DIARY


その折その折のテーマを扱うことで「25時」を打ち続けてきた。しかし多忙に任せ、馬鹿みたいに出したり半年ほど沈黙したり。HPを立ち上げたものの、「毎日どこかが更新されています」なんて約束もいつしか風化しちまい、これではアカンと日記形式でお茶を濁すことに。ところが俺だけの日記ではX軸でしかないが、山本愛が同時進行で塾内の出来事を綴ったことからY軸が発生。ひとつの出来事を、俺の視点と生徒の視点の複眼構造で眺めるようになったことから状況がよりリアルに把握できるようになった。その連鎖反応からか、上は30歳を目前にした社会人の越知や院生の前田から、下は小5になった娘のあいに至るまで、数々の視線が交錯する現況を迎えることになった。

今、活性化している日記は森下と里恵のサイト。それに加えて征希が新サイトを立ち上げた。ご堪能あれ。

塾頭の「気分はいつも3人リーチ」

2002年

2003年

2004年1月第一週

2004年1月第二週

2004年1月第三週

2004年1月第五週

2004年3月第三週

2004年4月第一週

ウチの家にはサンタも来ない! ウチの家にはお父さんも滅多に帰ってこない! ウチの家には私の映った写真が少ない! ウチの家には怖い怖いれいちゃんがいる! ウチの家には・・・。

れいめい家の末娘・あいの「ウチの家には!」 2003年 12月

れいめい家の末娘・あいの「ウチの家には!」 2004年  1月

れいめい家の末娘・あいの「ウチの家には!」 2004年  2月

れいめい家の末娘・あいの「ウチの家には!」 2004年  3月

れいめい家の末娘・あいの「ウチの家には!」 2004年  4月

中3の山本愛も何か書きたいとか・・・。まあいいか。180〜200字の制限で書かせたらちったあ来春の公立受験の練習になるやろ。

愛の「私は頑張るしっ!!! 」 2002年 9月

愛の「私は頑張るしっ!!!」 2002年10月

愛の「私は頑張るしっ!!!」 2002年11月

愛の「私は頑張るしっ!!!」 2002年12月

愛の「私は頑張るしっ!!!」 2003年1月

愛の「私は頑張るしっ!!!」 2003年2月

愛の「私は頑張るしっ!!!」 2003年3月

ウチの6期生の前田崇が自分のHP上で日記を綴っている。シャクだがなかなかの出来だ。論文提出を控えた焦りが自由に表現できる日記形式を渇望しているのか? タイムリィミットを抱えるうえでは同じエリアで生きる中3の山本愛とリンクする。そんな前田の日記をお届けする。

前田崇の” The Long & Winding Road − 2002/10

前田崇の” The Long & Winding Road − 2002/11

前田崇の” The Long & Winding Road − 2002/12

前田崇 の” The Long & Winding Road − 2004/3

前田崇 の” The Long & Winding Road − 2004/4

そしてやっかいなのがまだおって、社会人になっても学生よりも負けず嫌いな越知(4期生)。前田とは今もなお精神的な師弟関係を続けている。中3の山本愛の日記に触発されたか、前田の日記が吐く拍車をかけたかはやぶさかではないが、中小企業診断士を当座の目標としている以上は皆が同じレールの上で勝負しているはず(プレッシャー若干)。当年とって27歳の越知の日記もご堪能あれ。

越知勲の日記

なにとトチ狂ったのか、3月に医師国家試験に臨む高橋君まで日記を書きはじめた。きっかけはセンター数学対策十本勝負を主催したことか? 塾内で限りなく文系に近い理系といわれるように文才もなかなかのもの。ただその器用さゆえに、高橋君の塾内での役割は”受験生の緊急病棟”的な存在を余儀なくされた。俺が望んだからだ。その意味では本当に感謝している。しかし高橋君にとってこの6年間、溜飲を下げるような生徒に出会えなかったことには責任を感じている。ここに書き込まれた塾生への悪口雑言が彼のウチの塾への最後の贈り物。

ドクター高橋の追っかけリーチ!

ドクター高橋のアフリカ日記

5年間にも及ぶアメリカ暮らしから一転、今年の春から立命館大学国際関係学科に編入、京都で暮らし始めた森下直樹の不定期日記である。

森下直樹の偏日記

森下直樹のアメリカ日記

毎週の授業やその他の出来事から感じたことを脳天直下型文章で書き綴る。乱暴な表現や稚拙な文にはご用心

さくらちる 心感記

やっと呼びかけに応えてくれた?アキラの登場。2001年の夏、福井からウチの塾に密航。アトピーがひどいと親父(ダーティ珍)から聞かされていたはずが、古い塾で寝止まりするというタイマン勝負。アトピー、あまりの不潔さに退散したのか、晩夏にきれいな顔で福井に帰省。翌春、関西大学経済学部に合格。現在に至る。下宿生活1年間でバイトもせずに40万円の貯金をしたという前科を持つ。下宿してて貯金するなんて学生の風上にもおけへんわ!

週間アキラ(仮称)

2004年春の初め、再びれいめい塾に密航して生きたアキラが公務員試験までの日々を綴る!

日刊『AKIRA』 4月号

日刊『AKIRA』 5月号

待望久しい4期生・上野征希の登場。関西大学から院進学後、コテコテの営業畑で行き抜いてきた征希が見つけた希望の星、カイロプラクティック。平日は嬉野町にある畑山診療所にて見習修行。土日はサンバレーでカイロプラクティックの実演を行う。そして今、その不況ならぬ苦境ならぬ布教活動はここ、れいめい塾にも及ぶ。

上野征希の『恵まれました。』

上野征希の『恵まれました。』

一日千秋の思いで過ごすことはや、半年。中井から日記が届く。学生は過半数が留学生、授業は半分が外人教授による英語での授業、食堂での共通言語は英語という日本のなかの異郷”アジア太平洋立命館”で学ぶ14期生・中井からの中井でしか書けないレポートをお届けする。

九州から愛を込めて

大西講師の薫陶、高1の頃から受けてきたはずの高2文系、大森・香奈子・拓也。先輩達に混じっては論説文の重要な個所に線を引き、作者の主張を踏まえ、一文一文を丁寧に「これは具体例」「これは主張の言い換え」「これは・・・」なんぞとやってきた。香奈子は何度も先輩連中にため息をつかせ、大森は何度も失笑を誘った。俺は大器晩成と言われつつも、このまま受験が終わりそうな雲行きの大森に対する打開策を模索していた。読む立場から書く立場へと視点を変えることで、新しい扉が開くことをひたすら願いこのサイトを立ち上げた次第。上に挙げた3人に、途中から参戦の寺沢を加え、高校生の”現在”を炙り出してくれることを期待する。

大西幸祐の不肖の弟子たち

1年生議員が見た国会(5月29日更新)

Endless Journey

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