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Gazing At " Promised Land "

2004年度10月第1週



10月1日

ついに一本松のタバコ屋からハイライトマイルドが姿を消した。
店の中へ入り込み、おばちゃんを呼ぶ。「もうなくなった?」「最後の1カートンあるよ」「じゃあちょうだい」
カウントダウンが始まった。

東中の先生が亡くなった。まだ31歳という若さだった。
この先生のクラスの生徒だった加央理の話では、修学旅行の前から体調を崩し入院したとのこと。約半年にわたる闘病生活・・・。叔母の1年間にわたる生活がだぶった。
31歳、それも1歳と3歳の子どもを残しての闘病生活だった。
病院の天井を見ながら何を考えたのだろう。考える時間は気の遠くなるほどあったはず、そしてそれは同時に瞬く間に過ぎ去っていったはず。
体育祭や文化祭など、学校行事に熱意を注ぐ先生だったという・・・合掌。

舞(三重大学教育学部4年)の携帯に電話。今日で附属中学の教育実習が終わったはず。舞の声とともに不協和音が鳴り響く。「打ち上げか?」「うん、やっと今日で終わったからね」「実は松原の姉ちゃんネタでさ、三重県の広告代理店の情報欲しいねん。オマエの親父さん、昔友人と共同経営で代理店やってはったやろ」「うん。じゃあ、詳しいことは明日塾へ行って聞くわ」「へえへえ、お忙しいところをすんまへんな。そういや、オマエが担当しているれいの全統の数学の偏差値67くらいあったぞ!」「うわ!やったね、明日塾行った時に褒めてやらなくっちゃ」

高1全国統一模試の成績が返却される。
娘のれい(高田1年)の偏差値、英語が60.4、数学が67.4、国語が54.0で総合偏差60.6。この偏差値で高田U類で総合2位、理系で1位というところに現在の高田U類の問題点がある。
ただ、微笑ましかったのは志望大学・・・北海道大学理学部。B判定だったが、志望大学を書くにあたり、太郎(10期生・北海道大学卒)の顔でも浮かんだのだろうか。
その太郎の奥さん、ここもまたカウントダウンが始まっている。

高校1年に現代文を教えている里恵が姿を見せる。「やっぱ、国語がネックやな、れいちゃん」と、れいの成績表を見ながらつぶやく。

古西の長い長い夏が終わり、明日は名古屋の下宿に戻る。それに合わせて森下、京都から戻る。しかし征希が明日からは岡山で研修。塾での一瞬の交錯、公務員試験の勉強している甚ちゃんを横目に1週間ぶりのマージャンが始まる。「まるで大学生の合宿よね」と言い放った奥さんの冷たい口調が思い出される。

10月2日

午前6時半、ベッドで眠りこけていた俺に古西が挨拶。「じゃあ先生、名古屋に帰ります」「ああ、これから熱い熱い半年が続くんやからな」「わかってますよ」

古西に起こされ目が覚めたこともあり、スラム街で寝ることを諦めて久しぶりに家に戻る。お目当てはイチローである。しかしテレビでは昨夜の中日の優勝で沸き立っている。落合監督がインタビューに応え、「選手には実力以上の力を期待してはいません。持っている実力を100%出し切ってくれたらそれでいいです」 何がしか割り切れない思いを抱きながらフローリングの床に横になる。俺は生徒に実力以上のものを期待しているんだろうか・・・。

最近塾に入った上島がお昼過ぎに一番乗り。彼女の津西への道は果てしなく険しい。しかし上島に、どうしても津西へ行きたい!という荒ぶる魂が身体に宿り続ける以上、俺は無謀であれその魂に従う。

大西君から午後7時に久居着との連絡を受け、森下が迎えに走る。塾に姿を見せた大西君、派手なジャッケットにド派手なパンツ。「電車の中での視線熱かったやろ」「もう、ジロジロ見られましたわ」「そやろな、俺はそのカッコウに『派手やな』以外の修飾語を知らんわ」「でも先生、このパンツ、25.000円もするんですよ」

松原の就職に対するイメージはまだまだ曖昧、地元に戻るか関西に残るかすらはっきりしない。しかし手をこまねいてばかりもいられない。帰省するとして県内で彼女のイメージする仕事となると、広告代理店か印刷関係。広告代理店の情報は今の俺には皆無。これは舞の親父さんに話を聞くことになる。印刷となると、業界知識に豊富なダチに聞くと、赤福などの県内大手の広告を一手に引き受けているのが四日市印刷。そして俺が個人的に松原に向いていると思うのが県内の情報誌。シンプルやクジラ、伊勢人といった雑誌である。このジャンルについては大西君に聞くつもりでいた。ただ、松原の意向もあり連絡を取る。発信音2回で応答、少しは就職に勤しむ大学生になったやん。

「大西君、来てるんやけどな。オマエさんがこっちに帰る場合、オマエさんの文章やらコピーやらといった意欲を満足させるのは代理店や印刷、それに俺の好みで情報誌。それで大西君、赤福にやっかいになってたこともあって地元の情報誌についてよく知ってるねん。北勢の『クジラ』、中勢の『シンプル』、南勢の『伊勢人』なんかがあるけど、情報誌はどないや」「情報誌ですか・・・。私はどちらかというと、雑誌ではなく、テレビなどのメディアをやってみたいんですけど」「となると広告代理店となるけど、三重県ではな・・・。まあ、舞を通して親父さんのルートで聞いてみるけどな」「すいません、先生。実は就職の相談もあって10月の16日17日に三重県に帰るつもりです。その時、大西先輩は塾にいらっしゃいますか」「ああ、大西君は隔週や。その日は塾に来ることになってる」「じゃあ、その時にもっと話を聞かせてください」「アンタもその時までにもっと絞り込んどいてよ」

少なくとも古西の就職ネタから、今秋から就職活動を開始する大学3回生が俄然活性化してきたのは事実。嫌なことは後回しにしているようでは希望職種に就職できる可能性は限りなくゼロ。この流れ、それでも虎視眈々と就職をうかがう連中と比べると遅すぎた感は否めない。唯一の不安は九州の田舎でバイトに勤しむ中井(アジア太平洋立命館)である。

夜は大西君の独壇場だった。
周りからの期待は重々承知、しかしここ最近になって、初めて暇な時間を過ごすことができ、それがなんとも心地良かったという。「僕の今までの人生はパン食い競争ですわ。ひとつパンを食うと次にまたちがうパンがぶらさがっている。それを食べるとまた次に・・・、そんな感じで今までやってきてそれなりの実績を手に入れたんでしょうが、いつしかね、学問が好きじゃなくなっていたんですよ。始めの頃はね、辞書と原書と格闘することはきつかったけど楽しかった。でも2年前の病気からかな、通院生活を繰り返して、入退院を繰り返して、壊れかけた身体を無理やり走らせて・・・月並みな言い方ですけど、健康っていいなあって。今はゆったりと生きていきたいんですわ。週末にはここに来て、好きな現代文と古典でも教えて。普段の日には好きな研究を無理しない程度にやって・・・。そうそう!今ね、中古車を買ってきて自分のできる範囲で板金や塗装なんかしてるんですよ、こんなことがこの上なく楽しいんですよ」

大西君もまたマージャンが大好きだ。身体のこともあり極力させないようにしていた。しかし2週間前に久しぶりに塾に来た大西君は以前に比べ格段に調子が良さそうだった。今日も口調もなめらか、一回だけとの約束で開局。前半調子の良かった甚ちゃんだが、俺がマンガン・ハネマンを和り逆転、あげく大西君に放縦して甚ちゃんがハコ。「ああ〜、今日もまた五百円は俺かあ」 後ろ髪を引かれながらも甚ちゃん、大西君の健康を気遣い撤収作業開始。

10月3日

マージャン終了後、大西君にスラム街のベッドをあけ渡し家に戻る。昼過ぎに携帯が鳴り、大西君と森下と甚ちゃんとで『アミーゴ』へ。
大西君は薬の副作用で起床後1時間ほどは口のろれつがまわらなくなる。そんな時はただひたすら人としゃべる。俺達は海外からの留学生を迎えるように大西君の話を聞いている。
大西君が去年あれほど痩せていたのは悪性腫瘍が原因だったという。しかし頻繁に入退院を繰り返していたことが幸いし、早期発見から薬での治療で完治した。ステージ2、しかし限りなくステージ1に近い2。それ以後、食欲増進とともに体重も増えた。必要に迫られフィットネスクラブが始まる。今の生活のなか、大西君の興味の対象は3つ、中古車とフィットネスとウチの塾・・・だそうだ。社交辞令として受け止めておこうか。

入院後に半年で亡くなられた東中の先生の場合、あるいは保険会社で副支店長を務めていた叔母の場合、残念なことに早期発見とはならなかった。日常の激務から病院に行くという選択肢は隅に追いやられていたのだろう。俺もまたその点については同様だ。叔母に続き、生徒の担任の先生、そして大西君と続いたが、やはり早期発見がポイント。

大西君の話のなか、某信販会社からヘッドハンテイングの動きがあるという。「企画としてですけどね。内容はなかなかおもしろいんですよ。今のカードでは特定の会社や企業しか利用できない。それをね、多種多様な業種に通用するような展開をするらしいんですよ。例えば子どものオモチャを買ったら、そのオモチャ屋はもちろん、紳士服の会社や映画館でもポイントがつくというようなイメージですね」「なるほど、そりゃおもしろい、問題はその提携会社の選別か」「そうですね。そのあたりをね、僕にやらないかと・・・」「どないする」「いや、断るつもりでいます。一般企業、たとえ企画といえども今のような悠久の時間は過ごせそうもない。今回は入退院を頻繁に繰り返していたことが早期発見に繋がった。それが企画といえども企業戦士の仲間入りをするわけですから・・・」「俺もその意見に賛成やな。身体を壊したら元も子もない」
ふと叔母のセリフが蘇った。「今まで家のローンや子供達の学費で必死になって働いてきて、3人いたその子供達もそれぞれ社会に巣立っていって、やっとこれから自分の人生をゆっくり楽しもうと思ったのに・・・ほんとうに、ほんとうに悔しい」

大西君の授業が講義形式から、大学のゼミ形式に変わる。コの字に机を並べ、「人生とは?」という命題で作文を書き、その文に対する問題をつくる。全員がその問題を解き、自分が作った問題の答えを解説していく。時間さえあれば、現代文の最も効果的な勉強方法だ。今日、出席しているのは高3の佐藤(三重6年制)・隼人(三重6年制)・亜矢歌(松阪高校)・小林(久居高校)・平田(津東)に高2の愛(津高)とゆかり(津高)。高2の千紗(津東)は修学旅行で欠席。
このメンバーでは、平田から泣きが入りそう。なにしろ大西君の授業、要約や作文など宿題にかかる時間が膨大となる。私立文系の佐藤・隼人・小林や三重大学医学部看護の二次試験(国語の問題は全国下も有数の記述問題の多さ)を受ける亜矢歌には打ってつけの授業、当然東大の記述対策としても愛にピッタリ。しかし神戸大学医学部作業療法を受ける平田にとり、国語はセンターだけ。センター対策のためだけにはこの授業、重たすぎる。


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