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内憂外患

2005年1月 第三章

絵馬にまだ書いていない三人、岩澤と平田と良太・・・。
岩澤は神奈川大学あたりか、良太は青山学院、そして平田は・・・。

津東の先生方とすれば、今年は神戸大学医学部理学療法に1名合格者が出て、3年前の大阪大学合格に続き津東の面目躍如となる流れだった。それを横からなんやワケ分からん奴にそそのかされ、三重大学高校推薦枠で医学部勝負となると複雑な心境だったと思う。
クリスマスイブのあの長い長い一日。俺は津東に出向き、俺の考えを述べさせて頂いた。
ある意味で浪人もいいのではないか・・・。その選択が平田の一生を決めるのであれば、現役で大学へ入学することよりは浪人してでも一生をかけてやりたい仕事に賭けるべきではないか・・・。
俺の真意がどこにあるのか・・・それが分からないうちは高校推薦受験に伴う資料や成績証明書などを出せないようだった。文系から理系へとのシフトは純粋なれど、数Vを勉強していない以上、その条件で受けられる学部を選ぶという安易な志向には不純なものを感じた。すべては平田が蒔いた種、高校2年時に真剣に自分の将来を考えて進路を決めなかったツケが出ている。つまり平田が諸悪の根源なのだ。
1時間ほど俺の持論を話し、進学指導の先生にはなんとか理解していただけたようだった。先生方の心配は高校推薦の試験日が2月18日ということにあった。万が一平田のセンター得点が82〜85%あたりだと、国公立大学の二次試験の1週間前の試験はきつい。5回にも渡る面接と小論文の試験への準備にかける時間が本来の二次試験の勉強時間を食い潰すのではないか・・・。確かに言われてみればそうだった。現役合格に固執するなら三重大学医学部の高校推薦は受けないほうがいいと俺も思う。しかし平田の一生を考えたら、こんな安易に志望学部を決めていいのかどうか・・・何度も何度の逡巡しながらこのセリフを吐く俺の熱意が通じたんだと思いたい。「結局な、2年の時にクラブ三昧でチンタラ高校生活やってやオマエが一番悪いねん、諸悪の根源なんや。ちったあ反省しろ!」と罵った俺の言葉に、進学指導の先生、微笑みながら「確かにそうなんですよね」と相槌を打って頂いた。
暴論を言えば、平田がセンターで90%を叩けばいいんである。

もし平田が前期に神戸大学理学療法を出願し、そのあげく合格したら・・・それから後は平田が決める問題。後期試験に合格する保証がない以上、合格したらしたで悩むはず。その結果、後期試験の三重大学医学部を受けることを断念、そのまま神戸大学に進学してもそれはそれで平田の自由だと思う。ただ俺は、この与えられた環境のなかでジタバタしたかったのだ。「もっと早く塾に入っていればな・・・」と平田はことあるごとに言う。確かにそうなのだ。もっと早く平田がウチの塾に入ってきていたら俺は絶対に理系を薦めていた。情況は大きく変わったはずなのだ。

卓矢が姿を見せた。「卓矢、俺は明日三重大学近くのガストでベースキャンプや。1限目の英語が終わったらガストへ来いよ」 絵馬を見た以上、何かを言われると覚悟していたのか、卓矢の顔が強ばっていた。ここまで来たら好きにさせてやろう・・・、「明日の英語、頑張れよ」 卓矢は怪訝な顔で退散した。(14日18:00)

「送り出しにはジュースがいりますよね」と愛。「そやな、それと紙コップ」「紙コップはさっき見たら、前のが残っているようですから」「そないでっか、じゃあ古い塾に行くときにコンビニででもジュース買っていこうや。ところで英語の授業は?」
ターゲット801〜1500の英単語をアトランダムに試験をして1単語に2秒以内で答える試験に合格した愛と龍神。その結果、古い塾へと移動できるわけだが、このままにしておくとせっかく覚えた英単語の知識、すぐに磨耗してしまう。それで急遽始まったのが、ターゲット801〜1500レベルで読解できる入試問題を解く! 第一回目の今日は九州大学文系の記述問題。
「まだ龍さんが来てませんから」「じゃあ6時30分あたりから始めよか」

午後6時、森下が京都から帰省。さっそく空気清浄機の清浄を開始する。ありがたや・・・。

午後6時20分、古市が三重大学の願書を5部持参で登場。願書の就職実績を眺めながら、「すごいわ、人文からNHKに受かった人いるんだ!」(14日18:20)

午前8時から古い塾で送り出し。
講師のコメントの順は、若い順が恒例だが、司会の愛が年齢が分からずアトランダムに・・・大森・古西・里恵・古市・山岸・中塚・横田・徳武・森下・征希、そして俺。
午後9時30分に終了。
これを最後に医師国家試験に突入する中塚と横田の最後のスピーチに涙する俺であった。(14日22:00)

翌日、ガストの森下がノートパソコンを持ち込む。さすがに5時間近く粘るともなるとついつい手持ち無沙汰に・・・、そんな俺に「ここで書いたら」とノートパソコンをテーブルの上に置く。
この時の原稿についてはまたコピーしてここに入れときます。

今はセンター2日目、晩の7時前。
昨日センターの結果が心配だと車で奈良から駆けつけてくれた大西君もさっき帰っていった。森下は松原を連れて最近久居にできたコメダコーヒーへ。古西は愛を連れてセンターガーデンの中に最近開店した宮脇書店へ世界史の参考書を買いに走っている。
森下も古西も明日から大学で授業があるが、今夜は塾生のセンター試験の成績がおおよそ出揃うまで塾に居座るつもりだ。昨日、松阪会場で大活躍してくれた征希は、一昨日以来徹夜のままでコンパに顔を出し、それっきり消息不明。(16日19:00)

センター試験の採点が始まった。まずは亜矢歌と真歩と松原からスタート、そこへ小林が加わり、さらに平田が・・・。
慎太郎の姿はない・・・。慎太郎は昨日の夜、つまりセンター1日目の夜に英語を採点、「実感では160点」と言ってはいたが、ところが採点するや空を睨んで絶句・・・106点。この瞬間に北海道大学が宙を舞う。留学期間が長かったビジネスライクな森下でさえも慎太郎に電話できない。
真歩が泣きそうな顔で頬杖をついている。採点に臨む亜矢歌の顔は引き裂かれそう・・・。中3の曜子がやってきた。「兄にすぐ塾に来るように言え。あの一瞬を見なけりゃ、受験生とはいえない」

「やられました・・・」 そう言って俯く小林の点数・・・これでは到底センター利用の大学へは出願できない。「これ以上は採点できない」と真歩は1階の教室へと・・・。亜矢歌の点数が出揃う・・・なんとか三重大学医学部看護で勝負させてもらえそうだ。「漢文が良かった!」と叫ぶ亜矢歌、「そりゃそうだろ、征希が教えてるやん!」と俺。

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