2000年 夏期講習・中期 7月29日、ウチの塾のホームページのBBSにノッチンからデンちゃん(近畿予備校の数学と日本史講師、ウチの塾で日本史を教えている)と塾生に対しての公開質問状が載った。「なぜ円錐の体積は円柱の体積を3で割るのか?」 ノッチンは大阪工業大学教授。7月11日からウチの塾での授業がスタート。これから2,3か月に一度の割合で授業をしてもらう予定。テーマは「体感する物理」かな? そんなノッチンからの公開質問状。当然受けねばならない。6月と7月はファイティング志摩(鵜方の塾の先生)からウチの高校生へ公開質問状「少年犯罪をどう思うか」「なぜ若者は政治に関心を持たないのか」などで、塾の内外は激震に見舞われた。文系の高校生、古西(津高3年)・今井(鈴鹿6年制6年)・アキちゃん(久居高2年)がつたないながらも論陣を張った。そこへ前田(早稲田大学院1年)や克典(東京学芸大3年)が参戦、あげく中2の小林由依まで登場する乱打線。しかしこのノッチンからの公開質問状、内容からして今回は理系の出陣となる。俺はさっそく理系志望の高校生たちに考えてみるように指示を出した。 7月30日、新しい塾の大家さんからの紹介、関西学院大学1年のお嬢ちゃんが姿を見せる。セントから推薦で関西学院に合格したプロフィールから英語が得意だと分かる。英語の上達の秘訣は?と聞くと「私はリーディングです。読んで読んで読みまくりました」とのこと。ウチの塾のスピーチ大会の話をすると興味をそそられたよう。今度の水曜日のスピーチ大会の練習にと塾に来ていた由子を呼び、さっそく発音を教えてもらうことにした。初めは恥ずかしそうだった由子だが、2人っきりでコンピュータの部屋にこもってのレッスンが始まる。後で「どやった?」と聞くと満足そうに微笑んだ。お嬢ちゃんの名前は今西さんといって、嬉野の酒屋さんの娘さんだ。大学では留学生たちと文化交流をするサークルに所属しているとのこと。じゃあ英作文は?とネタを振ると「得意です」ということで古西を想定。午前中の授業を要請、引き受けてもらった。昼までを高校3年の英文読解、昼からはやはり高3主体の英作文。それが終われば中学生の面倒を見てもらうことにした。 31日、朝。その今西のお嬢ちゃんに起こされる。時刻は午前10時、教室内では小学生たちが10人ほど勉強していた。授業開始は午前10時、しかし高校生たちの姿はない。その高校生たち、眠そうな顔で30分遅刻で登場。セントから男女共学の大学に入学したとはいえ、まだまだ4か月程度、ウチの下品な男共を教えるのが初仕事とはお嬢ちゃんもついていない。お嬢ちゃん、打ちのめされた佇まいで授業終了の報告に来る。「感想はどうでっか?」 「英作文はよかったんですけど・・・、受験の英文読解を私、一度も勉強したことがないんで」 「やっぱ違うかな」 「細かい表現を気にせずに全体として訳してきたんで、単語を一つの訳語として日本語にできないんです」 「じゃあ工夫してみたら、一つの意味にはまらないんであればその単語のイメージをいくつか英文にして解説してみるとか」 やはり冴えない顔のお嬢ちゃん、俺がかつて塾でバイトした時も同じ、教え方が悪いと総スカンを食ったっけ。結局は本人が解決するしかないんだ。 今日から本格的な夏季講習に入った。しかしクラブの練習など、昼来る生徒、夜来る生徒とてんでバラバラ。こんな状況、中1から中3までごった煮の教室で夏季講習できるのウチの塾くらいだろうなと一人ごちる。 8月1日。この日から、古い塾の住人、高3と高2のアキちゃんと中井を相手に午前10時から授業を開始。といっても講義ではなく英単語・熟語の試験。昨日の今西さんの授業に遅刻した高校生たち、あれは危険な兆候だ。古い塾で勉強すると日々の生活が夜型になる。朝方まで勉強しても昼まで寝ていれば何をやってるのか分からない。実体のない自己満足だけの勉強。だからとりあえず起こす、それだけが目的。アキラの英単語・熟語に対する綻びがひどい。古い塾で生活するのは3週間、その期間内に読解まで手を広げるには無理がある。ここは徹底して基礎のフットワークで押し切る一手だろう。 中3に初めて模擬試験をさせてみた。ウチの中3の実力は先刻承知。気になったのは夏期講習に参加しているお嬢ちゃんたち、恵理・静香・亜沙美の実力。3人とも津&津西を志望している。恵理は数学と理科がいい、総合で偏差値54あたり。津はまだまだ遠い。亜沙美は偏差値47、静香も44。さらに遠い。果たしてこの夏、志望校の後ろ姿が見えるほどに近づけるのか。 中2は英語の比較に入った。7月中に中1とともに英語のM(修飾語句)を徹底してやってきた。合間に前置詞の一斉試験が入り、やっと今になって中2の履修範囲の予習に入った。お盆までに中2の範囲を終了させる予定。比較は2日間ほど叩いて仕上げて中3と勝負させるつもり。そして中1は遂に一般動詞3人称単数に入り込んだ。やはり宿題が終わらない。7月中にはあらかた終えるようにと言っておいたが遅々として進まない。塾でできるという気安さがかえって緩慢な進み具合になって現れている。しびれを切らしての3人称単数突入。 この夜、県大会の練習でここ2,3日休んでいた紘(中3)が姿を見せた。「どやった。オマエも東海大会か?」 「いや・・・負けた」 「・・・そうか」 「でも・・・」 「なんや?」 「中勢選抜に選ばれた・・・」 「それは何や?」 「中勢選抜、北勢選抜・南勢選抜が選ばれて、そこから三重選抜が選ばれるんや」 かつて公則や戸塚の試合を大阪まで見に行った思い出がよぎった。「するとオマエは12月の大阪を狙ってるんかい」 「うん・・・できるところまでやってみたい」 紘の志望校は津高。かつてウチからバレーの三重選抜に選ばれた者は例外なく成績が落ちていった。土日が遠征でつぶれる。平日も自分の中学で練習か、近所の高校へ練習に行く。高校側も全面的にバックアップしてくれる。日々練習のなか12月、大阪で開催される大会を目指す。紘はバレーをするにはタッパが足りない。170cmないだろう。多分あかんやろなと思うものの、もし選抜に選ばれたらどうなるか? 「紘、その選抜の選考の試合はいつあるねん」 「19日やったかな」 正直、選考から洩れてくれることを願った。 かたやテニス部の直嗣は県大会を勝ち抜き東海大会への出場を決めた。これはこれでやっかいになった。東海大会は8日と9日に開催される。 古西と今井が冴えない顔で姿を見せる。「実は今西さんの英語なんやけど、あれって絶対に受けやなアカンかな?」 「なんや、その不服そうな顔。授業に不満でもあるんかいな」 「まあね、あれやったら俺でもできるわ」 「どういうこっちゃ」 「確かに英文の発音はきれいなんやけど、訳しておしまいや。それやったらわざわざ授業を受ける必要ないわ」と古西。 高3の不満を今西さんも薄々気づいていたに違いない。1回目の英文解釈の授業が終わった後で俺に言っていた。「私は今まで英文を文として訳していました。今日、単語の意味を質問されて戸惑ってしまいました。一つ一つの単語の意味なんて考えて訳しませんから」 ナチュラルなのだろう。英語に堪能な学生にこのタイプは多い。文型や構文、はてはイディオムなどを意識して俺達は読み進める。それに対しナチュラルな達人は変なテクを意識することなく、イメージとして文ごと把握する。このメソッド、高2や高1ならゆっくり構えて会得してほしいところだが、高3にすりゃ入試まで後半年。俺は古西に言った。「中西さんも授業のデキに関しては満足いってないようだ。とりあえず彼女の次回に期待しよう」 怪訝な顔の古西。「どういう意味ですか?」と今井。「次回もう一度受けてみて変化や工夫が見られなかったら仕方がない。オマエさんたちの好きにしなよ」 「わかりました」 「で、英作文はどうや?」 これは2人顔を見合わせ即座に言う。「英作文はすごい! 一瞬にしてミスを訂正していってくれる。高校の先生より遙かにすごい」 「じゃあ、英作文は受けるんやな」 「喜んで」 夜になり今井・アキちゃん・中井・波多野がゾロゾロと現れ、近現代史の授業を、というリクエスト。「どこからするねん?」と聞くと「大正時代あたりがいいんじゃないかと」 「なんで? 明治時代」やったら中3の三進連と同じ範囲やから勝負できるのに」 これには動揺が今井や中井の表情に走る。多分、中3といっしょの範囲だとテストも合同ということで警戒してるんだろう。戸惑いを隠しながら「まあ、明治は以前に先生に教えてもらってますし、アキラ君も今の学校の進路だとセンター直前にやっとこさ終わるスピード。今のうちに一度は大正から昭和をまわしておいたほうがいいんじゃないかと・・・」と今井。「なるほどね、うまいこと言うな。じゃあ大正でいこか」 「で、いつ?」 「明日にでも中3といっしょにやろや」 「え・・・」 「だって、アキラにしても中学時代からのブランクがある。きついやろ。とりあえずは中学レベルで基礎固めや」 「はあ・・・」 「で、さっそくあさってにでも中3と大正時代の試験しよや」 「やっぱり・・・そうなりますか」 1日は津の花火大会だった。昼にそのことを知った俺は「津の連中は今夜は休みにしよや」と提案。津の連中と言ったはずが見事に全員の高1が塾を休んだ。高2については休みにする気はない。午後10時、大正時代の授業を受けるためアキちゃんと中井が今井・波多野、そしてアキラとともに新しい塾へ姿を見せた。 サッカー部の面々が姿を見せる。高橋君(三重大学医学部4年)に黒田君(三重大学医学部3年)、丹後半島を周遊してご帰還である。ちょうど中1&小6の英文スピーチ大会の真っ最中でさっそく審査員を頼む。この日の大会は由子のブッチギリ。何度も何度もCDを聞いたんだろう、前回よりも滑らかになっていた。それに関西学院大のお嬢ちゃん、今西の生徒第1号でもある。由子は毎日のように塾に来て、コンピュータの部屋で今西に横に付いてもらって発音していた。この日の審査員のほとんど全てが由子に一票を投じた。由子のこの一週間の努力が実ったわけだ。そして前回は紙に書いた英文を読み上げただけだった美沙子も今回は良かった。最後のほうでつまりはしたものの家のほうで練習してきたなと思わせるデキだった。 由子にしても美沙子にしても中学の試験の成績は今一歩。今年の中1は私立中学の生徒がほぼ半数、残る公立中学の生徒もまた大半が各中学で1ケタに入っている。そんななか、由子と美沙子はどことなしか元気がなかった。スピーチ大会が何かのキッカケにならないか? 主要5教科の教科書の勉強でなく、何か勉強周辺のテーマで得意なものを作ってやりたい。これがスピーチ大会を始めた理由だ。極論すればターゲットは由子と美沙子の2人。高校生や大学生から誉められることで英語に対する興味を教科書以外の角度から持たせることができないか? 今、由子の表情はスピーチに対する自信で輝いていた。 深夜、宮口から電話。「実はウチの家から電話がありましてね」 「オマエ、なんかしたんか」 「何もしてませんよ。桐原2章の試験のことですよ」 「なんやて?」 「ウチの母親、毎日塾のホームページ見てますからね。僕が桐原やるの知ったんでしょう。で、オマエなんてことするの・・・失礼なこと言ってました」 「そりゃしゃあないわ。俺かて思うで」 「ウワ!先生まで・・・なんとかミス20くらいにはと思ってるんですけどね」 「えらい自信やな」 「高校生の仕上がりは?」 「まだまだやな、高1なんて宿題と遊んでるわ」 「じゃあ僕の楽勝ですね」 「そりゃ分からんさ、ラスト4日くれりゃ勝負できるよ」 「じゃあ、僕もミス1ケタにしときますから」 2日、昭和時代の高校生・中3一斉試験。菊山・亜沙美ちゃんがミス0、かたや高校生は今井がミス2、波多野が4、アキラが6、アキちゃんがミス0、中井が2といったところ。 3日、ウチで古典を教える大森・兄(皇学館大1年)がそわそわしている。「どないしたんや」 「いや・・・実は海津先輩が1階で授業やってるんですが、『大森、オマエも受けろ』って」 「ハハハそりゃ大変だな。大学生になっても講師になっても、先輩はいつまでたっても先輩だからな、逆らえんよな」 「はい、だから僕もアキちゃんや中井といっしょに授業を受けることに・・・」 「海津の古典に対する造詣は受験レベルを逸脱している。いわば古典のオペラ座の怪人やな。あ奴からまだまだ吸収することは多いやろ。まあ、頑張ってや」 海津が先日、俺に言った。「先生、早稲田は来年から7月一杯まで授業で夏休みは8月からになりました。だから来年は今年ほどには教えられない。来年はアキちゃんが高3になります。だから僕に代わって大森が教えることになります。今の大森ではアキちゃんを教えるにはまだまだ・・・。だから今年のうちに僕の授業に大森を極力出席させるようにします」 全ては来年のため、アキちゃんのため・・・皆が久居高から現役で早稲田合格の夢を追いかけている。そんな海津の考えを知ってか知らずか、大森の表情は依然として暗い。「それに・・・」と大森。「まだ何かあるんか」 「今度、8月15日に古典のテストがあるんですけど・・・」 「何の試験や」 「古典単語の読み100問です」 「ふーん、それがどうした」 「この試験の主催者は海津先輩ですけど、高校生に混じって僕にも受けるようにと」 「ハハハ、そりゃいいや。講師も一受験生ってか。俺も桐原2章の試験受けるからな、立場はいっしょさ。で、オマエが高校生に負けた時の罰則は? 腹筋か?」 「いえ、食事を奢るということで・・・」 「そやったら俺も参加しょうかな」 中1の宿題が遅々として進まない。7月までに終えるように言っといたのだが皆無。終わらないまでも目安を付ける程度にできていればいいのだがそれもダメ。特に私立中学の生徒が遅い。俺としてはもう待てない。この日、一挙に中1の全ての英語構文を説明しちまった、ザマー見ろ!である。といっても説明だけでは理解できるはずがない。中1に加え中2で英語の苦手な生徒も参加。当然良太も参加。中1ともども can や進行形や命令文を自分で作っている。各自で作った基本文型は俺がパソコンで打ち出し全員に配る。自分の作った英文は完全に暗記。そして毎日、他の生徒が作った基本文を試験。これがひと夏続く。サイは投げられた。 この日の夜、福井からの密航者アキラの親父からHPのBBSに投書があった。「昔の音楽シーンは息が長かった。それゆえに同じ唄がなんども繰り返され、ファンではなくともその唄を口ずさむことができた。そしてその頃、まさか将来自分が歌う立場になろうとは夢にも思わなかった唄がある。さだまさし”案山子” ・・・・元気でいるか?友達できたか?今度はいつ帰る?・・・・」 娘だけの俺には味わうことのできない、手放した息子への切実な問いかけ・・・俺は目頭が熱くなった。男親に対して嫉妬を感じた。BBSではアキラの親父のハンドルネームは「ダーティー若葉」から「ダーティー珍」へ、さらに「善意の第三者」へと変身。ファイティング志摩とウチの高校生たちとの戦いに姑息に登場。将軍若松よろしく見え隠れしながら紫色の煙を噴きちらしていた。こ奴は俺の大学時代のダチである。「大きくなってもいっしょに遊べるような子供に」ということだけを念頭に置き、今まで子育てをしてきた。自分の子供にこんな素直な言葉を吐ける親がいる。少年犯罪を蒸し返してみたい気がした。そしてその言葉の向こうには古い塾に生息するアキラ。異境の地で何を思う・・・。 深夜3時、隆哉(津西2年)が疲れた顔で姿を見せる。こ奴はウナギさながらに俺から逃げ回る。明け方まで説教することとなる。キャラはいい、自信を持ってどこにでも出せる逸材。ただそれもあってか、付き合う友達の幅が広い。塾の友達・高校の友達・中学時代からの友達、こ奴はその全てと満足いく付き合いをしようと思っているフシがある。当然塾に来る時間も少なくなり、手抜き手抜きの自転車操業が続く。いつしか中学時代から苦手としていた英語は高1に追い抜かれるほどの亀裂を生じていた。津西では1学期に志望大学を提出、しかし隆哉は今だ未提出。将来の指針も定まってはいなかった。「どこの大学へ行くんや」 「岐阜大の工学部を考えとるんやけど」 「なんでや」 「気の合う先輩がいてさ、その先輩が岐阜大に行くて勉強してるんや」 「先輩はええねん。オマエは何をしたいねん」 「いや・・・まだ・・・」 今までと同様に堂々巡りの会話が始まった。 隆哉の親父は俺の中学のダチだ。市内で印刷所を経営している。隆哉は長男だが店を継がす気は毛頭なく、息子には自分が望む道を進んでいってほしいと願っている。昔いっしょに飲んだ時につぶやいた。「俺はさ、隆哉が将来何に熱中していくかが楽しみなんや。あいつが熱中して何かに取り組む姿、その姿を見るのが俺の夢かな」 4日、アキラの親父の電話で起こされる。「明日は夕方にはそっちに着くように行くからな。でさ、アキラに聞いてくれよ。自転車積んでかんでもいいかって」 「なんの話や」 「もしかしたら福井に帰りたいんちゃうかなってさ」 「つまりアキラが帰るってか? そんな話は聞いてへんで」 さっそく中井の携帯からアキラを呼び出す。「親父から電話や」 「なんやって」 「明日来るってさ」 「来んでいいよ。なんで来るん」 「それでな、オマエが福井に帰るかもしれへんから明日乗ってくる車、自転車積める車にしよかってさ」 「あのバカ親父、何言っとるん。帰るはずないやんか」 「いいじゃねえか、親父は心配してるんや。昨日はBBSに熱い文章書いてきたで」 「なんや?それ」 俺はBBSの案山子の原稿を読み始めた。途中でアキラの声が遮った。「先生、他に話はないんけ?」 この唐突の言葉に俺は戸惑った。「え? うん、まあ」 「じゃあ、先生電話切るよ」 「あ! おい、アキラ」 すげなく電話は切れた。 この日は午前中に小学校の英語。関西学院大のお嬢ちゃん、中西さんが担当。俺は高校生の英文読解(國學院大入試問題)の解説があったので、小学生を完全に任せてみた。この日、悠志が英文40文スピーチに挑戦、突破したという。俺は見ていないが、来週の水曜日、中1とのジョイント大会でお手並み拝見。とうとうこの夏休みの目標である50文に挑戦となる。 昼に田丸君登場。「なんなん、試合はどうやったんや!」 「初戦敗退です」 「だって小田君、最終調整を鳥取でやって万全の島根入りしたんやろ? 打たれたんか」 「ええ、初回に1点取られて2回にウチが同点に追いついたんですが小刻みに加点されて・・・、まあ最終回に1点返したんですが」 「そりゃ残念やな、でも田丸君にすりゃラッキーやん。微生の追試まであと何日や?」 「9日ですから、今日を含めて5日ですね」 「じゃあ、今日からHP上でカウントダウンするよ」 「うわ!」 5日、今日は久居の花火大会である。1年でこの日だけは休むことにしている。朝8時30分に奥さんに起こされ親父とお袋、それに娘と奥さんを車に乗せて津の御殿場海水浴場へ。そして俺は塾にもどる。休みということが徹底していなかったのかポツポツ小学生がやって来る。高校生に授業をして昼に御殿場へ。海の家で貝をアミ焼きして食べる。今日は休みだからとついつい2本目のビールを頼む。酔いのまわりが早い。子供たちの泳ぐ姿を眺めながら横になり、いつしか眠りこける。3時ほどに皆を連れ車でもどり塾へ。やはり中3が勉強している。「今日は休みだって言ったろ」 「それは夜だけやと思ってた」と菊山。気分が悪くなり身体に悪寒が走る。鼻水が止まらない。我慢できずにベッドに横になる。体温を測ると37.4度。「風邪やな」と一人ごちる。とりあえずは眠るしかない。横になりふと思う。「俺って心底家族サービスに縁がないんだろうな」 午後6時、アキラの親父から電話。「今、風呂からあがったところや」 「なんや、まだ福井か?」 「アホ、アキラを連れて久居の一軒しかないという風呂場に来てるんや」 「なるほど、もう着いたってか」 「ああ」 塾の前にある定食屋『キッチンはる』で食事をすることに。花火を見に行く奥さんと末娘のアイもやって来る。奥さんはここ最近、娘たちの浴衣を作っていたようだ。この日、上の双子の娘たちは友達と行くそうで、今夜は俺とアイと3人で出かけることになった。奥さんがつぶやく。「いつかは上の娘たちも友達同士で出かけるようになると思っていたわ。いつまでも家族全員でとはいかなくなるとは思ってたけど・・・今年突然来っちゃった。なんだか寂しいわ」 隣のテーブルではアキラと親父が夕飯を食べていた。親父はアキラのスキを突いては息子のメシを何度か、さらった。「なにすんねん!このバカ親父」 「油断しとるオマエが悪いんじゃ、ハハハ」 そこには友達のような親子がいた。 深夜11時から高橋君と甚ちゃん、そしてアキラの親父と俺でマージャンが始まる。久しぶりにどうしても勝ちたい勝負を打った。トップ2回と箱割れが2回、結局はチャラ。しかし気分は良かった。 7日から竹中愛(愛知大学2年)が参入。中1に英語を教え始めた。中1は一挙に命令文・一般動詞3人称単数・助動詞can・進行形と1年履修範囲の大部分を同時並行で教えることになった。当然理解力にかなりの差が出る。極論すれば塾に来る時間の差に比例していた。竹中には理解の遅い生徒をコンピューターの部屋に連れ込みマンツーマンで教えるようにと指示を出した。2年前、隆哉につきっきりで英語を教えた。怒鳴り声が1階から3階まで聞こえてきた、あの恐い愛の復活である。 8日、興味津々の今西さんによる高3英文読解。昼に授業を終えた古西・今井・波多野がやって来る。「どやった?」 「全然変わってへんわ。なあ?」と古西が今井へ視線を。今井も頷く。「波多野はどないや?」 「僕も・・・、あれでは」 やっぱ工夫はなかったか。「わかった。じゃあ高3は出なくていいや」 「やっぱり読解は先生がやってよ」と古西。「俺を殺す気か」 深夜開始の日本史近史の授業のおかげで俺の睡眠時間は4時間を切る展開になりつつあった。「でも黒田先輩は長文読解をする気はないようだし・・・」 「わかった、すりゃいいんだろ!」 中村(近畿大2年)が金髪にグラサン姿で登場。「こら!耕治。そんなカッコで塾周辺をうろつくんじゃねえ。ただでさえ誤解されるのに、弁解できないだろう」 「ハハハ、先生、古西は?」 「こっちにはいねえよ。古い塾だ」 「じゃあ、津高1番とやらをからかってこようかな」 すぐに下から耳をつんざくようなバイクの排気音が聞こえた。耕治のバイク、緑色の奴に違いなかった。 そして佐藤が姿を見せた。「元気か! この野郎」 「うん、なんとか・・・」 今イチ表情が冴えない。佐藤は名古屋で下宿して大阪府立の獣医を目指している。しかし記述の成績はいいもののマークが崩れている。浪人の陥りやすい性癖。ついつい2次試験だけを見てしまう。「予習復習はちゃんとやってるんやけどな」 「オマエみたいな暗い奴がチマチマと勉強してても能率上がらんわい。どや、明日塾で試験しよや」 「なんの試験?」 「今は懐かしい桐原2章や」 「明日!」 「ええやん、いつだってコツコツ、そんな生活ばっかりじゃ、ここ最近血が逆流するような気分味わったことねえだろ? ヒリヒリするような感覚、よっしゃ決まりや。明日のプレテストのメインゲストや!」 「ちょ、ちょっと・・・。ほんとにするの?」 「当たり前や。ただな、桐原の勉強は5時間だけや。今日の午後に2時間、今夜2時間。そして明日の午前中に見直し1時間や。他にもやらなアカンことあるやろ。5時間だけでピシッと仕上げろ」 この日から東海大会を終えた直嗣が復帰。「どやった?」 「一回戦で負けた」 「思い残すことはないか」 「ないな」 「じゃあ勉強やな」 直嗣は真っ黒に日焼けした顔で笑った。 深夜2時、翌日に控えた桐原プレテストの勉強だろう。1階の高2の教室はまだまだ明るい。俺は高2全員に言い放った。「明日は俺、30分以内ミス0といきたいが、なにしろ利き手の右が腱鞘炎や。35分でミス0で許してくれや」 俺が去った後で村瀬も言ったそうな。「明日は俺もミス0だ!」 9日、田丸君(三重大医学部4年)の微生の追試終了。昼過ぎに塾に顔を出し「今までで一番勝負できるデキかな、と」と報告。帽子をかぶっていたが、公約通り今回の一連の責任を取り?さっぱりと坊主頭にしていた。「今日からさっそく古西に数学の集中講義です」と言って古い塾へ。 「宮口先輩(近畿大学1年)が1階に来ていらっしゃいます」と大森・弟(中3)が言う。「なんでアイツが来とるねん。今頃は福井でクラブの合宿やろ」 「松葉杖をついてました」 「え!」 1階に降りると宮口、確かにキンキンの金髪、松葉杖のヤンキー兄ちゃんがいる。「先生、お久しぶりです」 「どないしたん」 「ラクロスの試合でぶつかった時に足首をひねりまして」 「医者は何て言うてるねん?」 「全治2か月の診察です」 「しばらくはクラブ無理だな」 「せっかくリーグ戦の新入生MVPを受賞したのに残念ですよ」 「でもさ、これで英語は嫌になるくらい勉強できるだろ」 「これでミス0ですよ!」 夜になり中1の英語スピーチ大会。審査員に高2を選んだ。俺の強敵となるはずの高2の面々を審査員に引っ張り出すことで9時からの桐原の直前チェックをさせなくするつもりだった。俺のイヤらしいところだ。アキちゃん。中井、そしてミス0だと断言した村瀬が不承不承ながら後ろの座席に座る。司会者は大森・兄と竹中愛の大学生たち。この日、注目の小学6年の悠志は残念ながら50文突破ならず。1文飛ばしてしまい49文となった。中1は発音ではやはり由子、そして愛・沙耶加らが30文あたりで小学6年生の悠志を追いかける。スピーチ大会終了後、俺が大森に「何か感想は?」と水を向ける。「ええっと・・・、みんな、よくこんな長い英文を発音にも気をつけて覚えました。高校生や大学生でもこんなに上手くできないと思います」 「なんや、それ。オジサンくさい発言だな」 11日、つかの間の睡眠をとっていると何やら騒がしい。怒鳴ろうかと思いつつ起きあがると紀平(南山大学3年)登場。「なんで俺には塾のホームページができたん教えてくれやんねん」と怒鳴りちらしている。直嗣に向かい「どや、オマエ、津高受けへんか?」なんぞと話している。「心配せんでもいい。あんな奴でも津高や!」と言いつつ俺を指さす。「まあ俺も津高やけどな。俺でも、あんな奴でも津高に入れるねん。オマエも受けてみんか?」 そして中3に向かって「この中で津高志望の人?」 紘が手を挙げる。後はオズオズと自信なげ。「なんや、一人だけかい」 そして紘に向かって「じゃあオマエ、受かると思うか?」 紘は「さあ、ちょっと・・・それは」 「なんや、つまらん。去年の奴らは絶対に合格する!って言ったぞ」 そう吐き捨てて隣の高1の教室へ。 先月末からオーストラリアへ行っていた長沼花衣(津西国際1年)が帰ってきた。オミヤゲはブーメラン。ブーメランに右利き・左利きの区別があるなんて初めて知ったよ。 コンピュータの部屋では橋本(高田U類1年)と卓(高田U類1年)が2人して、ノッチンの宿題に頭を悩ましている。 信藤(同志社大学3年)と耕治が夜に姿を見せる。噂を聞きつけたのか、ノッチンの宿題「なぜ円錐は円柱÷3なのか?」を黒板に絵を書き込みながら考えている。突然信藤が叫ぶ。「耕治!」 「なんですか、先輩」 「積分の公式、これで合ってたか?」 「・・・そうですね、合ってます」 「信藤、オマエね、なんて寒い話してんねん。ちゃんと勉強やってんの」と俺。フフフといつも通りの含み笑いで式を書いていく。そして腕を組み数式を眺めている。「うまくいかんな」 「どや、耕治は?」 「やっぱり積分の式を使わずに解くのに無理があるんじゃないですか」 「う〜ん」 こんな2人のやりとりを中学生たちが眺めている。その横でパソコンに向かってブツブツつぶやきながらキーを叩いているのが紀平。完全とはいかないまでもブラインドタッチを駆使している。「スゲエじゃねえか、その手つき」 「俺が今まで大学の宿題でどんだけパソコン使ってきたと思とるねん」 アキちゃんと古西の小論文の添削をしながら誰ともなく毒づいている。「アキちゃんはアカンな、オマエ!まだまだやで。古西か、でもな、古西は別段悪いとは思わんけどな、うん、オマエは悪くない! 俺が保証したる。誰がオマエをどんだけけなそうとも、高3ならこんなもんや! 俺が許したる」 この紀平の一人芝居?を中学生たちが呆れた顔で眺めていた。 深夜1時から紀平と焼肉屋へ繰り出す。紀平の携帯が鳴る。斉藤からである。今日帰ってきたとかで大学の宿題を印刷しに塾に来たそうな。さっそく登場、「札幌はビヤガーデン終わったで帰ってきたわ」 「札幌のビヤガーデンって、いつから始まったんや」と俺。「7月20日からや」 「じゃあ、20日ほどのつかの間の涼ってか」 3人して閉店まで飲みちらかす。紀平がボソッとつぶやいた。「今年の高1、脱落者もなくて頑張ってるやん。あの学年、いいよな」 12日、今日で中2の夏期講習前期は終了。英語中心で押した。中1とともに1年時の復習。そして中3と2学期3学期の予習。計画では全てを終わらせるつもりだったが、受動態だけが残ってしまった。その代わり中3の現在完了まで進めたからこんなもんか。 竹中泰(7期生・三重銀行勤務)登場。「見事に日焼けしやがったな」 「毎日のように津の海へ行ってたからな」 こ奴は今、免停中。遊ぶといっても車がないので移動手段は自転車しかない。「先生、俺の休暇も明日の日曜日で終わりや。良かったら今夜飲みにいかん?」 夜になり祥宜(名古屋大学4年)と耕治の中村兄弟も都合良くやって来て、深夜0時から4人して「こんな村」へ。後から化学の授業が終わった小田君もやって来る。俺はいつしか眠っちまったようで気がつくと塾のベッドの上。「誰かがここまで運んでくれたんだろうな」と一人ごち身体を起こす。時刻は午前8時、再び新しい一日が始まった。 13日、耕治が大阪に帰る挨拶に訪れる。「また大阪に行くからな」 「今度は俺のバイト先へ来てください」 XZRだったか、ZRXだったか、とにかく400ccの緑色のバイクにまたがった耕治は青山峠に向かって走りだした。 深夜、階のドア越しに中を除くと祥宜が一人、勉強している。頭にタオルをまきつけて・・・名古屋大学を目指した高3の頃と同じように。28日に迫った大学院の試験勉強だろう。背中に心地よい緊張があった。 田丸君が明日から入院するという。以前から痛めていた肩をこの際完全に治療しようとなったらしい。追試の発表は病院のベッドで聞くことになる。受かってたらいいが落ちたら暗い暗い闘病生活となる。 この日、8月に入って初めて家にもどった。奥さんとの丁々発止のやりとりの末に風呂に入った。風呂もまた8月初体験。そして久しぶりに娘たちと食事をした。夕飯はご父兄から頂いた牛肉での焼肉。「今日は豪華やな」とレイが言う。「お父さんが帰ってきたからでしょ」とメイ。アイが俺に言う。「お父さん、次はいつ帰ってくるの?」
追伸 右手が強度の腱鞘炎と診察された。ひと月ほど何もせずに・・・と医者からは言われた。完全に治さないと癖になるから・・・とも言われた。残念ながら夏期講習の真っ只中とあっては何もしない、何も打たないというわけにはいかない。最低限のプリントをポツポツ打っていた。しかし授業が終わり(なにしろ日本史は深夜0時からスタート、午前2時終了)、高1や中3を送って帰ってくると4時をまわる。毎晩走行距離は70kmをゆうに越えた。朝は10時からと言ったものの9時には誰かがやって来た。こんな毎日では腱鞘炎をいいことに更新をしぶっていたのも事実。どうにか体裁は整えた。あえてプレテストの詳細には触れなかった。次回の「れいめい塾の夏・総集編」に掲載するつもりだ。この号が遅れたことをお詫びする。 |