2000年25時れいめい塾

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2000年 夏期講習 総集編


 夏期講習も最終週に入った。2000年のれいめい塾・夏期講習・・・思いつくままに記憶の断片を拾ってみる。

 鼻っ柱の強いはずの古西(津高3年・慶応経済志望)が海津(早稲田大学2年)の携帯に電話。「小論文の授業をしてほしい」と頼みこんだと聞いたのが夏休みが始まってまもなくの頃だ。その当時の古西、このホームページのBBS上でファイティング志摩の胸を借りる戦い?をしていた。しかし出稿のペースにムラがあり、文章テクニックを磨く&文章を書くうえでのスピリットを育むうえでは多大なる効果があったようだが、時間制限のある入試の疑似対策としては心許ない。そこで出てきたのが海津に小論文を担当してもらうという案。通例なら順当な選択となるのだが古西は昔っから海津とは合わない。海津の雰囲気を反れいめい塾の因子として捕らえている。つまり古西にとって『れいめい塾』のイメージとは斉藤太郎(北海道大学まだ1年)や紀平香介(南山大学3年)あたりのイメージ。しかし慶応を攻略するには小論文が鍵を握る。お世辞にも上手いとは言えぬ古西にとり選択肢は海津に師事するしかない。しかし俺は強制させてまで師弟関係を築く気はなかった。古西にとってウチの塾で過ごす最後の1年、本人が望まない限りはおとなしく眺めていようと観客を決め込んだ。甚ちゃんあたりが週末には古い塾に顔を出し説得していたようだったが、甚ちゃんもまた古西の強情さを周知。「慶応に合格するのが最優先なんだから、ここは感情の矛先を抑えて堪えるのが賢明なんですけどね」とほぼ諦めの境地。こんな状況が一転! よりによって古西から海津に授業を請う展開となったわけだ。 古西の心境の変化には何があったかは知らない。ただ、よくぞ頭を下げた! 

 ちなみにアキラの親父は古西をガリ勉タイプと思っていたそうな。初対面で「イメージしてたんと全然違うわ」 古西はバリバリの茶髪でピアスもしている。高1の時に塾の周辺でタバコを吸って顰蹙を買ったこともある。自宅謹慎1回、これは高校の近所の飲み屋で修学旅行の打ち上げと称し友達と酒を飲んでたのをチクられた。担任が連絡を付けようにも自宅にはいない。「古西君は塾が好きだからね」と皮肉がこぼれる。今年の津高の合格発表会場でのコーラかけ大会、塾生以外の一般の人にもコーラをかけてしまい、津高の教頭先生から苦情の電話を俺にまで頂いた。ありがたくて涙が出る。高校生となりアクの弱い12期生のなかでいつしかお山の大将になっちまい、天の邪鬼の性格が姿を現した。そんな古西に変化が現れたのは、高3となり古い塾で生活するようになってからだ。そして極めつきがファィティング志摩から何度叱咤されようが、拙いながらも反論を試みたBBSの作品・・・。

 7月27日から小論文の授業が始まった。さっそうと登場の海津、見事なまでに変身。肉のだぶついた去年とは打って変わってスマートに。たまたま訪れていたモノリスの小島さんが海津を見て一言。「れいめい塾さんにもあんなジャニーズ系の学生さんがいるんですね」 「そりゃ言い過ぎやわ」と哄笑しつつも、確かに体型だけはジャニーズまがい。単に貧しい下宿生活のなれの果て? そんな装い一新の海津の小論文が古西・アキちゃん(久居高2年)を相手に始まる。そして夏休み後半からは早稲田政経を視野に入れた今井(鈴鹿6年制6年)も参加することになる。さらに海津本人が受験教科としてではなく、心底愛する古典の授業が毎日午後1時から始まった。これには中井(津東2年)も参加。ここで困ったのは波多野の処遇だ。波多野の志望は明治大学。海津に言わせると古典の場合、上智・慶応・早稲田は文法問題は一切なく、むしろ文法バカをあざ笑うような問題を出してくるそうな。明治を始めその他の大学は順当な文法ルールに乗っ取った問題傾向。海津のやりたい古典は文法を逸脱した内容、つまり波多野の明治大学受験には役に立たない。海津と相談した結果、波多野には大森が張り付きマンツーマンで文法を重視した授業を進めることにした。

 「最近は広末も真面目に大学に来てるみたいですよ」と海津。「そりゃ何よりだ」と俺。「それもあってか、6月になっても新入生が大学にやって来る。これにも困ったもんです。そういや早稲田も他の大学並に来年から7月末まで授業があるそうです。ここでやっかいなのが来年のこと」 「何や、やっかいなことって」 「今年ほどには僕が教えることができない・・・」 「成る程ね」 「で、大森の出番となるんですが・・・、来年は早稲田を狙うアキちゃんが3年ですからね。今の大森じゃまだまだ・・・で、今年は大森にも勉強してほしいんですよ」 久居高から早稲田・・・人が聞いたら噴飯ものの夢を海津はいともたやすく受け入れた。「アキちゃんがあのまま頑張って行けば十分に可能性はあります」 そのアキちゃんを鍛える来年の大森・・・海津の目はすでに来年を睨んでいた。

 「アキちゃん、古い塾へ行って良かった?悪かった?」 深夜3時、中3を送ってラスとなったアキちゃんを白山町の実家へと送る車のなか、助手席に向かって尋ねた。「そうですね・・・良かったですね」 「どんなとこが?」 「ええ・・・、やはり今までの自分の勉強方法を見直せたかなと・・・」 「具体的には?」 「つまり今までの勉強って、やっぱりぬるかったなと思いましたね」 「そういや、アキラも親父に言ってたらしいわ・・・古い塾で勉強してみて、偏差値70を取る奴の勉強方法が分かった・・・ってな」 

 古い塾で勉強してみろと高2の文系組、アキちゃんと中井に言ったのは夏休みの直前だった。狙いは英語をそれなりにこなしているもののアキちゃんには中だるみの気配が窺えた。風向きを変えてみたかった。それと高3もまた中だるみの時期を迎えようとしているはず。ここは高2の2人に古い塾の観客になってもらって、高3の側に「後輩から見られる」という意識を持ってほしかった。それぞれに対しての思惑から決断、さらに福井からのアキラ急遽来襲。親父との事前の話からはアキラの英語における基礎力に不安が感じられた。その不安が的中した場合に備えての布陣、アキラが「下級生なんぞに負けるか!」という状況を作っておきたかったのだ。そしてこの予想、困ったことに的中することになるのだが・・・。

 アキラの語彙力は到底立命館を攻略する程度にはほど遠かった。アキラ登場と同時に開始したターゲット1900の801〜1500の英単語試験、惨憺たる成績が毎日のように古い塾から新しい塾に届く。アキちゃんや中井に比べ遙かに多いアキラのミスの数がメモに記されている。毎日のように再試験をさせながら午前10時からは英熟語の試験をしていく。8月17日に控えた桐原2章のイディオム750の試験への布石である。

 桐原2章イディオム750。この試験はウチの塾の夏休み恒例行事。今年は8月17日実施と決まった。高校生全員参加による試験。宿題に追われていることを口実に、どうせできっこないと投げやりな態度の高1。この態度が鼻につき、高1を対象に、高2全員と高3の波多野&アキラも交え1週間前の8日にプレテストを行うことにした。

 プレテストの前日になり佐藤がヒョイと姿を見せる。佐藤は親戚に下宿して名古屋の河合塾に通っている。志望大学は大阪府立大学獣医学科。毎朝高2&3を対象に実施しているイディオムの試験を小手調べにさせてみると、これが今イチ。同席していた竹中愛(愛知大2年)も「佐藤君、英語かなり崩れてるわ」と感想を漏らす。日々のチマチマした予習復習の連続が佐藤の英語を腐らせちまった。食事をしながら佐藤と話すもののテンションが落ちている。英語については「毎日やってるんやけど・・・」と竹中や俺の危惧にやや閉口ぎみ。「だけどな、チマチマした勉強ばかりで、パアッと盛り上がるような、背中がヒリヒリするような気分ってここ最近味わっていないだろう?」 「そりゃ・・・」 「じゃあ明日は桐原の試験だ」 「え! 明日?」 「ああ、ウチの今年の高1とヒリヒリする感覚味わってくれや」 「ほ、ほんとにするの」 「当たり前だろ。ついでにオマエが高1の時にミス1で高3の大半を押しのけての塾内2位だったってことも喧伝しておくさ」 「そ、そんな・・・」 「だけどな、桐原に時間をかけるなよ。今日の午後に2時間、夜に2時間、そして明日の朝に見直し1時間の計5時間でピシッと仕上げろ! 俺もオマエのためにピシッとミス0で仕上げてやるよ」 その夜、佐藤は半年ぶりで古い塾で徹夜したという。深夜3時、1階の教室で俺は高2にハッパをかけていた。「明日は佐藤先輩に苦渋を飲ませてやれ。俺もピシッと仕上げてミス0でいくからな。勉強ってのは自分のためにやるもんだ。しかしそれが他人のためにもなれば、それはそれで素晴らしい」 一瞬、村瀬が口を開くかに見えた。俺が教室を出た後で村瀬は他の2年に言い放ったという。「俺も明日、ミス0で行くよ」

 桐原2章のプレテスト、高1の仕上がりはまだまだで、先輩たちは汗すらかかない惨状だった。そして佐藤が登場。「どやった?」と言う俺に「ミス3・・・」 「5時間でミス3か。なかなかやるじゃねえか。ちったあ、背中がヒリヒリする感覚に襲われたか?」 「うん・・・十分に」 「そりゃ良かった。でもな、佐藤、俺は多分ミス0だよ。まあ見てなって」 そして中3に2次関数を教えている俺に採点者の竹中がドアから顔を出して言った。「先生の採点終わったよ」 「ミス0だったろ?」 「残念、答えの書き忘れやらあってトータルミス4」 俺はその場にへたり込んだ。背中がヒリヒリした。結局は村瀬がミス1でトップで終わった。 

 深夜3時、佐藤を車に乗せ松阪の『吉野屋』でメシを食う。「オマエは典型的な浪人やな」 「どういう意味?」 「暗い」 「ひどいな」 「だって日々の予習復習なんて routine だろ? 覚えてる?この単語」 「日々の決まり切った仕事」 「そや。あるいは odd job か。見ててイライラすんねん。もっとパアッと行こや」 「勉強の仕方が悪いのかな?」 「やたら反省するなよ。いい意味でもっといいかげんな奴になれよ。久しぶりにウチのカラオケ大会に来てみるか?」 「危険や。ケガでもしたら・・・」 「失礼な奴だな」 佐藤は明和町に住んでいる。ウチの塾には中3の夏に入った。毎日近鉄でやって来て最終電車で帰った。季節は夏から秋へ、そして凍てつく冬へ変わった。しかし佐藤の routine に変化はなかった。受験直前ともなれば深夜2時、明和町までの往復72kmを俺は佐藤を乗せて走った。伊勢高に進学後もウチの塾を続けた。性格は朴訥として真面目だった。所謂北陸人の性格、人間の力では為す術もない雪という自然にひたすら耐える・・・佐藤の受験期はいつも何かに耐えてきたように思う。佐藤がオヤジに連れられて初めて塾にやって来た時、オヤジは言った。「勉強はコツコツやってるんですが今イチ成績が伸びなくて・・・」 そして浪人となった今も予習復習をキチンとやっても成績が伸び悩んでいる。そしてそれに耐えている。佐藤が塾にいた4年間を通し俺は常に佐藤に対して緊張を弛緩する方向で動いた。つまりはバランス、俺の繰り出すジャブで保っていたバランスが、浪人生活に入り一人だけの生活で崩れていくことが心配だった。今、佐藤はディフェンス一辺倒になっていた。こ奴の生真面目さがかえってマイナスとなっていた。「先生、明日からしばらく塾に行っていい」 「かまへん。もう誰も助けてくれへんのや。自分でしのぐしかない。ただな、古い塾の無数の落書き・・・あれでも眺めていたら、ちったあ昔の自分を取り戻すんじゃねえの」

 高1がこの時期に桐原2章のイディオム750を覚えようというのは無謀と言えば無謀。ただいつかは覚えなくちゃならない一里塚。覚えるんなら早いうちが、というのが俺のイージーな考え方。しかし覚える側にすればたまったもんじゃない。覚えても覚えても新しい朝を迎えると忘れていく。結局は適当にお茶を濁す程度で試験を受ける生徒たちが出てくる。今年の高1もまたぬるま湯モードに突入していた。この状況をどうするか? 覚えろ!と叱咤するよりも、最も英語を苦手としている生徒が桐原2章の試験で高得点を叩くほうがインパクトが強いんじゃないかと考えた。最も英語が苦手な生徒・・・それが橋本(高田U類)だった。橋本のプレテストはミス180と悲惨な成績、翌日から時間を割いて教え始めた。別段特別な指導法なんてない。8枚のプリントを1枚づつ訳していく。解説の後、10分して試験。再び解説、そして10分後に試験、さらに10分後に2枚で試験。薄目に薄めに何度も何度も試験を繰り返していく。橋本のミスは徐々に減っていく。そしてそれを眺めている同級生たち。

 プレテストの感想を甚ちゃんと話していると、けだるそうな声で中井がポツリ・・・「高1に桐原ミス1ケタなんて無理やろ」 「なんでや」 気色ばむ俺に中井、「だって高1やろ、無理無理・・・」 「分かった、中井! じゃあ俺が高1をピシッと仕上げてみせるよ」 すかさず高1の教室に行き、今の中井の発言、吐き捨てるような言いぐさをなじった。「ええか! 絶対に中井先輩が驚くような成績を取ってみろ。絶対にや!」 この中井発言で火がついたのは俺だけではなく、甚ちゃんもまた「こいつ、なめやがって」と桐原の試験に突如参加を表明する。甚ちゃん、せっかくの盆休み、ゆっくり休養していればいいものをこの日から塾に毎日姿を見せて桐原のプリント漬けの日を過ごすことになる。

 甚ちゃんは開明学院の講師、今は国語と社会を主に教えている。しかしいつの日か、高校英語の講師として教壇に立つ日が来るはず。引き出しは多いほうがいい。そのいつかのために、甚ちゃんの参加申し入れを快諾。新日本プロレス創設時におけるカール・ゴッチの役割を演じてくれることを期待した。この日から高1のテンションが上がった。甚ちゃんにすれば去年まで愛しんで育てた面々、高1のミスの数を聞くとすかさず甚ちゃんの怒号が飛んだ。「そんなミスが多いんやったら試験を受ける必要ないやろ!」 高1の教室を半年前の受験期直前の緊張感が徐々に浸しはじめた。高1の変化を妹から聞きつけた宮口(近畿大学1年)、ビッコを引きながらも塾に姿を見せ黙々と桐原のプリントを解き始めた。

 15日、終戦記念日。午前10時から海津主催の古典単語読みの試験開始。特別参加として大森も高校生に混じって参戦。出題単語は高校生には事前に知らされているが、大森には知らされてないというハンディキャップマッチ。結局大森が大敗。夏の日差しのもと高校生に見守られるなかで駐車場にバスマットを敷き、その上で腕立て伏せ・腹筋を始めた。

 高1の教室には心地よい緊張感がみなぎっていた。甚ちゃんがつぶやいた。「こいつらがこんな雰囲気で勉強するのは半年ぶりですね。いつまでも浮かれてたらバスに乗り遅れてしまう。あの頃の自分、希望校を目指して勉強していた自分を思いだしてほしいですよね」 しかしそんな高1のなかで、たった一つ、机が空席となっていた。俺の視線と甚ちゃんの視線が交錯した。「やっぱり無理なんでしょうか」 「今度は俺は何もする気はないよ」 

 高1のなか、Kだけがここ数日塾を休んでいた。志望校には合格していた。そして将来の夢も現としてあった。しかしその夢は遙かかなた、今の自分の実力では叶う可能性が少ない職業だった。「でも夢やったら結果考えやんと今からやらなしゃあないやん」 数ヶ月前に俺は彼女に言った。グチャグチャ悩む癖、高校受験に際しても彼女は同様。志望校の難度に幾度も立ちすくんだ。そしてそのたびに俺は彼女を励ました。高校に合格し、目的がなくなったと佇む生徒は多い。しかし彼女は明確な目標を持っていた。でも自分の才能に自信が持てない。4月以降、事あるごとに佇んだ。「夢を諦めるか?」 「諦めたくない」 「じゃあ勉強するしかないやん」 「でも私には才能がない」 こんな繰り返しの会話で終始していた。出口のない堂々巡り。俺よりも甚ちゃんのほうがよく相談に乗っていたようだ。「彼女は愛情が欲しいだけなのか?」と俺はついつい皮肉っぽく考える。

 紀平が俺に言った。「今年の高1はいいな。みんな頑張ってるやん・・・。少々トロいのが多いけど、俺はあの学年好きやな」 

 17日、桐原2章の試験が始まった。古西はプレテストには参加しなかった。「俺は17日にミス0で颯爽と登場するから」との生意気な発言、どうなることやら・・・。金髪の宮口が姿を見せ最終調整へ。「さっき家でやったらミス0でしたよ」 これに甚ちゃんが噛みつく。「アホか! 俺たちはミス0は当然やろ! 問題は何分でするかや」 「甚野先輩は何分かかりますか?」 「さっきやったら20分やな」 「20分! すげえな、俺さ、腱鞘炎だから40分にしてくれよ」と俺。「古西がね、10分を切ったる!と豪語してるらしいですからね。負けられませんよ」 「そりゃ無理やろ、あの信藤(同志社大工学部3年)の最短記録16分を塗り替えるのは至難やで」 そして午後7時過ぎ、高3の面々が登場。今井に尋ねる、「どないでっか、仕上がり具合?」 「いやあ、ピンチですね」 「アキラは?」 「やることが多すぎて勉強する時間が足りん・・・」 そして高2の登場で試合開始・・・午後8時6分。

 プリントは全部で4枚、裏表に問題がビッシリ・・・イディオム750問。時間は高3は30分、高2は1時間、高1は無制限・・・俺は腱鞘炎ということで40分にしてもらう。予告登板の古西、さすがに速い。俺が表を解いているうちに裏も終わって2枚目に移る。「この野郎! 速いやん!」と甚ちゃんがつぶやく。その甚ちゃんも古西を追いかけるように2枚目へ。俺は裏に入ったばかりだ。そこへ中1の沙耶加がやって来て「先生、自己紹介の英作文を添削してくれる?」と悪魔のささやき。焦りつつ原稿を見る。 I am cancer. とある。「ちょ、ちょっと待て、なんや、これ? 沙耶加! cancer って癌やで・・・あ、そうか! カニ座か?」 「うん」と微笑む。女の子の場合、この類、星座やら血液型の文をよく作ってくる。「沙耶加、こりゃ、アンタが癌になるわ。ええっと、星座・・・constellation だったっけ、My constellation is ・・・ 発音しにくいよな、sign を使おや。My sign is Cancer. 星座はな、最初大文字や」 すかさずプリントに飛びつく。しかし一難去ってまた由子、再び添削。 I am A. 「由子、なんや、これ?」 「血液型・・・」 「なるほど、でもこれやったら何のことだか分からんから My blood type is A. となるけどな。でもな、自己紹介は外国人としゃべることを想定してるから。日本人はさ、血液型で性格ああやこうや言うけどな、外人さんはないねん。使うんは事故か病気で手術する時の輸血くらいや、だから事故紹介の文に血液型の文はやめとこや」 不承不承頷く由子、俺はやっと2枚目に移る。溜め息が漏れる・・・古西だ。「古西! 終わったんかい」 「なんとか」 時刻は18分・・・12分ほどで終了。クソ! 3枚目に移った頃に甚ちゃんが終了。

  2000年度 れいめい塾 夏期講習 桐原2章試験750問 ミスの数

高1 允 2  大輔 0  佑輔 3  あすか 19  健太 2  佳子 125

    卓 85  花衣 308   愛 45  橋本 0  

高2 アキちゃん 1  中井 0  砂山 13  村瀬 1  隆哉 138

    仁志 無数(本人談)

高3 古西 1  弘 9  今井 102  アキラ 132  寺田 91 

    波多野 1

ゲスト 甚ちゃん 1  宮口 4  そして俺、0

 俺は古西と答案を交換して採点。去年も古西と交換した。去年の古西は自信満々のわりにはポロポロといってミス6くらいだったか。今年はやはり高3、ピシッと仕上げてきた。しかし最後の最後、run short of を run out of と間違える。ミス1・・・憮然とした顔で古い塾に戻っていった。「橋本、ノーミスや!」 ざわめきが教室内に広がる。村瀬が珍しく表情を変えて橋本の答案をふんだくった。「俺がもう一度採点してやる」 思えば去年、お山の大将であった古西の英語の自慢の鼻をへし折ったのが村瀬だった。下級生に負けるという屈辱、それをフロックと考えずに古西は何度も何度も一斉テストを受けた。そして村瀬の前に一敗地にまみれ続けた。その修羅場の経験が古西を強くし、いつしか津高で1番にのし上がる原動力となっていった。古西を育てたのは村瀬、つまりは下級生だった。そして今年、村瀬はよもやと思われたノンキャリア、橋本と允に破れた。去年の追いかける立場から追われる立場へ・・・。村瀬には結果を謙虚に受け止めることを願う、去年の古西のように・・・。

 オーストラリア帰りの花衣のミスはぶっ飛んでいる。罰則は宮口直々の命令で腹筋&スクワット。回数はミスの数×2! 金髪宮口、さすが女の子でも容赦しない。深夜11時頃から花衣の腹筋&スクワット大会が始まる。場所は恒例の塾の駐車場。時間からして当然塾生迎えの車が次々と止まる。その車のライトに浮かび上がる花衣&佳子の腹筋&スクワットの孤独な旅路。花衣なんぞ腹筋&スクワットを合わせて616回! それを汗まみれで一挙にやっちまった。オマエはバケモンだ。トライアスロンで飯が食えるんじゃねえの? 

 19日、翌日福井に帰るアキラを相手に立命館の問題を2人で解いた。手頃な問題だったがアキラは1番と2番の長文読解でほとんどが全滅、ただ3番と4番は桐原の効果が出たようでミス1でクリア。最後の5番、カッコ補充の英作文も全滅。長文読解に関してはやはり基本単語がまだまだ。ターゲットの800までのクラスをポロポロ落とすようではどうしようもない。類推の限界を超えちまう。正答率は25%あたり・・・溜め息をつく2人。「アキラ、悲惨な結果だったが仕方ねえよな。ただ、福井に帰ってから何をすべきか?ということはよく分かっただろ」 「うん」 「今日から明日まで英単語ばっかやってみろ。明日の朝、また立命館で勝負や。ポイントはな、抽象語が出てきても必ずその後には具体的な説明がある。立命館の場合はその鉄則に頑なまでにこだわっている」 国語の力なら標準以上あるアキラだ、英単語をそこそこにすりゃ後は類推で訳が出てくるはず。荒っぽい戦略だが半年しか時間がない今はこれしかない。「じゃあ、英単語やってみるわ」 「ああ・・・そして明日が最後の授業だ」

 20日、午前10時。アキラとの最後の授業が始まった。他の高3は模試で出払っている。高1と高2もまた全国統一模試、塾の中は誰もいない。問題はアキラの本命・立命館文学部1993年度作品。答え合わせが始まる。今回もまた傾向は同じ。問題1&2は長文読解、これをアキラ、一夜漬けのターゲットが効いたのか?なんとミス1でクリアーしていく。そして3番&4番もミス2でクリアー。最後の5番の空所補充の英作文が昨日に続きほぼ全滅。しかし驚いたことに8割のデキ。俺は言った、「マグレやな」 「俺もそう思うわ」 「ただ、オマエの場合はそこそこ国語の読解があるから英文理解が断片的であっても国語力でしのげる。福井に帰ってからの緊急課題は語彙力に尽きるわ。必死こいてターゲット初歩レベルの1から800までをしろ! 9月中に仕上げたら間に合うやろ。それと基本文型の貯金がないから5番の部分英作でやられる。DUOを年内に潰す覚悟でやっとけ」 ドアの隙間からオヤジが顔を出した。「いやあ、PLは強いわ!」と平和な挨拶。2人で古い塾に荷物を取りにいく。オヤジにとってもこの夏は福井・久居間を4往復、さぞや身体に応えたことだろう。「じゃあな」 大した挨拶じゃなかった。3階の窓から2人が乗り込むのを眺めていた。感傷がないと言えば嘘になる、何かを飲み込んだ。車が動き出した。

 夜になってアキラの親父から電話があった。「いろいろと世話になったな」 「アキラはどないや、福井に戻って何やってる?」 「久居にいた間の福井新聞を片っ端から読んでるよ」 「あいつらしいな。で、何か塾のことについて言ってたか?」 「そやな、カミさんがどうやった?と聞いたら、少なくとも深夜12時過ぎてから授業が始まる塾は全国でもあそこだけやろなって」 「そうか・・・、近々DENちゃんのプリントと俺の現代史のプリント、そしてターゲット1〜800までのプリントを送るよ」

 中3の授業中に今井と中井が姿を見せる。「実はお話が・・・」と丁重な切り出しの今井。「先生の現代史ですけど、なんとか自分一人でもできるかなと・・・」 痛い! 見透かされていた。実はここ最近の現代史の授業、中3の夏期講習の仕上げが佳境に入ったこともあり、予習することなく授業に臨んでいた。今井は申し訳なさそうに言ってはいるが、俺の授業は受ける価値がないと言っている。だが落ち度は確かに俺にあった。心中の動揺を隠しながら言った。「そりゃかまへんよ。自分でキチッと計画立ててやってくんやで」 今井はチョコンと頭を下げた。中井もまたこ奴にしては丁重な言い方、「先生の授業さ、僕は続けるつもりなんやけど、もうちょっとさ、忙しいのも分かるけど、もうちょっと調べてからやってくれませんか。ちょこちょこと間違いもあるし・・・」 中井もまた俺の手抜きの授業を暗に非難していた。「わかった、これからは予習をちゃんとやってから授業をするようにする」 二人は顔を見合わして教室を出ていった。別に悪感情は沸かなかった。確かにあ奴らの言う通りだった。むしろ誉めてやりたいくらいだった。その日から俺は日本史のノートをコツコツと作り始めた。

 紘のお母さんが姿を見せる。「先生、えらいことになってしもて・・・」 「三重選抜ですか?」 「ええ、紘が選ばれまして・・・」 「そりゃ良かった。でも、これで紘の志望校は?」 「本人に尋ねたら変える気はないって・・・」 「津ですか」 「ええ」 「塾で勉強する時間が減りますね」 「ええ、12月まで土日祝祭日は遠征中心、平日も中学でクラブですから」 「毎日塾に来るのはきついと思います。しんどい日は自宅で効率のいい勉強ができるかですね」

 寺田が珍しく新しい塾に姿を見せた。こ奴がウチに入ったのは中3の秋、その無口なことに閉口した。理系教科はよくできた。順当に津西に合格、そして一旦塾を離れ1年後に戻ってきた。しかし依然として無口のほうは変わっていなかった。古西が後輩連中を侍らせながら勉強するのとは逆に、寺田は後輩がそばにいるのを嫌った。1年ぶりに塾で過ごす高2の1年間、寺田は数学と化学に出席するだけで、週に1度か2度、姿を現す程度だった。どうしても後輩や同輩とつるむ雰囲気に馴染めなかったんだと思われる。それが高3となり古い塾に移った頃、喜々として母親に言ったそうな・・・やっと僕の居場所が見つかったわ。寺田のプロミスド・ランドは古い塾の1階の片隅、本棚に囲まれた二畳ほどの空間。それからは毎日のように塾に姿を見せるようになった。しかし成績はといえば理系教科はともかく、英語のブランクがボディブローとなって身体中が麻痺している状態。この4月以降、後輩連中の後塵を拝しながらも黙々と英単語をまさぐる日々が続いていた。夏休みとなり俺が直接教えてみての実感、やっと神戸大学クラスと勝負できるようになったなと。しかし神戸大工学部はセンターでの国語の配点が高く(理系馬鹿はいらないと学部長は発言している)、国語に致命的な難がある寺田にとっては不利な大学だった。

 髪の毛の手入れはしているのか、アフロ系で物憂げな表情の寺田、しかしこの日は雰囲気が違った。「先生! 志望校が決まりました」 珍しく気負い込んでいる。「やっぱ、オマエさんに神戸大の配点はきつすぎるよな。で、どこにしたんや?」 「東工大です」 口笛を吹こうにも俺は口笛が吹けない。「えらい、また・・・」 順当ならば大阪大か名古屋大という選択だった。それが東工大!? 「きっついで」 「わかってます、でも・・・やりたいことが」 寺田は7月に開催されたノッチン(大阪工業大学教授)の物理の授業を受けていた。あの時はノッチンから「工学部へ行って何がしたいんや?」と聞かれて何も答えられないでいた。あの時の躊躇した表情、そして目の前にいる寺田の表情、見事なコントラスト・・・。「わかった、まあ頑張ってや。来年は砂山が行くはずや。1年先に行って待ったっててや」 寺田の微笑みを見たのはいつ以来だろう。 

 高1主催の中3を励ますカラオケ大会をいつにするか? 20日に全国統一模試が終わった気楽さもあったのだろう、21日に急遽翌日の22日に開催が決まった。しかし夜に塾に姿を見せない中3もいる。なんとか夜に塾に来る口実を・・・と考えあぐねる。「明日の夜は必ず塾へ来ること」では芸がない。カラオケ大会は夏期講習の恒例行事、中3も「ハハ〜ン、明日はカラオケやな」とチョンバレ。岡田拓也なんぞ、恥ずかしがり屋の権化、逆に敵前逃亡するやもしれぬ。そこで20日に実施された全国統一模試で高1が中学レベルの熟語を間違えたということに・・・つまり、あまりのデキの悪さに憤慨した俺が「中学レベルの熟語の試験を中3と一斉にする!」と怒鳴りちらしたというやや苦しい設定。中3をだませるかどうかは演技力が勝負となる。後は機嫌が悪そうに中3の教室へ、押し殺した声で「明日、熟語の試験や」と言いつつ、詳しい説明することなく熟語のプリントを6枚配っていく。何のことやらと怪訝そうな中3の面々。俺は内心、自分の演技力に舌を巻いていたのだが横を見ると大輔、下を向いて声を押し殺して笑っていやがる。この大根役者! とにもかくにも中3は翌日夜にむけて熟語の試験勉強を始めた。

 翌日の昼は一切の予定を中止。「ただひたすらに熟語を覚えること! 絶対に今夜8時までに熟語200を覚えきるんや」 後は黙して語らず。そして夜となりどうにか中3全員が揃った。女の子たちが必死になって熟語を覚えている。その横を高1の石田(津西1年)と花衣(津西1年)が通り過ぎ、黒板にカラオケ大会の歌う順番を書き始める。騒然とする教室、夏期講習に参加した女の子が叫んでいる。「勉強しに来てるのに、なんでわざわざ恥かかなアカンの」と恵理が絶叫する。説得役は高1に任せる。そんなところへ紘のお母さんから電話。「先生、紘が今夜は英熟語の試験があるから絶対に塾に行かなアカンて言ってたんですが、今家に帰ってきまして風呂に入っています。試験には少し遅れますが・・・」 「ああ、結構ですよ。実は試験というのは全くの嘘っぱちでして、実はカラオケ大会です」 「あ〜あ、夏期講習の?」 「ええ、紘のお姉ちゃんたちも昔はこの手口で引っかけられたんですが。お母さん、直接パラダイスの方へ連れてきてもらえませんか?」 「わかりました」 「で、途中で何や道が違うやんて言いやがったらシカトしといてください」 「ホホホ・・・ハイハイ、わかりました」 俺は車のエンジンをかけて待機。しぶしぶという態度で中3の女子が車に乗り込む。高2と高1の男子は自転車でサウスウエストのパラダイスへ移動。女の子たちの説得に時間を取っちまったからか?パラダイスに着くと紘がすでに到着している。「よお!紘、元気?」 「先生、試験と違うの!」 「ゴメン、また騙してもた。今夜はカラオケ大会や。何か変やて思たか?」 「いつもと道が違うんでお母さんに言ったら無言なんや」

 中3のカラオケ大会ではオドオドして歌っていた奴らが高校生ともなるとやたら上手くなる。クラブや試験の打ち上げなど大学生顔負けのスケジュールが目白押しの今風高校生、ウチの高1もまたその例に漏れない。ポイントは去年、先輩たちが自分たちにしてくれたことを今度は後輩たる中3にしてあげることができるか? 興味はその一点に尽きる。その意味では今年の高1は失格。最初だけはそこそこ中3に歌わせようとの努力が見えたものの、結局最初だけ。後は自分たちが楽しむ展開となっちまった。中3に一曲ずつ歌わせたらお役ご免てな風情。大学生の高橋君や村田君が来ても「先輩、一曲歌ってください」の一言もない。あげく高橋君がバラードを歌い始めると聞きいることもなくペチャクチャしゃべっている。しゃべるのに夢中で中盤から誰も歌わない場面もあり、大学生や俺が何曲も歌うことになる。俺なんて例年なら2曲程度なのが5曲も歌っちまう。沈滞しているムードを吹き飛ばそうと、腱鞘炎と半月板損傷をおしてテーブル越しにプランチャをしかける。ドンピシャ!直嗣に激突。こ奴のTシャツを引っ張りフロアに連れ出し空手のマネゴトが始まる。「先生!本気でいいの!」と直嗣が叫んだのもつかの間、ビシッと前蹴りが俺の鳩尾に入る! 続けて2発目、これをすかさず右手でさばく。腱鞘炎の右手が悲鳴を上げる。これが致命傷となり翌日病院に行くことになるのだが。俺の痛みと引き替え、場はそこそこには盛り上がる。押っ取り刀で大輔と佑輔がブルーハーツを!リンダリンダを合図に騒ぎ出す。大輔が紘を腕ひしぎ逆十字で締め上げる。俺もすかさず紘の足を抱えてヒールロックに持ち込む。この足首を捻れば悲鳴があがるな・・・と思った一瞬、紘がバレーの三重選抜に選ばれたことを思い出し、すかさず離す。こんな乱闘もまた沈静化。これもまた先輩たちからの焼き直しでその場しのぎでお茶を濁す流れ・・・。いつしか高1女子は他の部屋で歌い出し、中3女子だけが取り残される。唯一の救いは夏期講習に参加した女子が自分から選曲のリモコンを握った一瞬。高1から勧められてではなく自分たちからステージに登って歌い始めた。そろそろお開きにしようと高2の村瀬と仁志にささやく。仁志に「ラスマイでオマエが何かしゃべれ!」 仁志焦って考え込む。村瀬に「今年の高1、後輩を楽しませるという姿勢が徹底してなかったよな」 「そうっすね」と頷く。横では仁志が「夏期講習大変やろうけど、後受験まで半年や。最後まで頑張ってくれ」なんぞとしゃべっている。「村瀬、オマエがトリだ」と村瀬の肩を叩く。「え、俺っすか?」 仁志がなんとか3分ほどでスピーチをまとめ終了。そして村瀬がマイクを握る。「じゃあ、今日はこれでお開きということで・・・」 おいおいおい、話が違うよ!と俺は心の中で叫ぶ。村瀬に今年の高1の態度が悪いとネタを振ったつもりだった。俺が言うと後に引くから村瀬が俺の代わりに高1にピシッときついセリフを吐いてもらってシャンシャンシャンといきたかったのだ。村瀬も全く鈍い。「仕方がねえよな」と言いつつ俺はマイクを取る。「今まで15年間、中3を励ますカラオケ大会やってきたけど今夜は最低やったわ!」 雪印顔負け?毒を含んだ俺のスピーチが始まった。

 この日の誤算は岡田さんが欠席したこと。岡田さんがバイトで教えている中3をこの夏だけ俺が預かった。静香・・・K中で中間期末試験では学年ヒトケタをキープしている。これが良くできるのか?というとこれがどうしてどうして。実力試験ともなると順位がガクッと落ちるタイプ。まあこのタイプよく見かけるが、静香の場合はその落差がひどすぎる。三進連を受けたそうだが100点前後しか取れない。女子ソフトボール部でピッチャーをやっていたというので鼻っ柱が強い女を期待していたのだが、謙虚の権化。数学と理科の計算問題に対して苦手意識が強すぎる。このひと夏で理科の電流電圧や数学の二次関数・三平方を用いた平面図形・立体図形はそこそこ得意になったようだ。しかし弱点を克服したと思ったら今度は社会が崩れる。歴史がほぼ手つかずの状態で手放すことになっていた。静香がカラオケ大会でわめきながら歌えたら心配はしない。志望校の津高・津西とも半分は合格している。しかし自信がない、度胸がない・・・こんな奴がいくらチマチマ勉強しようともタカがしれている。岡田さんにはカラオケ大会で静香に気迫めいたものを注入してほしかった。しかしその肝心の岡田さん、テレて来ない。このあたりがプロとアマの差やなと嘆息する。俺は別に岡田さんの歌を聴きたいわけじゃない。カラオケを歌う行為はなにがしか受験に相通じるものがあるはず。当然知識的なことではなく精神的なものだ。今の静香に必要なことは自分の実力を冷静になって眺めることではなく「行ったらんかい!」の気迫である。岡田さんは静香のことを考えるなら当然来るべきだった。彼女は新しい塾で中1の面倒を見てくれていたという。感謝する気は毛頭ない、むしろ職場放棄で断罪ものである。

 もう一つの誤算もある。紘の歌の巧さには正直うなった。高1もまた声が出なかった・・・上手すぎる。紘には姉が2人いる、ともにウチで育ち津東へ。多分姉ちゃんに連れられて相当なキャリア? 確かに上手い、でも誉める気はない。セコイからだ。なぜか自分の音域を知ってて自分に合う歌を選んでいる。安全志向が鼻につく。スマートだ、しかしそれだけだ。中3特有の荒々しさ、怯え、冒険めいた匂い、突きつめれば狂気めいたものがない。上手いだけの「桜坂」なんかより、カラオケ歌うのが死ぬほど嫌そうな表情の大森と拓也の Kinki Kids の「Flower」のほうがなんぼか良かった。どうしようもないほどの重苦しさ、哀愁が漂っていた。紘の「桜坂」なんて、スナックでオヤジの歌を聞いてる雰囲気。確かに上手い、ただそれだけ。こんな紘が男子バレーの三重選抜に選ばれた。同じ中学のクラブのメンバーは高校入試があるからと辞退したという。しかし紘はバレーを選んだ。その心意気や良し。その選択こそが冒険であり狂気めいたもの。しかし紘は淡々とオヤジさながらで歌っていく。紘の志望校は津高、この地区の最難関である。12月に大阪で開催される全国さわやか杯まで紘のバレーは続く。土日は他府県へ遠征、平日は学校でクラブ。帰宅時間は7時を超える。そんな過酷な練習の合間を縫うようにして勉強することになる。それも覚悟のうえの決断、じゃああの歌は何じゃい! もっと狂わんかい! 軟弱な紘を叩きつぶすために急遽9月22日にカラオケ大会が決定。テーマは紘だ、紘はもっともっと狂うべきなのだ。こ奴がワケの分からん下手やけどスゲエ歌を歌ったならば津高といえども合格するんじゃねえか?俺は真剣にそう考えている。

 紀平がこの夏休み、勉強している中3に向かって尋ねた。「この中で津高を受けたい人?」 手を挙げたのは紘一人だった。「じゃあ、オマエ、絶対に合格する自信ある?」 これには紘、愛想笑いで逃げようとする。「バカ野郎! 去年の中3はな、みんな『絶対に合格する』って言って紙に書いてくれたよ! 今年の中3はおもろない!」 そう言って紀平は高1の教室へ姿を消した。高1の教室で紀平は去年の中3が書いた紙を財布から一枚一枚取り出していた。『絶対に津高に合格する!! 14期生○○○○』 そしてそれを書いた生徒に1年ぶりに返していた。一つだけ余った。Kは今日も来ていなかった。「なんや、あいつ今日は塾に来てへんのか? ちょっと津高に合格したと思って手抜いたら俺みたいになるで!」

 紘に与えた課題曲は艶色・ザ・ナイトクラブ、このサザンのワケの分からん歌を熱く歌えたら、津高なんて合格に決まってるだろ!

 中1には延々と基本文型で攻めた。一般動詞とbe動詞はもとより、3人称単数のs、命令文、助動詞canに、存在のbe動詞、現在進行形、そして会話表現とリンクする形で疑問詞全般。ほとんどひと夏がこれらの文型の徹底演習だった。そこへスピーチでよく女の子たちが作りそうな文「私は3年間ピアノを習っています」やら「私はピアノを弾くことが大好きです」などでは、中2の履修範囲の不定詞・動名詞、中3の履修範囲の現在完了形などが登場。その全てを教えてみた。中学では「〜を持つ」のhaveを習ったばかり。現在完了の助動詞haveとごちゃまぜにしないように気をつけたが、夏休み明けの実力試験の勉強ではhaveを文頭に出して疑問文を作る生徒が続出した。「バカ野郎!これは現在完了じゃねえだろ。単なる一般動詞の文や!」と怒鳴るとある中1曰く「そうか、後に過去分詞がないからこれは現在完了じゃないんや」 これにはまいった。嬉しい誤算。いつしか過去分詞・現在分詞も覚えていた。問題は9月以降の展開である。中学の授業と平行しながら日記に入る予定だ。スピーチも自己紹介から日々の日記形式で時制を念頭に置いた英作文をしていくつもり。

 最後のスピーチ大会が27日に開かれた。小学6年生の悠志が遂に50文を突破! ご父兄にも参加いただきそこそこ盛り上がった。でも何故かスピーチのなかでお母さんは恐い、お父さんは優しいという文ばっかり。やっぱ世のお父さん連中甘いんやろね。この類のイベント、これからも続けていきたい。

 田丸君の追試の結果を塚崎君が知らせてくれる。「田丸先輩、合格しました」 最も危ないと思われていた田丸君が通ってホッとするものの、まだまだ小田君と黒田君が残っている。「退院は?」 「明日あたりには・・・、でも肩にギプス入れてますからしばらく授業のほうは・・・」

 橋本君(山田日赤病院)が姿を見せる。いつものごとく車の中に女性を待たせながら俺にファイルメーカーがいかに便利かということについて熱弁をふるう。毎度のことながら乗っけている女性が違うことに感心する。前々から伊勢方面で飲み会をやろうという意見あり。鳥羽の爽風塾の塾頭も乗り気でダチの伊勢市民病院第一外科の山本先生もいっしょに飲もやと盛り上がっている。その話をするとさすが強気の橋本も少々ひるんでいる様子。「じゃあ、古い塾をひやかしてきます」と車に戻る。後で聞いたらファミリーマートで缶ジュースやジャンクフードなどをドッと買い込み、高3に差し入れてくれたそうな。かつて古い塾で学んだ連中も、教えた連中も休みともなると古い塾に姿を見せてくれる。次に橋本君と会うのは伊勢での飲み会、今日はこのHP上で感謝しておく。本当にありがとう。

 田丸君、ギプスを付けて塾に姿を見せる。「やっと退院か」 「ええ、でもギプスのほうはしばらく取れないみたいで・・・数学の授業は塚崎に任せることになりますけど」 「そりゃかまへんよ」 「で、先生のほうは大丈夫なんですか?」 「何が・・・」 「半月板損傷」 「あれ、情報早いな?」 「HP見てましたから。実は僕の同室の患者さん、2人も半月板損傷だったんですよ。僕は今まで半月板損傷って大したことないと思ってたら、その2人手術するというんで大変な病気なんやなと・・・、それで久しぶりにHPを覗いたら先生が半月板損傷・・・」 「そんなに大変なん?」 「みたいです・・・」 「そう・・・」 中3の授業中だったが中断、すかさず医者からもらってほっておいた飲み薬を5錠ほど飲み、湿布をしてベッドに横になった。

 夏季講習は8月30日で終了した。といっても来たい奴は来ればいい。俺は鳥羽・爽風塾の中村塾頭と旅に出た。三泊四日の北陸の旅。俺がいなくたって塾はいつものようにまわっていく。通常の塾ならば、夏期講習に参加した生徒を2学期も続けてもらおうとアプローチをかける大事な時期だ。しかし俺は逃げ出したい。残りたければ残ればいい。「いろいろとお世話になりました」 あの一瞬が苦手なのだ。後のことは岡田さんに任せて旅立った。

 BBSに久しぶりにファイティング志摩から「円周率が3.14から3になることをどう思うか?」という問いかけがあった。俺はさっそく古い塾から古西を呼んだ。そして古西に尋ねた。「海津とひと夏を過ごしてみてどやった? ちっとは以前とは見方変わったか?」 これに対して古西、「いやいや、以前といっしょ。俺は昔っから海津先輩のこと、いい人やと思っていたよ」 「うそつけ! この野郎」 古西が笑った。

 その海津、翌日に東京へ戻るからと挨拶にやって来た。話題はこの夏ほとんど毎日のように教えた高校生たち。「今井は早稲田の社会学部ならなんとかいけると思うんですが・・・、古西の場合はこれからどの程度の頻度で小論文を書いていけるかですね」 「あと5か月だよな」 「そうですね・・・、そういえばアキちゃんと中井が今井と古西の合格発表を見に行くと言ってましたよ」 「へえ、あ奴らも古い塾でひと夏暮らして少しは受験生になったか。古西はともかく、今井も後輩が合格発表を見たくなるような勉強をしたってことか。去年、法政やら明治学院とか、セコイ志望大学を書いてた今井がここまで来たか」 「まあ、今井は夏休みの最後になって早稲田政経学部って発言まで出てきましたからね。政経はともかく社会学部か教育やったらなんとか・・・。とにかく合格してたら今井と古西を吐くまで飲ましてやりますよ」 「その時には俺も東京へ行くよ。前田(早稲田大学院1年)もいる、前田に飲み代半分持たせよう」 「楽しみですね」 「ああ・・・」 「あと、5か月か・・・、ところで波多野はどうなんですか?」 俺は突如として現実に引き戻された。「どないしょうや? 英語はやっと偏差値60間際にたどり着いたけどな。あいつの国語なんや、問題なんは! 国語の偏差値は俺の年齢周辺をさまよってるわ」   

 9月18日にターゲット1〜800までの英単語の試験をすることに決定。この試験はBBS上で福井のアキラにも通達した。つまり福井と三重で同時進行で試験ができる・・・インターネットならこんなこともできる、今さらながら楽しくなる。今回の試験は桐原2章のように大学生や俺が鳴り物入りで参加するというお祭り的な要素は一切ない。シンプルな試験だ。しかし誰かに流されるように勉強するのではなく自分で計画を立てて勉強していく。到底一夜漬けで覚えられる量ではない。800とは言うものの総単語数は1055。この試験をいかに計画的にこなしていくか? 俺は興味を持って眺めている。

 試験前夜、波多野がDENちゃんから週1回の割合で届く(ネット上で)日本史のプリントをもらいに来た。たまたま甚ちゃんもいた。「波多野、オマエどこ受けるねん?」と俺。一瞬ムッとした顔つき、そして柔和に戻って「明治です」 「やっと英語は偏差値58に乗ってきたよ、でもな国語はどないすんねん? いつになったら50に乗るんや」 「今度こそは」 「アホ! 俺はそのセリフ・・・今度こそは、を2年間聞きっぱなしやで」 「この次は絶対ですよ。僕には明治しかないですから」 甚ちゃんが横合いから口を開く。「さっきも説教したったやろ! オマエは軽すぎるんや。受験生はもっと重くなれよ、もっとドロッとせいよ!」 「配点は?」と俺。「英語150で後の国語・社会が100です」 「350点満点か。じゃあ、ボーダーは?」 「商学部は70%、後は68%です」 このあたりはウチのパソコンで調査済みなわけだ。「となると・・・、英語で80%、120点で、社会の日本史で80点、残る国語で45点か、これでボーダー得点245点やな」 「完璧ですね」と波多野。「アホ! 国語で45点取れたらの話やろ」 「絶対に取ります」 「こら、波多野! 何が絶対や」 再び甚ちゃんの怒号が飛ぶ。

 いろんな意味で重すぎるK、静香、佐藤・・・、そして軽すぎる波多野。今年の夏も塾の内外は生徒たちの無数の心象の濃淡で埋め尽くされた。その一つ一つが荒ぶる魂の軌跡だった。そして時折勝手気ままに吹きまくった風。熱風、寒風・・・大学生と塾のOBたち、延べにして百余人。今年の夏もいろんな思い出の断片を拾いきれないほど残してくれた。感謝している。

 センター試験まで4か月、立命館まで4か月半。早稲田慶応、東工大を始めとする国公立大学二次試験まで5か月、公立高校入試まで6か月。そして高2にとり大学受験センター試験まで16か月、高1にとり28か月。

 腱鞘炎はますますひどくなる。半月板損傷のほうは薬から週に一度の注射となった。この注射を5回ほど続けても痛みが引かない場合は手術の可能性もあるとか。

 この「25時」は8月16日に書き始め、ひと月ほどもかかってやっと今日9月18日に脱稿した。他にも書きたいことは多々あった。それはまたの機会にでも書くつもり。とにかく遅れちまった。お詫びする。

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