13日、黒のスーツ姿で中村和司が一升瓶をぶらさげて塾に現れた。「内定がでました!」 クールなこ奴にしては声が高ぶっていた。「どこや?」 「三重銀行です」 「そうか和司ちゃん、竹中の後輩になるんか」 「三重ケーブルテレビの話では、カウンターを取りつけることはできんらしいよ。今検討中やから認可が下りたらメールで知らせるって」と俺が言うのを聞くや、和司ちゃんパソコンに向かい合った。そしてゴソゴソと何かやっていた。まさかね、と思っていると「先生、できました」 見ればフロントページの一番下にカウンターがついている。「すげえな!オマエ。絶対に進む方向、間違えたよ。それか少々ダサイ三重銀行のホームページをもう少しオシャレにするか?」 「ハハハ」と笑う。こんな笑顔、ここ最近お目にかかれなかった。その日のうちに大阪の下宿に帰る予定はキャンセル。早速竹中を呼び出す。「和司ちゃん、アンタんとこに内定もろたで」 「そうなん、そりゃめでたい! で、これから飲もってか?」 「ご名答! どや?」 「オーケイ、オーケイ。祝い酒はどこへだって行くさ」 5月の4日に塾の前にある飲み屋に10期生とともに繰り出し、請求金額が6万なんぼかになり、俺が切れかけ竹中が「なんじゃ、この店!」と言い捨て万札を叩きつけて(2人とも行儀がすこぶる悪いのだが)、あげく気分が悪いわと津の大門の『乃木坂』(三重大医学部、特に酒癖が悪いと噂されるサッカー部&野球部のご用達)にまでベロベロになりながら足を伸ばして以来の飲み会。塾の近場、宮池のそばの『蔵』へ。ビールで乾杯、「和司ちゃん内定おめでとう!」 「ありがとうございます」 さすがに今日は酒が進むようで顔を真っ赤にしながらも奮闘している。ぎこちない酒の注ぎ方、「あれ、和司ちゃんギッチョだっけ?」と俺。「ええ」 「なんか気になるな。やっぱ右手で注いだほうがええで」 しかし、と思う。ほんの前までは人に酒を注ぐことなんぞ思いもよらぬようなタイプだった。いつしかオズオズしながらも他人に酌をするようになった。成長ではある。 BBS(ホームページの掲示板)ではワクワクするような展開になっている。塾生には緊急発売のノリで「25時」5月15日号を出した。このホームページをごらんの方はBBSのほうへ。一言で言うと『ファイティング志摩』と名乗る塾外者がウチの高校生達に公開質問状を出した。その内容は「こら学生! 最近犯罪を犯している未成年者が多いやろ。同じような年齢で、何か感じるもんはないんか? 奴らは特別やと思うんか? なんか能書き垂れてみ!」 これに対しウチの高3の古西(津高、慶応大学経済学部志望)と波多野(三重高A、明治大学志望)の2人が立ち向かう。しかしファイティング志摩、間髪を入れず反論。そして第三の刺客?山本明徳(久居高2年、早稲田大学志望)が先輩に遅れじと立ち向かっている。あげくアメリカ留学中の森下(8期生)までがその輪の中に参入してくるというバトルロイヤル。後は教育畑を歩む前田(早稲田大学院教育学科)と鈴木克典(東京学芸大)の参戦時期が気になるところ・・・・と思っていたら、教育支援協会理事の吉田先生からメールが届き「近々私も参加します」とのこと。えらいことになってきた。 15日はBBSにも書いているように5期生の小林のライブを大阪まで観に行く。久居東から津東高に進学、中学時代からの夢だったバンド活動を開始。同時に「ミスター津東」に選ばれるほどの人気者で生徒会会長に当選する。大学は学校推薦で大阪学院大学へ。そこでもロック三昧の生活を送り、大阪市内の広告代理店へ就職する。しかしバンドの練習やライブなどで半年後には有給休暇を使い果たす。「これ以上休めば辞めてもらう」という会社側の通告に、躊躇せずに辞表を出した。友人達がスーツを身にまとい髪を切り社会人になっていくのを眺める日々。鬱々たるものがあったのだろう、小林は今年のウチの年賀状、一人一言集に「社会と自由の狭間」と記した。 3月、自主製作したCDを塾に持参した小林は俺に言った。「今年のライブのなかで納得できるものを出せなかったら、その時は俺、三重へ帰るわ」 そんな小林の今年度のライブツアーが15日からスタートする。平均月に一度の割合でライブが続く。そして小林が出す結論は・・・・、俺は人生の岐路に立つ塾生の「今」を見逃すことができない。この1年、こ奴にとっては受験生に等しい1年間となる。BBSに投稿してきたアメリカにいる森下もしかり。人生の目的を探してアメリカにやって来た・・・そんな塾生たちの等身大の姿、年甲斐もなく43歳の俺はなんとか併走しつつ眺めていきたいのだ。 15日、俺は携帯で連絡を取りながら西九条のプラットホームで渡部裕美(10期生・京都教育大2年)と日比剛(関西大1年)と待ち合わせる。こんな時、携帯って便利だなと思う。改札口を出るとヌウッと中村耕治(近畿大2年)が現れる。こ奴は東大阪からバイクでここまで来やがった。「先輩、バイクはどれ?」という剛に電話ボックス横の緑色のバイクを指さした。派手なバイクだった。「よくあんなん乗ってるね」と剛。「ほっとけ」と中村。小林は一番のダチである菊山善久(同志社大学院から今春、松下電器に入社)も呼ぶつもり、と言っていた。しかし店の周辺に菊山の姿はない。今日は平日、奈良の郡山市の工場での研修中ゆえに無理なんだろう。 『BRAND NEW』は大阪環状線の高架下にある意外に広いスペースを持つライブハウスだった。チケット代1700円とドリンク・フード代1000円で一人2700円、4人で10800円。臆病な塾の先生、「領収書頂戴!」と言うのが恥ずかしく無言。頭の中では「この後、飲みに行くから・・・、明日無事に帰れるかなあ」なんぞと考えている。カウンター横に小林が座っていた。「先生、今日はどうも遠いところを・・・」と、ロッカーらしからぬ律儀な挨拶。「ええとこ見せてや」と俺達はホールのドアを開ける。東京から来たという『SHAPE 2 FUTURE』というバンドが演奏中。また克典にでもどんなバンドか聞いてみようか。 大阪から三重に戻り、さっそく克典にメールを送る。それに対する返答は以下の通り。「こんばんわ。とりあえず『SHAPE 2 FUTUREを知ってるか?』とのことですが、いやあ全然知らないです。TOを2に変えている所を見ると(基本的にはB系カルチャーですよね、これは)、「この道で飯を食っていこう系PUNKバンド」のような気がしますが、基本的にそういうバンドには追っかけはいません。一部の超メジャーバンドにはいますが。だからそこらへんを考慮すると、『横道坊主』とか『STREET BEATS』とか、あのへんじゃないですかね、所詮ROCK系。それに今流行りのインディーズのノリを加えてみました・・・みたいな。」 さらにBBSに話は移る。「BBSはオモロイことになってますね。毎日見てますよ。俺もいつ参戦しようかと迷ってるんですわ。もうちょい様子をうかがってみたい気もするし。高校生の反撃が見たいんですよ。それからでイイだろうと思っていたので、ついつい乗り遅れちゃいました。・・・古西にはダウン寸前のカウンターを期待してるんですけど、やっぱ受験生は忙しいんでしょうねぇ。それと「僕は未熟です」って作文に書いた彼は参戦しないんでしょうか? 僕的には彼の文が一番好きなんですけど。彼にも参戦して欲しいですねぇ。・・・というか、3日前から原稿を書いてるんですよ。もうすぐ出来あがるんで、それを持ってパワーボムでも食らわしに行くつもりですけど。まあ、さっき見てきたら前田先輩が粉々にされてましたんで・・・(汗)」 『SHAPE 2 FUTURE』のステージ、程なくして終演。そして10分ほどして小林のバンド『Driving’ Lucks』が登場する。さっきの『SHAPE 2 FUTURE』は、追っかけっぽい女の子が数人いたが、『Driving’ Lucks』にはいないようだ。編成はボーカル(ツインリード)・リードギター・ベースギター・ドラムスと小林が担当するサックスの5人編成。ジャンルは何かな? あえて説明するとセックス・ピストルズ(古いなあ。セックス・ピストルズをクリックすると、パンクのサイトになります。下のほうの the sex pistols の anarchy in the uk をクリックすると曲が流れます)の日本語バージョンあたりか。演奏に入ると観客に緊張が走った。こんな光景をどこかで見たことがある。シゲさんのライブや!と思いあたる。 シゲオ・ロール・オーバーと言っても、よっぽどのロック・ファンでないと名前を知らないと思う。ジミィ・ヘンドリックスそっくりの容貌で「とんねるず」の『ラスタ・トンネルズ』に出演したこともある。またジミ・ヘンの命日には名古屋のライブハウス『クアトロ』で追悼ライブを行っている。かつて三重テレビの『農協ライブステーション』で審査員を勤めていて口の悪いオッサンと言ったら分かる人もいるかな? あのボーカル&リードギターの中野重夫は俺の久居中時代のダチである。そんなシゲさんのライブにチョクチョク足を運んだ。やはり追っかけは少ない。それよりも観客はバンド活動をしている連中が多く、「何かを盗んでやるぞ」という雰囲気でシゲの演奏、手の動きや指の動きなどを目をこらして見つめていた。 シゲさんとこほどではないが、小林のバンドは確かにうまかった。難を言えばリードギターが弱い、ボーカルの声の質もサックスとは少し噛み合わない。しかしドラムスもそこそこ。小林のサックスも奇をてらう編成ではあるが、ヒイキでなく良かったと思う。しかしバンドとして色気に欠ける。うまいが魅力に欠ける。観客の多数はバンドメンだったと思う。指やつま先でリズムを取りながら、しかし授業を聞くような雰囲気で息を凝らして眺めていた。完成度は高い、しかし曲と曲の間に何か工夫がほしかった。確かにうまい、しかし何かが足りない・・・・。 ライブを終えホールから出ると小林が頭を下げた。剛と中村がCDを買った。「これ、祥宜の弟やで」と言うと小林は「へえ」と驚いた。小林は5期生、そして連れていった面々は10期と11期、年齢差を考えると仕方がない。ただ、かつて同じ塾で過ごしたという共通項だけで後輩が先輩のライブを眺めるというシチュエイション、困ったことに俺は好きなのだ。「次はいつや?」と俺。小林は驚いたように口ごもる。「6,6月・・・・23日」 「そうか、じゃあまたな」 外に出ると雨、俺と裕美ちゃんと剛はタクシーに乗り福島の飲み屋へ向かう。裕美ちゃんがその居酒屋でバイトしているらしい。しかし最近はあまり行ってないそうな。中村はバイクでタクシーの後を追いかける。携帯から宮口・兄(近畿大1年)に電話。クラブ(ラクロス部)からやっと帰ってきたとのこと。福島の駅まできたら迎えに行くという段取り。大阪環状線福島駅のミスタードドーナッツの隣に海鮮料理の飲み屋(店名を忘れた)、明るい雰囲気である。しかし裕美ちゃんの発言では「お客はオヤジばっかし」となるのだが・・・。 オヤジである俺は、何か落ち着かないそぶりの裕美ちゃんに聞く。「やっぱあんまりバイトに来てへんと居辛い?」 「うん」 「でもいいじゃない、お客さん4人連れてきたんだから」 「うん・・・・そっか」 「ところでさ、ゴールデンウィークの時の飲み会、ひどかった?」 「もう、メチャクチャ」 「俺、なんかした?」 「先生は一軒目で高い!って怒鳴ってるし、でも大門に行ってからは眠ってたけど。竹中先輩はメチャクチャ! 後で合流した美季ちゃんをどっかへ連れていくし、『乃木坂』の玄関に吐きまくるし・・・・」 「えっ! 美季も来たの?」 「え! 先生、覚えてへんの」 「まあな・・・・でも、はっきりしていることはメチャクチャひどかったってことか」 「うん、酔っ払いって最低!」 これで俺は「オヤジ」で「最低」という有難くない評価を裕美ちゃんから頂いたってわけだ。 塾内でも名うての大食漢、中村と宮口の2人がそろったから大変、みるみる皿がなくなっていく。しめてお勘定は18800円、でも裕美ちゃんのおかげで14000円になる。でも塾の前の店とは違いなっとくできる金額だった。奥さんから4万円もらってきたから、あと1万円あまりある。ヘンに安心する貧乏な塾の先生? 中村のバイクが疾走していくのを見送った後、終電間際の電車に乗りこむ。宮口はクラブの朝練があるからと大阪駅で別れる。剛と東海道線に乗り換え吹田まで。駅裏のアサヒビールの工場横から吹田市民病院へと向かう長い長い坂道を歩く。この坂道は高村薫のデビュー作「黄金を抱いて跳べ」で頻繁に登場した場所。情緒に浸りながら剛と2人で歩いていると塾から電話。「先生、前田先輩がBBSに投稿してきました」 「そうか、そろそろ来ましたか」 「それと・・・・」 「なんかあった?」 「塾の1階のドアが壊れました」 酔いが一挙にまわってきた。足元がふらついた。 この日、俺が留守の塾を担当してくれたのは伊藤友紀(10期生。皇学館大学教育学部2年)だった。170cmをゆうに越える身長、大学入試の面接でも「バレーやってたの?」といつだって聞かれちまうタイプ。友紀は慣れた感じで「いえ、茶道をやってました」とあしらうのが常。高校1年の数学担当、去年授業中にその当時付き合っていた男の子から携帯に電話。出ると「俺達、もう別れよう」 授業を忘れ外へ飛び出す友紀、塾の外で背中を丸めて号泣する友紀をなぐさめる中井(津東2年)など高1、「先輩、またいい人が出きますよ」 それにも答えず号泣し続ける友紀。そして友紀は翌日すっきりした感じで塾に姿を見せた。「先生、昨日はゴメン」 「落ち着いた?」 「今日さ、私、あいつんとこへ乗りこんでやったわ」 「え!」 「でさ、メチャクチャ文句言ってさ、泣かしたったわ。ああ、せいせいした!」 「泣かしたって、アンタ・・・」 「もうええねん、私は未来を見つめるの」 恐ろしいほどの立ち直りを見せた友紀、傷心旅行としゃれこんだ東京で新しい彼を見つけちまう。しかしこの4月、再び暗雲が垂れ込めたことから東京に乗り込む。帰省して俺に言う。「アイツ、頭に来る! 『ゴメンな、俺だけに春が来て』ですって」 西九条のプラットホーム、剛がやって来るまで俺は裕美ちゃんと伊藤友紀の話で盛り上がっていた。裕美ちゃんは笑いながらも一瞬表情が翳った。「先生、私もさ・・・友紀ちゃんと同じようなことあったんよ」 「え!」 「実はさ、高校の時から付き合ってた子が去年、名古屋で浪人しててね、別れようっていう電話が入ったの。それでね、私行ったの。東京じゃないけど名古屋まで・・・。先生、この私が行ったのよ、信じれる? 新幹線で1時間もかかって」 「で・・・」 「うん、その時はもう一度やり直そうとなってルンルンで大阪に帰ってきたけど・・・やっぱりダメだった」 「・・・・」 そんな時に剛が登場。少しだけ心残りで、ライブの後の飲み会でもそれ以上のことを聞くキッカケがなかった。 3期生の中山亜子が5月20日に結婚する。亜子もまた天然が十分に入っているタイプ、つまりは友紀や裕美ちゃんと同系列に属す。ウチの塾に入ったのは中3から。数学以外の教科はそこそこいいものの、数学は思考的な問題に難があった。「まるで歩く公文式やな」と冗談を言うと亜子ちゃん、オズオズと「実は私のお母さんは桜ヶ丘で公文式の教室をやっているんです」 夏休みの夏季講習、小学校レベルにさかのぼり思考力を要する問題を解かせた。弟の智博(当時小学6年)が解けた問題を解けずに落ち込んでもいた。しかし亜子の取り柄は天然ボケとシンプルな粘り、これを武器?に三進連3回で久居東中1位となった。その成績表を俺に見せながら俺達は黙りこくった。沈黙を破るように俺は言った。「亜子ちゃん、君が東中の1番なんて何かの間違いや。これは悪い夢やったってことにしよや」 亜子ちゃん曰く「ええ・・・、私もそう思います」 そして三進連4回もまた亜子ちゃんが1番だった。俺は言った。「マイッタよな」 亜子ちゃんもつぶやいた。「ええ・・・、本当に」 「悪い夢が2度も続いたな・・・」 「ええ・・・」 俺は内心小躍りしたくなる思いだったが、亜子は心底自分が東中で1番だということに疑いを抱いていた。つまりはそんなタイプだったのだ。そして5回の三進連で4番になった時、コロコロ笑いこけながら言った、「もう、これでホッとしました。これで落ち着いて勉強できます」 高校は津西へ進学。塾を続けるなか、コピー機の印刷ボタンを押してボタンを陥没させた経験を持つ。「スゲー力やな!」と唖然とする俺や大学生に顔を真っ赤にして「偶然です!」と抗弁していた。さらに座った途端にイスが壊れた。みな、さもありなんと眺めていた。亜子ちゃんは必死で「違うんです!これも偶然です!」と叫んでいた。ほのぼのとしてイイ女の子だった。俺もまた双子の娘、レイとメイを持つ親として、亜子ちゃんみたいな女の子に育ってほしかった。お母さんの影響が大きかったと思う。ほのぼのとして、太陽みたいなお母さんだった。ウチの娘達をこんなステキな女性と触れ合わせてあげたい・・・その一心で公文嫌いの俺が双子の娘達を中山先生の教室に入れることにした。教育の中核を成すのは「人」である。 その後、亜子ちゃんは南山大学文学部に進学。就職氷河期ゆえに「1号館」しか内定が出ないという苦しい展開。「さすがにあの時は私、痩せました」という逆境から一転、女子採用枠3人に600人が応募するという大激戦のすえ、なぜかツーカーセルラー東海へ就職が決まった。面接担当者もまた、彼女のほのぼのとした天然ボケに魅入られたのだろう。 1年に2,3度、亜子ちゃんのお母さんと俺と奥さんとで食事をすることにしている。「一体いつになったら嫁にいくのでしょうね」と言うのがお母さんの常だった。「心配いりません。あの天然ボケを愛してくれる人はいつか絶対に出てきますから」 そう言うのが俺の常。そんな亜子ちゃんの結婚が決まった。今年27になる亜子が「今まで待ってて本当に良かった」と言ったとか(弟の智博発言)。幸せになってほしい、切に願う。 |