6月4日は、岐阜の多治見で「教育評価と構造学習」というシンポジウムが開かれる。進学力観テストなどでお世話になった飯田先生がこのシンポの世話役。飯田先生は岐阜県第一の規模を誇る(なんと生徒数が4500人!)東進ゼミナールの社長である。かつて初対面の俺に自社の刷り上がったばかりの広告を子供のような純真さ(ちなみに年齢は俺より10歳上である)で見せびらかし?広告制作の苦心談、京都の寺院所有の一般公開されていない美術品を写真撮影に成功するまでの顛末を、心底楽しそうに話していただいた。シンポジウムは1年に一度開催している。ここには大学の教授や高校関係者の方々も参加している。去年、お誘いを受け出席させていただき大変勉強になった。今年も参加する予定。久居中は中間試験の真っ最中なれど許していただきたい。アホな塾の先生は生徒同様にまだまだ勉強しなくっちゃ。ゆえに日曜日は留守をします。ただ、いつものように塾はエニータイムOK! 自分が今何をすべきなのか? それを常に踏まえて塾のドアを開けてくれればいい。 5月30日現在、中間試験は皇学館中学・三重中学・白山中学・付属中学・南郊中学が終了。そして現在、南が丘中学・橋南中学・西郊中学・久居東中学・嬉野中学・一志中学が試験に突入している。ラストは久居中学で全日程を終了。しかし、13日からは津高の中間試験が始まり、終わったと思ったら高田高校から順次期末試験がスタートしていく。今回の中間試験で気になったことをひとつふたつ・・・。 西郊中の中3の数学で高校1年で習う因数分解の対称式が出題された。3年前に古西(津高3年)の時にも出題された。3年前、アホちゃうかなと思った。そして今年はアホや!と思った。数学の教師はいったい何を考えて出題しているのか? かつて、やはり西郊中のMという先生が「5時から6時までの間で短針と長針が一直線に並ぶのは何時何分何秒か?」という問題を出題した。たまたま知り合うことになったMという教師にその真意をただした。「難しいとは思うんやけど、実は昔、私が私立高校を受けた時にこの問題が出て分からんで落ちたんですよ。だからウチの生徒には私立高校に合格するために解いてほしいなと」 この問題、確かに昭和57年に高田高校で出題されてはいる。しかしそれ以降は皆無。こんな問題を解かなくとも、この辺りの私立高校なら楽勝で合格する・・・とは思ったものの胸にしまっておいた。さて、今年3年ぶりに出題された対称式である。これは過去20年間、県内の私立高校では出題されていない。当然公立で出題されるはずがない。中間試験や期末試験は達成度試験である。どの程度、履修範囲内を理解しているのか?を問う試験。それを100点を取らせたくないからか?異空間の対称式を出して何の達成度を測るというのか? 対称式を出題しながら「さすがにこの問題は塾に行ってても解けないだろう」と舌なめずりしているのではないか? 心配しなくていい。3年目の持ち回りで出題してくるのは予想していた。しかしアンタの中学教師としての最低限のプライドに期待をかけ、あえて俺は生徒たちに教えなかった。少なくとも俺には中学生を教えているという矜持は持ちあわせている。しかしこの数学教師、3年たってもバカが直らない。3年前にこの対称式を正答した生徒は200名中たった1人。正答率0,5%・・・ブルームの教育理論でいけば注意係数バリバリやで! 公教育という側面を考えるならば、こういう下品なプライドだけには長けている教師、世間を賑わしている新潟県警・栃木県警と同じレベルやで。県下最難関の高田6年制編入試験でも出てやしない。教え子たちに灘高や東大寺の編入試験を受けさせたいのなら、聖職たる先生、スパッと辞めて下野しろよ。 もうひとつは白山中学の山本愛についてだ。塾内で彼女についての評価が分かれている。とりあえず5教科で487点。内訳を見ると、数学・英語・理科が100点で、社会が96点、国語が91点。今年からのバリアーフリーを受け、愛は中1なれど中2と数学の授業を受けている。それもあっての感想、「愛ちゃんは賢いから・・・」 これは誤った評価である。確かに愛は俺が小学4年後期より手塩にかけて育ててきた。が、それは数学だけだ。数学だけなら来年から高校数学に入れるだろう。しかし他の教科、たとえば英単語ではbとdの間違いがなかなか直らなかった。社会や理科の問題にしろ、最初の試験では塾内で半分以下だった。ただ、彼女は一度間違った問題は決して間違えない。何度もしつこく解く。特に車で30分はゆうにかかる白山町から1歳上の兄貴共々ウチに通ってきている。迎えは兄貴と同じ時間、試験直前の1週間は12時をまわっていた。その間、黙々と今までやってきたプリントをやりなおしていた。その時刻まで彼女が勉強しているのを知っているのは中3か高校生たち。同級生たちが「愛ちゃんは賢いから・・・」という評価とは裏腹、高校生たちはつぶやいた。「愛ちゃんって、賢いっていうよりは、努力家なんやな」 さすがウチで受験期の過酷な1年間を過ごしてきた高校生だ。おっしゃる通り! 山本愛は努力家である。くれぐれも誤解しないように。 6月1日、昼前に塾に来てパソコンを立ち上げるとカウンターは1000名を突破! 田丸・兄がBBSで書く(ネームはS)ように、1000人目の人には何かプレゼント、DDTあたりを考えていたのだが・・・。以前、ウチの塾に見学に来られた鹿児島の先生方からも「楽しみに拝見してますよ」とのメールを頂いた。三重県の片田舎での塾の様子がリアルタイムで全国に届く・・・不思議な気分だ。 時刻が変わって2日の午前1時、高1のアキちゃんを迎えに来たお母さんと話す。話題は妹の愛のこと。「小学校を卒業したばかりの子が午前0時を越えて勉強するなんて、文部省官僚から批判を喰らいそうやけど、ようも飽きやんと勉強してたわ」と俺。「全然疲れへんみたいやに、先生。塾におるんが楽しいみたいや」 「変わった子やな」 そばで俺たちの話を聞いているアキちゃん。そのアキちゃんを見やりながらお母さん、「先生、明徳も誉めてやって。高校で試験良かったみたい」 「知ってますよ。ベネッセのスタディ・サポートで国語が学年1位やったんでしょ」 「英語も・・・2番」 「英語は1番取ってほしかったけどな」 「でも数学がボロボロで」 「数学はいいですよ。志望は早稲田や。今ウチのBBSに高2ながらも意見を書いてるんですよ」 「聞きました。でも先輩のには反論が来たのに僕にはけえへんって」 「そうですね。今度は少年法改正問題あたりでもう一発書いたら?ってネタは振ったんやけど。どない?」とアキちゃんを見る。「わかりました」 「資料はインターネットで検索すればいい」 塾内の注目が妹の愛に注がれるものの、兄ちゃんもまた久居高校からヒラ勝負で早稲田を狙っている。やっと文系としては久居高校でトップに立った。しかし早稲田への道はまだまだ遠い。 久居高校は三重県の普通高校で初めて単位制を導入した。たとえば数学が苦手なら2年時からは取らなくていい、英語が嫌いなら英語を取らなくてもいい。ただ国語だけが必修となっている。2年時からは自分の興味のある教科を選択していく。俺としては手話の授業に興味があり一度見学してみたい。アキちゃんは早稲田大学本命の私立文系1本に絞り、今年理系教科を一切取らなかった。そして中国語の授業も取ったそうな。先生は台湾人だそうだ。単位制の高校は目的を持って進学した生徒にとってはいい環境だと思われる。高校在学時に天気の風向きのソフトを完成させ特許を取った生徒もいる。しかし反面、楽をしたい生徒にとっても「自由の学園」となる。好きな教科ではなく楽な教科を取るからだ。ゆえに一部の生徒にとって高校が「社交の場」となる。 古西と同じ学年に金児直哉がいる。やはり男の子パターンで中学の時に内申が悪く久居高校に進学した。塾を続けるものの深夜まで勉強することから遅刻を繰り返した。単位制導入とリンクするように久居高校の風紀は乱れていくようだった。ウチの塾でも久居高校の制服を着た学生が塾の自転車を気楽に乗っていったり、中学生のナップサックを自転車から取っていくなどの軽犯罪が何度もあった。その光景をたまたま目撃するものの、その自然さに驚いた。罪の意識なんぞないだろう軽いノリ・・・。久居高校だけのことではない。全国的な傾向だろう。しかしこの10年ほどの急激な変化、それもあるのだろう、久居高校の生徒指導はこの辺りでは最もキツイ。全校集会で集まったところを一斉に持ち物検査や頭髪検査を始め、問題生徒は全校生徒が見守るなかで叱咤される。遅刻もまた御法度だった。頻繁に直哉の親が呼び出され「あんな塾はやめなさい」と言われたという。「塾さえやめれば、直哉君は久居高の生徒として立派に更正できますから」 更正・・・これらの表現にお母さんのほうが頭に来ていた。深夜にまで及ぶ勉強の成果が出たのか、直哉は高1の2学期の進研模試で数学校内順位1位を取った。中学の頃から国語は苦手、しかしこと数学に関してはこだわっていた。大学は数学を生かせる理系の私立大学しかなかった。校内順位1位、全国偏差値71の成績表を俺に見せた時の直哉の得意げな表情を俺は忘れない。いい笑顔だった。しかし高校での数学の授業はいつも寝ていた。先生から起こされると「塾でもうやったからいいんや」と言ったそうな。この件については厳しく怒った。「だって高校の進路は遅すぎる」 不服そうな直哉に中学校の頃から何度も吐いたセリフを言った。「しかしな、先生の立場に立ってやれよ。オマエが先生なら頭に来るだろう!」 授業では寝なくなったようだが、遅刻は相変わらずだった。親の呼び出しはさらに頻繁となった。結局、3学期になった頃、直哉は塾をやめた。これで更正した立派な久居高の生徒が誕生したわけだ。「してやったり!」という担任の顔が想像できた。久居駅で友達とたむろする姿、人目を引くほどのピアス、茶髪・・・つまりは今風の高校生の直哉の姿が見られたそうな・・・。「もう、先輩!って声をかけられる雰囲気じゃないですよ」とウチの塾生は言った。目標がなくなったらどないするんやろう・・・俺の懸念。そして今年3月23日、高3に進級する直前に直哉は久居高校をやめた。聞けばバイク通学が見つかり注意しても直らなかったから強制退学に持ち込まれたとのこと。唯一のプライドである数学。その数学も塾をやめてから錆びついていった。プライドの消失・・・守るべきものがなくなり、楽しければいい。そんな生活が終わりを告げたわけだ。直哉はこれからどうするんだろう。仕事帰りにちょくちょく塾に姿を見せる従兄弟の金児里恵に俺は言った。「直哉に会ってみたい。段取りをつけてくれ」 久居高校について語る際、俺は直哉とアキちゃんを対比して考えてしまう。今年、単位制の効果からか?現役で京都女子大学合格者を出した。しかし京都女子では夢が持てない。スペシャリストの育成、俺はアキちゃんで来年、早稲田大学で勝負する。もしアキちゃんが早稲田に合格したら、久居高校の生徒はなにがしかのプライドも持てるんじゃねえか?と考えている。ほんの一握りの生徒たちだけが大学を目指す、そんな状況に風穴を開けることができるんじゃねえか? 享楽の場と堕した久居高校の生徒たちに自信を持たせられるんじゃねえか? 久居高校で高3のこの時期、よく交わされる会話・・・「専門学校に行くつもりやったけど、専門学校って高校よりキツイらしいよ」 「高校よりキツイんならどこでもええから大学のほうが」 「そうそう、大学なら遊びまくれるから」 「じゃあ俺も大学に行くわ」 こんなノリで大学進学希望者が増える。小説家になりたい、小説家になるために早稲田に進学したい・・・久居高の花神たらんとして努力するアキちゃん、その早稲田大学入試まで、あと20か月・・・。 2日の夜、岡田さんを連れてIZIRINMAに行く。5月27日号で紹介した薬剤師の方の勤務する会社に偶然にして三重大生物資源のOGがいた。薬剤師の方の話を聞くかたわら塾内に起こるいろんな出来事をギャグめかして話していた時に岡田講師に触れた。フットワークが悪い上品なお嬢さんが就職と院進学の狭間で佇んでいるという前回の「25時」の内容。それに反応したのがご父兄、「そういえばウチの会社に生物資源を出た社員いたっけ」となった。是非紹介してくれと頼み込んだ。当然岡田さんのことも頭にはあった。しかしそれ以前にも生き生きして仕事をしている女性に会ってみたかったのが本音。この辺りは女の子は手に職を付けてあげたいという親の希望が多い。そして娘たちもまたその意向に従う傾向がある。しかしどこか歪な印象を感じてしまう。手に職を付けたいという希望だけで学校の先生になってもらったんでは子供たちにとって不幸過ぎる。自分のやりたい仕事をやっているんだ! そうプライドを持って言える女性に会いたかった。ウチの塾は困ったことに女の子が70%で男の子が30%という、5年前では想像もしなかった比率となっている。塾内に生息する女の子を見渡し一人ごちる・・・所詮は会社に入って、お茶を入れたりコピーなんか取ったりして結婚までを過ごすのだろうか・・・。去年の大澤加郁(スポーツインストラクターを目指して留学)あたりから女性にとっての職業というものを考え始めた。そして今年、箸にも棒にもかかわらない岡田さんがいた。いみじくも甚ちゃんが言った。「岡田さん、黒いスーツなんか着たら落ち着きすぎて見えるよね」 正鵠を射る表現、真面目だし、しっかりしているものの、ただそれだけ・・・到底、企業が求める対称ではなかった。生き生きした女性を岡田さんに見せてやりたい・・・、それと同時にこれから塾を巣立っていく女生徒たちのためにも見ておきたかった。自信を持って「社会に巣立て!」と言うために・・・。 M製薬に勤める今年入社3年目のMさんはコロコロとよく笑う女性だった。岡田さんと見比べても、どちらが学生?なんて思いにとらわれた。彼女はM製薬の実験室勤務。化学が好きだったの?と水を向けると「いえ、高校時代は化学は見るのも嫌いなくらい。だから大学入試では生物を専攻したんですよ。そして進学後も遺伝子の研究してたんです。だけど大学の授業で有機の実験があって・・・それからかな、俄然化学にのめり込んでいったのは」 「受験生的には理論化学はともかく、有機なんて覚えるだけのシンドイ範囲でしょ? それが大学生になってなぜ有機に目覚めたんでしょうね?」と俺。「そうですね・・・高校生の場合はとにかく覚えないと入試に間に合わない。でも大学では実験中心で視覚的に分かりやすかったのが大きいかな」 劇的に変化する有機の実験に感銘を受けたことが化学分野への興味を抱くキッカケとなり、それが今の職種につながっていく。現在はラットなどを使って実験をしているという。その実験結果を会社のお歴々にレクチャーする機会も多いとか・・・。「オマエ、生意気そうに説明してるもんな」と上司である薬剤師の資格を持つ父兄が揶揄した。それに対して微笑みながら「そんなつもりはないんですけど・・・、そう見えます?」 この日の成果は大きかった。岡田さんにとっても、俺にとっても。生き生きと仕事をしている女性は女神だ。 東進ゼミナールのシンポジウムを翌日に控えた3日の夜、長野が姿を見せる。「先生、正式にキユーピー内定のお知らせにあがりました」 チラッとシンポのことが頭をかすめた。多治見に9時やったからこっちを7時には出なアカンな・・・しかし俺は田中千秋の携帯の番号を探している。千秋は家にいた。長野に受話器を渡して高校生の英文法・時制のプリントをコピーし始める。後ろでは長野が千秋とはしゃぎながら話している。「はいはいはい、うん、分かった。そう、うん、楽しみにしてるから」 高校生にプリントを渡し、秋田真歩と英語の読解を始める。急がなくっちゃ・・・。受話器を置いた長野が叫ぶ。「先生、千秋ちゃんがすぐに来るって!」 「そうなると思ってたよ!」 真歩の英文読解、サッカーの英雄・ペレの話だ。それをラスト1ページまで訳すと長野に叫ぶ。「長野、後は頼む。俺は向こうで高校生やっつけてくるわ」 「俺に教えれるでしょうかね」 「馬鹿野郎、オマエ大学生だろ! でもな、真歩は英検の3級合格してるけどな」 「どないしょ、僕は4級しか持ってませんよ」 そして高1の英文法の授業を始める。高校生の授業を30分ほどしたところで千秋が姿を見せる。「先生、これお土産」 そういえば支店長の家族と長野県へ旅行に行ったんだっけ。お土産は俺の大好物の蕎麦である。「向こうに長野がいる。パソコンにはウチのホームページが立ち上がってるよ」 「ウワ! 楽しみ!」 俺は飲みに行くために授業を急ぐ。 1時間ほどしてザッパに授業を終える。奥さんに電話。「あのさ、長野が内定の報告に来てさ・・・」 「・・・明日は早いんでしょ!」 さすがに俺の奥さん、勘がいいや。だてに俺と12年も暮らしちゃいない。「でさ、田中千秋も来てさ」 「明日は6時起きだったかしら」 「だからさ、お金ちょうだいよ」 「もう! 遅くまで飲んでいたら辛いのは自分なのよ」 「どうしようもなかったら、飯田先生に東名阪で事故起こしましたって言うよ」 「まあ! 結局はセミナーより生徒さんを取るのね」 宮池近くの『蔵』で飲むことにする。「飲み物は何にします?」と言うオバチャンに「生チュウ!」と俺。「ピーチ・チュウハイ」と千秋。「僕はウーロンで」と長野。「ウーロン割りか?」と俺。「いえ、ウーロン茶で・・・、えへへへ」 「なんなん!アンタ」と千秋。「新入生コンパでビールをオチョコに10杯ほど飲んで救急車で急性アルコール中毒で運ばれたほどですからね」 「情けな!」と千秋。「でも私も最近弱くってさ・・・」 運ばれてきたグラスを手に持って「長野、内定おめでとう。乾杯!!!」 長野が社会人の先輩たる千秋に質問してる。「千秋ちゃん、やっぱセクハラってあるの?」 「あるわよ。私なんか、いっつもオシリ触られたもの」 「よりによってオマエなんかの・・・」と俺が言うと「先生、その発言も十分にセクハラよ」 「すんません。で?」 「しつこいから私、支店長にチクッたのよ。じゃあ個人的に注意を受けてたみたい」 「それからその触った人の態度は?」と長野。「これが笑えるのよ。それからその人、男の人のオシリ触ってるの!」 携帯に竹中から電話が入る。「めでたい酒やな、行かんわけにはいかんよな」 「へえへえ、すんまへんな」 そして竹中が座の中に入り狂乱の度合いが一挙に増す。俺と二人で冷酒を次から次へとお代わり・・・。前後不覚で塾にもどり藤山大輔(津高1年)にプロレスごっこのノリでつっかかったという。しかし大輔、マジに反撃! 蹴りを入れられて俺は後ろに吹っ飛んだとか・・・いつものように記憶がない。こら!大輔。40過ぎの大人に本気を出すな! オマエには「あえて先生にやられてあげよう」という優しさがないんか! 塾のスラム街のベッド・・・電話が鳴っている。午前6時、出ると奥さん。「覚えてる? 岐阜の飯田先生とこのセミナーに行くんでしょ!」 「はいはい・・・もう行くから」と言いつつ再び睡魔に抱かれる俺。再び電話、「すぐ行くから」と言いつつ切る。さらに電話、「絶対に行くから」と言いつつ切る。さすが敵もさる者、何度も何度も敵機来襲。つまりは全然俺を信じてへんわけやな。午前7時、やっと久居を出発する。吐きそうになるのをこらえつつ伊勢自動車道を走る。 去年のシンポジウムもやはり二日酔いで車を走らせた。会場の多治見市民会館に到着、机に着くやナメクジのように溶けてしまいそうだった。でも飯田先生に失礼だと気分を鼓舞し前から3列目の一番端に座った。たとえウツラウツラしてもこのポジションなら死角になる、というセコサも働いた。しかし「中山先生、ご苦労様」とのハイテンションの声とともに飯田先生登場! 困ったことに俺の隣に腰をかけた。「今日はたくさん勉強していってね!」 「はい!」 脇の下を酒臭い汗がつたった。 去年の記憶が蘇った。今度は同じテツは踏まねえと後ろの方に座った。吐きそうになるのをこらえながら、ホールへタバコを吸いに行った。階段を飯田先生が上がってきた。「ご苦労さん」 「今日もいろいろと勉強させてもらいます」 その後から今日のパネラー、それもトリを努める栃木の坂本先生が姿を現す。「久しぶりです」 「中山先生、元気だった?」 「なんとか」 「東京でさ、れいめい塾の広告見せてもらったよ。でも見ただけなんだよ。送ってくれる?」 「はい、三重県に戻ったらすぐにでも」 「栃木の塾の先生たちに言ってんだよ。自分の塾をどうしようか?なんて考えてるんだったら、三重県のれいめい塾に行けってね」 「光栄です」 2年前、坂本先生は吉田先生に勧められてウチの塾の見学に訪れた。そして栃木に帰るとすぐに塾のスタッフ2人を見学に寄越した。そしてそれまでの一斉授業のスタイルをウチの塾のように生徒一人一人の自主性に任せる形態に変えた。俺にとっては開明学院の永橋先生と並んで父のような存在(怒られるかな?)。旧交を温めながら会議室に入ると俺の席の隣に、なんと飯田先生が座っている。紅い糸ってか? 中間期末などの試験は達成度試験である。しかし設問ひとつひとつに出題者の意図が潜む。たとえば一問一答形式の問題は単に生徒たちの知識を測り、記述問題では知識と知識を組み合わせ採点者に説明するという複合的な力を必要とする。飯田先生は東海中学(愛知県最難関の私立中学)の社会の過去問題を題材に、設問ひとつひとつを分類していく。これがビギナーの俺にとり大変役に立つ。分類においてはブルームの教育分類学を使う。分類は知識・理解・適用・分析・総合に分かれる。飯田先生によれば東海中学の社会は、知識・理解・適用の3つに分類され、地理分野では知識よりも理解の設問が、そして歴史分野では知識の設問が多いことを説明していく。俺がこのシンポに顔を出すキッカケはこの教育分類だった。今まで勘に頼ってきた傾向と対策を理論的に分類してみたと以前から思っていた。ブルームの教育分類学というのは吉田先生から聞いたのが初めてで、その吉田先生はSP理論などの権威である佐藤隆博先生から学んだという。佐藤先生は全国各地で教育理論の研究会を主催。この多治見でのシンポもまた、飯田先生が中心になりながらも顧問として佐藤先生が出席されていた。飯田先生の発表の後、俺は飯田先生に質問した。東海中学の設問のなかの難度の高い知識問題、つまり即答では答えられずに前後の文脈から判断して解答へと至るプロセスの問題、そんな問題は知識よりも適応のほうがよくはないか?と。飯田先生は噛んで含めるように説明してくれた。「中山先生の観点から、これは知識ではないなと思えば、それはそれでいいんですよ。重要なのは出題者側に均一化された基準があること。確かに僕は僕の基準であの問題を知識に分類したけど、悩んだ時は『えい、やあ!』ですね。正解はないんです」 「それを聞いて安心しました」 「でも中山先生、あれを適応はないんじゃない。知識レベルを逸脱しているとしたら理解かな」 「すんません、勉強不足で・・・」 「でもね、やっぱり難関私立の出題者はブルームあたりを研究してるよ。年度に知識・理解・適応のばらつきがないんだ。つまり応募者に対する明確な学校側の意志が感じられる。これが公立高校の入試になっちゃうと、もうメチャクチャ。いったい生徒の何を評価したいんだか? 出題者の確固たる意志が見られない状況・・・結局、何も考えていないんだな」 佐藤先生の講義のなか、ブルームの分類(知識・理解・適応・分析・総合)は階層的な構造になっているのに対し、文部省の生徒指導要録では知識・技能と表現力・判断力が羅列的構造になっていると指摘された。つまり貧しい俺の知識で説明すると、ブルームの理論ではまず知識・技能といったものがあり、これを前提として修得していくうちに理解・適応・分析・総合といった思考力でくくれるエリアの問題に到達する。言葉を換えるならば、初めから思考力を養うのは不可能で、その以前の段階として知識・技能の修得が不可欠となる。これに対して文部省の指導要録、一般では「新しい学力観」では知識・技能と思考力が並立しており「知識はないけれども表現力はある」という奇妙な生徒評価が生まれる可能性があるわけだ。この俺の拙い説明、このHPを見た先生、飯田先生か坂本先生!添削してください。こんな理解でいいんでしょうか? 坂本先生は栃木県内の塾を組織し統一試験を主催、その問題の制作も担当している。業者試験が完全に栃木県の入試問題に合わせて作られているのに対し、坂本先生の設問は子供達の表現力・判断力を育てる目的で作られている。問題制作の基準になっているのはブルームの教育分類学。以前の栃木県の入試問題は必要以上に知識問題が多く(つまりは短絡的な一問一答式問題)、物事の本質に迫る問題は皆無だったという。業者の問題はこの傾向を助長したにすぎない。そこで坂本先生は過去の栃木県の問題をブルームの分類学で分類し、教育委員会に提出。偏向的な出題傾向の変更を要請した。驚くべきことに教育委員会にはブルームの名前を知っている人はいなかったという。ただ再三にわたる坂本先生の説得と熱意ある態度、さらには度数分布などの膨大な資料を前に教育委員会は改善することを検討。そして最近では国語を除き、他の4教科は良い方向へと問題の改善が続いているとのこと。「よく教育委員会を動かせましたよね?」 「まあね、ウチの塾が属している組織の生徒数のトータルは栃木全県の生徒数の23%を占めてる。それが大きいんだろうけどね。短絡的な正解追求型の問題を出題することで、その解法のテクニックには長けるかもしれない。でもさ、思考力や表現力のない生徒を大量生産しているだけだよ。やっぱりこれからの日本の将来を担う人材を育成していくのが僕たちにできることじゃないかな」 午後5時になり終了、名古屋市内で塾を経営している跡部先生を乗せて19号線を走る。職業がら声が大きい塾の先生のなかでは珍しく、跡部先生はポツポツと噛んで含めるように話す。俺がデキの悪い生徒だからだろう。車中、含蓄に富む話をいくつかしていただいた。BBSの話題から「少年犯罪も問題だけれども、それより中小企業が絶滅の危機に瀕していることが心配ですね。手作業などで今までの日本経済を支えてきた技術者がいない。工場には高齢者ばかりで後継者不足に悩んでいる。少年犯罪より、このことのほうが近々日本を直撃するんじゃないかな」 大曽根の五叉路で跡部先生を下ろし、塾にもどったのが午後8時前。中間試験開けの岡田拓也が姿を見せる。「中間試験どやった?」 拓也は点数を紙に書き込む。合計415点・・・。「オマエさ、もしかしたら中学に入って初めて400点取ったクチか?」 拓也は頭をかいて苦笑しながら頷く。「やっぱうれしい?」 それにも微笑むだけ・・・。「オマエさ、感動ってないの?」 再び微笑み。「今度の期末は450点だ!なんてノリもねえの?」 ただただ微笑み。業を煮やした俺は叫ぶ。「そんなナヨナヨした性格じゃ就職面接、どっこの会社も受かれへんで!」 この夜、珍客登場・・・ドタキャンの杉本理恵。ウチの塾で国語を教える予定だったのはいつのことだっけ? 忘れちまったな(詳細は「25時」4月20日号)。杉本は飲み会帰りの風情で「中井君から頼まれて国語を教えることにした」と宣う。たとえウチの生徒であろうと4月の時のドタキャンに関する詫びも説明もない。俺にないくらいだから高1や高2にもないだろう。時間を守れない奴、自分のしたことに責任を持てない奴に興味はない。適当にあしらっておく。中井を教えるのは自由だがバイト料を払う気はない。是非にということならば、ここはかわいい後輩ということでボランティアでやってもらえばいい。機関銃のようにしゃべるだけしゃべって「なにか冷たい雰囲気、もうイヤやわ」と退却模様。 6日、越山からメール・・・・以下。 昨日、第三の人事の人から電話があって、結果は・・・不合格だそうです。これで、すっきりしました。やっぱ、どう考えても銀行には行きたくなかったから。これでほんとうによかったと思ってます。両親には悲しい思いをさせたと思いますけど、お互い?ベストを尽くして出た結果ですから納得です。あれだけ証券会社に行くなと言っていた母親も、いざ就職先が一個になると手のひらを帰したように「丸三証券に行きなさい」で、話は終わりました。それでは夏にお会いしましょう。あっ!そうだ。夏は麻雀つきあってくださいね。 これで今年の就職組で残ったのは公務員試験を受ける藤田正知。俺はさっそく正知の携帯に電話。「勉強やってっか!」 「やってますよ。今だって図書館で・・・」 「いつからスタートだっけ?」 「6月10日からです」 「面接はともかく、オマエは勉強ではバカなんだから頑張れよ」 同じく6日、長谷川君(詳細「25時」5月7日号)からメール・・・・以下。 先生お久しぶりです。二次会では心温まるスピーチ有り難うございました。新婚旅行から帰国し、そのまま仕事に突入。相変わらずの痩せる日々を送っていたとき、田丸・弟からアドレスを聞きました。さっそく目にしたそれは懐かしい「れいめい塾発25時」。思わず時間のたつのも忘れて読み進むうちに、自分のことが載っているのを発見。恥ずかしいやら嬉しいやら、奥さんといっしょに楽しませていただきました。これからは二人力を合わせて「泌尿器科に長谷川あり」といわれるようにがんばりたいと思います。(どっちの長谷川だ!なんて言われないように) また旅行のお土産を手に、塾に顔を出そうかと思っています。 さらに、披露宴の時に聞けなかった本音に迫るP.S.が続く。 P.S.ちなみに奥さんは9年目のドクターです。それから、先に好きだと言ったのは、どう考えても自分ではなく奥さんの方だと思います。また、どうして師弟が結婚することになったか・・・。それは「釣り鐘理論」かな?なんて思ったりもします。釣り鐘を見知らぬ男女が一緒に渡ると、渡り終えた後に奇妙な連帯感が沸き起こるというもの。一緒に仕事をしていく上で、難しい症例や手術を幾度となくくぐり抜けていくうちに、いつの間にか惹かれあったのかもしれない。これが結婚に至る真相です。ではまた。 |