2000年25時れいめい塾

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾 発 「25時」

2000年 10月21日号


 腱鞘炎に見事にしてやられている。ワープロのキーを勢いまかせに叩くと翌日てきめんに反撃を食らう。あげくかかりつけの医者からは右手の腫れを見て「治す気がないんですか」との丁寧ながらも感情を押し殺した声の挟撃を食らうはめに・・・。車の運転はほとんど左手一本、黒板を使う授業は中止。こんな時にウチの塾の体質は便利だ。しかし授業をやめたものの、個人的な質問には日々頻繁に追いまくられる展開。説明をする計算用紙に走る自分の文字を見ては溜め息が出る。

 北陸への旅行後に美穂(新潟大学看護学科)と会うことを楽しみにしていた。しかし電話はなかった。そもそも鳥羽のオッサン(爽風塾塾頭)に北陸へ行くことを同意したのも美穂に会いたかったからだ。新潟の街を一望できる超高層ビルから意を決してかけた携帯。しかし美穂は俺達が旅立つのと前後して帰省していた。そして翌日からは北海道へ行くという。北海道から帰ったら会おうと言って切った。この2年間、美穂について考えたことを洗いざらいぶちまけたかった。しばらくしてメールが入った。新潟からだった。「電話もなかったし・・・」 美穂のメールにはそう書いてあった。俺も電話を待ってたけどな・・・、痩せ我慢? 最近、駄目なんだ。特に塾を卒業していった女の子とのスタンス、無様なほどにステップが鈍い。

 嬉野中で中間試験終了。俺の右膝の半月板と右手の甲を破壊した憎っくき直嗣が387点、気の抜けるような点数。直嗣、落胆しているかと思いきや、試験当日から塾に来ては勉強している。背中から伝わる張りつめた緊張感・・・なんでや? 捲土重来を期するってタイプでもない。そんな異常な熱気を怪訝そうに眺めていた俺に高1がつぶやく・・・直嗣、学年で30位やって担任からも津西このままで大丈夫って言われて喜んでたよ。「そんなはずねえよ! 数学ボロボロ、国語小学生、理科メチャクチャ、あんなんで津西に太鼓判押されたらそこいらの猫でも津西に合格するわ! 困ったことに津西には空手で推薦はねえよ」

 ただ努力をしたことは認めよう。集中力散漫なこ奴が夏休みあたりから受験生の顔つき、とほうもない質問も多かったが、分からないことは必ず質問してきた。ずっと嬉野中200人のなか90番あたりが定位置、それも得意の社会だけで稼いでいる将来が見えない展開。それが中3になり徐々に社会以外の教科に目を向けるようになった。この中間試験の1週間前、直嗣に聞いてみた。「仕上がりは?」 「数学だけは自信あるんやけどな」 そして取った387点、学年30位。合格圏内云々は担任のリップサービスとしても、津西が射程距離に入ってきたことは確かだ。

 紘は中間試験以後、塾に姿を見せなかった。噂では成績がよくなかったとのこと。三重選抜のバレーの練習のこともありしばらく様子を見ることにした。

 10月8日に長谷川君(三重大学泌尿器科)とマチコ先生が揃って塾にやってきたが、たまたま俺は不在。実家のほうに来てくれてお酒を頂いた。この場を借りて、ありがとう。そして奥さんから聞いたところではオメデタとか? これここで書いていいんかいな、まずいんちゃうの? なにしろ大学病院泌尿器科のマドンナ・マチコ先生の一時的にせよリタイアや。ファンの患者さんにしたらブーイングが出るやろな。ここは一発、おしどり夫婦のワンポイントリリーフ、物が飛び交うなかをピッチャーマウンドまで胸をはって足を進めてってよ、長谷川君。名リリーフ期待してまっせ。

 ドタキャンの杉本理恵(三重大医学部看護学科)が村田君(三重大医学部5年)とともに姿を見せる。元気でっか?と平静を装うものの動揺しきり。「先生、以前は授業をやると言っておきながら連絡もせず・・・授業を中断してすいませんでした」 「いやあ、立て板に水でんな」 こんな俺の性格がアカンのやろな。美穂のメールが一瞬心をよぎる。杉本との時間をとるために高1の授業をやっつけに行く。猛スピードで解説していると、村田君が顔を出し「先生、今日のところは帰ります。杉本もまた出直してくると言ってるんで」 「え、・・・そうなの」 気が抜けた後には後悔、また嫌われちゃったな。  

 杉本は今、トライで家庭教師をやっているそうな。それも高3一人と中3二人というハードさ。トライでは指定教材というものがなく、交通費や教材費を直接父兄に請求するという。ちなみに交通費は1km10円。「なんで受験生ばかり教えるの? しんどいやん」という質問には「バイト料の時間給がいいから」とのこと。今、杉本は普通の子供達を教えている。その驚きは彼女の話の節々からも察することができる。ウチの塾で過ごした時間、その思い出に付随する先輩や後輩、それらの常識が覆されるような経験の連続となるだろう。それでもバイト料云々より、教えることが面白い!と心底思えるようになったら俺は頭を下げてでも、手塩にかけて育てたアキちゃん(久居高2年)と中井(津東2年)の来年を杉本に託すつもり。それまでは外の世界で人生勉強しといてくれや。

 かつて古い塾で第一歩を踏み出した頃、集まってきた生徒はやはりそんな生徒達だった。「勉強したくないけど親が行けというから」「高校はどこでもいいんやけど」・・・そんな生徒達とともに始めた塾が徐々に変貌していった。偶然にウチの塾に流れ着いた生徒達のなかに下克上を目指す奴らが多かったこともある。入塾試験はなかった。現状を変えたい!と切望する生徒達の心の叫びだけが入塾の条件だった。そんななかの一人が横山(4期生)だった。中1の1学期に400点も取れず、最もレベルの高かったあの当時の久居東にあって半分以下、三重県統一試験をさせれば偏差値は43、そんなところからのスタートが社会を攻略し、理科もなんとか、英語が上がってきたなと思ったら、数学も当日の試験で奇跡的に取れて津高に合格した。横山の中学時代の成績(3年1学期段階)はアキちゃんや中井、直嗣よりもひどかった。「みんな文化史嫌いやん、だから俺は文化史を徹底的にするんや」と日本史を得意教科にして、英語と日本史で90点、努力が報われない国語は50点で同志社大学経済学部に合格。その京都時代、バイトしていた病院で5歳年上の女性と知り合う。彼女は看護婦、当初愛想笑いをする横山に最もアタリがきつかったという。

 9月30日、横山が京都駅ビルのホテル・グランディアで結婚した。会社関係(三重花王販売)も嫁サン・恵美ちゃんの実家(和歌山)や親族(鹿児島)も、そして友人の俺と臼井・辻本、東京から泊まりがけでやってきた越知にも京都は遠かった。「なんでこんなとこでやるねん!」 横山はそれを式の最後に答えた。普通なら新郎の父の挨拶でお開きとなるところ、異例にも続く新郎挨拶。「今日は皆様方、遠路はるばる我々二人のためにご足労をおかけいたしました。なぜ、我々がここ京都の地で結婚式をあげることになったのか? それは二人が知り合い共に生きていこうと決めたのが、ここ京都だったからです」 俺は努力だけを武器に志望校に合格、幾多の塾の後輩に計り知れない影響を与えた横山に心の底から感謝していた。

 横山の奥さん、恵美ちゃんはこの4月から三重大病院に勤務している。

 一志中も試験を終えて1週間後、塾にもどってきた。純菜と明希、1学期は指示してばかりだったと思う。この夏休みの夏期講習を終えて雰囲気が変わった。指示されるのを待つ側から、そこそこ工夫するようになった。つまりは普通の生徒からウチの生徒に大きく近づいた。後は現状の自分に対するシビアな目、今何をするべきか?という的確な判断。これはすぐに会得できるものでもなく、失敗覚悟で本人にやらせてみる必要がある。1学期は目を離せなかった二人、この二人に今回の中間試験を好きなように勉強させてみた。そして純菜は400点台をキープした。しかし明希は思ったほど良くはなかったようだ。それでも俺は納得している。二人が初めて手探りで自主的に試みた勉強だったからだ。試験前の二人からは指示がないという気楽さ、ホンワカ気分は一切なかった。こんな光景を見れただけでも良かった。次回は明希に少しだけ指示を出すことにしよう。そして純菜には今回同様に好きにさせてみよう。なお、明希のご父兄へ・・・今回の試験の成績は全て俺の責任です。すいませんでした。

 19日になりシビレを切らして紘の家に電話する。「なんや、家で勉強するからって聞かないんですよ」とお母さん。「家中で塾へ行け行けって言ってるんですけど」 紘に対する一つの懸念、「25時」で津高勝負を謳いすぎたかなと・・・。そのことについて口を開くと「志望校に関しては変えるつもりはないと言ってますが」 当たり前だ! カラオケ大会での俺の想像を凌駕する堂々たる歌いっぷり。見事にしてやられた艶色・ザ・ナイト・クラブ他、自分の音域を破壊しながら歌う冒険の数々。あれだけの芸当を演じられる以上は津高は合格したも同然。となると中間試験の成績・・・398点だったということは人づてに聞いてはいた。直嗣が387点で30番なら398点、20番前後か? とりあえず家に帰ってきたら電話してほしいと伝えた。

 身体が疲れている。試験の最中ということもあり毎晩生徒を送り出す午前3時のミッドナイトイクスプレスが響いている。小学生がいなくなり、しばしまどろんでいると女の子特有の嬌声が響く。やっかいなのは数人で話してるんじゃなくて一人で騒いでいる。スラム街のベッドから身体を起こす・・・やっぱり由依だ! 「静かにしろ!」 これに頓着せず「ああ、先生、おはようございます」 「由依、全部で何点だっけ?」 「ハハハ、前回に比べたら落ちました。447点です。坊君はどうでした?」 「坊か? あいつは413点やったかな。生ぬるい点数や。今回は430点取るのがテーマやったんやけどな。で、オマエさんは447点か。ふ〜ん、久居中は英語と国語で平均点落ちたからそこそこだろ?」 「いえ、今回は駄目でしょう」 「たぶん、学年順位12番くらいだろ」 「そんな良くはないでしょう」 「オマエ謙虚だね、謙虚な女は嫌いだ。ついでに声の大きい女はもっと嫌いだ」

 付属中の真歩、登場。今までに見たことのないような不細工なツラをしている。俺が愛想しても無視、こりゃ家で何かあったな? 自分だけの空間をコンピューターの前で構築しては他人の介入を阻んでいる。中間試験の成績を聞くことなんてできやしねえ。前回の学年順位2位が今回どうなったか? まあ5番くらいかな?と踏んではいたが到底近寄れる雰囲気じゃねえ。

 紘から電話。「先生、紘ですけど・・・」 「試験は?」 「ああ、うん・・・悪かった」 「別にな、バレーもあるこっちゃし自宅学習がアカンて言う気はないけどな。問題は今オマエが家で何の勉強をやってるかってことや」 「・・・」 「まあ、オマエのこっちゃ、勉強しているふりで遊んでいるってことはないやろ。12月の期末が終わったら全国大会の練習で忙殺されるやろ。となると今の時期から期末試験の勉強に入る11月初旬までの間に今までの復習として何の教科をするか?が問題なんや。今から俺がプリントを持ってく。今のオマエにさせたいプリントや。なんやろな? 俺が行くまでの時間で考えてみろ。当たったら安心して自宅学習やってくれ」 

 紘の家に行く前に気になったこと・・・真歩。依然としてバリアはってる真歩にささやく。「親とケンカしたんやろ」 「家出してきてやったわ」 「アホか、家出して塾におったらアカンやろ。どうせしょうもないことで一発やったんやろ?」 「・・・だって前々からずっと」 「ええわ、そんなん。誰も聞かへんで。頭冷やして家に帰るこっちゃな」

 直嗣を呼んだ。「今から病人とこへ往診や」 「え、誰が?」 「紘や」 「紘? 病気ですか?」 「ええわ、頭の悪いオマエに説明してる暇ないわ。あいつにオマエが今やってる国語の文法と三平方のプリント持っていってやるよ。ところでな、中2の真歩が塾に家出してきてるらしいわ」 直嗣、吹き出す。「でな、俺今から出てくからさ、オマエさりげなく様子見とってや」 「わかりました」 直嗣は15日に行われた全国大会で今年も優勝した。去年までは愛嬌はあるものの、甘えん坊で我が儘な一面があった。それがいつしか消えていることにこの時気付いた。「後はオマエに任せた。何かあったら携帯に電話してや」 「はい」 俺は運転席に駆け込みハンドルを握る。それもついつい右手でだ。うめき声が車内に漏れた。

 ノッチンの第二回授業決定!

  講義内容は「脳の働きと記憶術」と「安心の社会と信頼の社会」とのことです。日時は10月30日か31日のいずれかを予定しています。決まり次第HP上で発表します。

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