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Gazing At " Promised Land "

2004年度9月第4週



9月20日

午後6時、1泊2日の福井ツアーから戻る。帰りに南条のサービスエリアで食ったおろし蕎麦はおいしかった。うどんはともかく、三重にはうまい蕎麦屋がないのが辛い。

今回の旅行では森下(立命館大学院1年)のテンションが異常に高かった。俺と同年代の性格の悪いオッサン連中相手に見事に当世若者気質を演じてくれた。さらにはマージャンで国士無双の見逃し!という、ウチの塾の歴史に刻まれる一瞬も主役で登場。飲んでよし、打ってよしのオールラウンドプレイヤーに化けやがったか!森下。今回の旅行は森下の『まだ見ぬ北の大地』を巡る旅だったのかもしれない・・・。

塾に戻ると例年のような活気はない。中3で勉強しているのは彩加と加央理の二人だけ。隣の高2の教室をのぞいても愛(津高)の一人旅。この3人には本当に申し訳ないが、俺の心の中に沸き立つものがない。なんとかしなければ・・・この俺をなんとかしなければ。

大森(皇學館大学1年)もまた俺同様に苛立っているはず。高校2年に対して大森が黒板に書いた檄文。『やる気がない生徒は授業を受けなくていい』 国語が悪い!古典が苦手!と嘆くわりには授業に出席はしない。ただグチるだけの口だけの弱虫が高2にゾロゾロ。大森の高1へのシフトを考えたほうがよさそうだ。
文化祭でお疲れになった高2の坊ちゃん嬢ちゃん、今日は自宅で英気を養っているのか・・・大森の授業への出席者が愛だけのため、急遽中3の古典の授業を組み入れる。お題は沖縄県の入試問題から・・・。

公務員試験の勉強をしている古西(名古屋大学3年)に訊ねる、「広告代理店に出す手紙は書けたんか」「うん。大西さんにも見てもらって昨日郵便局に出してきたよ」「となると水曜日あたりに会社に着くんやな」「ああ、それで金曜日あたりに返事来ないかな」「ハハハ、そんなうまいこといくかいな」「そうかな」「そうだって、今まで何もしなかった奴が何がしかの一歩を踏みしめ、それで効果を期待する? リーチをかけたらいつだってツモれるなんてことはないさ」

俺の留守の間に松原(関西学院大学3年)が来たそうな。高そうなチョコレートがパソコン横に置いてあり、パソコンのスクリーンにはメッセージが。『今さっき下の美容院へ行って、先輩に髪を切って頂きました。先生にイメチェンした姿を見て頂きたかったんですけど(笑)』なんぞと書いてある。それどころじゃねえよ! 松原に電通ネタを確認するため携帯の番号を鳴らす。呼び出し音をBGMに中3に相似の問題を教える。出ねえよ、あの野郎!

9月21日

津高の文化祭の振替休日とかで、今日は午前9時から佑輔(早稲田大学2年)の授業。今日で佑輔の古い塾で過ごす1週間があ終了。果たして成果は・・・。マージャンの誘いを「明日早く東京へ帰る」とバッサリ切捨てる。すげないやっちゃ、そんなに付き合い悪かったら就職できへんぞ! 高校3年の一人一人を吟味、横田に後を託すことになる。この1週間の自己成果では、化学の有機分野をかなり進めたとのこと。「後は各自次第ですね」「今年の高3の体質どない思う」「う〜ん、今までの連中、例えば僕や卓や橋本、それに去年の菊山や直嗣と比べると平和ですね」 深夜2時、うらめしそうな俺の顔を鉄面皮で無視して、佑輔は横田(三重大医学部6年)の車に便乗して帰っていく。次の佑輔の授業は冬休みとなる。

9月22日

やっと松原と連絡が取れる。「突然、電通なんぞという就職ネタが出てきたんだって?」「ええ、でもまだまだ絞りきれなくて『電通もいいなあ』っていう感じなんですよ」「アマエな、そんな気楽に勝負できるとこやと思てるんか」「まあ難しいというのは・・・でも、今年ウチの大学から電通に受かった先輩がいて、就職セミナーでお話をうかがったんです」「へえ、関西学院から電通に受かったんや。で、どんなタイプやった?」「てっきりマスコミ系のクラブの出身者だと思ってたら違うんですよ。テニスサークルで成績もあまりよくなかったっておっしゃっていました。それもあって自分も受けようかなって思ったんです」「そ奴の特徴は?」「とにかく話がうまいんです。魅力あるスピーチというのかな、こんなに話がうまいのなら受かるのも分かるって感じました」「まあな、スマートな話し方が武器なのか、家柄がスポンサー系なのか・・・」「コネですか」「ああ、広告代理店はコネ入社の比率が高いからな。で、どうするねん。受けるんか」「ええ、もう少し考えてみようかなって」「アホやな、そんな時間ないで。11月からエントリーの開始や。あとひと月少々や。それでオマエさんの武器はなんや。業界知識もほとんどないやろ」「ええ」「古西が公務員試験天秤にして広告代理店で勝負するそうや。それもあって古西はここ最近、どっぷりと受験生や。広告業界の情報収集に精を出してるよ。憧れだけで勝負するなよ、就職活動はまだまだやけど、今の時期が正念場や。受験と同じや。大学受験でもどの程度の日数を注ぎ込んだ? 毎日毎日塾に来ては少しずつ少しずつ知識を確かなものにしていったやろ。あのリズムや、日々を刻む・・・アンタだけやないけど、憧れや願望や夢想で日々を食いつぶすな。今はともかくジタバタする時期や、考える前に跳べ」「わかりました。明日にでも本屋さんに行って本を買ってきます」

松原の話のなかで考えたこと。電通に受かった先輩の話し方がとても魅力的だということ。いわゆる社交性という資質か・・・やはり電通は広告マンではなく営業マンを要求しているのか? これは大西君のダチの話にも符牒が合う。いっぽうで古西、昔に比べりゃ良くはなった。俺のダチ連中も古西のことをことのほか愛している(まあ、マージャンが弱いこともあるかもしれない。先週土曜日は正真正銘ヘタレだった)。しかしそれは初対面で即!気に入られたのではなく、お互いの関係が進展していくなかで、マージャンをしていくなかで培われたもの。毎回が一発勝負となる面接で古西が古西らしさを見せることができるのか?となると首をかしげざるをえない。まだまだ古西に課題は多い。もし、古西が一日千秋で待ち焦がれている広告代理店からの返答があり、上京することになった暁には一挙に正念場を迎えることになる。

なお、このHPを見ている松原へ。電通の『就職活動日記』を見ておくこと。

9月23日

昼前に起き、下に降りていくと1階の美容室の窓越しに征希の背中、その向こうにマッツン。どうやらお客さんがいないよう。自動ドアが開く。「先生、おはよう」とマッツン。「マッツン、松原ていう女の子が髪の毛を切りに来たんやって」「来た来た・・・かわいい子やったな。今の塾の生徒ってかわいい子が多いな」「問題発言やな、7期生の連中怒るで」「松原さん言ってたよ、『先生に一度泣かされました』って。なにがありましたん?」「・・・ああ、深夜送ってく時にさ、新しい塾でテンパってて松原から電話があったから送りにいったのに古い塾からなかなか出て来んねん。でさ、車を古い塾にぶつけたんや」「はあ?」「だからさ、俺のエスティマ、後ろがボコボコに、森下の親父ですら修理不可能なほどにへこんでるやん、あれや」「めちゃくちゃやな」「それで頭に来て165号を時速40kmや。同乗してたあの頃中3だった良太(津高3年)が叫んだよ、『うわぁ、ジェットコースターみたいや!』ってさ。助手席では松原が泣いてる、大変やったわ」「どっちが大変なんや!」と征希のツッコミ。

俺の親戚から連絡が入る。俺の親戚にしてはハイソサエティの住民。その親戚、ただならぬことを俺に伝える。
「電通の試験終わったよ」

この試験は一般入社ではなくコネ入社というやつだ。電通だけでなく高校代理店の採用に関してはコネが多いということは知っていた。しかし8月にコネ採用が始まっている! これは来春の入社ではない。来々春の入社だ。つまりは大学3年生を対象に、スポンサー筋などのエスタブリッシュ対象の就職試験である。それでもさすが電通、コネであろうと競争率は激しかったようだ。筆記試験が何度か続き、面接に入る。コネ採用であろうとかなりの志望者があり、先週採用試験は終了したという。つまり電通採用枠の内訳は分からないものの、かなりのパイはなくなったわけだ。日経の『就職活動日記』などでは半分以上がコネだと断じているコメントがある。古西などの一般志望者にとっては額面の100人枠、目に見えないところで扉が閉じられている!
俺の従兄弟の息子は慶應で英語も達者だったのに、残念なことに落ちたという。コネといっても馬鹿にはできない。そこは天下の電通、きらびやかな大学名が居並ぶ超激戦区。しかし、一般で受ける大学生の預かり知らぬところで勝負は始まっている・・・季節はずれの怪談、恐いな。

今月から横田に代わって数学を教えてくれることになった徳武が始めてのバイト料請求にやって来る。
徳武は長野高校出身で一浪して三重大学医学部に合格。現在は3年生、横田の後を継ぎ今年から野球部のキャプテンを務める。性格は横田が太鼓判を押すだけあってナイスガイ、あとはウチの生徒達が一日も早く慣れてくれることを祈る。今年の高3もさることながら、来年の主役たる現在の高2の数学の趨勢を決める講師となるはず。頑張ってほしい。

9月24日

征希が岡山でセミナーがあるとかで明日の午前4時出発とか。眠気覚ましに今夜もいつもの面々でマージャンが始まる。そんなところへひょっこりと仁志(立命館大学3年)が姿を見せる。今夜の俺のマージャン、さっぱりで瀕死の状態。数少ない抵抗もことごとく豪腕・古西にねじふせられる。福井でダチ連中と散々古西の悪口を言ったのが聞こえたかな? ついには敵前逃亡、なりふりかまわず抜け、仁志と話すことに。
仁志も大学3年、いずこの大地かは分からねど、今年の秋から就職戦線に突入する。先日は旅行業務の試験を受けたとかで近畿日本ツーリストあたりか? 仁志なりに準備を進めているんだろう。それでも俺は委細かまわず壊れたラジオのようにしゃべるまくる、就職試験はある意味で大学受験鳥大変なのだと。とりあえずは前菜、弘(名古屋工業大学4年)のネタから始めようか・・・。

弘は古西と同学年。しかし古西が上智大学入学後に浪人を始めたため、学年では弘のほうが1つ上。盆と正月には帰ってくるが、塾に顔を出しても話少々で切り上げ古西や友美と遊びに行っちまう。俺が就職の話をしても「名工大の就職は案外良くって、名大よりも就職は有利だそうですよ」とのコメントに終始した。確かに名工大の就職はいい、しかし就職に強い教授の研究室に入れるかどうかは別。まあ楽しい大学生活を謳歌している奴に就職の話なんぞ大きなお世話かもしれぬ。しかし俺は弘の顔を見るといつだって就職ネタで攻め立てた。その弘、就職試験を受けたものの見事に全滅。この夏休みに戻ったときには「就職を甘く考えていました」との殊勝なコメント。これでフリーターか!との俺の恐れは、センター試験で垣間見せた弘のツキで杞憂に終わる。なんと土壇場で院試に合格したとか。これで来春から大学院に進学することに決定。「でも次回の就職活動は今回の経験を生かして十分に準備をして臨みます。その意味で今回の経験、本当に辛い毎日でしたが良い経験をしたと思ってます」 そう言う弘の表情は俺が今まで見たことがないような苦渋に満ちたもの・・・この表情こそが就職。

弘の話から古西の広告代理店攻略の戦略について、さらには帰省するか東京で就職するかで悩む村瀬ネタ。
「村瀬の場合もオマエの場合も同じやけどな。弘の盆暮れの織姫・彦星の年2回シリーズほどではないにしろ、アンタらはこっちへ戻ったら1週間くらいは塾にベースキャンプを置いては、塾のあちこちでなんやかやとやっとる。俺の就職にまつわる耳の痛い話にも我慢して聞いてくれる。先輩連中の生臭い話を聞けばいろんなことを考えてもいるやろ? でもな、これが下宿に戻るといつもの生活が始まる。紀平が言ってたけど、塾で就職の話をさんざ聞かされても大学に戻ったら身近で就職活動やっとる奴は皆無や。それが恐いねん、村瀬も今は横浜の空の下や。かつてはテレビ業界に入りたいってダダこねて俺は斎藤の遠縁にあたるCBCテレビのディレクターにご足労を願ったんや」「覚えていますよ」「あの時に十分に刺激を受けたと思うけど、横浜市立大学に進学してから2年半や。この間に村瀬はどんな生活をしてたんやろ。テニスサークルに入ったことはアカンて言わん。しかしテレビ局以外にも音楽業界に興味があるとの発言は大学1年の夏や。それではと音楽業界に人脈を持つ克典に連絡を取った」「そのあたりの流れは先生の日記で見てます」「そやけどな、会ったには会ったが一度きりや。今度都合がいい時にということで別れてそれっきり。克典は待っていたようだが、村瀬のほうから連絡はなかったと前に松阪のライブで会った時に言ってたな」「・・・」「これはもったいないよ。まあ、村瀬が音楽業界に興味を失ったら別やけどな。日々の生活の楽しさに埋没していたんなら痛恨の一打やな」「何それ?」「馬鹿! マージャン用語や。つまりさ、オマエにしても村瀬にしても塾に来てくれるのはうれしいよ。そして塾の内外問わずに年寄りの言うことも聞いてくれる。例えば俺のダチ連中、50前の奴らが気に入るようなら一次面接がパスってね。人事担当者なんて俺達の世代が一番力を持ってるやん。俺達が気に入れば十分就職面接に耐えられるだけの資質はあるねん。あとは業界知識なり時事の知識、ディベイト能力など、知識を積み重ねていけばいい。だからさ、オッサン連中とどう付き合うか、どう楽しませるかを考えてみたら? 確かに会っているだけでも、それなりには就職についていろいろ考えをめぐらしてはいるやろ。でもな、一番恐いのは、大学に戻ってからなんや。日常に押し流されるのが恐い。横浜の空の下で今、この一瞬に村瀬はジタバタしてるかねえ・・・」

古西と村瀬の話がメインディッシュ。そして最後のデザートには松原お嬢様の甘い甘い就職への陶酔でフィニッシュ。
「自分の大学に対する過大な評価、就職に対する甘い認識・・・弘の敗因はこれやな。理系ですらこれや。オマエは文系、弘は面接官の前であるテーマについて授業をさせられたけど、文系のオマエにはそんな場面はないやろ。ひたすらにキャラ、ひたすらにディベイト、ひたすらに自己表現や。すぐにでも準備しろ。で、オマエさんはどっち方面を目指すねん?」 躊躇しつつも仁志が応じる、「実は先生、僕さ、ラジオ局に入りたいんやけど・・・」

ラジオ局・・・俺にとって未知なる荒野の出現である。

急告! 
ラジオ局に関して精通してる方、もしくは勤務されている方、いたいげな子羊を助けると思って連絡されたし。飲み代は当方にて負担。酒を一滴も飲めない古西が送迎いたします。

いつのまにかマージャンが終わり、俺はベッド脇のパソコンでラジオ局の情報を集め始める。仁志の今回の帰省はリクルートスーツを買うのが目的、親は親なりにできることをしているわけだ。
今度は俺に代わって森下が仁志と話し込んでいる。森下の師事していた教授がコミュニィティ・FMに番組を持っているとかで、その線から動いてみようかなんぞと言っている。

森下は1年前に就職活動を経験した。半年間にも及ぶ凍てつくような経験、俺もまた観客席に身を置きながらも、週末になると京都から戻る森下の口から断片的に聞いていた。期待と慙愧と人間不信、そんな循環のなかの半年間だった。今、森下が後輩の仁志にポツリポツリと語り続けている。居心地のいい空間のなかで俺はいつしか眠りこけた。

ベッド脇に仁志からのメッセージ・・・。
『先生、帰ります。今日の就活(就職活動)の話、大変参考になりました。
積極的に動いてみます。
また、帰ってきます。では。AM 6:00 』

9月25日

久しぶりの大西君からモーニングコール。「先生、大叔父から連絡がありましてね。出身大学について聞きそびれていたんで聞いてみたんですが、広告業界の大手は、やはり東大と京大、それに一橋、これが三強だそうです。あとは横並び、当然ボトムラインはあって、異業種の一流企業と同じで、関関同立から明治・立教・青山・早慶上智の私立に歴史のある国公立大学あたりですね。だから古西が名古屋大学といえども、その他大勢で受けることになります」「予想はしてたけど、名古屋大学のメリットは一切ないな」「ないどころか、首都圏の私立に比べて劣勢ともいえるかも・・・」

津西の学園祭もあってか、塾の中は閑散としている。
そんななか、古西が甚ちゃんから手渡された本に取り組んでいる。
『マーク? ブランドの向こうに見えるもの』山田敦郎著(読売新聞社)
『ブランド本』(博報堂)
この2冊は甚ちゃんが三重大学在学中にゼミで使っていた本。かなり読み込み、ブック・オフに持っていったとしても買い取ってくれないだろう。甚ちゃんが挟んでおいたシオリに加え、古西の手により新しくウチの塾の計算用紙が挟みこまれていく。

ネットで全国のラジオ局めぐりをし、日経就職ナビの『みんなの就職日記』で就職希望者の胸の内を覗いていく。
やはり採用が極端に少ない。地方のFM局だと1名か2名、採用がない年も当たり前のようにある。しかしアナウンサー志望の女子大生や製作を希望する男子が目立つ。ともに就職できるのならば日本のどこへだって行きまっせ!という熱血漢だらけ。
仁志の武器は下宿にテレビがなく(今まで知らんかったよ!)、お気に入りのCDを聴くのに飽きるとラジオを聴いていたこと。それと大学でマーケティングを専攻したことくらいか。テレビやブロードバンドなどに押される一方のラジオ局が、生き残りを賭けてこれからどのような展開を見せるのか? このあたりを地元や地場磁場産業とのタイアップを図ることで地方FM局にできることは何なのか・・・仁志の勝機はこのあたりにあるんじゃないだろうか。

亜矢歌(松阪高校3年)に電話。「すまんけど親父さんの知り合いでFM三重に勤めている人おらんかどうか聞いてくれ」「いるかな?」「おるさ! なにしろオマエの親父は三重県ロック界の至宝、歩く化石や。絶対におるわい」

森下は『蒼天航路』、甚ちゃんは公務員試験の勉強、俺は北方謙三の『三国志』に没頭、そんな俺たちを見やり古西。「今日はマージャンという気分でもないから家に帰ります」といって退散。何もない土曜日が暮れていく。

北方謙三『三国志』は叔母の思い出とだぶる。癌で入院した叔母を見舞いに深夜3時頃に塾を出発、一路23号を北上する。名大病院の近くの『ガスト』に陣取り、午前9時の面会時間まで『三国志』を貪るように読んだ。『三国志演技』や吉川英治『三国志』に比べ、北方謙三の『三国志』は、人間としては呂布と周輸の描き方が秀逸、しかしそれ以上に馬に対する作者の一貫した視線が熱を帯びる。
益州を目ざす途中、己が築き上げた揚州水軍の船の中で周輸が息を引き取るシーンには人目も憚らず涙を流した。いつかはコウちゃんがやりたい仕事が見つかるわ・・・いつだってそう言って優しく笑った叔母の死期が迫っていた。

『蒼天航路』は現在32巻まで出ている。曹操を主人公に据え幾多の武将にスポットをあてながら進む。森下は楽進が好きらしい。俺は張遼。合肥で10倍以上もの孫権軍相手に1年以上戦い続ける張遼が他の三国志では詳しく触れられていないのが不満だった。張遼や楽進など、作者の想像力が跳梁することで無名の人物に息吹が吹き込まれた作品、漫画の範疇を陵駕している。『蒼天航路』を2度読み返し、ふと北方謙三の『三国志』を手にとった。なぜだか分からない。

9月26日

親父が潰瘍で急遽入院することになり、奥さんや子供を連れて病院に出向く。腱鞘炎で出された鎮痛剤が昔悪くした潰瘍を併発したらしい。幸い手術することなく2週間程度の入院で治るとの説明。
病院の帰りにミスター・ジョンに寄ってコピー用紙を買い込んでいたところに携帯が鳴る。表示にはお久しぶり!今井(立教大学4年)だ。

「先生! HP見ましたよ」「古西の就職ネタか」「ええ。それで何か居ても立ってもいられなくなって」「やっぱ、あんな内容見たら胸が躍るものがあるやろ」「ええ、やっぱり経験してきましたからね。さっそくですが、僕の知り合いで今年電通に内定もらったけど蹴った奴がいるんですよ」「それ買いや、なんとか情報仕入れてくれよ」「そのつもりで電話しました。実は先生にかける前に古西君に電話したんですけど、出なくって」「アホウやな、あいつ」「それともう一人、友人の友人で去年、博報堂に受かった人がいるんです」「それも買いや、とにかく連絡を取って会えるかどうか確認頼むよ。アポが取れたら古西を上京させる」「わかりました!」

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