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Gazing At " Promised Land "

2004年度10月第2週



10月4日

午前2時、太郎の奥さん、悠ちゃんの陣痛が始まる。太郎ともども『ローズ・クリニック』へ。
この時間、ウチの塾では森下が最近買い込んだノートパソコンにDVDをセット、それを塾のパソコンにつなごうと苦心惨憺している。

午前4時、あっけないほどの安産で悠ちゃん、無事女の子を出産する。
この時間、達成感で満面の笑みをたたえた森下の指導で塾内シアターが完成。それぞれのパソコンから『 The Day After Tomorrow 』を同時放映。

太郎はそのまま会社へ行ったとか。晴れて父親となった太郎にとり、長い長い父親一日目が始まっている。

「じゃあ先生、週末に」と言いながら大きな荷物を肩にさげる森下。残される俺は今夜から甚ちゃんと二人秋の夜長を過ごすことになるわけだ。

東京で社会人1年目を過ごしている克典から電話。「先生、メール読んでくれました?」「何や、それ」「古西君がらみの就職ネタです。こっちのほうで電通関係の人、ふたり見つけました。古西君の上京に合わせてセッティングするつもりですが」「そりゃ、ありがたい」 以下は、克典のメールより抜粋。

『ここ最近古西君の就職ネタで盛り上がってますが、自分も少々動いてみた結果、
同じ職場の先輩の友達・・・今年から電通に就職。1年目。
同じ職場の人・・・以前電通で働いていて、今はフリーのコピーライター兼劇団主催兼ウチの会社で契約社員。
という二人まではヒットしました。古西君の来京に合わせてセットィングしますが、どちらも多忙な方なんで、会えればラッキー程度に考えてもらえると助かります。
広告業界全般で冷え込んでいますね。博報堂前年比100%、電通も106%。テレビ・新聞・ラジオ・出版業界もボロボロです。頑張っているのは無代誌(R25とかホットペッパーとか)ぐらいなもので、広告関係はとくにきついです。
なので・・・大学で少しマーケティングをかじったとか、今ある書籍で広告モデルを勉強してみても何の意味もありません。すでに崩壊しつつありますし、マスを置いてきぼりにして、凄まじいスピードで変化していってます。生半可な知識は逆に邪魔ですね。もともとそんなものなかったのです。今痛感しています。
電通を受ける連中だけでなく、就職活動で勝つのは、圭亮さんが言われるとおり、大学時代に伝説を二つも三つも持っている異端児ばかりだと思われます。
古西君の場合ですと、大学生活のほとんどを塾で過ごし・・・という風になるかと思うのですが、それの伝え方次第ではないでしょうか。ハッタリ上等です。それぐらい背伸びしないとキツイでしょうから・・・。あと、今から就職活動をやりながら、伝説を作るのもいいかもしれません。1円で有限会社を作ってみてはいかがでしょうか(笑)?
あと、古西君に確認したいのが、
1)電通や博報堂など、徹夜は当然です。ゆえに離職率も恐ろしく高いです。その覚悟はよろしいですか? ブランド名だけで決めてはいませんか?
2)間違いなく営業に回されます。広告代理店の連中は口を揃えて言いますが、「クリエイティブ」な仕事には程遠いです。その覚悟はよろしいですか?
上記2点がクリアなのであれば、全力で応援します。頑張ってください。』

このHPを通してウチの生徒たちは他者の視線に晒されている。
ウチのれいなどは塾の看板を背負い?ながらも津高に落ちた。このHPのトップの写真は今年津高に合格した生徒たち、毎年恒例となったコーラかけでズブ濡れになった歓喜のショットである。当然、このなかにれいの姿はない。この時刻、里恵(7期生・社会人)の運転する車のなかで泣きじゃくっている。
リアルタイムで伝達される情報ゆえ、喜びはストレートに伝わる。反対に慙愧の涙もまた、これ以上ないほどの残酷さで一般の目に晒される。
しかし12期生の古西の就職ネタに対し、同級生の今井はともかく、7期生の圭亮や9期生の克典からメールが届く。それも熱い熱いメールだ。塾での過酷な生活、約束の地を目指すツアーを共に過ごしたわけではない。そこにはただ、塾の先輩後輩という関係しかない。そんな輩からリアルタイムに便りが届く。俺はその温情に対し、ただひたすらに頭を垂れるしかない。感動・・・それに加え、やせ我慢で塾を続けている自己に対する些少な達成感とともに・・・。

10月5日

奥さんと『ローズ・クリニック』に出向く。名前は変わったが、ここは紀平病院といった方が通りがいい。俺もここで生まれたんだとか。
豪華なホテルと見まがう病室、しかし隣でビルを壊している工事現場の騒音がやたら気になる。この時期に入院している患者はついてない。
「昨日はサラダ・バイキングがあったんですけど、子供を生んだ直後で食べれなくって」「そうそう、出産って本当におなかがすくもんね」と10年以上も前の出産経験者、セピア色のカーテンを取り払おうとしている。「でもケーキ・バイキングが金曜日にあるから」「それって付き添いも食べられるの」「それはダメだそうです。太郎君のお母さん、ひどくがっかりしてました」
「陣痛が始まった時は太郎君だけ?」「いえ、お母さんも休暇を取ってくれて」「・・・子供って分かってるんやわ」「何が?」と部外者の俺が口をはさむ。「子供はね、いつ生まれたらいいか分かってるの」「そんなアホな」と再び部外者。「本当なんですよ」と悠ちゃん。「太郎君とも話したんですけど、土曜日に森下君に手配してもらった車が届いてやっと間に合ったなって言ってて。そして太郎君の三連休の最後で、お母さんも夏休みを9月最終に合わせて取ってもらって、お母さんも夏休みの最後の最後だったんです」「ウチの娘さんたちは?」「ウチの娘も春休みと夏休みに入る前日に生まれてるじゃないの。お父さんがちょっとでも楽できるようにって」
2階で太郎の娘を見た。感想はない、ただ感慨はある。
太郎は中1から中2に進級する春休みに塾に密航してきた。中学の先生とぶつかり中1の3学期は不登校ぎみで過ごしたという。母親に連れられて姿を見せた太郎は暗い目をしていた。波瀬の一番奥、終点のバス停前に家はあった。母親は看護士さん、時間の都合がつかない時に太郎は自転車で塾にやって来た。距離にして18km。行きはよいよい帰りは恐い・・・行きは駆け下りるようにやってくる。時間にして1時間弱。しかし帰りともなると1時間半はゆうにかかる。深夜0時を過ぎて太郎は自転車で帰っていった。この娘が大きくなったら、あの頃の自転車に乗る親父の後姿の話だけはしてやろう。

希乃という字で「きの」にしようかな・・・先ほどの悠ちゃんの恥じらい顔を思い浮かべた。

サンケイスポーツで構成をやってる智博(7期生)に久しぶりに電話。眠っていたらしい。「ああ、先生ですか。お久しぶりです」「すまんな、こんな時間に眠っている奴を起こしちまって」「ははは、今日は休日なんです」「じゃあ彼女は」「福岡の実家に帰りました、だから一人っきりの休日」「くらいな」「で、なにか」「ああ、在阪の広告代理店、それもテレビCMやってるような規模の会社、情報ねえか」「なんで」「詳しくはウチのHPを見てくれ。関西学院大学の女の子や、そんな会社があったらエントリーさせたい」「大阪の広告代理店ですか・・・ちょっと前に上司とも話したんですけどね、広告やりたいんだったらやっぱり東京やなって。大阪ではなかなかないですよ」「確かにな、まあ一応オマエさんの分かる人脈で調べてみてくれよ」「わかりました」「ところで東京のユタカは元気なんか?」 オレの大学時代のダチ、智博をサンケイスポーツのバイトに採用してくれたダチでもあった。
「あれ、先生知らなかったんですか。山本さんは大阪へ戻られました。それも報道局次長というエライサンにならはって」「じゃあまた近いうちに鳥羽の先生と大阪へ行くよ。その時にでもいっしょに飲もうや」「楽しみにしてます」

附属中学での教育実習を終えた舞の登場。土曜日に塾に来るとのことだったがすっぽかされていた。
「舞、高1には11月実施の全国統一模試を受けるようにと指示した。れいは高田U類の理系でトップになった程度で慢心してもらっても困る。岡南も進研模試の数学で津高15位程度で満足してもらっても困る。今週中には津高の期末が終了する、来週からは3学期制の高校で中間が始まる。心配なのはその先や、平和な気分で時を刻んでもらっても困る。試験が終わった時こそ、ウチの塾としてやりたいことができる。オマエさんの担当の高1数学、高校1年履修範囲を終えて今は数UBに入ってるらしいけど、当座の目標を11月の全国統一模試に設定してくれ。そうすりゃちったあ緊迫感出るやろ。平和ボケした陵や絵梨香あたりの尻に火を点けてみたいねん」
俺のテンションの高さに比べ舞の反応、いつものこ奴らしくなく今イチ鈍い。「実はね先生、佐藤君覚えている?」「佐藤君って、一時期ウチの塾で数学を教えてくれてた仙台出身の体育会系か」「うん」 ウチの医学部連中とは異なり、今風の風貌、少々痩せぎみだがしなやかな筋肉質の体躯を思い浮かべた。
「あの佐藤君がさ、教育実習の打ち上げのあった金曜日、彼もカマヤンで打ち上げやっててさ、私んとこにメール、その時私はジャンガで打ち上げやってたんだけど、佐藤君、今から行くって・・・それでいつまで待っても来ないから何やってんだろって思ってたら、佐藤君といっしょに飲んでた子から連絡あって、ジャンガに向かう途中、23号で車に轢かれて心臓が止まったって」「ええっ!」「それ聞いてさ、私ヒール脱いで走ったん。本当に幸運なことに、轢かれた反対側の歩道を医学部の学生と先生とが歩いていたんだって。それで駆けつけてくれて心臓マッサージしてなんとか蘇生。それから大学病院に運んだんだって」「そりゃ大変やった・・・でも良かったな」「うん。でもね、脳管周辺が脳内出血してて今も意識が戻らないのよ。だから土曜日もずっと病院にいたんだけど・・・それで塾には来れなくて」
明るい性格、声もよく通り、よく笑った。笑い顔はイケてた。こいつはいい小学校の先生になる!と思ったのもつかの間、僕は高校の数学か物理の先生になりたいんですよって言ってたっけ。

頑張れ、佐藤! カーテンの向こう側に将来の日本を担う多くの子供たちが待っているやん。オマエの将来の教え子たちが待ってるやん。

試験が近付き、徐々にではあるが塾内が沸き立っている。自主的に塾にやって来た中学生で埋め尽くされた教室の中、ポッカリと空いた机が二つ・・・曜子と佳南の机。ここには塾に置きっぱなしのノートや問題集が並べてある。それを意識してのことか、下級生は誰一人として座らない。
練習に出てこないクラブの先輩をどのように下級生が眺めるのか? そしてかつて下級生の時に曜子と佳南もそんな先輩をどのように眺めたのだろうか・・・。

今年の俺の誕生パーティはボツやな・・・と一人ごちる。こんな中3に、俺の誕生日を祝ってもらおうなんて思えない。そんな暇があるなら勉強するべきだろう。

岡(三重6年制5年)の全国統一模試返却。なんと!英語の偏差値が67.2で校内順位194人中32位、数学が68.5で校内順位194人中18位、ちなみに国語は42.7。これは無視することにしようか。
岡はウチの塾から三重6年制に合格した。そこは1年夏休み明けに塾をやめた。しかし元来のテレビゲーム大好き少年の面目を如何なく発揮し、3年後期には学年の殿(しんがり)を勤めることになる。
出戻りという鬱々たる心情で再び塾のドアを開いたのは、同期の中3が高校受験合格の喜びに浸っていた頃。英語は学年最下位になっただけあって当時の中2(今の高1)に匹敵する実力。戻ってすぐにこの学年と同じ試験をさせてみた。お題は鈴鹿高校の入試問題。新中3のトップは陵の76点、ドベはめいの44点。そして岡は43点、ついでに言えばブーチャン(龍谷大学1年)は35点だったが・・・。
つまり同学年の17期の面々どころか、1学年下の18期の面々よりひどい惨状・・・岡の復帰戦はそんな灰塵の中から始まった。復帰後の半年は俺が付き合った。たった二人でコンピューターの部屋の中に立てこもり、中学2年レベルの文法から教えていった。最大のネックは後置修飾の概念が全く分かっていなかったこと。そして古西の高2英語の授業開始とともに俺の手を離れて古西の弟子にと旅立つ・・・。
あれから1年と半年が経つ。
いでたちや風貌が上品系・おぼっちゃん系ということもあり、俺たちは岡の志望を有無を言わさず同支社と青山学院に設定。あげく学内順位の目標を英語30番以内、数学15番以内に定めた俺に岡は「そんな馬鹿な・・・」と絶句した。

今回の成績で、学内順位では英語が31番、数学が18番と当初掲げた目標が射程距離に入った。志望大学では青山学院はもちろん、上智大学までにA判定が点った。
「失礼します」 深夜0時30分、岡が挨拶に姿を見せた。「岡君、英語の全国偏差70までやって来たぜ!」と言い放った俺に、居合わせた舞・横田(三重大学医学部6年)・里恵・甚ちゃんから期せずして拍手! 岡は照れくさそうに姿を消した。
「今日の結果に気を良くした岡君、たぶん明日はゲーム三昧やな」とは俺の予想。

10月6日

セントヨゼフの中間試験が終わったと思ったら明日からは嬉野中の中間試験。いよいよ佳境に入る。これからの1週間が正念場。

圭亮が姿を見せる。「先生、帰ってきましたよ」
先週の電話では10月に戻ると言っていた。その時に古西に今年電通の試験を受けた経験から、最も新鮮な情報を古西に伝えたいとも・・・。
「古西は金曜日に戻るよ」「じゃあ、金曜日の夜に来ます」「そん時は前の飲み屋でオマエさんの就職祝いの祝杯でもあげようや」

越知(4期生)から電話。「姉ちゃんがスナックするの聞きましたか」「ああ、姉ちゃんから電話があって『偉大な人』と『紳士』をフランス語とイタリア語でどう発音するか聞かれたで。あれって店の名前か? 森下が調べてくれたんやけど、そういや連絡するの忘れてた」「その件なら僕にも電話があって僕の方からメールしときました」「開店はいつや?」「22日です。ところでその開店日には絶対に帰って来い!との姉ちゃんからのきついお達しで」「帰って来るんか」「ええ・・・で、先生もいっしょにいかがかなと」「かまへんで」

中3の曜子と佳南をコンピューターの部屋に呼ぶ。
「アンタらの机は空いている。自主的に勉強にやって来た下級生は、そんな空席をどんな思いで眺める。練習に出てこない先輩をどんな思いで眺める。同時にオマエさんたちもバスケ部で3年間汗を流したクチだ。下級生だった頃、練習をさぼる先輩をどんな思いで眺めてた?」
今夜は長く凍てつく夜になりそうだった。

やっかいなことに俺の予感的中。高1の教室には岡の姿なし・・・。あの野郎!

10月7日

津高で全国統一模試の返却。
愛は英語で偏差値83.6、数学で69.3、国語が71.6、3教科総合で74.8。全国優秀者ランキングに名を連ねている。ちなみに津高では4位。志望大学では東京大学文科一類(法学部)はC判定、文科二類(経済学部)と文科三類(文学部)がB判定。
11月実施の次の模試から社会と理科が入る予定。世界史と地学で勝負することになるが、社会は一発目が肝心、偏差値70を越えておくと、それ以後の模試で70をなんとか切らないように努力する傾向がある。センター試験で地歴2教科必修に加え、ともに2次の記述試験は論述問題。東京大学を攻略するには高校2年時に社会をいずれか1教科マスターしておくことがポイント。愛の場合、世界史を磨くことが急務だ。

香(三重高3年)が久しぶりに新しい塾へ姿を見せる。なにしろ高校3年は古い塾に篭城するのが恒例。今年の場合、松原・坊(ともに津高3年)と小林(久居高3年)は新しい塾の1階でベースキャンプを張っているが、残りの面々は古い塾。古い塾では俺の授業がないため、向こうのメンバーとはなかなか会う機会がない。そんな香、開口一番に「先生、大学の指定校推薦に決まりました!」
三重高では、過酷なクラブ(バレーや野球など)に所属する生徒は理系を選択できないという理不尽なルールがある。理系には数学の小テストや補習授業などが頻繁にあり、クラブの練習に支障をきたすというのがその理由。香の数学、学年順位一桁の成績。香の兄や姉も文系だったので、香だけは理系にとの俺の目論見、潰える。
「どこの大学に決まった?」「名城大学の法学部」

中学の頃の香は暗かった。バレー部に所属するものの人間関係の軋轢で苦しんでいた。香がアタッカーに抜擢された時、チームメイトはわざとタイミングをずらし息が合わないことを無言でアピール。結局はそれほど出番がないままで最後となった東海大会の試合を終える。クラブでの生活が香を暗くしたのか、暗かった香の性格がチームメイトから疎まれたのか。そして津高受験に落ちた香は三重高へ進学した。内申が足らないことが原因とはいえ、英語の非力を露呈。3年後にリベンジを目論む俺に数学を磨くことと英語の実力アップが香の課題となった。しかし三重高の過酷なバレー部の生活が足かせとなり、数学は順位を伸ばすものの英語が遅々として進まない。あげく理系から文系へ、それも私立文系をクラブを続ける踏絵とされ、否応無く得意技の数学を放棄する展開へ。
ただ、救いだったのは香の表情が明るくなったことだった。中学の頃とは違いチームメイトとの仲も良好、毎日が楽しそうだった。定期テストも着実に点数を取り内申もまた快調、あわよくば立命館あたりの指定校推薦が転がり込んできそうな予感・・・。それが三重C全般の成績が落ち込んでいることから、Bへの難関大学の指定校推薦枠が今年に限り、Cへの逆補填の様相・・・立命館や同志社や早稲田などはBに回されることなくCで使い切ることになる。「できれば京都の大学でバレーをやりたい」と言っていた香だったが、愛知大学や中京大学の法学部の名前が挙がるようになっていた。愛知大学は姉ちゃんの出身大学、しかし三重高の進学指導の先生の話では、こと法学部に関しては近々中京大学が愛知大学を抜くとのこと。真偽のほどはともかく、紆余曲折の末に名城大学に決まった香の表情はやはり解放感に溢れているようだった。
三重高バレー部という過酷なクラブ中心の生活を送りながらも塾を続けた。皆が深夜まで勉強している姿を横目で見ながら家に帰った。古い塾の2階はかつて兄や姉が勉強した空間。クラブ一辺倒の生活になりがちな香を古い塾に引き止めたものは、兄や姉の残り香だったかもしれない。
香、おめでとう。本当に今日までご苦労さんでした。

今日は甚ちゃんが大学時代の先輩に会うとかで福知山へ。宿泊場所は京都の森下下宿ということで、いったいいつ以来のことなのか、たった一人で塾にいる。ここ半年はなかったな・・・と一人ごち、冷蔵庫を見ると昨夜甚ちゃんと二人で食べようと買ってきてあった二人用のちゃんこ鍋。2割引のシールが張ってあるだけあって賞味期限は昨夜まで。ままよと一人で食べ始める。

10月8日

佐藤(三重6年制6年)、複雑な表情で登場。「先生、立命館大学法学部の学内推薦に受かりました」「これで森下の後輩になったわけやな」「はあ」
佐藤とは今まで何度か話し合った。やっとエンジンがかかってきた時に担任から立命館大学の推薦を薦められた。夏休みにかけて愛とゆかりを相手に世界史の試験を重ね、苦手だった世界史の偏差値があっさり60を越えた。これで主要3教科(英語と国語と社会)がすべて偏差値60を突破し、志望大学の立命館や同志社が射程距離に入った矢先の担任の薦めに、佐藤は悩んだ。
「中学受験の時は何も分からなかった。ただ指示されるがままに勉強をやっていた。だから受かった時も達成感がなかった。大学受験こそは・・・そう思ってこの塾に入って勉強を始めた。やっと勉強する実感というか、受験生という雰囲気がしてきたのに・・・」 佐藤は推薦を蹴って一般受験で勝負することを目論んでいた。「でもさ、立命館がアンタの第二か第三志望ならともかく、本命なんやろ? そやったら別段悩むことないやん。受験生としての自覚があったかどうかはともかく、今まで積み重ねてきた日々の勉強が指定校推薦枠に入るだけの成績を取らせてくれたわけで、罪悪感を感じることなく特権を行使したらええやん」
そんな話し合いを9月始めにしたものの、古い塾から聞こえてくる噂では「佐藤君はまだ悩んでいるみたい」
逡巡したあげく佐藤が下した結論が、立命館大学法学部の指定校推薦を受けることだった。
「おめでとう!」「でも先生、入学志望書に志望動機や将来の夢など、かなりの文章を書かなくちゃならないみたいです」「そりゃそうやろ」「どういうふうに書けば・・・」「そんなん明日やって来る大西君に聞いてくれよ!」

古西が英語の授業のために戻る。授業の後には圭亮とミーティングが控えている。
そんなイベント盛りだくさんの古西、ニコニコしながら入ってくる。「これを見てよ」と言いつつ手渡したのは、ゆかり(津高2年)の全国統一模試の成績。
英語が前回の59.1から64.8へと上昇。「これを先生に見せてバイト料を上げてもらおうかなって」 数学も前回の42.5から55.0へ、国語は49.6から56.5へ。ゆかりの実力、本来はこんな体たらくではない。徐々に力を出してきたかなと・・・。
しかしバスケ部の龍神と荒井のことになると古西の表情が曇る。この夏休みの手抜きがズシリとダメージを与えている。龍神は模試を受けなかったが確実に力は落ちている。受けた荒井は予想通りの急降下。このままクラブを続けていくべきかどうか、性根を据えて考える時期に入った。

圭亮と二人で前の飲み屋にしけ込む。「授業はいいんですか」「今は中間試験直前や。各自が創意工夫して勉強している。質問があれば飲み屋にいても質問にやってくるよ・・・でもな、今年の中3にはそんだけのパワーねえだろうけどな」

それでもと思う。やっと彩加が騒がしい下級生を叱るようになった。1学期の頃は騒がしいから注意してほしいと言いにきたっけ。先日、コンピューターの部屋で田中(津高1年)に数学を教えている時に、彩加が「やかましい」と叱る声が聞こえてきて俺は思わず田中と握手。「言いやがったな! あの野郎、よくやった」 田中も「すごいな、僕は去年よう叱らんかった」「そりゃオマエが臆病なだけだろ」「いやいやいや、僕は勉強に集中していたから」

焼酎が運ばれてくる。如才なく焼酎の水割りをつくってくれる圭亮。「就職おめでとう、乾杯!」「ありがとうございます」

授業を終えた古西が姿を見せたのは深夜11時30分過ぎ。注文を聞きにきた姉ちゃんに、ためらうことなく「ウーロン茶」 圭亮がつっこむ、「ウーロンハイやろ」「いやいや、ウーロン茶で」「オマエさ、電通がどんなところか知ってる? きゃつら、めちゃくちゃ飲むぞ。接待されるようになるのは40過ぎてからや。それまでは接待する側や。クライアントと毎日のように飲むんが当たり前や。俺はな、オマエには受かってほしいけどな、でも入社してからのオマエが心配なんや。続けていくことができへんで」 圭亮、最初っから飛ばすやん!

まだまだ古西には甘えがある。相手が塾の先輩の圭亮ということもあるんだろうが、圭亮の繰り出す毒に気づきながらも真摯な対応ができないでいる。納得するにしても反論するにしても、ある種の気安さが見てとれる。真剣勝負には程遠い。
来週には克典がお膳立てしてくれた電通関係者に話を聞くために上京する。まったくの赤の他人との話し合い、そこには甘えを入れることは許されない。

塾に戻ると征希と森下が将棋の最中。旅行帰りの甚ちゃんもスタンバイ。さっそくマージャンの準備が始まる。圭亮は「ゲームではやってるけどな」と言いつつ、慣れない手で山を積んでいく。
酔っ払ったふりをしてわざと取る牌を間違えてみたり、山を崩したりと、我ながらセコイことを考えている。あげくポンやらチーやらしながら小声で「あ、まちがえた」なんて言ってみる。こんな時は鈴木のセンセとシノギを削ったことが功を奏している。切り間違いもなく和了を重ねるうちに、酔いがまわってくる。他人の牌が見えない、ツモ切りか手出しか、先ほど一瞬気配が漂ったのはどの牌だったか・・・だますつもりがだまされ始めている。しかし前半の貯金が効いてトップ・・・あえなくスラム街のベッドに轟沈する。

10月9日

起きると中学生がポツリポツリと勉強している。「おはよう」と挨拶、二日酔がひどい。もどしそうになるのを堪えて中2に一次関数を教え始める。

今日は大西君が来る予定。しかし奈良のほうの台風の影響が心配でネットで検索。近鉄も無事動いている。大西君が来たら二人で圭亮の家にワインでも買って就職祝いに駆けつけようか。

午後7時になっても大西君の姿なし、連絡もなし。亜矢歌(松阪高校3年)から大西君の携帯に連絡を入れさせる。「どやった?」「一度目は出てすぐ切れました、二度目は電源が入ってないとか」「やっかいやな」「たぶん、近くまで来てるから出る必要がないと思ったんじゃない?」と隼人(三重6年制6年)。「そりゃ甘い、俺は大西君と4年付き合っている。そんなタイプじゃない」「ええっ」 不安そうな佐藤、立命館大学の推薦希望書持参で突っ立っている。

大西君不在のままで大森の古典の授業が始まる。
大森との相談のなかで古典の授業のシフトが決定。今までの木曜日の古典をなくし、隼人と愛を大西君に任せる。小林とゆかりを月曜日のセンター古典へ。そして空いたひとコマを高1へとシフト、曜日はまだ未定。
この4月から大阪府警に就職した大森の兄貴、やっと警察学校を卒業したとのこと。勤務地は東成、まあ西でなくて良かったかな。

深夜0時、中3では沙耶と愛佳と上島が残っている。徐々に、徐々に・・・かな。

舞が言うには、「お父さんが広告代理店を係わり合いを持ってたのは5年以上も前のことやから最近のことは分からないけどって」「全然かまわない、だって俺は三重県の広告事情からっきしなんだ」「わかった、そう言ってみる」「ところで」「なに」「佐藤君だが、どうなった」「・・・まだ意識が戻らないって」「そうか」

午前3時、松原と慎太郎を送って家に戻る。塾には森下と甚ちゃん、舞に里恵がいてたいそう賑やかなこと、しかし自分のテンションが4人に追いつかない。こんな時は一人になるに限るだろう。

10月9日

東中のサッカー部は今日3連戦。一日に3試合とはハードだ。先週亡くなったクラブの顧問の先生が今日の試合を組んだという。ウチの生徒も何人か出場するはず。頑張ってほしい。

圭亮が明日東京へ帰るとかで挨拶に。
「しかし古西に会ったのは久しぶりだったんですが、昔に比べたら変わりましたね」「まあな、征希や前田にくっついているように見えても、そこそこ先輩からの洗礼は受けているよ。しかし、変わったにしても他者の鑑賞に耐えるだけの変貌をしているかどうか。やはり初対面が弱い」「それは確かに・・・、ところで先生、電通のパンフ送っときましょうか」「ありがたい」「それと関連資料と」「それもありがたい」「でもね、今のれいめい塾は進学塾という感じじゃないですね」「就職セミナーってか」「ははは、まさしく」「これだったら大学生から会費取ろうかな」

深夜になり大西君から電話。「先生、昨日はすいませんでした」「何かあったんか」「ケンカしちゃいましてね」 聞けば近くのレンタルビデオ屋で若いアンチャンにいんねんふっかけられてドツきあいになったらしい。大西君はアバラ骨を2本、相手は鼻の骨をそれぞれいかれたとか。「もう若くないんやからムチャしたらアカンで」「そんなこと先生に言われたないわ」

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