16日から19日にかけて中3が修学旅行で出はらっている。取り残されたのは久居東の岡田拓也だけ。久居東は中2の冬に長野県へスキー、二泊三日の旅行が修学旅行。拓也は大の苦手教科である英語の復習に一人いそしむ。中1や中2は試験勉強に入っている。各自が「今、自分は何をやるべきなのか?」を考えつつ中間テストまでの日々を過ごす。自分の好きな勉強だけではダメ。かと言って苦手教科ばかりでは総合点は伸びない。今回の塾内平均点の目標は430点。果たしてどんなふうに仕上げてくるか。こんな日々は、俺の仕事といえば生徒たちの背中を眺めるだけ。つまりは暇なのだ。暇にまかせて前から気になっていた長野に電話する。 7期生、長野泰紀。久居西中から津高へ進学。古い塾で田丸・兄(伊勢市民病院勤務)の指導のもと滋賀大学経済学部に合格。性格は年上に律儀でなおかつラテン系、高校・大学とバンド活動にいそしむ。突然のドラマは留年決定後の大学3年生の時にこ奴を襲う。バイト先のかわいい彼女、いつか交際を申し込もうと決意するものの彼女が婚約中、あげく直前に結婚式を控えていることを知り断念。しかし親しくなるうちに2人で食事をするような関係に・・・。彼女が結婚相手に対するグチめいたものを度々口にするのを聞き長野は叫ぶ。「そんな人だったら結婚する必要なんてないじゃないですか!」 彼女は4歳年上の26歳、マリッジブルーだったんだろうか? この長野の発言が引き金となり、間近に控えた結婚式を中止。クソ!「卒業」を観たこともねえ世代がダスティン・ホスマンを演じやがって(嫉妬)。ともあれ彼女に対し責任を感じた長野、健気にも大学をやめ就職、彼女と2人で暮らすことを夢見る。すんでのところで思いとどまったのは自分を大学に合格させるため自分の私生活を犠牲にしてまで勉強を教えてくれた田丸・兄への感謝の念。このあたりの描写は去年の「25時」を参照されたい。長野は彼女から、2人で暮らすのは卒業後という受諾を受け大学卒業に向けて勉強を開始した。これ以後の長野の動向、俺の耳には入ってこなかった。しかし順当に4年となっていれば、当然にして就職活動が始まっているはず。連休前の正知からの情報で俺はBBSに「長野はキユーピーに内定しつつある」と記した次第だ。 「どないや?就職のほう」 「とりあえずキユーピーに絞って動いてます」 「それやったら正知から聞いたよ。内定が出たらしいやん」 「いや、まだ内定は出ていないんです。最終面接がこの14日に行われて、その結果待ちです」 「そうなんか・・・。そりゃBBSのほう書き直さんとな」 「いえ、ケッコウですよ。僕のなかでは内定が出ると確信してますから」 「えらい自信やな」 「その自信を僕に教えてくれたの、先生ですよ」 「まあ、オマエのキャラならウチの塾の代表作としてどこでも勝負できると思うけどな。でも学校推薦もらったらしいやん?」 「ええ」 「それが分からんわ。キャラならともかく、留年はするし結婚式を無理矢理潰して自分のものにした将来の嫁さんはおるし、学業ボロボロのオマエがなんで滋賀大学の学校推薦もらえるねん?」 「メチャクチャ言うなあ。結婚式は僕が無理強いしてやめさせたんじゃないでしょ」 「いや、話としてはそれの方が面白いやん?」 「やっかいな人やなあ。でも僕も推薦を頂けるとは思ってませんでした、正直。先輩に言われたんすよ、『ウチの大学の学長は義に感じる人だから、直接会って頼み込め』って。で、学長室に行ったんです。すると僕と同じように、成績は悪いけどどうしても学校推薦が欲しいって生徒だけで面接があったんです。それでどうしてもキユーピーに入りたい!って言ったら『君が一番気迫があって良かった』と・・・」 「たったそんだけで学校推薦でたの?」 「やっぱ背負う者がありますから人に負ける気はしませんよ」 「でもさ、滋賀大学ってそんなアナログでエエカゲンな大学なんか? 真面目に勉強してきた奴って泣きやん」 「でも、その学長面接で受かったんは僕だけですから・・・」 「はいはいはい、そりゃ立派なこって・・・。それでキユーピーの最終面接はどうやった?」 「やる以上は負ける気はないですから・・・これも先生から伝授してもらった」 「分かった分かった、で発表は?」 「今週中の予定です。受かっても落ちても知らせは来ますから・・・」 「じゃあ、さっそく『25時』でリアルタイムで勝負しよや」 「いやそれは・・・、内定出ると確信持ってるんですが、今『25時』に書かれるとプレッシャーが・・・」 「なるほどね、じゃあ結果待ちってことで。ところでさ、俺さ、就職面接受けた奴全員に聞いてんだけど、一番印象に残った質問はなんやった?」 「そうですね・・・。『最近でもいいし、これからでもいいが、両親に対してどんな親孝行をしたか?あるいはするつもりか?』という質問ですね」 「へえ、でオマエはなんて言うたんや」 「第一志望のキユーピーの内定を頂いて、その知らせを三重県に住む両親に伝えることが僕の一番の親孝行です・・・と」 「ははは、うまいじゃねえか。で、場の雰囲気は」 「部長クラスにバカ受けでした」 「そういう勝負やったらウチの生徒は負けやんよな。でさ、オマエがキユーピーを選んだ理由って何よ?」 「品質に対するプライドの高さですね。たとえば味の素は異業種に参入していって業績を伸ばしてる。でもキユーピーはマヨネーズというジャンルから出るつもりはないし、他社のマネは一切しない。そしてマヨネーズだけでは絶対他社には負けない・・・そんな社風ですね」 「それは会社側からの資料か?」 「いえ、これは僕が滋賀大学のOBを訪ねて会ってもらい、聞き出した話です」。確かに会社側の説明でもそれらしき点はありましたけど」 「スゴイやん、泰紀。ちゃんとOB訪問やってたんやな」 「先生や橋本先輩(山田日赤病院勤務)が僕に言ってくれたんですよ」 「そんなこと言ったっけ?」 「橋本先輩と先生とで『きじま』(高茶屋にある焼肉屋)に飲みに行った時ですよ。お二人から絶対に先輩を大事にしろって。いつか自分にとって役に立つことや感謝することが出てくる。絶対に先輩をたてて、先輩の言うことをよく聞けって」 「忘れちまったよ」 「なんですか、それ! じゃあ僕は今まで酔っぱらい2人の戯言を信じて生きてきたってわけですか・・・。でも、本当に当たってますよ。今回のことでも学長面接の直談判やら、キユーピーでの就職活動でのOB訪問やら・・・みんな先輩たちが協力してくれたんです」 「やっぱ、俺って酔っぱらっててもイイこと言うよな。ところでさ、正知は各種試験を5月下旬から受けるんやけど、心配なんは越山や。まあ、一番の心配は和司ちゃんやったけど三重銀行で決まったしな。残るは越山や。オマエ、連絡してる?」 「いえ、ここんとこはご無沙汰ですね・・・。あ!そうだ、先生」 「なんや?」 「BBS見たんですけど、キューピーてなってましたけど、あれ間違いです」 「なんで?」 「キューピーじゃなくてキユーピー。ユは小さくなくて大きいユです」 「へえ? そうなん。どうだっていいじゃねえか」 「いやいや、正式名称ですから」 「分かった分かった、内定したら変更しとくよ」 この時期、18日から三重中が試験に入り、翌19日からは皇学館中も試験に突入。 19日、岡田さん(三重大学生物資源学部)と就職について話す。彼女の性格は真面目だ。しかし、それだけである。成績はいいけれど・・・魅力がない。「岡田さん、あと1年やで」 「ええ、一応は考えてはいるんですが」 「三重大の生物資源って何するとこなんか分からんしな」 「ジャンル的には水産・食品・薬学・化粧品あたりですね」 「具体的には何するの?」 「品質管理ができれば・・・」 考えててもラチがあかない。インターネットで三重県内の該当企業を検索してみた。水産・・・なし。食料品・・・柿安、井村屋、赤福あたりか? そして薬学・・・なし。いや、本社は大阪だが工場が三重にある菱山製薬。最後に化粧品・・・なし。さすがに三重県内に本社を置く企業、それもジャンルを絞ってしまうとお寒い結果になっちまった。2人で溜め息をつくしかなかった。 岡田さんは深窓の令嬢てな雰囲気がある。セントヨゼフから鈴鹿医療へ入学するものの、第一志望だった三重大学の夢を断ち切れずにウチの塾にやってきた。初対面では「こりゃ上品なお嬢ちゃんや。ウチの塾は続かんやろな」と思った。なにしろ斉藤太郎・紀平香介・村瀬佳代などといったヒトクセもフタクセもある学年だったからだ。英語はセント育ちでもありそこそこ得意、難点は数学と生物だった。俺は条件を出した。「もし三重大学に合格したらウチの塾で生物の講師をしてもらう。その条件を飲んでくれるのならウチの塾は引き受けるよ」 「生物ですか・・・」 岡田さんの顔が曇った。「生物苦手なんでしょ。それじゃ得意にすればいい。大学にも合格するだろうしウチでバイトもできる」 しばらくして岡田さんはうなずいた。黒田君について生物を勉強した。見事に合格し約束通りウチで生物を教えることになった。岡田さんが教えた生徒には古市や杉本などがいる。彼女たちは一様に言った。「岡田さんの生物は高校の先生なんかより遙かに分かりやすい!」 そりゃそうだろ。かつて自分が苦手だった教科だ、一転教える立場になったら、苦手な生徒たちにとりかゆい所に手が届く授業になるはず。ウチの塾になくてはならない講師になってくれた。しかし困ったことに今年生物を取る生徒がいなくなった。ウチの塾をやめようと挨拶に来たのを俺は押しとどめた。別れるのが辛かった。確かにウチの塾にとり10数名からいる講師のバイト代は痛い。しかし別れたくなかった、それだけだ。彼女のこれからが見たかった。なんとか金曜日の中1の数学を担当してもらうことで落ち着いた。 とりあえず井村屋あたりの研究に入るしかなかった。去年の採用が15人で理系が6人だった。そして今年が10人、理系・文系の内訳はないが4人くらいが順当な線か。過去実績で三重大背物資源から井村屋に就職している。OB訪問をしなくっちゃな。不思議なことは赤福のホームページがなかったことだ。「海津のお母さんの出番やな」と俺。「なぜですか?」 「ああ、海津のお母さん、先代の社長の娘さんなんや」 「へえ・・・、そうそう、私の友達のお父さんが赤福で工場長をやってるんですが・・・」 「それいい。コンタクトつけよや」 「でも・・・」 「あのな岡田さん、女の子やったら自分の一生がかかるんやで。話を聞くだけのことや。厚かましいやろか?なんて余計なこと考えんでもいい。後で後悔せんでええようにできる事はしとかんと」 柿安という名前は初めてだった。内容を見ると津の「朝日屋」みたいな会社やな・・・。となると岡田さんの希望する品質管理じゃない。俺は岡田さんに言った。「とりあえずは明日から井村屋の肉マンを延々と食べるこっちゃ」 「え・・・」 「面接でさ、各社の肉マン並べてもらって『私はこのなかから御社の肉マンを当ててみます』ってさ」 「ホホホ」と岡田さん。俺は髪の毛をむしりながら言う。「あのな、冗談やないねん。岡田さんやったら成績もいいやろ。でも面接なんかのパンチ力がないねん。肉マン当ててみ、井村屋の社員感動するで・・・」 「私はそういう感覚が足りないんでしょうか」 「全然ないわ」 20日、海津のお母さんに電話する。お母さんは赤福の先代の社長の娘である。直接的には経営にタッチしていないものの、赤福が何か新規事業を始める際には現経営陣がお伺いをたてるような怖い存在。何事にも好奇心旺盛、社会人入試を受け合格。今春から60歳を目前にして立命館大学に進学。毎日のように3時間半かけ京都まで通学している。専攻は中世史学という「歩く生涯学習」みたいな人である。お母さん、俺の話を聞くと宣う。「先生、そのお嬢ちゃんが大学で学んだ品質管理を入社して生かしたいのなら赤福はダメですよ」 「なんでですか?」 「赤福は伝統を守る会社です。新製品を開発することは決してありません。つまり今までの伝統をどう守るか? 当然マニュアルなんて気のきいたものは御座いませんから職人の経験と勘で伝統を伝えていきます。だからせっかく大学で培った品質管理の技術を使う場所がないんですよ」 「となると井村屋ですか」 「井村屋なら新製品の開発が企業の命運を握ってるんじゃありませんか」 「確かに・・・」 「でもね先生、赤福がタウタウという中華料理店を経営しているのはご存じ?」 「ええ、知ってますよ」 「それに加えて郷土料理の店もやってんですよ」 「どこでですか」 「赤福本店横の道から五十鈴川に架かる橋を渡った向こう側ですよ」 「いやあ、あの橋は今まで渡ったことがない」 「旧家をどうしても!って言われて買い取ったんですよ。そしてね、今年11月のオープンに向けて準備をしているのが、お酒のアテを中心にしたお店。この店も橋向こうに建築中ですよ」 「つまり赤福はお家芸の和菓子部門では伝統をストイックに受け継ぐだけ、ディフェンスオンリーで、その他のジャンルには果敢に進出するわけですね」 「闇雲にじゃないわよ。赤福らしく、文化に貢献するというスタンスでね」 「難しいですね」 「今ね、11月オープン目指してスタッフをしごいているところなの」 「え! 海津のお母さんがですか?」 「ええ、今の社長がね。遅々としてプロジェクトが進まないことに頭に来て私んところへスタッフをよこしたのよ。それで5月の連休も2日、伊勢まで行って講習したのよ。先生、ひどいと思わない? 私は学生なんですよ。レポート提出の期限が迫ってるの。日本の中世史をやってるのにヨーロッパの歴史から始めろって教授が言うのよ。そんな私が伊勢まで行って講習しろですって」 「学生やったらバイト料出ますけど、お母さんは講義料出るんですか?」 「それが聞いてよ、先生。報酬はなし! ボランティアですって」 「そりゃ大変ですね。もしウチのお嬢ちゃんが赤福の異業種戦略に興味を持つようでしたら、また連絡します」 「いいわよ。いつでも赤福の経営理念めいたものなら説明するわよ。でも、先生、そのお嬢ちゃんに井村屋の肉マン毎日食え!っていう提案、先生らしいわ。教育なんてジャンルに置いとくのはもったいないわよ。就職学生相手のセミナーでも開校したら?」 夜になり修学旅行を終えた中3が姿を見せる。土産は今年もディズニーランドブランドの高そうなお菓子。小学生や中学生に配っていく。「高校生に持ってけ!」と中3に指示。戻って来た中3に「高校生の先輩、何か言ってただろ?」と聞くと「去年と同じやな・・・って」 斬新な土産ってないの? 最近の修学旅行はせいぜい国会議事堂を見学するくらいで、後はディズニーランドか1日自由見学が多い。修学旅行じゃなくて観光旅行と名称を変えたほうがいい。一部の中学では「東京オペラシティ」などで合唱し、それを録音してCDを制作している。「こんなんもいいよな?」と紘に聞くと「そんなんイヤや。練習せなアカン」 21日、俺は長野に再び電話。「先生、まだ通知来ないんです」 「だってオマエ、22日までには出るって」 「そうなんですけど・・・。まあ、どちらの結果でも知らせてもらえるそうですから」 「待つって辛いよな」 「でも僕のなかではキユーピー1本で勝負してますから」 「えらい自信やな」 「それは受験のなかで教えてくれたのは先生ですよ」 「へえへえ・・・。結果待ちのオマエはともかく、残る危険牌は越山やな・・・」 「コッシーですか。どうしてるんかなあ・・・」 越山はウチの塾では珍しく久居高校に入学してから入ってきた。普段は口数が少なく少々暗い雰囲気だが、2人だけになるなどのきっかけさえあればジックリと話し出すタイプだった。大学は一浪して東洋大学へ。残念ながら志望大学ではなく、仮面浪人を試みた。俺や前田が反対するものの押し切った。しかし6月になり電話が入る。「先生無理やわ! サークルなんかに顔を出すようになって、到底こんな調子じゃ仮面はできません! すいません、仮面はやめます」 悲痛な叫びだった。「いいじゃない。どんな大学にもイイとこあればアカンとこある。オマエさんが東洋大学の中で自分の居場所を見つけれたらいいんや」 「ほんとうにすいません」 「謝る必要はないよ。後は東洋大学でがんばれ」 それ以来、今まで越山から連絡はなかった。仮面を断念したことを気にしているのか・・・。そんな越山から23日午前2時、突然に電話。 「先生、今ちょっといいですか?」 「かまへんよ」 「実は就職のことなんですが・・・」 「オマエ、ちゃんと就職できるだけの単位取れたんや」 「1年生の時は仮面やってたこともあって20単位しか取れなかったんですけど。2年生はフルタン(全単位修得)、3年生も1単位落としただけで来ましたから卒業はできます」 「ウチの生徒さんからフルタンなんて言葉聞いたことねえや!」 「はは、まあ優は少ないんですけど。相談なんですけど、実は証券業務に興味を持って証券会社にターゲットを絞って活動してたんですよ。そしてマルサン証券という会社から内定が出たんです。先生、知ってますか?」 「マルサン証券・・・知らんわ」 「そうですか・・・。まあ、財務体質は日本でナンバー3なんですよ。ノルマもないんです」 「ちょっとちょっと、そんな証券会社あるんかな。ノルマがないなんて・・・」 「ええ、そういうふうに聞いてますけど」 「それってさ、会社側からの情報じゃないの?」 「それもありますけど、店頭へ訪問して社員の方から聞き出した情報でもあります」 「店頭か? 訪問大学生に対するマニュアルくらいどこでも作ってるで」 「・・・」 「OB訪問は?」 「学校の資料ではいるようですが、連絡がつきませんでした」 「やっぱさ、単なる店頭訪問より親身になってるれるOBのほうが確率高いよな。ともかくや・・・、マルサン証券に内定が出た。そして?」 「親父が反対しまして・・・」 「そりゃそるやろな、今の時勢を考えりゃ」 「でも僕としてはどうしても証券業務をやりたいんです。そんな時に親父から連絡があって第三銀行の面接を受けるようにと・・・」 「銀行と証券か、まあ親父さんはオマエに安定した生活を送ってほしいんだろ? それに家のこともある。田や土地あるんだろ?」 「ええ」 「まあ家を継ぐ問題もあるよな」 「長男って損ですね」 「仕方ねえじゃん。俺だって長男、あげく一人っ子さ」 「やっぱり家を継ぐって考えてましたか?」 「考えてたよ。ただ30歳くらいまでは好きなことやって、それから三重に帰ってこようってね。よく言っただろ? 金があったら塾なんてやってへんよ。喫茶店がしたかった。もっと金があったらライブハウスしてたよ」 「僕もできれば2,3年証券業務に携わって、それから第三銀行なら第三銀行へと、でも無理ですよね?」 「無理やな」 「親父は知人に今回の面接を頼んだようですから・・・」 「まあコネなんてどこの家でも探しゃ、未使用のテレフォンカードくらいはあるからな。絶対的な拘束力を持つだけの強烈なコネかどうかは知らんけど」 「ただ、第三銀行に内定が出たら断れないですよね?」 「そりゃアカン。親父の立場がないだろ」 「それが辛いんです。僕は高校受験も大学受験も志望校には入れなかった。今回、やっと自分の志望の会社に内定が出たんです。正直うれしかった。どうしてもマルサン証券へ行きたい」 「オマエもさ、一月前に連絡してくれたら俺なりにマルサン証券って会社を調べたよ。でも急ぐんだろ?」 「実はあさって、時刻的には明日が第三銀行の面接なんです」 「なに! というと親父と話し合うのは明日しかないやん!」 「ええ、始発で帰ろうかなと」 「親父に電話して今日は会社へ行くのやめてもらえ。そして自分の意見を言ってみろ」 「はい」 「ただな、俺はマルサン証券って分からんわ。ノルマがないなんて理解できないし、オマエの持ってる情報も会社側のものばかりや。そんなとこと勝負できへんわ、危険牌ふれるかい! あ、ゴメン。マージャンできへんだよな」 「いえ、やっと覚えました。先生しましょうよ」 「してやる!してやる! 就職が決まったらな」 「じゃあ、今日帰ります。また連絡しますから」 23日、昼過ぎから生徒が姿を見せ始める。南郊中の小林(中2)や白山中の愛ちゃんと由子(中1)や直矢(中2)が黙々と勉強を始める。そんな時に電話、長野のつんざくような声が聞こえる。「先生、吉報です!。キユーピーに内定が出ました!」 長野は津高の頃バンドを組んでいた。担当はボーカル、ウチの塾のカラオケ大会ではイエローモンキーの「BURN」を十八番にしていた。しかし長野の場合、燃えるのBURNの発音じゃなく納屋のBARNの発音になっちまう。つまりは雄叫び系、そんな長野の絶叫だった。「彼女はどうすんねん? 連れていくんか」 「ええ、そのつもりです」 「生意気やりやがってこの野郎! お母さんはええってか」 「ここまで来たらもう誰にも僕を止めることはできないっすよ」 「はいはいはい・・・、ところで越山なんやけど電話あったで」 「え、そうなんですか! で、就職はどうなってます?」 「マルサン証券って会社から内定が出たらしい」 「証券会社なら出すでしょう」 「それがさ、ノルマはない。財務体質は日本で第三位、去年は100名入社して今年は業績も上向きで120名募集らしいで」 「オイシイ話ばっかしですね」 「ああ・・・、オマエんとこの会社ってどんなふうに自社の内容を話してた?」 「キユーピーの説明会では自社をボロボロに言ってましたよ」 「たとえば?」 「ウチの会社の最大の問題点は体質の悪さだと。上下関係にシガラミがあり、学閥もある。女性に関してはやっと3年前に総合職の管理職が1人誕生した状況で、女性にとってはまだまだ働きにくい側面はある・・・そんなとこですね。ああ、反社会行為をしでかした場合は厳重に処罰するとも言ってました」 「なるほどね、エントリーシートみたいやな。自分の悪いとこ40%にイイとこ60%のさじ加減ってか」 「僕はそんなとこが気に入ったってのもありますね」 「確かにウマイよな。でもそれって部長クラスが言ったのか?」 「いえ、最初の面接ですね。確か課長だったと思います」 「まあどうあれ、正直で釣ったってのもあるやろ」 「でも、その説明を聞いて何人かは退出しましたよ」 「いい奴、覚悟してる奴が残ればいいわけさ。さすがに老舗やな」 「その点ではマルサン証券の説明、僕は怖いですけどね」 「俺もさ。ただ、親父さんが反対してるらしくて越山は今日東京から帰ってきてるはず。多分、今頃は2人で話し合ってるんじゃないか? なにしろ第三銀行の面接は明日や」 「え! そりゃキツイっすね」 「まあね、はたしてどちらに転ぶやら・・・。ただ、証券なら西村に聞きたいんやが、朝から携帯かけっぱなしやけど話し中、捕まらへん」 23日夜、やっと西村の携帯に呼び出し音が響く。くぐもった声・・・。「実は6月で会社をやめるんです」 「え!」 「昨日、辞表を出しました。一応係長という役職を頂いてはいたんですが、部長も僕の性格を知っていますからなんとか受理してもらいました」 「そっか。えらい時に電話しちゃったな」 「そんなことはないですよ」 「健ボーとはたまに飲むんかいな?」 「ええ、月に1度くらいの割で」 「じゃあ、次の飲み会の時に連絡くれよ。なんとか行くからさ」 「分かりました。ところで先生、何か?」 「・・・こんな時に悪いけどさ、オマエが昔英語を教えた越山な?」 「東洋大学でしたね」 「ああ、あ奴がマルサン証券から内定が出たんや。しかし親父さんが反対して第三銀行の面接を段取りしたらしい。越山は証券業務がしたくってマルサン証券を志望してるんだが・・・。どんな会社だ?」 「いや、普通の証券会社ですよ。確かに業績は良かったと思いますが・・・」 「ノルマがないと・・・」 「それはギャグでしょ」 「そうだろうな」 「どうしてもしたいのなら止めはしませんが、よっぽど覚悟してこの業界に入らないとキツイですよ」 「確かにキツそうやな」 「ええ・・・フフフ」 「もし、自分の子供が越山と同じ状況にあったらどないする?」 「第三に行け・・・と」 「分かった・・・ありがとう」 「いえ・・・、近々挨拶に出向きます」 深夜2時、越山から電話。「今日は父親と母親と8時間も話をしました。両親はやはり僕には東京に住まわせたくはないということ、そして証券会社には行かせたくはないということ。これだけは断固として、という感じでした。しかし僕は大学受験で志望大学に合格できなかった。だから今度の就職ではやっと自分の力で内定をつかみ取った。本当にうれしかった・・・。そのことはハッキリと言いました」 「なるほどね・・・。で、どうするの? 明日の面接は」 「僕は今までお金の面では苦労したことがなかった。両親には本当に感謝してます。だから明日は面接を受けるつもりです」 「そうか、じゃあマルサン証券についての情報はもう用済みだな?」 「え? 先生、何か調べてくれたんですか?」 「ちょっとね」 「・・・すいませんでした」 「とにかく遅い、もう2時やで。はよ寝よや」 「はい、じゃあ失礼します」 塾内には中3の大森・直嗣・紘の3人が残っていた。ジャンケンで勝った大森から順に車で送っていく。こ奴らの中間試験まで1週間を切った。 24日、明日から付属中学が試験に入る。昼過ぎに秋田真歩が姿を見せる。真歩はコツコツ勉強するタイプ、激戦付属の中でも常に5番以内をキープ、前回の3学期期末試験は2番だった。夜逃げ同然のギッシリつまったナップサックを背中から重そうに下ろして勉強を始める。そんなところへ越山が姿を見せる。「先生、第三銀行の面接に行ってきました」 「どやった?」 「今までで一番キツイ面接でしたね」 越山と話している時、ふと思い出した。岡三証券の高校時代のダチ、玉田がいたっけ! さっそく電話。「マルサン証券って知ってる?」 「ああ、知ってるよ。どないした?」 「ウチの生徒さんさ、内定が出たんやけどな。どんな会社か、会社側の資料しか知らへんからさ」 「まあ、証券会社としてはイイほうだろ。安定してるよ」 「でさ、会社の説明ではノルマはないと言ってるんやけどな」 「それはないわ。まあ、ノルマはなくっとも目標はあるだろ」 「なるほどね」 「ノルマとは言わないものの言葉を変えただけの話やな、フフフ」 「この業界はどうでっか?」 「各社3月を境に厳しくなったからな。どちらにしてもタフな精神力が必要やな」 「自分の子供がもしマルサン証券か第三銀行で迷ったら、どないする?」 「子供次第やな・・・。ただ、どちらか?と言われりゃ第三へ行けと言うかな」 越山は俺たちのやりとりを黙って聞いていた。越山に向かって言った。「以上の通りやな」 沈黙が続いた。そこへ電話。「7期生の長野ですけど先生はいらっしゃいますか」 「俺、俺・・・」 「ああ、先生。ところで越山の面接はどうなったんですか?」 「ちょっと待っててや」と言いつつ、俺は受話器を越山に渡す。怪訝そうな越山、「もしもし・・・ええ! 長ちゃん、久しぶり! うん、元気。・・・うん、行ったよ。どうやろ? でももし内定が出たら第三に行くよ。あんなに親に反対されたら、やっぱりね、親孝行かな・・・でも、内定が出るかどうかやけどね。長ちゃん、俺さ、やっとマージャン覚えたから、・・・うんうんうん、夏休みにでも。うん、塾先と・・・」 越山にとり、就職活動の大きな局面は越えたようだった。後の問題は6月10日にマルサン証券に内定の承諾をするかどうか? それまでに第三銀行が内定を出してくれるかどうか? 24日、試験が終わって試験休みに入っていた皇学館中学の面々が姿を見せる。久居中を除く公立中学が試験まで1週間を切った。試験が終わった者、これから試験が始まる者、そんな雑多な雰囲気の塾を伊藤友紀に任せて俺は薬剤師の世界のレクチャーを受けに車を飛ばす。 女の子からの質問、「高校の進学指導で成績がいいから看護より薬学に進んだら・・・と言われたんやけど」 薬学部・・・俺にとっては未知の世界だった。薬剤師の国家試験を取ってそれからどうするんだろう? 何年か前、調剤薬局を開く人に自分の名前だけ、つまりは薬剤師の資格を貸す。それだけで月に20万程度になるから、子育てしながらも働ける・・・そんなことくらいしか頭にはなかった。医学部の生徒はたくさんいた。そしてご父兄の中にもドクターがいて相談相手には困らなかった。しかし薬剤師の知り合いはいなかった。その関連に勤めているご父兄も皆無だった。そんな時、この4月から塾に入った小学生のお父さんが薬剤師の免許を持って働いていると聞いた。失礼を顧みず俺は薬剤業界&薬剤師のことについて話を聞きたいとせがんだ。そして快諾、この日が約束した日だった。 南郊地区、サンバレーの近く『養老の滝』の隣、1階の『団子坂』という蕎麦屋の2階に『イジリンマ』というワケ分かんない不気味な店がある。一現さんなら「ボラれるんちゃうかなー」と二の足を踏む風情の店。マスターは中野秀夫、5月17日号で紹介した中野重夫の弟が経営するバーである。チャージは付くが良心的な値段設定、俺は去年より進学相談めいた話はここでこなしている(当然のごとく生徒には酒を飲ませない)。大学生を連れてくが、皆「先生にしてはオシャレな店ですね」となる。失礼な! 薬剤師の資格を持つご父兄とはここで軽く飲みながら話を聞くことにした。 この夜、俺は多くのことを教わった。国公立薬学部の場合、薬剤師国家試験を受ける人もいれば受けないで大学院に進学する人もいる。免許があってもなくっても研究を続ける人が多い。それに対して私立大学の場合は薬剤師の資格を取ることが目的となる。また俺がかつて耳にした名前だけを貸すということは現状では全くないということ。そして一人前となるのが30歳すぎてからだとのこと。「確かに資格さえあれ食うには困りませんけどね・・・でも試験勉強はハンパじゃない。僕なんか18時間勉強しましたよ」 「もし娘さんが薬剤師の資格を取ったらどうしろと言いますか?」 「大学病院で働けと言いますね。カルテや症例などで勉強してほしいし、ドクターや看護婦ともうまく付き合う術を身につけてほしい。結局、資格を取っただけではダメなんです。そこからがスタート、まだまだ勉強が続いていきます」 インターネットを使用するようになって、男親からのメッセージが多く寄せられるようになった。これが心地よい。久しぶりの現場の空気を吸わせてもらってる。何かの趣味で話し合うのもいいだろう。しかし残念ながら俺にはそんな時間がない。やはり教育、それは小学生から中学生というスパンではなく就職試験までを視野に入れた広大なエリア。俺の器ではシンクタンクなんかになれない。ただ、男親のご協力があれば、あるエリアのシンクタンクを担当してもらえる。このホームページを制作する際もしそうだった。俺一人では何もできない。幾多の協力がありここまできた。就職の分野に関してはさらにさらに裾野を広げねばならない。男親のご協力を仰ぐ次第です。子供たちには、大人ってまっとうに働いてるんやで・・・というところを見せてあげたい。まともな大人、これが我々にできる「今」を生きる子供たちへの一番の処方箋じゃないか?と思っている。新聞やテレビを賑わすやっかいな大人たちもいる。でもそんな大人だけじゃない。生き生きして仕事に没頭する大人たちもいる、新聞が取り上げなくても厳然と「今」を生きている。そんな大人たちを子供たちに知ってほしいのだ。 この日、俺はイイ気分で塾に戻った。ご父兄からの話をまとめておこうと思った。BBSを見ると吉田先生の気迫溢れる意見が出ている。この流れは5月15日号に引き続きBBS特集を組もう。そんなところへ西村登場! 「どないした?」 「今日は仕事を早く切り上げて、会社をやめる報告に実家まで・・・」 「なるほどね。とりあえず飲もか」 「ええ」 俺たちは最も手軽な飲み屋、俺の家のテラス(家の中ではタバコが吸えない)で飲み始めた。正知の親父さんからもらった「越の寒酒」の封を切った。一口ゴクリと飲み干す。「やっぱ、うまい・・・か?」 「ハハハ」 西村が今日初めて笑った。「俺にとっちゃ、高い酒も安い酒も同じやな。で、6月で会社辞めて何をするねん?」 「それがですね・・・」 この内容は時期尚早だと思われるため、「25時」には記さないことにした。昼間はともかく、夜中はまだまだ寒い。手早く酔っぱらおうと酒をコップになみなみと注いだ。 以上がここ1週間に塾内で起こった出来事。なんとまあ、いろんな事が・・・と思われるかもしれないが、れいめい塾はいつだってこんなリズムで1年間を駆け抜けていく。日本各地の塾の先生からメールが入る。「これまで広告しか見てなかったけど、塾内『25時』が読めて楽しいよ」なんぞと言われるものの、就職関係のネタが多いのには驚いたという感想もまた多かった。子供から大人へ・・・この流れを辿るツアーを『25時』でやっていると理解して頂ければ幸いである。 25日深夜、越山からメールが入った。埼玉の下宿に戻ってインターネットでウチのホームページを見たようだ。以下・・・。 「少々暗い」越山です。25時には山を越えた、とありましたが、まだまだ霧の中のようです。 |