れいめい塾広告2000年

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広告「25時」作文  
2000年


 ウチの塾は1年に1度だけ広告を出す。塾を始めた時の広告のサイズはB4、それが3年目にB3となり、7年目にはB2となった。あげく今年はそれまでの緑1色からカラーとなった。しかしその内容たるや、2年目から今年まで変わっていない。俺のプロレスネタや箱根駅伝ネタのワケの分からんリード文と塾生達の作文を掲載するだけの内容。塾生の作文に関してのルールは「塾以外の友達の悪口を書かない」「学校の悪口を書かない」の2点。当然にして塾内で悪口雑言が飛び交うことになる。作文は就職するまで、つまりは大学4年生まで続く。

 集客が目的とは到底言えないようなシロモノ。一部のご父兄からは「金の無駄使い」と揶揄されながらも、俺は生徒たちの作文をメインにすることに固執してきた。今年の広告がカラーだったこともあり、ご父兄や知人からは「えらい儲かってんねやな」と言われたものの、全然。生徒数は自分のやりたい塾に固執するがゆえか減っている。それでもカラーにこだわったのは、今年の元旦の初日の出を塾生の中3と私立中学を受ける小6が見に行ったから。初日の出を生徒達だけで見に行くことが、いつしかウチの塾の女子主催の伝統行事となった。この写真をカラーで・・・・。それに加え、塾主催や上位下達ではなく、生徒達で何かを計画し実践していく・・・・それを15年目にして誇りたかった。決して儲かっていない。俺は『れいめい塾』のことをやせ我慢の塾だと捉えている。

 かつて、スウェーデンの作家、マイ・シューバル&ペール・バールー夫妻が1年に1作ずつ小説を書いた。マルティン・ベックシリーズ、ジャンルはミステリー、秀逸な警官小説だった。代表作に『笑う警官』、これは後に映画にもなった。ストックホルム警察の殺人科警部、マルティン・ベックが主人公。コツコツと見逃しそうになる証拠を拾い上げながら犯人までたどり着く。地味な作品だったが、警察内部の描写に秀でていた。喧喧諤諤の議論に中傷・誹謗、罵詈雑言が現場の警官どうしの間で渦巻く。日本のその当時の作家、松本清張や森村誠一ではお上品すぎて描ききれない世界がそこにあった。当時俺は中学生だったが、そのリアルさに圧倒された。これに匹敵する作家が20年後にやっと日本にも登場した。『マークスの山』を上梓した高村薫である。

 マルチン・ベック・シリーズにはそのリアルな現場の喧騒とは対照的に、街の風景が詩的に描かれていた。全10巻、つまり1970年代のストックホルムの街の10年間の推移を、作者は淡々と描き出していた。

 広告「25時」のコンセプトはここにあった。ストックホルムの10年間を「れいめい塾」に舞台に変え、塾にたむろする荒ぶる魂の軌跡を描きだそうとした。

  たとえば塾を始めた時に小学5年生で入塾した5期生の菊山善久は小5、小6、中1、中2、中3、高1、高2、高3、大学1年、2年、そして就職を控えた大学院2年に広告「25時」に作文を書いた。塾に関わりを持っていた延べ16年間で11回。毎年ではないにしろ、この11回の作文を追いかけていけば、菊山善久の青春期の断面が現れてくるんじゃないか。

 最初の頃の広告「25時」に対する評価はキワモノ扱いだったと思う。好意的な解釈としては「あの広告は塾の内部がよく見える広告やね」との岩脇氏(三重高校教諭)の感想、あるいは懇意にしていただいている開明学院の永橋社長の「僕さ、中山先生とこの広告大好きなんさ。あの広告は見る者のレベルをためしてくるような広告だよね」あたりの発言だった。

 ただ、1997年度の広告「25時」にNPO教育支援協会の吉田先生が興味を抱いたことから、全国から見学者が訪れるようになった。俺はよくグチッたものだ。「三重県の田舎者では俺のセンスについてこれねえよ」 

 ウチの広告、塾外者からは変化球に見えたかもしれない。ただ、狙いは始めからストレート。塾生一人一人の思春期における成長にあったと自負している。

 そして親バカなんだろうが、1年で夕食をともにするのが一度か二度ということからくる後ろめたさか?娘達への俺なりの愛情の示し方に一役買っている。広告の中には必ず1枚、娘達の写真がある。俺は彼女達が結婚する時に広告「25時」を束ねて手渡すつもり。「25時」のなかには、ついていないことに塾の名前をつけられた彼女達の軌跡もある。

 その年の広告に目を通すだけでは、その時点における塾生の「今」しか見えてこない。しかし、ある個人を縦割りに眺めることにより成長の過程が見えてくるはずなのだ。

 以下に「れいめい塾」でメインを張ってきた面々の名前を掲げる。クリックしてもらえば、その塾生の作文が初期のものから順に並べてある。一個人の成長(退化もあるやもしれぬが)の軌跡として堪能していただきたい。なお、俺(塾頭)の作文はやたら長いために年度別に収録する。

 俺もまた、かつて広告に書いた作文を打ち込みながら、2000年の自分を確認する作業に入るつもりだ。

         ライン・ナップ(2000年時)

 * 越知 勲   (4期生)   

     津西高から同志社大学を経て就職、社会人3年目。

 * 奥田邦博  (4期生)

     津高から立命館大学を経て就職。今春日立建設機械に入社。

 * 菊山善久  (5期生)

     津高から同志社大学を経て、今春松下電器に入社。

 * 鼻谷年雄  (5期生)  

     津高から駒沢大学を経て、現在『ファミコン通信』編集部勤務。

     * BBSで怒られました。駒沢ではなく専修大学です。

 * 前田 崇   (6期生) 

     津西高から早稲田大学へ、現在は大学院1回生。

 * 中山智博  (6期生)

     津高から大阪産業大へ。1浪2留で現在3回生。

 * 竹中 泰   (7期生)

     三重高から中央大学を経て就職。三重銀行勤務。

 * 田中千秋  (7期生)

     高田高校から三重短期大学へ。現在、百五銀行に勤務。

 * 中村祥宜  (8期生)

     津西高から名古屋大学へ。今年、大学院試験を受ける予定。

 * 斉藤太郎  (9期生) 

     津高から北海道大学へ。パチスロに狂い現在3度目の1回生。

 * 鈴木克典  (9期生)

     高田高校から、東京学芸大学へ。バンド活動、ミニコミ誌主催。

 * 小瀬古美穂 (10期生)

     津高から新潟大学医学部看護へ。

 * 日比 剛   (11期生)

     津西高から関西大学へ。

 * 古西伸崇  (12期生)

     西郊中から津高へ。現在高3、志望大学は慶応大学経済学部。

 * 塾 頭     1990年度広告「25時」 リード文

             1991年度広告「25時」 リード文

             1992年度広告「25時」 リード文

             1993年度広告「25時」 リード文

 

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 1987年から1989年までと、1994年の広告が手元にない。もしマニアックな「25時」ファンが所有しているならば、高価で買い取ります。メールをお願いします。


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塾頭のリード文(1990〜1993年)
塾頭リード文2001年
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