の手を見ればターゲット1900。今週の金曜日、古西はまたもや高2にターゲット1〜800の試験を課す。このあたりの準備、いつしか歌を忘れたカナリアの高1には大いに見習ってもらわねば・・・。しかし、あの荒井をどのように起こそうか?

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