最後に日本を発って早二年、時は風とともに去りぬなーんて言ってみたりして、 そう、もう二年もたってしまったのだ。 二十歳を過ぎると時が経つのがはやいといわれるけれど 改めてそのことを痛感する。 ********************** 1997年6月12日正午ちょっと前 はじめてアメリカの大地を踏み締めた瞬間だった。 飛行機はデルタ航空 機内には日本人なんて乗っていなかった。 (他の航空会社は最低一人は乗っているそうだ。) 名古屋空港にて飛行機に乗ったその瞬間こそが まさに異国の地に足を踏み入れた瞬間だったのかもしれない。 初めての飛行機機内、 「お水を下さい」の Waterが言えない。 正確には言ったのだが、そこは小心者の俺のこと 当時の会話を再現してみよう。 スチュワート 「Would you like to have something to drink?」 小心者 「Can I have ウォーター?」 スチュワート 「???」 スチュワート 「Excuse me?」 小心者 「ウォーラー」 スチュワート 「?.....Do you want Water, Orange Juice, or Cha-(茶のことらしい)?」 小心者 「Tea、Please」 そんな感じで、毎食事時には極度の緊張にさらされてしまった。 そんな外人サンたちに囲まれ、ご飯はくそマジーし、薄着(日本は暑かった)のせいで機内はめっさ寒いし、やることないしで精神状態は限界に近づいていく。 ホームシックの第一陣は飛行機内で始まっていた。 やっと到着(8時間くらい) 発着ゲートにはアメリカのお父さんとお母さんが出迎えてくれました。 (アメリカでは日本と違い飛行機に乗らない人も発着ゲート迄入ることが出来ます。) アメリカのお父さんはこいつ絶対友達おらん(つまりいじめられっ子?)と思っていたそうですが、暖かく出迎えてくれました。(あとで(約2年後)そのことを聞いて、よっぽど貧相な顔してたんやろなぁなどと思い出しては笑ってしまいます。) 暖かく迎えてくれたホストと車に乗って空港を後にします。 言葉が通じない。 全く通じない。 仕方がないので分からない言葉を逐一辞書で引くことにしました。 何を話したのかはいまいち覚えていません。 それもそのはず、アメリカに来た当初にホストと喋ったことのほとんどを ホストは間違って覚えていたのです。 後にホストが他の人に向かって日本では~~~~なんだよと、 全く見当違いの事を言い(例えば、日本人はいまだにちょんまげをしている。とか) 違うというと、 お前がいったんじゃん。 と返されて一から説明をし直したりすることがしばしば。 そのつど、俺ってぜんぜん喋れてなかったんだなーなんて しかもその時3時間もかかって説明したのに 15分の説明で理解するなんて(汗) 月日とともに俺も少しは成長したのかなと思う瞬間でした。 *********************** しばらく長い文章を書いていなかったのでますます文章にまとまりが 内容に見受けられますが、お許し下さい。 本当は受験シーズン中に投稿しなかった理由(いいわけ) などつらつら書いて見たものの、 あまりにも暗くつまらなかったので、 こんな内容にしてみました。 アメリカ留学初期の奮闘ぶりを垣間見ていただけたら幸いと思います。 次回は一時帰国前最後の投稿になると思います。 |