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私はがんばるしっ!!!

山本愛の塾内日記 2002年10月


10月1日(公立入試まであと163日)

今日は塾に来てから、しばらくしても何も起こらなかった。私は「やべえな」と思った。なぜなら何も起こらなければ、日記のネタがないからだ。しかし、こればっかりは自分ではどうしようもない。帰る時間も迫り、私があきらめかけたその時だった。「ドドドドド」 今日に先生のいるスラム街から大きな音がした。先生の方を見ると、何とスラム街がくずれ、さらにひどい状態になっていたのだ。「プッ・・・あはははは」 私はただ純粋におもしろかったのと、今日のネタができたうれしさで、大爆笑してしまった。先生はつまらなさそうに「まあ、いいけどね」と言いながら、スラム街を片付けるようなそぶりを見せたが、すぐに止めていた。「こうしてスラム街は形成されていくのか・・・」 私はれいめい塾の汚さにあきれながらも、その汚さに助けられた自分をとても情けなく思った。  

10月2日(公立入試まであと162日)

「あっ切ってしもた! 怒られる」 電話の前に立った先生が叫んだ。塾生はみんなキョトンとし、先生を見た。すぐに笑いが起こる。どうやら先生は古い塾に電話するつもりで間違えて自宅にかけてしまい、途中でそれに気づいて慌てて切ってしまったらしい。なんておっちょこちょいなんだろう。しかも、条件反射的に家へ電話するほど電話しているということから、長い間家に帰っていないということがうかがえる。そういえば、この前先生の娘のあいちゃんが塾に来たとき、先生があいちゃんに「久しぶり」と言っているのを聞いたことがある。れい、めい、あいちゃんはこんな父親をどう思っているのだろうか? どうやって家族として成り立っているんだろうか? 最近「れいめい塾」について分かりかけていた私だが、さらに難しい疑問が浮かんでしまった。普通なら悲しくなるところだが、私はなぜか少しホッとしてしまった。

10月3日(公立入試まであと161日)

最近太った。しかも、そろそろ笑っていられるようなレベルではなくなってきている。しかし、今日私は先生からラスクをすすめられ、一つだけ食べてしまった。「こりゃあかんわ」と思いながらも、やはり空腹には勝てなかったのだ。しばらくして、高三の花衣先輩が「先生、ラスク食べていいですか」と聞いてきた。すると先生は「いいですよ。何なら二枚でも。愛は何枚食べたやら」と言った。私はすかさず「一枚しか食べてませんよ」と言い返した。先生はあまりに私のがすばやく答えたからか、すごく驚いた様子で「怒らんでも・・・」と言った。普通なら笑って流すところをまともに受けてしまった。先生も冗談を言うタイミングが悪い。そう思いながらも密かにダイエットを誓う私だった。                 

10月4日(公立入試まであと160日)

今日、私が先生の横を通ると、先生が「愛!」と私を呼びとめた。そして「タカシが離脱したぞ!」とすごく笑いながら言った。「ええ!!」 私は驚いた。しかし先生はかまわず続ける。「あいつは保育士になりたいんやけどな、『保育士やったら短大でもなれる』って学校の先輩に言われたらしいんや」 「へええ」 私はただ、うなずくだけだった。それにしても、どうして先生はこんなに笑っているんだろうか? 決して嬉しい話じゃないはずだが・・・。「やっぱり分からん人やわ」 とにかく私は、先生や塾の先輩にいじめられるタカシ先輩をもう見れないと思うと、少し寂しくなったのだった。

10月5日(公立入試まであと159日)

「熱は測らん。風邪は自覚したらあかん」 鼻声でこう言ったのは、先生ではなく森下先輩だった。私は驚いた。なぜなら、こんなことを言うのは先生しかいないと思っていたからである。さらに先輩は風邪薬を飲まず酒を飲み出す始末だ。はっきり言って先生そのものである。もしかして「先生と一緒にいる時間が長くなればなるほど、先生に似る」のだろうか? そうだとすれば私ももうすぐ・・・? 考えだしたら恐ろしくてたまらないので、そろそろ止めることにする。

10月6日(公立入試まであと158日)

昨日から塾でたくさんの蚊を見る。奴らはもう夏も終わったというのに、私の血を狙いにやって来るのだ。私はすでに六匹もの蚊をしとめているのだが、まだ蚊の気配がある。というのも、殺したはずなのに足を刺され続けるからだ。刺された数は4ケ所にものぼる。だんだん苛立ちも増してくる。と、そのとき私の目の前を一匹の蚊が通りすぎた。「ブチッ」 私の中で何かが切れた。「殺す!」 私が蚊に飛びかかる。しかし人間が虫に追いつけるはずもなく、蚊は向こうに飛んでいってしまった。「・・・ん?」 そのとき私は我に返った。「なんで蚊ごときに、こんなに熱くなっとんのやろ?」 私は急に恥ずかしくなり、蚊を殺そうと構えた両手を急いで引っ込めたのだった。

10月7日(公立入試まであと157日)

深夜25時。私の後ろには酒に酔ったオッサンが二人。一人はもちろん先生で、もう一人は征希先輩だ。この状況で家に送ってもらうのは、まず無理であろうと考えた私は家に電話しようと、電話の前に立った。と、その時だった。「送ってきましょうか?」 後ろから先生の声がした。「あ、お願いします」 私は条件反射的に答えてしまったのだが、よく考えてみてほしい。いつもなら少し飲んだだけでも送ってくれないのに、今日は先生から送っていこうかと言っている。「おかしい。まさか飲みすぎて頭が・・・?」 そんなことを考えているうちに送ってもらう時間になってしまった。はっきり言って不安である。しかも後ろの座席には征希先輩が酒の一升瓶を持ったまま乗り込んだのだ。「捕まったら言い訳できやんね」 征希先輩が普段を上まわるテンションで言った。「笑いごとじゃねえだろ」 とりあえず心の中でつっこむ私。「先輩と二人で漫才なんかしたらおもろいかもな」 今から事故るかもしれないというのに結構本気で考えてしまった。

10月8日(公立入試まであと156日)

昨日は無事に帰ることができた。先生は多少スピードを出していたものの、それ以外は別にいつもと変わらなかったのだ。私が「あんまり酔ってへんだんかなぁ?」と思ったほどだった。しかし今日、それが大きすぎる間違いだったことに気づく。なんと先生は、昨日私を送ったことをほとんど覚えていないというのだ。いったいどれだけ飲んでいたことだろう。しかも先生は笑いながら「それは怖かったねえー」と言うのだ。「怖かったねー」って・・・「怖かったわ!!!」 こんなにいいかげんで、よく事故らないものである。私はまた、先生のわけのわからないすごさを変な所で感じてしまった。

10月9日(公立入試まであと155日)

それは帰りの先生の車の中。今日も車はすさまじいエンジン音である。そんな、いつもと変わらぬ帰り道で先生が「愛、俺の眼鏡知らん?」と聞いた。「眼鏡ですか?見てません」 私が答える。そのとき私はふいに先生の顔の映るバックミラーを見た。すると先生の顔には何か光る物が見える。(念のために言っておくが涙ではない) 「えっ!?」 私は目を細めてもう一度よく見た。「間違いない・・・眼鏡だ!!」 そうなのだ、先生は眼鏡をかけているのである。こんなことがあっていいのだろうか? まるで私にネタを与えるためにわざとやっているみたいだ。しかし、これは本気(マジ)である。私は今にも大声で笑い出しそうだったが、必死でこらえた。笑い涙をぬぐいながら・・・。

10月10日(公立入試まであと154日)

昨日の日記のことだが、どうやらあれは違ったらしい。なんでも、先生は眼鏡をなくしたから代わりの眼鏡をかけていたとか。「なんや」 私はがっくりと肩を落としてしまった。しかし、ここからが先生のすごい所である。なんと、先生がかけていたのは、壊れて片方のフレームがなくなった眼鏡だというのだ。「どないや・・・」 そんな貴重で笑えるシーンを見過ごしてしまったと思うと、私は悔しくてしかたがなかった。

10月11日(公立入試まであと153日)

私はバスマットに座って勉強している。つまりバスマットに長時間圧力をかけているということになる。よってバスマットはお尻の所だけ弾力性を失いへこむ。最近そのへこみがかなり深刻になってきた。最初の頃は、狭い範囲にとどまっていたへこみが、徐々に広がっていっているのだ。いったいどういうことであろうか。私は考えた。「まさか、また太った?」 そうなのだ、もうそれしか考えられないのだ。前までは、やばいと言いながらも、まだ心のどこかに余裕があったが、自分の目ではっきりと確認してしまうと、もう余裕もくそもあったもんじゃない。本気で今日からダアイエットに入る。そう決めた私は、泣く思いでお菓子袋のひもを堅く結んだのだ。

10月12日(公立入試まであと152日)

私は今日、朝の8時頃に来た。そのかいあって先生が私に、お昼ごはんをゴチッてくれた。ミニストップのカリカリマンとパニーニである。二人で一階の教室で食べていた。すると、そこへ大輔先輩が入ってきた。「授業か?」 先生が聞く。「いやあ、森下先輩の授業が3時からだって聞いたんですけど」 私はすかさず時計を見た。ただ今の時刻は3時20分である。「遅刻やん・・・」 先生も同じことを考えたらしく、「お前、遅刻してくんなよ」と笑いながら言った。しかし、私がもっと驚いたのは森下先輩がいないということだ。さらに、他の高3の先輩方も見当たらない。なんていいかげんな・・・。「いっつもこんなんやねん」 あっけに取られている私に、先生はそう解説を入れてくれたが、「そんなんでええんか!?」 私の疑問は深まるばかりだ。

いつもならこれで終わる私の日記だが、今日は少し余談を入れたいと思う。

食事を終え、三階に戻った。するといきなり中3の女の子達に囲まれた。「リンチ!?」 私がびくびくしていると、女の子達はキャーキャー言いながら聞いたのだった。「先生とデート?」 「・・・そやに。デートやに。いいやろ」 彼氏がいない私としては、もはや開き直るしかなかった。

10月13日(公立入試まであと151日)

「勉強は楽しいのか」 今日はこれについて書こうと思う。というのも今日、森下先輩に「勉強楽しい?」と聞かれたからである。そのとき私は「楽しくは・・・ない。けど、つまらんくもない」とあいまいな返事をした。そんなこと今まで考えたこともなかったから、よく分からなかったのである。

中3になりたての頃、私は初めて「高校数学」を先生から学んだ。そのとき私は、冗談抜きで鳥肌が立った。心の底からわくわくした。勉強の楽しさを、確かに感じていた瞬間だったと思う。

しかし、学校のテスト勉強をしているときも同じであるかというと、それは違う。「無心」・・・これがテスト勉強をしているときの私だ。テストのための勉強を楽しいとは思わない。しかし逆につまらないとも思わない。

「勉強して楽しいのか」 数々の記憶をめぐらして考えてみたが、やはりこれは分からなかった。

私は今、受験生という立場にいるため、「無心」つまり受験のために勉強するしかない。しかし、いつかきっとあのとき味わったような「勉強の楽しさ」を感じたいと思う。もちろん、あのわけのわからない先生(今日も飲んでマージャンしてる )の下で。

10月14日(公立入試まであと150日)

中間テストの三日前。それにもかかわらず、先生はプロレスに行ってしまった。今日は送ってくれそうにもない。私はそうあきらめていた。しかし、午後7時をまわった頃、あすか先輩が「愛ちゃん。なんか先生送ってくれるらしいよ」と言いにきてくれた。「本当ですか!ありがとうございます」 私はそう言いながらも、わきあがる不安をおさえることができなかった。「絶対、飲んどるな・・・」

それからしばらくして案の定、ほどよく酔った先生が帰ってきた。しかし先生は廊下で勉強していた私に「アイ・ラブ・プロレス」という、どこからどう見ても、むさ苦しい本(注*全日本プロレスのパンフレット)を渡して、またどこかへ消えてしまった。「その本、誰かほしい奴にあげて」 その言葉を残して・・・。結局、その本を手にしたのは、中2の真見くんだった。私はその本をほしがる人がいるということが、とにかく信じられなかった。

午前1時。私は先生が送ってくれることを信じ、まだ塾にいた。しかし先生の帰ってくる様子はこれっぽっちもない。でも待った。ひたすら先生の帰りを待った。それから四十分が過ぎた。まだ帰ってこない。そろそろ私があきらめて、家に電話しようとしたその時だった。「プルルルル・・・」 塾の電話が鳴った。「はい、れいめい塾です」「あっ、オレオレ、あと1分で帰るから」 先生だ。やっと先生が帰ってくる。私は思わずガッツポーズをとった。(一人で) そして、これから始まるのだ。先生と二人きりの、いつ事故るかわからないスリリングな旅が・・・。

10月15日(公立入試まであと149日)

「ありがとう」が言えない子供たち

「ありがとう」 これは日本人が最もよく使う言葉である。相手が何か自分にとって良いことをしてくれたら、私達は反射的に「ありがとう」と言うことができるのではないだろうか。しかし、それは近年になって変わりつつある。「ありがとう」と言うことができない子どもたちが増えてきているのだ。

今日、私は小学生にコピーの順番を代わってあげた。しかし、「ありがとう」の言葉を聞くことができなかった。別に私は「ありがとう」と言われたくて、やったわけではないのだが、やはりあまり良い気分ではなかった。

これは親の教育が問われる重大な問題である、と私は思う。「ありがとう」が言えないということは、やってもらうのが当然だという意識の現れであるからだ。この意識を持ったまま大人になる。自分では何もできないくせに、人を当然のように使いっぱしりにする、いわゆる「だめな大人」の完成である。このような「だめな大人」は、すでに日本中に増え始めている。その「ありがとう」が言えない大人を見て、子どもは「ありがとう」を言わなくなる。「ありがとう」を言わないのが当たり前の社会ができあがってしまう。

私たちはこの異常な事態にどう対処することができるだろうか。このままでは、日本はダメになってしまう。これは明かなことである。それをくい止めるのは、私たち常識ある者たちの義務であろう。だから、私は日本の未来を守るため「ありがとう」の気持ちを忘れず、人々に伝えていきたい。

10月16日(公立入試まであと148日)

田中先輩が合格した。「合格」 その裏に潜むのは「不合格」 今、田中先輩が笑っている中で、泣いている人がいる。そのことを決して忘れてはいけない。

いよいよ受験が始まった・・・。

10月17日(公立入試まであと147日)

今日から中間テストが始まった。学校の先生達は「二学期が入試に一番大切だ」と、とても張りきっている。今日もテストをニ限目からにして、一限目に学習時間を設けるなど、その張り切り様は明らかである。いったいどうしてこんなに張り切っているのだろうか?

「絶対評価」 やはり考えられることはこれしかない。思い出してみれば「がんばったらがんばっただけ成績が上がる」 今年に入ってから、このセリフをもう何十回も聞いたように思う。そうなのだ、先生達はみんなの成績を少しでも上げてやろうと必死なのだ。しかし、この「絶対評価」には大きな問題がある。それは、個人の成績と実力にずれができてしまうということだ。「がんばったらがんばっただけ」 この場合の「がんばる」はテストだけではなく、授業中の発言数、態度なども含まれる。もちろん、「絶対評価」になる前でも、授業中の行いは成績の一部として取り入れられてきたが、今回「絶対評価」になったことで、その取り入れられる割合が増えた学校が多いのではないだろうか。

「絶対評価」になったことで成績が上がり、高校に合格する人が出ると予想されるだろう。しかし、それと同時に成績は上がったのに落ちるという異常なことが起こりうる危険性もあるのではないだろうか。私はこれを防ぐことができるのは、結局自分自身しかいないと思う。だから私は「大切なのは実力だ!!」をモットーに今日も勉強する。

10月18日(公立入試まであと146日)

私は写真写りが悪い。だから普段は絶対に写真をとらないと決めている。しかし、今日は学校で卒業アルバムの個人写真をとる日だ。こればかりはどうしようもない。私はドキドキしながら自分の番がまわってくるのを待った。そして、いよいよ私の番。「ハーイ、笑って〜」 写真屋さんが笑顔で言いながらカメラをかまえた。と、その時だった。その写真屋さんの中腰な姿勢とわけのわからない笑顔が、私の笑いのツボを押してしまった。「あははははは」 私は大声で笑った。目に涙まで浮かんできた。しかもこれがなかなか止まらない。私は笑い続けた。「あはははははは」「カシャ」「えっ!?」「ハーイ、OKです」 どうやら私はかなり苦い思い出を作ってしまったらしい。(涙)

10月19日(公立入試まであと145日)

私は、さすがに1週間の賞味期限切れはやばいと思う。しかし、先生はそんなことはおかまいなしに賞味期限切れのピザを食べ出した。しかも「食べる?」って、「食べやんわ!!」 そう思いながらも、さすがに口に出して言うわけにはいかないので、とりあえず笑ってごまかした。すると先生は「でもな、誰かこのピザ食べたで?」と言った。「え?」「だって4個あって、オレ3個しか食べてへんのにもう1個もあまってないもん」「・・・誰なんですか?」 この時すでに私の顔は笑っていた。「多分、卓」「あはははは」 具体的な名前を聞くと、笑いが止まらなくなってしまった。しかも、その後先生は犯人と思われる卓先輩に真相を告げていた。顔を青くする先輩が浮かんでくるようだった。それにしても先生。お願いですから賞味期限は守ってください。(生徒のためにも)

10月22日(公立入試まであと142日)

中間テストが終わって4日目の今日、社会のテストが返ってきた。結果は93点。授業中、私はテストを見直した。すると、「秘密投票」と書く所を「秘密選挙」と書いてバツされているのを発見した。私はニヤッとした。なぜなら、私のノートには「秘密選挙」と勝てあったからだ。私は勝ち誇ったように先生に言いにいった。「先生、私のノートには『秘密選挙』って書いてあるんですけど?」「ええ!!」 先生の顔色が変わった。「ホントや・・・」 私のノートを見て、死にそうな声になっていた。先生は、私のノートにちゃんと書いてあるのにもかかわらず、隣の人のノートを確認しだした。「無理無理、どうせ私が正しいんだから」 私はそう思いながら、その慌てる先生を見ていた。しかし、事態は一転した。「おい、愛。周りの人はみんな『秘密投票』って書いてあるぞ!!」 そのセリフを言ったときの先生の顔は、むかつくぐらい笑っていた。「えっ?」 そうなのだ。私だけノートの写し間違えをしていたのだ。「ギャー!」 授業中にもかかわらず、私は叫んだ。気がすむまで叫び続けた。こんなバカなことをするのは私しかいないだろう。「結構すごいんちゃう?」 そう思いながらも目には涙が浮かんでいた。

10月23日(公立入試まであと141日)

私は以前、日記に写真写りが悪いと書いた。それを見た先生、「そんなに悪いの?」とうれしそうに聞いてきやがった。「はい、かなり」 得意の作り笑顔で答える私。「ふ〜ん。じゃあ俺と一緒にプリクラとろうかぁ」「・・・」「それでさ、50枚くらいとったら一つはいいのあるんちゃう?」「はぁ」「もしそれでなかったら、素材に問題がある」「ほっといてくれ!!」(心の中の叫び) 私は顔は笑っていながらも心の中に怒りを秘めていた。それを察したか先生。慌てて「すいません。失礼なこと言って」と謝った。(笑ってたけど) とりあえず先生は、女の怒りは恐ろしいということを学んだほうがよいだろう。

10月24日(公立入試まであと140日)

今日の朝、学校へ行く準備をしようとして、予定を書き忘れていたことに気付いた。これでは今日の時間割が分からない・・・。しかし私は学校に教科書を置きっぱなしにしている(いわゆる置き勉)ので、教科書の忘れ物をすることはまずない。それは安心である。問題は体育があるかということだ。なぜなら、もし体育があればジャージを持って行かなくてはならないからだ。私は考えた。「多分ないはずなんやけど。もしかしたらあるかもしれんし・・・」 結局、臆病な私は体操服を持っていくことに決定。しかし、心の奥に「今日は体育はない」という意識があるからか、長袖のジャージを持っていくのを忘れてしまった。

学校に着き、ドキドキしながら予定黒板を見た。よし!体育はない。しかし、「ん!?」 5・6限に「クリーン大作戦・持ち物ジャージ」と書いてあるのを発見してしまった。「クリーン大作戦」とは、学校周辺のゴミを拾って回る行事であるのだが、外を歩くのに長袖ジャージがなければ寒すぎる。「どうしよう・・・」

あっという間に5限目。みんなが服をジャージに着替える。もちろん私もだ。ただ一つみんなと違うことは、みんな青いジャージを着るのに、私だけ白いTシャツ(通称白ティー)ということだ。

学校を出発する前に全員が集合し、クラス順に並んだ。青一色のみんなの調和を乱すかのように、ポツンと一人白色の私。男子からは「アホっちゃうん」とバカにされる始末。予定を書かなかった私が悪いのか、それともただ運がないだけなのか・・・。「両方っちゃう?」と言う先生の顔が浮かんでくるようだった。

10月25日(公立入試まであと139日)

先生が消えた。最後に見たのは10時くらいであるが、今は深夜2時である。今日こそ帰って来る気配がない。なにせ前は送っていってもらうという約束をしていたから、ちゃんと帰ってきてくれたのだが、今日はそんな約束をしていない。これはもう絶望的でろう。私はしかたなく家の人を呼ぶことにした。時刻は2時半をまわっていた。「プルルルルプルルルル・・・」 電話には誰もでない。みんな寝ているからだ。「ただいま電話にでることができません」 電話のアナウンスが入る。私は受話器を置こうとした。すると「もしもし」 父の声が聞こえた。それもかなり威勢が良かった。「あの・・・迎えに来てください」 いきなり大きい声で話されてビクビクする私。「ハイハイ行くわー」 そんな私の声をかき消すように,さらに威勢良く返事が返ってきた。

それから30分後。そろそろ迎えが来る頃だ。私が帰る準備をし始めた、その時だった。なんと先生が・・・ではなくて、大西さんが来て、「愛、家来とるぞ。なんやったら俺送ってったのに」と言った。「ドドーン」 大西さんが塾にいたのは知っていた。しかし家まで30分もかかる私が「送っていってください」と言えるはずもなくあきらめていたのに、まさか送ってくれるだなんて・・・。「あと30分電話するのをおくらせていればよかった」 何度も心でつぶやいた。それと同時に、自分の運のなさをふつふつと感じていた。

きっと車で父が聞くだろう。「今日先生は?」 私はどんな気持ちで「消えた」と言えばいいのだろうか。

10月26日(公立入試まであと138日)

困った。本当に困った。日記の内容が思いつかない・・・。どうしよう・・・。とりあえず目の前の有加里に相談する。「なあなあ日記の内容どうしよう」 しばらく考える有加里。そして「あっそーやん。『今日も有加里はかわいかった』って書けばいいやん!」「・・・」「ウソやって!!」 あわてて有加里が言った。「そのこと日記にするわ」「えっ! あかんて、やめて!!」 反対されながらも書く私。本当に友達がいるのか心配である。でも書くことがないのでお許し下さい。

「今日も有加里はかわいかった」 これでいいですか?

10月27日(公立入試まであと137日)

私の兄、直矢が言った。「忘れそうになったら、3の3乗って考えるんや」 3の3乗、つまり今日27日、先生の誕生日である。先生の誕生日といえば毎年恒例の「水かけ大会」があるのだが、今年は都合により中止。夏のカラオケ大会がなかったこともあり、中3はとてもがっかりしていた。

午後8時。高1の先輩が先生を呼びに来た。そろそろ誕生パーティーが始まるのである。(水かけはなくてもパーティーはある) すると先生は「念のために大事な物はしまっとけよ」「え?」「いやあ、もしかしたら・・・なっ」 そしてパーティーが始まった。私は水かけがあるのかないのかで落ち着きがなかった。「どうしてもやりたい・・・」 しかし、そんな私の思いもむなしく、パーティーはおひらきムードに。

「このままではいけない!!」 頭の中で誰かの声がした。「水かけをするのが『れいめい塾』じゃないか」 私は先生の所へ急いだ。先生は先輩達と飲んでいて、もうかなり酔っていた。「先生、やりましょうよ」 私が言った。「やりたいの?アホっちゃうか」 横に座っていた上野征希先輩が言う。「やりましょうよ〜」 もう一度言った。「う〜ん」 考え込む先生。(本当に考えているのか分からんけど) その時だった。「パシャッ」 何か冷たいものが私にかかった。服が一瞬にして赤く染まる。ワイン・・・ワインだ!! 目の前で「爆弾」斉藤太郎先輩が笑っている。「キャー!」 周りにいた生徒が叫びながら逃げる。「試合開始」だ。

私や他の中3は急いで隣りの部屋へ行き、クリアケースを手にした。これがなくては始まらない。水道で水をくむ私・・・。と、そこへ上野先輩、タバスコを手にし、ニコッと笑う。まさか・・・。「キャー!」 もはや逃げ様もなく、私はタバスコを腕に食らってしまった。くさい・・。しかし、やられっぱなしの私ではない。さっき汲んでいた水を先輩めがけてぶちまける。が、さすがに先輩。ひらりとよけられてしまった。「くそっ」 その行き場のない私の怒りの水は、なんとコピー機へ。なんともなければいいが・・・。

次に、私は水でいっぱいのクリアケースを持って先生の所へ。先生は外に出ていた。じりじりと先生に近づく私。じりじりと後ずさりする先生。右手にはビールを持っている。「ここだ!!」 私は勢いよく水をかけた。しかし、あのお腹の出た先生にさえひらりとかわされてしまった。これで私の武器はなくなった。ビールを持った先生が嬉しそうに近づいてくる。「あかんって先生!」 そんな言葉はむなしくも風にかき消され、私は先生に捕まってしまった。首に腕を回され動けない状態に。そして「プシュー」 音とともに私にビールが降りかかった。冷たい・・・。しかもビールの缶を背中に入れられる始末。血も涙もないといったら、まさにこのことだろう。これが『れいめい塾』だ。

入試まで泣いても笑ってもあと138日。私はタバスコでヒリヒリする左手をさすりながら、確実に迫ってくる受験を確かに感じていた。

10月28日(公立入試まであと136日)

明日は学校の遠足だ。そのため明日の朝はいつもより10分早く家を出なければならない。たかが10分などと思われては困る。いつもギリギリで学校に間に合う私にとって、10分というのはかなり重大なのだ。だったら今日は早く家に帰ればいいと思うかもしれない。そうだ、早く帰ればいいのだ。しかし、私は帰らなかった。いかに「人間離れ」できるか、それが受験生であるからだ。

そんなわけで、今日も深夜2時に先生に「送ってください」と言いに行く。今日は先生は高校生の部屋にいた。私がドアを開けようとしとき、「ガハハハハ」と大きな声が聞こえてきた。いやな予感。そういえば斉藤先輩はまだ北海道に帰っていないはず。「キィー」 私はおそるおそるドアを開けた。「やっぱり」 思わず私は頭を押さえた。そうなのだ。また飲んでいるのだ。「無理やで」 私の顔を見た瞬間に斉藤先輩が言った。「・・・」 思わず黙り込む私。そこへ先生。「まあ座ったら? ウーロン茶あるよ」「えっ・・・」 どうしようもなく私は座った。

ただ今の時刻は2時10分。明日は遠足なんておかまいなしに、先生の話は続く。いつまでも、何時までも・・・。

10月29日(公立入試まであと135日)

近頃平均睡眠時間が3時間半とかなり短くなってきている。そのため、学校で授業中に眠たくなることが多くなった。

それは、今日の数学の授業中のこと。私は異常なほど眠かった。しかし、数学はクラスを2つに分けて行われ、そのため生徒数が15人くらいになるので、眠っていたらすぐバレてしまう。ここで寝ては危険だ。私は必死で眠気と戦った。しかし、頭の中ではすでに夢が始まっていた。きれいなお花畑の夢だった。チョウチョも飛んでいる。「・・・さん」「山本さん」「はっ!!」「ハイ、これはどうなるの?」「えーと(汗)」 先生はニヤニヤしている。完璧に寝てたのを知ってて当てやがった。「プッ。くすくす」 周りからは笑い声が聞こえる。まるでへたなマンガみたいなシチュエーションだ。こんなことが本当に起こるなんて・・・。「まさか、まだ夢!?」 思わずほっぺたをつねった私だった。

10月30日(公立入試まであと134日)

「冷戦の終結が宣言された、両国首脳会談を何といいいますか?」 わからない。こんな問題は分からない。とりあえず冷戦はアメリカとソ連だから「米ソ首脳会談」とでも書いておこうか。

これは今日行われた実力テストの問題である。しかも一番最後の問題だ。それまでに問題を解いてきた私にとって、これは痛い一問だった。それでもうやけくそになって「米ソ首脳会談」と書いてしまった。書かないよりはマシだろう。

テストが終わったとき、やはりみんな最後の問題について話していた。周りから「えっ!?あれってヤルタ会談っちゃうの?」という声まで聞こえてくる。「それは違うやろ・・・」と私は思った。「米ソ首脳会談」もどうかと思うが・・・。しかし、その考えは友達のひと言で変わった。「私もそう書いたよ。あっとんちゃうの?」 願ってもいない幸運だった。私はそのひと言だけで、すでにあの問題に正解したつもりになってしまった。

帰りの会が終わり、例の友達の所へ行った。さっきのテストがもう返ってきたというからだ。「どうやった?」 私はドキドキしながら聞いた。「それがさぁ・・・」 友達は浮かない顔である。最後の問題「マルタ会談」やって」「は?まる子?」「違うって、マルタ会談やって」「えっ」「 私達は、それ以上何も言えなかった。「バイバイ」 小声でそう言って学校をあとにしたのだった。

10月31日(公立入試まであと133日)

先生は帰り道によく、先輩の話をする。それも、もう大学生か社会人の先輩の話がほとんどだ。そうしているうちに先輩についてくわしくなるもんだから、昔の塾の広告を見ると結構おもしろいものがある。

今日、その昔の広告をちらっと見たのだが、すごいのを発見してしまった。なんと、

「思っていたよりいいじゅくでした」

と、書かれているのだ。しかも・・・「紀平香介」 紀平先輩やん!! 私は大爆笑しながらも「あの人なら書くな」と妙に納得してしまった。多分、今までの塾の広告の作文の中で一番おもしろいんとちゃうかな?

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