れいめい塾|25時2001年

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾 発 「25時」

2001年1月22日号


 今年度の広告の出稿日を2月25日に決めた。昨年のカラー広告では「儲かってんねんな?」なんぞという揶揄が多かった。それに対する俺の返答は「痩せ我慢だ!」 さて今年は・・・痩せ我慢といっても痩せ細るのにも限度がある、再び定番の緑一色での登板となる次第。

 広告の作文は今年は生徒数も少ないので中学生全員とした。去年私立中学受験の小6が書いているが、彼らの1年後の作文のデキも興味深い。また去年より作文を始めた。この効果も見てみたい。中2の場合は中間期末などで提出できない生徒が多かった。その点、中1は履修内容もさして多くないことからほぼ全員が提出していた。学年ではなく、文章を書くキャリアでどの程度の差が出てくるのか・・・それに興味があった。

 今年度センター試験は20日21日の両日に行われる。受験者数としては史上3番目の参加者とのこと。生徒数が減少しているものの、大学進学率が50%を越えるなど大学進学希望者の増大、それにセンター利用できる私立大学が増えたことがその原因だと思われる。

 ウチの高3では波多野以外の4人がセンターに臨む。また浪人している古市舞と佐藤も受験する。この地区の会場は三重大学と津高。古市は津高が受験会場と聞いて「暖房効いてへんで嫌やわ」

 かつてウチの塾では中2は学校を休んで高校入試合格発表を見にいく(プロレス者は密航というが)のが恒例行事だった。勉強しろ!勉強しろ!と口先だけでほざいても何ら説得力がないんじゃないか? 受験の一番熱いシーン、同時に一番残酷なシーンを我が目で見る。受験生の受験に対する畏れと歓喜を脳裏に焼き付けておいてほしい、それが狙いだった。それと同時にその日は、受験まで1年を切ったよ・・とジャンを鳴らす日でもあった。塾でともに暮らした先輩達の凝縮された感情が一挙に沸騰する一瞬のシーンを脳裏に刻み込み、これからの1年を明確な目的を持って歩んでほしかった。

 しかしこのツアー、8期生の公則・均・梅村の西郊中の面々が2群合格発表会場で西郊中の先生に発見されたことからとん挫する。ご父兄の理解から学校を休ませたとはいえ学校をさぼったことに変わりはない。職員会議で問題とされ、公則はバレー部キャプテンの座を追われた。3学期の内申もまた最悪を極めた。この翌年からこの行事はおおっぴらに行われることはなく、次第にすたれていった。

 センター会場となる津高は、当日が第三土曜日だが休みとなる。よって津高生なら密航は公認となる。しかし他の津西や高田の生徒となると高校をサボルことに・・・。俺としても積極的に勧める気はなかった。数日前、佳子が言った。「お母さんがセンター試験当日は高校にどんな口実をつけよかね? やっぱり風邪にしよか?だって」 「ありがたいな」 

 やはり1年前にセンター試験の光景を見ておくのはプラスになると思う。高校入試の場合、中3に進級した4月を入試1年前としてとらえる。厳密に言えばそうではないが・・・。しかし大学受験の場合はセンターが実施される1月がスタート。つまり高2にとって受験1年前に当たるし、高1にとって高校の3分の1が過ぎ去ったことになる。ゆえに俺は密航を支持する。勉強しろのシュプレヒコールだけでは限界がある。あのセンター当日の静寂・・・あれを経験すれば少しは違うんじゃないか、そう思う。ただ、高校を欠席する以上はご父兄の同意が必要。佳子のお母さんのご厚意には本当に感謝する次第。

 18日になり友紀が久しぶりに姿を見せる。前回は晴れ着、そして今回はスーツ姿だ。「先生、ごめんね。なかなか中3の授業する時間が取れなくってさ」 「ええよ、別に。オマエはウチの塾のアイドルなんだから。ブラッと来てさ、そこいらに浮遊してくれるだけで満足だよ」 「アイドル!? やっぱり」 「あのなあ・・・」 「フフフ・・・すいません。ところで先生、1階で隆哉見たけど、あれ太ったね」 「ああ、俺も隆哉を久しぶりで横から見てさ。太ったなて思って聞いたら78kgくらいあるんだってさ」 「うわ、ブタや」 「妹の2倍あるよな」 「3倍はあるんちがう。そうそう、長谷川先輩がお店(たか屋)にいらっしゃいました」 「え、会いたかったね。連絡してくれりゃ良かったのに」 「ダメよ、夫婦水入らずだったから」 「うわ・・・ちゃんと夫婦やってんねや」 「長谷川先輩が私に言うのよ、これ僕の妻だから・・・ですって」 「まるで二枚目やん!」 長谷川君の奥さん、赤ちゃんができたそうな・・・また、泉ちゃん(木工の手作りのオモチャをネット上で販売。ウチのHPにリンクあり)とこでお祝いを買って届けようか。「ごめんね先生、また時間が空いたら来るから・・・」 友紀はそう言って出ていった。

 友紀(皇学館大学2年)は塾に入った日に俺に言った。「実は先生、私の父はいないんです。いえ、死んだんじゃなくて他に家庭を持ってるだけなんですけど」 さして珍しくはない話だが、初対面の、それも高1の女の子から言われて戸惑っちまった。いろいろあったのだろう、父親の実家で母親と妹で今まで暮らしてきた。近々その実家を出るそうな・・・友紀はそのために、なんとか自分の学費と生活費だけは出そうとウチの塾よりお金になる『たか屋』のバイトを選んだ。呆れてしまうほどに明るく、何事もテキパキと・・・その果断さにヒンシュクを買う時もある。しかし俺は友紀がこの上なくかわいい。 

 克典(東京学芸大3年)から電話、察しがいい。「お〜い、克典。作文の提出は1月中やぞ」 「え、作文ですか? じつは最近、俺なんかが『25時』に作文書いていいんかな?と思うようになったんですが」 「なんでえな、オマエの作文、毎年評判ええで。ただ長いけどな・・・。で、呼び屋の商売は儲かったか?」 克典はイタリアからバンドを招いてツアーを企画、東京他、津や名古屋や京都で地元のバンドとカップリングでライブを開いていた。「それがですね、見事に赤字でした。だから借金に追われて夜コンビニでバイトしてます」 「知名度がない分、地方がこけたんか?」 「いや、地方は成功だったんです。津でもね、僕の1歳後輩にチケット販売なんか頼んであったんですけど、本当によくやってくれて」 「知り合いなん?」 「まあ、でもほとんどしゃべったことはなかった。2,3度声をかけたことがあったくらいですかね」 「じゃあ、東京か?」 「ええ、本当に予想外でした。2回やったんですけど1回目のライブが84名、2回目が97名ですか。ノルマが100名ですから大変でした。本当に、都会の奴らには裏切られました。根性腐ってますよ。今回ばかりは田舎の人情が身に染みましたね」

 高橋君(三重大医学部4年・寺田&弘の化学・数学担当)がバイト料の請求用紙を片手にやってきた。「明日は送り出しですね」 「早かったよね、この1年。でもセンターていうても今年は寺田(津西)と弘(津高)くらいしか緊迫感ねえからな」 「そうですよね」

 センター前日、俺は朝から白子のホテルへ。塾専用教材の展示会が開かれ、松田先生と会うのを楽しみに出向いた。松田先生はパソコンにどっぷり嵌り、自作のパソコンを製作したという。松田先生に昼食を奢ってもらった帰路、三重大の前を通ると親子連れの高校生風がチラホラ・・・明日のセンターの下見!?・・・身が引き締まった。

 佐藤に電話する。「ついにセンターやな」 「うん、長かった・・・」 「しんどかったか?」 「うん・・・友達は勉強だけしていればいいから楽やろて言うんやけど」 「どないや」 「うん、なんとか・・・高3はどう?」 「古西と今井はセンター受験で明治大学に受かりゃいいな、なんてノリだからな。やっぱ、理系の弘と寺田やな」 「僕も明日が勝負やな」 「明日、携帯に連絡するよ。いっしょにメシでも食おう」

 午後9時、古い塾で高3の送り出しが始まる。司会は中井が務める。中井は高1から高2へと順次当て、先輩へのスピーチが始まる。そして講師の田丸・黒田・高橋・村田と続いたところに電話。甚ちゃんからだ。「先生、勤務中なので手短に・・・高3に伝えてください。センター本命の理系にはいつも通りにやれと。そして私文には死ぬ気でやれと」 「わかった・・・ありがとう」 「では」 

 古い塾で翌日センターを受ける受験生を見送る後輩がいる。そしてそれ以外の場所で、やはりセンター受験生を見送ってくれる先輩達がいる。

 俺のスピーチが最後となるが、今年は各自に目標点を聞くだけに留めた。古西と今井はセンターで明治大学をゲットする気でいる。ボーダーは85%、配点は英語・国語が各200点に社会&数学で100点、合計500点。つまりボーダーは425点あたりか。今井が言う。「英語170点、国語150点、ええっと・・・」 「アホ、そせやったら日本史105点取らなアカンやん」と古西。その古西は「英語180点、国語150点、数学95点・・・これでピッタシ」 「なんで数学が95点ていう中途半端な点数なんや」と数学担当の田丸。二次試験に比べセンター比重が高く、明日とあさってが趨勢を決定する弘は「各教科では出してません。でも、なんとか75%を・・・」 弘の受ける名古屋工業大学は英語だけ200点、他の4教科は各100点の合計600点満点、ボーダーは75%。点数で425点。決して得意ではない英語が初日の一発目、ここをどうしのぐか? 弘に物理を教えた村田(三重大医学部5年)は「そこそこ仕上がってきてますが・・・」 そして東京工業大学を受ける寺田、この大学はセンター比重が少ない。ボーダーは82%だが、冬休みに津西のセンター対策の補講を一切受けず黙々と塾で二次試験に見据えて勉強してきた寺田にとって、センターで80%叩いたら御の字か。高橋が言う。「理系は緊張しすぎないこと。二次試験があるから、どんな結果になろうと二次で逆転してみせるという強い意志を持ってほしい」 2年前、高橋は10期生の受験生達に「明日の朝、新聞を見て答合わせをするようにね。それだけの覚悟をして試験を受けてくることを願います」と言い放った。言い方はソフトだが、受験生の顔が歪んだ。今までのセンター受験生の送り出しの中、最も鳥肌が立ったスピーチだった。

 センター試験の受験票は年によって色が違う。今年は黄色だ。黒田が言う。「僕は少し都合があって4年センターを受けました」 密やかな笑いから爆笑へ。黒田は3浪して三重大医学部に入った。「今年は何の色?」と聞くと「黄色です」 「黄色・・・というと僕が現役の時の色だな。あまりついてない色だけど頑張るように」 朴訥な性格を伺わせる黒田らしいスピーチだった。

 センター当日、目覚めれば午前8時40分。飛び起きて急いで着替える。バイパスに向け走っていると携帯が鳴る・・・村田。「先生、どちらですか」 「すんません、後10分少々で三重大や。寺田の携帯に連絡を入れてや。寺田には入場が9時30分やから9時20分くらいに着くように行けって言ったから。まだ江戸橋あたりやろ。俺も大学の駐車場に着いたら電話するから」 三重大学は広い、試験会場を求めて走り回るのが恒例行事だった。今は携帯という便利な物がある、こんな時には重宝だ。

 津高には甚ちゃんが佳子(津西)と健太(津高)を車に乗せて一番乗り・・・時刻は午前9時。まず弘が姿を見せ友人達と談笑している。

 再び携帯・・・村田君。「寺田と連絡を取りました。会場は第4です」 俺は携帯で佐藤を呼び出す。「オマエ、どこにおるねん?」 「大学には着いたんやけど。去年と違う会場で今、探しているとこ」 「そうか、じゃあ落ち着いたら第4会場まで来い。村田君と黒田君がいる」

 午前9時15分、古西と田丸が姿を見せる。田丸が古西に当たり障りのないネタを振るものの古西、上の空。「緊張してるな」と田丸。そして浪人の古市舞が弟・卓(高田U類1年)とともに姿を見せる。

 9時30分過ぎ、俺は久しく忘れていた疾走という奴をやらかしていた。三重大キャンパス内を病院側からジャリ道をスリッパで生物資源棟を目指す。寺田の第4試験場はこの横の建物、途中受験生らしき姿、とんと出会わない。案内の学生バイトが震えながら談笑している。前から息を切らして佐藤が走って来る。「先生、もう教室に戻るから」 「よっしゃ。佐藤、がんばれよ」 そして前方に手を振る村田と黒田。「先生、ここですよ!」 2人の前にはいつもと変わらぬ寺田がいた。「兄ちゃん、がんばってこいよ」 俺の声も興奮からか?寒さからか?引きつっていた。寺田、くぐもった声で何か言ったかと思ったら笑顔がもれた。 浪人とは思えない慌てぶりと、現役とは思えない落ち着き。好対照の2人、しかしこれがそのまま明暗を分けることになる・・・なんて、センターはそんなに甘かねえ。

 9時40分、津高に杉本理恵(三重大医学部看護)と村瀬と砂山(ともに津高2年)が姿を見せる。「オマエら、今頃何しにきたんや?」と甚ちゃん。「あれ、時間間違ってましたか?」と村瀬。「入室完了の時間に合わせてもしかたないやろ!」 田丸が杉本に言う。「オマエまでなんや」 「だってこのくらいの時間だと思ったんだもん」 「去年、受けただろ!」 「だって理恵、去年のことなんてもう忘れたわ!」

 黒田は用があるとか、俺は村田と2人でガストに向かった。田丸から携帯に電話。「みんな連れてガストで集合ということで」 村田とガストに入った時刻、午前10時・・・2001年度センター試験が始まった。

 センター1限目は英語・・・なにしろ2日間の1発目とあって緊張が沸点まで上昇する教科だ。時計を眺めながら今頃は1番が終わったか・・・3番に入ったか・・・4番から5番に突入か、などと思いをめぐらす。隣のテーブルでは密航してきた高校生8名がメニューを眺めながら、何を注文するかで盛り上がっていた。かたや、オジサン達のテーブル、田丸と村田と甚ちゃんと俺の4人のテーブルは沈痛な雰囲気が漂う。

 2限は地歴(日本史&世界史&地理)、寺田や弘は地理を受ける。また鈴鹿国際の今井にとっては本命の日本史だ。しかし佐藤と舞は社会が公民選択のため、この試験の間は休みとなる。つまり次の数学まで3時間ほどのブランク。俺は佐藤を呼びに行くことにした。そして田丸は津高にとって返し舞を連れて来ることに。外は雪が降り始めた。雪のなか三重大キャンパスを歩いて第4試験場で佐藤を待つ。受験生が出てきた。揃って携帯電話を取り出す。「うん・・・次の数学まで暇やから、うん・・・どこ、校門にしようか」 友人との待ち合わせだろう。前屈みになって佐藤が出てきた。「どやった?」 「うん、なんとか・・・」 「表情が硬いな」 「そうかな」 「次の数学までガストで暇つぶそや。田丸君もおるで数学の対策でも練るか」 「え?」 「嫌なら甚ちゃんの国語の講義でも拝聴するか」 「どっちもええわ」 英語の問題の傾向を話しながら2人して雪のなかを歩く。前を歩く受験生2人、どこかで飯でも食いに行くのかと思いきや、迷う様子もなくブック・オフの扉の向こうに消えた。「すごい余裕やな」と佐藤。「そういや、高橋君は休み時間の間にゲーセンに行ったって言ってたな」 「え! すごいな」 依然として降りしきる雪、やむ気配はない。

 ガストに戻ると甚ちゃんが佐藤に手をあげる。「どやった?」 「うん・・・なんとか」 田丸が舞に古西のオマケまで連れて戻ってくる。「佐藤先輩、なんなん!あの英語」と古西が噛みつく。「6番が読めへんだ」 「6番は・・・読めたけど。4番が嫌やったな」 「4番・・・ヘアスタイルの奴?」 「うん」 二人に舞が割り込む。「もうええやん、終わったことは。舞なんて知らん英単語ばっかしやったわ。6番なんて10分よ」 「なんや、それ」と俺。「時間が足りへん」と舞。「一応1年間英語やったんだろうが?」と俺。「でも舞は漢字は一度書いたら覚えるけど英単語はサッパリ」 「サッパリってあんた」「だから卓には英単語を高1からでも少しずつ覚えるようにって言ってあります」 そう言うと政治経済の参考書を取り出した。甚ちゃんが立ち上がる。「先生、仕事がありますから帰ります」 そう言って多すぎる食事代を差し出した。ありがたい・・・なにしろ15人からのランチ。さすが社会人!と喝采したくなる。「がんばれよ」と佐藤と舞に言いつつ出ていく。高校生達、それに午後にサッカーの試合を控えている村田も後に続いた。残ったのは古西、舞、田丸と俺。奇妙な虚脱感があった。俺は佐藤と舞と浪人の1年間をネタに時間をつぶした。天真爛漫ま浪人生・舞と最も浪人らしい暗い佐藤、見事な好対照。そして横には落ち着きのない様子の古西、手の指をせわしげに動かしながら会話にも加わらず絶えず視線が虚空をさまよう。田丸が「落ち着けよ」とささやく。苛立ちを抑えるように「落ち着いてるって」 二人漫才のように、こんなやりとりが続いていく。怯える古西を初めて見た。

 シビレを切らした古西が「試験会場へ戻ろう!」と言い張り、俺達はガストを後にした。計4枚のレシートを持参、請求は15.860円。ガストの駐車場で雪合戦が始まる。俺が佐藤を乗せ、田丸が舞と古西を乗せ出発。午後2時40分、数学の試験が始まった。

 塾に戻りパソコンを稼働させる。朝日新聞のHPでこの1週間、「センター試験の問題と解答を20日の午後4時から順次速報!」と派手にうたっていたので期待して待つ。しかし何ら動きはない。ヤフーからセンター試験の代々木ゼミ・河合塾・駿台のサイトに入る。ここでもセンター速報とあるが更新されていない。鈴鹿国際で受験を終えた今井が姿を見せる。「どやった」 「英語が難しかった。6番ですね、問題なのは」 「古西もそう言ってたな」 「最後の内容一致の問題、鈴鹿の帰国子女の子達と答えが全然違うんですよ」 午後5時、各サイトで英語の寸評が発表された・・・「昨年よりやや難。4番&5番は昨年並み。6番の読解問題は選択肢がまぎらわしいものがあり難しくなった」 俺はコピーを取った今井の英語の試験問題を解き始めた。

 電話が鳴る。北海道の齋藤だ。「アカンと思うけど、今日のセンターの結果はどうやった?」 「アカンは余計だ。英語は昨年より難化だそうだが・・・今解いてるんだが、そんな気はしねえけどな」 「そりゃ、ご苦労様。じゃあな」 「何がじゃあなだ! 早く広告の作文出せ!」 「そんなん、俺聞いてへんぞ!」 「なんでもいい、広告だ!広告!」 電話は切れた。

 午後8時、代々木ゼミのサイトで英語の解答が発表。今井の携帯に連絡、俺は自分のテストを採点。6番の4で落とす、ミス1。今年も満点を逃してしまった。しかし他にも迷う選択肢が多々あった。「これじゃ、弘はきついな」 今井が走り込んできた。さっそく採点を始める。電話が鳴る・・・古西だ。「解答が出たんやって!」 「ああ、オマエんとこパソコンあった?」 「残念ながら、でもファックスがあるから至急送ってよ!」 ファックスでパソコンからプリントアウトした解答を送る。今井が叫ぶ。「あかんわ、こりゃ!」 「何点や?」 「159点・・・ですね」 「6番か?」 「あの内容一致問題はさすが帰国子女、やられました。でもそれよりも2番の文法問題でボロボロにやられたのが痛い」 そこに電話、再び古西だ。「なんでなん! この解答合ってるの」 「6番の4だけは違ってるような気がするけどな」 「え? 間違えたん?」 「ああ」 「答、何番にしたん?」 「2番」 「そりゃ違うわ。俺3番で合ってました。楽勝やん!」 「へえへえへえ、でオマエさんは何点やったんや?」 「いやあ・・・172点。健司は?」 「159点だってさ」 横で今井がボソッとつぶやいた。「俺、明日行かんとこかな」

 深夜、メールが届く。小瀬古美穂からだ。「今ごろ、塾はセンターで大忙しやろうね。のん気な大学生は大雪の外へは寒くて出られず久々にメールをチェックしたら、裕美(10期生・京都教育大学2年)から『25時にみほちゃんがのっとった。塾先、寂しそうやでメール入れたれ!』ってメールが来てた! で、急いで25時見たら、なんか私めっちゃ悪者にされとるし!! 私は8日の朝、塾行ったんやに! だけど先生の車が家に置いてあるから、塾におらんかと思って帰ったんさ。しかも式終わったら、マイちゃんに塾行こって誘ったよー! けど、それは結局私が忙しくて無理やったんさ! なにしろ3時に小学校でタイムカプセル掘り起こして、5時に写真撮ってすぐ飲み会行って、12時まで飲んで、次の日の朝5時の急行で名古屋行って新潟帰ったんやぞ! めっちゃ忙しかったんやって! これで分かってくれた? 私だって前会えやんだし、行きたかったさ! せやのに何か私が悪いみたいな感じやん!! ほんと失礼しちゃうわ(笑) まあ、そんな今生の別れみたいな(?)メール入れてこんといてって! びっくりするからさ。これからあんまり帰れやんかもしれやんから、また新潟来てよ。この4月から万代橋の近くに引っ越しするし! またホテルオークラにでも泊まってさ! それでは大雪の新潟から、ちょっとセンターを思い出し切なくなっている美穂ちゃんからでした!」 

 美穂から届いたメールをプリントアウトし、ペーパーフィルターでコーヒーを炒れた。かつて美穂が座っていた机で、コーヒーを飲みながら再び読み返した。そして俺は少し泣いた。

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