2000年25時れいめい塾

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2000年6月18日


 6月8日、鈴鹿高校の説明会があった。6年制中学の説明会はずっと前からあるが、高校の説明会は去年が初めての開催。ここ最近鈴鹿高校の大学実績が上がってきたのは事実。去年は3類から京都大学に合格させた。その自信が去年初の高校の説明会に踏み切らせたのだろう。そして今年、鈴鹿高校は念願であった国公立合格者100名を越えた。ウチの塾にしても鈴鹿の3類を高田2類よりも上ととらえている。6年制のおこぼれで推薦を連発する高田高校より鈴鹿高校のほうが遙かにマシ、教える側の努力がよく見える。ただこの地区からだと通学が1時間を超えることや、0限授業に7限授業という1日8限授業を生徒たちがどうとらえるか?というのが高田2類との選別の岐路となる。そして結果としては高田2類に進学する生徒が多いというのが現状。

 説明会のなかで興味を引いたのが1類からも大学進学者が数多くでているということ。1人だけ公立(三重県立看護)で後は私立大学だが・・・。かつて3期生の熱田・兄が鈴鹿1類から龍谷大学に合格した頃、大学進学者はクラスでただ一人、熱田だけだったことを思うとそれなりの感慨はある。3類は今年もまた京都大学を出し、さらに半数からの生徒が国公立大学に合格した。確かに教える側は頑張っている。

 全国統一模試の成績が棒グラフで示される。今回高田6年制が不参加だったため鈴鹿6年制が県内トップ。しかし総合ではトップだが脇の教科で点を稼いだ観が強い。主要3教科が弱い。とくに英語では津高の後塵を拝している。ここ最近、鈴鹿高校6年制の英語の実力はお寒い限りだ。今年の高3はそこそこいっているが来年、つまり今の高2が怖い。今の高2の英語は6年制のそれじゃない。英語担当教師の奮起を期待したい。

 中間試験の結果が出揃った。

   中1   5教科総合432点(公立中学のみ)

   中2   5教科総合398点

   中3   5教科総合418点

 今回の中間試験で一番テンションが高かったのは中1である。やっぱり中学入学後一発目の試験ということでプレッシャーもあったのだろう。しかし中3にはそれほどの緊迫感を感じることはなかった。こりゃ問題だよ。ぬるい点数が並んでいる。期末はピシッと決めてほしいや。

 6月13日、久しぶりに甚ちゃんが塾に姿を見せる。「先生、別になんてことないんですが飲みに行きませんか?」 「やっかいな誘い方やな?」と言いつつ俺の頭の中では仕事の悩みかな?なんどと想像しつつ快諾。ただ津高が中間試験に突入している。後藤佑輔を送ってかなくっちゃならない。佑輔に「2時頃でもいいか?」と水を向けると「かまいませんよ」とのこと。本当に久しぶりに焼肉屋『きじま』に顔を出す。0時を回っていることや、季節がらもあるのだろう、閑散とした店内で客は俺達2人だけ。「ボトルある?」と店員に聞くとまだ残っているという。埃のかぶった焼酎「トライアングル」が運ばれてくる。グラスに焼酎を注ぎながら甚ちゃんが言う。「4月以降毎日教壇に立っているんですが、僕の教え方は進歩してない気がするんです。生徒たちからのアンケートでも『しゃべり方が速すぎる』とか『タメとか間がないから分かりにくい』とか言われまして」 「すぐには上達せんやろけど、授業なんてやってけばうまくなってくで」 「でもあとひと月もしたら夏季講習が始まります。なんとかそれまでには自分の授業のスタイルを確立したいんですけど・・・」 

 14日、スラム街のベッドでうつらうつらしていると電話。なんと開明学院の永橋学長、甚ちゃんもしかしたら昨夜のこと言ったんかいな? 内容は教材についての問い合わせだったが俺は昨夜、甚ちゃんと飲んだネタをふってみた。「そうか、甚野君、そんなことで悩んでいるんだね」 「まあ、ただでさえウチの塾で講師やってたことでプレッシャーかかってるみたいですから」 「でもさ、入社そうそうの若手に自分のスタイルの確立なんて僕は望んでないけどな」 「やっぱ、夏季講習で完璧な授業をしなければ、という思いが強いようですね」 「授業なんてさ、やってれば上達していくよ。去年入社したなかでも全然マトモな授業できなかった者が1年経ったら驚くほどに上手くなったんさ。1年もあれば見違えるほどになるよね。大切なのはさ、子供たちとどう向き合うかだよ。ウチにもね、学校を退職して来てもらった人もいたんだけど生徒たちが分からないなんて言うと、僕はしっかりした授業をしているって。授業が分からないのは生徒が悪い、そんなふうに先生のキャリアを持つ人は言うね。塾は学校と違うんさ。教師にとっていい授業なんてどうだっていい、大事なのは生徒たちにとっていい授業とは何か?なんだよ」 「確かにそうですよね。でも、甚ちゃんの悩みを聞いててなんか新鮮でしたね。俺も昔はこんなに悩んでたんだろうなって」 「そうだよね、前向きな悩みは大いに悩んでもらって結構です。まあ、また甚野が相談に行ったら時間を割いてやってください」

 15日、久居高校を退学した金児直哉に里絵が連絡をつけ,2人ともども塾に現れた。時刻は9時、俺は中2の授業を手短に終え「高校中退した先輩と会うから」と言って塾を抜け出した。場所は最近の定番IZIRINMA。『よし川』でもよかったが直哉が刺身などの生物がダメなので洋風、しかし酒がからっきしなのではおもしろくない。ほぼ1年半ぶりの直哉は唇にピアスをして髪の毛は見事な茶髪、ウーロン茶を注文したきり押し黙っている。「バイトしてるって聞いたけど」と俺。「やめた」 「じゃあ毎日が日曜日ってか」 「まあ」 「でも久居高校の体育祭にもぐりこんだって聞いたで」 一瞬口元が緩んだ。「ネタの出先は1年後輩のアキちゃんや」 「ああ」 アキちゃんの話では直哉は学生服をダチから借りて忍び込んだとか。「まだ高校に未練があるんかいな」 これには返答なし。「で、毎日何やってんねん」 「ゴロゴロ」 「友達とか」 「うん」 「同じような境遇の」 「うん」 「やはり久居高校を退学になったクチか」 「いや、高校は違うけど・・・、友達のライブで知り合った」 「起きる時間は昼頃か」 「うん」 「夜は何してんねん」 「友達が遊びに来るから、さっき言った友達」 「で、何してんねん」 「ゲームとか、ダベったり、バイクで走ったり」 「おもろいか」 「・・・うん」 「退屈だろ」 「・・・まあ」 「で、これからどうするねん」 「来年、夢学園を受ける」 「やっぱ高校だけは卒業するってか」 「うん」 「将来、何かになりたいってある?」 「・・・整備士」 「整備士もさ、最近では営業にまわされてるよ。営業する覚悟はあるんか」 「営業はしたくない」 「夢学園を卒業して就職か」 「専門学校へ行ければ」 「高山かトヨタ系列のか」 「うん」 会うまではいろいろと聞きたいことがあったはずなのに、たかだか30分ほどでネタを尽きたようだ。この日はたまたまライブが開かれていた。客はまばらで俺たちは一曲終わる度に拍手をしないと避難されそうな雰囲気のなかで冷え切った会話をポツポツと続けた。金児里絵が直哉に聞いた。「ナオ、あんた、塾をやめてから更正したと思う?」 里絵はウチのHPに目を通しているようだった。更正・・・久居高校の先生が直哉に言った台詞。しばらくして直哉が答えた。「悪くなったな・・・」 聞きたくないことを聞いてしまった後ろめたさから俺はステージで演奏している2人組に視線を移した。

 高3の第一回全国統一模試が返却されてきた。成績は以下のごとし。

     英語 数学 国語 化学 物理  日本史 地理

古西   74.5  59.9  62,7

阿部   50.4  59.2  61.3  46.5  51.4       45.3

寺田   55.6  67.4  50.3  58.1  62.1       54.6

今井   63.0      55.8          59.6 

波多野 52.7      39.7          56.8

 まずは本題からははずれる面々の成績。阿部(津高)の志望は名古屋大学、しかし古い塾に入ってから緊迫感がなくなったと講師たちがつぶやく。反省すべきだろう。寺田(津西)は中学生の時からウチで過ごすもののウチの暑苦しさはない。淡々と勉強するこ奴のスタイルに古い塾は合っているようだ。ただ、やっかいなことに志望大学が神戸大。ここは理系バカはいらない!と公言するように工学部なれど国語の配点が数学の4倍という理系バカにとっては恐怖の館。十分理系バカの寺田、筑波ならC判定出てるのに神戸で勝負ってか。

 ご父兄からよくくる質問、津と津西の格差について簡単に説明しておく。まず俺の中勢地区七不思議の筆頭・・・『なぜ津西は入学時には津高と遜色がないのに高3になるとこうも差を付けられるんかいな?』 やっかいなのは津西の場合、学年が進むごとに全国偏差値が落ちていくってこと。そして高3にもなれば終着駅、主要3教科総合で全国平均を下回る展開がここ数年続いている。つまり全国の進学校のなか、津西は半分よりも下ってことになる。ところが今年の高3、近年になくなかなか英語が良かった(それでも全国平均で52あたり)こともあり、かろうじて全国平均を上回った。しかし数学と国語は全国平均以下。ウチの講師の小田君(数学担当)が2年前「津西の進路は速いんですが、大事なところにかける時間が十分ではない。あの速いだけの進路では一部の優秀な生徒はともかく、ほとんどの連中は実力がつかないでしょう」と看破したことが現実のものとなった。英語もまた高1からターゲット1900(今年はレベルの高さに懲りたのかNAVIを使用)を使用。試験の度に100単語ずつ試験をしているもののフィードバックを考慮しないカリキュラム。夏休みには高1で未習範囲の文法事項を含む英文を訳させる。試験ともなれば日本語訳を暗記するだけだろう。つまりはその時だけ覚えてそれっきりのテストが延々と続く。そして偏差値は落ちていく。教師側の工夫が全く見られない。こんな体制じゃ、津高との差はますます開くばかり。学年が進むにつれて実力が落ちていく・・・これが私立なら教師の責任問題、スタッフ刷新などでなんらかの方策を講じるのだろうが、公立の限界?またぞろ「公立高校は義務教育ではない」との錦の御旗、振りかざすつもりかいな。しかし国や文部省あげて高校全入を掲げている以上は公立高校も今や民営化の時代。お客さんにサービスせんだら生き残れへんで。あげく今年から単位制への移行・・・「なにしろ1年目、失敗するか?成功するか?」なんぞとの発言が教師から聞かれるようでは戦略は無きに等しい。単位制が未開の地ならばともかく、ファッション感覚で今じゃどこでもやってるじゃん。失敗例と成功例も多々ある以上は馬券を買うノリで単位制なんぞという諸刃の刃を振り上げるのは無責任極まりない。このままじゃ一部の成績優秀者とその他大勢という久居高に追従していくんじゃないか?

 そして今回の本題となる文系。古西(津高)の志望は慶応大・経済である。ここは英語と数学に小論文という変則教科がポイント。古西の判定はA判定。英語に関しては確かに去年から下級学年とのせめぎ合いで真の実力を付けたといえる。数学もまた慶応の問題ならこの半年で仕上げてくるだろう。しかし残る小論文が問題。関関同立を落ちても慶応に合格する生徒がいる。小論文の出来が良かったのだろう。この小論文が古西のアキレス腱となっている。ウチの塾で小論文に秀でている奴としては鼻谷と海津がいる。ともに予備校の先生が「小論文に関しては教えることはない」と断言した過去を持つ。しかし鼻谷は社会人だからダメ、その点海津は大学生(早稲田)だから都合がいいわけだが、やっかいなことに古西は海津と肌が合わない。一言で言えば学者タイプの海津と野武士タイプの古西ってな比喩かな。ここは自分の人生の最大の岐路ということで教えを請えばいいのだが、ネタを振っても乗ってこない。「しょうもないプライドやな」と苦虫を噛みつぶしていたところにBBSである。ファイティング志摩がふっかけてきたディベイトにウマイ具合に乗ったまではよかった。しかしZ会に問題を送っているようなチンタラした展開。A判定に気を良くしているのか、古い塾で惰眠を貪っている風情。波多野(三重A)もまた一回書いたっきりでお茶を濁している。波多野の場合、こと国語に関しては成績にあるように付ける薬がない。チマチマと問題集なんぞをやっているが、ここ1年間状況は変わらない。結局は受け身の勉強、それが限界に来ている。このままだと志望大学の明治大学なんて夢のまた夢。意識を変換する必要がある。それが「文章を書く」という行為。つまりは問題を解くという受け身の国語からの脱却、「読み手」から「書き手」へと自分の立場を変えることで、何かが生まれてこないだろうか?という淡いといえば淡い期待。残された時間は約半年・・・しかし現状では他にこれといった方法がない。つまりは波多野もBBSというオクタゴンへ放り込んだつもりだった。しかし一発やられてからは無言を決め込んでいる。他には今井(鈴鹿6年制)も参加したわけだが、こ奴の場合は1年前に入塾した段階で英語が腐っていた。志望は早稲田大学、しかし6年制なれど英語ができへんクラスに在籍していた。ゆえにこの1年間英語中心でやってきた。50あたりをさまよっていた偏差値もようやく60の壁を突破、校内順位もいつしか38番にまでなった。しかしそんな英語中心の勉強の反動からか国語が下降気味。が、BBSの文でも分かるように地力はある。今井に古西や波多野ほどの危機感はなかった。予想外に健闘したのが高2のアキちゃん、前後3回もの作品を提出。本人も楽しんでやっているようだ。アキちゃんの志望大学は早稲田、しかし当初はナチュラルな国語力に疑問を感じ早稲田でも教育か商学で勝負しようと考えていた。これが3回もの作品を見ていると上達していくのが分かる。今の学年を考えれば、今年小論文でしごいたら文学部(小論文あり)でも勝負できるんじゃないか?とほくそ笑む次第。しかし肝心なのは高3の古西と波多野、古い塾を使わせるということは勝手気ままに勉強すことじゃない。それじゃダメなんだ!ってことが上の学年を見てきて分かっているはず・・・しかし自分たちが古い塾の住人になっちまうと甘くなる。自分が見えない。俺はここ2年ほど、こんな馬鹿ばっか相手にしている気がする。

 大学受験は大人の受験である・・・俺はよく言う。受験を川を渡るのに例えて話す。高校受験はみんなの手を引いて渡る。危険な場所や深みがあると俺が言う。「そこんとこ危ないで」 ウチの塾は他の塾に比べて指示や強制ということは少なく、各生徒に課題を出したり計画を立てさせたりして、なんとか自主性を持たせたいと願っているのは事実である。そんな風景を見学に来られる塾の先生たちも数多くいる。しかしやはり俺の頭の中のイメージとしては、生徒たちの手を取って川を渡っている。つまりは高校受験、子供の受験。しかし大学受験は違う。各自が自分の将来の夢を叶えるために志望大学を決める。そして志望大学の傾向を探り、自分なりの対応策を立て、カリキュラムを組む。それまでの喧噪と猥雑な空間から遮断するため、静寂を与えるために古い塾という空間を与える。高校生たちに全てを自己管理させたい・・・これがウチの古い塾の存在基盤となっている。それがここ最近揺らいできている。自分に対して厳しくなれない、自由ないさせると甘い線引きをしてしまう。あげく滅多に古い塾に行かない俺に向かって「先生に見捨てられた」という女子生徒たち。さすがに男だけの今年はそんな泣きは入ってこない。しかし俺が狙いとしていることが読めていない。ゆえに言っちまったわけだ。「古い塾は潰すぞ、夏休みに引っ越しや」

 6月16日の中日新聞の発言の欄に「17歳の犯罪を17歳はこう考える」という特集が組まれた。ここに掲載された作品は愛知県の長久手高校の生徒たちが政治経済の授業のなかで書いたという。決して進学校として名を馳せている高校ではなく普通の高校の高3の作品が並ぶ。編集部内で多少の添削が行われたことを差し引いたとしても、自分たちの考えを素直に表現しているいい作文。小論文とか作文とかの出来不出来は高校格差に関係がないというのが俺の持論。これらの作品とウチの生徒たちの作品とを見比べると雲泥の差。「これで慶応で勝負するってか」とつぶやきながらタバコの紫煙を流れる様を眺めていると甚ちゃんが登場。「先生、昨日の中日新聞見ましたか」 「隅から隅までね」 そんなところへ古西がやって来て作文を書いたとのこと。後から今井と波多野もやって来ては作文を書き出す。佑輔とあすかチャンを家に送る時間でもあり、古西に「パソコンに打ち込んどいてや」と言いつつ2人を送る。久居からヨットハーバーまでを周遊して塾にもどり、古西が打ったBBSの作文に目を通す。「最低やな!」 俺は思わずつぶやいてしまう。「そうでしょ? 一体、あいつは何を考えて書いているんや!」と甚ちゃん。歴史の教科書からでも引用したのだろう、取るに足らない下手クソな歴史の講義が続く。そして結論らしきものとすれば、最後の1行?日本は貿易を盛んにしましょう!でおしまい。俺は一瞬BBSに掲載するか削除するか悩んだ。塾の恥を晒すような内容の作文・・・栃木から九州までいろんな塾の先生の顔がよぎった。でも古西の次回に賭けよう・・・俺はBBSの掲載キーを押した。『れいめいをなめんなよ!・・・とくに俺をね』という、とりあえず威勢だけはいいタイトルが画像に浮かび上がった。

 翌日、ファイティング志摩より電話。「中山先生、中日新聞見た?」 「頭痛いわ、ウチのアホどもにコピーして渡しておきましたよ」 「ところでBBSですけど、これからの方向性を聞こうかなと思って電話したんですわ」 そろそろ正体を明かしてもいいだろう。ファイティング志摩とは南勢地区の塾の先生である。年齢は俺より若いが見識の高さ、文章力など俺なんぞ足下にも及ばない。去年の全県模試2回で勝負、ウチの中3にとり初の黒星を食らわされた。しかし4回ではウチが極差で勝ち1勝1敗のタイ。南勢地区では有数の進学塾である。英検1級を持ち、大学時代に英語でのディベイトに没頭する。現在は深夜ネット上をさまよい、そのツテで知り合った人と国語に関する著作をポプラ社などから出版している。「古西君から『俺をなめんな』って来られてうれしかったわ」 「でも、他のBBSでもディベイトやってて大変でしょ」 「いやあ、昼は仕事、夜はネット。楽しみでやってるさかい。大学のときにね、ディベイトやっててプレパレーション、つまりディベイトの準備やってるときにいろんな資料を集める。それまで知らんかったジャンル、ほんまに自衛隊なんか全然知らんかった。それでも自分のディベイト内容に合わせて都合のいい情報をいろんなとこから寄せ集める。限られた時間内に膨大な資料を読んでいく。他人の論説に自分なりのエッセンスをくっつけていく。このプロセスがたまらんかったわ。れいめい塾の高校生の諸君に短時間である特定のジャンルのエッセンスを味わう経験を積んでほしいな。哲学書読め!なんて言われても普段やったら絶対に読む気せん。でも何か目的があったら驚くほど短時間でそれなりの知識を習得できる・・・。古西君は経済で来た。僕も今経済学をチョコチョコ勉強してる。その意味で今回の古西君への返答、その成果を出してみようかなと。添削ばっかやとのヤジもあるしね、自分なりの意見を書きますわ」 「感謝します。でもBBSへの出稿時間、深夜の3時4時ばっかでしょ? 大丈夫ですか。ご自分の仕事を中心にして参加してくださいよ」 「いえいえ、これがまた僕にとっても充実した毎日になっているんですから」

 この日の深夜、さっそくファイティング志摩から返答が届いた。

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