HOME倭人のふるさと

倭人のふるさと

平安末期から室町期の荘園名を「倭荘」といいました。
「小倭」は古代、青山峠から見たこの地の眺めが大和飛鳥の甘橿ノ丘からの眺めに似ていることから、名付けられたと言われています。
江戸期には垣内村・佐田村・上ノ村・中ノ村・南出村等を含む12か村を総称して、「小倭郷」と称していました。
明治22年、垣内村・佐田村・上ノ村・中ノ村・南出村の、5か村が合併して「佐田村」が成立。
明治24年、大村川流域に位置し、古来伊勢国と伊賀・大和国を結ぷ重要な初瀬街道に面し、中世小倭荘と呼 ばれていた所の一部に当たる為、村名「佐田村」を廃し由緒ある旧名「小倭村」に復そうとしたのですが、将来への飛躍を祈って小の字を取り「倭村」としました。
昭和24年 青山高原の開発に伴い布引三滝を遠望する所から、平安末期の経筒と和鏡が発見されています。
昭和30年、近隣5か村が合併、白山町の一部となり村制時の大字は同町の大字に継承され今日に至ります。

倭の名所

倭の氏神(はくさんひめじんじゃ)

若宮八幡宮の社僧円珍上人の弟子に円乗坊という人がいました。
天文22年(1553)正月24日の夜、明年2月現在の石川県白山市(しらやま)にある加賀の白山は火災で焼失してしまうから、それまでに天照大神のいます地に移りたい、という夢のつげを感じ、北斗七星が南方の空に点々と輝くのを見ました。
円乗坊は夢告にこたえてすぐにも加賀へ行きたいと思いましたが、北陸は雪のさなかであるため雪の少なくなる3月を待ち、白山にもうでて7日7夜の祈請をこめました。
 7日目の夜、神の告げがあり、翌朝見ると笈(おいずる)の中にご幣が7本たっていました。これこそ霊夢の験(しるし)であると感じ、笈を背負って帰国の途につきました。
老いた母に会うために家城の瀬戸が渕まで帰り、岩の上に笈を下ろして一休みしていたところ、にわかに笈が前後に揺れ動き中から7羽の白鷺が飛び立ちました。
7羽というのは、さきに霊夢で見た南方に輝く北斗七星と同じ意味であり、白鷺は神の使者であると感じて、その7羽が降り立った小倭の風神の森、井生川口両郷の境、山田野、八対野、家城、竹原、飯福田、この7箇所へ神社をたてました。 この小倭風神の森へ建てられた神社が現在の氏神となっています。

わが母校

旧倭小学校・・
今は取り壊され跡地は工場になっています

木造の建物は、二階で走ると地震のような振動が1階に伝わります。
「廊下を走らない」との張り紙は、今なら危険防止なのですが、そのころは騒音防止だったと思います。

おぐりんが作るフルーツトマト

水気耕栽培「ハイポニカ」と言って、ハウスの中ではこれ本当にトマトの木?と思うほど、巨大なトマトの木が並んでいます。 お世辞抜きで美味。昔懐かしい味がするよ。トマテ・コロラードのブランドで発売しています。ぬくいの郷でも売ってるよ

おぐりんのトマト

風力発電所

倭の風は働き者
いつの間にか倭の山の上は、プロペラだらけになってきました。

成願寺

成願寺

盆踊りが開かれる成願寺
昔はお寺の境内は子供たちの公園でした。卓球台が山門の影にありました。
子供のころはお寺でよく遊んだのですが、今はお寺で遊ぶ子供たちも見かけなくなりました。

七栗の湯

猪倉温泉

枕草子で唄われた七栗の湯・・の隣・・ ヌルヌルした湯はいつまでもポカポカ暖かいです。

戦争中の話


白山町郷土資料館
戦争中の話 白山町郷土資料館 昭和20年6月26日、白山町上空で日本の「飛燕」が本土爆撃に飛来したアメリカのB29に体当たりしました。 飛燕の乗員は広島県出身の中川裕少尉(当時24歳)。 岐阜県各務原市の飛行場を空襲するためグアムから飛来したB29に突っ込みました。  飛燕は、白山町大三地区に落下し、B29は白山町倭地区の四季の里付近に墜落しました。 中川少尉は空中で放出され、パラシュートによって久居市まで流されましたが、すでに亡くなっていました。 この資料館に当時のB29の破片が展示されています。
リンク

布引の滝

先日ハイキングに行った布引の滝
秋の紅葉はお勧め!

初瀬街道で道ジュネ

初瀬街道は奈良と伊勢を結ぶ街道のひとつで峠の名前をとって「青山越え」とか「小倭越え」と呼ばれていました。
青山峠の東坂本にある「垣内宿」は峠を越える英気を養う、また峠を越えてきた旅の疲れを休める為に欠かせない宿場でした。
倭人の道ジュネもこの街道で行います


初瀬街道垣内宿

地元生産者が経営する直売所(ぬくいの郷)

おぐりんが作ったトマトも売ってるよ!

津市と名張市を結ぶ国道165号線沿いにある「白山ぬくいの郷直売所」。
地元生産者で組織する「(有)はくさん地域おこしの会」が中心となって平成17年4月に開設した直売所です。 「ぬくいの郷」の名前は、八尾の白狐の恩返しでこの地にぬくい(=あたたかい)お湯が湧いた、という伝説にちなみ、手作りの商品や地域の人々のぬくい心を感じてほしいという意味をこめています。素朴な温かさの感じられる店内には地元の野菜・お菓子・漬物・豆製品・工芸品などが並んでいます。




倭のホームページ

田舎暮らし。 倭の情報が満載

このページのトップへ