2000年25時れいめい塾

れいめい塾 発 「25時」

2000年7月10日号

 前回の「25時」は反響が多かった。「メイちゃん、よかったですね」とか「塾の先生でも自分の娘のことで悩むんですね」など・・・。

 追伸かたがた、その後のメイの話だ。不思議なことに比のテストでなぜか98点取ってきたがった。やっきになって教えたつもりはない。ただ、何度も同じプリントを自分でコピーしてはやってる姿が目についた。「アホはアホなりに、算数苦手は苦手なりに少しは勉強方法を工夫したんかいな?」 来週にレイとメイの参観がある。ストレスが溜まったはず、これが小学校のほうではどんな変化があったのか? そしてメイに付きっきりの父親を眺めていたレイに変化はあったのか? そのあたりの風のそよぎを担任の先生に尋ねてみたい。つまりは俺も十分に親バカやで。

 鈴鹿中央病院第二内科に勤務する北野君が姿を見せる。7月から松阪市民病院に移った挨拶である。熊のような体躯を縮めては、パソコンでウチのHPを覗き込み大ハシャギ。こんな光景、とうてい医師には見えない。あげく自分のキャラクター紹介の間違いを指摘する。「先生、僕の父が亡くなったのは小6の時じゃなくて小5の時ですよ」 北野君が松阪市民、橋本君と中西君が山田日赤、田丸君が伊勢市民・・・近々、伊勢あたりで飲むことを約束して別れた。

 河合塾で浪人生活を送っている佐藤から連絡がある。全国統一模試の第一回マークの成績の報告がてらだ。佐藤の志望は獣医学科、大阪府立の狙っている。とりあえずはA判定だとか。「当たり前やよな、浪人がこの時期にA判定で出えへんだらずっと出んわ」 「でも記述模試のデキが良くなかった」 「アホ! 浪人が記述でアカンでどないするねん!」 「そうなんやけど・・・」 「浪人が弱気になるなよ。ウチの高3に負けちまうぞ!」 「みんな頑張ってる?」 「そこそこにはな」 「古西(津高)は?」 「古西は文系だろうが! まあ、慶応でA判定出してたようだけどな。英語の偏差値74,5だぞ!」 「うわ、負けた。スゴイな・・・」 「バカ!負けるな。浪人が現役に感心すんじゃねえ!」 「他は?」  「理系やったら寺田(津西)が神戸はC判定やけど筑波でA出してるわ!」 「阿部(津高)は?」 「阿部は自分に甘いからな・・・定番の名古屋E!」 「波多野(三重A)や今井は?」 「波多野は日本史・英語はともかく国語で死んでる。今井はそこそこいいんやけど早稲田の判定Eの嵐や」 「今井は塾に馴染めんだみたいやけど今は慣れたかな?」 

 今井(鈴鹿6年制6年)は高2になると同時にウチの塾に入った。しかし生え抜きが強いウチの塾は、新入生にとっては居辛い空間。当時高2の面々と同じ空間で勉強するのに耐えかね?古い塾で勉強する姿がよく見られた。当時の古い塾の住人である杉本などは今井のことを心配してはよく俺に言ったものだ。「今のままでは今井君、かわいそうよ」 「そんな心配する暇があったら自分の勉強したら?」 俺は優しい先輩の心配を揶揄してみせた。高校生にもなって「みんなが冷たくするから勉強できません」なんて弱音を吐くような奴はいらない。それがイヤなら縁がなかったのさ。今年に入り今井が1週間ほど塾を休んだ。「やっぱ、無理だったのかな」と一人ごちた。しばらくして塾に姿を見せた今井は心なしかやつれていた。「やっと終わりました・・・」 「何が?」 「え、先生ご存じじゃなかったんですか」 「何かあったんか」 「実は父が亡くなりまして・・・」 「え!」 「葬式やなんかでバタバタしてて・・・」 「そうやったんか・・・」 今井が塾の雰囲気に耐えかねてやめたんじゃねえか?と勘ぐっていた自分を恥じた。「で、受験のほうはどうするんや?」 「受けます。親も僕が大学に行くために積み立てしててくれたみたいで」 「そうか、で塾のほうは?」 「受験までお世話になります」 「・・・じゃあ、オヤッサンの弔いや。パアッといこや。早稲田でどや?」 「え・・・」 今井の取り柄といえば現代文読解に秀でていたくらいか。小さいときから読書好きってタイプだ。ただ、これは大学受験では最強の武器となる。他の教科は努力が実る。しかし国語は実る保証はない。今井の英語はというと、鈴鹿6年制では英語のできないクラスに在籍していた。しかし教えてみると1文1文を納得するまで聞いてくる姿勢が買えた。このままいきゃ必ず伸びるはず。後は日本史、これは早稲田と立命館を十八番としているDENチャンの薫陶を受けりゃ可能性はある。それまでの今井の志望大学は法政や明治学院あたり。父親を亡くしたダメージを何かで払拭したい。全てを忘れて没頭できる対象、それが早稲田だった。その頃の今井の偏差値では全く話にならなかった。しかし国語の基本ができている以上、チャンスはあるはず。「早稲田ですか・・・」 今井がつぶやいた。「早稲田やったら不服か」 「いえ、そんな・・・でも、僕なんかが受かるでしょうか?」 「チャンスはあるさ。国語ができる」 「英語はどうするんですか?」 「やりゃ上がる」 「日本史は?」 「日本史こそやりゃ上がるだろ」 「早稲田か・・・合格するでしょうか?」 「そりゃ分からんわ。でもやりゃ何かが見えてくるだろ」 「・・・わかりました。頑張ってみます」 塾の階段を下りていく今井を眺めながら心の中でつぶやいた。「受験生は所詮一人や・・・」  

 今井は3年になり、やっと英語の偏差値を60台に乗せてきた。鈴鹿6年制160名のなかで半分以下だった順位も34番にまでなった。しかし早稲田の判定では各学部で軒並みEが並んでいた。

 ウチの塾で日本史を教えているDENちゃんが9日に大阪でライブをする。社会人とロッカーの狭間で悩む小林(5期生)とは違うスタンスで45歳の現在まで年に1度のサイクルでライブをこなしてきた。その息の長さには正直舌を巻く。去年行けなかったこともあり、今年は観にいくつもりだ。7期生の藤田正知(龍谷大4年)も来阪予定。ついでに就職状況、といってもこ奴の場合は公務員試験の真っ只中、試験の出来具合を聞くつもりだった。後は前回と同じ面々、裕美ちゃんに中村、日比、宮口といったところか。

 4日、今年就職(松下電器)した5期生の菊山に眠っていたところを起こされた。時刻は正午過ぎ。なにしろ連日、夏季講習のプリントを古いワープロからパソコンへ打ち直す作業に追われている。眠るのは完全な朝。「なんや、オマエ」 「実は研修で津の『パル長谷川』におるんさ。今日は久しぶりの休みでね」 早速奥さんを呼びだして3人で飯を食った。盆休みまではこちらで研修が続くという。話のなか、塾では1年後輩となる谷の話が出た。山形大工学部を卒業して地元就職したものの、毎日のように10時頃まで仕事が続く。週末には必ず塾に姿を見せる谷、その会話の中で多少のグチめいたセリフが口をついて出た。「帰ったら風呂に入ってすぐに寝る生活、自分の時間がない・・・」 この話をすると菊山が即座に反応した。「ウチもさ、配属された部署によっては大変や。俺は電子レンジやで暇なほうやったけど、携帯電話で研修受けてる同期の連中、午前様がほとんど毎日、午前2時を過ぎることもあるって。まあ一生続くんやったら考えやなアカンけど今のうちは仕方ないんとちがう。まあ、谷には頑張るように言っといてよ」

 5日、菊山と同期の山田智子が姿を見せた。現在、セキスイハイムに勤めているが結婚が決まったそうな。ちなみに4月25日号で花婿をケーキまるけにした話を書いたが、智ちゃんは公則の姉である。阿鼻叫喚の弟の結婚式に懲りないのか、「先生、結婚式に来てな」 「あのさ、アンタの旦那の意向もあるだろうが」 「いいの、彼もちゃんとビデオ見たから」 「そうでっか。それじゃ、亭主の合意も得たことだし、公則んときのノリで結婚式に乗り込むよ」 智ちゃんすかさず顔色変えて叫んだ。「ケーキ投げしたらアカンよ!」

 高3の第一回記述模試が返却されてきた。寺田(津西)の成績(偏差値)から・・・。

 英語 53.6  数学 63.3  物理 51.7  化学 53.7

 この成績、津西理系198人中12番である。「ピンとこんな、こんな成績。ぬるい偏差値やな」 無口な寺田が微笑む。隣のコンピューターの部屋では高橋君(三重大医学部)が化学のプリントをパソコンに打ち込んでいる。3人して夏休みの相談が始まる。高橋君は高3の数学と化学の担当をしているウチの今年の理系の要だ。寺田の場合、数学は合格としても得意なはずの物理・化学が今一歩、この夏の仕上がりが趨勢を分ける。

 津西の平均が全教科全国平均を下回った。前回のマーク模試では英語が平均以上だったが、今回はわずかだが平均を切っている。数学はかなり下回り、1年から恐ろしいほどの勢いで進んでいる化学もかなり下回っている。ホンマに問題なんや! 津西の教師陣の意見を聞いてみたい。普通の私立高校やったら責任問題。入学時に明確な実力差が津高との間にあるならともかく、それほどの差がないところからスタートして高3になる頃には途方もないくらいに差が開く。今回の得点(英語&数学は200点満点、化学&物理は100点満点)を比較してみる。

         英語     数学    化学    物理

  津西    81.5      75.5     35.6     22.2 

   津     106.3      95.5     44.9     41.0

全国平均   83.2      85.0     40.7     35.6

 津西はこの地区で最も試験が多い。中間・期末に加え、放課後試験やら実力試験やら単元テストやら・・・とにかく祭りの縁日の出店のノリで矢継ぎ早に来る。俺が塾を始めてから15年間、ずっとこうだった。いや、津西の創設時からこうだったはず。津西ができた時、俺たちを教えてくれた先生の中から名物先生やイキのいい先生が津西に転勤していった。彼らは新天地・津西で「津高に追いつけ!追い越せ!」とばかりに試験数を増やすという現行のシステムにたどり着いた。生徒たちもまた自分では選べずに津西に入学したツキのなさを嘆きながらも情熱ある先生たちの熱意が感染、試験数の多さに頓着しなくなっていった。教師と生徒、目指すものはいっしょだった。しかし今、情熱なき指導者のもとでシステムだけが昔のまま。生徒たちは試験の多さに閉口している。高校生となり40点以下を取ろうものなら「赤点や!」と青くなるのも最初のうちだけ。試験数の多さからいつしか麻痺してしまい、10点でも6点でも気にならなくなっちまう。そして自分の実力に疑いを持ち、「中学の頃が良かっただけで私には真の実力がなかったんだ」と諦感する。このセリフ、この15年間、津西の入塾希望の生徒たちから幾度となく聞いた。なんとかしなくちゃ、この流れはまだまだ続く。まだまだ落ちていく。もういいかげんに気づけよ。アンタたちの計画性のない、締め付けるだけのやり方じゃダメなんだ!

 今井が少し興奮した面もちでやって来る。「どないや?」 「やっと・・・」 今井が広げた成績表をザッと眺める。早稲田大学商学部D判定。「やっと・・・なるほど、やっとD判定でっか」 「ええ」 「今まではずっとE判定ばっかやったもんな。ちったあホッとした?」 「ええ、なんか見えたかなと・・・」 「いいねえ、いいねえ、そのセリフ。これで勢いつけて夏休み一発!C判定と行きたいとこやな」 「ええ、僕もそのつもりです」

 そして夜になり古西が機嫌の悪そうなツラで姿を見せる。こ奴の場合、機嫌が悪そうなのはテレの裏返しと相場は決まっている。手元を見ると全統の「ANTENA](全国優秀者名簿)。なるほどね・・・と思い「良かったんけ?」 「いやあ・・・ハハハ。これほど上手くはまるとは・・・」 成績表を見ると軒並みA判定、慶応経済・中央法学・上智経済・・・。「で、ランキングに乗ったんかい?」 「そりゃ、まあ・・・、でもそれよりは」と成績表から視線をはずそうとしない。もう一度眺める。「なるほど、津高で1番ってか・・・」 「ハハハ、気づいてくれた、ハハハ」 こ奴にとっては全国ランキング(336番)に名前を連ねるよりは津高で1番になるほうがうれしいってわけだ。古西は上機嫌、酔っぱらいのオヤジ顔負けの足取りで古い塾に帰っていった。しばらくして高橋君がパソコンで打った化学の問題をプリントアウトしに来る。「古西の自慢話聞かされた?」 「ええ、ハハハ」 「なんて言ってた? 津高で1番でしたよ!なんてノリ?」 「ハハハ、それがですね、『高橋先輩、先輩のおかげで津高で1番取れましたよ』って・・・、ハハハ、僕って理系の担当ですからね。関係ないのにね・・・ハハハ」 「あの野郎!」 

 津高1番といっても大した成績じゃないと思うのだが・・・参考に以下に掲げておく。

 英語 69.6  数学 67.5  国語 67.5  総合 68.2

 6日、沢木のリカちゃん(愛知学院大・歯学部)から電話。「先生、黒田さんに聞きたいことあるんですけど古い塾で勉強してもいいですか」 「かまへんよ」 そして夜になり、オシャレな装いに一新。リカちゃん姿を見せる。「先生、これお礼にみんなで召し上がってください」と上品そうなお菓子を・・・。「リカちゃん、ウチの塾のホームページ見てくれた?」 「いえ、私まだパソコンできないんです。お父さんに頼んで見てみます」 リカちゃんの父親は三重中央病院のお医者さんだ。「忙しいお父さん煩わしたらアカンで。はよできるようにならな、大学の論文フロッピーで提出する時代や」 よく見るとリカちゃん、うっすらと化粧している。「なんとね、リカちゃんも化粧するんや」 彼女は2浪してやっと志望大学に合格した。この春休みの合格祝いの時はまだまだ浪人の雰囲気、どこかヤボったさを引きずっていた。3か月が経ち、いっぱしの女子大生とやらになった。「リカちゃんが化粧するんや。動物園のカバさんでも化粧するで」

 7日の七夕、遅れて神妙な顔つきの阿部と波多野がやって来る。こりゃ、アカンかったんやろな。「死にました・・・」と波多野。見れば国語の偏差値、34.3・・・、なんとか日本史が56.1だが焼け石に水だ。阿部もまた悲惨な結果。英語・数学・物理・化学とも偏差値50を切ってる教科はないものの全てが50すれすれ。当然のごとく名古屋大・名工大ともにE判定。阿部の成績表を見ながらつぶやく。「ぬるいな」 そして波多野の成績表を見ながらつぶやく。「ひどいな」 ギャグは全然受けない。阿部にとって古い塾の環境が良いのか悪いのか、自分で考えるべきなのだ。ウチの塾の場合、自由に勉強できるということは責任が付いてまわるということ。自由な勉強はえてして自己満足な勉強に陥りやすい。自分を管理できるだけの裁量が問われている。

 遠く福井でこのHPを眺めている立命館大学志望の高3へ。ウチの塾に留学するってことは、自由に勉強できるってことだ。しかしな、強固な意志がない限り自分を甘やかすのがオチなんだ、阿部のようにな。そんだけの意志があると思たら来てもええで。古い塾で寝泊まりすりゃいい。窮屈だが冷房もあるから暑さはしのげるだろう。でもゴキブリが床を這ってるで。俺は大学の頃にウチの下宿のゴキブリ捕まえては白のマジックで友達の名前書いてたよ。朝起きるだろ?背中に「鈴木」と書いたゴキブリが歩いてくねん。「やあ、鈴木君元気?」ってね。そして風呂か? 風呂なんて受験生入るの? 去年の夏季講習、俺はひと夏で2回しか入ってへんよ。俺の風呂嫌いは大学時代から変わってへん、ウソやと思たらオヤジに聞いてみ。あんなん、時間の無駄やろ。最も忌むべきものは現代人最後の宗教・・・健康やで! 自分の目標あんのに、十分な睡眠なんてバカじゃねえの。規則正しい生活をってか? 学校推薦で行くんじゃねえぞ。自分でタイマンはって勝負するねん、健康なんて何の目標もない理想もない大人にでもくれてやれよ。

 立命館大学入試まで、200日を切った・・・。

 大阪のライブを翌日に控えた8日。中村耕治(近畿大2年)から連絡が入る。「先生、明日アカンわ。バイトの一人が包丁で指切ってさ。俺、バイトで急遽入ることになったんや」 「そりゃ仕方ねえよな」 そして45歳のロッカーの姿を見せてやろうと誘っていた小林からも「先生、明日はバイトなんや。一日、新大阪の駅で荷物の配送せなアカンねん。そうそう俺のバンドさ、今度テレビに出るねん」 「何の番組や」 「そっちでは放送されてへんけどさ、極楽トンボのやってる願組で『南極楽堂』ていうんや。そこのインディーズバンドの紹介で出演するんや」 「放送日は?」 「8月の12か13日やったわ」 「その番組のネーミングからすると関テレか」 「そうっすよ」 さらに6期生なれどなぜかまだ大学生の中山智博(大阪産業大、5月17日号登場の中山亜子の弟)にも叱咤ついでに飯でも食おうかと誘ったものの「すんません、明日は彼女と・・・えへへ」 「あ、オマエ、大恩ある先生より彼女取るの!」 「いやあ、実はまだ彼女じゃなくてアプローチの段階でして、やっと取り付けた約束ですから・・・」 大学生にふられて傷心の俺に、れいめい塾最後の良心と言われる正知から連絡が入る。「先生、ゴメン! 明日は暇やと思ってたら試験があったんや」 「バカ野郎!」   

 9日、中川駅のモータープールに車を預け特急電車に乗り込んだ。今日の宿泊場所も決まってなかった。日比(関西大1年)はサークルのサッカーの試合。宮口(近畿大1年)はラクロス部の試合。デンちゃんのライブの後は飲み会の予定とか・・・適当に抜け出して帰ろうか。せっかく大阪くんだりまで出かけて大学生に会えないのはきつかった。渡部裕美(京都教育大2年)とは「関大前プラットホームにて12時30分に待ち合わせ」とのメールを送ったのが2日前。しかし連絡はなかった。

 12時15分、関大前に着いた。プラットホームに腰をかけて裕美ちゃんを待っていた。こんなふうに誰かを待つなんてことは久しぶりだった。いくつも電車がやってきた。しかし裕美ちゃんは降りてこない。下駄ばきにサングラスをかけて「アエラ」に時折目を落とすオッサンを迂回するように人波は流れた。いつしか開演時間の1時が過ぎていった。俺は平静を装いながら何度目かとなる雪印経営者の怠慢ぶりを非難する記事に目を通した。

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