れいめい塾|25時2001年

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 れいめい塾発 「25時」

2001年1月13日


 元旦の昼、さすがに誰もいない。多分中学生は津の御殿場に初日の出を見に行ったはず。8時頃に塾にもどって帰ったとして今頃はベッドの中で熟睡中か。年賀状を出しがてら娘達を連れてジャスコの初売りへ。手頃なところで済まそうとの魂胆か、駐車場はほぼ満杯。かなり離れた所へ車を駐車することになる。

 初日の出は御殿場海岸で見たという。引率者は高1のほぼ全員。自転車に2人乗りしながら中3ともども塾から4kmほど離れた御殿場までたどり着いた。中3の拓也を高校生達が両手両足を抱えて砂浜を走る。絶叫する拓也の声が静寂のなか響いたという・・・やめてー!!!

 夜は中3が5名ほど、暖房の壊れた教室で勉強している。高校生は佑輔(津高1年)と卓(高田U類1年)の2人。正知(龍谷大学4年)に電話をしてみる。大晦日に顔を出した杉本(三重大学1年)によると内定が一つ出たそうな。「内定が出たらしいやんか」 「まあ・・・でも院の試験も受けるから」 「いつ頃や」 「2月かな、後期試験の後やな」 「そりゃ大変でんな、で受かるんかいな」 「ははは、どやろな」 「ところでさ、金児里絵(7期生)そっちへ行ってへんか」 「・・・なんで」 「家出したらしいわ」 「来てへん来てへん。俺もう関係ないで・・・」 「ホンマ?」 「ホンマやホンマや」 「そうか・・・」

 深夜、佑輔と大森(中3)を家に送って塾に戻ってくると1階に女の子数人の人影。近寄っていくと7期生の女子ども、宮田(津高から神戸薬科、去年より就職)・東(津高から京都産業大、去年より就職)・渡辺(高田高から大阪学院大、去年より就職)・柘植(津東から看護学校へ、2年前から就職)・森(津高から富山薬科大4年)の面々。一瞬、今学生か社会人か混乱しちまう。それほどに久ぶりだった。近況を暖房の壊れた教室で話す。津新町の飲み屋で今まで話し込んでいたという。「今日はほんとによく話したわ」と宮田。聞けば大阪梅田界隈に姉ちゃん共々暮らしているとのこと。渡辺も天六に住みアパレル関係に就職したという。この2人、お互いが近くに住んでいることを今まで知らなかったらしい。「じゃあ、今度俺が大阪に行く時は天六の『春駒』へ行こや!」 そして「遅れましたが・・・」と言いつつ、みんなに今年の年賀状を渡した。去年の受験の時、花衣(津西国際1年)が毎朝塾に来て勉強していたワンシーン、俺の大好きな写真。シャッター越しに眺めながら俺は花衣が合格することを祈りつつ、この光景を抱きしめんと・・・カシャ。そんな写真に目をやりながら亜也がポツリと言った、「うらやましいな」 「なんでや」 「だって、笑って勉強してるもん」 そこには横綱相撲で津高に入学したものの、自分の志望する大学と自分の学力の狭間であがき苦しんだ亜也の受験生活の一端が垣間見えた。「・・・オマエらしい発言だな」

 別れ際、彼女たちに尋ねた。「里絵から連絡行ってねえか」 反応に揺らぎはない。「実はさ、ちょっと前に家出したらしいんや。お母さんから連絡が来てないかって電話があったんや」 皆が怪訝そうに顔を見合わせた。知らないようだった。

 去年の晩夏、はぐれてしまいそうな直哉(12期生・久居高中退)を必死につなぎ止めようとして俺んとこへ連れてきたのは里絵だった。今度は彼女がはぐれようとしていた。 

 2日は岡崎で母方の親族が集う。この日だけ俺は運転手。睡眠時間2時間ほどで一日が始まる。去年の11月に走破した三泊四日の3000kmが奇妙な自信になっている。

 この日、前田(福井工業大学1年)と日比(関西大学1年)が古い塾へ顔を見せたとのこと。そして甚ちゃんも谷君と塾で顔を合わせ『第一旭』のラーメン屋に行ったという。就職1年目の二人、果たして何を話したことやら・・・。

 3日は文香(津東1年)ん所へお年始に行く。文香の親父さんは伊勢市民病院の脳外科のドクター、やっかいなことに俺の高校の先輩でもある。去年は田丸君(松阪中央病院第二内科勤務)ともどもちょっとだけと言いつつ行ったものの完全に飲んだくれてしまった。今年は田丸君に加えて高橋君(三重大医学部4年)を連れていくことにした。訪問時間は2時頃と決めてあったが文香から電話。「お父さんさ、急に手術が入って病院に行ったから、来てもらうのは夕方にしてって」 「・・・そうか、やっぱお医者さんって大変やな」 元旦から山田日赤病院に待機している橋本君がよぎった。正月の伊勢、それも外科・・・今頃はてんてこ舞いだろな。

 高橋君が桑名から電車に乗ってやってくる。しかし夕方からとなったためさっそく日本酒の封を開け高1の教室で飲み始める。男兄弟4人の高橋家、さっそく元旦から家庭マージャンだったとか。長男は慶応の院からサントリーに就職、土産は自社のお酒。高橋君は次男、下には名工大に通う弟と桑名高校1年の末っ子。マージャンの面子はオヤジさんと兄弟上3人。「誰が勝ったんや」 「誰が勝ったということじゃなく、弟の一人負けですね」 やっぱキャリアか、高校在学中にマージャンに狂い1年浪人して三重大医学部に入った兄ちゃんには現役大学生の弟、勝てへんわな。そんな話で盛り上がっているところへ田丸兄がやって来る。「先生、お久しぶりです」 「田丸君、いつの間にか病院変わったんやて」 「ええ、今は松阪中央病院です」 「松阪中央? 俺が2階から酔っぱらって落ちて入院しとった因縁の病院やん」 「でもね先生、変わったと思ったら今度は長島病院に移るんです」 「いつから」 「今月の10日から」 「なんか松阪中央で悪いことやったんとちがうの」 「ははは、なにしろ3カ月ですからね」 電話・・・古野先生の声。「先生、帰ってきたよ。すぐに来てや。飲み始めよや」

 文香の一番下の娘・安佐子ちゃんがやたら俺になついてくれる。去年はずっと背中や膝に身体をあずけてきて大変だった。今年はもう幼稚園だからちったあオシャマになったかと思いきや、ドアを開けた時から「先生、来た〜!」との叫び声とともに抱きつき攻撃が始まる。飲み会でも頻繁に乱入してくる。しかし飲むに従い、かつては体育会系のドクター達、シャツやズボンを脱いだりと、電気を消した中でヒートアップ。そんな時に障子をあける娘、こりゃマズイやと安佐子を抱えて居間のマットで2人してママゴトごっこを始める羽目に。それがどうしたことか、遊びじゃなく俺はホンマに眠ってしまう。古野先生の奥さんに起こされたら静寂・・・「田丸君は?」 「皆帰られましたよ」 結局、奥さんに塾まで送ってもらい1階のバスマットで再び高いびきだったとか。残念ながら記憶にない。深夜起こされ生徒を送ったそうな・・・これもまた記憶にない。一方、高橋君もまた泥酔状態だったとかで到底桑名に帰れるはずもし。古い塾に乱入、「俺を寝かせろー!」と絶叫して寝てしまったという。

 残る一人の田丸君も大変だったそうな。8日となり弟(三重大学医学部4年)が顔を出しその顛末を話してくれた。「兄貴はすごく飲んでましたね。よくこんな状態で帰ってきたなと思ったんですよ。するとね、僕に近寄って来て首をしめるんですよ。そして『ゴメン!』って。僕も突然のことやから『何や、何や、兄貴、何するんや!』って言ったら、兄貴は『ゴメン!ゴメン! 車、駐車場に入れる時にオマエの車にぶつけてしまった!』 もう、まいっちゃいましたよ」 「ははは、そりゃ大変やったや。でも謝るのに相手にチョークスリーパーかけるなんてな」 「ええ、兄貴も『塾で鍛えられたからな無意識のうちに身体が動いたんやな』って言ってましたけど」 「ははは、屈折した愛って言ってよ」

 4日になり、顔色の冴えない前田(早稲田大学院1年)登場。「風邪をひいてしまって正月から今日までずっと寝てました」 「いつ帰ってきたんや」 「元旦、東京から普通電車に乗り継ぎながら帰ってきたんですよ」 「誇らしげに言うなよ。暇だっただけだろ。そや2月27日は泊まるかもしれへんで」 「何か?」 「古西の慶応経済の発表や」 「先生、来るの?」 「ああ、古西が『高2全員連れて来てください』とさ。えらい自信やで、慶応を舐めくさって」 「27日か・・・」 「なんや都合が悪いんかい。さては女か、まだ続いてるんか?」 「違いますよ、旅行に行こかなと思って・・・」 「どこへ?」 「エジプトにでも・・・」 「あ、オマエも人生舐めとる。いつから行くねん?」 「2月10日くらいから・・・」 「すると受験は見に行けんよな」 「でも古西の合格発表までには帰ってきますよ」

 1階では海津(早稲田大学2年)が古西相手に小論文をやっている。

 6日、福井のアキラにデンちゃんの日本史のテキストと立命館対策の英語英語の問題集を併せて宅急便で送った。夕刻となり岐阜の塾関係者が姿を見せる。2002年から始まる中学新課程の情報をいくつか聞き出し資料ももらった。興味深い資料だった、この件については改めて報告する。

 7日、一般には成人式は明日の8日だが地元久居では今日挙行された。昼過ぎには伊藤友紀(皇学館大学2年)と久仁子(鈴鹿医療2年)がやって来る。友紀はもっと着実にバイト料を稼ぐためにと学年12月から洋風居酒屋『たかや』でのバイトをメインにすえた。ゆえにウチには週には1度程度、中3の英語を教えてくれる。しかし昨年まで愛憎混沌として教えた唯一の弟子・飯田隆哉(津西2年)の数学は高橋君が担当することになった。シャナリシャナリと3階の教室に入ってきた友紀、なにしろタッパがある。威風堂々・・・教室の片隅に怯える子羊のような目をした橋本(高田U類1年)。友紀が去年の今頃、英語でシゴキ倒していたから無理もない? 友紀が橋本に叫ぶ。「あんた! 何か言うことあるでしょ」 「はあ・・・お久しぶりです」 「んもう! 違う!」 「・・・」 「もう! 『きれいですね』とか『お似合いですね』とか・・・あるやろ!」 「き、き、きれいですね」 「遅い! 橋本、ちゃんと英語やってる?」 「はあ、なんとか」 俺が口を挟む。「英語はまだまだショッパいけどな。数学の全国統一で高田U類でトップになったで」 「すごいやん、橋本。え、じゃあ卓は?」 卓は前回の統一で1位だった。「卓は2位や」 「うわー! 頑張ってるやん、橋本。お姉さんはうれしいよ」 くしゃくしゃな顔して笑うものの橋本の目から恐怖の色は去らない。「下に隆哉はおったか?」 「うん、高橋先輩が数学の授業してたわ」 「じゃあ、ここは懐かしい師弟タッグで写真撮ろや」 そして俺と晴れ着のお嬢ちゃん達は1階の教室へと入っていった。隆哉の姿がない。仁志(津西2年)に聞いた。「隆哉は?」 仁志、笑いをこらえながら「帰ったよ」 横の晴れ着から叫び声があがる。「隆哉の奴、逃げやがったな!」 

 キユーピーに就職が決まった長野泰紀(滋賀大学4年)に電話する。「まだ女とは続いてるんか」 「はい、続いてます」 「ええね、あんたは幸せで」 「何かあったんですか」 「別に、まあ・・・成人式やけど小瀬古は来んかいなと」 「また何かやったんですか」 「好きなんやけどな・・・」 「亜也ちゃんみたいなもんですか?」 「ああ、そういや亜也たち元旦の日に来たよ。元気そうだったで」 「いやあ一度会ってみたいですね」 「俺はオマエの女に会ってみたいよ」 「いや、それは・・・ははは」 「東京だろ、研修は?」 「ええ、連れていく気でいるんですけどね」 「2月に正知の院試が終わったら2人でオマエの彼女見学ツアーでもやらかすよ」

 8日、亮子(同志社女子短期大学2年)と田川舞(滋賀大学2年)の嬉野グループが姿を見せた。嬉しい反面、俺は心のどこかで落胆してる・・・やはり小瀬古(新潟大学1年)は来ないか。さっそく舞がジャブをくりだす。「先生、美穂ちゃん(小瀬古)と何かあったんやろ?」 「何もねえよ!」 「でも、私も聞いたわ、それ」と亮子。「愛情を注いだ女にゃ捨てられる運命にあるんだよ、俺は!」

 昔の話で盛り上がる。舞が言う、「すごかったもんな、ウチらのクラス。美穂ちゃんとタカス(川井・埼玉大学2年)と私達がおってさ、ウチの塾の生徒ばっかりひとつのクラスにおるんやもん」 「あれ多分、隔離されたんやわ」と亮子。「嬉野中でウチの塾が決定的に評判を落としたのはオマエらのせいやで」 「なんで」 「あの時、学年順位1位が美穂で2位がタカスで3位が舞や。そいつらが全員授業中も平気で寝てたやろ。先生も頭に来るやろ!」 「そうそう、みんな寝てるの。タカスなんて先生が起こしたら逆ギレして怒ってんの。でもタカス、塾では絶対眠れへん、あいつズルイわ」 「そういう問題じゃねえだろ」

 亮子は編入試験に落ちて、さりとて就職シーズンも終わっていることから短期ながらも春からオーストラリアに留学するという。舞はキャンパスで一度だけ長野に会ったそうな。「先輩、メチャ痩せてましたよ」 「彼女は見た?」 「いえ、でも長野先輩の彼女って見てみたいわ」 「今度、正知と2人で長野の彼女ご対面ツアーするつもりや。その時いっしょに拝もや」

 亮子と舞が来たことを奥さんに話した。「そう・・・でも、美穂ちゃん来てくれなかったの。残念ね、でも愛情を注いだ女の人に捨てられるんなら、私がまだ逃げださずにここにいるということは愛情を注がれていないということよね」 俺はさりげなく本を手に取り読み始めた・・・希望の国のエクソダス(村上龍)。

 海津が東京へ帰る前に挨拶にやってきた。海津はここ1週間ほど古西に最後の授業をしてくれた。夏の時に比べると海津は格段と厳しい口調で古西を叱咤していたように思う。「どう思う」 「土壇場に来てちょっとは変わるきっかけができたなと」 「どういう意味や」 「今までは僕や先生がどれだけ言っても、BBSであれだけけなされても今イチ分かってなかったと思うんですよ。それがやっと、書き手の知識と書く内容に整合性のある文章を読んでみたいと言い出しまして・・・」 「あとは・・・神頼みかな」 「それで先生、27日は東京へ?」 「ああ、高2の希望者を連れてな・・・。まあ、中井(津東2年)は出席日数が足らんからアカンけどな」 「その日はどうするんです?」 「わからんな、どっかに泊まるか、三重にもどるか・・・」 「うちの下宿、3人までならなんとか」 「ありがたい。俺は都合さえ許せば越知にも会いたいしな」

 9日、各学校で始業式。しかし津高では前期後期制なのでこの日は単なる休日開けという扱い。さっそく休み明けの試験が待っている。このあたりが津高の辛いとこ、他の学校も試験はあるものの翌日から開始。この1日のラグが夏休み・冬休み前後で徐々に積み重なっていく。生徒には泣きだが教える側からすればメリットは大きい。津高の進路を「どうすればあんなに速く進められるのか」と、0限7限実施の鈴鹿の先生方を驚嘆させることになる。

 高橋君が手持ちぶさたで塾内をブラブラしている。「授業は?」 「いやあ中止になりました」 「なんで?」 「津西が明日から修学旅行なんですね。でも前日であろうと授業はしてやる!と思ってたら隆哉が来ませんでした」

 ホームページ上に「12期生受験情報」として高3の受験校を載せた。重複するがここにも書いておく。

 古西  (津高)  慶応大学・上智大学・明治大学

 波多野 (三重)  明治大学・法政大学・中京大学

 今井  (鈴鹿)  早稲田大学・上智大学・立教大学

 阿部  (津高)  名古屋工業大学・立命館大学・関西大学

 寺田  (津西)  東京工業大学・慶応大学・東京理科大学

 アキラ (北陸)  立命館大学・関西大学

 翌10日、津西の2年が修学旅行に旅立った。時節柄スキー?ではない、沖縄だ。実は昨年秋に決まっていた修学旅行、当日になり那覇空港で起こったトラブルのため伊丹空港で6時間も待たされたあげく中止が決定。中止か延期か揉め続け、やっと1月のこの日に延期となった次第。今の時期だとさすがに泳げないだろうが、大学受験センターまであと1年、いいケジメになればと思う。各教科学年最下位周辺が定位置となった隆哉のラスト1年での巻き返し、可能かどうか? 帰省次第センターを見据えた英語の試験に入るつもり。そして3月の全国大会出場を決めた津西ソフトボール部キャプテン・仁志。その重責からか?成績は下がりぎみ。大学推薦を目論むチームメイトを横目に正面突破を期する1年となる。

 古西がBBSに不定期で掲載している「小論文10番勝負」の3つ目の作品を持ってきた。読んだ感想・・・露骨に非難されるであろう箇所は省略してきた匂いがする。

 11日深夜2時9分、佑輔・卓・允の高1に大森・菊山・直嗣の中3を送っていくことに。順番を決めるのはジャンケン。勝ったのは佑輔、こ奴こんな時には異常な強さを発揮する。これでルートは津ヨットハーバー近くの佑輔スタートで卓・允の雲出地区。そして23号を南下して三雲から直嗣の嬉野の島田へ。時刻は2時43分、嬉野インターから高速で12kmすっ飛ばし津インターから西郊の大森・菊山んとこへ。直嗣・大森間を11分。惜しかった、次は10分を切るようにしよう・・・。 

 12日深夜、紀平(南山大学3年)が「焼肉が食べてえ!」と絶叫しながらB・ブローディさながらの登場。まず高校生を、それから中3の津グループを俺、直嗣を紀平が分担して送る。紀平は嬉野の荒野?で道に迷い、搭載のナビ様神様でどうにかこうにか塾に戻ってくる。午前2時・・・紀平お気に入りの焼肉屋『きじま』はこの時間からでは無理と、三雲の24時間営業のドライブインに。去年新装したばかりの店内の清潔感あふれるテーブルにぎこちなく腰を下ろす。そしてリクルートカットに決めた?紀平と就職についてグダグダ話す。時刻は午前6時、新しい一日を始めたばかりの人達で席が埋まり始めた。

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