2000年|25時|れいめい塾
れいめい塾発 「25時」 2000年4月20日
DENちゃんが今年も毎月第三日曜日に塾で日本史を教えることになった。日本史の授業を受けるのは高3の波多野・今井に高2の山本・中井・村瀬・世古の6人である。去年は一回でひと月分の量をこなしていたので大変だったが、今年はインターネットで事前にプリントを添付ファイルで送ってきて一問一答的な問題をクリアーしてから授業を受けるという形態を取った。第一回目は16日の日曜日、いつものごとく昼過ぎに姿を見せた。
そもそも俺がインターネットなんぞという未知の物体と遭遇する羽目になったのはDENちゃんが直接のキッカケである。数年前から知り合いの塾の先生からは幾度となくホームページをつくって「25時」を載せたらおもしろいのにというお勧めはあつた。しかし二の足を踏んでいた。俺が塾を始めるキッカケとなった鳥羽・爽風塾の中村のオッサンも、そのころにMACにハマりまくり、さかんに俺にインターネットを勧めた。これにもまた「そのうちに」という体のいい断りを続けていた。それがDENちゃんの場合、大阪からプリントを送る必要があるから必ずインターネットを導入しろ!と脅迫まがいのアプローチとなった。生徒のために、この錦の御旗を出されると俺も弱い。あえなく瓦解となった次第だ。
杉本理恵(今春、津高から三重大医学部看護科に合格)が週に一度、現代文の授業を持つことになった。曜日に苦心する。特に高1の場合、高校に入学したばかりのこともあり、なるべくなら授業を極力減らしてやりたい。春休みなんて毎日のように新高1が塾にたむろしていた。「やっと受験が終わったんや。家でテレビでもいい、マンガでもいい、ゲームでもいい。なんだってやることがあるだろうが」と言うものの、姿を見せなかったのは1日か2日。「なんで塾に来るんや」と不機嫌そうに言うと、「だってすることがないんやもん」 「今までは受験が終わったら、コタツに入ってゴロッと横になってテレビを見るのが夢やったのに」「だから一生でもゴロッとしてりゃいいだろ?」「でも、飽きるちゃった」 「何日で?」 「一日で・・・。もう暇で暇で」
それでも今までのように毎日のように塾に来るというのはおかしいと思う。どこの高校であれ、早く慣れてほしいし、クラブに入りたい生徒は大学受験があるからなんぞと躊躇せずにクラブでできるところまで頑張ってほしい。そして塾の授業は週4日くらいにしぼり、それ以外の日は思考してほしい、熟考してほしい、本を読んでほしい。自分の人生について、将来について。そして、何も考えずにボーッとしている時間も是非つくってほしい。
杉本は看護科に進んだものの、現代文はよくできた。感想文では三重県で最優秀賞を受賞しているほどだ。しかしやっかいなことは酒もまた強いということだ。大学受験が終わって女の子だけを連れて飲みに行った。メンバーは講師の岡田(三重大学人文学部3回生)を筆頭に、帰省していた彩子(東京農大2回生)に古市舞(浪人中)、そして女の子だけだと後ろめたい気分から前田崇(早稲田大学院1年)を連れていった。とにかく飲む、飲む。カクテル・ワインなんでもござれで一同圧倒されちまつた。大学に入学し、当然のごとくオリエンテーションなどで、各クラブから勧誘される。杉本が言う。「小田さんが言うのよ。『杉本、オマエはサッカー部のマネージャーやれよ』って。そしてサッカー部の黒田さんは『杉本、オマエは野球部のマネージャーやれよ』ですって。ほんとに馬鹿にして!」 そして杉本が選んだのはテニス部、マネージャーではなくプレーヤーとしてだ。「ここ数日、毎日のように飲みに連れてもらってるの」 「クラブの飲み会だ。自分の飲める量をわきまえとけよ」 「うん・・・。でもさ、先生。いつも私は最後までいてさ、そして昨日なんか2年の先輩をつぶしちゃった、それも3人」 かつて久居東で生徒会会長を務め、津高に入学した途端に数学が全く分からなくなり劣等生気分を味わい、いろんな塾をまわったあげくにウチの塾にたどり着いた。塾では持ち前のなれなれしい性格から「30過ぎのオバサン」と(塾先が命名)揶揄され、大学生の先輩からかわいがられるものの、そのことが原因でほかの女子とトラブり、進学で悩み、将来で悩み、恋愛で悩んで、そして晴れて大学に入学した。こんな杉本なら、現代文の解釈を自分の今までの人生を振り返り講義できるんじゃないか? それが俺の狙い。しかし、分かっているつもりでもやはり杉本理恵。飲んべゆえか、現代文の第一回目、携帯から電話。電話の向こう側では喧噪、また酒屋か? 田丸・塚崎・伊藤の3ランクによる数学の後に予定されていた第一回目の講義は連絡ないままにドタキャンとなった。
現段階での高1のカリキュラム。月曜日・英語(教科書)/火曜日・数学&現代文/木曜日・化学/金曜日・物理/日曜日・英語(総合)
:現段階での高2のカリキュラム。月曜日・英語(読解)/火曜日・古典(文系)/水曜日・数学/木曜日・化学/金曜日・物理/土曜日・英語(文法)&古典(文系&理系)&日本史
4月19日昼、突然にしてビッグニュース! 長谷川君から電話。こんな時間に何事かいな!と思いきや、「先生、実は5月1日に結婚することになりまして」 「えっ! そういや大晦日に塾に来た時に、いい人ができてそろそろ・・・なんて」 「ええ、何かアッという間に決まっちゃって」 「いいやん、めでたい事はどんなに早くたって」 「それで先生には披露宴には出席していただきたくて」 「喜んで出席させてもらいます。長谷川君、よかったな」 「ええ、塾の関係者では橋本(伊勢日赤病院勤務)と茅野(国試浪人)に頼んでいるんですけど。茅野のほうはOK取ったんですけど、橋本のほうがつかまらなくって」 「一外やから忙しいのか、それ以外のことに忙しいのか。でさ、相手はどんな人なん? 年下?」 「いえ、4歳上なんです」 「えっ! 看護婦さん?」 「いえ、同僚で・・・。でも4歳上でも学年は7年上なんです」 「へえー、姉サン女房か」 「先生、また二人で挨拶に行きますからよろしくお願いします」 「こちらこそ。でも長谷川君もそのうちにデジタルカメラを買うことになるんやな」 「なんですか、それ」 「北野君とこ、そろそろ子供が産まれるんや。で、将来のパパ、さっそくパソコンに詳しい橋本君に電話してデジタルカメラは何がいいのか尋ねたらしいよ」 「子育ての記録ですか? ハハハ、僕んとこは当分は無理でしょうけどね」 この日の夜、高2の数学の授業が終わった小田君に長谷川君の結婚のネタを話すとウスウス知っていたようだ。「確か、泌尿器科の先輩。長谷川さんがいろいろと教えてもらっていた人らしいですよ」とのこと。
長谷川君は菊里高校(愛知県)から3浪して三重大医学部に合格した。かつて2人で飲んだ時、嫌いな季節は春だと長谷川君は言った。理由をたずねると、「試験に落ちて浪人が決まるじゃないですか。また河合塾、そして渡される教材、去年といっしょの内容。3年間も在籍すると、一度は表紙が変わって『おおっ、新装版か』なんて感動もつかの間、ページを開くと去年までの内容と同じ。あーあ、また同じことを1年間続けるんだなって。ウチの家の近くに女子大があるんですよ。春になると女子大生たちの華やかな笑い声がちょうど僕の部屋の前を横切って行く。いったいいつになったら僕は大学に入れるのかな? いつもそう思ってました。だから春というのは僕にとって辛い思い出しかないんです」 ウチの塾には、橋本君から紹介されてやって来た。長谷川君の得意教科は文系教科、とくに世界史だった。初めの頃は7期生の川合一人に世界史の授業をしてくれた。2年目になり俺は長谷川君に文系数学を教えてほしいと頼んだ。自信がないんです、彼は言った。確かに橋本・田丸(伊勢市民病院勤務)など他の面々に比べると数学は苦手なようだった。しかし長谷川君にしか教えらへん数学って奴が絶対にあるよ、俺はそう言った。長谷川君は数学が苦手だ、だからこそ数学の苦手なウチの生徒の間違えるパターンが分かるんじゃないの。
そして長谷川君の数学が始まった。彼が育てた生徒には斉藤太郎と紀平香介がいる。ともにクセのあるタイプ、温厚な性格の長谷川君ゆえに務まったんだと今にして思う。しかし1年留年してしまう。ウチの塾としてはラッキーだつたが、結局10年かけて国家試験に合格したことになる。去年の国家試験の発表日、俺たちはさっそく祝杯をあげた。俺はひとつだけ聞きたいことがあつた。「長谷川君、お父さんはなんて言ってた?」 「父ですか。一言でしたね、『永かったな』と」 その夜、俺たちは黙々と酒を飲んだ。よけいなことは話さず、ただひたすら酒を飲んだ。
長谷川君は人より余計に、10年もかけて医者になった。しかし、入局して1年後、人よりも早く嫁をもらうことになった。縁とは不思議なものだと思う。今夜あたり伊勢日赤病院から歯軋りが聞こえてきそうだな、俺は思わず笑いそうになった。
深夜、授業を終えた小田君がやってきた。「先生! 茅野先輩が合格しました!」 この日、2000年度の医師国家試験合格発表が行われた。この日、俺は時間があればワニコ書店に見にいこうと考えてはいた。しかし、22日からスタートする結婚式三連荘が目前に迫っていた。どうしても美容院に行かざるおえない。でもな、と一人ごちた。前に塾に姿を見せた時の茅野君の自信から考えれば予想外の結果なんぞあるまいと思い直し結局は行かなかった。「そうか、合格したか。よかったよな。まあ合格するとは思ってたけどね。さぞかし今頃は・・・」 「ええ、野球部の受験生だけで飲みに行っています」 「そうか、じゃあ今日は一生の思い出に残る日になるよな」
ここ最近ずっと気になっていたこと・・・俺は授業の後、和司ちゃんに電話した。12時を多少過ぎた時刻だったが眠そうなくぐもった声。「和司ちゃん、どうだった? 中部電力の試験のほう」 「中部電力ですか、受けなかったんです」 「ええっ、受けへんだん」 「ええ」 「そうか、そりゃまあ仕方ないか、受けへんねやったらな」 俺は一瞬何を話していいのか分からず混乱しちまった。心が引きつるような感触。うまく言葉が出てこない。狼狽をなんとか取り繕い「あとはどこが残っとるんや」 これだけを言うのでで精一杯。ツバを飲みこむ。「あとですか・・・」 電話の向こうで逡巡している雰囲気。「百五銀行と三重銀行ですね」 それから俺は何を話したのか、見せかけだけの言葉、そんな言葉すら濁して、言いたいことは他にあったはずなのに、この場を逃れたい一心での空虚な言葉の羅列、動揺を隠す余裕もなく電話を切った。
和司ちゃんのことはまだ心の中の枠組みにシックリはまりそうにもなかった。「試験は終わった、そして今年度の中部電力の新卒採用も終了した。今更言ってもな・・・」 俺は震えが止まらない指先とタバコの紫煙を交互に眺めながら何度かつぶやいてはみた。そしてフト思い出した、今日は医師国家試験の合格発表。そやった、もう一人いた。4期生の山野耕嗣(名古屋市立大学医学部)もまた名古屋で発表があったはず。しかし、こ奴は性格がしっかりしている。大学も中部圏でもっとも合格率が高い名市大に在籍している。滅多なことはあるまい。ちっとばかキムタクに似ている山野、「看護婦にもてて、お母さんも心配が絶えへんやろな」 何年か後に起こるであろう山野家でのほほえましいトラブルを想像してみる。つかの間の平和な空想・・・、なんとか震えは収まったようだった。
今年もまたウチの塾を通り過ぎていった者達が医者という神聖な仕事に就くことになった。今日の気持ち、今この一瞬の気持ちを忘れずに患者さんと接してほしい。患者さんの気持ちを汲み取ってあげることができるような医者に、そしてどのように厳しい宣告になろうとも果断なる対処ができるような医者に成長してほしいと願う。心の底から切にそう願う。
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