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Gazing At " Promised Land "

2004年度1月第三週


1月11日

午前中に香里(日本福祉大学2年)が晴れ着姿で挨拶に来る。やっぱ晴れ着のせいか、ちょっと着膨れしてる? 

中井(アジア太平洋立命館2年)が羽織袴で登場、風体からしてアンコ型。見事に似合とっるわい! 

大西君(立命館大学研究員)のセンター対策最後の授業が始まる。注目は理系の面々の仕上がりだったはずが、文転した直嗣が大コケ。「キクと綾奈はいいですね。直嗣がちょっとね」 菊山は京都大学志望、ここのセンター配点は英語50点・地理100点・国語200点。菊山は理系なのだ、しかしセンターはこんな配点。つまり京都大学には理系馬鹿はいらないと・・・。たとえ菊山が二次の記述試験の判定がAであろうとセンターでこければ話にならない。その菊山の国語、徐々に仕上がりつつある。後のネックは地理・・・。

夜にご父兄と酒を少々飲んだのが効いたのか、俺はいつのまにかスラム街のベッドで沈没。大西君は奈良へ新居へと帰っていき、残されたのは森下(立命館大学国際関係4年)と甚ちゃんの二人。久しぶりに静かな夜を買い置きしておいた鍋を囲みながら過ごす。

1月12日

仁志(立命館大学経済学部2年)が夕刻現れる。森下と誘い合わせで京都に戻るとのこと。森下の京都の衣笠キャンパスと違い、仁志は立命館琵琶湖キャンパス。連絡の悪いJRで津から紀勢本線で亀山まで、そこから関西本線に乗り換え、さらに柘植で草津線に乗り換えるという難解な手順を踏む。「成人式どやった?」「もう完璧に決まりましたよ」「ホンマかいな。当世流行の荒れる成人式は?」「いえいえ、うちの成人式は微塵もなかったですよ」「正樹には会えたか」「いえ、来てなかったようで・・・」「そうか・・・、じゃあ翔ちゃんは?」「来てました、天パがストレートパーマになってました」「村瀬(横浜市立大学2年)は?」「村瀬は試験直前とかで来れなかったようです。だから知っている奴が少なくて写真、5枚くらいしか撮れなかったんですけどね」 仁志は嬉野町の成人式の司会を仰せつかっていた。女の子の司会はこれまたウチの生徒の悠(一宮女子短大)。直嗣の姉ちゃんで、空手をさせりゃ全国大会優勝の経験を持つ。こんだけ迫力ありゃ成人式もピシッと締まるやろ。果たして仁志が決めたのか、ただ存在しているだけの悠が決めたのか・・・。

その仁志と森下を車に乗せて出発したのが午後8時35分。「先生、津駅8時43分」と後部座席から森下。「そりゃ無理やで!」と叫ぶものの走るしかない。おんぼろエスティマに鞭を入れる。しかし津新町で断念、ならばと関駅を目指し23号バイパスを目指す。「関やったら何時発になる?」 最近は便利だ。携帯電話を駆使して時刻を検索する。「9時23分!」 それならなんとか間に合うとバイパスを疾走、しかし道に迷うことになる。河芸周辺から亀山へ抜ける田舎道をフッ飛ばし、亀山から関を目指す。初めての道、新鮮な気持ち、ずっと塾に居続けたストレスを発散するがごとく走り続ける。ゴールドが何枚あっても足りないような運転で関駅に転がり込む。ジャスト・イン・タイム!

久居や嬉野は昨日だったが、津市の成人式は今日。本来ならば祐臣(13期生)、今日が成人式となる。しかし桐生競艇場でシリーズが始まっている。今日は三日目、ネットで検索すると5着。携帯を鳴らしてみるが案の定、音沙汰なし。競艇選手はシリーズが始まると専用宿舎に入り外部との接触を一切絶たれる。今ごろ祐臣、みんなに祝ってもらっているかな・・・。

そして祐臣以外にも・・・乗竹や小林や東本の顔が浮かぶ。月並みだが、成人おめでとう。

1月13日

直嗣(津西3年)が珍しく新しい塾でセンター試験の過去問を解いている。数学が1A・2Bともに90点以上を叩いている。「調子ええやん。祐輔が『直嗣の答案を見たら、まるで数学が良くできる子のような答案を書いていた』って褒めとったで」「ハハハ、まるで・・・ですか」

直嗣は名古屋市立大学本命で私立大学は南山大学だけ、これもまた「まるで」成績の良い子のような受け方だ。しかしセンター利用で6大学を受けると聞いてホッとする。理系から土壇場での文転、しかし国語が大の苦手ときては収拾がつかない状態でラストひと月を迎えていた。ところが現役の奇妙さで、ここに来て数学が仕上がりつつあり、征希の漢文でも7割叩くほどになった。英語はマークシートでなら本領発揮? 不安ではあるが発揮しないよりはマシだ。つまりは直嗣、そこそこに駒が出揃い始め、なんとか勝負できる状態になってきたってわけだ。

征希の最後の漢文の授業、生徒は綾奈(高田6年制6年)と菊山とブ〜ちゃん。「キクと綾奈は土壇場でやっと仕上がったかな」と俺に紙切れを渡す。菊山と綾奈はミス1で40点、ブ〜ちゃんはミス2で32点。「まあ来年はもう少し早めに入ればなんとかなるやろ」「高2に漢文をするんなら愛も入れてやってくれ。なにしろ東大は二次試験で漢文がある」「どんなレベル?」「今日河合の東大オープン勝っておいたからちょっと見てみ」 しばらくして征希、「こりゃ大変やな、小手先の知識じゃアカンわ。背景を聞いてきよる、一筋縄じゃいかんぞ」「だから準備は早めにってね」「なるほど、じゃあ高2に入れとくわ」

かすみが突如姿を見せ、いつものように暗い雰囲気・・・、あわてて廊下に出るとお母さんがいらっしゃる。高2の教室に二人を招き入れると、かすみが封筒を俺に手渡す。当然・・・合格か不合格か・・・。震える手で封を開けて書類を取り出す・・・合格! 「やったあ! かすみ! 受かったやん!」 かすみの頭を乱暴にこづくとかすみ、みるみる頬を涙が伝う。

古市(三重大学教育学部2年)の生物、卓也にとっては今夜が最後の授業となる。いっぽう知早にとってはセンター試験クリアで三重大学の二次試験の教科となる。来週から古市の授業をどうするか。知早が万が一センターでこけた場合、古市を高2の生物にぶつけてみるか。高2で生物を取るのは香里(三重高)と愛矢歌(松阪高)、しかし入塾希望者の中にも生物を希望している生徒がいる。

怜美(伊勢女子3年)が久しぶりに姿を見せる。「先生、お久しぶりです」と来たもんだ。怜美に関してはコメントなし、一生会う気もなかったし、ここであえて書くのも馬鹿馬鹿しかった。しかし怜美はやって来た。これで少々状況が変わる。

怜美はとりあえず合格した。しかし彼女がウチの塾で過ごした約9ケ月は彼女にとっても俺にとっても、決して安閑としていられる一瞬はなかった。まず、彼女の高校は進学校ではないことがあり、どうしても高校のカリキュラムとは別にウチの塾の課題をこなす必要があった。次に、やはり彼女が推薦で高校に合格している経緯もあり、今イチ「努力する」という行為が彼女の行動とは遊離していた。分かりやすく言えば、彼女の努力とは所詮ウチの中3の努力と同等かそれ以下のものであり、こんな彼女に「努力する」というお題目を垂れるのは甚だ説得力に欠けていた。「あの時のようにやればいい」には過去の体験に基づく具体性があるが、「こんなふうにやるんや」では心意気は伝わるものの具体性に欠けていた。説教されればしおらしく頭を垂れるが、その賞味期限もたかがしれていた。

そんな怜美が当初の本命・名古屋市立大学ではなかったにせよ、愛知医科大学に合格したのは単なる僥倖ではなかった。確かに彼女は努力した。今までの人生では想像だにできなかった世界に足を踏み込んだと思う。しかし、その過程において彼女の本質を垣間見てしまうのだ。講師の授業をよく休む。そして、そのことに対して悪気が感じられない。無垢の馬鹿・・・あすかや佳子が怒っていた光景が俺の脳裏に幾度となく焼きついている。ゆえに言った、「オマエはさ、講師の先輩連中をすっぽかして平気なんや。そんなオマエが看護なんて職業を選ぶってのが俺、許せへんねん。患者さんを、人間を看取るだけの器量が今のオマエにはないんや」 そんな時の彼女は泣くだけだった。なぜ泣く? 心底相手に申し訳ないと思っているんだろうか。俺には、自分が怒られているから泣いているとしか思えなかった。それからも講師たちは待ちぼうけを食らうことになった。しかしそれ以上怜美の人間性に言及する暇はなかった。なにしろ受験が迫っていたのだ。

怜美が合格を母親と報告しに来た時に素直に喜べなかったことを覚えている。俺としてはまだ旅の続きだった。ひと段落がつき俺は提案した。どうしてのこだわっちまう旅の続きだった。「とりあえず良かったら明日からウチでバイトしてくれ」「えっ! ・・・何を教えれるかな、数Tか数Aなら・・・」「アホ、俺はそんなに自暴自棄じゃねえよ。実はさ、ウチの小6でセントを受ける生徒がおるんや。こいつがおとなしくて中3と話もしないし質問もしない。先輩として『何か分からん問題ないの』なんて感じで中3からアプローチしてほしいけど、中3もそこまで頼りがいがあるわけじゃない。そこでな、オマエが小6の担当をする。どうや、少なくとも高校数学よりは簡単や。だけどな、高校数学より遥かに難しい。それはな、生徒に対する愛が要求されるからや」

怜美はその小6が何曜日に来るのか尋ねた。その頃は毎日のように来ていたが、とりあえず火曜・木曜・土曜で怜美に振ってみた。「分かりました、じゃあ木曜日に来ます」 俺は旅の続きをやらかすことになった。怜美は合格したが、人格的に俺の基準を到底満たしていなかった。勝負はこれからだった。さすがにこの時期になると、俺もかすみにベッタリというわけにはいかなかった。怜美が断ったときは高1の沙耶加をワンポイントでぶつけるつもりだった。しかし思惑通り怜美で決まった。怜美は高3からウチの塾に入ったこともあって、人格形勢よりも実力形勢の方が優先された。しかし大学に合格したことで残るは人格、先輩を先輩とも思わない、自分だけの気分で自分の都合のいいように解釈していく性格を叩き潰さなければならなかった。

俺はかすみに嬉々として喧伝した。「明日から大学に合格した姉ちゃんがオマエの面倒を見てくれるからな。分からないことは何でも聞け」 かすみはいつものように静かに頷いた。そして12月18日、かすみは珍しく午後11時まで塾に残っていた。たまに視線が教室内を彷徨っていた。それを見るにつけ、俺はかすみに申し訳なくて唇をかみ締めていた。怜美は来なかった。あすかや佳子の授業を欠席した時と同じように一切の連絡もなかった。

「お久しぶりです」と言った怜美に俺は二の句が告げなかった。男だったらノータイムでぶん殴っていたはずだ。「ああ」と曖昧に返事をする俺に怜美はたたみかけた。「先生、年末は来れなくてすいませんでした。あの小学生の子は?」「ああ、合格したよ。今日が合格発表や」「それはおめでとうございます」 なにしろ階段での会話、俺は適当な話をでっち上げその場を離れた。

塾をやっていて一番落ち込むのがこんな時、正真正銘の馬鹿を育てた時だ。成績が悪くとも人間的に賢い奴はたくさんいる。辻本やマッツンはどっちかと言うとそのタイプかな。しかし成績はそこそこ良かっても、大学に合格しても、人間的な意味で馬鹿を育てちまうと俺は自分の商売にプライドが持てなくなる。怜美は午後11時まで自分を待っていた小6の女の子の気持ちを考えたことがあるんだろうか。人の気持ちが斟酌できなくて、看護なんて職業ができるんだろうか。

このようなことがあるからこそ、俺は高3からの入塾に消極的なのだ。しかし消極的にせよ、塾に入れたのは俺。俺が断罪されるべきなのだろう。ただ、12月18日に姿を見せなかったことに責任を感じ、ウチの塾から永遠にトンズラするのならここに書くつもりはなかった。抹殺するするつもりだった。しかし怜美は来た、そこそこ5分くらい遅刻したノリで。ここで再び俺の旅の続きが始まる。怜美がウチの塾とこれからも付き合う気があるのなら、かすみに筋を通すことから始めるべきだろう。人間をなめてはいけない。人とした約束を破ってはいけない。約束を破った自分を、納得しやすい理由を見つけることで許してはいけない。ましてや看護という職業を標榜する以上・・・。

1月14日

中3の田中が今日もしつこく俺に質問をする。このしつこさがあればウチの娘たちももっと実力がついたのだろうが。その田中の質問に今夜は公民が混ざっている。「珍しいな」という俺に田中、「ブーちゃん先輩はさ、センター試験近いんやろ。なんか悪いなと思って、だから今日は先生に・・・」 心の中で田中を見直す、そこそこ気配りできるようになったやん。

ウチの塾で暮らしていると常に受験の風にさらされることになる。中3の田中にとれば当然自分の高校入試がある。しかし塾内にはそれだけでなく、中学入試もあれば大学入試もある。また医師国家試験もあるし、就職試験だってある。自分の受験だけにしか目が行かない生徒もいる。しかし田中のように同じ受験生として、ブーちゃんの置かれた状況、センター試験3日前の先輩の緊張と焦りと不安・・・受験生のあらぶる魂を、自分の皮膚感覚でそっと労わってあげることができるようになる。田中はウチの受験生として成長している。

1月15日

塚崎(三重大学医学部5年)の高2数学の授業。「先生、金曜日の送り出しですけどボク今、松阪中央にいるんですけど夜が遅くなるかもしれないんですよ」「自分の生活優先でいこや。送り出しは来れるようなら来てくれ、無理しなくていいから」

毎年のように高3数学を担当する塚崎、「今まで塾で教えてきて、今年のメンバーはボクが初めて安心して送り出せるメンバーです」 こと、数学に関しては穴はなし・・・。塚崎がウチの塾で教え始めてから5年目にしてやっと太鼓判を押せるメンバーが揃ったわけだ。ただ、これは理系に関してのコメント、やはり古市が担当している知早は少々怖い。

深夜、中3の陵と悠志が帰る際にブーちゃんに言ったそうな。「センター試験頑張ってください」 こ奴らもまた田中同様、塾内を吹きすさぶ幾多の風の音に耳を傾けることができるようになったってわけだ。ちったあ、れいめい塾偏差値上がってきているよ。

1月16日

ブーちゃんは午後3時過ぎに塾を出ていった。3時30分の名古屋行き急行に乗り込み、センター会場の福井へと向かう。久居駅まで送ってやろうと考えてはいたが結局やめた。土壇場になって愛情を振りかざしたところで何が変わる。思えばブーちゃんがウチの塾に密航いてきた去年の3月、毎晩のように飯を食いに出た。そして飯屋で英単語の試験をやった。しかし英単語、遅々として進まなかった。ひと月やっても中3と同じようなレベルの単語で這いずりまわっていた。根気よく英文から英単語を理解させようとしても状況は変わらなかった。高校入試の問題でウチの新中3と勝負させてもドンベだった。そのうちにできない自分に胡座をかいている気配があった。その日を境に俺は友人の息子に接する態度を改めた。食事にも行かなくなったし、父親の昔のネタで盛り上がることもやめた。それ以来、実力のない生徒と無愛想な先生という関係で俺たち二人はやって来た。何を今更・・・ブーちゃんが久居駅に歩いていく姿を追いながら俺はつぶやいた。名古屋駅で近鉄からJRにスムーズに乗り換えれるならブーちゃん、福井には7時に着くはずだった。

斎藤から電話、「今日大学へ行ったらさ、閉まっててさ、センター試験の準備してるんや」「ああ、仰せの通り明日がセンターですわ」「今年はどないや」「ごたぶんに洩れず、今年も危ないわ」「まあ毎年大変みたいやけど、受験生には『まあアカンやろけど頑張ってな』と伝えてもらったら」「へえへえへえ、分かりました」

俺は禊(みそぎ)をすませ、すなわち今年3度目の風呂に入り、塾へ向かった。菊山から電話、「先生、今夜の送り出しの時間もう少し早くなりませんか」「毎年9時やで」「ですが・・・」「わかった、午後8時でどや」「それでお願いします」 9時だと思っている高1や高2に代わって俺が買出しに出向いた。思えば買出しに出るなんてここ10年以上なかった。クラッカーを50個ほどとコーラなどの飲み物、それと紙コップ。塾に戻り1階の高1の教室のホワイトボードに「センター送り出し・午後8時から」と書き、中2の授業に入った。

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