2000年 7月1日 6月23日、大阪で小林のライブ第二弾があった。しかしとても塾を留守にできる状況じゃなかった。裕美ちゃんからはBBSに「先生、23日のこと覚えている?」と厳しい追及。タイトルは「ホホホ」だったが俺のとっちゃホラー小説の趣。俺は前日になりメールを送った。「どうしても塾を離れられない。期末試験が近い。それになんとかして成績を上げたい子がいるんや。堪忍や、7月9日にデンちゃんのライブがある。それで堪忍してや」 10期生の中村耕治(近畿大2年)からメールが届く。こ奴もまた23日に大阪でのライブを楽しみにしていたクチ。「絶対に見やんとこ!と思ってた塾のHPをついつい見てしまいました。でも、中1と中3はともかく、中2の塾平均398点てなんなん! たるんでるんと違うの」 痛いとこ突きやがる。仰せの通りじゃ! 少なくとも400点は取ってきた過去の面々に恥ずかしいわい・・・と怒ったところで、やっぱA級戦犯は俺やもんな。反省せなアカンやろな。しかし今イチ仕上がりが悪いな・・・。 ウチの2年って、意外とおもしろいメンバーが揃ってんのやけど今いちピンと来んねんな。まず気迫がない。ギラッとした光景見たことがない。唯一付属中の真歩かな、教科書も皆と違うからいつだって一人黙々とやっている。やっかいなのは「もう私、全然分からん! もう今度の試験は最悪やわ!」と叫びまわっているわりには、結果が出るといつだって学年順位5番以内をキープしている。ちょっとオシャベリが過ぎるオオカミ少女や。そして真歩と仲のいい由衣も最近よくなったか? なにしろこの娘、中学1年中間試験で400点取れんかったもんな。それが真歩に触発された(母親談)のが幸いしたのか、この中間テストで460点を叩いた。理解は遅いがコツコツとやってきた亀さん、やっとこさ日の目を見たってとこか。由衣の今回の期末のテーマは「いかにして短時間で効率良く勉強するか?」ってこと。前回の期末試験は春休みあたりから準備してた。つまりは亀さん、十分な時間を駆使して試験に臨めたわけだ。しかし今回はひと月弱で9教科を仕上げる展開。これだけでも大変なのに俺は「政治に関する作文を書いてみる?」とネタをふった。それがBBSに載った作品、コムスンのリストラをグチャグチャと書いてたけど出来はともかく、こいつ新聞は読んでんねんな、との感慨。聞けばクソ真面目な由衣、深夜2時までかかって書き上げたとか・・・。計画は着々進む。これで由衣の勉強時間がさらに削られた。ラスト1週間でどこまで仕上げて来るか楽しみやね。 前回の中間試験で一番嬉しかったのは、勉強の苦手なある女の子が333点を取ったことだ。ウチの塾には中1の途中から参入。聞けば1年の頃は200点にも満たない点数だったとか。それが春休み以降、俺の誘いに乗って毎日のように塾に来るようになった。それまでは授業中に彼女を当てる気になれなかった。出来る奴に当てて間違ったら笑ってバカにできるが、彼女に当てても答えられないのが分かっていた。だから授業と関係ない日に教えたことを塾の授業のなかで当てた。半分イカサマみたいなもんだが、前日に教えたことを答えられるとうれしかった。それと同時に他の面々にも影響を与えたようだった。そして毎日のように塾に通ってやっと取った333点。その点数を聞いた時にはとっさに「めでたいなあ、ゾロ目や」と取り繕ったが心の中では「やった!」とガッツポーズを決めていた。これで今までの苦労が報われる。日々継続していくことがどれほど重要なことか分かったはず。これで少しは自信を持ってこれから勉強していくだろう・・・そう思った。しかし俺の望んだように行かないのが現実か。中間試験が終わるとテンションが下がった。授業以外の日は塾にも姿を見せなくなった。家でやっているんかな?との淡い期待も塾でのテストの解答を見ればバッサリと切り捨てられた。全然やってない・・・。連立方程式の基本問題も解けないままに学校では一次関数になだれ込んでいた。一次関数の授業は6月中旬に終わってはいたが彼女、この時に塾を休んでいた。最悪な流れ、再び200点を着るモードに入っていた。4月の頃のひたむきさは陰を潜めていた。しかし俺はただ眺めていた。何かを言うとすれば期末試験の直前・・・そう決めた。なぜなのか分からない、そんな気がした。 前回の「25時」を中1が読んだのだろうとしか思えない展開が続く。あのときに書いた山本愛、才能ではなく努力の子だと書いた山本愛包囲網ってか? とにかく中1が帰らない。愛が自宅に電話をするのを待って自分も電話するような雰囲気。公立中学の面々の過半数が450点以上を叩き出している。各中学のヒトケタが揃っている。それぞれの生徒のお母さんに話を聞くと「やっぱり愛ちゃんを意識しているみたいで・・・」とのこと。確かに1年ということもあって多少ザワザワしているが例年に比べれば雲泥の差。前回は私立の面々、入試疲れか?一発食らっちまった。今回はキチッと平均載せるからな! でも昔は全員の成績を「25時」に載っけていた。HPとなって一番困ったのはこれやな。点数の悪い子の成績は出せんもんな。ゆえに塾内平均でお茶を濁す次第だ。私立中学の面々のブチ当たっている壁はスピードにつきる。とにかくテンポが遅い。確かに膨大な宿題を出す中学にも問題はある。あんだけの宿題を出すんやったら東大・京大ゴロゴロのはず。それが実績を残していないのは生徒達の学校に対する依存性の高さ。それが6年間持続できればいいが、どこかで緊張が切れる。毎年のように繰り返される展開、今年もまた夏休み過ぎには脱力感にまみれた生徒達が教室を埋め尽くすんじゃねえの。ちなみに今年、皇学館中学が三重県下の私立中学で一番進路が速い。スピード違反でガードレールに激突しなけりゃいいがな・・・。 24日の土曜日、前田(早稲田大学院)が姿を見せる。「どないしたんや」 「選挙で帰ってきました」 「前も一度そんなことがあったよな。ありゃ、オマエんとこの親戚が嬉野町の町会議員に立候補したからだろ?」 「ええ、まあ今回は身内は関係ないですけどね。ブラッとね」 「お母はん喜んだだろう」 「いやいや、なんで東京からわざわざ帰ってくるんやって」 「そりゃ辛いこって」 「BBSを見てないもんで、ちょっと見せてください」 画像を追いかける前田がつぶやく。「いつの間にかテーマは少年犯罪から政治へと移ってるんですね」 「まあな、選挙で新幹線代使って帰ってきたんや、どや久しぶりに政治について書いたら」 「いや、政治はちょっと・・・、やっぱり僕は少年犯罪で行きますよ」 前田は早稲田の院で現代教育学を専攻している。少年犯罪にこだわりがあるんだろう。 25日、昼前から塾の中は喧噪の度をましていく。期末試験直前である。そろそろテンションの下がったすぐ頭に乗る田舎者にどんなふうに切り出そうかと考えていた。合間を縫うように奥さんと選挙に出向く。夜になると再び前田が姿を見せ、インターネットでNHKの選挙速報の画像を追っている。開票と同時に田村憲久氏が当選。個人的に注目していた前鈴鹿市長を務めた人が一敗地にまみれる頃には川崎二郎氏も岡田克也氏も当選。残るは全国注目の5区、これが開票率90%の終盤戦にもつれ込んでも当確ランプが付かない。やっと11時30分過ぎ開票率97%で藤波孝生に当確表示! 残る俺の関心、2年前の選挙で落選、今回に雪辱を果たさんとする津高の同窓生。ネット上での新聞記事では衆議院選挙の情報で埋まり三重県なんぞの参議院補欠選挙の情報はどこにもなかった。 期末試験を翌週に控えた24,25の土日、嬉野中男子バレー部は奈良に遠征した。そして京都府・奈良県の県優勝チームとぶつかった。ウチの高林紘は京都1位のチームとの対戦中に負傷。病院で靱帯損傷の診断を受けて松葉杖をついて3階の教室に入ってきたのは26日のこと。試験まで後3日。紘はお寺の長男坊である。穏和で人当たりもいい。学校の先生の信頼度抜群なタイプ。指示を出すとキチッと仕上げてくる。いい生徒には違いないがゴツッといたとこがなかった。ゆえに極力こ奴には指示を出さずに自分で工夫させる環境を作ることにしてきた。クラブは男子バレー部、とりたてて運動神経がいいとは思えなかったこ奴だが、1年から準レギュラーに抜擢された。俺なんて嬉野中バレー部、部員が足らへんのかな?と心配したもんだ。それが去年の春の大会で嬉野中は優勝、紘は2年ながらレギュラーを確保していた。しかし春から夏にかけ他の強豪チームから徹底マークされたのだろう。夏の大会ではあえなく地区予選で敗退した。2回続けて勝つことがいかに難しいことか、あの頃俺は紘と機会がある度に話し込んだ。前評判が高かったぶん紘の意気消沈、激しいようだった。「落ち込んでるんか?」 「いや・・・うん、ちょっと」 「今年の経験を来年にいかすんや。優勝したからて頭に乗ってたらやられる」「そんなことはなかったけど」 「その意識はなかってもや、オマエんとこに負けたチームの感情を意識はしてへんだやろ。今度は負けへんで!てな激情やな」 「・・・」 「自分達だけが練習してるんやない。ついついいい成績残ちまうと他人が見えやんようになる。練習してても自己満足の練習になる。勉強と同じや。相手チームもよく研究してたやろ」 「確かに・・・」 「来年はオマエらが中心になる。今年の4月から7月にかけての練習内容・クラブの雰囲気、よく覚えとけよ。そして来年は同じ失敗したらアカンで」 「うん」 勉強させるよりはそんなことを話すほうが品行方正優良児のこ奴のためになるような気がしていた。そして今年、嬉野中は去年に同様に春の県大会で優勝。全てが去年と同じ流れで進んでいた。去年と同じツテを踏まない、そんなこと部外者の俺より顧問の先生、百も承知だろう。期末試験直前のこの時期の遠征、これもまた指導者の今年の夏にかける意気込みを感じさせた。紘の期末試験の準備は決して万全ではなかった。試験直前の2日の休みは痛かった。しかしクラブを通して受験というもの、勝負事の疑似体験を経験してほしかった。紘の志望は津高。決して気が抜ける成績ではない。むしろ気の抜けたコーラのような点数。しかしバレーで修羅場をくぐってくればラスト4か月でひっくり返せる土壌は育つはず。 夏休みに入るのと同時に開催される地区予選、競技の別なく俺は生徒達の活躍を見学に出向く。しかしバレーほど試合前の練習でその中学のレベルがわかる競技も少ない。全員が無駄なく一つのボールを追って少ない練習時間を有意義に使う中学、やはり強い。しかし無駄な動きが多くなかなか自分にボールがまわってこないような練習をしているチーム、初戦の結果が見えてる。男子バレーでは今から6〜8年ほど前の久居西の練習が目を引いた。ウチの7期生の太田(就職)から9期生の山路(関西大)・星野(同志社)にかけての久居西だ。少ない試合前の練習時間、誰一人として緩慢な動作をすることなく矢継ぎ早にボールが選手の間を回っていた。その頃の話を紘にすると「ウチらの先生、昔久居西におったよ」 たまたま塾にいた西出身の長野(滋賀大)に確認すると「確かに嬉野の先生、太田や山路達の時代の先生ですよ」とのこと。俺は心底うなっちまった。嬉野中が県大会で注目されるようになったのはここ数年のことである。たかだか1学年2クラスしかない久居西であそこまでのチームにつくりあげ、そして今は嬉野中で全国大会をにらむ。指導者の資質がチームに与える影響のスゴサに俺は身震いした。じゃあ果たして俺は指導者としてどうなんだろう? いつしか自分自身に問いかけていた。 紘の前回の期末は439点。何度も言うが気の抜けたコーラ。逆境のなか果たしてどこまでの点数を叩けるか? そして7月21日から始まる地区予選での復帰は無理としても、県大会、さらなる向こうにある東海大会までには間に合うのか? HPで「25時」を書くようになって不自由なのは個人の点数を載せることができないこと。優秀な奴はいいだろうが勉強の苦手な子について書くこともまた憚られる。そこで憚る必要のない生徒がいた、俺の娘だ。双子の娘達れいとめいの一人、めいの話だ。 めいが勉強が苦手なのは分かっていた。かと言ってれいが得意かと言うとそうでもなく塾の先生の娘というだけで出来るんじゃないか?という世間の視線はイジメ以外の何者でもない。めいは正真正銘勉強ができない。塾には小学5年から来させた。ソフトな上下関係を学ばせたかった。かつて一人っ子として嫌な性格だった俺のトラウマやもしれぬ。なるべく雑多な環境を与えてやりたかった。塾では各自が勝手に勉強、宿題もしていた。俺はただ質問に答えるだけ、とは言うものの年中を通して父親と接する機会はマレでもあり質問してくることは滅多になかった。小6となり分数のかけ算・わり算に入ると割合と分数・小数の融合問題がある。例えばこんな問題・・・「原価に3割の利益を見込んで2600円の定価をつけた。原価を求めよ。」 ここでポイントになるのが割合の「もと」となる1である。式としては、χ×(1+0.3)=2600となり、χを求めるために2600÷1.3というわり算が姿を現すことになる。実はこの問題、分数で書きたかったのだが俺はまだパソコンでの分数の打ち方を知らない。ゆえに小数で容赦願いたい。分数のかけ算からわり算にかけて、かけ算やってるからかけるとか、わり算やってるから割るという子が多い。不思議なことに小学校ではこの分野を1限か2限で終わらせていく。この問題、中学にいくと文字式で3割はa割となり2600円もb円などと姿を変えていく。つまり中学では同じ問題なれど、文字の花が咲くことになる。理論がしっかりしていないと文字を割ったり掛けたり、もうメチャクチャ! そしてそれは方程式の式立てに直撃する。ウチの生徒たちにはこの分野を最低ひと月はさせている。力のある子はすかさず中学の文字式に導入していく。めいの力を見ていて到底この分野、学校のスピードでは理解できないだろう。連休明けから俺は自分の娘を教え始めた。 見事に出来ない。単純な分数計算もあやふやである。まず5年時の約分に戻る。そして仮分数と帯分数の関係、これなんて4年の範囲だ。気がめいる日々が続く。気がめいるからめいと名付けたわけじゃねえ。「オマエは基礎が出来てへんから毎日来い」 俺は不機嫌な顔で言った。翌日からめいは毎日毎日、分数の計算とそれに付随する5年までの範囲の復習と格闘することになった。かけ算がなんとか見られるデキになった。塾では1枚のプリントで1ミス程度。小学校のテストならなんとか90点は行くだろうと思った。かけ算はともかくわり算がやっかいだった。当然割る問題と掛ける問題が出る。なぜ割るのか?なぜ掛けるのか? まだまだ勘に頼って解いていた。理論の理解までは到底行きつけない。その点かけ算ならば・・・と思っていたが見事に裏切られる。めいはなかなか試験を家に持ち帰らない。机の中に置いたままだという。母親が尋ねると「悪かった・・・」と言ったきり口をつぐむ。そしてやっと持ち帰った点数は65点。この点数には正直まいった。今までウチの塾で教えた生徒で分数のかけ算65点というのは記憶にない。つまりはめいが一番ひどい。塾の先生としての資質に自信が揺らいだ。奥さんに言うと「めいはめいで、お父さんが熱心に教えてくれてるの分かってるみたい・・・。本人なりに責任を感じてるみたいよ」 なんとか気を取り戻しめいにわり算を教え始めた。まず絵を書くこと、どれがもとになる1で、どれが比べられる量なのか? 何度も何度も説明した。教える俺も砂を噛むような思い、それはめいもいっしょだった。鉛筆を持った手が動かない・・・そんなめいを眺めながら俺はいつしか考えるようになった。別に勉強ができなくてもいいんじゃないか? めいは何をやってもれいに負けた。小さいときからそうだった。テストはもちろんのこと、マラソンにしてもれいは学年で4番くらい、めいは7番くらい。いつも、何をやってもれいに負けっぱなしだった。俺はれいよりめいのほうがかわいい。双子だから両方を・・・という博愛主義者ではない。れいは愛嬌もあり、かつアバウトな誰からでも好かれる性格(俺に似ているとの塾内の声は多い)。それに対してめいはどこかシニカルな発言が目立つどちらかといえば暗い性格。だから俺が愛さなくっちゃと考える。今回のことにしろ、一度でいいかられいに勝ったら自信が持てるんじゃないか?と考えてのこと。私は何をやってもれいに負ける・・・めいの顔にはそう書いてある。でもそうはさせたくない! 父親として? 塾の先生として? しかし理解の不出来に俺もまた悩んでいた。無理して勉強させることはないんじゃないか? 弱音がポツリと口をついて出た。 2年前からめいには絵を習わせていた。2年前のあの頃、すでにめいはれいに一歩引いていた。焦った俺はやはり何かれいよりも秀でたものはないか?と考えあぐね父親参観の時に見た絵を思い出した。れいの絵は分かりやすい絵だった。つまりはオブジェの説明でしかない。説明ならば絵に書く必要はない。しかし一方、めいの絵には色を作り出そうとする片鱗が窺えた。俺は小学校入学前から10年ほど絵を習っていた。美術の教師にでも、という親の期待もあったんだろうが見事に裏切ってやった。しかしその方面の目ききだけには自信があった。2人の絵を塾に持ち帰り全員にどちらがいいか聞いた。れいのほうがいい・・・大部分の生徒がそう答えた。「おまえら高校へ行っても美術取るなよ」 遙かにめいの絵のほうが芸術と言えた。たったひとつだけ見つけためいのメリット、俺は自宅で絵を教えているかつての塾生ご父兄の所へめいを連れて行った。 毎日教えてくれる父親に対するプレッシャーもあったのだろう。塾に姿を見せるめいの顔色はさえなかった。もし今回もテストの点数が悪かったら旅行に行こうと決めた。めいを連れてどっかめいが喜ぶような場所へ連れて行ってやろう。そして旅館にでも泊まってゆっくり話をしよう。無理して勉強する必要はないんだと。勉強は勉強、やはり努力はしてほしい。嫌なことから逃げてほしくない。しかし勉強よりも自分がやってて楽しいことを見つけようよと。決して点数が悪いから毎日塾に来させたんじゃないんだと。なんでもいいから自分に自信を持ってほしいから、一度でいいかられいに勝たせたかったから、そうして最後に、愛しているから・・・。 「お父さん、明日分数のわり算の試験がある・・・」 そう言うめいの顔は強ばっていた。その強ばりは俺にも伝染した。今まで間違えたプリントを最後にさせてみた。そこそこに解けるようになっていた。厳しい父親の言うように絵を書き、もとになるものに1と記し、方程式をたてていた。これ以上俺がすることはない。中1の問題もさせ、いつしかaやらbやらcで式を立てれるまでになっていた。こんだけやってアカンかったら・・・弱気の虫が囁いた。その時は・・・担任の先生に無理を言って2人で旅行に出かけよう・・・。 塾は期末試験が近づき午後4時頃には中学生達が姿を見せ始めていた。生徒からの質問を教えながら心は震えていた。電話をすると「テスト、今日はまだ返ってきてないみたいよ」と奥さん。そして数日が過ぎ、めいが塾に現れた。「お父さん、これ」と言って踵を返した。四つ折りの算数のテスト・・・恐る恐る広げると95点・・・。ドアを開けて出ていこうとするめいに声をかけた。「れいは何点やった?」 「90点だって・・・」 脇の下を冷や汗が伝った。 これで何かが変わるのか? それは分からない。ただ、めいが家で奥さんに言ったそうな・・・私、算数好きになってきたわ。奥さんはここぞとばかりに言った。「やっぱり毎日お父さんとこで勉強してたからこんないい点取れたんやに。継続は力なり! 分かった?」 「うん」 そんな平和な家庭の団らんとは裏腹、その日からめいは連休前までの曜日、週2回しか姿を見せなくなった。俺はイライラしながらつぶやいた。「あの野郎! 頭に乗りやがって・・・アレ? これって、誰かとそっくりだよな」 6月28日、白山中学・西郊中学・嬉野中学で期末試験がスタートした。翌28日からは久居中学・久居東・一志がそれに続いた。今回のルールは前回の中間試験より点数が上がったら+50ページ、下がったら−50ページ。各学年単位で集計、英語の基本文型の書き写しに入る。 7月11日、今年の広告にも載せたノッチンの物理の授業が塾であります。将来理系に進もうかな?と考えている生徒、あるいは物理の範囲(力とエネルギー)に興味のある生徒。対象は中学生・高校生です。 |