2000年25時れいめい塾

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾 発 「25時」

2000年7月27日


 数日後、海津(早稲田大学文学部2年)から連絡があった。「先生、今年の夏はどうしましょう?」 「オマエさんさえ都合良かったら頼むよ」 「僕のほうは助かります。ところで高3の調子はどうですか?」 「詳しくはウチの塾のホームページを見てくれ。波多野が沈没や。オマエさんの古典の授業は早稲田志望の今井を中心に高2のアキちゃん(久居高)と福井からの密航者で行く」 「福井? そりゃなんですか」 「詳しくはホームページへどうぞ」 「じゃあ22日に大学へ行くので見ることにします。何の検索エンジンでホームページが開くんですか?」 「ヤフーはまだ載っけてくれへんわ。インフォシークで開く」 「分かりました。それと・・・」 「なんや?」 「古西のことですが」 「ははん・・・電話行ったか?」 「ええ、小論文を教えてほしいいと・・・、いいんですか?僕が教えて」 「かまへんかまへん、大歓迎や。あいつはケツの穴小さいからしょうもないことでオマエさんのこと気にいらんかったんや。たとえば6年制という理由とかな」 「そうなんですか」 「そうだよ、変なとこは俺に似てるよ」 「先生も6年制嫌いなんですか?」 「嫌いや・・・あ!思い出した、オマエんとこの母校、皇学館中学なんて大っ嫌いだよ。あのスピードに宿題の量、ウチの生徒さん(森あゆみ&岡村玲)なんてアップアップしてるわ。でも6年制は嫌いだけど生徒は好きやけどな。オマエは6年制でもあり上品な坊ちゃんちゅう感じや。古西からすりゃ最も嫌いなタイプだろう」 「そうですか・・・でもそれがなぜ?」 「なんでやろな。ウチの塾は近道が分かってても教える気はないから、早稲田合格への最短距離ともなるオマエさんの小論文講義を受けろ!なんて俺は古西に一言も言ってへんよ。まあ、甚ちゃんと話したことはあったけどな」 「で、僕が教えてもいいんですか」 「さっきも言っただろ、大歓迎だって。あ奴にとって小論文の牙城を崩すことが慶応への最短距離や。だけど俺は最短距離を教えてないよ。古西がオマエさんに電話したのは事後承諾や。俺は知らねえよ」 

 突然新しい塾の大家さん、山野のオヤジさんが姿を見せる。「先生、頼みがあるんやが」 「何ですか」 「知り合いの娘さんでな、今年関西学院大学に入学した生徒がおるんや。夏休みにバイトさせたってくれへんか」 「現役ですか?」 「うん」 「地元ですか?」 「いや、嬉野や」 「嬉野中か」 「いや、セントヨゼフや」 「え! 女の子ですか!」 「アカンのか」 「いや、そんなことないんすけど女子大生なんて緊張するわ」 「何を言うとるの」 「いいですよ、でもバイト料期待されると辛いけどな」 「そりゃ先生に任せるわ、一度会ってやってよ」

 「先生、僕たちはいつになったら新しい塾に帰ってくれるんですか」

 「古い塾でいろいろ見ておいで。いいとこも悪いとこもな。先輩見てて、手抜いてる奴がいたらな、アキちゃん。肩に手を置いて『先輩、そんな勉強じゃ志望校無理ですよ』くらい言ってほしいけどな。アキちゃんは愛情ある厳しさって出せへんからな」

 「今まではそれなりにやってきたけど、やっぱり高1としてやろ。去年は村瀬の踏ん張りに古西が敏感に反応した。村瀬には先輩を潰す!という明確な意志はなかったと思うけど、結果的にはそれが古西飛躍の糸口となった。今年は誰が村瀬を脅かすんや。去年は古西の学年で古西を脅かす奴がいてへんだんや。だから先生は1年後輩のなるアキちゃんの学年をしごいた。そしてその中から村瀬が出てきた。じゃあ今年は?となったら、1年後輩の佑輔か?あるいは同級の砂山か? いつでも後輩が先輩の尻を叩くという構図は必要ないんや。できれば同学年で競えばいいんや。じゃあ、砂山か? でもさ、砂山は結局は理系や。国立という立場は同じでも所詮いつか別れていくんや。なんで文系ということでアキちゃんの名前が挙がってこないのか? 寂しくない? いつまでも中井と名勝負やっててもいいんやけど、村瀬を脅かすのになんで早稲田志望のアキちゃんの名前が出ないんや。古い塾で今井の勉強を見るのもいい勉強になる。どの程度の勉強をやってるのか? これで今井が早稲田に合格したら、来年のアキちゃんの勉強の参考になるはずや。少なくともあれだけの勉強はしなくっちゃ・・・という早稲田合格のための勉強の下限のレベルが分かるやろ。逆にもし今井が落ちたら、あのレベルの勉強では落ちるんやという貯金もできる。いろんなことが見えるはずなんや、古い塾は」

 23日、直嗣が塾にやって来る。「どやった?」 「2位」 「オマエも県体へ行くってか」 顔がほころぶ。「どいつもこいつも・・・」と俺。「やっぱ、正拳突きで勝ったんか」 「そんなアホな」 直嗣は寛水流空手総長の息子、空手の腕は折り紙付き。そんなゴッドハンドがなんでラケットのグリップなんちゅう軟弱なん握るねん。あげく年に一度はオーストラリアにある道場で過ごすものの英語はからきし・・・こ奴ほど神から与えられた

 25日未明、ヒロミちゃんから電話だ。「先生、ゴメンな。家から帰ってきて今パソコン見てびっくりした。先生、1時間も待っててくれたんやね」 「なんや、ヒロミちゃん、家に帰ってたん?」 「うん、学祭の七夕祭りというのあるんやけど、去年見てたから家に帰って試験勉強しようと・・・」 「いつから試験なんや」 「明日っから」 「明日!」 「うん、それも去年落とされた英語なん。もう、イヤになっちゃう」 「よっぽどの事がない限り、2年も続けて落とすなんて仕打ちせんやろ」 ふと俺は田丸君の顔が浮かんだが・・・。「ところで先生、チラッとHP見たけど倉木麻衣ちゃんはまで高校やめてへんと思うよ」 「え!」 「だって妹から立命館のオープンキャンパスに倉木麻衣が来たって聞いたよ」 「じゃあ、エレベーター?」 「うん、確かに宇多田ヒカルのパクリやって言われた頃は高校に来る日数が減ったらしいけど」 「そりゃえらいこっちゃ、俺HPにガセ書いたことになるんか」 「ヒロミが探偵やったげるから、ちょっと調べてみるわ」

 25日、高林紘登場。「どやった?」 「勝ったよ」 これで嬉野中男子バレー部の県大会出場が決まった。敗者復活戦で勝ち上がったことから順当に県大会に駒を進めるよりも楽な展開になった。決戦は8月2日、伊勢のサンアリーナで行われる。

 26日、小学6年と中1による英語のスピーチ大会が開催される。やっぱり注目の的は小6の悠司。こ奴はこの日、自己紹介英文30文に臨む。思えば長い道のりだった。国語が大の苦手、とりあえずは算数をしごいてみた。そこそこできる、まず勘はいい。しかし小5までの算数がザルなので学校の進路に合わせながら復習をする展開。中学入学までには仕上がるだろう。しかしこ奴の語学に関してはきつい。国語では○×式ならなんとか、でも論述となると手が出ない。4月から始めた英語も俺の後についての発音はともかく、綴りとなるとなかなか覚えられない。まずはアルファベット、そしてローマ字と・・・試練が続く。ただ後についての音読には熱心だったので、これを伸ばそうと考えた。5文のスピーチに異常なくらい時間を要した。とにかくおだてた。来年からの英語に地震を持たせるために・・・やっと10文・・・どこか自信なげだった。多分学校でも言うわりには前に出てこないタイプ、なんとかいい意味での生意気さを持たせたかった。そして15文・・・このあたりから家でやってるなという手応えがあった。いつしか20文を超えていた。一度はメチャクチャな発音ながら覚え、それから th の発音などの難を正していった。いつしか塾に算数や国語を勉強しに来るのか英語の発音をしに来るのか分からなくなった。

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