2000年|25時|れいめい塾
れいめい塾発 「25時」 2000年5月1日
4月23日、前日の公則の結婚式の酔いが覚めないまま、4期生辻本光生の結婚披露宴に出席することになる。披露宴といっても趣向を変え、宮川のほとりでバーベキューパーティである。主催は塾の4期生達。中心になったのは岡田聖志こと聖ちゃんと宮崎周司こと宮チンの2人。この2人は朝早くから火を起こしに宮川へ。そして後の面々、4期生の林直樹・奥田孝一・谷本篤・臼井章に新婦の友達、そして今日の主役である辻本と奥さんは10時30分新しい塾を出発。俺も3人の娘達を車に乗せ、何年かぶりの家族サービスもどき。
辻本は中2年の時に塾に入ってきた。古い塾のドアを開けたのは6歳年上のヤンキー(辻本発言)姉ちゃん。その後ろにオドオドして立っていたのが辻本だった。「先生とこは誰でもはいれるの?」と茶髪の姉ちゃんが尋ねた。「やる気さえあればね」 「そう、光生! やる気あるよね!」 この愛情の押し売りとも言える恫喝に心細げな少年、しおれるような声で「うん」とポツリ。「じゃあ決まった。先生、お願いします」 こんな感じで辻本は塾に1歩を踏み出した。しかし見事なほどに勉強はできなかった。5教科で200点すらなかった。とりあえず難しい問題はさせずに基本的な問題だけに絞った。そして1年の英語の教科書を毎日塾に来ては書かせた。thisは書けるがthatは書けない。boyは書けるがgirlが書けない。そんなレベルからのスタート。始めは1年の教科書を1回書き写すのに5時間かかった。1週間後に3時間、ひと月後には2時間、そして夏休みが終わる頃には1時間を切るようになっていた。正確な英単語が書けるようになったものの文法理論はからっきし。今度は基本文型を延々と覚える毎日が続いた。生半可な理論より身体に英語を覚えさせようとした。効果が出るまでに1年間を要した。中3に進級するころにはやっと人並みの英語となっていた。ボロボロの数学では、中2の3学期から図形を捨てて3年1学期の中間テストに絞って勉強させた。とにかく自信を持たせてやりたかった。おとなしくてからかうとおもしろい、学校のほうではイジメの対象になっていた。そうだろう、何に対しても自信がない。ウザイ、そんな存在だったんだろう。とにかく自信をつけるのが今の状況を変える唯一の方策のように思えた。数式を上げる方法は簡単だ。同じ計算問題を何度もさせる。本質的理解とは程遠いが、どうしても点数を上げるには、繰り返しさせることが最短距離だ。そして平方根の単元テストで辻本は100点を取った。先生から返却される際に点数が告げられた。その一瞬、クラスがざわめいたという。辻本にとり生まれて始めて取った100点だった。小学校でも一度も100点を取ったことがなかったという。おとなしくて勉強もできない、からかうと反応がおもしろい、イジメのかっこうの対象であった。しかし勉強が分かり始めて辻本のなかで何かが変わった。イジメられているばかりでなく、言い返すようになった。点数も300点を超えた。しかしそんな点数を維持するにはハードな勉強を強制せざるをえなかった。深夜遅くまで塾にいて遅刻を繰り返した。点数は上がったものの通知表の成績はスズメの涙ほどしか上がらなかった。20番内の順位にいた英語ですら評価は10段階で4。得意の英語が4では後の教科は押して知るべし。9教科合わせても22しかなかった。行く高校がない、三者懇談で担任は言い放った。「れいめい塾にいるんでしょ。2群でもどこでも受けてもらって結構です。でもはっきり言っときますけど、こんな生活態度の悪い生徒は三重県中捜したって、入れてくれる高校はどこにもありませんよ」 俺は頭に来た。陰湿なイジメをただ我慢するだけで耐えてきた、そんな生徒が勉強を始めて順位が上がるなかで、なんとか言い返せるようなタフさを持ち始めた。しかし生活態度に問題あり、つまりは遅刻・授業中の居眠りなんかをさすんだろう。でも陰湿なイジメを繰り返す奴が無遅刻無欠席なら品行方正となる世界。この時期、東中の文化祭や運動会を見学に行っていた俺に「学校関係者以外の方は来ないでいただきたい」という連絡を親父を通して伝えられた。露骨なパッシングが行われていた。ウチの生徒の内申は軒並み下がった。東中順位1位の臼井ですら内申54、愛嬌だけで売っている邦博はやっとの60、笑顔が愛らしく先生方から愛されている荒川だけが67。その他の面々は惨憺たるもので、横山が51、谷本が46、森下に至っては42。こんな状況では狙う高校は2群しかなかった。内申が多少悪くっとも合格させてくれたからだ。やむをえずウチの塾は2群に絞った指導をしていくことになる。そのあげく「あの塾は津しか受けさせない」との噂が広がっていく。
辻本が行ける高校を探した。そして久居農林に目を付けた。多少内申が悪くっても当日の成績がトップ3番なら合格すると関係者から聞いたからだ。トップ3番ね、なんとかなるやろ? 「今日からは別に学校へ行かんでいいわ」 もう1人、2群を狙う森下も内申の悪さから「オマエなんかが2群に合格したら2群の恥やわ」と罵倒されていた。この似たもの同士の森下と辻本は、ラスト1ヶ月のほとんどの時間を塾で過ごしていた。ちなみにこの2人以降、「学校へ行かんでいいわ」と、塾で勉強させたのは13期生の飯田隆哉までいない。つまりはこの空白の10年間、俺は品行方正な塾をやってきたってわけだ。
合格発表の日、俺は生徒達を車に乗せ2群の合格発表会場の津西へ。森下が合格した。塾生たちから胴上げされ地面に放り出されると祝福のキックを雨アラレと食らっていた。これで2群の恥が一人誕生した次第。しかし直彦が落ち、谷本も落ちた。横山と臼井と邦博は合格していた。2群に合格した面々を乗せ本日のメーンエベント会場、久居農林高校へ。人影のない掲示板に俺達は死刑執行囚のように近寄っていった。『辻本光生』の名前を見つけた時、俺は身体から力が抜けその場にへたり込んだ。4期生と過ごした、辻本と過ごした年月を思った。視界が曇るなか、くぐもった声で辻本に怒鳴った。「ホンマに合格してるのか、あそこにいる先生に聞いてこい!」
冗談のつもりで言ったものの辻モン、ホンマに合格書類を渡している先生方にトコトコとロボットのような足取りで近寄っていく。先生方が辻モンに何かささやいていた、微笑みながらだ。辻モンが戻ってきて俺達にご丁寧に報告しやがった。「先生、僕、ほんとうに合格してるって」 「当たり前だろ! このバカ野郎!」 俺は辻モンの身体を抱え上げてパイルドライバーで砂地の上に頭を叩きこんだ。沈黙、俺は一瞬「塾の先生、合格発表会場で生徒をプロレス技で死なす」という笑えないリード文を思い浮かべた。辻モンの顔をのぞきこんだ。嗚咽。顔をクシャクシャにして泣いていた。まわりで2群に合格した邦博や横山や臼井が笑っていた、涙を流しながら笑っていた。
久居農林に合格した辻本が暗い顔で塾に姿を見せた。「どないした? またイジメられたんか」 「違うよ、先生。実はさ、英語のことなんやけど」 「英語? 英語だったらオマエ、分からへんはずないやん。津高やったらともかく農林やったらオマエがトップだろ」 「英語の本がさ、臼井やヨッコン(横山)の本と違うねん」 俺は辻モンが何を言おうとしているのかを理解した。しかし、それはどうしようもない、そう心の中でつぶやきながら辻モンの話を聞いていた。「農林の英語の本さ、大きいんや。すごく見やすい、でも字も大きい。中学のときの教科書よりも大きい。中1の教科書と同じくらいかな。そして始めのページはアルファベットの練習。昨日第1回目のテストがあって、それがアルファベットの大文字と小文字のテストなんや。そして英作文が、This is a pen.と Is this a pen ? と This isn’t a pen.なんさ。満点やったんさ、僕。でもみんなも満点やろと思ってたらクラスで3人だけ。まわりにいた奴が言うんさ。『おまえ、すごいな』って。僕さ、情けなくてさ、泣けてきたわ。僕もさ、臼井みたいにさ、小さくて字の細かい教科書で勉強したいなって思ってさ」 「じゃあ、高校やめるか?」 「いや、そんなんじゃなくて・・・、先生にちょっと愚痴が言いたかっただけなんさ」 「愚痴ならいつだって聞いてやるよ」 「ありがとう。そうそう、先生」 「なんや」 「俺さ、ボクシング部に入ったんさ」 辻本は照れくさそうに言った。「ボクシング部!」 辻本とボクシング、あまりのミスマッチに俺は言葉を失った。 「うん、ずっと前からやってみたかったんさ。まあ、英語には少々落ち込んだけど、ボクシング部はこのへんじゃ農林しかないしさ。農林に入って良かったと思ってるんさ」 「そりゃいい。俺、格闘技系大好きだから試合が決まったら見に行くよ」 「ホント? ホントに来てくれる?」 「ああ、邦博や臼井も連れていくよ」 「絶対やに。約束やに」 辻モンはいくらか機嫌を良くして帰っていった。英語の話、これはどうしようもなかった。5文型もマスターし、大学受験用参考書のSやらVやらOやらCの意味を理解している辻モンにとり、高校英語のスタートがアルファベットの大文字小文字からとは残酷な話だった。しかし、ボクシングがあって良かった。本当に良かった。あ奴が熱中できるものが農林にはある。でも、ボクシングったって、あ奴の身体じゃ一番軽量のモスキート級ですら減量する必要もねえじゃないか。そして持ち前の優しさ、気の弱さ。相手をドツキ倒す辻本を想像してみた。イメージし辛かった。果たして続くんかいな? 不安に感じながらシャドウボクシングしてるつもりだろうが、タコ踊りにしか見えない辻本の後姿を見送っていた。
農林の1年時、辻本は3戦して3敗。それでもクラブをやめる気配はなかった。ウチの塾のカラオケ大会で俺は辻本を指名した。「何の曲?」 ノンキにかまえる辻本に俺は言った。「ここでボクシングのエキビションマッチやろや」 「ええ!」 「ルールは3分1ラウンドでどや。顔面ありや」 「先生、アカンて。先生飲んでるし」 「いいじゃねえか、ハンデだ」 強引に引っ張り出し30人ほどが見守るなか、缶チュウハイの空き缶を叩いてゴングが鳴った。嫌がる辻本をコーナーにつめて連打、顔を狙う。辻本はガードだけで打ち返してこない。それじゃあとばかりに攻め込む。すくい上げるようにアッパーが辻本の喉に入った。一瞬、辻本の目が変わる。再び顔面めがけて連打。そこに一発を食らう! 何?ってな感じで俺は尻餅をついた。この時の現場に居合わせた5期生の折笠が言う。「びっくりしました。ボクシングのマンガでよくあるやつ。下からのボデーブロー、いやアッパーかな、ともかくよく相手の身体が浮く描写がありますよね。大げさやな、なんて思ってたら、辻本先輩の一発で先生の身体、浮きましたよ。スゲー!ほんとにこんなことってあるんやって」 この折笠、後に久居中から2群に合格し津西に進学。そして現役で日本大学に進学すると永年の自分の夢、ボクシング部に入る。カラオケ大会で見た辻本の強烈な印象、自分もいつかはボクシングをやりたい!そう、この時に思ったそうな。タイプ的にイジメられっ子で辻本と同様、強さに対する憧れがあったのだろうか。ともかく闇雲に俺は立ち上がった。3分ならテクニックが問題じゃない。気迫勝負だ。再び突進して連打。しかし辻本はスウェーバックしてかわしていく。「チョウのように舞い、ハチのようにさす」ってか、クソッ! 大振りを繰り返す俺の合間を突いてサウスポー辻本の左ストレートが俺の胸へ。長い長い3分が終わった。辻本が俺に言った。「先生、大丈夫?」 「大丈夫だよ、バカ野郎。こんな調子でやりゃ,試合に勝てるだろ」 当惑げな辻本。「でも先生、みんな,先生よりも強いよ」 「悪かったな、この野郎、イテテ・・・」 後で医者に診てもらうとアバラ骨にヒビが入っていた。「とにかく試合に勝ってみろ。気迫勝負だ、オマエ、アホなのに優しいんだから。ワケの分からんこと考えるな。とにかく相手を叩き潰すつもりで行け」 「うん、がんばるわ」 「オマエはサウスポーだ。俺達右利きにすりゃイヤな相手だ。でも気がいいのか、やさしいだけが取り柄なのか、俺に合わせて動こうとする。バカだよ、逆に回れ!逆に! 分かったか」 「すごい戦法やな、先生」 「バカ野郎!そんなこた常識だよ」 「そうか。うん、僕がんばるわ」
2年に進学した辻本、なんとボクシング部のキャプテンになった。「なんでオマエなんかがなれるねん」と言う俺に辻本、「監督がな、毎日練習に来るからやて」 そして辻本はインターハイ地区予選に出場することになった。三重県にはボクシング部を擁する高校は数えるほど。辻本のモスキート級も4人で県代表を決めることになった。会場は久居農林高校、俺は4期生の面々と応援にくり出した。相手は三重県立水産高校の1年だった。スラリとした長身、マスクも相手の方が格段に上だ。試合が始まった。辻本は練習したのだろう、サウスポー特有の右回りで相手をけん制する。相手はやりにくそうな表情を浮かべる。身体を丸め込んで何度も相手の懐に入ろうとする辻本。それを嫌がり離れようとする若きハンサム。決定的なチャンスはなく1ラウンドは終了。観客席のあちこちから「タイソンいいぞ!」と観声が飛ぶ。タイソン、辻本のあだ名だ。いつしか辻本は久居農林で自分の居場所を見つけた。そして2ラウンド、栄養失調気味のマイク・タイソンが前に出て行く。幾度か殴り合うシーンは見られたものの有効打はなし。1ラウンドと同じ展開で試合は進んでいく。辻本は前へ、前へ、前へ・・・、相手がビギナーなのが幸いしたのだろう。何の工夫もなく後退を続ける。2ラウンドが終了し辻本がコーナー引き上げてきた。精も根も尽き果てた、そんな表情でロープに寄りかかった。審判が2人をコーナーから呼んだ。リング中央で審判に手を握られて2人のボクサーが試合結果の発表を待つ。静寂・・・そして審判は辻本の手を上げた。ドッ!と巻き起こる観声。おいおいおい、これって予選の1試合目だろ。まるでお祭り騒ぎやん。辻本が誇らしげにリングを降りた。ビデオカメラのレンズの向こう、辻本の顔がアップになった。「先生、勝ったよ!」 こ奴のこんな晴れやかな表情を見るのは始めてだった。
あれから9年がたつ。辻本はボクシング部の監督の紹介で県内準大手の建築会社へ就職。そして去年の暮れ、彼女を連れて塾に姿を見せた。「先生、僕な、来年の3月15日に籍を入れるんや」 「式は?」 「式は挙げずに親族だけで写真だけは取るつもりやけど。写真館は塾のそばの・・」 「スタジオ山本か」 「うん、だから先生も見に来てよ」 「ああ、じゃあブラッと見に行くよ」
3月15日、俺は見学だけのつもりが辻本の母親の「ミッチャンは先生が大好きやから、先生一緒に写真に入ったってください」 俺はGパンに薄汚れたジャンバー。礼服で着飾ったなか、ホームレス風情が辻本の真後ろに立った。バシャ!バシャ! フラッシュのなか、俺の笑顔はぎこちなく、身体の中からこみ上げて来る感情に押しつぶされそうだった。
4月23日、宮川の河川敷。辻本は出来あがったばかりの写真を広げ、懐かしい仲間達が閉口するまで見せびらかしていた。その笑顔、俺のなかで9年前にリング上で見せた笑顔とダブって見えた。
今日、5月1日。長谷川君が名古屋のヒルトンホテルで式を挙げる。
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